ある悪人の前半生   作:土鳩

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勘違いの悲劇

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない。いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

 

 ーー新約聖書 コリント人への第一の手紙 

 

 

1881年ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺された。パルチザンの組織の計画によるモノで、実行犯は少数民族の少年達であった。

彼らの目的は帝政ロシアに抑圧された少数民族の解放である。

 

皇帝暗殺犯達はロシアで追われる身となり10年以上の歳月を逃亡生活に費やしている。

実行犯の1人は名前をウィルクと言い、ポーランド人と樺太アイヌの血を引く男だ。青く美しい瞳と暗殺実行の際に負った顔の傷が特徴だった。

恐ろしく頭が良く、必要であれば非情になれるウィルクを、暗殺首謀者のソフィアともう1人の実行犯のユルバルスは、尊敬し愛していた。

 

3人は北海道アイヌの埋蔵金の情報を入手、日本に逃亡する事にした。ロシアから日本に逃亡する際、写真館を営む長谷川と言う日本人の男に日本語を教えて貰った。

しかしロシアの秘密警察・オフラーナの突然の襲撃により、長谷川は妻子を失いウィルク達は彼の元を離れて日本へ渡る。ーーソフィア1人をロシアに残して。

 

ウィルクとユルバルスは日本に渡った後、それぞれ日本アイヌの女性と所帯を持ち、子供を設けた。

ユルバルスはキロランケと名乗り、ウィルクも日本のアイヌとして新しい名前があるはずだった。

 

ーーウィルクは変わってしまった。

 

キロランケはそう思っていた。

彼は日本で日本のアイヌ女性と所帯を持っても、故郷を忘れた事はない。樺太アイヌの血を引くタタール人の彼は故郷がアムール川の流域にある。いつの日か北海道アイヌの埋蔵金を使って極東ロシア、樺太、北海道を併せた『極東連邦』を作り、故郷の一族を救いたい、そう考えていた。

 

しかし、ウィルクは違った。

 

ウィルクは北海道アイヌが和人から独立する為に金塊を使おうと考えていたのだ。彼の計画の中にはウィルク自身の故郷である南樺太ですら含まれていなかった。

 

ーー俺は何の為に故郷を離れて北海道に渡ったんだ!ソフィアだって俺達を待っているだろうに!!

 

キロランケ・・否、ユルバルスのウィルクに対する感情は、憎しみに変わりつつあった。

 

 

ウィルクは金塊を巡り仲間のアイヌ達と揉めて彼らを殺し合いをしたようで、殺人現場からは7人のアイヌの死体が見つかった。殺害犯として捕らえられたのは頭の皮の無い『のっぺらぼう』と呼ばれる男、彼は網走刑務所に収監された。

『のっぺらぼう』は収監後、凶悪犯達24人に金塊の場所を示す刺青を入れており、それらは暗号となっている。

 

ーーこんな事が出来るのはウィルクしかいない・・・

 

キロランケは確信した、『のっぺらぼう』はウィルクであると。

 

ーー網走に行きウィルクを殺そう。それには自分一人では無理だ、協力者がいる。そしてアイツの娘のアシリパ、彼女さえいればウィルクがいなくても暗号が解ける。アシリパはウィルクの跡継ぎとして育てられているから何かしら知っている筈だ。

 

キロランケには自分の企てに協力を頼めそうな男は1人しか思い当たらなかった。

 

『杉元達』でも『土方達』でも無い男、しかも暗殺にはお誂え向きな才能のある男だった。

 

 

「キロランケさん、マキリありがとう。」

 

「おう。」

 

屈斜路湖の温泉宿、キロランケと白石の部屋に赤毛の少女が訪ねて来た。キロランケが尾形に貸していたマキリを返しに来たようだ。

 

「まったくあの野郎、自分で返しに来いよな。すまんな、アンちゃん。」

 

「いえ。・・・その、こちらこそすみません。え・・と、まさか、ラッコ食べて相撲してたなんて思わなくて・・・」

 

「やめてくれよ、気にして無いから!」

 

キロランケは“杉元達にも謝らないと”と呟いている少女を慌てて止め、同室の白石が“俺から言っておくから大丈夫!”と助け舟を出してくれた。あの日の事は1日でも早く忘れたくて少しずつ記憶が薄れて来ていたのだが、赤毛の少女に思い出させられた。それも今回が2度目である。

彼女は尾形から相撲話を聞いたらしいが、どうせなら尾形のヤツもっと早くその話をしておけ、キロランケはそう思った。

 

「谷垣は・・まぁ良いか。」

 

彼女は谷垣には謝らないようだ。アイヌの既婚男はラッコ相撲の後に1人で番屋に残った谷垣を思い出し、理由を察してしまった。

 

少女はそのまま彼らの部屋に上がり込んで座卓でお茶を啜っている。白石が豆菓子を出して一緒に食べよう、と提案したからだ。

 

「キロランケさん、マキリに傷があるけど作り直さなくて大丈夫?」

 

「いや、今はのんびり作り直す時間も無いしな。落ち着いたらそうするさ。」

 

「マキリに傷ゥ?あぁ、確か日高で付けた傷だったよね。」

 

白石が、日高のダンの牧場で民家を羆に囲まれながら、杉元と若山親分が斬り合った時にマキリに傷がついた事を少女に説明すると、彼女は何か渋い顔をしていた。

 

「どうしたんだ?」

 

「いや、あまり縁起が良くないな、て思って。」

 

キロランケは赤毛の少女の発言に思わず笑った。前から感じていたが、この娘は口では何だかんだ言いながらも意外と迷信や古い習慣を信じているようだ。

アイヌは死者の追悼で所有物に傷を付ける習慣があるので、それを気にしているのだろう。

 

「大丈夫だよ。俺はまだ死ぬような年寄りじゃ無いだろう?」

 

「はぁ・・まぁそうだけど・・・」

 

彼女はまだ何か言いたげだった。

思い当たる事があるのだろうか、そうに違いない、キロランケは少女にカマをかけてみた。

 

「ところでアンちゃん、尾形から何か聞いていないか?」

 

「え?いや、何も?」

 

赤毛の少女はポカンとした顔でこちらを見ている。キロランケの思い過ごしの様だったので、仕方なく彼は話を誤魔化した

 

「ほら、ここ!刃が少し欠けちまってるぜ?アイツめ、何に使ったんだよ。」

 

「ウワ、本当だ!ごめんなさい!実は私も何をしてるのか知らないんだ・・・」

 

マキリの刃の先端あたり、元から僅かに欠けている箇所を赤毛の少女に見せて誤魔化した。

 

ーー尾形のヤツ、この娘に何も伝えていないのか?

 

罪悪感が芽生えたが、目的を果たす為には仕方がない。恐らく尾形はこの娘を置いて行くつもりなのだろうと彼は考えた。

 

ーーあの男にとって彼女が大事だからか?

 

とてもそんな事を考える人間には思えなかったのだが、もう一つの理由が思い立った。

 

ーーいや、世話が焼けるからか。

 

あっさりと納得できた。

 

 

一行は北見に立ち寄って、急遽、写真撮影をする事になった。撮影するのは土方歳三の知人の写真館だ。

アシリパの写真をフチに送る為と杉元は説明していたのだが、それなら何故全員撮るのか・・・キロランケは警戒したが拒否などすれば疑われる為、黙って従った。インカラマッも素直に撮影している。

釧路の海岸での一件以来、仲間内では一見平和そうでもどこかギスギスした雰囲気があったのだ。

白石だけは石川とか言う土方の知人の新聞記者と一緒に遊郭に行っており不在だった。

 

「都丹さんと写りたかったな。」

 

赤毛の少女が一方的に懐いている盲目の老人の名前を口にした。都丹は、死んだ手下の埋葬と網走侵入の準備の為に屈斜路湖に残り後から網走で合流する予定だ。

少女は本気で老人と一緒に撮影出来ない事を残念がっているが、その様子を彼女の邪悪な婚約者が何とも言えない表情で見ており、世話焼きなキロランケはヒヤヒヤした。少女は屈斜路湖の温泉宿でも婚約者を差し置いて都丹の部屋に転がり込んでいる。

 

「お前ら婚約してるなら一緒に写真に写れよ。」

 

俺は何故コイツらに気を遣っているのだろう、元パルチザンの中年男は悲しくなった。

 

「いや、いい。」

 

「私もいいや。だって実物は毎日見てるし満足だよ。」

 

素っ気ない尾形の返答とは逆に、赤毛の少女がはにかみながら可愛らしい返答をしてきたのでキロランケは安心した、彼女が笑いながら余計な一言を言うまでは。

 

「それに尾形と一緒に写ったら、写真を使って変な言い掛かりつけて、死ぬまで脅して来そうじゃないですか。」

 

その一言を聞いた尾形は引き攣った笑顔で婚約者の少女の腕を掴み、嫌がる彼女を写真館の中に強制連行して行く。

キロランケは呆気に取られながらもその様子を見届けた。

 

2人はかなり撮影に時間が掛かっていたようだが、谷垣が1人で撮った時は何故かもっと時間を使っていた。

 

「キロランケさん、ありがとう。」

 

北見から網走に向かう道中、赤毛の少女に礼を言われた。

 

「ん?何がだ?」

 

「ほら、写真館で尾形と写真撮ったヤツ。完成したのを見たらやっぱり撮って良かったと思ったんだ。」

 

彼女はキロランケに写真を見せてくれたのだが、尾形は真顔で死んだ魚の様な目をしているし、少女は緊張して顔が引き攣っている。2人の間にも頭一個分位の微妙な距離が出来ている。恋人同士のような自然な表情が出来ずに、写真家の田本氏に何度も注意されたようだった。

 

「・・・あぁ、そうか、それなら良かったよ。」

 

キロランケからすれば“これなら写さない方が良かったのでは?”と言いたくなったのだが、彼女はこんな写真でも嬉しいようだ。

しかし写真の2人の距離感、本当に婚約者同士だとは彼には思えなかった。

 

「もっと二人くっついて取れば良かったのに。婚約しているんだろう?」

 

キロランケが少女を揶揄うと、彼女は何やら恥ずかしそうにモゴモゴと喋り出した。

 

「うん。以前は顔を近づけて話をしても、大雪山で一緒の鹿に入ってくっついていても恥ずかしく無かったんだけどさ。今は身体をくっつけるのにも抵抗があるというか・・・。本当はこの写真を撮った時も尾形に肩を引き寄せられたのに、びっくりして押し除けたんだ。」

 

ーーだから尾形のヤツ、こんな顔になっているのか。

 

彼は写真に写っている真顔の男に思わず同情した。

 

 

網走に到着する前夜、皆が寝静まった頃に尾形は相変わらず単独でぶらりと外に出た。それを確認した後に頃合いを見計らってキロランケも外に出る。

彼ら2人は塘路湖に向かっている時、つまり赤毛の少女が一時的に集団を離れる少し前から接近している。尾形が彼女に集団を離れるように勧めた理由はこの為であり、彼ら2人が密談をするのに好都合だった。

密談の理由は勿論、気が合った等と言う生優しい理由からでは無い。

 

「尾形、お前はアンちゃんを置いて行くのか?確かに世話が焼ける娘だが別に連れて行っても良いんだぞ?アシリパだってその方が安心するだろ。」

 

「いや・・・邪魔になるから置いて行く。預ける先もあるから大丈夫だ。」

 

「そうか?大分お前に懐いているみたいだがな。」

 

しかし預ける先とは何処なのだろうか、土方や杉元達の所だろうか。

 

「アンはアシリパと仲が良い、谷垣達ともな。これは計算外だった。多分この先の事はアイツには耐えられないだろうな。・・・俺らとは違う。」

 

「ハハ・・、何だかんだ言ってもお前はあの娘を大事にしているみたいだな。」

 

最初、赤毛の少女が尾形の婚約者だと知った時キロランケは耳を疑ったのだが、今のこの男ならまだ納得できる気がした。

 

「ハッ、アンタこそどうなんだ。『のっぺらぼう』、いや、ウィルクは大事な仲間じゃなかったのか?」

 

尾形は裏切りを持ち掛けて来た男に対して薄ら笑いを浮かべながら疑いの眼差しを向けた。途中で気が変わられたら困る、彼の黒く澱んだ瞳がそう語っている。

 

「・・・そうだな。そうだったんだ、昔は愛していた。」

 

「ははぁ、今は違うって言うのかよ。分からねぇな、『愛』ってのはそんなにコロコロと変わっちまう物かね。」

 

「さぁな、『愛』じゃないのかもな。俺のも・・・ウィルクのも。」

 

『愛』は漢字自体は日本に漢字と仏教が伝来した頃からあり、『執着』に近い感情を意味する言葉だった。そして明治時代に日本に入って来たキリスト教的概念を表す言葉でもあった。

日本で生まれ育った尾形にも、極東ロシア生まれのキロランケですらその西洋の概念でいう『愛』の詳細な説明は出来ない。

 

ーーウィルクは家庭を持って変わってしまった。俺の愛した強く合理的な『狼』ではなくなってしまったのだ。ならばアイツの望んだ狼としての死に方をさせてやるべきだ。・・・仲間によってトドメを刺される狼のな。

 

ユルバルスは固く誓った。

 

 

ふと夜中に目が覚めて用を足したくなったアンは、隣で寝ているアシリパに気付かれぬ様に身体を起こした。

 

この日はアイヌのコタンにお世話になり、チセを丸々一軒借りている。一行はここで網走監獄侵入計画を念入りに立てていた。杉元や網走の脱獄囚達が中心となり話を進めていたのだが、中でも白石の提案は見事なものであった。

 

ーー久し振りに“ピュウ☆”されたけど、今回はちょっとだけ格好良かったな。尾形は無視してたけどさ。

 

ランタンを手にチセから出て、外のメノコル(女子便所)に行き、用を済ませて戻ろうとした時、暗闇から呻き声がして、慌ててそちらの方角にランタンを向ける。

 

大木に夏太郎が実っていた。

 

否、全裸の夏太郎が真っ赤な顔をして、逆さまに大木にぶら下がっていたのだ。

 

ーー!!?

 

アンは慌てて夏太郎のお股の小太郎を見ない様に努力しながら、小刀で手足の縄を切断して下ろしてやると、彼に感謝された。どうやら家永にやられたらしいが、彼は身体は爺さんなので忘れ物を取りに戻ってそのまま寝てしまったらしい。“よくある事だけど、今回は頭に血が上りすぎて本当に死ぬかと思った”と笑いながら言っている。

この男は非常識を感知する機能が麻痺している、アンはそう感じた。

一方で夏太郎は大木の根本に置かれた自分の服を着ながら、少女に忠告した。

 

「アンタも家永さんには気を付けろよ?結構節操無い所があるから。」

 

「はぁ・・・」

 

「いや、アンタは尾形さんがいるから平気かな?最近はずっと一緒にいるみたいだし。この前なんてアンタ達の仲が良すぎて稲妻夫婦かと思ったぜ?」

 

「ふざけんな・・・って、夏太郎、アンタ稲妻夫婦に会った事あるのか!?」

 

笑いながら話す夏太郎に対し、あのお銀と私を重ねて見るな、そう言いたくなったが、それ以上に共通の知人である事に驚いた。

夏太郎は少し誇らしげに答えた。

 

「あぁ、あるぜ?茨戸にいた時と、小樽で連中と手を組んだ時だ。」

 

「聖徳太子は!?見なかったか!?あ、違う、いや、違わないけど・・・えっと、赤ちゃん!赤ちゃんは見たか?男の子だ、私が取り上げたんだ!稲妻達が連れていた筈だ!」

 

夏太郎は混乱した。古代日本の偉人の名前が出て来たと思ったら、赤ん坊の話をし出すワケの分からない事を言う娘だから当然だ。

 

「・・いや?あの夫婦が死ぬ直前まで一緒にいたけど見てないぜ?」

 

「嘘・・・」

 

「本当だ。」

 

「・・・」

 

「お銀が“幸せなまま終わりにしたいの”って言って死んだけどさ、そこまで愛せる相手がいるって良いよな。」

 

夏太郎は稲妻夫婦の死に様を思い出してシンミリと浸っているが、アンはそんな気分にはなれなかった。

 

ーーアイツら、自分達の子供を捨てやがった!何が愛だよ、下らない!!

 

そういうヤツらだったんだ、ただの肉欲の権化だ、分かり切った事じゃないか・・・自身にそう言い聞かせながらアンは夏太郎を放置して先にチセに戻った。

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