ある悪人の前半生   作:土鳩

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善悪の遥か彼方

網走監獄へ侵入し『のっぺらぼう』に会う、その計画は脱獄王・白石由竹を中心に考えられた。

秋の鮭漁の時期を利用して、網走川の流れる網走監獄の塀沿いにクチャ(仮小屋)を作る。その中で穴を掘って出た土を鮭漁の舟で川に捨てる。土方の指定した距離だけ掘り進めて内部に侵入する予定だ。

人数が増えれば様々な思惑が絡むモノだが、侵入の段階で裏切っても得をする人間はいないようにアンには思えた。

気が緩んでいたのだ。

 

気球に乗せられて旭川を出た時は5人だったが、まだ合流していない都丹を含めたら今や15人。こんな大勢の大人達に囲まれて何かをすると言うのは赤毛の少女にとって初めての事だった。しかも頼もしい連中ばかりで安心感が凄い。尾形の考えている事は気になるものの、ついつい監獄侵入の掘削作業に張り切ってしまう。

アンは袴からツナギに着替えて、日露戦争で活躍していた元工兵のキロランケの指示に従いながら穴掘り作業を手伝っていた。

 

「アンちゃん、張り切っているね。無理をするなよ?」

 

「はい、なんか楽しくて・・・。普通の家族の元で過ごしていたら、毎日こんな感じですか?」

 

「ん・・まぁ、ここの連中は普通とは違う人間ばかりだけどね?」

 

キロランケは苦笑いしながら答えた。彼は元々優しい男だが、ここ最近は更に優しくしてくれる。

 

ーーキロランケさんや博士は親戚の叔父さん役かな?杉元や谷垣はお兄さん、インカラマッは義理のお姉さん、アシリパは妹、チカパシは弟。土方さん、永倉さんはそれぞれ父、母側のじいちゃんで、家永さんは女中頭、夏太郎は近所の幼馴染で白石は偶に金をせびりに来る駄目な従兄。

 

浮かれているのを自覚しながらもついつい家族構成を勝手に作って舞い上がってしまう少女、ふと尾形の存在を思い出した。彼はどの役にすれば良いのだろうか。血縁者に当て嵌めようとするも全くしっくり来ない。

遂にはボンヤリと夢想しながら掘り出した土を運び出そうとして、トンネルの天井で頭を打った。

 

「いだいっ!!」

 

「オイオイ、大丈夫か?コタンに戻って休憩しときな。」

 

呆れながら笑うキロランケ達にアンは追い出されてしまった。

 

網走近郊のコタンが現在の一行の拠点となっている。アンは被っている角巻越しに頭を抑えて皆の所に戻った。以前に岡田にやり方を教えて貰って纏めた髪の毛は、頭をぶつけた拍子にぐちゃぐちゃに崩れてしまっているようだ。幸い出血は無さそうだ。

 

「あら、どうしたんですか?」

 

コタンで昼飯の準備をする家永と永倉に出迎えられる。

 

「頭ぶつけちゃって、休憩貰いました。」

 

「大丈夫か?少し横になっておきなさい。」

 

2人が心配してくれて少し照れ臭くなったが断り、角巻を外して髪の毛を直そうとしたアンに衝撃が走った。

 

「お箸!お箸が折れてる!!」

 

初めて小樽の兵舎に行った時に岡田から頭に挿す為に貰った箸が折れていた。頭をぶつけた際に衝撃を受けた箸は真っ二つになっており、もう使えない。

 

「なんで箸なんだ。尾形に簪でも買って貰えば良いだろう?箸は誰から貰ったヤツなんだ?」

 

「あ・・・えっと、岡田に。」

 

「尾形か?彼奴め、婚約者に簪を送らず適当に箸を渡しておくなんて全くとんでも無いヤツだな。」

 

「本当ですね。アンさんが可哀想。」

 

聞き違いをした爺様2人はこの場にいない上等兵に憤慨している。アンは図らずも土方一派に於ける尾形の株を再び急落させてしまったようだ。

取り敢えず木の枝を適当な長さに折って箸の代わりにし、髪を纏めた。

 

 

網走監獄にトンネルを掘り始めて3日目の夕方、尾形は赤毛の少女を連れて集団から離れた。夕飯の準備の手伝いをするアシリパと杉元が怪訝そうにしているが、尾形のとんでもない一言で2人は納得した。

 

「野暮な事聞くんじゃねぇぞ一等卒、なかなか2人きりになれんから蕎麦屋に行くんだろうが。」

 

ーー!!?

 

アンは絶句した。

蕎麦屋と言うのは1階は飲食店だが2階部分は連れ込み宿になっており、目的は男女が致す場所である。

杉元も絶句したまま真っ赤になって顔を両手で隠して黙っているし、アシリパは真っ赤な顔を両手で隠しているものの、指の間からチラチラとニヤけた目が覗いている。

因みにアンは杉元と同じ反応だ。

 

「今夜は戻らなくても良いぞ。」

 

牛山が少女からしたら恐ろしい事この上無い一言で2人を送り出した。

 

尾形にグイグイと右腕を引っ張られて網走の街を黙って歩くアン、顔は夕暮れの空ぐらいに赤くなっている。

 

「お・・・尾形?ほら、アンタ疲れているだろう?私は毎日クタクタだ。」

 

「いや、全く?」

 

ーーそういえばコイツ、トンネル掘りも鮭漁も全く手伝っていなかったな!!

 

アン自身は積極的に手伝っているので疲れ切っているのに、協調性皆無で元気が余っていると思われる助平な上等兵殿は彼女の体力に一切構わず、致そうとしているらしい。

 

「お前は大人しくしていれば良いから来い。」

 

ワケも分からぬまま引っ張られて後を着いて行く。振り解く事も出来なかった。

 

ーーウコチャヌプコロってどういう順番で致すんだっけ・・・。作法がよく分からない!

 

こんな事なら、少し助平な描写のある小説をちゃんと読んでおけば良かったと少女は後悔した。

死にそうなくらい恥ずかしいのに抵抗する気にならないのは疲れて気力が無い為だろうか。頭がボンヤリしたまま黙って着いて行くと、元気があり余っている上等兵殿が一軒の蕎麦屋を見つけて少女を連れて入った。

古い店には3人の先客がいる。

 

「おぉ、こっちだ。久し振りだな尾形上等兵に田中!」

 

ーー!!?

 

お玉ちゃんこと玉井伍長と野間、岡田がいた。店内で着席してこちらに手を振っている。

彼らは一般市民に扮装しており、短いながらも髪を伸ばしていてアンには一瞬誰か分からなかった。

 

「ひっ久しぶりです、玉井さん!と野間、岡田!」

 

「俺と野間をオマケみたいに言うなよ。」

 

岡田がボヤいた。

アンを含めた造反組全員が初めて一箇所に集まったワケだが、尾形は少女の赤い顔を見ながらニヤニヤ笑っている。

 

「どうしたんだ山芋、顔が赤いが風邪でもひいたか?」

 

野間が怪訝な表情でアンを見ている。

 

「ははぁッ、野間、コイツ助平な事を考えていたんだぜ?あまり触れてやるなよ。」

 

「うるさいな!ちゃんと説明してから連れて来い、ド阿呆!!」

 

尾形に揶揄われて殴りかかるも、疲労が溜まっている赤毛の少女はあっさりとかわされてしまった。

 

 

広い卓が無いので、アンと尾形は3人の隣の卓に座り蕎麦を啜りながら今迄あった事を報告した。『刺青妊婦』の勘違いから始まって、稲妻強盗夫婦に連れ回された事を伝えたら、玉井達3人は目を逸らしながら“スマン”と小声で言っていた。それを見ながら尾形は肩を震わせて笑っている。

 

ーー谷垣が、尾形は軍ではあまり笑わないって言ってたけど、そんな事無いよなァ・・・

 

谷垣の気のせいだろう、だっていくら造反したとは言え彼の上官の玉井だって側にいるのに楽しそうなのだから。アンはそう思いながらも蕎麦の汁を飲み干していると、めざとい岡田がアンの頭に木の枝が刺さっている事に気付き、指摘してきた。

 

「山芋・・・お前なぁ、いくら身なりに気を遣わないからってそれは駄目だろ。何処の蛮族だよ?」

 

「そうなんだ。昨日、アンタに貰った箸が折れたんだよ。簪なんて買う金は無いからここのお箸を貰って行こうかな?」

 

「お前、まだあの箸を使っていたのかよ!」

 

岡田は呆れていたが、彼の隣にいる野間が衝撃の事実を暴露した。

 

「箸って・・あぁ、死んだ稲井上等兵の箸か?ほら、岡田が嫌がらせの報復でコッソリ盗んだとか言ってたヤツ。」

 

ーー!!!?

 

全くの初耳である。岡田がアンの頭に挿した箸は、兵舎の火事の時に岡田と野間に刺殺され、アンの身代わりに遺体を燃やした上等兵の物だったらしい。

確かに貰った時は彼は生きてはいたのだが・・・

 

「岡田!おまっ・・それ・・・」

 

岡田の私物と思っていたから気にせず使っていたのだが、まさかそんな由来があったとは知らなかった。アンは半年以上もそんな呪われてそうな物を頭に付けていたワケで、彼女が災難続きなのは亡き稲井の怨霊のせいに思えてしまう。まだ木の枝の方がマシである。

 

「いや、だって普通さ、箸を頭に挿し続けるとか思わないだろ?」

 

ヘラヘラ笑っている岡田に対し、アンはいるかどうかも分からない稲井の怨霊に“犯人はアイツです、祟るならアイツに”と心の中で話しかける。

 

「まぁ、尾形上等兵が買ってやれば良いではないのか?嘘とは言え恋人同士の設定だったのだから。」

 

それまで黙って漬物をポリポリと食べながら話を聞いていた玉井が、とんでもない事をサラリと言った。“もういい、買っちゃえ買っちゃえ”の勢いである。

アンと尾形はニセの恋人からニセの婚約者に進捗しているのだが、実際のところは赤の他人だ。婚約者ネタを知らない野間と岡田ですら固まって黙りこんでおり、何とも気不味い空気になっている。

 

「・・・そう言う物は好いた男から貰う物だからな。まぁ、お前は暫くは木の枝で充分だろ?」

 

「うん・・・」

 

尾形がそっぽを向いて呟いたので少女は取り敢えず頷くしか無かった。

 

夜も更け、日中の疲れからアンはウトウトと舟を漕ぎだしたので、脱走兵4人から2階の部屋を借りて寝るように指示を出されて大人しく従った。蕎麦屋の女将に変な顔をされたが久しぶりの独寝は有り難く、そのまま身体が布団の中に溶け込むような感覚になり寝てしまう。

 

ーー3人とも相変わらずだったなァ。

 

複雑な状況下ではあるものの、玉井達に生きて再会出来たのは純粋に嬉しかった。

 

 

翌朝、窓から差し込む日の光で目が覚めると、アンのすぐ目の前に尾形の顔があった。

 

ーー!!?

 

少女は驚愕して飛び起き、慌てて自分が着衣しているかどうかを掛け布団を蹴飛ばして確認する。ラッコ鍋と屈斜路湖の全裸説教以降、尾形に接近する度に彼の裸(特に下半身)が頭にチラつき、少女は酷く意識してしまう。

 

ーー脱いでないと言う事は、致して無い?

 

よく見ると彼は布団の外におり、同衾していたワケでは無いようだ。尾形は玉井達と夜遅くまで話しをしていたのか、外が明るくなっているのに起きる様子が全く無い。

 

「・・・勇作・・ど・・の・・・」

 

寝ている筈の尾形の口から人間の名前が零る。死んだ、否、尾形が殺した弟の名前だ。あの時の宇佐美が嘘を吐いていなければだが。

 

ーーまさか殺した事を後悔しているのか?

 

大体の辛い過去や過ちは時が経つにつれて笑い話に出来ると考えていたが、洒落にならない過ちはその範疇では無い。しかし夢にまで出てくるなんて余程の事である。

 

ーー入院してた時、“おっ母”とも言ってたな。

 

いや、まさか、いくら何でもそんな筈は無い、アンはそう思い直した。野生動物ならまだしも、子供が母親を殺す事は殆ど聞かない。ましてや息子が、だ。

残虐な始皇帝ですら裏切った母を殺せずに幽閉に留めたのだ。少女が知る息子の母殺しは歴史上の人物ではただ1人、古代ローマの暴君、ネロである。

改めて尾形の寝顔を見ると少し悲しそうな顔をしている様にも見え、アンは男の顔に垂れている彼の前髪を右手で撫で付けるようにして、優しく後ろに流してやった。

 

結局尾形が起床したのは昼前で、“もっと早く起こせ”と彼に小言を言われてしまった。玉井達はあの後に蕎麦屋を出て、ねぐらにしている貸家に戻って行ったらしい。

蕎麦屋を出て、拠点にしているコタンに2人は歩いて向かう。大股で歩く上等兵の後ろを赤毛の少女が追っていた。

 

「ハァ、こんなに帰りが遅くなったら牛山辺りに揶揄われそうだな。」

 

「・・・うん。」

 

牛山もそうだが、性に対して好奇心が旺盛なアシリパやチカパシの方が実は厄介そうだ。初心な所のある杉元は積極的に揶揄っては来ないだろうし、それ以外の大人達はせいぜいニヤニヤするだけに留めるだろう。

 

「聞かれたら何て答えたら良いのか分からないんだが。」

 

「適当に答えておけ。恥ずかしくてあまり覚えて無いけど上手かったと思う、とかな。」

 

この助平な上等兵はこんな時まで下らぬ見栄を張りたい様だった。あまりにも下らなくて閉口している赤毛の少女に、助平は“ほれ”と後ろ手に何かを渡して来る。

 

「これ・・・」

 

最初は箸かと思ったが違う様だ。鹿の角で作られたソレは長さが20センチ位で小刀か何かで粗くはあるが削られて加工されている。

 

「死んだ人間の箸や木の枝よりはマシだろ。」

 

どうやらこの男はキラウシのコタンからずっとこれを作っていたようだ。前を歩く尾形はアンの方に振り向きもしないが、声色から照れ臭そうにしているのが僅かに伝わった。

 

「ありがとう。おがた・・・アンタ、明日死ぬのか?」

 

「阿呆が、ソイツは飽くまでお前が好いた男にちゃんとした簪を送って貰うまでのつなぎだ。土方が前からうるさく言って来てたし、昨日は永倉や家永にまで説教されたぜ?お前があんまり見窄らしい格好すると俺が爺さん達に叱られるんだよ。」

 

「そうか・・・」

 

そりゃそうだよな、と思いながらもアンは木の枝を捨てて代わりに鹿の角の簪を挿す。

 

「フハッ、キラウシ2世だな。」

 

「あぁ、そうだな。」

 

少女は鹿の角を頭に挿して遊んでいた男の名前を口にする。顔は見えないが尾形も笑っているようだ。

拠点にしているコタンに尾形と戻ったアンは稲井の箸を埋葬して取り敢えず念仏を唱えた。

 

どうかこれ以上祟らないで下さい、と願いながら。

 

 

アンがキロランケ、杉元、夏太郎、チカパシと交代しながら掘ったトンネルは遂に完成し、その先は看守部長の門倉の部屋に繋がっていた。門倉利運は父親が旧幕府軍の土方に従っていた人物らしく、網走監獄内における土方一派だと言う。アンは開通の瞬間は居合わせなかったが、杉元曰く、門倉はくたびれた感じのオッサンとの事だ。

そして網走監獄に忍び込みアシリパを『のっぺらぼう』と対面させる日が決まった。

 

次の新月の晩だ。

 

その日の夜は皆がコタンに集まり、鮭を使ったアイヌ料理が出される事になった。

 

「チタタプの中のチタタプ!!」

 

杉元の気分が異様に盛り上がっている。勢い任せに何故かキロランケの脇を抓り、キロランケはかなり痛そうに叫んでいた。アシリパは笑っている。

 

ーーアシリパ、元気になったなァ、私はお役御免かな?

 

網走に来たばかりの時は『のっぺらぼう』との対面を不安がっていたアイヌの美少女は、杉元に励まされながら活力を取り戻していった。以前迄はポンコツながらもアンは彼女に頼られる事はあったのだが、この分ならもう赤毛の少女の出番は無さそうだ。彼らの良好な関係をアンは少し羨ましくなった。

 

「チタタプ、チタタプ・・・」

 

初チタタプの夏太郎含め、全員でするチタタプは家族がいない赤毛の少女の心に沁みるモノがあり、チカパシが土方の刀を使ってチタタプし始めた時は流石に永倉同様に焦ったものの、基本、和を乱す者はいなかった・・・一人を除いて。

 

「尾形〜、みんなチタタプ言ってるぞ?」

 

アシリパは根気強く尾形にチタタプを促しているが邪悪な上等兵殿は強靭な心臓を持っているようで、周りに一切合わせずに黙々と無表情でチタタプ的な作業だけはこなしている。

 

ーーやっぱり無理か。

 

根気のあるアシリパと違って、かなり早い段階で尾形の説得を諦めたアンは呆れながら他の食材を眺めている。今夜はご馳走のようだ。鮭にイクラにジャガイモ、粥・・・アンは早く食べたかった。

 

「チタタプ」

 

ーー!?

 

「言った!!ほら、聞いたか?今、尾形がチタタプって、んも〜聞いて無かったのか!?」

 

アシリパがはしゃぎながら杉元や谷垣達に訴えているが、彼らの耳には尾形の声は入らなかった様だ。

 

「アン、聞いたか!?尾形がチタタプって言ったぞ!?」

 

「・・・うん。聞こえた。」

 

「ほら、杉元!アンには聞こえていたぞ!?」

 

尾形は一言“チタタプ”と言ったきり黙っている。

アシリパははしゃいでいるが、アンは素直に喜べなかった。

 

ーー何だろ、最近似たような事があったような・・・

 

思い出せないが、赤毛の少女は何とも言えない不快感を覚えた。嫌な予感とも言える。

心がスッキリしないまま食事が始まり、谷垣とインカラマッが2人で外に出ていく。男が半分だけ入った茶碗を女に渡して婚姻が成立すると言うアイヌの習慣が切っ掛けで少し拗れてしまったようだ。

 

「アンは尾形から器を貰わないのか?」

 

アシリパが笑顔で話しかけて来たが、“もう婚約してるから”と断った。折角のご馳走なのに食が進まなかったのだ。

 

 

新月の晩の前夜、赤毛の少女は真夜中に目が覚めた。24時間後にはアシリパは網走監獄の中に入り、『のっぺらぼう』と面会するのだと思うと落ち着かなかったのだ。アシリパやインカラマッも緊張していた様だが、いつの間にか眠っている。彼女らはウィルクを確認すると言う目的があるのだが、アンには何も無い。尾形に引っ張られるようにして付き合わされているだけだが、いつの間にかこの集団に居心地の良さを感じていた。彼らは殆どが脱獄囚やアイヌであり、いわゆる一般的な和人では無い。赤毛の少女は養父と出会うまでは一般的な和人の中で生活して来たが、見た目の問題から碌な思いをして来なかった。

 

ーー土方さんが作ろうとしている蝦夷共和国は私のような人間の為にもなるのかな?

 

尾形に、中央なんかとっとと裏切って土方さんの下につけと言ってやりたくなった。中将なんてしみったれた事を言わず、共和国の元帥にでもなれ、と。

 

ーーあ、駄目だ。アイツは私の豪邸の庭師をやらせなきゃ、岡田と一緒に。ついでに靴磨きもさせよう。

 

そうだった、そうだった、と思い直し起きたついでに用を足す為にチセを出る。

 

「ん?アンちゃん、どうした?」

 

チセを出た瞬間キロランケに出会った。彼もやはりウィルクの友人なだけあって落ち着かない様だ。少女は笑いながら寝付け無いと言う事を説明すると、やはりキロランケもそうらしい。

 

「明日の夜は君も寝られるか分からないからな、無理してでも寝た方が良いぞ?」

 

「そうですよね。」

 

キロランケと別れて夜のコタンを歩いていると、ランタンの灯りで前方に人影があるのを確認出来た。

 

ーー都丹さん?

 

明日合流すると聞いていた盲目の盗賊頭が早く来たのかと思い、アンは嬉しくなって駆け寄ると直ぐに間違いだと気付いた。

 

「なんだ、尾形か。」

 

「・・・なんだとは何だよ。子供がこんな時間まで外を彷徨いているんじゃねぇぞ。さっさと寝ろ。」

 

尾形も起きていたようだ。

 

アンは思い出した。

 

『チタタプ』、尾形は間違い無くそう言った。それもアシリパのみに聞こえる声で。アンにも聞こえたのはこの男からしたら計算外だったろう。

 

「・・・アンタ、何か隠している事があるだろう?」

 

「ハァ、またそれか。」

 

「・・・以前、都丹さんの冗談を無理して笑った時に都丹さん達との間に不思議と連帯感が生まれた事がある。」

 

「お前、やっぱりアイツらと連んでたんじゃねぇか。」

 

呆れる尾形を無視してアンは話を続ける。

屈斜路湖の廃旅館でいつもの都丹の冗談を初めて少女が笑った時、都丹達は嬉しそうにしていた。先日のアシリパ程では無いものの、間違いなく喜んでいた。

 

「何で“チタタプ”って言ったんだ?」

 

「アシリパが言えと言ってたからだろうが。何を・・・」

 

「アシリパだけに聞こえる様に言った理由は!?」

 

この男は自分を裏切ろうとしているのではないか、そう考えてしまいアンは泣きそうになった。

 

「考え過ぎだ、阿呆。今更チタタプって言うのが恥ずかしくなって小声になっただけだ。言わせんな、そんな事。」

 

尾形は溜め息混じりに煩わしそうに答える。確かに彼の言う通りにも思えるのだが、どうしても不安が残る。

 

「ハハッ、ごめん・・・。どうしても心配になって、ほら、だって私はアンタの事を何も知らないしさ。何を考えているか、とかさっぱり分からないよ。」

 

態と明るく振る舞いながら男の様子を伺う。すると彼は暫く考えた後に思わぬ事を口にした。

 

「お前は俺の事を知らないとは言うが、俺の父と弟について俺が殺したと言う事は知っているんだよな?」

 

その質問を想定していなかった少女は思わず絶句した。

 

 

尾形はアンの様子等は気にも留めずに更に続ける。

 

「どうせ小樽にいた時に宇佐美あたりから聞いてるんだろ?」

 

「ん?」

 

「惚けんな。花沢中将閣下と勇作殿の事だ。」

 

バレバレであった。確かにそんな事を嬉々としてタレ込むなんてあの男しかしなさそうだ。

 

「・・・うん。」

 

「ハッ、やっぱりな。・・・何処まで聞いたんだ?」

 

「・・アンタが2人を殺したって所まで。それ以上は喋らせなかったよ、宇佐美のしたり顔が鬱陶しかったし、子の父親殺しや兄弟間の殺し合いなんて別にそんなの珍しい話でも無いから。」

 

「お前、どういう環境で生きて来たんだよ。」

 

尾形は呆れていたが、皮肉にも宇佐美とほぼ同じ感想である。

 

「勇作殿は・・・弟は戦場で俺が背後から頭を撃った。父は鶴見の命令で腹を裂いて切腹に擬装した。第七師団の結束を強める為だ。」

 

余りにも目の前の男が淡々と親族を手にかけた事を話すのでアンは彼が少し怖くなったのだが、さもありなんと言う気持ちはある。日露帰りの軍人で殺人に対する抵抗感が人より少ない上に、殺した親族に対して複雑な感情を持っていてもおかしく無い身の上だからだ。

尾形は身じろぎもせずにアンを見ている。暗い瞳は少女の反応を見落としが無いよう観察している様に思えて、少女は明るい声で動揺を隠しながら話を続けた。

 

「そうか、確かに戦場だったり切腹に見せかけたりすれば殺人犯として追われる事は無いよなぁ。」

 

「・・・最初に人を殺した時は子供だったから疑われなかったしな。」

 

ーー!!?

 

余りにも衝撃的な男の発言に、アンは最早、上っ面の誤魔化しは出来なくなった。ランタンに照らされた少女の顔が恐怖で固まるのを確認した男は鼻で笑いながら話を続ける。

 

「最初に殺したのは母親だ。丁度・・・そうだな、チカパシとアシリパの間位の歳だった。」

 

垂れた髪の毛を頭に撫で付けながら喋る男の目は、何処か遠くを見ており、アンを見ようともしない。

 

「玉井伍長達には勿論だが、ここの誰にも言うなよ。お前が聞きたがってたから話してやったんだ。」

 

「・・・うん。」

 

尾形の顔が見られなかった。アンは俯き黙りこんだまま踵を返してチセに戻る。

 

ーー母親を殺した?嘘だろ、いくらなんでも・・・

 

嘘だと信じたかったが、暗いとは言えそれなりに付き合いが長い男の表情からは嘘を吐いている様子は見られなかった。

 

 

チセに戻る少女を尾形は黙って見ている。

 

ーーこれで良い、これが正解だ。

 

尾形がそう自分に言い聞かせていると、去って行った筈の赤毛の少女がランタン片手に彼の元に戻って来たので驚いて声を掛ける。

 

「・・寝るんじゃないのかよ。」

 

「・・・・厠に行くの忘れてた。」

 

顔を赤らめて話す少女に尾形は思わず吹き出してしまったが、彼女の表情は固いままだった。

そのまま彼の横を通り過ぎて少女は暗闇の中に去って行く。

 

「じゃあな、アン。」

 

誰にも聞こえない様な小さな声で尾形は呟いた。

 

 

その男は、とある人物を捜して北海道中を彷徨っていた。

最初の情報ではその捜している人物は小樽に住んでおり、母親と2人きりで暮らしていたのだが母親の死後は小樽近郊の叔父一家に引き取られたと知らされていた。彼からしたら捜し人には何の思い入れも無い赤の他人だが、彼の為にイギリスから仕送りをしてくれる人物には大切な人間の様だ。

 

『早く成果を出さないと仕送りを打ち切る』

 

イギリスから送られて来た手紙にはそう書かれていた。

男は必死に小樽の町を探し、漸く新しい情報を掴んだ。

捜している人物の引き取られた叔父一家は、知床半島に引越した事が分かった。よりにもよって北海道の東端だ。

 

「Oh my God・・・」

 

ショックの余り呟いた。

仕方無く彼は知床半島に向かった。具体的な地名が分からず1カ月間探し回って漸く見つけた家の表札には『田中』と書かれている。

 

「異人さん、安の知り合いかい?あのバカ娘なら小樽にいた時に家出してそれっきりだよ。私ら一家はあの娘のせいで、あそこに居られなくなったんだ!」

 

田中家に入り、捜し人の名前を告げた瞬間に家人にそう言われた。

 

「Oh my God・・・!」

 

ショックの余り呟いた。

取り敢えず小樽に戻り、聞き込みをして新しい情報を得た。

 

「赤毛の娘?あぁ、何年か前に爺さんと一緒に北海道中を旅して回っているとか言ってたなぁ。今どこにいるかなんて知らないよ。」

 

「Oh my God・・・!!」

 

ショックの余り叫びそうになった。

茨戸の辺りで“I’m American!I’m American!!”と叫んでいる人物を見かけた。見てみると頭が赤いので、捜している赤毛の娘かと思ったのだが、よく見ると赤ゲットを被ったツナギの少年のようだ。

ガッカリした。

彼はイギリスに手紙を送った。仕送りをしてくれている元貴族院議員の男に宛て、自分にはもう無理だと伝える手紙だ。

しかし返って来た手紙は非情だった。“田中安を捜すのを止めるなら、こちらも貴様への仕送りを止める”と書かれていた。

彼はこの時は無職だった、死活問題だ。

 

「F*ck!!」

 

ショックの余り叫んだ。

普段なら絶対に使わない下品な言葉だが、叫ばずにはいられなかった。

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