ある悪人の前半生   作:土鳩

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金塊夜叉(前編)

網走監獄侵入は新月の晩に実行された。キロランケが中心となって掘ったトンネルを通り、看守部長・門倉の宿舎の部屋から出て、監獄の『のっぺらぼう』の舎房に向かう手筈だった。

門倉は常に五翼放射状平家舎房内を移動させられる『のっぺらぼう』の位置を正確に把握しているようで侵入の日に彼が何処にいるかを教えてくれた。

アンは舎房に侵入するアシリパや都丹達と一緒に行きたかったが、牛山、土方、キロランケと共に看守の宿舎で待機するように土方に割り振られてしまう。

尾形は、アンを彼と一緒に監獄の裏手の山に連れて行くかコタンで待機させたかったようだが、土方や牛山に説得されて諦めた。

 

「音の出ない飛び道具を使えるのは助かる。何かあっても私や牛山が側にいるから問題無かろう。お前がアンを危険に晒したく無い気持ちは分かるがな。」

 

土方はそう言って尾形を黙らせた。

この自由過ぎる男にも頭が上がらない人間はいるようだ。彼らの様な人間が尾形の父親だったら、尾形も"こう”はならなかったろうに、アンはついついそんな事を考えてしまう。

 

「おい。」

 

「!・・何?」

 

それぞれの持ち場に出発する皆と歩いていると、尾形に話しかけられた。アンがこの男と口を聞くのは丸一日振りである。彼は突然腕を引っ張って少女を引き寄せ、顔を近づけて耳打ちした。

 

「監獄が騒がしくなったら、お前は角巻をしっかり被って暫く何処かに潜んでいろ。赤ゲットは目立つから被るな。落ち着いたらあの蕎麦屋に向かえ、いいな?」

 

相変わらず無性に恥ずかしくなったが尾形に真剣な目で言われ思わず頷くと、その様子を見ていた夏太郎や牛山に揶揄われる。ふと牛山の隣のキロランケと目が合う。彼が何故か一瞬寂しそうな表情をしている様な気がしたが、直ぐにいつもの優しい笑顔を見せてきた。

しかし、監獄が騒がしくなったら、とは何の事だろうか。侵入したアシリパ達が戻れば彼らと舟に乗り網走川を渡ってコタンに戻る手筈だ。その時に一人で蕎麦屋に向かえと言う事だろうか、恐らく以前3人組と再会した店の事だろうが、何故蕎麦屋なのか・・・

 

ーーまさか助平な事を!!?

 

思春期の少女は焦り、尾形に問いただしたくなったのだが、彼はいつの間にかいなくなっていた。一人で何も言わずに裏山に向かったようだ。

 

ーーそういえば鹿の簪のお返し、まだしてないな。

 

既に礼は言ったが何かお返しをしたかった。自分は貧乏だが今回の事が終わったらお返しをしよう、そしてあの男とちゃんと話をしよう。ウコチャヌプコロではなく話し合いを。

アンは尾形との関係がギスギスしたままなのは嫌だった。

 

途中で都丹と合流し、赤毛の少女は嬉しくなって彼に駆け寄る。

 

「アン坊、相変わらず元気そうだな。毛並みも肌ツヤも良いじゃねェか。」

 

都丹の相変わらずの冗談に、少女は取り敢えず笑っておく。

アシリパ、杉元、白石は都丹の先導で宿舎を出発した。アシリパに“頑張れ!”と小声で声を掛けると美少女は力強く頷く。

風が強いので都丹の舌を打つ音は打ち消され、有利に運ぶと老頭目は言っていた・・・と思ったら物凄い早さでアシリパ達は2人組の看守に見つかってしまう。

1人はアンがパチンコで昏倒させて、もう1人は都丹が口と鼻を抑えて失神させた。意識を無くした看守2人を牛山とキロランケが引き摺って何処かに隠し、4人は言い争いながらも『のっぺらぼう』のいる舎房に向かって行った。

 

「幸先が悪い。」

 

「はい。大丈夫かな?」

 

キロランケの呟きにアンは同意した。風音が強いのは聴覚が鋭い都丹にとっても不利な気がしたのだ。

 

ーーまた皆で揃ってご飯を食べたい、次は都丹さんも一緒に。

 

ふと気がつくと土方の姿が無い。少女は絶好の機会と考え、牛山達の目を盗みコッソリと舎房侵入組の4人の後をつけた。誰にも見つからぬよう暗い中を動き回るのは野菜泥棒で鍛えられたから自信がある。

援護射撃が必要なら手伝うだけのつもりだった。

 

 

その男は独房の中にいた。

彼はかつて死刑判決を受けて執行される日を待つだけの日々を過ごしていた。自分は罪深い事をして来たと言う自覚はあったが、やはり死ぬのは怖い。

ある日、網走監獄の典獄である犬童四郎助にとある提案をされた。

 

「死刑を免除してやる代わりに『のっぺらぼう』の代わりを務めろ。」

 

『のっぺらぼう』とは独居房にいる頭の皮の無い男だ。アイヌの金塊の隠し場所を知っているらしく、犬童は自分を囮にして第七師団や刺青のある脱獄囚に狙われる彼を別の安全な場所に移したい様だった。監獄内に内通者がいるらしい。男は命が惜しい為二つ返事で了承した。

 

「ああぁあああぁあああああぁあッ!!!」

 

何と、足の腱を切られ、頭の皮を剥がされた挙句に舌を切断された。

もう『あ』しか言えない。

犬童に言いたい事は山程あるが、『あ』しか言えない。

鬼典獄は大満足のようだ、『のっぺらぼう』を狙って侵入する人間がいたら叫んで知らせろ、そう言われた。死刑は免れたが男からしたら死んだ方がマシだった。

彼はこうして『のっぺらぼう2世』もとい『偽のっぺらぼう』となる。

 

『偽のっぺらぼう』の毎日は退屈だった。他の囚人と交流する事も無い、まぁそうは言ってもどのみち『あ』しか言えない。

舎房の外に出る時は監獄内の移動時だけだった。頭に浪人笠を被せられて顔を隠し、看守に連れられて次の舎房に移動する。他の囚人達が自分の様子をジィッと見ている。第七師団が『のっぺらぼう』を奪いに監獄を襲撃するのではと言う噂が流れており、それを恐れているようだ。

ある日見た事の無い看守が自分の舎房を覗き込んできた。瓜実顔で口の両端に黒子がある若い看守だ。

 

「新人、こっち手伝ってくれ!」

 

看守部長の門倉に呼ばれた新人は直ぐに彼の元に向かって行ったが、それ以来若い看守を見なくなった。

男には何となくだが、あの若い看守が自分達犯罪者寄りの人間な気がした。なので、何か問題でも起こしてクビになったか、養豚場の豚の餌にでもなったのだろうと考えた。網走監獄の食物連鎖は他所とは違うのだ。

 

ある新月の晩、天窓から鋸で木を切るような音がして目が覚めた。

 

「あ?」

 

第四舎六六房、今の自分の舎房の鍵を外から開けようとする音がする。やがて鍵が開き、3人の人間が入って来た。

 

ーー侵入者だ。

 

犬童に任せられた仕事をしなければ、偽のっぺらぼうは覚悟した。

 

「アチャ、アチャなのか?私だ、アシリパだ。小樽から会いに来た。」

 

「ア・・ア?」

 

3人組の先頭の少女らしき背の低い人物が話しかけて来た。聞き慣れない単語に、彼女が和人では無い事が伺える。

 

暗い舎房にマッチで小さな灯りが灯される。

 

 

「ああぁあああぁあああああぁあッ!!!」

 

叫んだ。『偽のっぺらぼう』は唯一使える言葉を思い切り叫んだ。

 

 

突然舎房内から響いて来た謎の『あ』の雄叫びに、建物の外にいる赤毛の少女は肝を冷やした。囚人達が騒ぎ出し、看守が警鐘を激しく鳴らす。

 

ーーマズイ、何でか知らないけど失敗したみたいだ!!

 

尾形の言ってた事を思い出し、慌てて何処かに隠れようとするも周りに隠れられそうな場所は無い。侵入した4人が気になるもそうも言ってられず、取り敢えず牛山達の所に戻る為に見張り台の看守の目を盗みながら無我夢中で走った。

 

 

鯉登音之進はこの日、旭川の失敗を取り戻す為に気を引き締めていた。

彼は今、父親の率いる海軍の『雷』型駆逐艦4隻に、心酔する鶴見中尉と軍曹の月島、その他約60名と乗っている。網走川を遡上して看守に重武装させている網走監獄を襲撃、『のっぺらぼう』とその娘アシリパ、そして旭川にて脱走兵の尾形百之助に目の前で連れ去られて行った赤毛の娘を捕えるのが目的だ。

 

「杉元や白石達が『のっぺらぼう』から金塊の在処を聞き出し、無事に脱出してくれる事を期待したが残念だ・・・」

 

鶴見中尉は呟いていた。

 

彼らがここに至るまでは色々とあった。

 

 

三ヶ月前の事だ。

 

「あの尾形の事だ、面倒臭くなって何処かで彼女を捨てたか殺したかしているかもしれん。あの娘の価値も分からぬままにな。」

 

鯉登が小樽にて、田中安と白石由竹を連れ去られた報告をした際、鶴見中尉に溜め息を吐きながらそう言われ、彼は頭が真っ白になった。

 

ーーおいのせいじゃ・・・

 

半泣きになりながら気球の足場にしがみ付いていた憐れな少女を思い出す。助けてやりたかった。

全く色気の無い下品な発言をする娘だったが、偶に子供っぽい可愛らしさを見せる事があり、“あぁ、兄さぁはこげな気持ちでおいの面倒を見てくれちょったか”と昔の自分に重ねていた。

しかし上官の淀川中佐が彼女を異常に可愛がっていたのは不可解だった。今でも時折り淀川から彼女の安否を尋ねる電話が来る。彼もまだあの娘の事を案じているようで、正直かなり面倒臭かった。最初はちゃんと対応したが、やがて月島に頼んで毎回居留守を使うようになった。

 

 

「ほぉ、アイヌの娘だけで無く田中安もいたか!」

 

後日、宇佐美上等兵から屈斜路湖の聞き込みの報告を聞いた鶴見中尉は上機嫌になった。彼は赤毛の少女が旭川から連れ去られた時、彼女の事を一度諦めかけていた。

 

田中安が生きていたと分かり、鯉登は鶴見中尉に彼女と仲良くなっかどうかを訊かれた。しかし、淀川中佐と3人同じ部屋で寝泊まりしていた事を月島を通して伝えると、“そういうところだぞ”と一言漏らして溜め息を吐かれてしまった。

まさかあの赤毛の娘が言っていた『ウコなんたら』をするのが正解だったのだろうか、悩んだ鯉登は取り敢えずいつも通り月島に相談する。

 

「月島ァン!!」

 

「私に訊かないで下さい。」

 

素っ気なく断られてしまった。

 

『雷』型駆逐艦は網走監獄に近づいていく。

監獄は警鐘が鳴らされて騒々しく、川の対岸には第七師団の歩兵の集団がいる様に見せかけた松明が点々と等距離に置かれ、存在感を放っている。

 

突如、監獄から対岸にかけられた橋が爆破され、凄まじい音と共に崩れた。松明を見た看守達が、対岸から師団が橋を渡って攻め込んで来ると思い込み、予め設置していた爆弾を爆破させたようだ。

これは全て鶴見中尉の作戦である。駆逐艦を網走川に通す為だ。

凄いお人だ、鯉登は尊敬の念を強めた。

対岸の見せかけだけの松明を誘導灯代わりに、駆逐艦は川を上って網走監獄に近付く。

 

轟音と共に大砲を放つ『雷』型駆逐艦。監獄の外壁が地鳴りのような音を立てながら崩れる。

接岸した駆逐艦から第七師団60名超が監獄内に雪崩れ込み、看守達と激しい銃撃戦を始める。

彼らの投降は認めなかった。

戦争とはこういう物だろうか、年齢的に日露戦争に従軍出来なかった鯉登はそう思った。

 

 

余りの轟音に地面が揺れる、それも短時間に2回も。

 

「ヒェ・・・」

 

地震では無い、何処か遠くない場所で何かが壊された音だ。何が起きているのかサッパリ分からずアンは今更怖くなって来た。

看守達が、あちこちから外に飛び出して来ているようだ。建物の陰に隠れて様子を伺っていると、数十メートル先にいた看守達が両手を挙げて歩いているのが見えた。彼らが去るのを待って動こう、そう思った瞬間、2人は進行方向から突然銃撃されて倒れた。

 

「ヒェ・・・」

 

少女は慌てて来た道を戻った。

 

 

脱走兵の玉井、野間、岡田は蕎麦屋の前に来ていた。これは先日、この店で尾形に会った際に頼まれた事である。

 

 

「少なくとも俺が戻るまでは、アンを預かって頂けませんかね。」

 

赤毛の少女が一人で2階に上り、寝たのを見計らって突然そう言われた。

玉井は彼女のお転婆振りを知っているので一瞬返事を躊躇したが、久しぶりに会った彼女が大分大人びて見えたので、まぁ大丈夫だろう、と判断して取り敢えず承諾した。

 

「でも大丈夫か?田中はかなり尾形上等兵に懐いているでは無いか。そりゃ戦力にはならんが賢いし体力もある。連れて行っても良いのではないのか?」

 

「・・・先日屈斜路湖の空き家で、俺は危うくアイツの頭を撃って殺しかけましてな、あの阿呆は気にしてませんが、アイツは危なっかし過ぎるのです。」

 

玉井は絶句し、預かる事を承諾した自分を呪った。お転婆振りは悪化しているらしい。玉井の様子を見ていた岡田が慌てて口を挟む。

 

「俺達も着いて行ったら駄目ですかね?」

 

「いや、キロランケに警戒されるから駄目だ。アンは・・・俺が戻ったらちゃんと解雇にする。」

 

野間が何か言いたそうな顔をしていたが、尾形は敢えて無視していた。

 

「手間をかけますが、あの阿呆を頼みます。」

 

当日の段取りを決めた後、尾形は玉井に頭を下げ、蕎麦屋の2階に上って行った。

 

 

網走監獄の方角から凄まじい爆発音が2度響き、深夜にも関わらず町の人達が狼狽えながら外に出て来た。

玉井達は予め師団の動きを調べて別行動の尾形に情報を流しており、今更動揺をする事は無い。

野間がボソリと喋った。

 

「尾形上等兵殿は俺達が掴んでた情報をちゃんと山芋に伝えてたんでしょうか?」

 

「いやいや、それは無いだろ。そんな事知れば何を仕出かすか分からん。アイツなら予め駆逐艦に爆弾仕掛けに行く位はやりかねんだろうが。」

 

「言い過ぎだ、岡田。多分だが、尾形上等兵は田中にここに来る様に伝えているだけだろう。」

 

「・・・それでちゃんと来ますかね?」

 

暫く3人は互いを見ながら沈黙していたが、誰からとも無くアタフタと動き出した。

 

 

アンが建物の陰に隠れながら少しずつ移動していると周囲が突然明るくなった。

 

ーーこれは・・・初めて見たけど照明弾とかいうヤツかな?

 

網走監獄を攻めて来た軍隊が撃ったと思われる照明弾は、舎房の入り口で攻防戦を繰り広げる看守と軍隊の様子を少女の前に照らし出した。軍隊の中には実に楽しそうに指揮をとる、麗しき情報将校がいた。

 

ーーゲッ!第七師団27聯隊!!

 

まさかの鶴見中尉率いる27聯隊である、懐かしくて涙が出そうだ。しかし何故彼らがここにいるのか分からない。

 

ーー第七師団の動きは玉井さん達がちゃんと調べていた筈。尾形・・・まさかこの事を知っていて私に黙っていたのか!?

 

よく考えたら当たり前だ、彼は中央の回し者であり、今土方達と組んでいるのは飽くまで刺青人皮と情報収集の為だろう。土方やアシリパ達に仲間意識を持っていないので知らせる筈がない。

 

ーー私がアシリパや土方さん達と仲良くし過ぎているから警戒して教えてくれなかったんだ・・・

 

アンはそっとその場を離れたが、舎房に侵入しようとしている軍人達の中の1人が彼女の存在に気が付いた。

 

 

アンは気が付いたら『のっぺらぼう』がいる舎房の横を走っていた。中には第七師団が侵入した挙げ句、どうやら囚人達が全員開放されたようで恐ろしく騒がしい。

3秒に一度は誰かしらの断末魔が聞こえて来るような阿鼻叫喚の地獄絵図が壁の向こうに広がっているようだ。

 

ーー早く何処かに隠れないと!

 

今迄は疑われなかったけど、次に第七師団に捕まったら尾形と組んで造反の協力をしていた事を問われる可能性がある。アンには拷問に耐えるような強くて誠実な心は持ち合わせていないので、間違いなく色々喋る。

尾形はそれを恐れてか、一応自分の事を守ろうとはしてくれているので応えたかった。

 

ーーん?

 

前方の建物の下部から何か動いている物が見えた。照明弾に照らされたそれは丸く灰色で、目を凝らして見ていると、にゅるりと紫色のモノが出て来た。

 

「ヒィッ!」

 

新種の妖怪かと思い驚いて声が出たが、良く見ると白石だ。肩を外して建物の狭い通風口のような場所から出て来たようだった。

 

「白石?アシリパ達は?」

 

「えェ、アンちゃん?どうしてここに・・」

 

「アシリパさんが都丹庵士と一緒に行っちまった!田中さん、見てないか!?」

 

下から声がしたのでそちらを見ると、杉元の顔があった。屈強だが肩を外せない彼は、白石の様に出られないようだ。爆弾でもあれば出口を壊せるのだが・・・アンは閃いた。

 

「ゴメン、私にも分からない!キロランケさん呼んで来るよ、そこから出よう!!」

 

取り敢えず牛山と一緒にいる筈の元工兵なら爆弾を持っていた筈だ、そう考えたが彼らから離れて走り出すともう一つの迷案が頭に浮かぶ。

 

ーーさっき、月島軍曹が投げつける爆弾持っていたよな・・・

 

流石に屈強な月島から奪うのは無理なので他の二等卒辺りから奪えないか考えながら舎房の入口にソロソロと向かう。距離を考えれば、そちらの方が早いのだが・・・

 

ーーいや、やっぱり危険だよな。

 

やはり牛山の所に戻ろう、そう考えて踵を返そうとした時、10メートル程前方に死んだ筈の男が立ってこちらを見ているのに気が付いた。

照明弾に照らされた小麦色の肌、長めに伸ばされて整えられた髪、着ている軍服は黄土色だが血に濡れて赤く染まっており、右手の軍刀には血が滴っている。

 

「ヒィィィィィ!!」

 

気球から落下して死んだ筈の鯉登少尉であった。いや、健闘の末に殉職しているので一か二階級特進で鯉登中尉か大尉となっているかもしれない。

 

「おばけ!二階級特進のお化け!!」

 

衝撃的な再会にワケの分からない事を叫ぶアン、お化けの鯉登は死者らしからぬ足取りで少女に近付く。

 

ーーやっぱり申し訳程度の念仏じゃ駄目なんだ!旭川で死んだのに鶴見中尉に取り憑いて網走まで来やがった!!

 

「誰がお化けだ。」

 

鯉登は血に濡れた軍刀を懐紙で拭き取り鞘に納めた。その隙にアンは慌てて逃げ出すも直ぐに腕を掴まれてしまい、無理矢理何処かに連れて行かれそうになる。

 

「鯉登ごめん、私は10代で死にたくない!連れて行くならアンタの大好きな鶴見中尉にしろ!」

 

「私は死んではおらん!」

 

「幽霊は皆そう言うんだよ!!」

 

「このタワケめが、埒があかん!!」

 

鯉登は半泣きのアンを罵倒すると、俵を担ぐように少女を肩に担ぎ上げて歩き出す。力強い鯉登の様子にアンは驚いた。

 

「・・・アンタ、生きてたのか?」

 

「先よりそう言っておろうが!貴様を鶴見中尉殿の元に連れて行く。あの方はずっと貴様の事を捜しておられたのだぞ?」

 

鶴見の名前を聞いて真っ青になるアン、鯉登に肩に担がれたまま手足を激しくバタつかせて暴れる。拷問が嫌だったからだが、ふと別の可能性に気が付いて更に青ざめた。

舎房の裏山で、狙撃の天才である邪悪な山猫上等兵が息を潜めて獲物を狙っている可能性だ。

 

ーーこのままだと尾形に口封じされる!!

 

あの男なら口封じで自分を消すのに躊躇はしないだろう、旭川で彼女を連れ出す時にもそう脅されたのだ。鯉登の肩にある自らの腰を起点にして、まな板の上の鮮魚の様に上半身と下半身を激しく上下させて暴れた。頭を狙う癖のある邪悪殿の狙いを少しでも外させるつもりだ。袴が着崩れるのも構わずに暴れた。

 

「おい、大人しく・・・キェェッ!!」

 

遂に鯉登が体勢を崩して倒れ、地面で全身を強打しながらも立ち上がったアンは久し振りの股間蹴りを青年将校にかまして逃げる。

 

「・・・田中ァンッ!」

 

鯉登は悶絶しながら少女の苗字を、否、苗字と名前を叫んだ。

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