日英同盟
日本とイギリスの間に締結された軍事同盟。
極東支配を目論むロシアはフランスと軍事同盟を結んでおり、日露間で戦争になれば日仏間でも戦いになる可能性を孕んでいる状況であった。フランス参戦の抑止力として日本とイギリスとの間で同盟が結ばれ、情報の開示やロシアへの妨害を協力して貰っていた。
◇
声が聞こえた。気がした。
(アン、お父様の事は知らなくて良い。お父様に関わっては駄目。父なる神が貴女のお父様。そう思って清らかな心で生きなさい。)
ーー母様、神様を父と思えとか無茶を言わないで下さい。それに清らかな人間とか無理です。ゴメンなさい。
(何ちゅう娘なのかね。よりにもよって沢木さんの坊ちゃんに石で殴りかかるとは。)
(しかも笑いながら何度も殴っていたらしいよ?気味が悪い娘だよ、まったく。)
ーー叔父様、叔母様へ、先に喧嘩売って来たのは向こうです。笑ってた?当たり前ですよ、ヤツが泣き喚くのを見るのは最高でした。・・・出来損ないの娘でゴメンなさい。
(お前と過ごしたのはたった数年だったが、今までの人生で一番良い時を過ごせた。儂がくたばったらお前は山を下りて真っ当に生きろ。普通の日本人の女として社会の中で平穏に過ごせ。)
ーーじいちゃん、私も一番楽しかったよ。でも私は真っ当な人間にはなれない、分かるんだ。貰った銃も駄目にしちゃったし、ゴメンね。
「おい、起きろ」
ーーえ?誰?
アンが目を覚ますと正面に真っ黒な目の男がいたーー尾形だ。向かって左右には左頬に傷のある男と垂れ目の男がいる。
場所はーー
「私の家・・・。」
不自然な体勢から身体を動かそうとするも、何かが引っかかる。
ーー縄だ。
何故か痛む頭でこうなるまでに何があったのかを思い出す。
会話を立ち聞きしたのがバレて、脅されて家まで案内させられて・・・
ーーあぁ、3人を家に入れて、外から閉じ込めて逃げようとして・・・失敗したんだっけか。んで野間とか言う奴が慌てて扉を蹴破った勢いで・・・
自分も扉と一緒に吹き飛んで木に頭を強打して失神、今に至る。
「おい、何をボサッとしてんだ。座布団とかねぇのかと聞いてるんだが。」
今まで誰も入れた事のない自宅、自宅とは言っても本当は自分の家ではない。どこかの誰かが建てて、恐らく倉庫として使っていて放棄した物を養父が見つけて改造し、引き継いで使っている。そこに自分以外の人間が3人もいる。
真正面の黒い目の男こと尾形が話しかけて来ていた。被っている分厚い角巻に守られたため頭部の出血は無いようだが、頭がボンヤリする。
広さ8畳程のボロ家の隅には家主のアンの私物が置かれており、尾形に命令された岡田とかいう、疲れた顔付きの一等卒が私物を崩して座布団を探していた。
私物の多くは貰ったり、安価で仕入れた古本で日本や海外の小説がほとんどである。床に直に置いて積まれており、いくつもの塔を形成していたのだがあるはずもない座布団を探すために崩されてしまっている。
「腕が痛い。縄を解いてくれ。」
「駄目だ。貴様は逃げようとしただろうが。」
野間とかいう一等卒に怒られた。尾形は野間に扉の壊れた入口に立つように指示を出す。
部屋中央の小さな囲炉裏の奥、本来なら家主の席に尾形が座り、囲炉裏を挟んで反対側に不貞腐れた様子で横たわるアンに話しかける。
「お前には色々と聞きたい事があるが・・・そうだな・・まずはさっきの俺達の立ち話について、だ。」
小銃でトントンと自分の右肩を叩きながら、尾形は続ける。穏やかな声と表情が逆に怖い。
「俺達に気付かれたと分かった瞬間に凄い勢いで逃げ出したみたいだが、“聞いてはいけない事を聞いてしまった”ーーという事で間違いないな?」
「・・・」
「オイ、聞こえているのか!?答えろ!」
「辞めろ野間。」
厳しい声でアンに返答を迫る野間を、尾形は軽く手を翳して制するが、その表情は不気味なくらい穏やかだ。
しかしその隣でガタガタと音を立てて座布団を探す岡田がうるさい。貧しい仮初の我が家に、そんな気の利いたモノは無い、馬鹿め。
ーー何なんだこれは。
眉間に皺をよせながらこの状況の打開策を考えるが、入り口を野間に抑えられた上に自身は拘束されており詰みである。しかしーー危機感と同時に説明できない違和感を感じる。
「尾形上等兵殿、このような物が出て来ました。」
ありもしない座布団を探していた岡田が、私物の山から何かを見つけて来たようだ。アンは岡田から尾形に渡されたモノを見て思わず目を見開き、私物の山があった所に目を遣る。
ーーやられた!!
床板の一部が外されて中身が出されている。
彼女が大事な物を隠す為に作った簡易な床下収納である。はたから見てもただの床にしか見えないようにした筈なのに。
岡田から尾形に手渡されたのは薄汚れた酒瓶。透明な酒瓶には酒ではなく紙幣が十数枚も入っていた。
「ふっ・・・ざけんなっ!!返せっ!!」
掴む事が出来ないのを忘れて尾形に掴み掛かろうとするアンを、岡田が慌てて床に抑えつける。
ーー座布団探す振りして家捜ししてやがった!
冷静だったら気付けたであろう事実に愕然とする。慌てている様子のアンを見て尾形は喜色満面という感じだ。
ーー完全にコイツの掌の上ッ。このままだと命と金を取られる!
心を落ち着かせるため、深呼吸をした。
「尾形、縄を解いてくれ!逃げないし、取り敢えず話し合おう?」
「逃げない?それを信じろ、と?」
「アンタは、捉えた私をわざわざ家まで案内させた。尋問なら捕まった時のあの場所でもできたのに。ーーアンタ達が密談していたあの沢だって私が良く使う場所だとアンタも知ってただろうが。私があそこに行く可能性は高かった・・・私に話を聞かせるつもりだったんだろ?」
尾形は驚き、目を丸くしている。
アンは気にせず続けた。
「ーー家探ししてまで私から何か聞きたいのなら教えてやる。逃げられないのは頭が痛い程分かった。そのかわりその金は返してくれ・・・頼む。」
この対応で正解だったのか・・・尾形はククッと笑い頭を撫で付けている。対して2人の一等兵は、少女の発言に唖然としている表情だ。
「たまらねぇなぁ、お前。女だったら押し倒してたぜ?」
「女だ、ど阿呆ッ!」
失礼な男の失礼過ぎる発言に思わず怒鳴ってしまった。
◇
不満そうな野間、訝しげにする岡田を“怪しまれるから見回りに戻れ”と追い出し、古屋の中には尾形のみが残った。
少女が話しやすいようにする尾形なりの気配りなのだろう。アンも開き直ったような諦め顔、だらしなく胡座をかいて尾形に向き合っている。
「えっと、まずアンタらの会話についてだが、ほとんど聞けていない。」
「は?」
拘束を解かれて手首の縄の跡を摩りながら話すアンの発言に、ジロリと睨む尾形。
「いやいや、本当だって!!川の音でよく聞こえないから近づこうとしてアンタらに見つかったんだよ!聞こえたのは、えぇと、『中央』『津山』『アイヌの金』それに『鶴見中尉が27聯隊に造反者がいるのに気付いているかも』ってトコロだけだよ!」
尾形は真っ黒い瞳でアンの様子を観察している。彼女は泣きそうになりながらも、質になった現金をチラチラと見ているのが確認できる。
ーー嘘をついているワケではなさそうだ。
更に尋問は続いた。
「この瓶の現金は?」
「・・・盗んだ物じゃないよ。」
「どうしたのかを聞いている。」
「・・・」
「喋らねぇんなら、中の札を一枚ずつ燃やす。」
ヒョイと瓶を持ち上げて割ろうとする仕草をすると、赤毛の少女は慌てて喋り出した。
「瓶の金は・・・貯金だ。将来使う予定がある。」
「・・・。」
答えが物足りないらしく、尾形は黙ってマッチの箱を振ってジャラジャラと鳴らした。10本は入っていそうな音だ。
「やめ・・・イギリス、多分イギリス・・の渡航費用と当面の生活費だ。・・・まだ全然足りない。」
「なるほど、その為の英語か。通訳の母親に習ったか?」
「母は私が6歳の時に亡くなった。・・・英語は聞き込みをする中で学んだり教わったりした。」
「聞き込みだと?」
「・・・実の父を調べている。在日外国人とかアメリカや欧州の旅行者や関係者から聞き込む以外に方法がないんだ。一応それで父親らしい外国人候補は10人くらいに絞れたが・・・母は父がイギリス人である事以外何も教えてくれなかった。」
「実父に会いたい、と言う事か。ハァ、・・・やめておけ、会ったところで感動の再会とはならねぇよ。お前ずっと放っとかれたんだろう?今更娘として愛して欲しいってのか?」
尾形の頭に甦る忌々しい記憶。
ーー短刀から滴り落ちる血、苦しげに呻く自分によく似た男、『呪われろ』という言葉・・・
記憶を振り払うように金の入った酒瓶を強く握ると、それに気付いたアンが尾形の疑問に答えた。
「愛情なんて期待してない。私の実父は私を作って責任を取らずに逃げた。・・・獣だってちゃんと子育てするオスも多いのに、私の父はそれ以下だ。・・・私は父に私を育てなかったツケを清算させたい。」
アンの頭の中に今までの長くない人生でしてきた数多くの苦労が蘇り、悔しさから拳を握りしめた。
合いの子と揶揄われ、親戚の家では頭がおかしい子と冷遇される。家出して養父に拾われてからは心穏やかに暮らす日々もあったが、養父はもういない。
このままの生活では惨めなうちに生涯を終えるのは分かり切っている。
◇
「第7師団について嗅ぎ回っていた理由についても話してもらおうか?実はずっと気になっていてな。」
「へ?」
想定外の質問にギョッとするアン。いや、実際嗅ぎ回っていた、でも小樽だけじゃない北海道の各地で、飽くまでついでの聞き込みだったのに何故知っているのか・・・
少女の慌てる反応に思わずニヤリと尾形の口角が上がる。
ーーやはり嗅ぎ回ってやがったか。
「何の事かサッパリ・・・あっ嘘!やめてっ、その瓶に触るな下さい!」
「俺はお前に『尾形』と名乗った事は一度もない。何故俺の名前を知ってたんだ。」
「はへ?」
アンは有り得ないという顔で初対面から今までの記憶を頭の奥深くから丁寧に探り出す。尾形が自己紹介する場面があったはずだが。
ーー無い!!え、何で!?だってコイツだって名前を呼んだら普通に反応していただろ!
「賢いのか間抜けなのか分からんな。いや、両方か。」
尾形は顎髭をさすりながら満面の笑みを浮かべている。
ーーやられた。というか完全に自分の失敗だ、予め名前を知っていて頭の中で呼んでいたから既に名乗られたつもりになっていた・・・。コイツ、それに気付いていながらずっと黙ってたんだ!
この時、尾形は『自分について嗅ぎ回っていた』ではなく、『第七師団について嗅ぎ回っていた』とワザと言葉を大きくして質問している。
しかし舐めてかかった相手にコテンパンにされて頭が真っ白になってしまった赤毛の少女には、それに気付く余裕はなかった。
「第七師団について調べていたのは鶴見中尉に近づく方法を考えていたからだよ。ほら、情報将校なら父の母国で同盟国のイギリスの情報を集めるのは容易いだろう?アンタの情報もその中で入手した。」
溜め息をつきながら隠し通すつもりだった企みを馬鹿正直に答えてしまう。
「ハハァ」
尾形は頭を撫で付けて得意気に笑っていた。
◇
「尾形は鶴見中尉を裏切るつもりなんだな。」
「随分不躾に聞いてくるな。」
自宅まで案内させられた挙げ句に隠し通したかった事を無理矢理喋らされ、アンはヤケクソになっている。
「さっきの野間と岡田とか言うヤツらもそうなんだろ?」
「そうだ。アイツ等と、あともう1人は俺が引き込んだ。鶴見中尉はもう先がないぞ。お前も手伝え。」
アンは突然の申し出に思わず目を見開いた。
「は!?いやいや、私は軍人じゃないだろ!無関係な一般国民を巻き込むな!だっ、大体どういう事だよ、先が・・・あ、あーッ、いや待て!言わなくて良い!!」
「鶴見は中央政府に反逆し、北海道に軍事政権を作るつもりだ。造反と言うがそれは俺の方か?違うだろ?軍事政権ができたら北海道に暮らすお前も、いつまでも無関係の一般日本国民ではいられんぞ。」
「言わなくて良いっつったろ!」
無関係も何も、ここまで聞かされてしまって巻き込まれないワケない。この男は中央政府とやらと繋がっているだろうし、最初から無理矢理巻き込むつもりで来ているのだ。分かりやすく仲間まで連れて来て。
協力を断れば命はない。逃げれば後ろから撃たれる。
アンは尾形の狩りをする様子を見ている、弾を一発も外さずに獣の命を奪う様子は美しささえ覚える。先月まではそれを見て金になるとはしゃいでいたのだが、その当時の自分に言ってやりたい。『次はお前だ』と・・・
「・・・私に何が手伝えるんだ。銃も使えないんだぞ?」
「北海道の案内をして貰う。アイヌの埋蔵金を探す手伝いだ。」
ーー今、何て?
「アイヌの・・・マイゾウキン?」
一応付き合いのあるアイヌからは聞いた事がある。北海道中から集めた砂金が何処かに隠されているという噂話。馬鹿なのだろうか。
ーーあるわけ無いだろそんなモノ!いや、かつてはあったとしても、もう無いんじゃないの?
「ヘェ、宝探しかあ、楽しそうダネ。」
「お前、信じてないだろ。」
当たり前だ、とも言えず、にへらと愛想笑いを浮かべながら黙る。
「信じられないのも無理はないかもしれんが、何にせよ鶴見はそのアイヌの金塊を軍資金にして北海道を独立させるつもりだ。そして中央も金塊を狙っている。」
ーー終わってるな、大日本帝国。
オカルトに傾倒した我が祖国の陸軍と、目の前の邪悪な男の正気を疑う発言に呆れながらも、話に乗ったフリはしなければならない。誠に遺憾であるが命には変えられない。
「仮にだ、もし仮に埋蔵金を見つけられなくても鶴見中尉を失脚させられたら、道案内だけの私にも成功報酬はあったりするのか?」
アンが埋蔵金など見つからない前提で質問すると、尾形は少し不機嫌そうにするも答えてくれた。
「イギリスへの渡航費用くらいは貰えるぜ。中央政府の人間に頼んで父親の情報を集めて貰える事だってあるだろう。かくいう俺だって将校に引き上げて貰うつもりだ。」
彼は更に付け加えた。
「埋蔵金はあるし、必ず見つかる。」
◇
ーー悪くないかもしれない。
アンは思った。
今の生活ではお金がいつまで経っても貯まらない。断るという選択肢が潰されているし、知り過ぎたとか言われて殺される可能性があるのは癪だが、そこは敢えて目を瞑る。
そもそも自分には未来の選択肢が無さすぎるのだ。見た目も異様で性別は女、まともでそこそこ稼げる仕事には縁がないから仕方ない。
ーーそれに、日英同盟。今はイギリスの情報は得られやすくなっている筈だが、戦争は終わった。強欲で気紛れなあの国との同盟がいつまであるかは分からない。
父親の情報収集は早く済ませるに越した事はない。
「しかし、尾形にも出世欲なんてあるんだな。将校になりたいのか。」
「可笑しいか?」
「そういうのが好きなヤツには見えなかった。」
「出世は男の本懐だろうが。」
尾形はニヤリと笑って頭を撫で付けていた。絶対そんな事思っていないだろう。
ーー『山猫』
第7師団の情報収集で出てきた言葉が頭を過ぎる。
最近亡くなった第7師団長、花沢中将の庶子だと聞いた。中将には他にも息子がいたが、もういない。
「まさか、いずれは中将にでもなる気か?」
アンの発言に尾形は一瞬、面食らったような表情をするが、すぐにいつもの皮肉な笑みを浮かべて笑う。
「ハッ、その頭の中には随分と情報が詰まってるみたいだな。あまり活かせてないのが実に惜しい。」
「アンタは皮肉を言わないと死ぬ病気なのか?」
少女は悔し紛れに言い返した。
◇
アンはふと思い立つ。本当に突然の思いつきだった。
「ちょっと待て、尾形は結婚しているのか?」
「・・・お前は不躾な質問をしないと死ぬ病気なのか?」
「そういうの良いから。」
「・・・独り身だが?」
ぶつぶつと独り言を言いながら考えこんだ。
ーー『良家の唯一の後継』
ーー『中央政府との繋がり』
ーー『約束された将来』
ーー『凄腕の狙撃術』
ーー『意外にも野心家で頭も良い』
「うん、これで性格さえよければ最高だな!!」
「何がだ?」
「何でもない。」
とてもでは無いが『夫候補』としてあと一歩足りない、などとは言えない。撃たれる。色恋に興味無い故に打算で相手を選ぶし、相手も打算で自分を選べば尚良い。
アンは訝しげな顔で自分を見る尾形を無視して続ける。
「尾形。」
「何だ。」
「手伝っても良い。多分役に立つ。その代わりこの件に方が着いたら私の父親の件も多少はアンタにも手伝ってもらう。それでも良いか?」
埋蔵金の件については眉唾物だが、情報将校が本気を出しているという事はある程度信憑性があるのだろう。この目の前の男だって決して馬鹿ではない。30年以上前には、かつてただの物語とされていた国の遺跡の発掘を成し遂げた人間もいる。伝説、伝承の類は決して馬鹿にはできないのだ。
取り敢えずは無理矢理ながらも自分にそう言い聞かせ、埋蔵金とやらの存在を信じてみる事にしたのだ。
「!・・・あぁ、構わないぜ。」
尾形はニヤリと笑いながら漸く現金の入った酒瓶をアンに返してくれた。
「じゃあ宜しくな、案内人さん。俺は陸軍第七師団歩兵科27聯隊の尾形百之助、階級は上等兵だ。あぁ、そういえば知っていたんだっけか?」
「ぐぅッ・・・」
アンは苦虫を噛み潰したような顔で、上機嫌な尾形を睨みながら酒瓶を引ったくった。