ある悪人の前半生   作:土鳩

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高慢と偏見と山猫

亜港こと、アレクサンドルフスク・サハリンスキーに向かう樺太先遣隊一行は犬橇で雪原を走る。赤毛の少女は休憩等、暇さえ見つければロシア語の辞書を見ながら月島にロシア語を習った。簡単な挨拶言葉から始まり、日常会話やよく使う単語を教えて貰う。

 

「覚えが良いな。流石、天才教授の血を引くだけはある。」

 

「ありがとうございます、お金持ちになったら庭に屈強な月島さんの銅像を立てておきますね!衣装は軍服と少女団のどちらが良いですか?」

 

「いや、やめてくれ。」

 

感心した月島先生からお褒めの言葉を頂いたアンは胸が熱くなったので、月島と銅像の約束をするが素っ気なく断られてしまった。衣装が駄目なら裸体の像なら良いのだろうか。

一方で月島を少女に取られて悔しいのか、鯉登が横から口を挟んできていたがそれは無視している。

 

ロシア国境まで残り140Km、新問の樺太アイヌの村に到着し、一泊する。

 

「エノノカちゃん、百物語って知ってる?」

 

「知らない。100もあるの!?」

 

「そうそう、一話ごとに蝋燭を1本消していくんだ。全部話し終わるとお化けが出るんだよ?」

 

小さな家を一件借りて男達が火を囲みながら寛いでいる、その片隅。アンとエノノカ、チカパシは3人で話をしていた。当初ヤキモチを焼かれてエノノカに距離を置かれていたが、誤解である事が判明してからはアンとも少しずつ仲良くしてくれている。赤毛の少女はここまでの橇の旅のお礼に、彼女に対し洋の東西を問わずに怪談話を聞かせていた。蝋燭は無いが一応百物語のつもりだ。累ヶ淵、番長皿屋敷、キョンシー、狼男、吸血鬼ドラキュラ、ミイラ男、フランケンシュタイン・・・離れて座っている鯉登が呆れながら口を挟んできた。

 

「田中、怪談なんて止めろ、辛気臭いだろうが。」

 

「お化けの鯉登、まだ8話目が終わったばかりだぞ?出てくるのが早い!!」

 

「誰がお化けだ!」

 

しかしやはり100話はキツイ。エノノカもチカパシも寝る時間だし10話くらいで切り上げよう、アンがそう思った時、エノノカが自ら話をしようと切り出した。

 

「チカパシ、アン姉ちゃん、メコオヤシって知ってる?」

 

「へ?猫おやじ?」

 

「メコオヤシだよ!この村に出たんだって!」

 

詳細を聞くとどうやら樺太アイヌの間に伝わる怪談で、大山猫の化け物の話らしい。チカパシも初めて聞く話の様で、怖がりながらも目を爛々とさせて話に聞き入っている。

『山猫』と聞いてアンが真っ先に思い出したのは、件の邪悪な上等兵殿の顔だ。豊原で彼の裏切りを知った時は我を失うほどに逆上してしまったが、冷静になった今でも彼に対する殺意は十分にある。

動揺する気持ちを抑えながらエノノカの話に耳を傾けていると、またもや坊ちゃま少尉が口を挟んで来た。

 

「フン、尾形百之助じゃないのか?いよいよ奴らに追い付いたか。」

 

アンは危うく舌打ちしそうになったが堪えた。茶化して髪を撫で付けながら鯉登を揶揄う。

 

「ハハァッ!鯉登少尉殿は寒さのあまり人間と山猫の区別がつかなくなられた様でありモスな。」

 

「田中!尾形の真似をするな、大体似とらんぞ!!」

 

「何で尾形なんだよ。」

 

事情を知らぬ杉元がアンの方をチラリと気にしながらも、怪訝な顔で鯉登に尋ねる。

 

「山猫の子は山猫・・・」

 

山猫は芸者の隠語であり、軍の中に芸者の母を持つ尾形の生まれに対して、下らない陰口を叩く者がいた事を月島は説明している。それに対して杉元は“本当に下らない”と吐き捨てていた。アシリパは男を見る目があるな、アンはそう感心した。嫌いな筈の尾形の陰口を彼は受け入れられなかったのだ。

 

男達、特に鯉登は尾形をかなり嫌っているようで、かなり悪しざまに言っている。杉元や谷垣はアンの様子が気になるみたいでチラチラと少女に視線を送っており、気付いたら軍曹先生までも偶に少女を見ていた。

 

ーーう・・・鬱陶しいッ!!

 

彼らが気配りしてくれているのは分かるし、自分と尾形の関係を誤解させた自身が悪いのも分かるが、この4人が尾形達を憎む気持ちは分かっているので責める気は無い。鯉登に対して多少の異論はあるが。

 

「この話の教訓は“泥棒猫は撃ち殺せ”だな、田中もそれで良いな!?」

 

「へ?」

 

鯉登が突然話を振って来た。アンは勘弁してくれ、と思いながら適当に話を流そうとした、最初は。

 

「まぁ、それでも良いけどさ。折角ちびっ子達と怪談話で盛り上がっているのに“実は本当に怖いのは人間でした”みたいな風に持って行くの、やめてくれないか?興醒めだな、そう言うの。」

 

「田中も尾形に対して“殺してやる”と言っていたではないか!」

 

明るく戯けながら鯉登に話したが、反論されてしまった。エノノカとチカパシが戸惑っているので、彼らから離れて鯉登の正面に座り、溜め息混じりに話を続ける。

 

「尾形を撃ち殺すとは言うけど、どうやって撃ち殺すんだ?アイツは狙撃手だぞ?こちらが弾を確実に当てられる距離まで近づく前に、頭を撃ち抜かれてお終いだ。」

 

「何か方法を考えれば良かろう。」

 

「そうだな、谷垣ならマタギだし狙撃が出来るから殺せるかもな。鯉登には無理だ。27聯隊で山を囲んだにも関わらず逃げられたと聞いたぞ?」

 

「田中、そこまでにしておけ。」

 

月島が口を挟んできたが、アンは喋るのを止められない。

 

「大体さ、山猫に例えて相手をこき下ろしている時点で駄目なんだよ。尾形の評価を低く見積もりたい気持ちが丸出しだ。それじゃあ勝てない。」

 

正直、少女は自分が何故こんなにムキになっているのかは分からなかった。ただただ腹が立って悔しかったのだ。

 

「・・・厠を借りてくる。」

 

鯉登の反論を待たずにアンは外に出た。厠は嘘だ、頭を冷やしたかった。

 

赤毛の少女が出て行った家の中、月島が呟いた。

 

「危ういな、田中は・・・」

 

 

寒空の下、真っ白な息を吐きながらアンは尾形を思った。空には満天の星がみえる。

 

ーー相手を人間だと思わなければ、殺人は簡単なんだろうか?でもそれじゃ駄目だ。私はアイツを人間として殺したい。

 

男達は銃だの剣だの暴力を使って殺そうとしている。アンもそのつもりだが、実は時間は掛かるがもっと安全で残酷な方法を彼女は分かっていた。

 

ーーお前にはあるのか?罪悪感というヤツがーー

 

かつてキラウシのコタンで尾形に尋ねられた質問だ。彼は殺した弟と母を夢に見ていた。

殺人を犯して逃亡した人間の中には殺した相手が夢枕に立つと訴える者がいる。これこそ罪悪感の為せる術だ。

 

ーーアイツは罰せられる事が無いままいずれ罪悪感に心を侵されて死ぬんだろうな。無いと思い込んでいるソレが、いつかは遅効性の毒の様に全身に回って死ぬんだ。でもそうなる前に殺してやる。

 

アンは父親の母国を調べて知った事があった。大英帝国はかつて『太陽が沈まない国』と呼ばれており、その意味は世界中に植民地と言う領土を所有している事から来ている。イギリス本国では夜でも、必ず植民地の何処かでは太陽が上っているのだ。

植民地の原住民は大体悲惨な目に会っており、イギリス人が征服した相手を同じ人間と思わなかったから出来たような逸話は沢山聞いた。

世界情勢の変化により、植民地は減ったものの相変わらず彼の国は今だに強豪国の地位にある。

皮肉な話である。罪悪感を持たぬ者は苦しまずに栄え、罪悪感を持つ者は犯した罪に耐え切れずに自滅するのだ。

 

ーーあの連中、特に鯉登には尾形を殺させたくない。アイツの命は私が貰う。誰にも譲らない。

 

赤毛の少女は固く誓いながら夜空を見上げる。樺太の夜空にも玉井座が見えた。野間星、岡田星もある。尾形座は・・・もう作る気にもなれない、星を観る度に思い出すのは辛すぎる。

 

「田中」

 

突然後ろから声をかけられてアンは驚いて振り向いた。鯉登がいた。

 

「なんだ、アンタか。」

 

「なんだとはなんだ。戻るのが遅いから逃亡したかと思ったのだぞ。」

 

「こんな夜中、寒い中を単独で逃げるのは自殺行為だろ。」

 

素っ気なく答えて青年将校に背を向ける。鯉登は溜め息を吐き、少女の背中を見ながら単刀直入過ぎる質問を切り出した。

 

「貴様は尾形に惚れていたのか?」

 

ーー!?

 

少女は余りにも突然な一言に思わず振り返るが、直ぐに青年の質問を否定した。冷静さを心掛けるも必死になってしまう。

 

「んなワケ無いだろ。あんなヤツを好きになったら命がいくつあっても足りないだろうが!」

 

「そうか?」

 

「そうだよ、大体ああいう悪人は長生きしないんだよ、付き合いきれん。」

 

「相手が長生きするから、とか関係あるのか?」

 

少女は疑り深く聞いて来る童貞将校にウンザリしながらも、具体例を出して説明してやる事にした。

 

「稲妻強盗夫婦、知ってるだろう?あの夫婦は私の知り合いだったんだよ。あんな風な生き方をするのは私はゴメンなんだ!」

 

「ふむ、確かにな。」

 

鯉登は彼らと面識がある様だ。顎に手を当て納得しているので少女は更に続けて喋る。

 

「2人ともどうしようも無い人間だったからな。尾形だってそうだ。知らない連中は『愛』だの何だの言うけどさ、稲妻達にはそんなモノは無かったよ。あんな連中がそんなご立派な概念を持ち合わせているワケ無いんだ。」

 

「そうか?まぁあの2人は確かにロクでも無い人間だった。知っているだろうが、我々第七師団であの夫婦を仕留めたのだ。聖徳(きよのり)だって師団で一時的に面倒を見た。」

 

「キヨノリ?」

 

鯉登の口から出た聞き慣れない単語に、アンは固まった。

 

「キヨノリって何?」

 

「あぁ、稲妻夫婦の息子だ。お銀の背嚢に大事に入れられていた。」

 

ーー!!?

 

捨てられたと思い込んでいた赤子が生きていた、というよりそもそも捨てられてなど無かった。赤子を背嚢に仕舞うのは如何な物かと思うが、それでも彼ら夫婦は死ぬまで子供を手放さなかった。

 

「聖徳太子・・生きてた。」

 

「あッ、まさか貴様か?赤子にとんでもない名付けをしたのは!何を考えているのだ、鶴見中尉殿が名札を見て困惑していたぞ!?取り敢えずは元の名前を活かして改名し、アシリパの祖母に預けたがな。」

 

「いや、名付けは・・あの時は仕方が無かったんだ!そうか・・・ずっと一緒に・・・」

 

夏太郎は背嚢の中までは見ていなかったのだろう。しかしあの夫婦にも『愛』はあったと言うのだろうか、少女は震える手で口を抑える。亡き強盗夫婦に対し、誤解していた事を心の中で謝りながら。

 

少女が呆然としているのを横目で見ながら鯉登は更に話し出す。

 

「何にせよ尾形はやめておく事だな。」

 

「しつこい!違うと言っただろ。」

 

「・・・玉井伍長達3人に関しては、不名誉除隊と言う事にして造反に関して不問にしても良い。」

 

「!?」

 

鯉登の発言にアンは耳を疑った。網走で玉井達が生きていると知った時、激怒した男の口から出た言葉とは思えない。

 

「ア、アンタにそんな権限は無いだろ・・・」

 

「私には無いが聯隊長は一応、淀川中佐殿だ。貴様が中佐を説得し、私と私の父が鶴見中尉殿に口添えする。それなら何とか出来るだろう?」

 

淀川は何故かアンに甘いし、鯉登の父は海軍少将で鶴見の協力者だ。確かに何とかなりそうではある。

 

「・・・条件は?」

 

鯉登がこんな事を言い出すのは理由があるとしか思えない。案の定、彼は真剣な顔で条件の提示をした。

 

「貴様が、尾形を殺しアシリパを確保するにあたって邪魔をしない事、そして鶴見中尉殿に従う事だ。」

 

「・・・」

 

鯉登は穏やかな声で更に続ける。

 

「小宮の件も調べた。誤解があったようだが、いずれはちゃんと名誉を回復しておくし、遺族にも賠償するつもりだ。」

 

彼の様な育ちの良い人間は、てっきり一兵卒の処刑の事など気にも掛けていないのかと考えていたので、アンは意外に思いながら鯉登を見る。“いい奴”とは思っていたが、その通りだったのだ。

 

「私が・・・尾形を直接殺したかった。」

 

「女がそんな事をするな、我々軍人に任せておけ。貴様にはアシリパの確保を任せたい。」

 

「・・・」

 

「これ以上尾形に付き合って辛い思いをするな。見てられん。分かったな?」

 

「・・・分かった。ありがとう。」

 

鯉登に促されるまま屋内に戻る少女。

眠る為に横になりながら直接殺す予定だった男に何故か謝っている。

 

ーー尾形、ゴメン。ゴメンね尾形・・・

 

 

翌日、出立前にエノノカが樺太アイヌの男に襲われるも、杉元が助けに入り事なきを得るという事があった。男は悲痛な声で喚きながら村の男達に連れ去られて行く。アンは震えているエノノカに寄り添いながら、連れて行かれる男を見続けた。

殺人を犯した男は目を潰されて底の無い棺桶を被せられて生き埋めにされるらしい。殺人を忌み嫌う樺太アイヌの刑罰だそうだ。

 

ーー死刑では無いとは言うが、死刑も同然だよな。

 

連れて行かれる男の顔が邪悪な上等兵殿と重なる。あの男なら殺される寸前まで薄ら笑いを浮かべていそうだが。

 

ーー私が殺したかった。あの男の命を誰にも取られたく無かった。

 

尾形を失い、造反も失敗するであろう玉井達の今後を考えるとそうも出来ない。大人しく鯉登に従うしか無いのだ。外套の裾を握りながら無念さを紛らわす。

 

「その簪はどうしたんだ?随分と雑な作りの簪だが、貴様の手作りか?」

 

エノノカの気分を紛らわす為に彼女と会話をしていると鯉登が話しかけて来た。目ざといな、と思いながらも青年と目を合わさないまま少女は答える。

 

「尾形に貰った。アンタらがアイツを始末出来たらこんなモン捨ててやるから安心しなよ。」

 

「・・・分かった。」

 

鯉登は何か言いたそうだが、赤毛の少女の横顔を見て何も言わずに月島の元へ向かった。

暴漢に怯えていたエノノカが心配そうな顔でアンの頭を優しく撫でる。

 

「やだなぁ、どうしたの?」

 

可愛らしい少女に笑いかけると彼女は言った。

 

「アン姉ちゃん、泣かないで。」

 

「へ?」

 

泣いて等いない。笑顔を保っているし涙だって流していない。

 

「やだな、泣いて無いよ?」

 

「そう?」

 

「そうだよ。」

 

エノノカの話し相手をチカパシに任せてその場を離れる。

気分を紛らわす為に鯉登から月島を奪い取り、月島にロシア語を教えて貰うがなかなか頭に入らない。集中出来ない。

アンは、いつの間にかロシア語鬼教官に変わり果てた真面目な月島先生に叱られてしまった。

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