ある悪人の前半生   作:土鳩

37 / 48
多弁なオリキャラが出て来ます。


ジャックと罪の子

気付けば樺太にいる間に年は明け、1908年となっていた。もう春だ。

アンと尾形は土方一派に合流する為に北海道を稚内から南下し、小樽近郊にあるアジトに向かう。尾形は負傷しているとは言え、樺太にいた時より顔色が良いのは慣れ親しんだ土地に戻って来たせいだろうか。

野宿やアンの養父が残してくれた空き家に泊まりながら旅を続ける。2人きりではあるものの、助平な意味でも何事も無く旅をしていた。

 

この日は留萌にある空き家に一泊する。

 

「尾形、もうじき小樽に到着するけど・・・私はやっぱり案内人としては、その・・解雇なのか?土方さんの所に合流するならさ。」

 

小さな囲炉裏に向かい会って座り、アンは言い淀みながらも男に尋ねた。2人の関係が深まったとは言え『案内人解雇』かどうかは別問題である。尾形は暫く考えていたが、訥々と喋り出した。

 

「そうだな。正直なところ、お前を誘った時とはかなり状況が変わってしまった。本来なら玉井伍長達と5人で刺青人皮集めに動く予定だったからな。」

 

「そ・・そうか。」

 

小樽に戻ったら理由を付けて追い出されるかもしれない、そう考えてしまう。例えそれが、彼が自分を思っての事であっても嫌だった。

 

「その・・・最後まで付き合ってくれねぇか?案内人以外にも任せたい事はある。お前も金が必要だろうし、約束通り争奪戦が終われば俺はお前の為に尽力してやる・・・」

 

ぶっきらぼうに語り出す男の様子にアンは思わず吹き出してしまう。不貞腐れた顔をする不器用上等兵に彼女は笑いながら了承した。男はムスッとしながらも更に話を続ける。

 

「それと・・・これは玉井伍長達も知らない事だが、お前は金塊の量を把握しているよな?」

 

「へ?二万貫だろ?囚人には二百と伝えていたんだっけか。」

 

「・・・その半分、一万貫だ。奥田中将閣下からそう聞いている。」

 

「中央のか?」

 

奥田中将は東京にいる中央の人間で、尾形を造反に誘った、ある意味アンが敵視している人物だ。しかし残り一万は最初から無かったのか、誰かが使ってしまったのか・・・それに関しては尾形は知っている様だが言い淀んでいる。恐らく最重要機密だと思われるので、自分の為にも聞くのはやめにした。

 

「それから、今後もしお前が第七師団に捕まる事があったら菊田特務曹長と言う人に助けを求めろ。尾形の連れだと言えば・・あの人なら助けてくれるかもしれん。」

 

「ん?そんな人いた?」

 

アンは小樽の兵舎にいた時、下士官の名前は覚える様に頑張った。でもどんなに記憶を掘り起こしても菊田の名前は無い。小樽にはいなかった様だ。

 

春先とは言え北海道はまだまだ寒く、2人は互いの体温で暖を取るように寄り添って寝た。もちろん2人共に着衣している。

 

ーー今夜もウコチャヌプコロは無しか。

 

ふとアンの頭の中に雄の羆と交わる動物学者が浮かび、慌てて脳内から振り払う。

 

ーー違う!オチウ、オチウだ。

 

別に彼女は致したいワケでは無かった。空き家は隙間風もあるし、ここでそんな事をしたら風邪をひきそうだ。それに初オチウは尾形に手荒く扱われたワケでも無いのに本当に痛かったので、出来れば回数こなすのは控えたいところである。

 

ーーお銀はあんなに楽しそうに致していたのになぁ。

 

不可解である。取り敢えず尾形は慶さんよりは淡白な気質なのだと判断し、気にしない事にした。適当に計算し、次のオチウはせいぜい半月後だろうと考えながらアンは寝た。

 

 

その男はかつて、とある人物を捜して北海道中を旅していた。

しかし小樽港であと一歩のところで捜し人を捕まえられなかった。遂に心が折れて捜索活動を止めて札幌に向かい本来の自らの使命を果たそうと考えて動き出した時、イギリスからの連絡員に捕まってしまう。

連絡員は娼婦に扮した若く美しい黄色人種の女だ。

 

「Mr.オストログ。貴方、一体何をしているんですか?貴方が任務を放ったらかしにしているのは『あの方』にもバレているんですよ?」

 

この一言でこの女が件のイギリスの手のモノである事が彼には分かった。喋りながら笑顔を浮かべているが、一切の隙が無い。

 

「取り敢えず立ち話も何ですからレストランにでも入りましょう。近くに美味しいライスカレーのお店があるんですよ。」

 

洋食屋に連れて来られた男は円卓に向かい合って座らされ、ライスカレーを食べている。2人分のカレーの値段を知った時は躊躇したが、どうせこの女が金を出すだろうと考えて気にしない事にした。彼女はどうやらイギリスの組織の上の方の人間らしい。

 

「私は高幻(ガオ•ファン)と申します。助平ジジ・・失礼、モラン様の命令で清国で調査をしていました。昨年より西太后が体調を崩しがちだと言う報せが入りまして、詳細を調べていたのです。」

 

「セイタイゴウ・・・」

 

「ハァ、なのに貴方がちゃんと任務をこなしていないと連絡があり、急遽日本に行って発破をかけて来いと言われたのです。本当にいい迷惑ですよ。」

 

女はウンザリした顔で溜め息混じりに愚痴を吐き出す。彼女は調査員でイギリスの組織に雇われた清国出身の人間らしい。西太后とは今の清国皇帝の叔母で事実上の国の支配者である悪女だ。彼女が死ぬとなると政治的にも経済的にもかなりの変化が起こるのは間違い無い。しかしイギリスと清国は決して良い関係とは言えないだろうに、目の前の女は母国を裏切ったのだろうか。

 

「国民を碌に守れない国に対して忠誠心なんて持てるワケないですよ。私を裏切り者と思っているだろうけど、先に私の期待を裏切ったのは国の方。アヘン漬けにされた挙句にイギリスに負けて、今度は日本にも負けたのだから。」

 

オストログの考えを読んだ女は訊かれるより先に答えた。

 

「それより田中安が樺太から戻って来ています。その内、刺青人皮目当てに貴方に接触して来るでしょう。貴方は札幌で待機して彼女を捕え、私に引き渡してくれれば良いのです。」

 

彼女の有能振りにオストログは、お前が全部やれ、と言いそうになったのだが、またしても彼の考えはお見通しだったらしく釘を刺されてしまった。

 

「モラン様は今回の仕事が上手く行けば貴方を正式に組織の末端に加えても良いと仰っています。イギリスにも戻れる。これは採用試験なんですよ?」

 

「アリガタイ話デス。シカシ、末端トハ・・・」

 

「貴方、もしかしてホームズから逃げ切った事で調子に乗っているの?忙しすぎて相手にされなかっただけなのに。貴方には辺見や津山のような大勢を殺せる力も無く、白石や大沢の様な一芸に秀でているワケでも無い。牛山や岩息の武力、鈴川や関谷の知性、土方や若山の様に組織を束ねる力も無い。あるのは無駄に高い知名度だけです。」

 

『ホームズ』とはロンドンの警察に協力していた名探偵の名前だ。グウの音も出ない言い分に男は黙る。

 

「17000ポンドの金塊も魅力的ですが、日本政府が狙っている以上イギリスは手が出せません。我々もです。まぁ精々頑張って下さいね?」

 

17000ポンド・・彼は違和感を感じて大雑把に『Kg』に、そして『貫』に変換して計算する。脱獄囚には200 貫と伝えられていた。

 

「多過ギマスヨ?ソレデハ約一万貫デス。」

 

「あぁ・・・失礼。」

 

女は含み笑いをしながらスプーンを皿に置く。一方的に喋っていたが、男より先に食べ終わっていた。

 

「ご馳走様です。そうそう、田中安を捕まえたら私に引き渡す前に日本語でこの手紙を書かせて下さい。それじゃ頼みましたよ?Jack the Ripperさん。」

 

彼女はオストログに紙切れを一枚渡すと席を立ち、店から出て行った。支払いはオストログのようだ、払えなくは無いが2人で14銭。

 

「Oh my God・・・!」

 

ショックのあまり呟いた。

 

 

アンと尾形は土方一味の潜伏する空き家を訪れた。実は彼女がこの隠れ家に来るのは初めてだが、尾形は勝手知ったる様子でズンズンと歩いている。アジトは古いが小綺麗な日本家屋で、アンの不法占拠しているボロ古屋達とは雲泥の差があり羨ましい限りであった。

 

「お邪魔します!」

 

玄関の扉を開くと奥から思わぬ知人が出て来て驚いた。

 

「ゲロ吐いた赤毛の娘だ!久しぶりだな!」

 

ーー!!?

 

姉畑支遁狩りの時にいたアイヌのコタンの男、キラウシがいる。更にその奥からはくたびれた雰囲気の見知らぬ50位の中年男が、のそりのそりと猫背で歩きながら近付いて来た。

 

「え?え?尾形、お宅を間違えて無いか!?」

 

「ハァ、何を言っているんだ。そこのオッサンは門倉だろうが。」

 

「へ?」

 

門倉利運、網走監獄の看守部長で土方に通じていた内通者だ。どうやら尾形は網走監獄侵入の準備中に門倉に会ったらしいが、アンは初対面である。取り敢えず自己紹介を軽く行い、彼に案内される儘にアンと尾形は座敷に通された。キラウシ達はアン達を放って花札を始め、劣勢の門倉が札を覗こうと裏返された札に手を出している。

 

「尻の穴覗き野郎が!!」

 

突然キラウシの口から出て来た卑猥な単語に驚き、アンは目を丸くして門倉を見ると、キラウシと取っ組み会っている彼と目が合う。『尻のぞき』は花札の不正行為の名前だが、キラウシの様子から明らかに他の意味を感じた。

 

「ちっ違うよ?オジサン、そんな事しないからね?い、いや、してたんだけど、仕方なくで・・・」

 

眉尻を下げて汗を流しながら、必死に尻穴疑惑の否定と肯定を繰り返す中年男から無言で少しずつ距離を取り、アンは尾形の横に座る。寒がり上等兵は火鉢の隣で横になって寛ぎ、足を火鉢に当てたり離したりしている。そこに誰かが家に入る音がした。

 

「コイツら毎日ダラダラと・・」

 

久しぶりの永倉が座敷に顔を出し門倉達の様子を見て苦々しく吐き捨てる。

 

「永倉さん、ご無事でしたか!」

 

「尾形に・・アン坊。」

 

もう呼び方に対して訂正する気にもなれなかったが、今の一言で都丹も生きているらしい事を察したアン。土方一派の他の面々は無事だろうかと気になる。

 

「おや、野良尾形が戻って来てる。それにアン坊も。」

 

「博士・・・土方さん!」

 

牛山が、その直後に土方が戻り、尾形は彼らに樺太に行っていた事を説明。アンは彼の横で大人しく聞いていた。

 

「俺の樺太土産は2つある。」

 

尾形は火鉢を抱き抱えながら、土方達に『ソフィア・ゴールデンハンドとその仲間の存在』と、『アシリパが金塊の暗号の鍵を思い出した』と言う情報を差し出す。当然、自分がのっぺらぼうと杉元を撃った事は伏せた上で、だ。もしかしたら彼は本当は隠しておきたかったのかもしれないが、効き目を失って戦力にならない以上、土方一派に対して自分の存在意義を示す為に已む無く話している可能性もある。

 

ーー『野良尾形』か・・・

 

土方達は恐らくだが、尾形が裏切る可能性も踏まえた上で彼を拒まないのだろう。アンとしてはこのまま土方の下に入ってしまえば良いと思うのだが、それだと彼の夢は叶わないのだ。

早くアシリパを見つけなければ、と焦る門倉に対して尾形は、杉元達はいずれ向こうから来るであろう事を伝える。

 

「刺青人皮の枚数は土方陣営か鶴見陣営の二極化しているんだから。」

 

現在、土方一派には写しを含めて刺青人皮が16枚あるそうだ。

 

ーー杉元達の持っていた刺青人皮はどうなったんだろう。

 

樺太で第七師団と一時的に手を組んでいたので、師団の手に渡っているのだろう。家永と同様に第七師団に捕まったと言う事はそう言う事だ。

もし杉元達が合流すれば、アンも尾形もここには居られなくなる。そうなる前に少しでも土方一派から情報収集をしなければならない。

 

「アン坊、何か雰囲気が変わったな。」

 

「へ?」

 

考え事をしていると突然牛山に話し掛けられた。

 

「・・・太りましたかね?」

 

「そう言うんじゃ無いんだよなぁ。」

 

牛山はニヤニヤと笑いを浮かべながら尾形をチラリと見やると、尾形は舌打ちしながら牛山から目を逸らして喋り出した。

 

「それより家永のジジイが第七師団に捕まったならここも危険じゃないか。アイツここに居た事があるだろう?」

 

永倉も、門倉や牛山も大丈夫だろうと発言している。他にもこの家の様な拠点があるらしく彼らは油断しているが、尾形は否定した。

 

「死神から逃げ続けるのは簡単じゃねぇ。」

 

「尾形が正しい。」

 

土方が尾形の意見を肯定する。一向は直ぐに引っ越す事となった、向かうは札幌だ。

 

 

札幌の外れにある寺に到着したのは翌日の事だった。境内に入ろうとしている赤毛の娘に土方が話し掛ける。

 

「本堂奥に小さな空き部屋がある。アン坊は一人でそこを使いなさい。男共に囲まれて雑魚寝は落ち着かないだろう?」

 

「え、良いんですか?」

 

金塊争奪戦に加わってから今まで誰にもそんな事を気にされた事も無かったので、土方の心遣いが大変沁みる。

 

「それとも尾形と一緒が良いか?」

 

「いえ、一人で大丈夫です。」

 

尾形がフラッといなくなる不安はあるものの久しぶりの独寝でのんびりしよう、そう思いアンは軽い気持ちで土方に答えた。しかしその瞬間視線を感じて振り向くと、不満気な顔の助平な上等兵と目があった。片目なのに凄まじい目力で圧倒されそうになる。

 

ーーいやいや、まさかな。

 

目を逸らし、自分の背嚢を持って指定された空き部屋に持って行こうと本堂に入ろうとするアン。背後で溜め息を吐く音が聞こえて振り向くと、尾形は中に入る様子もなく三八式を肩にかけて出て行こうとしていた。

 

「お・・尾形、何処に行くんだ。私も・・・」

 

「ついて来るんじゃねぇ、夕方には戻るから心配するな。」

 

尾形は振り向きもせずに応えるとさっさと一人で出掛けてしまった。アンはこっそり後を追おうとするも、永倉に止められる。

 

「一人にさせてあげなさい。」

 

困惑しながらも頷き、皆で本堂に上がると都丹と初対面の男がいた。背が高く、額から頬にかけて傷のある肌の黒い若い男だ。

 

「都丹さん!それに・・・えぇと・・・」

 

「有古と言います。」

 

有古と名乗ったその男はアンに軽くお辞儀をした。彼は第七師団を抜けて土方一派に加わっているらしい。

 

ーー尾形と同じ中央の回し者?

 

そう疑ったが、そもそも彼の顔は見た事が無い。小樽の兵舎にもいなかったのだ、違う聯隊かもしれない。

 

「田中です。」

 

警戒して最低限の自己紹介を行うと、有古は仰天し、目を見開いて驚いていた。

 

「たなか・・その赤毛・・・もしかして田中安殿ですか?小樽の兵舎に魔術で放火した・・・」

 

「ま・・?違う!それはシライシがやったんだよ!!」

 

「あぁ・・・そうでしたか?登別で噂になってました。閉じ込められて何の道具も無しに、兵舎を全焼させて消えうせたって・・・」

 

「私は魔女じゃない!」

 

言い淀む有古の発言を察し、兵舎で火炙りになりそうだったアンは全否定する。

彼は火事があった頃は登別温泉で療養していたらしい。菊田という仲の良い上官と長い事一緒に滞在していたと説明され、聞き覚えのある名前にアンは思わず反応してしまう。

 

「菊田さんってどう言う人なんですか?」

 

「とても良い方です。私はアイヌですが、差別する事無く仲良くして下さいました。」

 

「へぇ・・・」

 

 

尾形が戻って来たのは夕方になってからだった。何故か大白鳥を持ち帰って来ているが、元気が無い様に見えた。射撃訓練をしていて上手くいかなかったようだ。尾形も有古も互いの存在に気付くと驚いていたが、互いに相手が鶴見中尉を裏切ったのが意外だった様だ。

 

「お前が鶴見達を裏切るとは・・・分からんモンだな。」

 

邪悪な上等兵殿は心無しか嬉しそうである。有古はきっと真面目で優秀な軍人なのだろう。

 

「尾形、この人に私の事を説明してくれ。彼は私が魔術を使うと思い込んでいる。」

 

「いや、ただの噂です!」

 

「ははぁ、その通りだぜ?コイツはいつの間にかいる筈の無い場所に現れるから気をつけろ。」

 

尾形は笑いながら髪を撫で付けており、アンは思わず拳で軽く彼の背中を小突いた。

 

 

夕食は尾形の獲って来た白鳥の鍋だ。少し脂っこいが美味しいと永倉は舌鼓を打っているが、牛山や門倉と30代以下の面々は白髪になると言う言い伝えを気にして食べようとはしない。アンは気にせず都丹の横に座り一緒に鍋を食べながら談笑する。

 

「アン坊は髪が白くなるのを気にしないのか?」

 

「赤毛に未練は無いし、都丹さんとお揃いになれば、本当の父娘みたいじゃないですか。」

 

「ハハ、参ったな、こりゃあ。」

 

都丹は照れ臭そうに笑っており、アンは何だか嬉しくなった。網走で生き別れになってから都丹はアンの事をずっと心配していたらしく、ちょくちょく“アン坊、アン坊”と話題に出していた様だ。そのせいで土方一派の間でこの呼び名が定着した様だが、愛情を感じて訂正する気にはなれない。

 

「誰にでも平等に死は訪れる。どうせ逃げきれんのならビクビクと待つより、美味いものを食って楽しむ。」

 

土方も白鳥鍋が美味しいと言っている。その一方で大白鳥を持ち込んだ張本人は、鍋から離れて白米と味噌汁だけを食べている。ただ、自分の獲って来たモノを食べて貰うのが嬉しいのか照れ臭いのか、何とも言えぬ表情をしていた。

 

就寝前にアンが空き部屋に敷いた布団の上で、行灯の灯で買って貰った新聞を読んでいると、誰かが部屋の外から自分の名前を呼んでいるのに気が付いた。

 

「尾形?」

 

「入るぞ。」

 

狭い部屋に尾形が入って来た。四畳半の空き部屋には真ん中にちゃぶ台が置かれており、アンは隣に布団を敷いて座っている。

 

「お腹空いてるのか?鍋を食べて無かったもんな。」

 

「・・・白鳥ならさっき食った。」

 

「フハッ、白髪になるぞ!」

 

やはり若衆は空腹に耐えられなかった様で牛山達と一緒に鍋を食べたらしい。しかし彼は土方一派の下にいる時は随分と幼くなり、可愛らしい所が見える。ニコニコしながら百之助坊やを見ていると、坊やが円形のちゃぶ台に沿いながらゆっくりと畳を擦り近づいてきているのに気が付き、慌てて距離を取る。

 

「何だ?構わねぇだろ。」

 

「いやいや、半月前に致したばかりだろ!?次は10日先だと思っていたぞ!」

 

「・・・お前は俺がそんなに枯れている様に見えるのかよ。それとも俺より都丹の方が良いのか。」

 

「阿呆!!」

 

まさかの都丹に対して彼は嫉妬している様だ。ちゃぶ台越しに2人はグルグル周りながら謎の攻防戦を繰り広げていると、またしても部屋の外から声をかけられた。次は牛山だ。

 

「騒がしいぞお前ら。ジイサン達が寝ているんだから、静かにしろ。」

 

「うるせぇよ、邪魔すんな。」

 

「博士、助けてくれ!尾形がおかしい!!半月前に致したばかりなのに、またしようとするんだ!!」

 

牛山は黙って襖を開け、ちゃぶ台を挟んで相対する2人を一瞥すると、ズカズカと入室してちゃぶ台を片手で抱える。

 

「は、はかせ?」

 

「尾形が正しい。」

 

牛山はアンを助ける事なく、防御の要であったちゃぶ台を抱えて部屋を出て行ってしまった。尾形は笑顔だ。凄く胡散臭くて邪悪な笑顔に見える。

 

翌朝、暫くの間アンは起き上がれなくなってしまった。

 

 

『愛しい旦那様、長い事ご無沙汰しておりますがいかがお過ごしでしょうか。私は日本で貴方様がまた来て下さるのを首を長くして待っております。五年前、貴方と初めてお会いして夫婦となってから、私は毎日の様に貴方を求めました。貴方はそんな私を優しく受け入れて下さり、毎夜の営みは天にも昇る気持ちでした。貴方にお会いできなくなってから随分と経ちますが、私の身体は貴方を忘れられず毎夜ーーー』

 

 

「Go to hell!!」

 

気分が悪くなり思わず手紙を床に叩きつけた。

 

オストログは今、札幌のホテルの自室でイギリスの組織の連絡員である女に手渡された手紙を読んでいる。同じ内容を18の、それも本人は未婚だと思い込んでいる娘に書かせろとは、正気の沙汰では無い。双方同意の上での結婚だと周囲に思わせる為だろうが、内容が卑猥にも程がある。女の部下に助平ジジイ呼ばわりされるのも納得だ。知性の塊のような赤毛の娘の亡き父親とはまるで違う。

 

ーー英国紳士が聞いて呆れる!

 

しかし組織に従わなければイギリスに帰るどころか、北海道で組織に消されてしまうかもしれない。それだけは避けたい。

 

ーー向こうから接触して来るのを待つ・・・つまり、私が派手に動いて世間を騒がせなければならない、と言う事か?

 

どの道そのつもりだったからそれは構わない。オストログはシルクハットを被り、夜の札幌の町に繰り出す。

札幌の様な栄えた町には必ずとある職業の女達がいる。娼婦だ。若く美しければ通りで客引きをする事など無いが、歳を取り店で雇って貰えない女達は道端で客引きを行う。ロンドンの貧民窟にはそう言う娼婦が多くいた、札幌もそうだ。

 

ーー貧しく罪深い憐れな女達を解放してやらねばならない。

 

彼自身は敬虔なキリスト教徒のつもりなので犯罪者扱いされるのは納得がいかない事だが、歪んだ社会が自分の考えや行動を認め無いのだから仕方が無いと考えている。

 

深夜の札幌の貧民窟

目の前の路地に40位の女が立って手招きしている。

娼婦のようだ。

彼女はオストログの左腕に腕を絡ませ、一生懸命に愛想を振り撒いて話しかけてくる。

彼女はオストログが日本人の男だと思い込んでいるようだ、洋装の男は金持ちだと見られやすいのかもしれない。

 

「あれ?アナタ日本・・・」

 

彼女が客は日本人でないと気付いた瞬間ーー

 

オストログは持っていたナイフを彼女の首に突き立てる。

柔らかい首から鮮血が溢れ、女は地面に崩れ落ちた。

 

深夜の貧民街の道端、横たわり動かない女の身体を何度も何度も、男は斬りつけた。

 

「アナタノ罪ヲ赦シマス、ヨカッタ、ヨカッタ。」

 

 

翌日、娼婦の死体が見つかり警察が周辺に規制を張っていた。犯人は犯行現場に戻る、と言われているがオストログも例外では無い。全身に布を被せられた娼婦だったモノを、群衆に混じり遠目から確認する。

警察に事件の詳細の聴き取りを行っている記者が目に入った。小柄で落ち着きの無さそうな男だ。彼がきっと事件を派手に書き立ててくれるだろう。

 

ーー赤毛の娘は厳格なカトリックの母親に育てられたと聞いた。もしかしたら彼女なら私を理解してくれるかもしれない。

 

散々北海道中を旅させられた原因となった娘ではあるが、オストログは僅かながらに期待した。

 

 

寺に引っ越しをしてから数日後の朝、何とか起き上がりキラウシや夏太郎と共に朝飯の支度をするアン。現在アンと尾形含めて9人の構成員のご飯作りは大変だった。

 

「家永さんがいたらなぁ・・・ところで門倉さんは?」

 

「冗談じゃねぇや、あの人に料理を任せたら死人が出るし火事になる!やめてくれよ!!」

 

「門倉は邪魔なだけだ。尻の穴覗くなら得意。」

 

夏太郎もキラウシも門倉に対してなかなか酷い事を言っている。アンは何が何だかよく分からないまま鍋の中に味噌を溶かす。

 

ーーオソマだ。

 

アシリパが味噌をオソマ、オソマと言っていた事を思い出した。名実共に『尾形の女』となった今、アシリパ達とは敵対関係になってしまった。彼女は自分の行動をどう捉えているのだろうか。案外アッサリと受け入れているかもしれないし、傷付いているかもしれない。

 

朝食後、尾形はまた一人で出掛けて行った。三八式を担いでいるので左撃ちでの狙撃の訓練だろう。

 

ーー格好悪い所を見せたく無いのかな?

 

アンは少しだけホッコリとした気持ちになりながら、境内の片隅に皆の洗濯物を干す。尾形のせいで相変わらず腰回りが痛いのでぎこちない動きになり、時間が掛かってしまう。

 

ーーインカラマッさんの占い、もしかしてこの事かな?

 

船と氷・・・流氷の浮かぶ海の船内で、初めてアンは尾形と結ばれた。占って貰った時、既にアンは尾形を思っていたのは自覚が無かっただけで間違い無いのだが、しっくり来ない。

 

「おや、見慣れない異人の別嬪さんがいるじゃ無いですか!」 

 

突然背後から声を掛けられ、アンは飛び上がった。小柄で額の広い胡散臭そうな若い男がいる。彼はアンに馴れ馴れしく話しかけながら、さりげなく腰や肩に手を回そうとしてきたが、寺から聞こえた永倉の声でピタリと止まる。

 

「何をしている、石川。報告が無いなら帰れ。」

 

石川と呼ばれた若い男はヘラヘラ笑いながら本堂に上がる。暫くして、洗濯物が干し終わったアンは彼の後を追って本堂に入った。

 

寺の本堂で土方、永倉、牛山、門倉が石川から集めた情報の報告を聞いているので、アンは急いでお茶を注ぎ彼らに持って行った。

 

「アン坊、コイツには茶なんぞ出さなくても良いぞ。」

 

永倉はやけに石川に対して辛辣である。理由は何となく察するが一応は客人なので迷っていると、石川はアンの手を包み込む様に持ち、湯呑みを奪う。

 

「アンちゃんって言うの?混血かな?お父さんかお母さんは何処の国の人?」

 

「えっと・・・父がイギリス人です。」

 

「ほう!実は今、イギリス人の話をしていたんだよ!君は切り裂きジャックは知っているかい?」

 

「あー、はい。聞いた事はあります。ロンドンのホワイトチャペルで娼婦を殺していた犯人ですよね。未解決事件とか・・・」

 

「そう、それ!その犯人が日本に来ているかもしれないんだよ。そうですよね、門倉さん!」

 

石川はアンの片手を握って離さない。門倉は、何故か手渡した瞬間に割れた湯呑みの片付けをしながら頷いた。

 

「24人の刺青囚人の一人かも知れないんだよ。ハハ、もしかしたら君のお父さんは彼の情報を持っているかもね?」

 

石川は土方や永倉の静止を“まぁまぁ”と流しながらアンに尋ねてきたので、アンは“まぁどうせ知らないだろうな”と思いながら返事をする。

 

「私の父は数学教授ですが、私が幼い時に亡くなったらしいんです。モリアーティとか言う名前ですが、まぁ死んじゃったんで聞きようが無いですよね。」

 

アンが適当な気持ちで石川に答えた。

 

「そう、教授、ハハ・・・モリアーティ教授・・・・・・」

 

石川は次第に顔色が悪くなり、握っていたアンの手をそっと離した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。