ある悪人の前半生   作:土鳩

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おらが娘

アンが菊田達の元から戻って来て一週間後、尾形が遂に鴨を仕留めた。一羽ではあるが、アンは彼が大白鳥を仕留めた時より嬉しかった。

 

「え、えぇぇっ!?凄い!やったな、尾形!!」

 

「では狙撃兵は完全復活したワケか。」

 

台所で夕食の支度をしていたアンは勿論、ビールを買って来てくれた土方、牛山も感心している。尾形はすまし顔で“人を撃ってこそだ”等と物騒な事を言っているが、少しは嬉しそうだ。

 

「ネギ・・ネギ買わなきゃ!鴨鍋!?」

 

「落ち着けアン坊、ネギならあるから。」

 

牛山が鍋を持って来てくれたので慌てて受け取る。

正直、狙撃手として再起はかなり難しいだろうと考えていたので、アンは尾形を尊敬した。急いでキラウシや夏太郎を呼び、鴨鍋準備の手伝いを頼む。

 

夕食は鴨鍋になった。一羽だけなので9人の腹を満たせる量では無いが、それでも皆は美味いと言って食べてくれる。尾形は満足そうだ。

 

夜、風呂上がりにアンが寺の縁側に腰掛けて夜空をのんびりと見ていると、誰かが縁側をこちらに向かって歩いているのに気が付いた。この時間ならどうせまた百之助坊やだろうと思い、そちらを見ずに声を掛ける。

 

「尾形、今は星を見ているし暫くはウコチャ・・オチウは無しだって話しただろ?」

 

「うこちゃおちう?何だい、そりゃ。」

 

「ヒェッ!?都丹さん!?」

 

まさかの都丹だった。最悪な台詞を好きな爺様に聞かれてしまい、アンは焦る。

 

「えぇと・・アイヌ語です。」

 

「日本語で何て言うんだい?」

 

以前にも誰かとこんな遣り取りしたなァ、等と思いながら何て説明しようかと頭を巡らせる。背中に粘っこい汗が滲む。

 

「オチウは・・『刺す』って意味です。星を見ているから水を差さないでくれ、と言う事だよ。」

 

「そうかい、アン坊は色々知っているんだな。」

 

都丹はアンに隣に座っても良いか尋ね、隣に腰掛ける。盲目の彼が転ばないか一瞬不安になったが、彼は何の問題もなく縁側のふちギリギリに胡座をかいて座っていた。目の見える筈の門倉より器用な都丹の動きに、アンは改めて感心した。

 

「都丹さんは・・見える人よりよっぽど見えてるよね。」

 

「ハハ、何だいそりゃ、頓知か?」

 

都丹は盲目だが視覚以外の感覚は、特に聴覚はとんでもなく優れている。自然に習得したモノもあるかも知れないが、それ以上に彼の努力が透けて見えた。

 

「アン坊は星を見るのが好きなんだな。」

 

都丹はポツリと呟く。

 

「うん、星座も作ったよ。アンパン座とか・・屈強な乙女座とか。」

 

「そりゃ楽しそうだ。」

 

「都丹さんは目が見えないけどさ、頭の中はきっと色々なモノが形になって存在しているんだろうな。見てみたいよ。」

 

「オイオイ、家永みたいな事を言うなよ。アン坊は家永の服ばかり着ているから、中身まで家永になっちまったみてェだな。」

 

都丹は笑っている。彼は盲目で光もあまり感じられないらしいが、真っ直ぐな生き様の土方やアシリパに心惹かれるらしく、彼らに光を感じるとの事だ。光すら吸い込む片目を持つ上等兵は光りモノがお嫌いなようだが、彼の視力は極めて良いのが皮肉に感じた。

 

 

イギリスの手の者の一件、アンは土方一派の誰にも喋っていない。知っているのは尾形だけである。アンはガオが言っていた、オストログがロンドンの再現をしていると言う発言を信じ、家永の服を着て厚めに化粧をし、在日イギリス人やアメリカ人達を尋ねて『Jack the ripper事件」の調査をしていた。勿論、尾形を同伴させた上でだ。尾形はアンの化粧された顔を見て凄まじく渋い顔をしていたが、変装の為なので美醜は気にしない。

次の犯行日時は石川が絞り込んでいたが、事件現場はまだ不明。因みに石川は模倣犯だと考えていたらしいが、そうでは無い事を言えなかった。

 

「アン坊は何か独特な雰囲気があるよな。ここの連中のような強い存在感じゃねェけど・・・最近、何かあったか?雰囲気が少し変わった気がするんだよ。」

 

都丹は心配そうに話し掛けて来た。彼と長い会話をするのは久しぶりだが、様子がおかしいアンの事が気になってわざわざ来てくれたのだろう。

ただ、雰囲気が変わった原因と思われるイギリスの件については黙っておいた方が良いと思われて、尾形以外には喋れない。

 

「うん・・・。ほら、いつでも母親になれる年なんだなぁってハッキリと自覚しちゃってさ。子供の気分じゃ駄目だと気持ちを改めたんだよ。」

 

「そうか、何だか寂しいけど仕方ねェよな。」

 

都丹は寂しさを含ませながらも優しく笑う。アシリパ達がもしここに合流したら、土方一派の幹部達は勿論、都丹ともお別れになる。アンは切なくなった。

 

「都丹さん・・・私はこの先、凄く暗い場所に行くかも知れないんだ。暗くて冷たい場所にさ。」

 

「尾形と心中でもするのか!?駄目だぞ!」

 

「何で!?」

 

どうやら、都丹にそんな心配をさせる程に自分は様子がおかしいらしい。その事に気付いたアンはひたすら焦り、彼の発言を訂正した。

 

「なんだ、イギリスの事か。北海道より寒いのかい?」

 

「いや、そんな印象なだけなんだ。」

 

「でもアン坊は星を見るのが好きなんだろ?星は暗くねェと見れないからな。」

 

「フハッ、確かにそうだ!」

 

アンは都丹の気の利いた言葉に笑って同意する。しかしここ最近、聞き込みついでにちゃんとロンドンについて調べてみたが、場所によっては『暗い』どころか『臭い』『汚い』『危険』らしい事が分かり驚愕した。歴史ある、大きな時計台の先進的な町だと憧れていた幼い頃の自分を殴ってやりたくなる。

都丹の優しさを無碍にはしたくないのでソレについては黙っておいたが。

 

「おっと!何やらジリジリした視線を感じるから俺は本堂に戻るか。・・・最近はないみてェだが、『おちう』とやらは程々にな。俺は耳が良すぎるからさ。」

 

「!?」

 

都丹はそう言いながら立ち上がり、縁側を歩いて去って行く。彼の言っていた意味を直ぐに察し、アンは真っ赤になったまま彼の背中を見送ったのだが・・・

 

暗い縁側の突き当たりから誰かがこちらを凝視しているのにアンは気付いた。まるで妖怪だ。

 

「ヒェッ!・・おがた?」

 

暗闇からドス黒い片目でアンと都丹の様子を見ていた妖怪は尾形だった。目だけでなく、纏っている雰囲気もドス黒く見えたのは多分気の所為では無い。

 

妖怪上等兵は都丹に妬いていた。

 

 

オストログが次の犯行をすると思われる日まで残り3日となった。その夜、アンと尾形は小部屋にて札幌の地図とロンドンの地図を広げる。二枚の地図は聞き込みで手に入れたモノだ。

地図には札幌の殺人事件とロンドンの殺人事件の現場を記入済みである。

 

「札幌は新しい町だから区画整理されていて碁盤目状だけど、ロンドンは古い町で道が入り組んでいる。でも重ねてみると・・・ほら!川の位置や教会の位置がほぼ重なるんだ。・・・ジャック・ザ・リッパーの事件現場もね。」

 

「次は、ビール工場の辺りって事だな。」

 

尾形は楽しそうだ。頭の良い彼は計画を練り実行するのが好きである。才能があるだろう尾形が、生まれの所為で碌に立身出世が出来ないのが、アンには非常にもどかしい。

 

「尾形、この事をいつ土方さん達に言うんだ?何で分かったのかを聞かれても誤魔化せる自信はあるが?」

 

「そうだな。明日の夜、連中にも伝えてやるか。土方達にはちゃんと金塊に近付いて貰わねェとな。」

 

「フハッ、了解だ。」

 

アンは土方も永倉も牛山も都丹も他の皆も好きだ。しかし彼らを裏切る覚悟はしている。彼らだって尾形がいずれ裏切るかも知れない覚悟はあるだろう。

いずれは彼らとも・・・殺し合いになるであろう覚悟も。

 

この日も尾形はアンと同衾した。

しかし尾形は妊娠騒動以来、アンと同じ布団で寝ても手を出してこない。これだけ密着していても彼が我慢が出来るのはアンのトカプの大きさの所為か、そもそも行為自体が甘えん坊の気持ちを満たす為のモノだったのか。

 

ーーまぁいっか。

 

気にしない事にした。尾形の事を好きではあるも、行為自体は別に好きなワケでは無い。

 

翌日は寺の本堂が散らかってきたので、アンは寺に残って片付けや掃除をした後に家永の服を着て町に行く事にした。男達がいない時の方が掃除をしやすいと言うと土方達は苦笑いしながらも納得してくれた。

朝から出掛けて行く土方達を見送った後、全員分の布団を干し、出しっ放しのモノを片付けて箒がけや雑巾での水拭きをする。キラウシや門倉の変装用小道具が特に散らかっており、あの2人組に対して独り言をブツクサ言いながら片付けた。

ある程度掃除が終わったところで、ふと助平心が湧く。

 

ーー刺青人皮、見てみたいな。

 

アンも尾形も、土方一派の刺青人皮を全て見せて貰った事は無い。やはり彼らは2人を警戒しているのだろう。

本堂や土方達の部屋を覗くもそれらしいモノは無く、土方や永倉が持ち歩いているのだろうと思われて結局諦めた。しかし代わりに役に立ちそうなモノをいくつか拝借する。コレの持ち主なら、少しくらい無くなっても気にしないと思われたのだ。

 

干した布団を片付けて家永の服に着替えたアンは、遅ればせながら寺を出た。家永の残した化粧道具を使って顔まで変えているが、こんなモノで彼はどうやってあの美しさを作り出したのかアンには不可解であった。厚く塗っても全く綺麗にならないのだから。

もう午後になっており、昼飯を取っていないので町で食事もしたい。贅沢にライスカレーでも食べようかと妄想を膨らませながら町に繰り出した。

 

 

平日の札幌も人の往来が多く、中心部は日本人だけでなく外国人の姿もチラホラ見られる。イギリスの手の者や宇佐美に見つからないように、赤ゲットを被って顔を隠して目当ての洋食屋に向かった。

 

洋食屋の近くまで来た時、何かとてつも無い破壊音が聞こえて赤毛の娘は飛び上がった。網走監獄で聞いた爆発音とは異なる音だ。音の元を確かめるべく、ゾロゾロと集まって来た野次馬に紛れながら現場の様子を伺う。

 

ーーあぁ!洋食屋が!!

 

事件現場は目当ての洋食屋。入り口が派手に破壊されて円卓や椅子、扉が路上に散らばっていた。アレではもう営業停止は間違いなく、ライスカレーは諦めるしか無いだろう。

 

ーーん?

 

騒動の中心にいる人間達に目が止まった。都丹、門倉、キラウシ、円卓を帽子の様に被っている大男、土方、知らない長身で長髪の男・・・

 

「よう、海賊。久しぶりだな。」

 

円卓を被った男が平安美人の様な長髪男を投げ飛ばした。円卓の戦士は声から牛山である事が伺える。

アンは土方一派が誰か敵と交戦中と判断し、加勢しようかとパチンコを取り出したがその時、土方と組み合っている人間の正体に気付いた。

 

ーー杉元!?

 

樺太で別れた杉元達がいた。しかも連れの人数が増えている。谷垣の姿は無かったが、今いないだけなのかも知れない。慌てて人混みに隠れながら再度、騒動の様子を人影から伺うと、他にもアシリパや白石がいる。

 

ーーそうか、網走で囮にされたから怒っているんだ。

 

老剣士と傷だらけの男は激しく争っているが、アシリパは彼ら2人を止めようとしている。争っていた男達はアイヌの美少女の発言に耳を傾け、争いは治っていく。

 

土方達とはここでお別れになる、その事がアンには分かった。

 

ーー掃除しておいて良かった。

 

覚悟はしていた。しかし何とも言えない寂しさを感じながら、小走りにその場を立ち去る。

 

自分と尾形、2人分の荷物をまとめて寺を出なければならない。

 

 

ここから先は当分、尾形と2人きりだ。

 

 

都丹は急いでアジトの寺に戻っていた。

アイヌの娘や杉元達と、土方が手を組む事になったからだ。杉元達から尾形が網走監獄や樺太で何をして来たのかはもう聞いている。

 

あの娘が杉元達といるよりも、尾形と共にいる事を選んだと言う事も。

 

 

「アン坊!!」

 

他の皆より一足先に寺に戻り、娘の名前を呼ぶ。しかし本堂に人の気配はなく、寝泊まりしていた小部屋にも誰もいない。静まり返った寺に騒がしい娘の気配が全く無く、都丹は寂しさを覚えた。

 

網走で娘と離れ離れになった時は仕方が無いとは言え、心配で仕方がなかった。しかしここで再会できた時は本当に安心した。

 

そして今、また別れが近づいていると感じた。

 

「ハハ・・・遅かったか、あのお転婆娘め。」

 

苦笑いして頭を掻きながら、小部屋を出て縁側に腰を下ろした。日差しが自分の身体を照らしているのを感じる。太陽の方角からもうじき夕方になるのが分かった。先日の夜、久しぶりに2人で長話をした場所でボンヤリとしていると、誰かが庭の植え込みの間にいる気配がしてそちらに顔を向ける。

 

「都丹さん!」

 

顰めた声といつもの独特な雰囲気で、隠れている人物の正体は直ぐに分かった。

 

「アン坊か。・・・ここを出て行くんだな?」

 

「うん・・・もう行くよ。」

 

表情は見えない、分からない。しかし声の調子から寂しいと言う気持ちは伝わってくる。

 

「・・・尾形はもうここには戻らねェんだろうな。」

 

都丹は呟いた。

 

「都丹さん、尾形が樺太で何をしてきたのか知ってるんだね。」

 

「あぁ、のっぺらぼうを殺してアイヌの嬢ちゃんも殺そうとしたんだって?・・・何だってそんな事を。アン坊は理由を知ってるかい?」

 

「・・知らないよ。側にいたら止められたとは思うけどさ。」

 

「・・・そうかい。」

 

娘の発言、後ろ半分は嘘では無さそうだ。尾形の動機は知っているが、止められたら止めたかったと言う気持ちだろう。

 

「会えて良かったよ。・・もう、行かなきゃ。」

 

「ちょっと待ってくれ。渡したいモノがある!」

 

「へ?」

 

都丹は裸足のまま縁側を下りて、植え込みに潜む娘の元へ駆け寄り、懐から財布を取り出した。財布を開けて中から紙幣数枚と封筒を取り出し、娘に渡す。

 

「お小遣いだ、アン坊。親は子供が出掛ける時にはお小遣いをくれてやるモンだろう?」

 

「都丹さん・・・」

 

「あと、この紙なんだが・・・」

 

はにかみながら封筒を娘に渡す。中身を彼女が喜んでくれるかどうかは、都丹には自信が無かった。

 

「土方さん達に相談して書いて貰ったんだがな、子供が出来たら読んで見てくれ。飽くまで参考程度で良いし、気に入らなかったら捨てても構わねェさ。」

 

「何だろ?ありがとう・・・」

 

「じゃあな、アン坊。今度こそ赤ん坊が生まれたら俺にも見せてくれよ。」

 

「フハッ、勿論!」

 

相変わらずの都丹の冗談に、娘はちゃんと笑いながら了承してくれた。

次に会う時はもしかしたら敵になるかも知れないし、そもそも次があるのかも分からない。でも彼女が自分で決めた事を都丹には止められない。

 

夕暮れ時に狩のための支度をする梟、都丹は今の娘からそんな雰囲気を感じた。落ち着きの無い彼女を、何故静かに狩りをする梟と重ねたのかは都丹自身も分からない。

 

梟はアイヌ語で『コタンコロカムイ』。村の守護神であり、幸福の象徴とされている。更にギリシャ神話に於いては知識や知恵の象徴でもあった。

しかし、国や民族によっては逆に不吉とされている鳥であり、中国では『親殺しの鳥』ともされて邪悪の象徴ともなっている。

 

彼はそれらの事は知らない。しかし寺を去る娘の、遠ざかって行く気配に寂しさを感じながら、縁側に一人、腰を下ろした。

 

 

アンは2人分の荷物を抱えて藻岩山にある古家にいた。養父が残してくれた建物で、1年以上前に小樽を脱出して網走に向かっていた時に、造反3人組と泊まった場所だ。寺に戻れない時には尾形とそこで落ち合う手筈になっている。

先に到着したようなので、荷物を下ろして小さな囲炉裏に火を入れる。尾形がなかなか来ないので戸を開けて夜空を見ていると、山の暗闇の中から待ち人がこちらに向かって来ているのに気が付いた。

 

「おがた・・・」

 

「遅くなったな。」

 

 

その晩、アンは尾形にしがみ付いて離れなかった。古く隙間風のあるボロの空き家で、囲炉裏の火を見ながら並んで座る。いつもと逆だな、等と皮肉に感じながらも尾形が嫌がる素振りを見せないので遠慮なく甘えた。

 

「オチウはしない。」

 

「ハァ、分かってる。いちいち言うな。」

 

尾形は呆れながらも側にいてくれる。

 

「・・・二人きりだな。」

 

アンは呟いた。

 

「オストログ狩りには間に合わねェが、その内に玉井伍長達とも合流出来るさ。・・・寂しいのか?」

 

「平気だ。」

 

「ははァ、嘘吐きめ。」

 

尾形の返答に腹が立ちながらも、彼の表情を見てアンは反論を飲み込んだ。

 

ーーアンタだって寂しいんだろ、本当は。

 

尾形が土方達の所にいた時・・・彼らに心を許していたワケでは無いが、明らかに幼い子供の様な態度を取る事があった。親や祖父母の許にいる様な・・・杉元達は勿論、玉井達にも見せない一面だ。

 

ーー『親離れ』しなきゃな、私も尾形も。

 

囲炉裏の火に照らされた尾形の顔、本人は気付いていない様だが、完全に百之助坊やだった。

 

「尾形、アンタは私の母がクリスチャンだった事、覚えているか?」

 

「何だよ、唐突に。」

 

「・・・母は熱心なカトリック信者でさ、私が生まれた時に洗礼を受けさせたんだよ。」

 

「洗礼か、『祝福』ってやつか?お前みたいなクリスチャンがいてたまるかよ。」

 

尾形は皮肉な笑みを浮かべているが、アンは気にせずに続けた。

 

「何度も言うが、私はクリスチャンじゃないぞ。棄教したから・・・『父なる神』の教えを捨てたんだよ、性に合わないと思って。」

 

尾形は左目を見開き、驚いた顔でアンを見た。彼はアンがクリスチャンをやめた事を知っている筈だが、『父なる神』の単語が彼の心の一番柔らかい場所に刺さったらしい。アンは更に続けて喋る。

 

「赤ん坊の時の『祝福』は子供のウチは意味があるんだろうけどさ、それより他人から大人としての『祝福』をされたいんだ。・・・お金とか、地位とか、名誉とか、アンタは違うのか?中将になりたい理由だろ?」

 

「ハッ、親不孝者だな。」

 

そう言って笑いながらも尾形は戸惑い、左目を少し泳がせている。その反応、どうやら彼が立身出世をしたい理由はアンとは異なるようだ。

 

ーーあれ?

 

彼が中将を目指す理由を、父と同格に、若しくは超えたい気持ちからだと思っていたアンは動揺した。男を理解していたつもりだったが、勘違いもあったようだ。

困った顔をする赤毛の娘を見た尾形は、笑いながらも決して彼女の考えを否定しない。

 

「まァ、大体そんなカンジで合ってるぜ?なあ、俺は花沢中将閣下を超えられると思うか?」

 

「超えるよ。絶対に。」

 

力強い眼差しで尾形を見つめながら答えた。父親を殺して父親を超えた、人間や神話の人物数名がアンの頭に浮かぶ。殺された父親達は自分の息子を疎ましく思い、若しくは恐れていた。だったら尾形だって大丈夫だ、そう思いたかったのだ。・・・父殺しをした息子達の中には、悲劇的な最期を迎えた人物もいるのを知ってはいたが。

自分から聞いてきたクセに、赤毛の娘に力強く肯定された尾形は“そうか”と呟いて、照れ臭いのか髪を撫で付けている。

 

その晩、2人は子供の様に手を繋いで寝た。

 

アンは星の観察を途中で切り上げて尾形の隣で横になった。

 

盲目の爺様座を作ろうとしたのだが、尾形座同様に上手く作れず、寂しさが増してやり切れなくなったのだ。

 

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