土方一派に杉元達が合流し、アンと尾形はアジトだった寺を出て藻岩山の山小屋に潜伏した。日中はオストログ狩りの為に準備をし、夕方前に町に出て情報収集や買い出しを行う。広い町とは言え、宇佐美や杉元達、イギリスの手の者達に見つからないとは限らず、敵が増えて行く一方なので慎重に慎重を重ねて行動する。
「お前、そんなモノをどうしたんだ。」
「寺を出る時に少し頂いて来たんだ。何か使えると思ってさ。」
山小屋で銃の手入れをしながら尾形が尋ねてきたので、アンはニヤリと笑いながら答えた。土方一派のところからくすねて来たソレに、更に手を加えて狙った効果が出るように工作している。
「・・・失敗するなよ?あと、俺に近づくな。」
尾形は引きながら、アンから距離をとって座り直す。アンはむくれながらも工作を続けていると、尾形が再び話しかけて来た。
「玉井伍長殿から電報があったぜ。貨客船に乗れる事になったから明後日には函館に到着するようだ。やはりオストログ狩りには間に合わなかったな。」
「そっか・・・」
函館では札幌から距離がありすぎる。アンは養父が生きていた時に何度か訪れているその場所を思い出した。
養父は旧幕府軍の敗走兵から、使いもしないエンフィールド銃を貰い、大事にしていた。引き継いだアンは台無しにしてしまったが、養父は敗れた旧幕府軍に対して同情とは少し異なる気持ちを抱いていたのかもしれない。時代に取り残される者達の必死に抗う姿が自身に重なったのだろう。
「仕方ないよなァ。でも何で函館?」
「船賃の問題と、エディ・ダンが丁度函館に来ているからそのまま荷物を引き渡す為らしいぜ。」
「あぁ、ダンさん・・・」
ーーそう言えばダンさんを唆して民族衣装を買い付けに樺太へ行ったんだっけ。
アンはすっかり忘れていた。
◇
オストログ狩りの決行当日になった。
尾形は狙撃は上手いが近接戦闘は苦手な男だ。夜、ビール工場近くをコッソリ周回して、周辺の状況と他勢力の動きを見ながら行動する事にした。
「お前もなるべく一緒にいろ。目を離すと碌な事しねェからな。」
「はい。」
過去のアレコレから反論もできず、アンは大人しく北鎮部隊上等兵殿に従った。正直なところずっと山小屋に篭っていたので動きたくて仕方がないが、今まで単独行動中は本当に碌な目に会わなかったので我慢している。
双眼鏡でビール工場周辺を歩きながら観察していると、街娼が何人かいるのが見えた。店で客を取らずに道端で客引きするモグリの娼婦だ。その内の一人は異様に背が高く、安物っぽい着物からふくらはぎが見える。丈が足りないようだ。
「尾形、アシリパ達の新しい仲間が女装してるぞ。他の娼婦も・・・夏太郎に白石に・・え?門倉さん?」
アンが双眼鏡を尾形に返すと、彼は双眼鏡を縦にして片目で覗き込んで確認した。
「囮だな。あの娼婦の近くに仕留め役がいる筈だ。」
「夏太郎や白石は兎も角、他2人は無理があるだろ。・・・私なら本物の街娼を使う。」
アンの一言に尾形は驚き、左目を見開いて彼女を見る。
「そんな目で見るな。勿論、身の安全は保証した上でだよ!?」
「ハッ、どうだかな。おっかない奴だ。」
邪悪な上等兵殿は何故か嬉しそうだ。
土方達にはビール工場の情報を伝える前に別れてしまった。しかし彼らがここにいるのは、見た目に反して意外に情報通だったあの石川とか言う記者が探り当てたのだろう。
しかしあんな囮ではオストログは警戒して近寄らないかもしれない。暗いとは言えアレに引っかかる程の馬鹿だとは思えないのは、一応はイギリスの組織の人間だからだ。
なかなか動きが無いので2人で火の見櫓に昇り、尾形は狙撃に備えた。
ーーする事が無い・・・
暇だが、集中している軍人に声を掛けるのも気が引けて彼の右隣に座って黙っていると、尾形が外を見ながら声を掛けて来た。
「お前は第七師団が来ると思うか?」
「多分来る。でも今夜は大丈夫だろ?・・・菊田さんは“鶴見中尉が半月後には来る”って言ってたから私は逃げて来たんだが、まだ札幌に軍隊は来てない。菊田さん達が私やオストログを捕まえたなら鶴見中尉も師団を率いて飛んで来るだろうけど、新聞にはそんな情報は無かったな。」
「お前が脱走したから、こっちに来るのを延期したんだろうな。」
「じゃあ敵は杉元達だけか。良かったァ、網走みたいなのは勘弁だからな!」
「・・・どうだろうな。」
尾形は双眼鏡から目を離さぬまま、笑っている。恐ろしく邪悪な笑みを浮かべていた。
暫くその場で待機していると、外から音がした。
何かの破裂音と鏑矢の様な空気を引き裂きながら物体が高速移動する音・・・
その瞬間、外が突然明るくなり何かが爆発した様な音がした。
「尾形、花火だ!何で・・あ、まさか狼煙代わり!?」
アンは狼狽えながらもコッソリと窓の外を確認する。土方達はキラウシに花火売りの仮装をさせていた。売り物の花火で離れた仲間に合図を送ったと思われる。
打ち上げ花火の上げられた場所を確認すべくビール工場周りに目を光らせていると、門倉娼婦の側で牛山が誰かと揉めているのに気が付いた。しかし暗いし遠いしで、よくは見えない。
「宇佐美がいる。それに・・鯉登達もな。」
「第七師団が来たのか!?」
まさかの第七師団との乱戦、再びである。鯉登達は数名だが、この後に鶴見中尉が師団を率いて来ないとは限らない。
どうやら門倉娼婦達の花火は非常事態を告げる物だったようだ。工場からガラスの割れる音がした後、今度は何故か離れた場所から二発目の花火が上がる。そちらの方に目を向けるが、暗くて何も見えない。暫くすると工場内部から低い地鳴りの様な音が聞こえて来た。
ーー何が起きているんだ?
状況がサッパリ分からないし、工場は騒がしくて何だか落ち着かない。しかし尾形と別行動を取って良いのか判断に迷っていると、尾形は何やら呟いた。
「鶴見中尉に渡っちまうな。」
「へ?」
「いや、何でもない。」
「尾形、双眼鏡を貸してくれ。二発目の花火はオストログかもしれない。こんな分かりやすい罠に引っかかるとは思いたくないが。」
アンがイギリス組織の末端構成員(?)にガッカリしながら双眼鏡を強請り、尾形は身体を動かして彼女に渡そうとしたその瞬間だった。
目の前の窓ガラスが飛び散ってアンの右腕のすぐ横を何かが凄まじい速さで横切る。
ソレは尾形の持っていた三八式歩兵銃に鈍い金切り音を立てて当たった。
「ヒェッ!?」
驚きのあまりアンは思わず床に尻餅をついてしまった。そのまま這って尾形に近寄る。
「大丈夫か、尾形?」
「お前こそな。手練の狙撃手だ、運良く避けたが・・・撃針がやられた。」
尾形の小銃、ボルトを差し込んでいる箇所に穴が開いており、もう使い物にならなさそうである。先程、牛山と取っ組み合っていた宇佐美の事を思い出した。彼は小銃を落としたままにして、鯉登達が工場に入って行くのも気にせずに何故か門倉娼婦を追っかけて行った。網走でもそうだったが、余程門倉の事が好きなようだ。
「宇佐美の落として行った銃があったから、拾って来るよ。」
「駄目だ。こうなったら一緒にいるのは危ねェかもな。お前はここで・・・いや、工場内にコッソリ侵入してオストログを誘き出せ。ヤツはお前目当てに動いていた。お前を殺す事はしないんだよな?」
「うん。」
オストログが自分を捕まえたらロンドンに戻れるらしい事は、ガオから聞いている。皮肉な事にアンにとっては、ビール工場内を彷徨く誰よりも安全な相手の筈だ。
しかし尾形の表情は不安を隠しきれていない。彼の心配を払拭する為にアンは笑顔で答えている。
「確か教会が近くにあったな。狙撃手を仕留めるか撒くかしたら俺はそこに向かう。教会で集合だ。」
「了解だ、尾形上等兵殿!」
2人は火の見櫓を降りて、別行動となった。
◇
ビール工場敷地内にあるレンガ造りの建物。出荷前のビールが並び、藁苞と呼ばれる梱包材に包まれて木箱に入れられていた。
アンは私物の入った背嚢を背負ってオストログを捜しにその建物内に入ったが、中にいたのはオストログだけでなく、土方や都丹達もいる。
彼らの許から離れて数日だが、懐かしく感じるのは一緒に過ごした時間が思ったより長かった為だろう。しかし今はもう仲間では無いのだ。より奥へと無闇に入り込めば、都丹あたりに気付かれてしまうかも知れない。
ーー納豆を包む藁みたいだな。
物陰から様子を伺うと、藁の束が縄で纏められて壁際に置かれていた。茨城出身の尾形が、空腹時のアンに嫌がらせで食べ物の話をして来た時に聞いた納豆の話を思い出す。大豆を発酵させて糸が出るまで粘り気を出した食べ物だが、彼女は食べた事は無いし、話を聞く限り食べたいとも思えず、彼の嫌がらせは失敗していた。
その納豆の藁モドキから突如火の手が上がった。
藁束から藁束へと火が燃え移り、屋内に煙が充満していく。土方達が建物内から慌てて出て行くのが見え、オストログがアンのいる方の出口に向かって来ているのに気が付いた。
ーーヨシ、来た来た!!
逃げるオストログと目が合い、アンは身を縮こませながら“キャア”と叫ぶ。彼女なりに精一杯の怖がる娘を演じながら、オストログから走って逃げた。洋装よりはまだ袴の方が動きやすく、手負いの中年男から付かず離れずを心掛けながら煉瓦の建物を走る。
彼は酷い傷を負っているようなのでアンは何度か振り返りながら距離を測って走っていたが、何故か途中でオストログがアンとは違う方向に向かって走り出した。
ーー!!?
慌てて鞭を取り出して振るい、彼の足に巻き付けると、憐れな変態殺人犯は足を取られて前のめりに転倒する。
「何スルんデスか!?離して下サイ!」
オストログは起き上がりながらアンの鞭を振り払おうと足を振り回す。
「アンタ、私を捜していたんだろ!?捕まえないとイギリスに帰れないぞ!?」
「何がシタいんデスか、アナタは!?」
いつの間にか、逃げていた筈の赤毛の娘と追っていた筈の殺人犯の立場は逆転していたようだ。アンは鞭を振り解かれても彼の足に飛びついてしがみつき、オストログの足を離さない。
ビール工場の床の上で赤毛の娘と凶悪殺人犯は揉み合っていた。
「アンタ、私を捕まえないとあのおっかない女に怒られるんじゃ無いのか!?」
「ガオさんなら、いなくなってしまいマシタよ!?あの人、勝手な女デス!!」
ーー!?
あれだけアンをイギリスに連行する事に必死になっていた清国女は失踪したようだ。任務に失敗したので身を隠したのだろうか。
「は?いや、いなくなったって・・・何でさ?」
「知りまセン!!今はアナタに構ってられないんデス!アイヌの娘を見失いマスから!」
ーーアシリパの事か!?
オストログは振り払おうとしてアンの顔を蹴飛ばし、倒れた彼女は変態の足から手を離してしまう。
「アナタにはガッカリしまシタ!男と交わって子供を作るナンテ・・・不潔デス!!」
深夜の路上で植物のように子種を飛ばし合う変態男に“不潔”と決めつけられ、憐れな赤毛の娘は蹴られた左頬を抑えたまま茫然とした。オストログは鼻で笑い走り去るが、アンは立ち上がる事すら忘れてしまっている。
しかし尾形と約束した『オストログ誘き寄せ作戦』にはこの変態男は不可欠であり、今はまだ諦める段階では無い、多分。
「誰が不潔だ、この野郎!!」
追われていた筈の赤毛の娘は怒り任せに立ち上がり、変態殺人犯の後を追った。
◇
オストログを追って行くと、彼は行き止まりで誰かと会話をしていた。相手は身長から子供である事がすぐに分かった。
ーーアシリパ!?
何故かアイヌの美少女が1人きりでいる。杉元も白石もいない。壁際に隠れて中の様子を伺うが、アシリパとオストログの2人きりだ。
オストログは少女相手に独自の持論を展開していた。“アイヌの女は東の風に尻を当てて妊娠する、聖母マリアと同じ、スゴイ(要約)”と息巻いている。しかも12、3の娘に尻を風に当てて妊娠しろ、と要求している。
ーー馬鹿か!?馬鹿なの!?馬鹿だった!!
アンは狂信的な人間が思考停止しているのは知っていたが、これ程までとは思っていなかった。一方でアシリパは狂信者を睨みつけて反論をする。
「私はアチャとハポが『ウオラムコテ』・・・愛し合って生まれたんだ!!」
ーーウオラムコテ・・互いに心つける?へぇ・・・
赤毛の娘がアシリパの言い回しに感心していると、アシリパはストゥを取り出し、オストログを攻撃。彼の膝を打って彼が痛みの余りに屈んだ瞬間、顎を殴り上げる。
アンはパチンコを構えて加勢しようか迷っていたが、あの様子なら問題無さそうに見えた。しかしオストログはしぶとかった。
「愛し合って生まれた子供?嘘!!あの女と・・・同じウソ!!」
アシリパの肩を掴み、口から血を流しながら怨嗟の声を絞り出した。彼の母親は娼婦で、王族と愛し合って生まれたと言われたらしい。もし本当なら彼は亡きヴィクトリア女王の親族になる筈だが、到底そんな風には思えないので、彼の母親はヒモの詐欺師にでも騙されたのだろう。
しかし、オストログの出自を聞いてしまうとアンは自分の恋人が頭に浮かび、僅かだが同情してしまう。しかし尾形は母親を殺しはしたが、母親に対して侮蔑の感情を見せた事はなかった。
「あんな女から生まれたなんテ・・・娼婦にしてもあの田中アンとか言う教授の娘にしてもとんでも無い淫売デス。」
「!?何故お前がアンの名前を・・・」
「誰が淫売だ!!」
アシリパの発言を途中で遮るようにして叫んだアンは鞭を振るい、オストログの背中を激しく打った。痛みで叫ぶオストログ、突然物陰から飛び出して来た知人に驚くアシリパ。
「あ・・・アン?」
「何するんデスカ!?」
「やかましい!アンタの母親はな、そりゃ薄汚くて馬鹿な娼婦だったかも知れない!それでもアンタを見て“愛し合ってできた私の息子”って言ってくれたんだろうが!!」
オストログが出自を病んで狂ったのは、やはりイギリスの階級制度がそれだけ厳しいからだろう。分かっていても何故だか無性に腹が立った。父親に“呪われろ”と言われた息子と比較してしまうからだろうか。
アンは更に続けて喋る。
「親の地位とか身分とか、そりゃ高い方が良いだろうさ!でもなァ、親の地位が高けりゃ高い程・・・その子供は馬鹿みたいな苦労をするんだよ!!」
父親の正体が判明してからここ1年半以上の、羆、第七師団、火事、第七師団、強盗、第七師団、空の旅、第七師団・・・馬鹿みたいな艱難辛苦を思い出しながらアンは絶叫した。
ほぼ尾形と鶴見中尉の所為だが、父親の血筋が切っ掛けでもあるのだ。発言の後半は完全に自分語りである。
オストログはアシリパから手を離し、ゆっくりとアンの方に向かいあった。明らかに先程とは様子が異なる。
「私はアナタに期待してマシタ。私を理解シテくれる、と。教授の娘なら、きっと・・・そしてロンドンにも帰れる、と。」
「・・・そりゃ、悪かったな。」
ロンドン市民には寧ろ幸いであるが、オストログの様子からそんな事は言えない。
「デモ、アナタは身体を汚して子供を作った。オガタとか言う馬の骨ト・・・」
オストログの背後でアイヌの美少女が目を見開いているのに気が付いた。こんな状況にも関わらず、アシリパの口角は上がっている。しかし残念ながら、今は変態の発言を訂正出来る状況では無い。オストログの殺意をヒシヒシと感じるのだ。
彼は妊娠そのものより、アンが処女では無い事に怒りを覚えている。
ーー違う!違うんだよ、アシリパ!!
アシリパのストゥは折れてしまっている。旅の間に乱用したのだろう。そもそも彼女の手助けは期待すべきでは無いので、アンは鞭を構えてオストログの襲撃に備えた。
ーー鞭で絡め取った後に気絶させて運ぶ・・・いや、この場で殺して・・刺青だけを運んだ方が良いかも。
犯罪者とは言えアンが人間を殺すのは初めてであり、緊張しながら構えていると、アシリパの背後から人の気配がした。
「誰から生まれたかよりも、何の為に生きるかだろうがッ。」
ーー杉元!!
突然現れた不死身の杉元は、オストログを相手に羆並の強さを見せつけた。しかも何やら酒臭い。
『Saichi the ripper』による撃つ・刺す・締める・壁で擦りおろす等の中世ヨーロッパの拷問も真っ青な所業に、アンは手も口も出せず固まったまま動けない。
虫の息となったオストログは窓際に立ち神に祈るが、杉元の追撃により窓から転落、外に落ちた。
オストログ誘き寄せ作戦は早々に失敗となった。
「・・・アン、久しぶりだな。」
久しぶりの再会となったアシリパに声を掛けられて、アンは放心状態から正気に戻る。
しかし非常に気不味い。現在彼らと自分は敵対関係になっている。
「杉元、アンは私を助けてくれたぞ。」
「あぁ・・聞いてたよ。」
アンは咄嗟に彼女を助ける流れになったのだが、アシリパは嬉しそうだ。一通り会話を聞いていたらしい杉元もどう振る舞って良いのか分からずに、軍帽を深く被り困惑していた様子だが、重い口を開いて喋り出した。
「田中さん・・・、尾形の子供がいるのか?」
「へ!?いや、それは・・」
「どっちでも良いよ。アンタはもう金塊争奪戦から抜けるべきだ。別に大金が欲しいわけじゃ無いんだろ?」
杉元は、尾形が関わっていなければ首を縦に振って激しく同意したい発言をしているのだが、従うワケにはいかない。アンは反論する。
「・・・アンタらだって単に大金が欲しいワケじゃないだろうが。私や尾形もだよ、抜けられ無いのはお互い様だ。アシリパはアイヌの未来の為にお父さんやキロランケさんに金塊を託されたんだろ?」
「あぁ。」
アシリパは力強く頷いている。亜港以来の再会となった美少女は、暫く会わない内に更に心が成長していたようだ。
ーーこの娘は父親の意志を継ぐことに抵抗は無いんだな。
実にアシリパらしい選択だ。しかしここで引き下がるワケにはいかない。
「アイヌの未来には確かに大金が必要だな。定住してきた民族の文化を残すには、正式な土地の所有だって必要になるからさ。でも、もっと大事な事があるだろ?」
「アン、それは何だ!?」
アシリパは驚いた顔で赤毛の娘を見るが、アンが考えている事は実は極めて根本的な話であった。
「単純な話だ、アイヌの子供をいっぱい作る事だよ。子孫繁栄ってヤツ。あと4、5年したらアシリパは杉元に頼めば良い。大金より確実だ。」
「ちょっと、田中さん!?そう言う冗談は止めて!?」
勿論冗談では無い。しかし恋のお話が大好きな不死身男は顔が真っ赤になっている。他人の恋話は好きな癖に自分の立場になると嫌がるとは、随分勝手なモノだが杉元らしい。一方のアシリパは真面目に考え込んでいる。何年か後に杉元はアシリパに押し倒される未来が薄らと見えた。・・・生きていれば、だが。
◇
尾形は突然現れた凄腕狙撃手に対抗する為、単独で行動し、ビール工場内の高い建物の階段を駆け足で登っていた。後少しで最上階に到達する、その時だった。
突然横から何者かに脇腹を蹴られ、尾形は倒れた。
宇佐美だった。
鶴見にベタ惚れの男は尾形を激しく罵りながらもひたすら攻撃を仕掛けて来る。応戦するが、柔道の心得がある宇佐美に尾形は一方的に殴られ、蹴られ、投げ飛ばされる。
間抜けな恋人を連れて来なくて良かった、と彼は思ったが、月島や鯉登に捕まってはいないかと無性に心配になる。
「何だよ、結局お前は銃にしか縋れないのか。」
倒れた尾形が目の前にある小銃に這い寄るのを見て、宇佐美は吐き捨てた。高みから見下し、舐め切った態度で弾薬を目の前に落とし尾形を挑発する。
「お前にしても、あの田中のブスにしても、所詮は鶴見中尉殿の駒に過ぎないんだよ!」
ーーアイツを『駒』として扱いこなせるヤツなんていねェよ。
「それにしても誰が一番安い駒だ、馬鹿野郎が!商売女の子供の分際で!!」
ーー安かろうが高かろうが、『駒』になっちまう時点でそんなモノ関係ねェだろうが。
尾形は舌で隠していた弾を込め、小銃を左肩の上で半転させ、引き金を引く。
発射された弾丸は尾形の背後にいた宇佐美の腹部に命中、宇佐美は腹に弾丸を喰らうも、階段を転がり落ちながら逃亡する。
「安い駒かどうかそんなに不安なら、お前の葬式で鶴見中尉がどんな顔をするか見たら良い。」
建物から騎馬で逃げる宇佐美を窓から確認しながら、尾形は銃口を向けた。
◇
突然銃声がして、アンの近くの窓が割れた。割れた窓ガラスの破片はパラパラと外に落ちていく。
ーー!?
杉元もアシリパも気付いていない。土方達と合流しようと話し合いをしている。
「どうしたんだ、アン?」
アシリパの問いかけを放置して、割れた窓ガラスから外の様子を伺う。
ーーあれは第七師団?誰か倒れて・・・宇佐美だ!!
撃ったのは尾形としか思えないが、彼はここにはいない。窓ガラスの飛び散り方から狙撃手のいる場所をあたりをつけて確認すると、隣の建物、最上階の窓に人影が確認できた。人影は直ぐに隠れてしまったが、形や動き、仕草でアンには誰かが直ぐに分かった。
ーー尾形?まさか・・・窓2つを通して宇佐美を撃ったのか!?
彼の凄まじい狙撃の腕に、アンは驚いてその場にへたり込んでしまう。そのまま狙撃手のいる窓から目が離せずにいると、狙撃手の顔から何かが“ポン”と飛び出した。
「ヒェッ!」
「アン?」
突然の出来事に、アンは目玉が飛び出しそうになる。しかしアシリパが再び話し掛けて来るので、取り敢えず誤魔化しながら返答した。
「妖怪『目玉しゃぶり』が出た。」
「・・・大丈夫、田中さん?もう帰りなよ。」
2人とも呆れていた。