ある悪人の前半生   作:土鳩

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札幌怪異記(中編)

上エ地圭二は網走脱獄囚の一人で、上半身にアイヌの金塊の隠し場所を示す刺青が入っている。

彼は、他人をガッカリさせる事が大好きだ。自分に重過ぎる期待をしていた父親がガッカリした時の顔を思い出すからである。

上エ地は心が大人に成りきれずに未だに、大嫌いだった亡き父親が見せたようなガッカリ顔を見たくて、何度も何度も他人をガッカリさせて来た。

上半身の暗号刺青の上から更に刺青をしたのもその為だ。ヤクザの若山の親分に自分の台無しにした刺青を見せてガッカリさせ、金塊争奪戦を早々に離脱させている。

 

ーー24枚無ければ暗号は解けない!

 

彼はそう思い込んでいた。

 

今、上エ地は札幌のビール工場にいる。この場には金塊争奪戦に参加している愚か者が全員揃っていた。

土方一派、海賊房太郎、白石、第七師団までいる。

一世一代の見せ物だ、彼はそう確信していた。

 

ビール工場に出火があり、集まった消防から奪った梯子を登って煙突の上に立つ。ここからなら工場に集まった愚か者共全員に、自分が台無しにした刺青が見せられる筈だ。

 

「さぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!皆様、ご注目〜!!」

 

全員の注意を引き付けるために声を張り上げた。

早く貪欲な人間達のガッカリ顔を見たかった。愛犬を殺した憎い父をガッカリさせた時の高揚感を、また味わいたかった。

彼は他人をガッカリさせた時だけ、自分の存在に価値があるのだと思えた。

 

不安定な煙突の上で全裸になり、全身に隙間なく入れられた刺青を衆目に晒す。柄だけで無く自分の名前も彫っているのは、自身をありのままに見てくれなかった家族に対する復讐か、それとも自己顕示欲の現れか。

 

「暗号はもう解けないよ〜!金塊は誰も手に入れらんないもんね〜!!」

 

ここからは上エ地の独壇場、そうなる筈だ。上エ地圭二、一世一代の大舞台である。

 

 

アンはビール工場の敷地の何処かから誰かが叫んでいるのに気が付いた。杉元とアシリパはオストログを突き落とした窓から外を見ていたが、呆れ顔で目を逸らした。

 

「誰かいるのか?」

 

アンは2人に聞くが、2人の反応はそっけない。

 

「いや、まぁいたけど・・・フリチン男を見たいなら見れば?」

 

「へ?」

 

外から誰かが怒りながら叫んでいる様だが、アンは痴漢を見たいとは思わないので、見るのは止めた。

 

ついで、何かが高い場所から落ちた音がしたが、無視した。

 

 

「今回はアシリパさんを助けてくれたから見逃すけど、次に会った時に見逃す自信は俺には無い。アンタはもう金塊には関わらないでくれ。」

 

「アン、自分の身体を大事にしろ。もうお前だけの身体じゃないんだぞ!」

 

杉元とアシリパはそう言うと、煙が充満した建物を出口目指して走り去って行った。赤毛の娘の妊娠疑惑は解消されないままだ。

 

ーー私も逃げなきゃな。

 

彼らと同じ方向に行くのも気が引け、アンは逆方向に走る。

暫く走ると階段があり、急いで駆け降りた。2階まで来たところで煙がより酷くなって来たので、窓を開けて逃げられ無いか確認するも、鞭を巻きつけられそうなモノは何も無い。

 

ーーこのままじゃ燻製か火炙りか・・・!?

 

已む無く窓枠にしがみつきながら外に出て、煉瓦の建物の庇や幕板等の僅かな出っ張りに掴まりながらソロソロと下りる。足を滑らせて落ちてもこの高さなら死にはしない、痛いだけ、と自分に言い聞かせながら外壁に虫の様にへばり付いて下りていると、突然後ろから声をかけられた。

 

「田中、貴様は何をしているのだ!?」

 

ーー鯉登!!?

 

声から樺太で別れた鯉登少尉だと直ぐに分かった。幸い(?)だが顔は見られていない。振り向いていない、否、振り向けないからだ。なので壁に貼り付いたまますっとボケる事にする。

 

「I'm American!!(裏声)」

 

「黙れ。」

 

駄目だった。

 

鯉登はアンを鞭で縛り上げた後に彼女を連れて、出て来たばかりの建物に向かう。アンが彼にアシリパの場所を案内するように言われたからだが、どうも鯉登に違和感を感じる。酒臭いので酔っ払っているのかも知れない。

 

「如何しましたか、鯉登少尉殿。鶴見中尉はどちらですかな?」

 

「黙っとれ田中!鶴見中尉殿への報告は後回しだ!私はそもそもアシリパを捜しに来たのだ。なのにどうして貴様はいつもアシリパを捜している時に出て来るのだ!」

 

青年将校は不満気にそんな事を言うが、それはアンの台詞だ。

 

ーーアシリパが第七師団に渡るのだけは避けなきゃな。

 

しかしこの男、鶴見中尉に対して不信感でもあるのだろうか。初対面の時の信奉振りが鳴りを顰めている様に感じる。

 

「何かあったのか?以前のアンタなら私を捕まえたら直ぐに鶴見中尉の下に連れて行っただろ?」

 

「フン、金塊争奪戦が最優先なだけだ。田中、アシリパはこの建物にいるのだな?」

 

「あぁ。」

 

鯉登を騙して煙る建物の出入り口に向かう。アンは、アシリパは杉元に連れられて既に外にいる筈だと考えていた。鯉登から逃げる機会を伺う為に、時間稼ぎで彼を誘導した。

 

「貴様は・・・やはり尾形に惚れていたのだな。“ぶっ殺してやる”とか言っていた癖に。」

 

唐突に鯉登がトンデモナイ発言をして来たのでアンは返答に窮した。彼の仰る通りだが、“はい、そうです”とも言えずに真っ赤になって頷く。

 

「あれだけ良い条件を出したのに逃げられるとは、正直思わなかった。」

 

ビール工場の建物の外、紐を繋いだ聞き分けの悪い犬を散歩する様に赤毛の娘を引っ張って歩く鯉登はポツリと呟いた。

 

「色々考えてくれたのは感謝しているよ。でも・・頭ではアンタの言う通りが良いと分かっていても、どうしようも無かったんだ。アンタの鶴見中尉に対する気持ちだって同じ様なモノだろ?条件の問題じゃ無いんだよ。」

 

「・・・・・・」

 

「鯉登?」

 

青年将校は黙り込んでいる。

 

ーー鶴見中尉と何かあったのか?

 

旭川の時からアンは鯉登に対して、鶴見中尉に対する忠誠を揺らがせる様な発言を繰り返してはいた。しかし彼は動じなかった。今更不信感が芽生えた理由は何だろうか・・・

 

ーー“バルチョーナク”かな?

 

やはりそれしか思い当たらない。網走でも異常に動揺していたからだ。

『苦労知らずのおぼっちゃま』はアンの知らないところで意外に苦労していた様だ。しかもそれには尾形が一枚噛んでいる。

 

「鶴見中尉殿の事をお支えする。私はそう決めたのだ。」

 

鯉登は前を向いて話している。文字通り前向きな発言にも思えるが、彼は自分と目を合わすのを避けているように感じた。

 

「『愛』とは何だろうな。」

 

「へ!?」

 

鯉登の唐突な問答に、彼はやはり酔っ払っているのかとアンは考えた。しかしそれ以前に彼の鶴見中尉に対する忠誠心が揺らいでいるのを彼女は察する。

 

「貴様はどうか知らぬが、私はどう考えても貴様を娶る気にはなれない。」

 

「・・・何言ってんだ、アンタは。」

 

恋愛感情を抱いた事の無い酔っ払い男に振られたのはこれが初めてであり、困惑した。

 

「許せ。貴様の事は嫌いでは無いが、弟の様にしか思えん。」

 

後ろ姿だが、鯉登は本当に申し訳無さそうだった。声が微かに震えて項垂れている。しかし振られた上に『弟』とはあんまりである。

 

「待て待て・・あぁ、アンタは私が捕まったら鶴見中尉に私と結婚させられるのか。」

 

「そうだ。実は月島もそれを危惧していた。私は鶴見中尉殿の仰る事には大体従うつもりだがな、流石に貴様と結婚するのだけは従えない。」

 

ーー大体、ね。

 

以前の鯉登なら鶴見中尉の全てに従っただろう。

 

「・・・なぁ、鯉登。『愛』って言うのはな、相手が何をしても受け入れる事なんだよ。例え裏切られても、相手をありのまま受け止めるんだ。文句も言わずにな。」

 

アンは幼い頃に読まされた聖書に書かれた『愛』の内容を彼に伝えた。鯉登は何とも言えない渋い顔で赤毛の娘をジットリと見る。

 

「貴様は尾形の裏切りを許せてなかったではないか!」

 

「あぁ、そうだ。私の尾形に対する気持ちは『愛』じゃない。独占欲とか執着ってヤツだよ。アンタの鶴見中尉に対する『愛』と違ってな。」

 

因みに今のところ『肉欲』は無いつもりだ。多分。

 

鯉登は動揺している。アンに気取らせないように早足になっている。もう少し揺さぶれば彼は近いウチに鶴見中尉を裏切るかもしれない、そう思いながらどう話を切り出そうか考えていると目当ての出入り口が見えて来た。中にはもう杉元もアシリパもいない筈だ、煙る建物内なら鯉登を撒けるかもしれない、アンはそう考えていたのだが、鯉登は突然立ち止まり喋り出した。

 

「誰だ貴様は。その子はアシリパだな?」

 

ーー!!!?

 

何故か目当ての出入り口からアシリパを連れた長髪男が出て来た。杉元はいない。まるで手品で男2人が入れ替わったようだ。

 

「何で!?」

 

想定外の事態にアンは焦る。

長髪男は長く美しい髪を振り乱し、軍刀を構えた鯉登に髪の毛で目眩しを喰らわせて殴りつける。

更に長髪男は拳銃を取り出して鯉登に向けるがーー

 

「離れて下さいッ!」

 

小銃を長髪男の手に当てた月島が鯉登を助けた。

 

長髪男はアシリパを抱えて煙たい建物内に逃げ込み、鯉登は鞭で胴体と腕を縛っているアンを引っ張ったまま、それを追いかける。

 

「ちょっと待て!?私は置いていけ!!」

 

赤毛の娘に対して愛も余裕も無い北鎮部隊少尉殿に、アンの声は届かなかった。

 

長髪男を追って地下まで下りる鯉登とアン。煙はあまり無いが、地下のビール貯蔵庫は酒の匂いで充満している。

何故か階段の途中で立ち止まっている長髪男が見えた。地下は樽から漏れたビールで浸水しており、酒の匂いでアンは酔いそうになる。

鯉登は軍刀を振り翳し、長髪男の背中に後ろから切りかかったが、長髪男はアシリパを残してビールの溜池を泳いで逃げてしまった。

 

「あの深手で泳いで逃げるとは・・・田中、貴様はあやつを知っているか?」

 

「河童?」

 

「もう良い!」

 

アンは煙で具合の悪くなったアシリパに声を掛けるが、彼女の反応は薄くこれでは鯉登から逃げられそうに無い。鯉登はアンを繋いだ鞭を手摺に巻き付けて、咽せるアシリパの背中を摩っている。

アンは悩んだ。アシリパが師団に渡る事だけは避けたいが、自分一人だけでも逃げようかと迷いながら鯉登の方を向いた時、ソレはいた。

 

鯉登の後ろ、びしょ濡れの、長い髪を垂らした女(?)が静かに立っている・・・

 

「ヒィィッ!!濡れ女!!?」

 

突然現れた濡れ女はよく見ればあの長髪男。彼は鯉登の隙をついてビールの川に引き摺り込み、水中ならぬ酒中を、大の男を引っ張りながら泳いで逃げる。後から鯉登を追って来た月島がアンに慌てて声をかける。

 

「何があった?鯉登少尉はどこだ?」

 

「かっ・・濡れ・・じゃなくて、長髪の男に攫われた!」

 

「・・・」

 

月島は躊躇していたが、アンとアシリパを放置して鯉登を捜しにビールの川に足を入れた。

 

 

軍人2人が長髪男と争っている間に、犬の様に鞭で手摺に繋がれていたアンは、アシリパの助けで無事解放された。

アンはふらつくアシリパを支えながら、階段を登って2人で出口を目指して歩く。アイヌの美少女は顔色が悪く足取りも危なかしい。しかし彼女を第七師団に渡すわけにはいかない。

 

「アン、なんか雰囲気が・・・変わったな。」

 

「ん?」

 

「怖くなった・・・でも、綺麗になった。」

 

「フハッ、どっちだよ!?」

 

アシリパは自分が尾形の側についている事は淡々と受け止めているようだ。やがて一階に戻り、建物の出入り口が見えた。

 

「アン、ここでお別れだ。私は杉元や土方達と行く。アンは・・・尾形と行きたいんだろう?一緒に・・・いない方が良い。」

 

「・・・そうだな。」

 

「出来れば尾形と一緒に・・いや、アン一人でも金塊争奪戦から下りて欲しい。・・・でも、駄目なんだろう?」

 

「・・・ゴメン。」

 

アシリパは一瞬寂しそうな顔をしたが口を固く結び、そのまま一人で出口を目指して去って行った。

 

ーー今度こそ逃げよう。

 

アンは建物の反対側の窓を割り外に出た。

 

「お箸、役に立った!!」

 

ーーん?

 

建物内の何処かから声が聞こえた気がしたが、いい加減に撤収したかったので戻る気にはなれない。

 

アンはそのままコソコソとビール工場を後にした。次に向かうは尾形との集合場所である教会だ。

 

 

第七師団、土方一派、消防がごった返すビール工場内をコッソリと抜け出したアンは、集合場所である教会に向かった。

深夜の教会にはひと気は無く、中は真っ暗だ。窓ガラスを割って不法侵入し、聖堂の壁に掛けられたランプ全てにマッチで火を点ける。

壁際の長椅子に背嚢を下ろして腰掛け、竹の水筒を取り出して水を飲んだ。

 

「フウ、疲れた・・・」

 

安全な場所に避難でき、赤毛の娘は漸く一息吐く。暫くそのまま長椅子に横になってボンヤリとしていたが、教会の外が騒がしい事に気付いて重い身体を起こした。

 

外から声が聞こえる。

 

ーー鶴見中尉!?何でここに!?

 

窓からコッソリ覗いたら、鶴見以下数名がアシリパと大柄な女を連れて近付いている事がわかった。鶴見の額当てが暗闇の中で光っている。彼らはどうやら教会に入ろうとしているようだ。慌てて抜け出す為に荷物を纏めようとするが、ある恐ろしい可能性にすぐに気付いた。

 

何も知らない尾形が、無防備なままここに来てしまう可能性だ。

 

アンは急いで背嚢の中にある秘密兵器を取り出して壁際の長椅子の上に置いた。逃げはしない、アンはここに留まり闘うのだ。

 

 

菊田杢太郎は鶴見中尉より先にビール工場に侵入し、アシリパを確保したが逃げられてしまった。その後、アシリパを捜索中、ばったりと尾形に遭遇する。

 

尾形は自分とは別行動だが、自分と同じく中央のスパイだ。構えた拳銃を下ろし、一言も話さずに2人はすれ違う・・・すれ違おうとしたが、澄まし顔で髪を撫で付けている尾形を見て菊田は無性に腹が立ち、彼の頭に拳骨を一発喰らわして立ち去った。

尾形は目を丸くして立ち去る菊田の後ろ姿を見ていた。

 

その後、アシリパを確保した鶴見中尉と合流する。そして消防から奪った車で逃走中にまさかの『ノラ坊』との再会を果たした。ノラ坊こと杉元を車から蹴り落とす事で鶴見中尉から庇い、更にはパルチザンのロシア女も確保した。

 

「月寒の兵営迄は距離があるので危険だ。予定は変更!!ひとまず近くにアシリパを匿う。」

 

鶴の一声で行き先は兵営から教会になった。

 

教会に到着した菊田と鶴見は、鯉登、月島、二階堂を連れていた。捕虜となったアシリパとパルチザンの女を引っ張って、教会に入るべく扉を開ける。

 

 

何故か教会に魔女がいた。

 

約1ヶ月半前に、菊田の許から逃げた赤毛の魔女がいた。

 

魔女こと田中安も自分達を見て、目をひん剥かんばかりに驚いている。

 

ーー何てこった!!

 

尾形をもっと殴れば良かった、否、“自分の女から目を離すな”と言えば良かったと心底後悔した。

 

「うわぁぁぁぁぁッ!!!」

 

突然の望まぬ再会に赤毛の娘は絶叫しながらパチンコで石を何発も飛ばして来たが、慌てているのか石は誰にも擦りもしない。彼女が飛ばした石は教会の窓を2枚割り、天井近くのステンドグラスも割ってしまう。

 

「おやおや、久しぶりだね、田中安・・・いや、アン・モリアーティ。」

 

鶴見中尉は嬉しそうだ。額からいつものアレを流している。欲しがっていた女を一度に2人、オマケにもう1人手に入れたのだから当然である。そして赤毛の娘を『アン・モラン』ではなく、敢えて『アン・モリアーティ』と呼ぶのに鶴見中尉の意図を感じた。

 

しかし菊田は絶望していた。

 

初手の攻撃を失敗し、月島に押さえつけられた赤毛の娘。ソワソワと上目遣いをする彼女と菊田はバッチリ目が合ったのだ。

 

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