ある悪人の前半生   作:土鳩

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札幌怪異記(後編)

深夜の札幌の教会、鶴見篤四郎は菊田、鯉登、月島、二階堂に逸れた他の兵士を捜させに行かせた。そして教会内を見回った後、聖堂にて捕虜の女3人と向かい合う。

 

捕虜3人は、自らの過去に因縁があるパルチザンの女とアイヌの少女。そして鶴見とは全く無関係だった、イギリス人と日本人の間に生まれた赤毛の娘である。3人とも後ろ手に縛られて長椅子に拘束されているが、揃いも揃って油断がならない者達である。赤毛の娘に至っては、小型の打ち上げ花火を持ち歩いていたらしく、長椅子の上に置きっぱなしにしていた。彼女の血筋から考えても、とんでもない危険人物である。

しかし鶴見は敢えて赤毛の娘を他の2人と別の長椅子に座らせてこの場に置いている。とある目的の為だが、彼女と面識が無いロシア人の女は、鶴見自身と謎の娘の存在に戸惑っている。

 

「オマエら誰だ!!」

 

ロシア女は後ろ手に縛られても強気な態度を崩さない。一方で赤毛の娘はオロオロとして落ち着きが無い。

 

「え?えぇと、田中と言います。」

 

ーーこの娘の口、今は邪魔だな。

 

鶴見は赤毛の娘にだけ手拭いで猿轡を噛ませた。彼女に自由に喋らせると碌な事にならないのだ。

 

「ゾーヤさん、この娘は気にしないで下さい。」

 

鶴見は2人の指の骨を出しながら、自らの失われた妻子の話を切り出す。

 

「長谷川サン?」

 

ゾーヤこと、ソフィア・ゴールデンハンドは黙った。

アシリパは大人しく聞いているが、赤毛の娘はソワソワと落ち着きが無い。3人の女達の反応を見ながら、鶴見は穏やかに金塊争奪戦の発端を語り出した。

 

約50年前、アイヌの金塊でロシアから武器を買おうとしたアイヌ達がいた。結局その計画は頓挫したが、手付かずの金塊の隠し場所を知るキムシプと言う老人の存在を鶴見達第七師団とウィルク含むアイヌ8人がほぼ同時に知る事となる。鶴見は8人のウチの1人である有古の父親に接触し、ウィルクの存在を確認、仲間割れをさせる情報を流して殺し合いを誘発させた。

ウィルクは仲間と自らの頭の皮を剥がし、目をくり抜いて死を偽装したが、鶴見に見つかり犬童の許に逃げ、『のっぺらぼう』となる。

一方でキロランケは仲違いしてはいたがウィルクの死を悲しんだ。しかしのっぺらぼうがウィルクである事に気づき、当初の予定通り北海道に引き籠もらずに帝政ロシアや日本と闘う事を彼は選んだ。

 

「全ての元凶はどこにあると思う?」

 

仲間のアイヌ達に身の上を隠していたウィルクか、キロランケが日本に渡るキッカケとなったアイヌの金塊の話か・・・

 

「更に言えば・・フィーナとオリガも」

 

ここ迄を話し、鶴見は3人の女達を改めて観察する。

ソフィアは口を固く結び項垂れている。アシリパはそんなソフィアの様子を心配そうに見ていた。赤毛の娘は何やら考え事をしているようで下を向いている。彼女に猿轡をさせたのは正解だったのかも知れない。

 

「私の妻と娘を撃ったのはウィルクだ。」

 

鶴見はそう言い放ち、ウィルクが自ら剥いだ頭の皮を被る。

 

 

「私の愛する娘、アシリパ、私の娘。」

 

 

アシリパとソフィアは顔面蒼白となり鶴見を見ている。しかしその一方で、全くの部外者である赤毛の娘は“ヴェッ”と何かを堪えていた。

 

鶴見は恨みからでは無く、飽くまで日本の為、死んでいった兵士達の弔いの為に北海道、満州、やがてはウラジオストクを支配すると言う目的を彼女達3人、そして脇の部屋で聞き耳を立てているだろう部下達に言って聞かせた。

 

「日本の分断は軍人として私は許せない。」

 

鶴見はアシリパを揺さぶり選択を迫る。極東連邦や蝦夷共和国では駄目なのだ、と。

各地から集まったアイヌ達は独立を夢見て金貨を作ったが、結束しきれなかった彼らの金貨はマダラ模様。結局金塊はアイヌに災厄をもたらし、『ゴールデンカムイ』に魅せられた者達は殺し合う。

 

「金塊を放棄しろ、アシリパ。暗号の解き方を既に知っているのだろう?」

 

「アシリパ、駄目ッ!!」

 

「はへふは、はひひはッ!!」

 

ソフィアと赤毛の娘は項垂れたまま答えに迷っているアシリパを止めようとしている。ソフィアは亡くなった同士2人の為、赤毛の娘は中央に繋がる尾形の為。

鶴見はどちらにしようかと迷ったが、ソフィアの頭にウィルクの皮を被せて彼女の呼吸が出来ぬように鼻と口を塞ぐ。赤毛の娘は真っ青になって黙り、アシリパはソフィアの為に重い口を開いた。

 

「私しか知らないアチャのアイヌ語の名前・・・」

 

「それは何だアシリパ。教えなさい。」

 

鶴見は努めて優しく尋ねる。

 

 

「ホロケウオシコニ」

 

 

漸くアシリパの口から金塊の暗号が溢れる。

教会の扉が開き、外から有古が入って来た。鶴見はそれに気付くも今はそれどころでは無い。鞄から全ての刺青人皮を取り出して教会の床にぶち撒ける。

 

「鶴見中尉、土方歳三のアジトを伝えに来ました。今なら一網打尽にして向こうの刺青人皮を奪えます。」

 

有古はそう伝えに来たが、勿論本当の目的は違うだろう。彼はあの、ウィルクと共にアイヌを守ろうとした男の息子なのだ。軽く揺さぶりを掛けたら案の定銃口を自分に向けて、刺青人皮を全て渡すように要求してきた。

その瞬間・・・

 

隣室に隠れていた月島が扉を開けて有古の肩を撃ち、縄を解いたソフィアが長椅子を鶴見に投げつける。

アシリパとソフィアは有古の指示で2人で逃げ出した。

 

長椅子に引っかかって開ききらない扉を、月島は必死に開けようとしているが鶴見が邪魔となり扉は開かない。逃げるアシリパは赤毛の娘の事を心配そうに振り返るが、赤毛の娘は床に散らばった刺青人皮を夢中になって見ている。天才数学者の娘の、素早く動く目の動きを見れば一目瞭然であった。

 

ーー彼女らにはもう用は無い。田中安が残れば良いのだ。

 

土方達はおそらく、かなりの枚数の刺青人皮を集めている。偽物が混入しているとは言え、安心は出来ない。鶴見は彼らより少しでも早く暗号を解かなくてはならない。赤毛の娘にも話を聞かせたのはその為だった。

 

月島と鯉登は隠れていたのも忘れ、教会から外に飛び出して行く。教会には鶴見と赤毛の娘、2人きりだ。

 

「苦しい思いをさせたね。」

 

優しく声を掛けて赤毛の娘の猿轡と縄を解いた。彼女は戸惑いながら鶴見を見ている。

鶴見はこの娘を金塊争奪戦に関わらせたくは無かった。しかし尾形が彼女を造反に巻き込んだ以上は仕方が無い。

 

「造反に関わった件に関してはいずれ話してもらうが、今はこちらが先だ。君になら解けるだろう?」

 

 

アンは頭を必死に回した。刺青人皮を見ながら今までの情報を整理する。

 

其の一、ウィルクはアシリパに金塊を託してアイヌの為に戦わせるつもりだった。しかしアシリパは漢字の読み書きはほぼ出来ない。

 

其のニ、パルチザンや刺青囚人の内、最もウィルクに近い思考を持っていたのは土方歳三だ。そして彼がキッカケで囚人は脱獄している。土方もアシリパ同様にウィルクの後継者の可能性がある。

 

其の三、脱獄した囚人は皆、小樽に行くように言われていた。これは後継者のアシリパが刺青人皮を集めるのに都合が良いだけだからだろうか?

 

其の四、マダラ模様の金貨は支笏湖のあたりで見つかった。ウィルクが犬童の許に行く事にしたのもその辺りだ。

 

其の五、キムシプは小樽出身だが見つかったのは登別である。彼は半世紀前、ロシアから武器を買おうとしていた。武器の運搬は勿論海路の筈、受け渡しは港になるだろう。

 

其の六、暗号の鍵は『ホロケウオシコニ』

 

ーーあるとすれば、北海道の南西部もしくは大きな港のある町辺りか?ただ小樽や支笏湖より更に北や東とは考えにくいが、ありえなくも無いような・・・

 

思考を中断して次は刺青人皮を確認する。人皮の前にしゃがみ、恐る恐る手に取って確認した。彼らは波瀾万丈な人生を送った囚人達だ。彼らの突然断たれた人生を思いながら模様を観察していると、ふと10枚以上はある刺青人皮、その中、一枚の刺青に目が止まった。

 

「慶さん・・・こんな所にいたんだ。」

 

稲妻強盗・坂本慶一郎の上半身の皮。

 

「そう言えば君は『聖徳太子』の名付け親だったね。」

 

「はい。私に初めてアイヌの金塊と刺青の詳細を教えてくれたのが、稲妻夫婦でした。ちゃんと見たのも彼の刺青だけです。」

 

津山も若山も姉畑も白石のも、チラッと見ただけであまり覚えていない。しかし稲妻の刺青だけは、アンは漢字だけで無く模様まで完全に覚えていた。

 

「金塊争奪戦に必要な知識を彼らに与えられてしまった、危険な知識を得てしまった。君にとってはあの夫婦は『失楽園の蛇』だったのだな。」

 

鶴見は苦笑いしながら話すが、アンは素っ気なく答える。

 

「私、あの話は好きじゃない。」

 

エデンの園で平和に暮らしていたアダムとイブは、神に禁じられた知恵の実を食べた為にエデンを追放となった。イブを唆して知恵の実を食べさせたのは、蛇に化けたサタンである。

しかしいくら悪魔に唆されたとは言え、知恵を付けた事を罪とするのは如何なモノだろうか。何も知らないまま、神の事を盲信したまま、神の美しい箱庭で飼われるのは果たして幸せと言えるのだろうか。

神の許を去り、限りある命と知恵を使って懸命に生きる事を不幸な事だとは思いたくなかった。

 

ーー慶さん言ってたな。“走り続けよう、誰かが俺達の息の根を止めるまで”って。お銀も“立ち止まったら死ぬ”って。

 

稲妻の刺青を見ながら、夫婦を思い出す。

 

ふと、暗号とは全く関係は無いが、アンが探し求めていた答えが見つかった気がした。

その答えは余りにも刹那的な内容で、しかしそれ以外には方法が無いと思われて、呆然としたまま両手の上に広げた稲妻だったモノを落としてしまう。

 

「どうしたんだね?」

 

「いえ、ちょっと・・・全く関係無い事です。」

 

鶴見の問いかけに固まったまま答えるアンの頭の中、自分には罪悪感が無いと言い張る男の顔が思い浮かんでいた。

しかし今は刺青の暗号を解かなくてはならない。鶴見に強制されてはいるが、自分がやりたかった事で尾形の為にもなる事だからだ。

 

「アシリパは漢字が読めない。何故ウィルクは漢字を刺青に入れたのか・・・」

 

「もしかして漢字そのものの意味より、『音』に意味が?」

 

「いや、漢字は絵が進化したモノだから、同じ部首が入っていた方が?」

 

アンは一生懸命にブツブツ言いながら考えている。彼女の独り言に鶴見は耳を傾けて満足そうに眺めていた。まるで知育玩具で遊ぶ子供を見る父親の顔の様に見えたのは、アンの気のせいだろうか。生きていれば鶴見の娘とアンは歳が近い。

いつの間にか月島や鯉登、菊田が教会に戻って来ていたが3人とも、熱心に刺青人皮を一枚ずつ眺める赤毛の娘を見て呆気に取られていた。

 

 

「分かった!」

 

死刑囚達の上半身の皮に囲まれ、その中心に座った赤毛の娘は叫んだ。暗号解読を始めてかれこれ2時間程が経過している。

 

鶴見の目の前で、赤毛の娘は死刑囚の皮を一生懸命に並べている。どのような法則で並べているのか尋ねるが、彼女には聞こえていないのかブツブツと言いながら皮を重ねていく。

 

「出来ました!うん、間違い無い!!」

 

「何だね、それは。」

 

鶴見の目には、彼女は適当に並べた様にしか見えなかった。

 

「この、他の線に横切らせていない線だけ見て下さい!ほら、アルファベットのVの字とその上にひっくり返っているV字があります。」

 

「ふむ?」

 

よく分からなかった。しかし赤毛の娘は何やら興奮している。

 

「下のV字は定規の印、上の逆V字はコンパスです。・・・これは、フリーメイソンの象徴ですよ!」

 

「ふりーめいそん・・・」

 

鶴見は絶句した。

 

フリーメイソンこと、『フリーメイソンリー』は起源がはっきりとしない。設立したのはテンプル騎士団、石工職人、建築家集団等諸説あり、彼らの集会では儀式や講義が行われた。イギリスやアメリカにはこの集団の会員が高い地位に就いている事もあり、政治的、宗教的にも非会員と対立する事が多々あった。

 

「ウィルクは日本人では無かった。大陸から渡って来たんですよね?彼にはポーランド人の血が流れている・・・もしかしたら金塊は彼らに使われてしまったかも知れません。」

 

赤毛の娘は頬を紅潮させ、イギリス発祥説のある秘密結社の陰謀論を声高に説く。目が本気でちょっと引く。

挙句の果てに彼女は、会員かも知れないアメリカ大統領のルーズベルトによってパナマ運河の難航している工事費用に充てられたのでは、とか言い出した。

 

「分かった、もう良いから。」

 

意味不明な陰謀論に10分程付き合わされた鶴見は、溜息を吐きながら赤毛の娘に休憩を促した。まだまだ喋り足りなさそうな彼女は、渋々と言った様子で長椅子に座り水筒を飲み出す。

 

ーーいつもの嘘だろうか、しかしそれなら見逃す筈はない。頭が良すぎて考えが飛躍したのか?

 

鶴見は相手が嘘をついているかどうかを見分けられる自信はある。彼女はまさか本気でこの意味不明な自説の陰謀論を正しいと思いこんでいるのだろうか。

埒があかない。仕方が無しに自力で暗号を解読する事にした鶴見に、赤毛の娘が飲み終わった水筒を背嚢にしまいながら話しかけて来た。

 

「鶴見中尉殿。今何時でしょうか?」

 

「・・・午前4時だが?」

 

2時間を無駄にした、そう苛立ちながらも死神将校は答えてやる。

 

「そうですか・・・」

 

赤毛の娘をもう一度拘束する為に鶴見が月島に声を掛けようとした瞬間、

 

パリンッ!!

 

鶴見の背後で何か固くて薄いモノが割れるような高音の破裂音がした。

 

数秒遅れて響いたのは三八式の発砲音。

 

「伏せろ!!」

 

何処か遠くから狙撃されている事に直ぐに気付いた教会内の軍人全員と捕虜の娘は、慌てて床に伏せた。

 

ーー尾形か?

 

敏腕狙撃手の元部下の顔が鶴見の頭に過ぎる。以前の彼なら誰かの頭に当てただろうが、樺太で利き目を失って腕が落ちたのだろうか。

鶴見は床に伏せながら捕虜の娘を見遣る。

彼女は自らの背嚢を抱えたまま、聖堂の長椅子の下に潜り込んでいた。その表情は恐怖に怯えるでも無く・・・

 

ーー笑っている?

 

やられた、と鶴見が気付いた時にはもう遅かった。

赤毛の娘の視線の先、壁に掛けられたランプは狙撃手によって破られ、砕け散ったランプから火種がその下に落下。

 

割れたランプの真下にあるのは、赤毛の娘が持ち込んだ小型の打ち上げ花火。

導火線に既に引火している。

 

「全員、椅子の下に・・・!!」

 

夜明け前の厳かなプロテスタント教会内部に花火モドキが打ち上がった。

 

 

教会内は紅白の粉状のものが漂っている。アンが花火の玉を解体して火薬の代わりに詰めた白粉と唐辛子の粉末である。色が紅白なのでめでたそうだが、非常に邪悪な組み合わせの粉末だ。

打ち上げ花火は筒の底に発射の起爆に使う火薬があり、その上に花火の玉を入れる構造であるが、アンは玉だけを改造していた。

尚、現代に於いて花火の改造は火薬類取締法第58条により罰則が適用されるので、絶対に真似をしてはならない。

 

ーー思ったより上手く行った!

 

鶴見以下3名(味方の菊田含む)は白粉で激しく咽せて唐辛子の粉で碌に目が開かなくなっている。それでも動こうとすれば、何処かにいる山猫狙撃手の発砲音が彼らを牽制した。軍人達の怒号と咳が響く中、アンは手拭いで鼻と口を覆い、無防備な軍人達の間をすり抜けながら、コソコソと聖堂から月島達がいた部屋に移動する。入口は菊田がいたので、彼にこれ以上の迷惑をかけない為に入り口の使用は避けた。逃がしたと思われたら彼の命が危ないからである。刺青人皮にはもう用はない、並べずとも頭の中で組み立てている。

 

アンはそのまま隣室の窓から、明け方前の大混乱の教会を脱出した。向かう先は割れたステンドグラスを通してランプを撃ち抜いた、自分の大切な上等兵殿が待っていると思われる方角である。

 

 

「尾形!」

 

明け方の小雨の降る札幌、建物の陰からこちらを伺っている男の存在に気付き、アンは思わず彼に飛びついた。離れていたのは半日以下だが、酷く懐かしく感じたのだ。

 

「よく逃げて来たな。酷い有り様だ。」

 

「尾形?その右眼・・・」

 

「義眼だ。」

 

彼はいつの間にか土方の金で義眼を作っていたらしい。見た目の問題もあるが、眼窩の形態維持等の役割もあるので、土方に勧められたのだ。

尾形の声は妙に優しい、彼らしく無い。飛びついたアンをそのまま強く抱きしめていた。アンは尾形の胸元に顔を埋めながら報告を続ける。

 

「怖かったけど、アンタが花火に着火してくれたから何とかなったよ。」

 

「ハッ、窓とステンドグラスを割ったのはお前だろうが?」

 

アンがパチンコでワザと割った三つの窓は尾形に教会を警戒させる為。そしてランプを狙撃し易い様に中の様子が外から分かるようにする為。

 

「アンタなら分かってくれると思ってたよ。」

 

「双眼鏡で中の様子を見ながら、ずっと冷や冷やしてたんだぜ?暗号は解けたか?」

 

「あぁ、勿論だ!鶴見中尉には秘密結社の陰謀だと嘘を吐いたけどな。」

 

「ハハァッ、何だよそりゃ!」

 

嘘と言うより完全な法螺話で中尉は信じていなかったが、暗号を解いたと聞いた尾形は嬉しそうだ。アンを抱きしめる力が更に強くなっている。

 

「尾形、五稜郭だよ。金塊は五稜郭にある!最初は六芒星かと思ったけど、あの形は間違い無く五稜郭だ!」

 

「函館か・・・よくやってくれた。ちょっと頭が粉っぽいがな。」

 

「うん。」

 

「・・・・・・」

 

会話は止まったが、金塊の暗号が解けた興奮は互いに冷めない。そのまま暫く無言で抱き合っていると、尾形はアンの耳元でポツリと呟いた。

 

「したい。」

 

「へッ?」

 

恋人に突然“死体”と呟かれ、吃驚したアンは顔を上げて彼の表情を伺う。

 

尾形の顔に胡散臭い笑みが浮かんでいた。赤毛の娘がヤバイ、と気付いた瞬間にはもう遅く、助平な上等兵殿はアンの手を引っ張って走り出す。

 

「雨が無きゃ外でも良かったんだがな、この時間じゃ蕎麦屋は開いてねェか?」

 

「ちょっ・・ちょっと待て尾形!何で!?」

 

「妊娠騒ぎで一月半も我慢してたんだよ。」

 

どうやら彼はアンの妊娠を恐れて我慢していただけの様だ。腕を引っ張る力の強さに子孫を残したいと言う生物の本能を感じた。妊娠の不安より生存本能が勝った様子である。

 

 

尾形に引っ張られるまま走っていると、目の前の蕎麦屋から女将らしき人物が出て来た。店自体は閉まっているが、開店準備でもしているのだろうか。それに気付いた尾形はその蕎麦屋目掛けて足を速めるが、ある事に気付いたアンは必死になって助平男を説得する。

 

「あっあの店は駄目だ!他の店にしよう!!」

 

「は?何でだよ。」

 

「女将と知り合いなんだよ!」

 

「丁度良いじゃねェか。」

 

何が丁度良いのかサッパリ分からないまま、尾形は知人の蕎麦屋に向かってアンを引き摺ったまま歩いて行く。ここは以前にジャック・ザ・リッパーの調査で立ち寄った店である。

 

「女将、空いてる部屋はあるか?」

 

「ちょっと軍人さん!?今はまだ・・・ん?アンちゃん!?」

 

見えない様に顔を伏せていたが、赤毛のせいで直ぐにバレてしまった。アンは真っ赤になって断ろうとするが、女将はアタフタしながらも嬉しそうに中に案内してくれる。凄くありがた迷惑である。

 

「アンちゃんにこんな男前の良い人がいたなんてねェ、ごゆっくり。」

 

2階の空き部屋に案内されると同時に、女将は嬉しそうに出て行ってしまった。ピシャリと音を立てて襖が閉められる。

 

四畳半の小さな畳の部屋には布団のみ。

部屋にいるのは呆然とするアンとご満悦な尾形のみ。

 

「お・・おが」

 

アンは何か逃げの言い訳を言おうとしたが、直ぐに口を口で塞がれて布団の上に押し倒された。

 

 

ーーウコチャヌプコロでも、オチウでも無かった・・・これがウオラムコテ!?

 

明け方の蕎麦屋の二階、尾形と一つの布団に同衾したまま、アンはアシリパの言葉を思い出していた。布団の周辺には2人分の服が散らかっているが、頭がボンヤリして身体が動かない。アンは今までにこの男と何度も致しているが、この時ほど満たされた気持ちになった事は無かったのだ。小1時間程ヤリたい放題していた助平殿は直ぐ隣で静かな寝息を立てている。

 

ボンヤリ寝転んだまま尾形の顔を見た。よく見ると殴られた跡や鼻血を出した様な形跡があり、宇佐美あたりにやられたと思われた。その顔は死ぬまで何かと戦い続ける戦士の顔に見える。血生臭く平穏とは程遠い人生だが、歴史上の人物にはそう言う人間は山ほどいる。

 

「・・・走り続けよう。」

 

ポツリと呟くと、寝ていた助平が目を覚ました。赤毛の娘の茶色い瞳と男の漆黒の瞳が至近距離でかち合う。

 

「おはよう、尾形。」

 

「あぁ・・・」

 

2人してノロノロと起き上がっていると部屋の外から女将に声を掛けられた。アンは慌てて着物を羽織り襖を少し開けると、廊下の女将が盆に乗った何かを持って来ているのに気付く。ソレに気付いた瞬間、アンの全身の血が頭に上った。

 

「女将さん・・・ソレは・・」

 

「ふふ、昨日私の姪っ子が祝言を挙げてね、そのお土産に渡された物のお裾分けよ。ほら丁度良いし、2人とも朝ごはんまだでしょ?」

 

ーーはっ恥ずかしい!!やめてくれ!?

 

よりにもよって赤飯と吸い物が二人分、お盆の上に載っている。彼女は土産だとかお裾分けだとか言っているが、赤飯は炊き立てで湯気が出ており、明らかにアン達用に炊いたモノである。めでたいからとか何とか言いながら、女将は赤飯をアンに押し付けて一階に戻って行ってしまった。

 

「・・・何で赤飯なんだよ。嫌いじゃねェが。」

 

尾形は寝起きでボンヤリしながらも箸を取ったが、恥ずかしそうに赤飯の茶碗を持っているアンを見て吹き出した。

 

「笑うなよ!」

 

「ハハァッ、お前の知人の店だったよな、そう言えば。」

 

「・・・これも大人の『祝福』ってヤツだよ。」

 

赤毛の娘が恥ずかしそうに言った『祝福』の単語に尾形は反応して顔を上げるが、彼は苦笑いしながら訂正する。

 

「お前の知人なんだからお前に対する『祝福』だろ?」

 

「この場合は2人に対する『祝福』だよ。」

 

「・・・そうか?」

 

彼は躊躇いながらも茶碗を持ち、赤飯の一口分を箸で口に運ぶ。アンは何となく恥ずかしくて赤飯に手をつけられずにいると、尾形が赤飯を咀嚼した後にポツリと呟いた。

 

「うめェな、『祝福』ってヤツは。」

 

「尾形・・・」

 

ずっと孤独だった上等兵殿が何気なく漏らした一言に、赤毛の娘は感極まり泣きそうになった。

 

 

2人は身支度を済ませた後、蕎麦屋の女将さんに感謝を伝えて店を出た。

既に日が上り朝になっている。周辺住人への聞き込みで土方・アシリパ連合は既に蒸気機関車で札幌を経って函館に向かっているらしい事が分かった。暗号が解けたのか、元々そこに向かう予定だったのかは不明だ。

 

アンと尾形も蒸気機関車に乗る事にした。朝の札幌駅、並んで機関車を待っていると黙っていた尾形が重い口を開き、喋り出した。

 

「ここからは金塊争奪戦も佳境に入る。死ぬなよ?」

 

尾形の表情は真剣だ。

 

「フハッ、当たり前だ。イギリスに行って金持ちになる迄死んでたまるか!アンタも中将になる迄死ぬんじゃないぞ?」

 

正直最初からずっと佳境だった様にも感じたが、元気良く返事をしてやる。しかし彼は一瞬何か言いたげな顔を見せた後に目を逸らし、何処か遠くを見ていた。

 

「尾形?」

 

「・・・お前は地位や名声、金が『大人の祝福』だと言ってたが、俺が中将になりたい理由は違う。」

 

「あー・・・そうなのか?」

 

「中将なんざ俺みたいな欠けた人間にも務まる程度のつまらないモノだと証明したかっただけだ。その為に中央に従いつつ危険人物の鶴見を利用する・・・お前には理解出来ないだろうがな。」

 

尾形は顔を背けたまま喋っている。赤毛の娘は強欲だが自分の欲望には真っ直ぐだ。彼は、自分の中将になりたい動機が酷く詰まらないモノだと感じたのだろうか。

 

ーーそんな理由だったのか。

 

アンは今更動機について彼を非難する気持ちは無い、尾形の軍服の袖を掴んで反論する。

 

「アンタの動機なんてどうでも良いよ。私は豪華な軍服を着たアンタを見たい、それで良いじゃ無いか。多分似合うよ。」

 

「フッ、酷い動機だな、助平女め。」

 

尾形は髪を撫で付けながら愉快そうに笑った。

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