ある悪人の前半生   作:土鳩

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次回で最終回となります。


落魄れた放蕩者(後編)

鶴見中尉こと鶴見篤四郎は、尾形百之助によって暴走列車と化した蒸気機関車運転台に乗ったまま、不死身の杉元と共に函館港に沈んだ。

 

多くの犠牲を払いながらも、彼は何も手に入れられ無かった。

金塊も、権利書も、いずれ満州と亡き妻子の眠るウラジオストクを日本領にすると言う夢も。

 

そして、胸元に大切にしまっていた妻子の小指の骨は、杉元との闘いの最中に失われた。

意図的に愛で結びつけた4人の腹心の部下達も、もういない。1人は死に、他の3人は自分から離れて行った。

 

残されたのは反逆者の汚名のみ。

 

このまま海中に沈み、志半ばで死んでいく事を覚悟したが・・・彼が意識を取り戻し目を開けると、目の前には真っ暗な中に砂金をばら撒いた様な美しい光景が広がっていた。当初、杉元の隠し持っていた砂金が海底の暗闇の中に散ったのかと思ったのだが、違う。呼吸ができる。

 

ーーここは?

 

生存本能から無我夢中で泳ぎ、函館の海辺に漂着した鶴見が意識を取り戻した時は、既に真夜中となっていた。機関車沈没から12時間後の事である。

彼が海底の暗闇と思ったのは夜空、砂金と思ったのは満天の星。

 

美しかった。

欲望のままにかき集められた砂金より、ずっと美しいと思えた。

 

ーー『汝の星に従え!さすれば汝は栄光の港にたどり着こう』・・・か。

 

彼が昔読んだ本に出てきた言葉だ。

『星』には使命や希望と言った意味があり、地獄では『星』が見えない。それ故に地獄なのである。

 

ーー私にはまだ『星』が見える。

 

身体のあちこちが痛むが無理矢理立ち上がり、辺りを伺う。杉元はいない、少し安心した。

 

ーーまだだ、まだ私には出来る事がある筈だ。

 

何となくそう思えた。

全てを失ったにも関わらず、爽快感すらある。

重い身体を引き摺りながら、あの状況から自分が助かった意味を必死に考える。地位も名誉も夢も過去も全て失った、だが命は残されている。何か意味がある筈だ、と。

自分はまだ使命を果たせていない。生きていれば必ず機会は巡って来る筈だ、しぶとく生き延びなければならない。鶴見は自らにそう言い聞かせながら、海辺から町の方角に歩みを進めた。

 

 

2カ月後、小樽。

 

アンは尾形と一緒に夜の小樽の町を歩く。この町は彼女が生まれ育った町だ。家出をして北海道を彷徨う生活になったが、一番思い入れのある場所である。

山に囲まれた町、山々にはアイヌのコタンがある。視界に入る山の何処か、遠過ぎて見えないが友人だったアシリパが、杉元や白石と一緒にいるのかも知れない。彼らに最後にあったのは暴走列車の上だった。もう会う事は無いだろう。

 

今夜、アンは小樽を、住み慣れた北海道を去って見た事も無い異国に行く。もうこの地には戻れないかもしれない。でも隣を歩く男と約束した、死ぬまで走り続ける、と。彼が罪悪感から、弟の亡霊から逃げ続ける為の唯一の方法と思えた。

 

2人が暫く歩くと小樽の兵舎跡地に来ていた。兵舎が全焼して一年半以上経つが建て替えられる事なく、更地には背の高い雑草が生えていて、広い敷地は薮のようになっている。全てはここから始まった。

 

「ほら尾形、やっぱりいたよ。」

 

アンは左手でランタンを翳しながら、跡地の一角を示した。その場所は以前に執務室のあった辺りだ。犯罪を犯し続けた者は、最初の犯罪に深い思い入れがあると聞いた事がある。犯人は犯行現場に戻るとも聞いた。

彼の行為は反逆として扱われているが、彼には彼の理由があった。常に同朋や母国の為に動いていた。

 

「お久しぶりですな、鶴見・・・篤四郎殿。」

 

尾形が彼に声を掛ける。

鶴見の額にはあの琺瑯の額当てが無く、頭の傷は包帯で覆われている。身なりはいつもの肋骨服では無く、スーツを着ていた。彼はこちらをチラリと見ると、あまり驚く様子も無く語りかける。

 

「中央に私を差し出す為に来たのか?・・・いや違うな、何の用だ?」

 

「中央には切り捨てられましたよ。」

 

アンは答えた。

菊田が中央からの電報を持ってアンの病室を訪れたのは、彼が中央に電報を送った2日後の事だった。菊田の険しい表情で、アンは全てを悟った。

菊田は結局陸軍をやめて、有古のコタンの近くで暮らす事に決めたらしい。中央の口封じを心配するアンに対し“俺にはノラ坊がついてる。アイツにゃ誰も勝てねぇよ。”と誇らしげに笑っていた。しかし、『ノラ坊』とは何なのか。菊田に懐いてる野良犬か野良猫の事だろうか。きっと狼のような強く獰猛な犬なのだろう。

 

尾形が鶴見に対し、要件を切り出す。

 

「武器商人トーマスの船に追加で5人乗せて頂きたいのです。船室が無いなら武器庫で構いません。」

 

『トム』はトーマスの略称である。イギリスの組織を知っており小樽に縁のあるアメリカ人のトム・・・該当者は他に知らない。そして、トムがアメリカに連れて行く知人と言うのも、直ぐに分かった。

 

「随分と厚かましい要求だな。それに、私がトーマスに頼ってアメリカに行く事を、何処で知ったのだ。」

 

鶴見の目が鈍く光る。

 

「イギリスの秘密結社の手の者から聞いたんです。向こうから接触して来ました。」

 

「フリー・・・じゃ無いな。お父上のか!」

 

アンの返答に鶴見は目を見開いた。彼にとって、あちら側からの接触は想定外だったのかも知れない。

 

「私は尾形達と一緒にアメリカに渡り、大陸を横断後にイギリスに渡ります。その・・私と尾形だけでは多分難しいので、彼らにも協力を頼みました。5人で私が継ぐ筈だった組織を夫から取り戻します。」

 

5人、尾形達、取り戻す・・・鶴見は赤毛の娘が何をしようとしているのか検討がついたようだ。

 

「無謀ではないか?たったの5人、しかも英語を使えるのは1人だけ、玉井君達だって日本を離れるのは渋るだろう?」

 

今、玉井達は小樽港でトーマスの船を探しながら3人を待っている。当初一番イギリス組織の話を信じていなかった岡田が少し信じる気になったのが、他の2人が動いた理由だ。ガオに感謝する。

 

「彼らには今の日本国内に居場所はありません。中央政府が手出し口出しを出来ないくらいにイギリスで力をつけてから、彼らを日本に帰らせます。」

 

鶴見は呆れながら溜息を吐いている。希望的観測すぎるのはアン自身、承知の上。凶悪な毒虫の巣の中に裸で飛び込む様なモノだ。だからこそのアメリカ大陸を西から東に向けての横断、つまり修行である。西太后が亡くなってからガオが合流できるまでの時間潰しでもあった。

 

「夫を始末して組織の頂点に立つ、そしていずれは鶴見さんに恩返しが出来たら、と考えています。」

 

「恩返し・・・?私が何をしたと?」

 

「励ましてくれました。」

 

「記憶に無いな。」

 

鶴見はアンから目を逸らす。しかし暴走する列車の上、彼は毒矢に倒れた自分を見て何か喋っていたように思えた。この際、その記憶が幻覚でも幻聴でも構わない。実際に励まされた。

 

「その、何と言いますか・・・ちょっとだけですけど愛みたいなモノを感じてたんですよ、鶴見さんから。気の所為かも知れませんが。」

 

鶴見は目を合わせないまま黙っている。アンの発言は嘘では無い。小樽にいた時からごくたまに、実の子に対するような温かい視線を感じる事があった。

 

「私の愛は偽物だぞ?相手を自分の思い通りに操る為の、な。尾形が一番それを分かっている筈だ。」

 

「ははぁっ!その通りですな。」

 

一切の否定をせずに尾形が答え、ご機嫌に頭を撫で付けている。

 

ーーこんの、阿呆!鶴見さんを誑し込まないと船に乗れないと言ったのはアンタだろ!?

 

アンはギョッとして尾形を睨む。トーマスの日本の法律スレスレの船に乗れなければ、アメリカに、そしてイギリスに行くのは難しいだろう。この船に乗れないと言う事は、世界一損切りの早い女・ガオに見限られる可能性が高いのだ。

 

「鶴見殿、この娘はそもそも『愛』をあまり信じておりません。彼女が身を挺して私を助けた事も、独占欲だの支配欲だのとのたまって、自分の気持ちを否定するのです。」

 

尾形の発言に鶴見は呆れ、赤毛の娘を一瞥した後に溜息混じりに本音を呟く。

 

「どおりで私がいくら目をかけても、全く私の思い通りにならなかったワケだな。尾形に惚れていた挙げ句、愛を信じないならお手上げだよ。」

 

「ほ・・・いや、まぁそうですけど。」

 

モゴモゴと黙り込んだアンに代わり尾形が続けた。

 

「別にイギリスまで連れて行けとは言いません。ついでに5人、アメリカ行きの船に乗せるだけです。コイツがイギリスで成功すれば、いずれは鶴見殿の成し遂げようとしている事の手伝いが出来ますし、失敗しても懐は痛くない。それとも将来への投資より、過去の遺恨に縛られるおつもりですか?私はあなたが余所見していた事を許しますよ。根に持たないタチなんでね。」

 

裏切り者がいけしゃあしゃあと元上官に要求するのをアンはハラハラして見ていたが、鶴見は暫く考え込んでいる。

考え込んでいたが、彼は顔を上げ、アンを真っ直ぐ見ながら条件を提示してきた。

 

「5年、いや、4年以内に夫を始末して、組織を纏めなさい。私は金塊争奪戦後には君に後を継がせる為に、最長で5年をかけてそれをするつもりだった。良いね?」

 

アンは先月19になったばかりだ。23までに成し遂げられるか、不安はあるが・・・

 

「はい、必ず。」

 

意を決して応えた。

 

 

小樽港に停泊しているトーマスの船に4人を載せ、1人を乗せた鶴見。当初、トーマスは渋い顔をしていたが適当に説得して黙らせた。

尾形達は船倉に荷物扱いで、赤毛の娘だけは自分と同じく船室を用意してやる。正直なところ元部下の彼らの顔を暫くは見たくないので仕方がない。尾形は不満気だが黙って従った。尾形以外の3人は気不味いのか素直だっだ。

 

深夜の真っ黒な波を切り裂きながら、船は小樽港を、北海道を離れていく。赤毛の娘は甲板に立ち、離れて行く故郷を寂しそうに眺めていた。

 

「後悔しているのかね?」

 

鶴見が彼女に話しかけると、彼女は黙って首を振った。

 

「いえ、星を見ていただけです。それに、イギリス行きは幼い頃から決めていた事ですから。まさか5人で行く事になるとは思いませんでしたが。」

 

赤毛の娘は鶴見の方に振り返り、苦笑いしながら話す。右手首には包帯が巻かれ、たまに痛むのか眉を顰めていた。

 

「その手首は尾形を庇って傷つけたのだな。それこそが『愛』の証だと思うが君はそうは思わないかね?」

 

「違います。」

 

頑固な娘である。鶴見は苦笑いしながら話題を変えた。

 

「イギリスにも協力者がいるようだね。その人物は信用して良いのかな?」

 

彼はイギリスの組織から赤毛の娘に接触して来る可能性を一応考えてはいたが、かなり低いと見ていた。赤毛の娘は18年近く放置されていたからだ。

 

「正直なところ彼女が私達に対して分かりづらい言伝をしてくる時点で、“理解出来ない人間は不要”と言う意味だと思いました。彼女に期待は出来ません、でも進むしか無いんです。」

 

彼女・・・イギリスの組織の裏切り者は女のようだ。驚きつつも不思議に感じた。組織を裏切るのはかなり危険な筈なのに何故、賢い人間であろうその女が赤毛の娘達に手を貸そうとするか理解が出来ない。

そう指摘をすると、赤毛の娘は鶴見から目を逸らせながら言いづらそうに喋り出した。

 

「彼女は、その・・・上司とソリが・・・・・・」

 

「ん?」

 

波の音と小声で聞き取り辛い。大きな声で話すよう促す。

 

「今の上司が嫌いみたいです。それも、かなり。だから私が裏切りを唆しました。」

 

「・・・そうか。」

 

イギリス組織の女は上司であるモラン氏に密かに造反したらしい。元部下の造反者達が、組織に造反した女に助けられて彼女の上司を殺しに行く・・・余りの皮肉に鶴見は黙ってしまった。

 

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