ある悪人の前半生   作:土鳩

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終始、鶴見中尉視点の回です。


鶴見篤四郎の肖像

ある日の夕方、陸軍第七師団27聯隊の実質的な長である中尉・鶴見篤四郎は小樽の街を馬車で移動していた。

聯隊長の淀川中佐は鶴見に頭が上がらず、目の上のタンコブだった師団長の花沢中将はもういない、日露戦争時の味方に出た大損害の責めを負って自刃した事になっている。そして花沢中将の後を継ぐ筈だったであろう嫡男の少尉は、日露戦争で旗手を勤めていたが戦死した事になっている。他の鶴見の上官にあたる将校達も多くが鶴見には表立って逆らえないという状況であり、師団を実質牛耳っていた。

馬車は鶴見の他に月島軍曹と赤毛の少女が乗っている。鶴見は赤毛の少女に話しかけた。

 

「実によく似合っている。そう思わんか、月島。」

 

「はぁ、そうですね。」

 

話題を振られて素っ気なく月島軍曹が応える隣、赤毛の少女は少し恥ずかしそうに唇を尖らせて“ありがとうございます”と小声で答えた為、鶴見は思わずクスリと笑った。少女は洋装・・・ドレス姿である。イブニングドレスと言う首周りが開いたツーピースのドレスで白い生地に小花の刺繍が裾に散らされている。

今、御者を勤める瓜実顔の上等兵含めた4人の鶴見一行は港に向かっている。

小樽は港町として発展途上にあり、有名な建築家による洋風建築が競って建てられるようになってきた。その中の1つに予約を入れたレストランがあった。

馬車の窓の外をキョロキョロと落ち着きなく見る赤毛の少女を鶴見は微笑ましい者を見る目で見ている。

 

ーー白人と日本人の間の娘・・・。何事も無く成長していればあの子もこれくらいの歳だった。

 

「何か?」

 

赤毛の少女は鶴見にジッと見られて恥ずかしげに尋ねた。

 

「いや、出会った時と比べて随分と雰囲気、と言うのかな?それが良くなったと思ってね。兵舎での生活は気に入ってくれているのかな?」

 

「はい。特にご飯が良いです。尾形さんもあんなに美味しい物を毎日食べていたなんて、と思うと羨ましくなってしまいます。」

 

少女は明るく笑って答えた。彼女は事あるごとに鶴見の部下で自分の思い人だと言う上等兵の名前を出す。

 

ーーフフ、なかなか手強いお嬢さんだ。心を開いているように見せかけて、実際はそうでもない。

 

鶴見は少女に尾形上等兵の見舞い報告を毎日義務付けている。寝たきりでなかなか話せなかった尾形と漸く意思の疎通ができるようになったようで最近は報告内容も増えたのだが、それが見事に何の価値も見出せない報告ばかりだった。

“こっそりタバコを差し入れたら銘柄が違うと突き返された”だの、“病院食に椎茸が入っていて無理矢理食べさせる事が出来て嬉しかった”だの“肉付きが良くなったと言われて尻を触られた”だのーー見張りに立たせている三島一等卒からの報告も同じだ。三島は毎日顔を赤らめて報告している。規律に縛られた男だらけの集団生活、偶には羽目を外すように皆にはそれとなく言ってはいるのだが。

 

ーー三島は少し女遊びをさせた方が良いな。

 

真面目で人当たりの良い美青年の三島を見張りにしたのは、少女が彼に心を許すのを期待していたからだったが、まるで効果がないどころか木乃伊取りが木乃伊になっている。

 

ーー見張りを替えて・・・いや、1人増やすか。

 

鶴見は溜め息を吐いた。尾形を始末するのは簡単だが、高貴な血を引く貴重な駒である。裏切りが確定して無い今はなるべく避けたい。赤毛の少女と同じく、とある父親の血を引いていると言う事は今だに封建制度を引き摺る社会では大きな意味を成す。

目の前の少女は恐らく本当に自分の父親を知らないのだろう。いずれは残酷な真実を聞かせる事になる。

 

ーー今夜はたっぷり甘やかして、良い印象を与えなければなるまい。・・・実の娘に対するように、な。

 

かつて自らが長谷川と名乗っていた時の生活を思い出し、鶴見は僅かばかり胸が締め付けられた。

 

 

小樽港近くの瀟洒な洋風建築のホテルの1階にそのレストランはあった。吹き抜けを思わせる高い天井、白く清潔なテーブルクロスがかけられたテーブル、磨かれた食器類・・・。

その中の一つのテーブルに鶴見と赤毛の少女が隣り合って座っていた。席はもう1つ空いていたが、月島は座らずに鶴見の横に立っている。瓜実顔こと、宇佐美は馬車にて待機していた。

このホテルの中にある物はどれもこれも赤毛の少女には無縁だった物である。鶴見が彼女を見ると少女は緊張のあまり固くなっていた。

 

この少女に鶴見が会食の誘いをしたのは3日前の事だった。元々会う予定だった知人に彼女を引き合わせる為に誘ったのだ。洋食と聞いて彼女は飛びつく様に誘いに乗ってくれた。

ただ、それなりの服装が求められるような高級な店であった為、急遽洋装を準備して少女に見せたのだが“こんな腰の細い服着たら口から臓物が出てしまいます!”と拒否された。何とか宥めて鶴見の自宅で女中の手伝いのもと、ドレスを着付けた。恐らくコルセットを締めている時だろうか、隣室で待機していた鶴見の耳に“ヴォエッ!”という吐きそうな声が聞こえたが無視した。コルセットはそういう物だ。

無理して着せて正解だった。お世辞でなく良く似合っている。

靴も踵の高さのある革靴を準備したが、『どうせ裾は見えないのだから草鞋が良い』と言われた。これも無視した。

髪を結い上げて薄く化粧をするとまるで欧州の貴族の令嬢だ、黙って座っていれば。

 

「アン君はあまりお洒落には興味ないのかな?」

 

唐突に鶴見に尋ねられて、場の雰囲気に呑み込まれかけてた少女は我に返って答える。

 

「いえ、でも着飾るのもお金がかかりますから。」

 

「なるほどな、でも清潔にするのは大事だぞ。今だから言うが、出会った時の君はえらく顔を汚していたじゃないか。せっかくの色白の綺麗な肌が勿体ない。」

 

鶴見は少女を半ば揶揄うように言った。いつもなら揶揄われたら照れながら軽く怒ってくる。そんな反応を期待していたのだが、少女から返って来たのは思わぬ言葉だった。

 

「私、自分の顔が嫌いなんです。ソバカスもあるし、髪も目も黒くないし。ほら、日本人に見えないじゃないですか。」

 

真顔で言う少女に鶴見は驚いた。ずっと黙って聞いていた月島も何か思うところがあるのか苦い顔をしている。

この少女が今までしてきたであろう苦労が伺える発言だった。

 

思わず鶴見は優しく少女の頭を撫でる。

部下からの愛を得る為に計算づくで優しくした事は今までに幾度もある。月島しかり、宇佐美しかり、新任の少尉しかり、尾形もだ。大事な手駒になって役に立ってもらう為であり、その為には愛を惜しまない。

少女も自らの野望である軍事政権の樹立後には確実に役に立つ存在となろう。

しかし彼女の年齢のせいか、つい自分の娘と重ねて見てしまい優しく振る舞った。

 

「大丈夫だよ。君は可愛い。」

 

「あ、ありがとうございます・・・。尾形さんに飲ませますので、中尉殿の爪の垢を下さい。」

 

恥ずかしそうに応える少女を見て、鶴見は弾けるように笑った。

 

 

「そう言えばアレは何ですか?ほら、あの執務室の壁にあった漢字や模様の入ったやつ。最近見ないんですが、捨てちゃったんですか?」

 

緊張が解れてきた少女が鶴見に尋ねた。隣に控えている月島の表情が固くなる。

 

「あぁ・・・あれはね、芸術作品なんだ。君は知らないかも知れないが、欧州の芸術家の間では日本の文化が流行していてね。新進気鋭の芸術家が豚の皮に入れた刺青だよ。人に譲って欲しいと言われたんであげてしまったけど欲しかったのかい?」

 

鶴見は嘘をついた。

 

「へぇ、そうなんですね。私はいらないですよ、芸術ってよく分からないなぁ。」

 

少女の返答に月島の安堵する顔が見えた。実は鶴見も意外に思う反面、安堵した。彼女が嘘をついている様子は無い。

この娘は『刺青人皮』を知らないのだ。

この件には関わらせるつもりは無いのでそれで良い。

 

「鶴見サン、お待たせしまシタ。」

 

鶴見は突如少女の背後から声をかけて来る白人の中年男と目があった瞬間、声を高らかに話し出した。

 

「おや、ミスタートーマス、待ちくたびれましたぞ!アン君、こちらは私が懇意にしているアメリカ人のトーマスさんだ。トーマスさん、この子は私が娘の様に大事にしているお嬢さんで、アン君だ。」

 

ギョッとした表情で鶴見を見る少女に対して、鶴見はウィンクした。話を合わせろ、という合図だった。

 

「そうデスカ。よろしくミス・アン。」

 

右手を差し出されて、赤毛の少女もつられて握手するとトーマスは少し驚いていた。

 

「ハハ、珍しいデス。日本の女性、握手を恥ずかしがる人多いから。」

 

「私は亡き母がカトリックの信者で通訳を仕事にしていたので、外国の方の挨拶は知っているし見慣れてます。」

 

「ほう、それは初めて聞いたな。君自身も神を信じているのかね?」

 

鶴見は思わず2人の会話に割って入った。

北海道には幕末より宣教師、入植者、移住者等がやって来てキリスト教の伝導をしており、他の地域よりもキリスト教に馴染みがある人間が多い。そうは見えなかったがこの娘も信者なのだろうか。

 

「いいえ。」

 

神を信じていない、その事を少女は素っ気なく鶴見に伝えた。

 

 

待ち合わせしていたアメリカ人のトーマスと合流すると鶴見は給仕を呼び料理を出すように伝えた。

鶴見とトーマスは優雅に食事をしながら世界情勢や武器の話で盛り上がっている。同席している赤毛の少女は手元にある肉料理にフォークとナイフをあて、ギコギコと切断する事に集中していた。

 

「あの『スキー』と言う物は実に素晴らしい。部下4人に渡して試用させていますが、行動範囲が一気に広がったと報告がありましたぞ。」

 

「喜んで貰えて嬉しいデス。追加で頼まれた時は焦りマシタガ、間に合って良かったデス。」

 

「追加の『すきー』って玉井さん達が最近使っているヤツですか?」

 

皿の肉から目を離し鶴見をジッと見つめる少女。妙な話題に食い付くんだな、と鶴見は少し驚いた。

 

「そうだよ、アン君。あぁ、君は玉井伍長には良くして貰っているんだっけか?スキーも見せて貰ったのだな。」

 

「はい、玉井さんはよく酒保でアンパンを買ってくれるんです。すきーは頼み込んで私もやらせて貰ったのですが、どうにも下手糞で・・・壊すな、と言って触らせてくれなくなりました。」

 

「ハハハ!しかし君は本当に食べ物をくれる人間に弱いんだな。食べ物をくれても知らない人には着いていっちゃダメだぞ!?」

 

「はい!」

 

ーー尾形もまさかこの娘を食べ物でたらし込んだのだろうか。試しに次からは三島にも食べ物を持たせてみよう。

 

鶴見が赤毛の少女に微笑みながら考えを巡らしているのを見て、トーマスは鶴見に話しかけた。

 

「このお嬢サンは鶴見サンのお子サンではないんですヨネ?白人の血が入っているように見えマス。」

 

「あぁ。」

 

「デハ彼女のお父様は?」

 

トーマスの青い眼が鶴見を捉えて鈍く光った。明らかに純粋な日本人ではない身元不明な少女をこの場に連れて来た意味を探っているのだ。

赤毛の少女も、何も知らされていない月島も興味津々で鶴見を見ている。

鶴見は彼らを見て大仰に手を広げ、満足気に言い放った。

 

 

「ふふ、このお嬢さんは実は『ナポレオン』の娘なのだよ!!」

 

 

「・・・鶴見サン、ナポレオンは200年前の人間デス。」

 

「しかもフランス人です。」

 

トーマスは呆れているし、赤毛の少女は半笑いの表情を見せた後、手こずって中断していた牛肉の解体に着手しだした。冗談に付き合っていられないという感じだ。

月島の鶴見を見る目も心なしか冷たい。『渾身の冗談が滑った者』を見るような目だった。

 

「ハハハ、冗談だよ。難しかったかな?」

 

鶴見はニコリと笑った。

 

 

食事が終わり鶴見達3人は、宇佐美が建物の外に乗り付けた馬車に乗る為レストランを出た。

 

「中尉殿、ご馳走様でした。大変美味しかったです。」

 

「そうか、そうか。それは良かった。」

 

お礼を言う赤毛の少女の頭を優しく撫でる鶴見。馬車の御者を勤める凄まじい表情をしている上等兵は見なかった事にして、月島と一緒に先に馬車に戻るように伝える。

 

「トーマスに伝え忘れた事がある。」

 

そう言い一人、踵を返して建物に戻った。

 

 

トーマスは客が帰り出して閑散とした広いレストランで、鶴見が戻るのを待っていた。

 

「鶴見サン、『ナポレオン』についてだが・・・。」

 

「気付いていましたか。」

 

『ナポレオン』について話し出したトーマスに対して嬉しそうに鶴見は笑った。アメリカ人とはいえ流石は武器商人。恐らく少女の父親とも僅かながらでも接点があったのだろう。彼は自慢してやりたくなった。ーー自分が見つけたのだと。少女から貰った名簿の2名、片方は完全に偽名だったが、もう片方は半分だけ偽名。そのもう片方に賭けてみて正解だった。

 

「あの娘の父親は『蜘蛛』ですよ。イギリス、いや欧州全域に糸を伸ばした巨大な蜘蛛の巣の主・・・あの娘は将来必ず我々の助けになる。」

 

鶴見の琺瑯の額当ての下から汗より粘度の高い汁が垂れ、ハンカチでそっと拭い取った。

 

ーー『蜘蛛』は亡くなった、天才と言われる男に滝壺へ落とされて。後継者の『大佐』も落ちぶれて獄中にいる。蜘蛛の巣の残骸はいずれ完全に瓦解するだろう。だからこそ絶好の機会ではないか?

 

鶴見には欧州まで手を伸ばすような無茶な野望はない。しかしもし協力、否、利用できるとしたならどうだろうか。

 

中央に冷遇される第七師団が北海道に軍事政権を樹立し、そしていずれは同胞達の眠る満州まで・・・更にはフィーナとオリガの眠る外満州、ウラジオストクまで実効支配出来たなら・・・鶴見は興奮して胸を抑えた。肋骨服の下に2つの小さく硬い物の手ごたえを感じる。

 

軍事政権樹立にはアイヌの金塊は欠かせない。そして軍事政権の維持には他国からの承認と協力も必要となってくる。覇権国家のイギリスの承認があれば、中央政府と言えど手も足も出せないだろう。

 

鶴見はトーマスに次の約束を取り付けると、再びレストランを出て部下達の待つ馬車へと向かった。

赤毛の少女にいつ、どこまでを正直に話すか考えながら。

 

「実際にどういう仲かは知らぬが、尾形とは引き離さねばなるまい。」

 

冷たく呟いたその一言は小さ過ぎて、誰の耳にも届かなかった。

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