ホシノが先生と一緒にクジラに会いに行くお話   作:空を飛ぶジンベエザメ

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十二話 クジラの歌と言い伝え

(これ、やっぱりクジラの声なんだ...!)

 

船長のボードを見るや否や、ホシノは急いで沖のほうに顔を向ける。音というものは水中だと空気中の4倍以上速く伝わるらしく、そのせいで水中で聞く音はその出所が分からなくなる。前に何処かで見た雑学の通り、三人を包む鯨の声は沖の方から発せられているに違いない筈なのに、まるで大きなコンサートホールか映画館の中にいるみたいに、360度全ての方向から響いて来ているように感じられた。

 

 

 

ホゥーン...ホゥーン...ホゥーン...

 

 

 

鯨の声が、絶えず聞こえる。生まれて初めて聞く、野生の鯨の声。いや、厳密には「生で聞く」声、だ。前にお昼寝のお供にと、動画サイトで安眠用BGMを漁っていた時に見つけた、クジラの声を収録したという動画。この世では無い場所から流れて来たと思える程に神秘的なその声は、最初は少し怖かったけど、長く聞けば聞く程、不思議な安心感を与えてくれて、気付いた時にはうたた寝をしていたのを、良く覚えている。

 

(この先に本物のクジラがいるんだ...)

 

ホシノは白い砂の上、遥か彼方まで続く群青色のカーテンを見つめながら、そのカーテンの向う側で泳ぐ鯨の姿を想像する。

 

この世の誰よりも大きな体をゆっくりとくねらせながら、優雅に、雄大に大海原を進んでいく鯨。でも、もしかしたらこの声の主は昨日女将さんが教えてくれたドジなクジラのお母さんで、ダメダメな自分の子供に一生懸命泳ぎ方を教えている最中なのかもしれない。そう考えると、畏怖すら覚えるこの声にも何だか親近感が湧いて来て、ホシノはマスクを着けたままクツクツと小さく笑ってしまった。

 

そうして暫く鯨の声を聞いていたが、次第に声は小さくなり、やがて塩の粒がさらりと水に溶けるみたいに、何も聞こえなくなった。偶然居合わせたコンサートが終了した時、得も言われぬ空虚感が、ホシノの胸を突く。

 

あの歌を、もっともっと聞いていたかった。スマホやパソコンで好きな時に何時でも聞ける録音されたものではなく、海中という限られた時間しか滞在出来ない空間で味わったからこそ、それが終わってしまった時の虚しさはひとしおだった。

 

ただ、だからといってこのまま何もせずプカプカ浮かんでいる訳にも行かない。歌が終わった直後、三人の呼吸音だけが響く海中で、船長が沖の方を指さす。船の上で伝えた通り、ホシノの浮力調整が上手くいったので、この先にあるという枝サンゴを見に行くのだろう。

 

ホシノは先生と船長に挟まれる形で海中を進む。潜る前は上手く泳げるか心配していたホシノだったが、一度浮かぶことに慣れてしまえば、泳ぐのは実に容易かった。足ヒレを付けていることもあり、軽く水を掻くだけで驚く程すいすい前に進んでくれる。

 

水中で泳ぎ回ることにすっかり夢中になったホシノは砂の上にぽつんと佇む岩に突撃して、その上を泳ぐ小魚達に混じって泳いだり、岩の隙間に顔を突っ込んで魚を探したりもした。偶々覗き込んだ隙間にいた、背びれに猛毒を持つというオニダルマオコゼと顔が合った時はびっくりしてマスクが外れそうになったが、それ以外はこれといったトラブルも無く、一同は枝サンゴの群生地に到着する。

 

(凄い!サンゴがこんなに沢山!)

 

サンゴの森。そう表現しても過言でない程に、果てしなく広がるサンゴの上をホシノ達は泳いでいた。色とりどりの魚達がサンゴの隙間を泳ぐ様は、風に乗って舞い踊る花びらみたいだ。そしてそれを俯瞰する自分達は、いわば花畑の上を飛ぶ鳥だろうか。流石に鳥みたいに速く動くことは出来ないけれど、その代わり鳥には出来ないことが、今の自分には出来る。

 

ホシノは時折その場に留まって、興味津々といった具合で自分の周りに寄って来た魚達と戯れたり、身体を半回転させ、寝そべるようにして絶えず変わる波をぼんやりと眺めていたりした。そうして船長の目の届く範囲の中で自由に楽しんでいた際に、ホシノはそれを見つける。

 

ベラという、十センチ程の小魚を追い回していた時、ホシノは視界の端に大きな影を捉えた。海中に潜っていく、しなやかに動く身体。明らかに魚のそれでは無い。長く伸びるヒレのようなものが見えて、一瞬クジラかとも思ったが、顔を持ち上げてそれをしっかり見た時、ホシノはその正体を知る。

 

小高になったサンゴの丘の上を泳いでいたのは、人だった。マスクが少し曇っている為、ぼんやりとしたシルエットしか見えないが、その人はボンベ等は背負っておらず、そして片手に銛のような棒を持っていた。

 

(素潜り漁してるんだ...)

 

今ホシノ達がいる場所は水深10m程。昨日先生が潜った倍以上の水深だが、そんな環境でもその人は、先生以上の身のこなしでサンゴの上を這うようにして獲物を探す。その様を、ホシノはじっと観察していた。

 

漁師と思しき人影は獲物を見つけたのか、サンゴの隙間に銛の先端を慎重に差し込む。そして一息を置いた直後に勢いよく銛を押し込んだ!突き刺した獲物が暴れているのだろう、その人は銛を強く握ったまま少しの間水中で格闘していたが、やがてどす黒い血を吹き出す大きな魚を引きずり出す。

 

(おぉ~お見事~!...って、あれ?)

 

心の中で賞賛の言葉を送った時、海底に差し込んでいた日光が一瞬だけ強くなり、魚を持って海面に舞い戻って行くシルエットをくっきりと映し出した。

 

(え、シロコちゃん...?)

 

遠目からでも分かる、身長の割にがっしりした体と、頭からぴょこんと生えた耳のような突起。その姿は何故か、今はアビドスの校舎に居るはずの型破りな後輩にとても良く似ていたのだ。

 

こんな離島にシロコが居るはずが無い。自分の目はまだ寝ぼけているのか。そう思ったホシノはマスクを付けている事を忘れ、つい両手で目を擦ろうとしてしまった。指に当たったマスクがずれ、中に海水が勢いよく流れ込んで来る。

 

(わわっ...!早く外に出さないと...!)

 

ホシノは慌てて顔を上げると両手でマスクを少しだけ浮かせ、鼻から強く息を出す。船長に教えて貰った、海水がマスクの中に入って来た時の対処法だ。

 

鼻息で海水を押し出し、ほっと息を吐いた時、人影はもう完全に姿を消してしまっていた。

 

 

 

それから数十分後、ダイビングを終え無事船に戻って来たホシノはサンゴの森で見たその影について船長に尋ねてみることにした。

 

「この島に素潜り漁師がいるのか、だって?」

 

「うん。さっきサンゴの上で魚を銛で獲ってる人を見たんだ」

 

錨を引っ張り上げる背中越しに、船長は「妙だな」と呟く。

 

「昔はこの島も素潜り漁をする漁師は結構いたんだが、素潜り漁ってのは技術も必要な上に常に危険が伴う漁法だから次第にやる人が減っていって、今はもう俺の兄貴しかやってないんだ。ただその兄貴もつい昨日自分の船のエンジンがイカレちまってな、修理の業者が来るまで漁はお休みしてるんだ」

 

「え、嘘...」

 

この島にいる素潜り漁師はたった一人だけ。その漁師も今はお休み中。だったら自分が見たあの影は、何者だったのだろう...。まさか本当に...

 

「もしかしたらホシノちゃんは、昔の素潜り漁師の霊を見たのかもな」

 

すると錨を上げ終えた船長が、やたら神妙な顔でこちらに振り返って来た。

 

「や、止めてよ船長、そんな縁起でも無い話~」

 

「いいや、半ば冗談って訳でもないぜ」

 

そう言いつつも、船長は神妙な表情を直ぐに崩しにやりと笑う。

 

「昔からこの島では『鯨が島に来る時、その歌声に惹かれて島のご先祖様があの世から帰って来る』って言い伝えがあるんだ。だからさっきの声に導かれたどこかの誰かさんが久しぶりに、島の海で漁をしてたのかもしれないぜ?」

 

「へ~、そんな言い伝えが。だったらホシノが見たのが本当に幽霊だったとしても、多分悪い人じゃないね!私も漁師のお化け、見てみたかったな~」

 

二人の会話を聞いていた先生が、能天気にそんなことを呟く。自分自身がダイビングを満喫したことに加え、ホシノの顔から暗い影が消え去ったことで、先生の表情も島を経った時より随分と明るくなっていた。

 

(死んだ人が、クジラの声で帰って来る...)

 

船が動き出し、海底に広がる白の世界が段々と見えなくなってゆくのを眺めながら、ホシノは心の中で、その言い伝えを繰り返す。

 

 

 

もし本当にあの世というものがあるのなら、ユメ先輩もそこにいるのだろうか。だったら先輩もクジラの声に導かれて、この島に来てくれたなら、どんなにいいだろう...

 

無機質な砂漠とそれを熱する太陽に焼かれ、脱水症状で命を失った先輩。だけど、澄んだ水と美しい命で溢れるこの島の海なら、苦痛と無念に満ちた先輩の魂を優しく癒してくれるに違いない。ドジでおっちょこちょいな先輩の事だから今度は広大な海で遭難してあの世に帰れなくなりそうでは、あるけれど。

 

 

 

そんなことを考えているせいもあり、あの時見た影がシロコに似ていた事など、ホシノの頭からはすっかり忘れ去られていた。

 

 

 

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