ホシノが先生と一緒にクジラに会いに行くお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
中性浮力を会得し海中でスムーズに動けるようにホシノ。彼女のダイビングスキル上達の速さを見た船長はその日のログ付けでこんなことを提案して来た。
「明日はナイトダイビング、つまり夜の海に潜ってみよう。本当ならある程度ダイビングに慣れた人間じゃないと夜の海は危ないんだが、ホシノちゃんなら大丈夫」
夜の海。そこは昼とは打って変わり、闇に包まれた海中をライトで照らしながら慎重に進んでいくらしい。その代わり昼間には見られないサンゴや岩の間で眠る魚やウミガメ、更には発光するプランクトンと言った夜ならではの光景が見られるそうだ。
また期待と一抹の不安を抱きながら、ホシノは翌日の夕方、カラスが多く舞う薄暗い船着き場を訪れる。
「カラスがいっぱい。何だか、不吉な感じだね...」
待合室の屋根にずらりと並ぶカラスの群れを見上げ、ホシノは胸がざわざわするのを感じる。
「確かに気持ちいい感じはしないね。それに水は霊的なものを呼ぶっていうし、今度こそ本物のお化けが見れるかも~?」
「ちょ、止めってって先生!!」
背後から先生に脇腹を突っつかれ、ホシノはくすぐったい声を上げる。
「ほいほい二人共、早く乗って貰わないと日が暮れちまうぜ?」
「あ、は~い!先生、行こっ!」
船長に早口で促され、ホシノは先生と手を繋ぎながら船に乗る。既に陽が殆ど落ちていることもあり、船から渡された板もぼんやりとしか見えない。
「それじゃブリーフィングといこう。今回はホシノちゃんの初めてのナイトダイブだから初日と同じように浅い海に行く。10メートルよりも深いところには絶対に行かないから安心してくれ。ま、日が暮れた状態ならその位の水深でも一寸先は闇だがな」
「一寸先は闇かぁ...おじさん、ちょっと怖いかも...」
「最初は怖いかもしれないが慣れれば不思議と落ち着くぞ。それに水中では常にコイツで行先を照らすからな」
船長は器材の横に置かれている水中ライトの一つを手に取り、光を灯す。ライトの光量はかなりのもので、照らされた甲板が真っ白に見える程だ。
「水中ライトを使う時の注意点は二つ。海に入っている間は基本的にライトを付けっぱなしにしておくことと、光っているライトを振り回さないこと。ホシノちゃん、何でか分かるかい?」
「分からない」と首を横に振るホシノを見た船長は、昨日と同じ、やたらと神妙な顔つきになる。ホシノは嫌な予感がした。
「それはな。夜の海で明るいものを振り回すと漁師の幽霊が魚だと勘違いしてあの世に連れ去っちまうっていう言い伝えがこの島に...」
「う、うへ~!止めてってば船長...!おじさん、怖い話とか結構苦手...」
「...っていうのは今俺が考えたでっち上げだ!ホシノちゃん、相変わらずいい反応してくれるね~!」
「何だよも~う!!」
ホシノの文句たっぷりな叫びと、船長の豪快な笑い声が薄暗い港に響き渡った。
「はっは!だが海でライトを振り回しちゃいけねぇってのは本当さ。この辺りにはダツっていう鋭い嘴みたいな口を持った魚がいてな、特に水面近くでライトを振り回すとそいつが魚だと勘違いして突っ込んで来るんだ。大怪我に繋がる事もあるから絶対に守ってくれよ」
「あ、じゃあ振り回しちゃいけないってのはホントなんだね...」
ブリーフィングを終えたホシノ達は夜の海に繰り出す。到着したのはこれまでで一番島から遠い場所だった。目を凝らすと、島を囲う集落からの光がぼんやりと見える。そのまま視線を落とすと、船のライトで照らされた海底が辛うじて見える。船長から夜の海は闇に包まれていると聞いていたこともあり、これから向かう場所が目視で分かるというのは、僅かではあるがホシノの心を穏やかにしてくれた。
「それじゃあ行くね~!ダイブ!」
海に入ったホシノは船首に向かう間、眼下の暗闇に目を丸くしていた。
(本当に真っ暗だ...)
船長の言っていた一寸先は闇、というのは決して大袈裟な表現では無かった。一昨日と昨日見た、一面に広がるサンゴ礁はそこにはなく、代わりに墨汁の海に浮かんでいるのかと錯覚する程の闇があった。ホシノは手に持ったライトを点灯し、海底をそっと照らしてみる。すると光の筋に沿って闇がサッと消え、海底にあるサンゴが鍾乳洞のように浮かび上がった。
(おぉ...!何だか海底洞窟を探検してるみたい!)
錨の元に辿り着いたホシノはライトを使い、早速辺りを探索してみる。夜のとばりが降りた海中。昼間の生命に溢れた姿とは打って変わり、周囲にあるのはライトによって照らされた白いサンゴだけ。でも行く先をライトで照らし、地形を確認し進んでいくのは、本当に海に沈んだ洞窟の中を探検しているみたいで、昼とはまた違った楽しさが確かにあった。それに暗い水に包まれるというのも想像してような閉塞感は無く、むしろ昼間よりも「海に抱きしめられている」と感じられるような安心感があった。
また船長と先生に挟まれながら泳いでいたホシノは照らした岩の窪みに大きな影を見つけた。体を近づけて良く見てみると、それはウミガメだった。夜だから寝ているのだろう、ホシノが目と鼻の先にいるにも関わらず、ウミガメは窪みに全身をぴったり収めたまま微動だにしない。
(うへ~!ウミガメがこんなに近く!良いな~、おじさんもこの位ぐっすり眠りたいよ~)
魔が差したホシノは「生き物には極力触らないように」という船長の言いつけを破り、ツヤツヤした甲羅をちょんちょんと突いてみる。するとそれにびっくりしたのか、ウミガメは急に目を覚ますとホシノの前から一目散に逃げていく。しかし自分が狭い窪みで寝ていたことを忘れていたのか、それともただ単に寝ぼけていただけなのか、ウミガメはホシノから逃げる途中、サンゴの角に思いっきり頭をぶつけていった。
(あははっ!ゴメンね、寝てるとこ邪魔したらそりゃびっくりするよね)
相当痛かったのか頭をブンブン振り回しながら闇に消えていくウミガメの後ろ姿を、ホシノは愉快そうに眺めていた。すると今度は目の前にしましま模様のウミヘビが泳いできた。ぱっと見はただの蛇だが、尻尾の先は水を掻く為に平べったくなっている。
(あれれ~?そんなのんびりしてたらおじさんに捕まるぞ~?それっ!)
調子に乗ったホシノは自分の顔を不思議そうに覗き込むウミヘビの身体を片手で捕まえた。暴れるかも、と思ったがウミヘビは意外にも大人しく、ホシノの手の中で舌をちろちろさせている。
肩を叩かれ振り向くと、船長がマグネットのボードをこちらに向けていた。先生が照らしてくれているボードを、ホシノはウミヘビを持ったまま読む。
『それはエラブウミヘビっていうウミヘビ。牙に猛毒あり、噛まれたらまず間違いなく死にます』
(う、うそぉッ!!?)
その情報にびっくり仰天したホシノは投げ捨てるかのように、急いでウミヘビを放してやる。解放されたウミヘビはやはりホシノ達を襲うような事はせず、マイペースに泳ぎ去って行った。焦りが隠しきれていないホシノに、それは愉快そうな顔をした大人二人がまたボードを掲げる。
『大人しい性格だし口も小さいから噛まれることはまず無いけどね。ただ、魚達にあんまりちょっかいかけないように』
ホシノは合わせた手をかざして、「ごめんなさい」の意を表した。
それからも暗い海中世界を楽しんだホシノ達は錨の傍に戻って来る。しかし錨の周りに二人が集合したことを確かめた船長は浮上のハンドサインを見せず、再度ボードに何かを書き、それを見せて来た。
『最後に夜光虫を見て戻ろう。ライトを消して腕を振ってごらん』
船長の指示に従い、先生とホシノはライトを消す。瞬間、辺りが完全な闇に包まれる。傍に居た先生と船長の姿すら見えない中で、ホシノは言われた通り腕を振ってみる。すると動かした腕の軌跡に合わせて、無数の小さな光が舞い散った!昨日教えて貰った、光るプランクトンだ。
(うわぁ何これ!夜空に浮かんでるみたい!)
ホシノは腕だけでなく全身を動かしてみる。人のいないアビドスでは夜になれば何時でも綺麗な星空を拝むことは出来るが、そんな見慣れた景色とは異なり、ここはまるで天の川を泳いでいるような、星空と一つになったかのような感覚に浸れる程、特別なものだった。
しかし残念ながらその時間は長くは続かず、間もなくして船長がライトを付け、海の中の星空は直ぐに消えてしまった。少し名残惜しい気持ちを残しながら、ホシノは船へと戻って行った。
「ようホシノちゃん、夜の海はどうだったかい?」
「最っ高だったよ!最後の夜光虫なんか夜空の中にみたいで!」
船長が淹れてくれた、熱々のレモンティーが入ったコップを持ちながらホシノは足ヒレを付けたままの両足をバタバタさせる。
「そうかいそうかい!慣れたダイバーの中にも『夜の海は怖いからダメッ!』って頑なに潜ろうとしない人もいるから少し不安だったんだが、ホシノちゃんはそんなことなさそうで安心したよ」
「へ~、何だかもったいないね~。魚にも触れる位近づけるのに」
「まぁダイビングは臆病な位が丁度いいって言うし、自分が怖いって分かってるんだったら無理に潜るべきじゃないのも正しいけどね...あれ?」
ホシノの横でレモンティーを飲んでいた先生が急に、目の前の真っ暗な海を凝視し始める。
「ん?どしたの先生?クジラでもいた?」
「ううん、多分違う...。船長さん。あそこで浮かんでるのって、船ですよね...?」