ホシノが先生と一緒にクジラに会いに行くお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
「船長どう...?何か変なとこある...?」
煌々と光るボートのライトが、横付けした無人の漁船を照らしている。その明かりを頼りに船長が一人船に乗り込み、その様子をホシノと先生がおっかなびっくりに見守っている。
「いや、別に変な事は無い。至って普通の漁船だ」
しかしそう言いつつも、ライトに照らされた船長の顔には明らかに困惑の色があった。
「確か今の時期は禁漁期間で、夜に漁をすることって無いんですよね...?港の船が波にさらわれてここまできちゃったとか、ですかね...?」
「いや、錨が降りているからそれは有り得ない。明らかに誰かが船を動かしたんだ。だが奇妙なのはな...。この船、壊れて動けないはずの、俺の兄貴の船なんだ...」
ホシノは全身に鳥肌が立つのを感じた。昨日船長に教えて貰った島の言い伝えが脳を駆け巡る。もしかして本当に、あの世からやってきた幽霊が漁をしているというのだろうか...
顔を引き攣らせるホシノをよそ目に船長は漁船の操舵室に入り、刺しっぱなしのキーを回してみた。するとブルンブルンッ!という音と共に、船尾のエンジンが振動を始める。
「直ってやがる...。一昨日見た時はうんともすんとも言わなかったんだが...。不思議なこともあるもんだ...」
「せ、船長~...」
操舵室を出た船長は目を凝らし暗い海面を覗き込む。三毛猫の姿をしていることもあり、その両目は満月のようにまん丸な夜目に変わっていた。
「...ダメだ、こう暗くっちゃ何も見えねぇ」
しかしその目を持ってしても海中の様子は掴めなかったようで、船長は小さく舌打ちをする。
「船長さん、もしかして密漁をしている人が船を盗んだとかは有り得ませんか?」
「俺もそう考えたんだがな。実はこの辺りは島の漁師しか知らないポイントで、密漁なんか企てるような余所者が来れるような場所じゃねぇ」
「へ~...何か美味しいものが獲れるの?」
「あぁ。この下の岩場にはイセエビがわんさか居て、漁が解禁されている時期はそれは良い稼ぎ場所なんだ。ただここは...」
イセエビを探して岩場に身体をねじ込んだせいで身動きが取れなくなり、そのまま亡くなった素潜り漁師も多い曰く付きの場所でもある
それを言いかけた船長はしかし、ホシノの顔を見て急いで口を閉じる。それにこれ以上濡れた身体を海風に晒しておく訳にはいかない。
「とりあえず一度島に戻ろう。俺は二人を宿に届けたら兄貴を呼んでこいつを動かしに戻る。もう遅いから今日のログ付けは明日に...」
「あ、待って下さい」
船長は漁船のエンジンを切るとボートに戻ろうとする。しかしその時、それを阻止するかのように先生が手を挙げた。
「船長さん、良かったら私がその船、動かしましょうか?」
「え。先生船動かせるのかい?」 「え。先生船動かせるの?」
思いもよらぬ提案をしてきた先生に、船長とホシノは全く同じリアクションを取った。
「はい。キヴォトスの外にいた時、ダイビングライセンスを取るついでで船舶免許も取ったんです。そんなに難しくないものだって聞いていたので」
「す、凄いね先生...」
「ふっふっふ...シャーレの先生を舐めて貰っちゃ困るよホシノちゃん。ま、
「何にせよ助かったよ先生!俺が先導するから先生は後ろから付いてきてくれ」
「ヨーソロー」
威勢よく答えた先生は漁船に飛び乗ると操舵室に入り、再びキーを回す。今回もエンジンは何の問題なくかかった。本当に故障して動けなくなっていたとは思えない。
「おうホシノちゃん、折角の機会だ。そっちに乗って、先生と暫しの船旅を楽しむってのはどうだい?ちっこいボロ漁船で申し訳ないがな」
「ホント!?それじゃ漁船のほう乗るね!」
ホシノはすぐさま漁船に飛び乗る。状況が状況なので少し怖かったが、先生が船を操縦できることへの驚きに加え、星空の下、先生と二人きりで船に揺れることが出来ると考えれば、そんな怖さなど些細なものに感じられた。
「それじゃ行くよ!ホシノ、しっかり掴まっててね!」
「うん!」
そして二つの船は漆黒の海面に白波を立て、仄かな光が灯る島へと戻って行った。そしてその数秒後である。漁船が浮かんでいた場所から、二つの白い耳が生えた頭がぴょこんと飛び出てきたのは。
「船、盗られちゃった...泳いで帰らないと...」
シロコがノノミ達の元に帰って来たのは深夜を回った頃であった。ふらふらとした足取りでこちらに歩み寄って来るその姿を見た途端、三人は急いでシロコに駆け寄る。
「シロコちゃん大丈夫ですか!?日を跨いでも帰って来ないからどうしようかと...!」
「ぐったりしてるじゃない!何があったの!?」
「私の修理が甘かったせいですよね!?それで海の上で船が動かなくなって自力で帰って来たんですよね!?本当に本当にごめんなさい!!」
「ん、皆落ち着いて」
まるでサンタクロースの持つ白い袋のように大きく膨れ上がった網を地面に置き、シロコは大きく息を吐く。無限の体力の持ち主にしては極めて珍しく、シロコは疲れ切った顔をしている。
「実はまたホシノ先輩に会った。先輩達、今日は夜にダイビングしていたみたい。それで盗...アヤネが直してくれた船が見つかって、それをそのまま持っていかれた。だから自分で泳いで帰って来た。心配かけてごめんね皆。あ、それと会ったって言っても先輩達に姿を見られた訳じゃないから安心して」
「シ、シロコ先輩~...」
シロコが無事であったこと。そして帰りが遅れたのが自分のせいでは無かったことを知ったアヤネは安心の余り、大粒の涙をポロポロと流し始める。
「泣かないでアヤネ。アヤネが船を直してくれたお陰であんなにイセエビが獲れたよ...。これで帰るまでお腹いっぱい食べられる...」
しかしそこで体力の限界が来たのか、シロコは立ったまま意識を失い、仰向けの姿勢で倒れ始めた。湿った地面に彼女の後頭部がぶつかる直前に、ノノミが急いでその身体を支える。
「先輩、気絶しちゃったのね...。船で行くような場所から泳いで帰って来たんだから無理も無いか...」
「いえ。どうやら寝てるだけみたいです。でもさすがのシロコちゃんも、夜の海の遠泳は堪えたみたいですね」
ノノミの言う通り、耳を澄ませると「スース―」という穏やかな寝息が聞こえて来る。常人なら途中で力尽きるような距離を泳ぎ切った反動が「疲れて眠る」な辺り、キヴォトスを自転車で横断する体力を誇るだけのことはある。
ノノミがシロコのウエットスーツと水着を脱がせ、乾いた制服に着替えさせている間、アヤネとセリカは網を開けて今夜の漁獲を確認していた。中身は大量のイセエビ、それに加えイセエビよりも一回り小さい、平べったい体をしたエビと、反対にイセエビの3倍はあろうかという超巨大なエビだった。
「先輩、この間海に行った時と同じ位獲ってるわね...」
「それに見てよ。このセミエビっていう平たいエビ、今調べたらキヴォトス本土だと一匹二万円で取引されているみたい」
「ににに二万円!?じゃ、じゃあこれ全部でいくらになるのよ!?」
驚きの余りセリカはしゃがんだ姿勢から後ろにひっくり返りそうになる。
「どうしましょうこのエビ達...。あと四日で食べきれるような量じゃないし...」
アヤネは大きくため息を吐く。「これなら多分使ってもバレない」とシロコに言われ、壊れた漁船のエンジンを直した時点でこうなる事は何となく予想は付いていたが、もう今更角を立てて叱ることも出来ないし、そんなこと出来る資格も既に無い。
「ん、大丈夫。そのことも考えてる...」
その時、背後からシロコの小さな声が聞こえて来た。
「シロコちゃん起きていたんですか?」
ちょうどシロコを負ぶってテントまで連れて行こうとしたノノミは肩越しにシロコの顔を覗き込む。
「うん、今起きた。でも今日は疲れたからこのまま寝させて欲しい。それとそのエビは明日の朝お刺身にするから楽しみにしててね」
「わ、分かりました...。それじゃテントまで行きますね。私達ももう寝ましょう」
「そうね。アヤネちゃんテント戻ろ」
「うん」
ノノミがシロコのテントに入ったのを確かめたアヤネとはシロコのエビ達を一度網に戻し、それぞれのテントに入っていった。