ホシノが先生と一緒にクジラに会いに行くお話   作:空を飛ぶジンベエザメ

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十八話 そこにいるんですか...ユメ先輩

「ホシノ...?」

 

クジラが着水した瞬間、機能を止めていた聴覚が元通りになった。背後から先生の声が、聞こえた気がする。しかしそんな先生の声を完全に無視し、ホシノは一人海に飛び込んだ。

 

「ちょっ、ホシノどこ行くの!?一人で行っちゃダメだって!」

 

「ホシノちゃん待つんだ!」

 

先生と船長の声に聞く耳を持たず、物凄いスピードで子クジラのほうに泳いでいくホシノ。先生は慌てて追いかけようとするが、足ヒレを外してしまっている上に上半身のウエットスーツも脱いでしまっている為、直ぐに飛び込むことが出来ない。二人がモタモタしている間にも、ホシノは船との距離をどんどん離し、子クジラに近づいていく。

 

 

あそこに、あの場所に、ユメ先輩がいる...!あの子クジラが、そうなんだ...!

 

 

なに馬鹿な事を言ってるの?あのクジラがユメ先輩な訳無いじゃん。現実逃避してないで、さっさと船に戻りなよ

 

 

二つの相反する思いが頭の中で渦巻いている。けれど突き動かされるようにして海に飛び込んだ事からも分かるように、今のホシノを支配しているのは、圧倒的に前者だ。

 

子クジラがゆっくりと海に潜る。まだ小さいヒレを懸命に動かして。そんな子クジラの真下、更に深いところに、大きな白い影が揺らめいている。多分、この子のお母さんだろう。ホシノは息も整わぬまま、急いで潜行する。

 

こちらの姿を確かめたのか、子クジラはホシノに向かって真っ直ぐ泳いで来た。更に頭を上に動かし、斜め上に浮かぶホシノに鼻先を向ける。

 

文字通り目と鼻の先に、クジラがいる。いくら子供と言ってもその体長は5メートルを優に超え、ヒレもホシノの身長くらいある。でもそんな巨大なものが迫って来ているにもかかわらず、恐怖心は全く湧いてこない。ホシノは手を伸ばし、その鼻先をそっと撫でた。

 

 

キュッ!キュッ!

 

 

ホシノに触れられて嬉しかったのか、子クジラは鼻先を小刻みに揺らし、イルカのような声を上げる。大人のそれよりもずっとか弱く、頭の中で木霊するような重厚感は無い。けれどその分可愛らしく、そして不思議な優しさがこもった声だった。熱いものが、肺を圧迫するかのように込み上げて来る。

 

(ユメ先輩、そこに、いるんですか...?私のことが、分かるんですか...?)

 

どれだけ心の中で念じても、子クジラは当然、何も答えない。次第に息が苦しくなってきた。もうこれ以上は、海中に居られない。しかし

 

(嫌だ...戻りたくない...!もっとここにいたい...!)

 

呼吸という、生命維持の根幹を成す機能が脅かされていても尚、ホシノは足ヒレを動かし海中に留まろうとする。今ここで海面に戻れば、あらゆる意味で、もう二度とこの子クジラには会えない。そんな気がして、ならなかった。

 

その時、子クジラがふっと、ホシノから離れた。まるで自分より小さなホシノを労るかのように、子クジラは出来るだけ水流を生まないよう、ゆっくりと潜っていく。

 

(待って...!行かないで...!)

 

ホシノは海底に向かう尾びれに必死に手を伸ばす。耳鳴りが聞こえ始めた。視界も暗く、狭くなってくる。胸はまるで、縄で強く縛り上げられているかのようだ。

 

すると次の瞬間、子クジラはくるりと身体の向きを変え、再びホシノに向かって泳いで来た。巨大な鼻先が、溺れかかったホシノに迫る―

 

「...ぷはぁッ!はぁ、はぁ...」

 

そして気付いた時には、ホシノは子クジラによって海面へと押し戻されていた。水平線をぼんやりと見つめながら、ホシノは浅く短い呼吸を繰り返す。

 

ホシノに続き、子クジラも海面に顔を出す。巨大な頭が聳えるようにせり出し、そしてそこにある、これまた巨大な目が、ホシノに向けられた。

 

(これが...クジラの目...?)

 

ぼやけた視界の中でも、それだけはいやにはっきりと映った。人間とも他の動物とも似つかぬ、まるで感情の読み取れない、ぎょろりとした黒目が自分を見下ろしている。そこでホシノは初めて、眼前のクジラに対して得も言われぬ恐怖を抱いた。今までこんな目つきの動物に、自分は触れ合っていたのか、と。

 

子クジラが三度、潜行を開始する。尾びれを高く振り上げ、あっという間に海中へと消えていく。呼吸が乱れ、もはや潜る気力を失ったホシノはその様をただ見つめることしか、出来なかった。

 

「ホシノッ!!」

 

背後から急に腕を回され、ホシノは問答無用で先生に抱きしめられた。見上げると、いつもゆるりと垂れている先生の両目が力強く釣り上がっているのが分かった。初めて見る、先生の本気の怒り顔だ。

 

「何考えてるのさホシノ!!こんな外洋で一人で船から離れたらどうなるか位分かるでしょ!?またアビドスの皆を悲しませたいの!?」

 

「ごめん、先生...」

 

抱きしめた衝撃で、ホシノの顔からマスクが外れていた。こちらを見上げるホシノの頬に、一筋の涙が伝う。

 

「泣いたって...」

 

しかしホシノの表情を見て、先生は出かけた言葉を慌てて引っこめる。彼女があの子クジラに何を見出し、そして海中で何を見たのかは、分からない。でもこれだけははっきりと分かる。今彼女が流している涙は、自分に叱られたせいで溢れ出た涙ではない、ということを。

 

「先生...先生...」

 

ホシノは先生の胸に顔を埋め、さめざめと泣き始めた。ウエットスーツを伝う雫が海水なのか涙なのか、分からない程に。そしてホシノ自身も、この涙の意味が何なのか、分からなかった。

 

「船に戻るよ...。帰ろうホシノ...」

 

船長が船を近づけてくれるまで、先生はホシノの頭を優しく撫で続けていた。

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