ホシノが先生と一緒にクジラに会いに行くお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
最近また、ユメ先輩の事が頭に浮かぶ。
死んだ人は何処に行くんだろう。もし魂というものが本当に存在するとして、それがまた新しい肉体を得てこの世に戻って来るのなら、その時先輩はどんな存在に生まれ変わっているのだろうか。それは人じゃない、別の何かなのだろうか。
確かな答えなんて出るはずの無い問いをずっと考えているせいで、もう何度眠れない夜を過ごしたか、分からない。
やっぱり私はまだ、本当の意味で前を向けていなかったんだ。だからまた、後輩達の手助けを借りることになってしまった。引っ張って、導いていく筈の人達に逆に背中を押されて訪れたこの場所で、私は今度こそ、変われるのかな―
「...ホシノ」
海からの風が、淡いピンクの髪をそよそよと揺らす。波止場の近くの防波堤に座り、水平線に沈んでいく夕陽を眺めていたせいで、ホシノは声をかけられるまで、直ぐ後ろに先生が立っていることに気付かなかった。
「横、座って良いかな?」
ホシノは小さく頷く。「よいしょ」という掛け声と共に、先生は防波堤に登り、ホシノの横に腰かけた。白無地のTシャツにジーパン、足にはビーチサンダルという、これまでで一番ラフな格好をしている。
「この夕日を見れるのも今日で最後か~。何だか名残惜しいね」
「...うん」
「ホシノはこの島でのバカンス、楽しかった?」
「...うん」
「...えっと。あ、何かこうやって二人で並んで夕日を見てるとさ、前に砂漠で野宿したの思い出すよね!ほら、夕日を背にして、捨てられた電車の上で座ったの!ホシノも覚えてるでしょ?」
「そう、だね...」
たわいもない先生の言葉に、ホシノは生返事を繰り返す。加えてホシノは今見ている景色が、先生とは異なって見えていた。幻想の中、広がる砂漠の海の前で、ユメ先輩が与えてくれた言葉と温もりが、頭の中を漂っている。
このまま無駄話をしていても埒が明かない。早くもそう悟った先生は意を決し、島に帰って来てからずっと気になっていた疑問を、ホシノに投げる。
「ねぇホシノ。一つだけ、教えて。あの子クジラがジャンプに成功した時、ホシノはあの子に、何を見たの?」
ホシノは、何も答えない。気まずい沈黙が、二人を包む。「やっぱり悪手だったか...」と、先生はすぐさま自分の行いを悔いる。だがその時、開かないと思っていたホシノの口が、ゆっくりと動いた。
「ユメ先輩だと、思ったんだ」
「...あのクジラが先輩に?」
小さく頷いた後、ホシノは続ける。
「私ね、最近ずっと、人間の死とか、生き物の魂とか、そういうことばっかり考えたり調べてたりしてたんだ。それで前学校の図書室で見つけた神話の中に、こんな話があったんだ。『人の魂は肉体から離れた後に死者の国に行き、そこでの試練を乗り越えれば、新たな肉体と共に二回目の生を得ることが出来る』。作り話なのは、自分でも分かってる。でもそうやって思い込めば、あのドジなクジラが、生まれ変わったユメ先輩に思えて。自分と同じ世界にユメ先輩がいるって考えたら、きっと私は今度こそ前を向ける。でも...」
そこでホシノは、拳をぎゅっと握った。
「多分あのクジラは、ユメ先輩じゃない。ユメ先輩は、絶対にあんな風に私を見ない。あんな目を、私に向けるはずが無い。だからあのクジラは、ただの優しくて人懐っこい子クジラだったんだ...」
分かってる。あのクジラがユメ先輩の生まれ変わりだとかそういうこと関係なしに、きっとあれがありのままの、クジラの目なのだ。それでも、妄想と思い込みの果てに見つけた僅かな希望を恐怖で押し流したあの目が、ホシノは忘れられなかった。
「私はそうは思わないかな」
「...え?」
優しい口調の中に確固たる意思が宿ったその言葉に、ホシノはそこで初めて先生の顔をしっかりと見た。
「ねぇホシノ、今回の旅行でホシノは不思議な出来事に沢山出会ったよね?海の中で素潜り漁師のお化けを見たり、動かないはずの船が何故か浮かんでいたり。そうそう!それと忘れちゃいけないのが神様から貰ったあのイセエビ!ホシノ、神様とお話したんだよ!?だったらもう、死んだ人がクジラに生まれ変わってたって不思議じゃないって!」
「いや、あれは...」
しかしホシノが何か言う前に、先生はやや早口で言葉を続ける。
「私はホシノのその考え、凄く素敵だと思う。作り話だ、あり得ない話だと心の何処かで思っていても、自分にとって大切な存在が、姿を変えて同じ世界で生きている。そう信じることで前を向けるなら、それは現実逃避なんかじゃなくて、『死』というものへの、一つの向き合い方だと私は思うよ」
そこで一呼吸置いた先生は体の向きを変え、ホシノに真っ直ぐ向き合う。
「話は変わるんだけどさ。もしも今、先輩がそっくりそのまま生き返ったとして、今のホシノは彼女の全てを肯定出来る?ありのままの梔子ユメを受け入れて、一緒に生きることが出来ると思う?」
「それは...」
ホシノは夕日を見つめたまま、考える。
ユメ先輩が生き返ったら。果てしなく優しくて、お人好しで、人を疑うことを知らない、まるで善性が人の形をして歩いているようなユメ先輩。でもその分ドジでおっちょこちょいで、誰かが傍にいてあげないと一人で生きて行くのさえ難しそうな先輩が今、生き返ったら。
ひとしきり考えた後、ホシノは再び口を開く。
「それは多分、出来ないと思う。最初は嬉しくって仕方が無いだろうけど、時間が経って先輩がいることがまた当たり前になったら、先輩のダメなところとかイライラするところが気になって来て、そのうちまた意地悪なこと、言っちゃうと思う」
その答えを聞き、先生は優しく微笑んだ。
「そうだよね。完璧な人間なんていない。私は昔のホシノを知らないけど、ホシノみたいな優しい子がイライラしちゃうんだから、きっとユメ先輩は本当にドジな人だったんだろうね」
ホシノは何も言えなかった。私がもっと大人だったら。先輩のダメなところも笑って受け入れられるだけの「器」があれば...。無駄だと分かっていても、またそんなことを考え始めてしまう。
「話戻るけどね。ホシノが怖かったクジラの目は、きっと先輩のそういうところの、表れだったんじゃないかな?」
「...え?」
先生は続ける。
「完璧な人間なんていない。どんなに親しかったり、心から愛していたりする人でも、『ここは苦手だな』とか『ここは直して欲しいな』って部分が絶対にある。そういう『他人の受け入れられない短所』が、ホシノを見たクジラの目に宿っていたんじゃないかな。でもそれはその人を構成する一部分でしかなくて、その人の本質では無い。ホシノは今日のホエールスイムを通じて、クジラが嫌いになった?」
「ううん!そんなことは無いよ!」
ホシノは今までで一番強い口調でそれを否定する。
本物のクジラと一緒に泳げた。それは間違いなく心から感動したし、この島に来てからの一番の体験だった。それにあの子クジラもそうだ。鼻先を撫でられて嬉しそうにしていた姿は人懐っこくて本当に可愛いかったし、最後に自分を海面に戻してくれたのも、自分が溺れそうになっていたのに気付いたからだろう。
あの目を見ても、私はやっぱりクジラが好き
ホシノはその事実を再認識すると同時に、また視野が狭くなっていた事にも気付く。
「だったら、信じてもいいんじゃないかな。これからユメ先輩はクジラとして、この大きな大きな海の中で生きていく。今は頼りない子供だけど、いつか立派なクジラに成長して、今度はお母さんとして、きっとこの島に戻って来る...。ま、もしかしたらあの子クジラはオスかもしれないけどね」
ドクン、と心臓が大きく高鳴った。喉の奥につっかえていた違和感が、溶けるように無くなっていくのが分かる。
手帳の内容は、誰にも分からない。でも、ユメ先輩を一番よく知っているホシノなら、そこにはホシノが信じる言葉が記されているはずだよ
あの日先生はテラー化した自分に、そう語ってくれた。自分で自分を許すこと。例えそれが事実でないとしても、自分の信じる先輩と、自分自身の姿を信じて歩むこと。それもまた
ホシノはすっと立ち上がり、もう太陽が隠れてしまった水平線を見つめる。そしてこの先の何処で今も泳いでいる子クジラに向けて、心の中で語り始めた。その様子を、先生は静かに見守っている。
(ユメ先輩、私はあの時先輩に、「会いたいです」って言いました。そしてそれに先輩は、「知ってるよ」って答えてくれた...。今先輩が何処にいるか、私には分からないし、それは誰にも分からない。でも、それでも私は信じます。今日先輩は、あの時のお願いに、しっかりと応えてくれた。だからもう、私は大丈夫です)
ホシノは拳を強く握り、それを胸に当てる。その時、着ていた服の胸ポケットに入っていたものの存在を、ホシノは思い出した。拳を解いてポケットから取り出したもの、それは女将さんから貰った、あの手帳だった。
ホシノは立ったまま手帳を徐に開く。そこにはダイビングだけでなく、この島での思い出が多く記されていた。
初めてのダイビング。オジサンに会った。明日は泳ぐ練習をするみたい。私に出来るかな...
中性浮力に成功!水の中を泳ぎ回れるのがこんなに楽しいなんて知らなかったよ~!あ、そうそう!サンゴの森のところで素潜りをしている人を見たんだ!船長に聞いたら、「漁師の幽霊を見たのかもな」だって。船長は私をからかうのが好きみたい!でも今度また何かされたら、お返しにイタズラしてやろうかな~
今日はナイトダイビング!最初は少し怖かったけど、一回慣れたら夜の海って凄く落ち着く場所なんだね。ウミヘビに毒があるのは知ってたけど、そんなに強い毒だったってのは知らなかった。二人は笑ってたけど、あの時の私、普通に危なかったよね...?最後は先生の動かす船で島に帰った。先生の運転が荒くって、何度も波を被ったよ~
今日はダイビングはお休み。でもその代わり、島の守り神とお話したんだ!結構俗っぽい感じだったからホントに神様なのかは分からないけど...。でも貰ったイセエビはとっても美味しかった。でも全部は流石に食べきれなくて、まだ元気なイセエビは海に戻した。「いくら神様から貰ったものでも、禁漁は守らなくちゃいけない」ってさ。神様ごめんね
手帳にはそんなメッセージの他に、自分で描いた魚やサンゴのイラストが所狭しと描かれている。思わず笑みがこぼれた。きっと先輩も、こんな風に使っていたんだろうな...
昨日の記録をめくる。白紙のページが現れる。今日の出来事についてはまだ、何も書いていなかった。
「先生、ペン持ってる?持ってたらちょっと借して欲しいな」
「うん、持ってるよ」
ホシノは先生からペンを受け取ると、白紙のページにただ一言、こう綴った。
ありがとう
ホシノはそのページを切り離すとそれで紙飛行機を折り、海に向かってそっと飛ばした。陸からの風に乗った紙飛行機は軽快に空を舞い、そして波止場の先端辺りで見えなくなった。
「...ホシノ」
見下ろすと、先生の瞳に涙が浮かんでいた。水族館でホシノと出会った時、自分をユメ先輩だと勘違いした彼女を見て、先生は内心かなり動揺していた。ホシノはまだ、過去から抜け出せていないのか、と。でも今回の旅行で今度こそ、彼女は変われたようだ。だからある意味では先生が一番、あの子クジラがユメ先輩だと信じている人物だろう。
「先生、この島に連れてきてくれて本当にありがとう。私はもう、大丈夫だよ」
ホシノは大きく頷いた先生の手を優しく取る。そして
「そろそろ帰ろっか!今日のご飯は何だろうね!?」
と笑顔で告げた。