ホシノが先生と一緒にクジラに会いに行くお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
「スキューバダイビング...?スキューバダイビングって、ゴーグルと足ヒレ付けてボンベ背負って、海に潜るやつのこと?」
「そうそう!先生になる前の私はね、それこそこんな綺麗なサンゴ礁が広がる南の海に潜ったりとか、ウミガメが沢山暮らしている海でカメと一緒に泳いだりとか、それはそれは色んな場所でダイビングしてたんだ。だから今まで言って無かったけど、ホシノが魚やクジラが好きって知った時、ホントは凄く嬉しかったんだよ。『私と同じ生徒がいる!』ってね」
先生はキヴォトスに来る前の自分の情報を滅多な事では話さない。先生としてシャーレに来る前はどんな仕事をしていたのか、兄弟や友人はいるのか等の質問をこれまで幾度となく投げかけられて来たが、先生はその殆どの質問に「貴女達の想像に任せるわ」という答えになっていない答えで乗り越えて来た。
そんな先生が自分だけに、今まで秘密にしていた趣味を話してくれた。その事実にホシノの瞳は、これまでに無い程に輝き出す。
「どうして今まで黙ってたのさ先生!?それにもしかして、今まで私が話してた魚の知識とか、先生全部知ってたり?」
先生は少し困ったように笑う。
「まぁ、大体はね...。ただホシノが凄く嬉しそうに話すから、ずっと知らない振りしてた。ごめんね...」
「うへ~!それじゃ私、魚好きなら知ってて当たり前くらいの知識を、魚好きの先生に披露してたってこと!?恥ずかし過ぎるよ~!」
いつものように「うへ~!」と鳴きながら、ホシノは人目も憚らず頭を抱える。しかしそうやって恥ずかしさに悶えながらも、心の内ではドキドキが止まらなかった。先生が、自分と同じように海の生き物好きだったなんて。
「あの時のホシノ、本当に可愛かったよ。モモトークで全く関係無いのにクジラのこと話し始めた時なんてさ...」
「止めてってば先生!そ、そうだ!ねえ先生、海に潜った時の写真とか動画って無いの?私、先生が見た海の中の景色見てみたいよ!」
この表情の先生は明らかに、生徒を茶化す時の表情だ。それを素早く悟ったホシノは急いで話題を変える。
「う~ん...。まぁあるにはあるけど、諸々の事情でキヴォトスの外の世界は例え海の中だとしても見せられないから...ごめんね」
「あ、そういえばそうだったね...。ごめんなさい」
先生の言う諸々の事情というのは今でも分からないが、とにかく自分が元居た世界というのはどうしても生徒達には見せられないらしい。そのことに図らずも触れてしまったホシノは先生にぺこりと頭を下げる。
「謝る必要なんてないよ。それに私、水中カメラマンみたいに魚や景色を沢山撮るっていうより、そこに住む生き物達と一緒に水の中を漂うほうが、好きなんだ」
そこで先生は改めてサンゴの水槽を見つめた。少し垂れた瞼の下にある優しい瞳に、美しいエメラルドグリーンの光が反射する。
「ダイビングってね、サーフィンとかシーカヤックみたいな他のマリンスポーツと違って『頑張って動く必要の無いスポーツ』なの。沢山動けばその分呼吸が必要になって、そして沢山呼吸する分タンクの中の空気を早く消費して海の中にいられる時間が短くなる。だから私達ダイバーは海の中では基本的にのんびりリラックスして、偶には流れに身を任せながら水中の世界を味わうの。自分の体重すら忘れて水中をふわふわするあの時間は、お昼寝をするみたいな穏やかな幸せと、未知の世界を冒険するワクワクが混じった、他では絶対に味わえない感覚なんだ」
頑張らなくて良い。のんびりリラックス。お昼寝をするみたいな穏やかな幸せ。そんな時間を、大好きな魚達に囲まれて過ごすことが出来る...。まるで自分を狙い撃つかのように放たれるその言葉にホシノは、先生の語るダイビングの魅力に心惹かれていた。
「でも先生はキヴォトスに来てから、それをもう長い事味わえていないんでしょ...?そう考えたら私、少し申し訳なくなるな~...」
「ふっふっふっ...。そんなことは無いのだよ...」
すると先生は急にすまし顔になり、肩にかけたトートバッグからA4のカラフルなチラシを取り出した。
「実は先生、明日からここに行くんだ!」
ホシノの前に差し出されたそのチラシは、水面から勢い良くジャンプするクジラのダイナミックな写真が一面に印刷された、離島の観光PRのチラシだった。
「ここはキヴォトスから高速船を使って3時間で行ける離島でね。つい最近本格的な観光地化に乗り出したらしいから見れるものと言えば豊かな自然だけなんだけど、それが最高の景色らしいの!近くを流れる暖流の影響で島の周辺には綺麗なサンゴ礁があって、しかも今の時期ならクジラが子育ての為に集まって来ていて、本当に運が良いと一緒に泳げたりするらしいんだ!それにこんな離島まで逃げ...来ちゃえば山積みの仕事のこともきれいさっぱり忘れられそうだし!」
そこで先生は一度一呼吸置きつつ、吸い込まれるようにチラシを見つめるホシノを見る。どうやら狙い通り、喰い付いてくれたようだ。
ついさっき自分のことをユメ先輩だと勘違いしたホシノ。そんな彼女に与えられた休暇とお金。偶然にも同じ期間の休暇を取り、離島へバカンスに行こうとしている自分と出会った事。まるで誰かが「ホシノと一緒に休暇を過ごせ」と世界を操ったかのようだ。だから先生は迷うことなくホシノに、こう告げた。
「ねえホシノ。良かったらさ、私と一緒にこの離島でダイビングをやってみない?出発は明日の午前3時だから、急いで支度をしてもらわないとだけど...」
しかし先生はその言葉を言い終えることが出来なかった。ホシノがその小さな身体で、自分のお腹に思いっきり飛び込んで来たからだ。
「行くよ先生!絶対行きたい!!私もダイビング、やってみたい!!」
こんなに積極的なホシノを見たのは久しぶりだ。ついこの間までユメ先輩への自責の念と、先輩としての重責にがんじがらめにされていたこともあり、先生は彼女がこんなに喜んでくれたことに心から嬉しくなる。
「それじゃ決まりだね!でも旅行の支度のことも考えたらもうあんまりここではゆっくり出来ないかな...」
「だったら一緒に急いで回ろうよ!ねぇねぇ先生、ここの水族館で見れる魚も島にいるのかな!?」
「ちょ、ちょっと急に腕引っ張らないで...!」
ホシノはお構いなしに、先生の腕を引いてサンゴ礁館を後にする。どうやら今回も、じっくりと展示を見ることは叶わなそうだ。しかし今のホシノにとってはもうそんなこと、どうでもよかった。
大好きな先生と二人っきりで離島でバカンス...。考えただけでワクワクが止まらない。最近また眠れない日々が続いていたが、今日の夜は別の意味で眠れそうもなさそうだ。寄せる波のように次々と訪れる幸せのお陰でホシノは、ラーメン屋を出てからずっと自分をつけていた4つの影に最後まで、気付くことは無かった。
ホシノがサンゴ礁館を出た直後、人混みに紛れていたその影達がサッと集合する。
「ホシノ先輩、良いなぁ~...」
「セリカちゃん、本音が漏れてますよ~」
「でも先輩の見守りはここまでですね...。流石に離島にまで尾行をするのは...」
「あら、そんなことはありませんよ。もう全員分の船のチケット、カードで買っちゃいました☆」
「ノノミ先輩嘘でしょ!?そ、それじゃ私達もあの島行くってこと...?」
「ん、楽しみ。皆、水着忘れちゃダメだよ?」
どうやらホシノと先生の二人だけの穏やかな休暇、とはならなそうだ。
使ったお金 水族館のチケット1000円
ホシノの残金 98000円