ホシノが先生と一緒にクジラに会いに行くお話   作:空を飛ぶジンベエザメ

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六話 出航

「うへ~。ウエットスーツってこんなに締め付けるものなんだね。それに熱が籠って熱い~」

 

宿で船長に渡されたウエットスーツに着替え、先生と共に港へと戻って来たホシノは身に着けるウエットスーツが生む違和感に身体をむずむずさせていた。全身をぴっちりと覆う圧迫感と、独特のゴムの臭い。そしてこれから海に向かうことへの期待感。それらが相まって、ホシノの心をざわつかせる。

 

「防寒の為の装備だから仕方ないね。いくら海が温かいからって、ウエットスーツ無しじゃ低体温症になっちゃうから」

 

「もうしばらくの辛抱だぜホシノちゃん!海に入っちまえばウエットスーツの中に水が入り込んで圧迫感もかなりマシになるからな!」

 

波止場に停まった船の上で二人の器材を準備しながら、船長がそう告げる。船長のダイビングボートはどうやら先程高速船から見た漁船の群れの中にあったようで、他の船とは異なり、デッキの中央にボンベを寝かせて固定させる為の板が張られている。

 

「そうなの?じゃあ船長、早く出航しようよ!」

 

「おうともよ!それじゃ二人共、船に乗ってくれ!」

 

二人はサンダル履きの状態で船にぴょんと飛び乗る。高速船よりもずっと小さい船は港の中の小さな波でも敏感に揺れ、立っているだけで不思議な浮遊感を与えて来た。

 

「おぉ、揺れるね...!」

 

「船が動いている時はもっと激しく揺れるから、二人は船の縁に座っていてくれ。立ってたら海にほっぽり出されちまうからな!だがその前に、ホシノちゃんにダイビングの器材の説明をしておこう」

 

船長はたった今準備を終わらせ板に固定していた器材を持ち上げ、二人の前にドシンと置いた。あちこちにポケットやフックが付いた黒いジャケットの背後に空気のタンクが取り付けられ、そのタンクの上部から3本のホースが伸びている。

 

「これがダイビングをする時の標準的な装備だ。こいつらには水中世界を安全に且つ最大限に楽しむ為の機能が色々付いているんだが、今日はとりあえず一番重要なもんについてだけ説明しておこう」

 

船長は伸びるホースの内、一番短いものの先端に付いている丸い呼吸器を手に取る。

 

「こいつはレギュレーターっていう、タンクの空気を口に送ることで水中で呼吸する為の器材で、当たり前だがこいつを咥えていないと水中で活動することは出来ない。ダイビング中は絶対にこいつを口から放さない事、それだけは約束してくれ」

 

ホシノはレギュレーターを見つめながら強く頷く。

 

「だが万が一水中でレギュレーターが外れた時は、まずは落ち着いてレギュレーターを引き寄せ、咥え直す。そしてこの真ん中にあるパージボタンってのを押すんだ。ホシノちゃん、試しにボタンを押してみな」

 

「りょうかい~」

 

ホシノは船長から渡されたレギュレーターを手に取り、何一つ警戒せずボタンを押し込む。すると

 

 

バシュシュシュッ!!

 

 

「うへぇっ!?」

 

ボタンを押した瞬間、物凄い音を立て空気がレギュレーターから噴き出して来た。それにびっくりしたホシノは身体を仰け反らせた勢いで危うく海に背中から落っこちそうになる。

 

「はっはっは!良い反応だ、ホシノちゃん!」

 

船の縁を強く握り足をバタバタさせるホシノを見て、船長は愉快そうに笑う。

 

「ひどいよ船長~...」

 

「悪かったな。今みたいにパージボタンを押すとレギュレーターの中に空気が流れ込んで海水を押し出してくれる。そしたらまたいつも通りに呼吸するだけだ。分かったかい?」

 

「良く分かったよ~。今ので眠気も飛んでったし」

 

「そいつは良かった!それじゃ今度こそ出航だ!しっかり掴まってろよ!」

 

船長は操舵室に入ると、エンジンをかけた。船尾のスクリューが白波を立て始めると共に、ゆっくりと前進を始める。更に船はどんどんと加速し、あっという間に美しい港を抜けた。その瞬間、強い風が先生とホシノの長い髪をなびかせる。

 

「うわっ...!凄い風...!さっきまでこんな風吹いてなかったのに...!」

 

「港には防波堤があるから風が来なかったのね...!ってうわっ!?」

 

その時船が強く揺れ、船体が跳ね上がった衝撃で生まれた水飛沫が先生の顔面をこれでもかと打ち付けた。

 

「あははッ!先生もうビショビショじゃん!」

 

「うへ...。しょっぱい...」

 

揺れる船の縁に座ったままホシノは、苦い顔で口の中の海水を吐き出す先生をケタケタと笑う。普段の彼女からは中々聞けない、子供のような無邪気な笑い声だ。

 

 

 

そうこうしている内に船は速度を落とし始める。ホシノ達が訪れたポイントは島が目と鼻の先にある、浅瀬だった。落ちないように踏ん張る必要が無くなったので背後の海を覗き込んでみると、水底にある岩や白い砂が波に合わせてゆらゆら揺れているのが分かった。本当に、呆れる程高い透明度だ。

 

「よし、到着だ。まずは潜る前に慣らしで装備を付けずに入ろう。ホシノちゃん、これを使ってくれ」

 

錨を下ろした船長はホシノに足ヒレとシュノーケルマスクを手渡す。彼女の淡いピンク色の髪に良く映える、白く縁どられたマスクだった。

 

「付けたらもうドボンしていいぞ!」

 

「本当!?テレビとかで見るみたいに、背中から入るの!?」

 

早く海に入りたくて仕方ないホシノはあっという間に足ヒレとマスクを装着し、期待の眼差しで船長を見つめる。

 

「好きに飛び込んでいいぞ!ただ衝撃でマスクが外れるから、飛び込む時にはシュノーケルを咥えてマスク本体をしっかり押さえてくれな!それと海に入ったら直ぐに海面から顔を出してくれよ!」

 

「分かったよ船長!それじゃおじさん、背中から入ろう~っと!」

 

ホシノは船長に言われた通り、シュノーケルを強く咥え、マスクを両手で押さえつける。そして縁に座った状態で身体の力を抜き、そのまま背中から海に飛び込んだ!視界が一瞬だけ、キヴォトスの澄んだ青い空で埋め尽くされる。そして―

 

 

ドボンッ!

 

 

全身が、心地よい涼しさに包まれる。大小の泡が頬を撫でてゆく感覚、ウエットスーツに海水が入り込んで来る感覚がくすぐったい。

 

背中に感じる水の圧力。何だか海そのものに後ろから飲み込まれたみたいだ。でもそれは決して恐ろしいものではなく、このまま沈んでいきたいと思えてしまう程に、心を穏やかにさせてくれた。

 

(気持ち良い...)

 

海に抱かれ、普段重たい体が嘘のように軽く感じる。この軽い身体を海底に向ければ、きっと水族館で見たあの景色を見ることが出来るのだろう。でも心地良さにかまけて船長との約束を破る訳にはいかない。ホシノは丸めた体をピンと伸ばし、脚で水を掻いて水面に顔を出す。

 

「初めてにしては見事なバックロールだ!」

 

「ホシノどう?とっても気持ち良いでしょ!?」

 

ゴボゴボという水音が消えた直後に聞こえて来たのは船長と先生のそんな声だった。ホシノは立ち泳ぎの姿勢で波が口の中に入らないように気を付けつつ

 

「うん!とっても気持ち良い!!」

 

と答える。

 

「それじゃ先生も行くよ!」

 

ホシノが飛び込んでいる間に自分もシュノーケルと足ヒレを装備した先生はホシノに続いて海に入る。背中から飛び込んだホシノとは異なり、先生は大きく踏み出すような動作で足から飛び込んだ。

 

「ホシノ、ちょっと見てて!」

 

自分のすぐ横に浮上して来た先生はシュノーケルを咥えると身体を海老のように曲げ、頭から足元の海底へと潜り始めた!その姿を逃さぬ様、ホシノは急いで顔を水面につける。

 

(うわぁ...!魚がいっぱい!それにサンゴも...!)

 

足元に広がる光景。それは遥か沖の方まで続く、美しいサンゴ礁だった。水族館で見たものと同じ白い砂地の上には、そのほぼ全てがサンゴで覆われた岩が幾つもゴロゴロしており、その上を数え切れない程の小魚達が優雅に泳いでいる。

 

オレンジ、コバルトブルー、黒、紫...。陽の光により水中全体が青白く彩られていることもあり、魚達のカラフルな背中がより際立って見えた。そしてそんな世界に、全身をくねらせながら先生が潜っていく。長い髪を水中でなびかせ、しなやかに潜水するその様はまるで人魚だ。

 

底に着いた先生は砂の上で腹ばいになり数十秒の間そこで何かを探しているような動作をしていたが、息が続かなくなったのか、やがて再びホシノの横に浮かび上がって来た。

 

「先生凄いよ!素潜りであんなに深くまで行けるなんて!」

 

先生の知られざる特技を目の当たりにし、ホシノは素直に感心する。陸の上では日頃のデスクワークのせいでホシノと同じように猫背で過ごし、いつもふわふわマイペースにやっている先生だが、水の中ではそうではないようだ。

 

「水深は5メートルってとこかな?この位の深さなら朝飯前だよ。それよりも見てこれ!前に水族館のタッチプールで触ったの覚えてる?」

 

先生が海底から持ってきたのは細長い体の真っ青なヒトデだった。

 

「それ、アオヒトデだ!名前がそのまんま過ぎるやつ!」

 

「正解!それにヒトデだけじゃなくて、ウニとかナマコとかも沢山いたよ!」

 

「本当!?」

 

「うん本当。さ、そろそろ船に戻りましょう。私も早くタンク背負いたいし!」

 

「そうだね!」

 

そして二人はヒトデを海に戻してやると、船長が用意してくれたハシゴで船に戻り、本格的な潜水の準備を始めるのだった。

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