新・光神話パルテナの鏡〜雷霆の歌姫〜   作:織姫ミグル

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第3章

 

 

生憎の雨。

 

パラパラと小粒の雨滴が路面を黒く濡らしている。流石に冬頃となると、辺りの空気も一気に冷え込んできていた。

 

行く人々はちゃんと洗濯物は外に干さず部屋の中で干したよなぁとか、窓ってちゃんと閉めて出てきたっけ? と、分厚い雲に覆われた空に目をやったまま、道行く人々は何となしに歩き続ける。

 

嫌な空だった。

 

不快な天気だった。

 

職場や学校が近くにある事、雨天のたびにコンビニ傘を買って帰るので職場どころか家の傘立てがいっぱいになっている事などを考えると、店に入って雨具を手に入れるのが面倒というほどに気が参るような空模様。

 

 

「··············」

 

 

ローブを着込んでる奴はそんな雨の中を傘も差さずに歩いている。

 

一見すればローブで濡れるのを防いでいるようには見えても、今時布製のローブで雨を凌いだところで吸収しやすい服はすぐに水で湿って体の体温を急速に奪っていく。

 

雨合羽代わりにしていても、あまり効果があるようには見えない。

 

『そいつ』は裏路地へと入って、近道をしようとしたところ。

 

 

「おい! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

「待てって!! こんな雨の中そんなに急ぐと転んじまうぞ!?」

 

「平気だって! ほら! 早くしないと─────」

 

 

ドン、と。

 

目の前から声が聞こえてきたと思ったら、そいつの体に小さな衝撃が走った。 

 

誰かとぶつかったらしい。そして最悪なことに、衝撃の当たった場所が肩であった。世の中、歩いている中で肩同士が当たった場合は相手がいちゃもん付けてくるのがお決まりの展開だ。それを回避するために、特に日本人達は礼儀を弁えて先に謝るという暗黙のルールを決めていたりしている。トラブルに発展しないために。

 

けれど。

 

 

「おい!!」

 

 

ガシッと掴まれる肩。

 

遅かったと言うのもあるが、ローブを着込んだ奴が無言のまま過ぎ去ろうとしていたというのも問題であった。

 

 

「謝れよ」

 

「·············」

 

 

『そいつ』は顔を上げない。

 

それでも面倒なのか、肩を掴まれたままただ一言『すいません』とだけ告げるとまた歩き出す。

 

その態度が面白くなかったのか、ぶつかってきた奴は声を荒げる。

 

 

「おい待てや!!」

 

「·············急いでるんで」

 

「ハッ! なんだコイツ、よく見たらすげぇ古臭ェ格好をしてやがる。今時そんな服流行ってねぇっての、気持ち悪いなぁ」

 

「てめぇ、すいませんで済んだら警察も神様もいらねぇんだよ。土下座しろ、今ここで」

 

 

一緒に歩いていた友人らしき奴も便乗するように見下すと、ぶつかってきた奴は調子に乗って度が過ぎることを要求しだす。

 

しかし、その態度が気に食わなかったのは『そいつ』も同じだった。

 

思わず、雨水に打たれて冷え性に悩むように体を震わせる。しかし、凍えて震えていたんじゃない。面白おかしくて、くすくすと笑っていることで体が震えているのだ。

 

馬鹿な奴らだ。

 

自分たちが見逃されていることにも気付かずに。

 

無謀にも、『神の力を持つ相手』に無礼を働いてしまった。

 

 

ズドン! という轟音。

 

 

砲弾に薙ぎ倒されるように、ぶつかってきた者の体が地面へ叩きつけられた。そのまま勢いでゴロゴロと地面の上を一、二メートルも転がる。手足を乱暴に投げ出してうつ伏せに倒れるその姿は、なんだか壊れた人形を連想させた。

 

そして。

 

体から妙な煙が上がり、焦げ臭い匂いが鼻につく。

 

それからというもの、全く動かなくなる。

 

それもそのはず。

 

今ぶつかってきた奴を吹き飛ばしたのは、“稲妻”という高圧電流。

 

市販のスタンガンなんて甘いものじゃない。あんなのは精々二〇万ボルトや三〇万ボルトぐらいで、それを撃っても人は死なない。と言っても、家庭用の一〇〇ボルトでも人は感電死する場合がある。これは電圧ではなく電流の高低が原因である。『電気量』とは『電圧×電流』なので、電圧がいくら高くても電流が低ければ感電死は起こらないのだ。

 

そして、たった今ぶち込まれた一撃は自然界で生み出される雷そのもの。

 

その最大電圧は一億ボルト。

 

そんなものをぶつけられたら、人の体なんて呆気なく機能を停止する。身体中に走った電流が血管を破裂させ、心臓の活動を止める。

 

 

「·············へ?」

 

 

同伴者、愚かな友人は訝しげに眉を顰めた。

 

動きを硬直してしまった奴の元に、低い声が響く。

 

 

「馬鹿な奴だ」

 

「!?」

 

「自分が誰に喧嘩を売ったのかも知らずに」

 

 

薄笑い笑みを浮かべるローブを着た男。

 

刃物ように鋭い微笑みで、残っていた奴を見つめ、

 

 

「さて、お前はどうするか」

 

「え·············あ!? ま、待って!!???」

 

 

馬鹿にしてきた男は思わず後退りして、すぐさま地面に両膝をつけて頭を垂れる。

 

ガタガタと震えている。

 

それでもなんとか声を絞り出そうとする。

 

 

「す、すみませんでした·······ッ!! お、俺が悪かったですッ!!」

 

「·············」

 

「だ、だ、だだだ·············だからどうか見逃してくださ──────ッ!?」

 

 

言葉は最後まで続かなかった。

 

空気が上手く吸い込めず、舌が痺れて動かせなくなったのだ。

 

緊張のあまり肺を動かす筋肉がおかしくなった、というわけではない。

 

取り込むべき酸素が、急に失くなったのだ。

 

一応何かを吸い込んでいる感覚はあっても、それが酸素ではないことだけはわかった。特有の刺激臭から、これは体にかなり悪いものだということは察した。

 

気付けば、雨が止んでいた。だがまだ近くで雨音がする。この周辺だけが雨が降っていないのだ。そして何より、風が全く吹かない。その代わりに周囲に散る青白い閃光。肌にもピリピリとした感覚が伝わってきて、それが死へのカウントダウンを加速させていく。

 

 

「か─────カハっ!?」

 

「まだ天候変化と電撃しか試していなかったが········使い方によってはこんなこともできるようだな」

 

 

そいつだけは平然としていた。

 

雨もなく風もなく、青白い閃光が瞬いているのはその土下座をしている男の周囲だけ、男の頭上の空にとても都合よく穴がぽっかりと空いたかのように、雨が止んでいたのだ。

 

よって、影響を受けるのは土下座しているそいつのみ。

 

ローブの男から発生している、『電流』。

 

それを上手く利用すれば、空気中の酸素を分解する事ができてしまう。そして、通常なら酸素原子二つで『酸素』分子を作っているのに対し、一度二つに分解された酸素原子は今度は三つ繫がって、有毒な気体を作り出してしまう。 

 

『オゾン』

 

自然界では雷の放電や紫外線を浴びて生成され、地表付近では光化学スモッグの原因物質。その用途が除菌・殺菌である事から分かる通り、吸い込んでしまえば肺に満たされるのは有毒な気体。

 

酸素を根こそぎ奪われ、酸欠状態に持ち込まれた男は倒れてしまう。

 

喉が締まっていく感覚がする。

 

酸素を求めて雨が降っている箇所へ匍匐前進で進もうとしても、永遠に辿り着くことはない。動けばその影響も男の動きに合わせて移動し、雨が降っていた箇所は晴れてしまう。

 

泡を噴く男。

 

目を上にグリンと回して喉を自ら締め、苦しみに悶えたまま最終的に動かなくなる。

 

苦しみに耐えきれず自分で殺して生きるのを諦めた。

 

いや、単に苦しくて首を押さえてただけか。

 

どっちでもいい。

 

ローブの男は口元を歪めると、吹き飛ばして体を真っ黒に焼いた男へと近寄っていく。雨に濡れて煙は収まったようだが、その不快な異臭は健在。足でつついて仰向けの姿勢に正すと、伸ばされた手に何かが握られていた。

 

手に握られていたのは、ライブの入場チケット。

 

運良く完全には焼かれなかったようだが、心底大事だったのか黒焦げになった手はチケットをしっかりと握りしめている。それをローブの男は、枯れて脆くなった枝のようになっている手首を強引に引き千切ると、指先一つ一つを折って開いていき、そのチケットを取り出す。

 

端々が焼かれて穴が空いているが、辛うじて読める部分を読むとライブの日にちは今日であり、もうすぐ始まるようだった。

 

雨の中行うとは、いやしかし屋根付きの音楽アリーナで開催されるから問題ないのか?

 

そこに印刷されているライブの主役は『風鳴翼』という、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「··············」

 

 

チケットを握りつぶすローブの男。

 

その瞬間にそいつの手は青白く光り、高圧電流が走ってチケットは完全に焼かれる。

 

その顔に浮かぶのは、憎悪。

 

こいつのせいで自分は今まで惨めな生活をしてきたというのに、平然と歌っているとは。

 

不愉快そうに口を歪め、だが好機でもあると感じて、あることを思いつく。

 

 

「『こいつ』の威力は証明できた··············それを晴れ舞台で世界中に披露するのも悪くないな」

 

 

顔を歪めに歪め、悪の化身とも言えるような形になる。

 

しかし。

 

そいつ自身はそう思っていなかった。

 

むしろ。

 

 

「我こそが··············神なり。愚かな人間どもに裁きの雷を与える、新世界の神なり!!」

 

 

その口から出る言葉はどこか常識外れで小物っぽいが、それに値する『力』を手にしたそいつは口元を三日月のように広げて笑う。

 

この─────『完全聖遺物』さえあれば。

 

世界を破壊し、思うように作り変えることができる。

 

選ばれた存在。

 

そう思っている男は、ふらふらとした足取りながらも全ての優先事項が塗り替えられ、

 

自分の全てを奪った憎き存在に裁きの雷を与えに向かう。

 

 

 

♡♥♡♥♡

 

 

 

ライブまであと少し。

 

私立校。

 

小中高一貫校で中等科、高等科もある、この『リディアン音楽院』から出た卒業生のライブ当日であるこの日、学校は特別に授業が早めに終わりとなる。

 

理由は単純で、卒業生である風鳴翼が直々にライブを開催するからだ。

 

みんなの憧れの存在、トップアーティストで世界の歌姫とまで言われたあの風鳴翼が通っていた私立校となれば、そこに現在通う生徒たちは何が何でも見に行きたいと思うだろう。

 

となれば、そんな超有名人を輩出した学校は誇らしく思い、寛容の精神を持って見に行かせるというのもある意味筋が通っている。この人を見習えみたいな考えもあるだろうが、君達もいずれはこの人のように世界に羽ばたく存在になるんだ的な気持ちでライブに行かせるのだ。何より、風鳴翼を育て上げた学校は卒業後も全面バックアップを続け、広報や取材といったもので大忙しだ。

 

だから本当のことを言えば、みんながいるとメディアの対応の邪魔になる。

 

よって、今日の混雑に備えて生徒達を早く帰らせる訳だ。 

 

無論、それは全生徒共通。

 

バタバタと慌てて帰っている学生達、先生さえも授業が終わると風鳴翼のライブのバックアップのために次の行動に移っている。生徒達の安全ということで、自分らもライブに赴いてしっかりと見張るという役割を任された教師だっている。

 

··············その中で、何人もの先生が仕事をせず観客としてライブに向かうのだろうか。

 

いずれにしても、こんなお祭り騒ぎ状態でトラブルなんてあったら大変だ。生徒達の身の安全を守るのも教師の役目。こんなにもみんな楽しみにしているのだ。ライブが終わる最後まで見守らねばならない。万が一なことがあったら、冷静さを失った生徒達を導くのは自分達だ。まずは落ち着かせて、避難経路を確保して安全に外に出す。

 

昔、冷静さを失った者達が会場で争ったせいで多くの死傷者が出た。我先にと、出口に向かっていく観客達は結局出口付近で詰まり、お互いの存在を邪魔に思って乱闘騒ぎを起こしたりもした。そんなことがあったのに、世間はそれをあまり公表しなかった。むしろ、ライブ会場でアーティストが亡くなったことの方を大きく取り上げ、聴きに来た多くの観客達のことは大して報じなかった。世間からすれば、有名人一人が死んだことの方が大事というわけだ。そのせいで、何人もの観客達が非難されることとなるが、それを知っている者は少ない。

 

けれど、この『リディアン音楽院』はそのことを把握している。この学校もライブに関わっていた以上、事件の詳細を詳しく聞かされているだろう。だから、そんなことが起きないように、生徒達を避難させなければならないのだ。

 

ライブ会場の避難経路も把握もしなくてはならないので、皆がさっさと準備に取り掛かる。

 

これだけ管理を徹底していれば、たとえ何が起きても大丈夫だろう。

 

皆、安心してライブを楽しめる。

 

それではみなさん、良い一日を!

 

 

「それじゃ、補習を始めます。まずはプリントを配るので、それを見ながら今日は補習の授業を進めますよ」

 

「そんなぁぁぁああああああッ!!!??」

 

「たぁちばぁなすぅわあああああああああああんッッッ!!!???」 

 

「ひゃいッ!?」

 

「あれだけ·····あれだけ期限までに課題を終わらせるように言ったのに、それをあなたという人は読めもしないような文字で提出して··············ッ!!」

 

「あ、あはは〜」

 

「··············何笑ってるんですか?」

 

「す、すみませんでした··············」

 

 

もう二年生になって大分経つが、未だにありえねぇと彼女は思う。 

 

これだけ、あれだけ、それほどにまで自分の生徒である立花響を教育してきたというのに、彼女は一歩も進歩せず、授業中寝るわ課題やって来ないわ学校休むわで対応が大変なのに。そして今日もまた平常運転で先生を困らせる。今日は出来れば無事終わって欲しかった。自分だってライブを楽しみにしていた一人である。それをこの子ったら、ほとんど読めない字で課題を提出して、そんなもので救済措置の点数をあげられる訳がない。

 

先生だって辛い。

 

やる必要のない補習を今日やらねばならんのだから。

 

しかし、これをやらないと先生まで怒られる。

 

そして。

 

教室の真ん中に一人、ポツンと生徒が座っている様は中々に哀愁を誘う。

 

始めの方こそ『大空のように広い寛大な心を持っている先生ならきっとわかってくれる!!』とか楽観視していた彼女だったが、流石にあんなに汚い字で出されたらそんな優しさも消え、雷さまみたいに頭から角を生やすのも無理はない。

 

 

「私だって··············私だってッ!! 今日のライブを楽しみにしていた一人なんですよ!! それなのに、それなのに!! あなたという人はいつもいつもォォォオオオオオオ!!!???」

 

「だ、だったら今日くらいお休みしてもバチは当たら─────」

 

「とぅあちばぁなすぅわああああああああああんッ!!!??」

 

「す、すみませぇぇぇぇぇええええええええんッッッ!!!!」

 

「そんな腐った根性で先生に意見をしようだなんて、一〇〇年早いですよ。ほら立花さん、ライブに間に合いたかったらさっさと始めますよ。早速配ったプリントのギリシャの歴史の所から読んで下さい!!」

 

 

分厚い紙に印刷された文章を読まされる響は涙目で読んでいく。

 

なんでギリシャ? と思うかもしれないが、芸術系の学校の方針としては間違っていない科目である。

 

ギリシャの歴史を授業で学ぶ理由は、人間の本質や社会の在り方を理解するためだったり、西洋文化の根幹を知るためというのもあり、『神話』という概念や機能を深く考えるためでもある。神話は、人間の根源的な問い、例えば世界や自分の起源や死後の世界などへの説明であると同時に、哲学、芸術、文学に大きな影響を与えてきている。

 

例として挙げるなら、石像。

 

神話の一場面を描いた彫刻などが良い例だ。

 

何より、諸説あるが音楽の起源はギリシャであると語られることもある。

 

音楽は古代ギリシャ人の生活においてなくてはならないものであった。社会的なもののほとんど全てに音楽は姿を現す。

 

結婚式から葬儀、宗教的祭事、演劇、民謡、叙事詩の朗唱などのなかで音楽は用いられた。

 

現在までそれなりの数の古代ギリシャ音楽の断片が残っており、またそれらの音楽について書かれた文章も残存している。そうしたものによって、古代ギリシャ音楽がどのようなものであったのか、またどのような社会的な役割を持っていたのかも推測することができる。

 

たとえば音楽の経済的な側面、音楽家たちの身分、重要性などである。

 

だから音楽の芸術を学ぶこととして、ギリシャの歴史は外せない。

 

それでも不満を隠せない響は悲しく呟く。

 

 

「ゔ〜、私やっぱり呪われてる·············翼さ〜ん」

 

「そこ!! 無駄話しない!!」

 

「は、はい!!」

 

 

そんなこんなで今日も補習の(無駄に)時間が過ぎていく。

 

 

 

♡♥♡♥♡

 

 

 

ライブ会場までは結構な距離がある。

 

入り口に辿り着くのは一体どれくらいになるのやら。それを見越して会場が開かれる時間を早めにしているのだが、いかんせん人が多く長い。

 

大勢の観客達は長蛇の列として形成される。会場は満席で、アリーナに用意されている席の数もかつてないほどだった。これだけ人が多いということは、席の予約競争率もとんでもなかったろう。席のご用意ができませんでしたという残酷な文面を見て、どれだけ多くの人が涙を流したか。

 

そんな中、特別枠として用意された彼女達は別の入り口から中へと入っていく。

 

 

「いや〜、列に並ばず、お金払わずに即入場できるっていうのは何だかいいもんデスね〜。本当、お友達でいられて良かったデスよ〜!!」

 

「“切ちゃん”·········それ普通に来ている人に聞かれたら多分集団リンチにされるよ?」

 

 

仲の良い二人組。

 

リディアン音楽院の一年生組である“月読調”と“暁切歌”。

 

絶対に口にしてはいけないことをつい言ってしまった切歌はハッ!! と目を見開く。

 

知り合いという特権を誇らしく思うのは自由だが、正規ルートでやって来ている者達がそんなことを知ったら嫉妬と羨望、そして怨恨のあまり目尻から血の涙を流して襲ってくるだろう。

 

失言だったことに気付いた切歌は慌てて口に手を押さえて塞ぐ。

 

 

「全く·········嬉しいのはわかるけど翼のご厚意で特別に招待されてる訳なんだから、少しは感謝の気持ちぐらい持ちなさい」

 

 

そんな切歌を呆れたように目を細める保護者役の女性。

 

今回のライブの主役である風鳴翼と同格のトップアーティスト、“マリア・カデンツヴァナ・イヴ”はため息をついて頭を押さえる。

 

自分たちがどれだけ恵まれているかを再認識した切歌は口を塞いだままコクコクと頷く。学校が早く終わって、その後すぐにビッグイベントがあって浮かれているのか、切歌の口は軽くなっている。だから用意された特別席へと辿り着くまで、口を固く閉ざしておけるようにずっと手で押さえることに決めたらしい。

 

けれど、口だけでなく鼻まで覆っている状態のためか、上手く空気を吸いこめていない。

 

そして長く暗い階段を上ると、ステージ天井近くの壁に沿って設えられたボックス席に出る。そこにはスタッフに混じって、世界中の音楽関係者たちが見受けられた。

 

切歌は最終的に顔が赤くなるまで押さえていたせいか酸欠状態になって、席についた途端にブハッ!! と横隔膜や肋間筋といった呼吸筋が酸素欲しさに暴れまくる。ここまで我慢したその頑張りを褒めたくはなるが、彼女達の先輩はそれを鼻で笑う。

 

 

「本当、馬鹿ばっかで退屈しねぇな」

 

 

切歌達の先輩である“雪音クリス”は、後輩の間抜けさが面白おかしくてつい笑ってしまう。

 

周りのみんなが馬鹿やって勝手に盛り上がってくれて、こっちとしても退屈しない。これが結構心地よく、クリスはあまり嫌いじゃなかった。

 

用意された席に着く彼女達。

 

そんな中、一番端でさっきから袖を捲って腕時計を何度も確かめている子がいる。

 

ここに来れなかった立花響の親友、小日向未来だ。

 

 

「········もう、響ったら」

 

「あの馬鹿、やっぱ間に合わなかったか?」

 

「うん。課題は出せたんだけどね、字が汚すぎてこれじゃやっていないも同然だって怒られて、完全に補習することになったよ」

 

「ま、馬鹿なアイツらしいな」

 

 

時間はもうギリギリ。

 

おそらく今から来ても途中から見ることになるだろう。途中休憩を挟むが、それでも半分の公演を見逃すことになる。一緒に見ようと約束して何とかしようと頑張ってみたものの、判定はとても厳しかった。字が汚い中で、不自然に綺麗な文字があったのだ。そう、親友である彼女が手伝ったことがバレてしまい、未来も甘やかすなと少しお説教を受けたがそれだけで終わり、代わりにズルをしようとした響は強制的に補習の席に座らされる。

 

翼が用意した観客席の中で、唯一空いている一つの席。

 

本来ならばそこに座るはずだった響はまだ学校。

 

やっぱり、課題は事前にやっておかなければならないということを改めて実感した。

 

 

(早く来てよ響········)

 

 

ここに早く来てほしいという思いもあったが、それ以上に彼女の身が心配だった。

 

無事辿り着けるか、不安だったのだ。

 

別に響は方向音痴とかではない。だから迷うことはないだろうが、問題は来る前に何かトラブルに巻き込まれないかということだ。彼女のお人好しは度が過ぎる。教科書を忘れた同じクラスメイトに自分の教科書を貸してしまって、逆に自分が忘れたことになって怒られるという何ともおかしなことになってしまったこともある。

 

人助けが趣味な彼女ならば、道行く人の中で迷子の子供や、大荷物持って大移動しているおじいちゃんおばあちゃんを見かけたらすぐに飛びついていくだろう。

 

今日は生憎の雨のためそんなことはないとは思うが、そんな人助け精神のせいで会場に辿り着く頃にはすでに終わっているということにもなりかねない。

 

何より、心配はそれだけではない。

 

この世界には、人間を視認したら問答無用で襲いかかってくる認定特異災害『ノイズ』の存在もある。

 

今はその亜種である“アルカ・ノイズ”というのがたまに現れるが、もしもそんな奴らに襲われたら········という不安もあった。

 

彼女はそんなアルカ・ノイズを消し去る力を持っているが、それだけでは何も安心できない。

 

敵に狙われた、それが問題だ。

 

彼女を狙って敵が攻めて来たとなったら、ここにいる彼女達も出動せねばならない。出動自体は特に気にしないが、新たな敵が現れたとなったら、ここはまた戦場になる。

 

それがずっと気掛かりで、未来は落ち着かなかった。

 

そんな彼女に、頼れる先輩は言う。

 

 

「心配しなくても、アイツならちゃんとやってくると思うぞ」

 

「クリス?」

 

「約束したんだろ? 一緒に見よう、って?」

 

「う、うん」

 

「なら、アイツは何が何でも約束を果たそうとして急いでここに駆けつけてくるさ。親友のためなら何だってする、そういう奴だろ? あの馬鹿は」

 

「········」

 

 

未来は。

 

雪音クリスのそんな言葉についふっと笑って、

 

 

「うん········そうだね!」

 

 

よく考えれば、何も心配する必要はなかった。

 

あの親友は、約束のためなら全力で向かってくるような奴だ。

 

必ずやって来る。

 

そう信じて待ってあげればいいだけの話だ。

 

未来は捲っていた袖を下ろすと、観客でいっぱいになったステージを見下ろす。

 

もうすぐ始まる。

 

自分たちの憧れ、風鳴翼のライブが。

 

 

 

♡♥♡♥♡

 

 

 

開催時刻までもうあと五分。

 

ステージ裏の控え室には、関係者が集結し始めていた。 

 

裏の奥にはドラムセットやキーボードなどの楽器が設えられている。それぞれの役割を果たすように、皆が急いで準備をしている。

 

 

「········」

 

 

ステージの方から歓声が響いてくる。すると、それに呼応するように心臓の鼓動は早鐘のように鳴っていった。緊張に渇く喉を湿らせる。ついでに大きく深呼吸。だが、動悸は一向に収まる様子がなかった。しかしそれも仕方あるまい。

 

何しろ彼女は今、ステージ裏で出番を待っている状態だったのだから。

 

 

「スゥー、ハァー」

 

 

深呼吸をして心頭滅却。

 

余計な考えはせず、自分も楽しみながら皆にも楽しんでもらう。かつてのパートナー、天羽奏もそういう思いで歌っていた。

 

彼女の想いを胸に、風鳴翼は歌を歌い続ける。

 

この広い大空を自由に羽ばたき、どんなものでも超えてみせる。

 

 

「翼さん! そろそろスタンバイお願いします!!」

 

「はい! 今行きます!!」

 

 

翼は手に人の文字を三回書いてごくりと唾液と一緒に飲み下す。 

 

マイクを手に取り、バッと顔を上げる。

 

 

「それじゃあ、行ってきます·······奏!!」

 

 

 

♡♥♡♥♡

 

 

 

ご存知の方はご存知だとは思うが、パルテナという女神は短気である。

 

呼び出した瞬間にすぐさま地上界に繋ぐ『(ゲート)』に向かわせ、そこから飛び出した後にようやく今回のミッションを聞かされるわけである。

 

ブリーフィングとか一切無し。

 

だから事前の準備とかなく、たまたま装備していた金色に輝く美しい弓を左手に持って駆けていた天使の少年は、この天界から外界へと繋ぐ『(ゲート)』に辿り着き、勢いよく飛び出して叫ぶ。

 

 

「ピット、行きます!!」

 

 

少年は天使らしく(ゲート)を飛び出すと、天使の象徴であるその背の翼をはためかせ─────られず、そのまま落下していく。

 

 

「って、うわぁぁぁああああああああああッ!!??? パ、パルテナ様!? 早く奇跡!? 奇跡をッ!?」

 

『あ、ごめんなさいピット』

 

 

彼がつけている月桂冠から女性の声が聞こえてくる。

 

その声が聞こえた瞬間、彼の背にある翼は眩いばかりの光を帯び、自由落下していた体がふわりと浮き上がる。

 

 

「ふぅ·······助かったぁ。パルテナ様! もっと早くしてくださいよ!?」

 

『ごめんなさいね、何せ久しぶりですから』

 

 

うっかりです! なんて声が聞こえるが、当の本人はガチで焦っていた。

 

パルテナ軍の親衛隊隊長を務める天使、ピット。

 

その昔、冥府の女神である“メデューサ”に幽閉されていたが、パルテナの最後の力によって救われ、彼女から受け取った光の弓矢や奪われた三種の神器を使いこなし、メデューサに立ち向かったという凄腕の天使。

 

見事にメデューサを撃退した彼はその後もパルテナと共に人間達を守り、数々の化物と対峙していった。復活したメデューサの野望を食い止めるために各地を回ってまた倒したものの、その裏で暗躍していた黒幕である冥府神“ハデス”とも死闘を繰り広げ、世界に平和をもたらした英雄。

 

そんな彼でも、一つ欠点がある。

 

そう、()()()()()()

 

天使のくせにその立派な翼はお飾りか? なんて言いたくなる者もいるだろうが、こればかりは仕方ない。

 

彼にだって何かしらの弱点はあるだろう。

 

ほら、かの不死身の英雄と言われたヘラクレスとアキレスだって弱点が原因で命を落としている。

 

不死身という無敵の加護がついていたおかげで、ヘラクレスは十二の冒険で恐ろしい怪物を次々と倒し、アキレスはトロイア戦争にギリシャ軍として参戦し目覚ましい活躍を見せた。無敵と恐れられ不死身と謳われたそんな二人であるが、最後はヘラクレスは自らの矢に塗ったヒュドラの毒に、アキレスは唯一の弱点だった踵を矢で射られてしまって呆気なくヤラレチャッタではないか。

 

人は誰しも弱い部分はある。

 

その弱点を克服するために彼だって頑張ってはいる。だが現状、その翼を自力で動かすことができないので、女神パルテナの加護、『奇跡』を授かることによって空を飛ぶことができる。

 

あらゆる奇跡を使える女神パルテナ、その中の一つ『飛翔の奇跡』。

 

その力を使うことでピットも空を飛べるようになるわけだが、完全に自由に飛べるわけではない。

 

五分間、という制限付きなのである。

 

その五分を超えると翼は焼け落ち、再起不能に陥る。

 

ついでに言うと、飛行ルートはパルテナがコントロールしてくれる為に彼の意思で旋回したりすることはできない。

 

 

「はぁ·······早く自由に飛べるようになりたいです」

 

『いずれは飛べるようになりますよ』

 

「それでパルテナ様? 今回は一体どうしたんですか? 急に呼び出したと思ったら久々に地上に向かって欲しいだなんて、今まで全く干渉してこなかったのに」

 

 

そう訊ねてくるピットに、天界でこちらの様子をモニタリングしているパルテナは彼の体を操作しながら今回の任務について話し始める。

 

 

『まずピット、あなたは全知全能の神である“ゼウス”様のことは知っていますね?』

 

「勿論ですよパルテナ様! あの御方を知らない者などいません!!」

 

 

主神“ゼウス”。

 

その名を知らぬ者などほとんどいないだろう。それほどの有名人だ。

 

その存在は偉大で、数々の神話で語られている。ゼウスはオリンポスの神々の家族および人類の両方の守護神・支配神であり、神々と人間たちの父と考えられている。

 

彼は遥か昔、それも神という存在が生まれる前の話。

 

ゼウスといった神々が現れる前に“タイタン”という者達が世界を支配していた。そのタイタンの王である“クロノス”はある日『自分の子に王座を奪われる』という予言を受けて、これを恐れたクロノスは、妻である女神“レア”との間に生まれた自分の子を片っ端から呑みこみ、自らの腹の中に封じることにした。

 

遥か過去の出来事のために史実が捻じ曲げられ、いろいろな解釈が入り混じった伝承で語られることがあるが、ピットが知る神話では、自分の子供達を貪り喰うほどに邪悪だったクロノスだったが、その奇行を恐れたレアは最後に生まれたゼウスの代わりに岩を産着に包んでクロノスに渡して呑みこませ、クロノスを騙した。そして自分はクレタ島へと逃げ延び、そこでゼウスをニンフという乙女の姿をした精霊達に育てさせ、他の子供達を救う機会を待ち続けた。

 

それからしばらく経ち、ゼウスが勇壮な青年へと成長すると彼はクロノスに挑んで腹中にいる兄弟たちを吐き出させることに成功する。ゼウスは腹の中で成長した兄弟姉妹たちと結託し、クロノスとの決戦に臨み、勝利した。

 

その屍をタルタロスの淵に落として封印したゼウスは、全宇宙を治める神として君臨した。

 

壮大な神話は今でも語り継がれ、その存在は世界中どころか天・海・冥の三界にまで知れ渡っている。

 

 

「本当、偉大な方ですよね〜。ボクは会ったことがないですけど」

 

『まあ、全知全能である神がほいほいと人前に現れることなんてありませんからね』

 

「それで、あの超有名人がどうかしたんですか?」

 

『全知全能、全てを支配する主神ゼウス。そんな彼が使う“神器”のことを知っていますか?』

 

 

神器とは、ピットのような天使などしか使うことができない。

 

穢れなき魂を持つ者しか扱えない聖なる武具は極めて強力、それを制御するにはそれ相応の神聖さを持ち合わせていなければならない。とはいえ、中には明らかにネタとして作ったようにしか見えない神器だってあるが。

 

それを放てば邪悪なる者達を浄化することができ、神々や天使達は数多の怪物達を葬ってきた。

 

そんな神器でも、神が持つものは特別だ。

 

ピットが持つ神器などまさに天地の差、まったくもって比較にならないほどに神聖さで満ち溢れている。

 

中でも、ゼウスが持つ神器は全ての神器でもトップクラス。

 

下手したら、以前冥府神を討伐するためにディントスが創った『真・三種の神器』よりも強力かもしれない。

 

それで、そんな主神ゼウスが使う神器とは、

 

 

「えっと確か······“雷”、ですよね?」

 

『間違いではありませんが、正確には【雷霆(らいてい)ケラウノス】という、杖や槍に矢にもなる神器です』

 

 

元々はサイクロプス三兄弟がゼウスによってタルタロスから開放してもらった際にゼウスへの感謝も兼ねた献上品として創ったもの。

 

サイクロプスはそれぞれ『閃光(ステロペス)』『稲妻(アルゲス)』『雷鳴(ブロンテス)』の名を冠しており、その三つを合わせた雷の力が宿っている。

 

皆によく知れ渡っている、そんなサイクロプスの作った神器の名は『雷霆(らいてい)ケラウノス』。

 

その威力はオリンポス最強と謳われるほど強大なもので、この雷霆をゼウスが使えば世界を一撃で熔解させ、全宇宙を焼き尽くすことだってできる。

 

父であるクロノスを倒した際に使われた神器もそれであると言われており、ゼウスを象徴する最高武具である。

 

その形状はパルテナが述べた通り、武器の形をしていたという説があるが大抵の場合決まった形はなく、雷=稲妻そのものと言われる。

 

ゼウスはこれを投擲する形で使っていたと言われている。

 

全能神の威光として一度放てば世界を軽く焼き尽くし、本気で放った場合には宇宙そのものをも破壊すると言われる文字通り最強の威力を誇る武具なのだ。

 

そんな神器がどうしたというのか?

 

 

「それで、そのゼウス様が使う神器がどうかしたんですか?」

 

 

そう疑問を訊ねるピットに、パルテナは落ち着いたような声色で、

 

 

『ピット────周囲を見て何か気が付きませんか?』

 

 

そう言われてピットは周囲を見る。

 

本日の空模様は、生憎の曇り。

 

この先この地域は大雨の恐れもありますけれども、予想される雨量は百ミリを超えるような大雨となりそうです。先週もこの辺りで大雨が降り、今回も激しい雨が降ると予想されます。現在の状況を見ていきますと、近海に低気圧が発生し、雨雲が多く見られます。この後、この低気圧は発達しながら通過していきますが、しばらくは雨の激しい日が続く模様です。

 

そして、見てもらうとわかる通り、雲が暗く染まっております。

 

雷を伴った激しい雨となる恐れがありますので、今日は外出を控えたほうが良いでしょう。

 

 

「雷雲······だらけで天気が悪いですね。本当ならこんな日は家に閉じ籠ってゲームでもしていたいです」

 

『そんな雷雲ですが······どう思います?』

 

「え?」

 

 

これだけ黒く染まった雲。

 

こんなにも怪しい空模様ならば、雷鳴の一つでも起きてもおかしくない。しかし、雨は激しく降っているものの、そんな轟音は全く聞こえてこない。激しい光も発生せず、空にいるピットの肌にピリピリとした感触さえ伝わって来ない。

 

 

────()()()()()()()()────

 

 

それが何を意味するのか、ピットはここでようやく理解した。

 

そのことに気が付いたピットの様子を見て、パルテナが言う。

 

 

『気が付きましたねピット』

 

「はい! これは、まさか────ッ!!」

 

『その通り────主神ゼウス様の神器、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

パルテナの声に、ピットの喉が干上がった気がした。

 

雷そのものである『雷霆(らいてい)ケラウノス』。

 

その力の性質上、世界中に雷を呼び起こすことができる。それを使うゼウスは天候を操ることもできる。

 

そして、その神器は雷そのもののため、それが消えたとなると世界中からも雷が消えるのだ。

 

『雷霆神』とまで呼ばれるゼウスの手から離れた神器は、現在行方不明。

 

それがどれほど異常事態か、ピットには容易に想像できた。

 

だが何故なくなったのか、それだけはわからなかった。

 

 

「な、なんでそれほど強力な神器がなくなったんですか!?」

 

『それは、一人の神のうっかりミスです』

 

 

パルテナ自身も困惑しているような声で、ピットに説明する。

 

 

『ゼウスに仕える神の一人、“ヘルメス”。彼はゼウスに仕えた十二人の最高神の一人であり、神々の伝令使という身でありながら、【盗みの神】としても有名です。太陽神“アポロン”が飼っていた牛を五◯頭を盗み出し、自身の足跡を偽装して更には証拠の品を燃やして牛達を後ろ向きに歩かせ、牛舎から出た形跡をなくしてしまうほどに偽装に長け、神々の目も欺くほどの才能の持ち主でした』

 

 

彼自身はこの才能を望んだわけではない。

 

ゼウスはとにかく浮気性で、それはもう数え切れないくらいの子供達がいる。

 

ゼウスはオリンポス神族の伝令となる神を作るため、妻であるヘラに気付かれないように夜中にこっそり抜け出し、マイアという神に会いに行くことで泥棒の才能を、ヘラに隠し通すことで嘘の才能を、それでその才能をヘルメスが持つように狙った。

 

特にゼウスの忠実な部下で、神話では多くの密命を果たしている。

 

 

「ま、まさか······そのヘルメスっていう人が盗んだとか!?」

 

 

盗みの神で、狡賢い嘘をつく彼が盗んだのでは? と思ったピットであったが、いいえとパルテナは首を振り、彼女自身も呆れたようにこう言う。

 

 

『全知全能である彼だって、いつも神器を持ち歩いているわけではありません。寝ている時にまで肌身離さず持ってるなんてことできませんから。それで、伝令使であるヘルメスに神器の持ち運びを命じていたところ、うっかり彼は転んでしまい、それでその神器を地上に落としてしまったらしいのですよ』

 

「え······? 世界を破壊するほどの神器を? 他人に? 預けて? いたんですか······?」

 

 

唖然とするピット。

 

それほどの神器を盗みの神であるヘルメスに任せて持ち運ばせ、それでつい失くしてしまった、と。

 

ああ、そういうわけか。

 

 

「って、一大事じゃないですか!? そんなものが地上に落ちたなんて!?」

 

『その通りです。それに怒ったゼウス様は地上の人間達を守る神である私にこう命じました。【一刻も早く神器を取り戻せ。もし人間の手に渡ったらその時は私自らの手で貴様を冥界の底に突き落としてくれる】、と』

 

「えぇ!? な、なんでパルテナ様が責任を負うことに!? やったのはそのヘルメスって神様ですよね!? なんでパルテナ様が!?」

 

『まあその通りなのですが、ゼウス含めオリンポスの神々は人間に干渉することは禁じられています。無論、件のヘルメスも例外ではありません。だから唯一人間達に干渉できる私が選ばれたわけなのですが────』

 

 

はぁ、と重たいため息を吐くパルテナ。

 

責任を完全にこちらに負わせてくるゼウスにうんざりするパルテナ。

 

ゼウスは凄く怒りっぽい。

 

自分の都合に合わないことに対して激しい怒りを示すことがある。

 

これには、自分の恋愛遍歴に不満を持った妻ヘラを怒らせたり、神に罰を与えたりする行為が含まれている。例えば、自身の不貞に気付いたヘラに激しい嫉妬と怒りを見せつけたり、人間の反抗に激怒して罰を与えたりするエピソードが有名である。

 

実際、人間が反逆したり神の意向に沿わない行動を取ったりすると、ゼウスは激しく怒り、雷の神器を用いて罰を与えている。世界中で雷が起きているのはそれが原因とまで言われている。ゼウスが怒ったせいで世界のどこかで雷雲が発生し、雷が落ちているということらしい。

 

だが神器を失くした今、完全とは言えないが弱体化していると言ってもいい。

 

全知全能と言われた彼も今では世界を見通せず、神器がどこにあるのかもわからない。

 

当然だが神であるため不死の存在であり、人間に負けるなんてことはあり得ないだろうが、もし仮に“神殺し”の力を付与された神器で向かって来られたらゼウスとて無傷では済まない。

 

だから、彼は自ら出向こうとはしない。

 

威厳のある神様が素知らぬ顔で人間達の世界を出歩くなんて真似出来るはずもない。

 

ちなみに、ではあるが。

 

神話で語られる問題のほとんどは、彼が原因の場合が多い。

そもそも論、ゼウスがいなかったら神話の主要な部分は起こらなかっただろうし、今のようにはならなかった。

 

例えば、ゼウスがクロノスを殺さなかったら彼は神々の支配者にはなれなかっただろうし、ポセイドンは海の神にはなれなかっただろう。

 

それにゼウスが兄弟を救わなかったり、もっと悪いことにゼウスが岩の代わりに食べられたり、そもそも生まれなかったりしたら、主要な神々は形成されなかった。

 

あと、浮気によって女神達は傷つくことなく、彼のデミの子供達も人生を悪くすることはなかった。

 

謂わば、ご都合展開である。

 

ただ、彼は世界を脅かすあらゆる怪物を倒すために、もっとヒーローを作りたかっただけなんだけどね。

 

何にせよ、緊急事態だ。

 

このまま神器が戻らなければ、パルテナ様が罰を受けることになる。

 

それだけは絶対にあってはならない。

 

冥府神ハデスが消え去ってから幾度もの時代が流れていき、今ではパルテナの存在も忘れ去られつつあるというのに。

 

このままパルテナ様が消えてしまったら、その存在そのものがなかったものになる。

 

そんなの、許せるわけない!!

 

 

「一刻も早く回収しないと!! どこにあるんですかその神器は!?」

 

『あの神器は雷そのもののため、それが失われた今世界各地で稲妻が発生しておりません』

 

「はい! それで!?」

 

『言い換えれば、それなのに雷が発生している場所に、その神器があるということです』

 

「おぉ! なるほど!!」

 

『なので、その神器があるかもしれない場所に向かっているわけですが············』

 

「? どうしましたパルテナ様?」

 

 

急に黙り込んでしまうパルテナ。

 

しばらくの沈黙が続いていたが、彼女はまた重いため息を吐いて、

 

 

『私は············操られていたとはいえ、かつて地上の人々に迷惑をかけてしまいました。そのせいで今では地上の人々は私という存在を忘れてしまっています』

 

 

先の冥府神ハデスとの戦いの折、人々に恵みを与えていたパルテナだったが、『混沌の遣い』という化け物に意識を乗っ取られ、地上界を攻めてしまった事がある。

 

ピットのおかげで正気を取り戻し、冥府軍の残党を浄化して回ったり等々していたが、一度失った信頼は取り戻せなかった。

 

薄れた信仰心を取り戻すために精一杯善行を繰り返しても、民は心を開いてくれなかった。

 

長い年月を掛けても、人間たちの心は変わらなかった。

 

冥府軍の残党もいなくなってしまったため、パルテナ達が出来ることは見守ることだけだった。

 

それで、人々はパルテナどころかピットが活躍したことすら忘れていき、いつの日かその存在は神話の中の話となった。その際、天使や神という存在は迷信となり、人間たちは自分達のことを認知できなくなっていた。

 

みんなは妖精という存在を信じたことはあるかな?

 

妖精を見るには、その存在を信じなくてはならない。信じなかったり存在を否定したりすれば、世界のどこかで妖精は死んでしまう。

 

それと同じで、人間達は今や天使という存在を認知できなくなった。

 

だが、ここ最近彼らはまたそういうものが見えるようになった。

 

理由は、古代の聖遺物。

 

神々が残した武具や遺物、それを人間達が発見したことでまた神という存在を信じるようになった。

 

とは言っても、そういう存在がいたんだな程度にしか認知されていないが。

 

だが、それでも彼らの多くは神が見えなかった。信仰心というものがなくなった彼らには、神聖な神という存在は架空のものであり、見えたとしてもただのコスプレイヤーとしか見られないだろう。

 

悲しそうに言うが、パルテナはむしろそれで良かったと思うように言葉を続ける。

 

 

『忘れ去られた私が今更消えたところで、誰も悲しみません。だから、このまま見つからなくても良いのではないかと思い始め────』

 

「そんな悲しいこと言わないでくださいッ!!」

 

『ッ!?』

 

 

ピットが珍しく声を荒げる。

 

周囲に響く彼の叫びは、月桂冠を通じてパルテナへと送られる。

 

 

「いつものパルテナ様は何処へ行ったんですか!? ボクにムチャばかり押し付けていた、あのパルテナ様は!?」

 

 

それ励ますつもりでいる者の言葉なのだろうか?

 

完全に不満を言っているようにしか思えないのだが。

 

 

「確かにパルテナ様はかつてひどいことをしてしまった。ですが! パルテナ様はその罪滅ぼしのために、冥府軍と命懸けの戦いを繰り広げていたではありませんか!! そのおかげで今! 冥府軍の侵略は起きず、世界に争いがなくならなくとも平和な時代が続いていたんだ!!」

 

『ピット············』

 

「人々を救った、その事実に変わりはありません!! それなのに、そんな悲しいことを言うのであれば!! たとえパルテナ様であろうとも、これ以上自分を蔑むようなことを言うのであればこのボクが許しません!!」

 

 

一方的な力説。

けれど、彼が彼女に対する想いがどれほどのものであるかは充分理解できた。

 

それほどにまでこんな自分を想ってくれているのに、それを無下にしようとした自分の愚かさを改めて自覚した。

 

パルテナは喉の奥に詰まっている邪念を飲み込み、

 

 

『そうですね············あなたの言う通りです、ピット』

 

「はい! パルテナ様!!」

 

『そうと決まれば、一刻も早くゼウス様の神器を見つけなくてはなりませんね!!』

 

「その通りです! パルテナ様!!」

 

 

元気良く頷くピット。

 

そんな彼の体をパルテナは操作し、急降下させて分厚い雲を潜り抜けさせていく。

 

 

『では、参りますよピット!!』

 

「はい!! 共に行きましょう!! パルテナ様!!」

 

 

遥か彼方に見える島国を目指し、パルテナはピットの翼を思い切り輝かせる。

 

 

 

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