当然だが、人間は鳥のように空を飛ぶことはできない。
理由は簡単、『翼が無いから』である。
そう言ってしまえばお終いだが、たとえ空を飛ぶために必要な大きい翼が体から生えていたとしても、そもそも人間がデカすぎるし重すぎて飛べないのだ。
翼の揚力は大きさの二乗に比例する。一方体重は大きさの三乗に比例する。
だから体が大きくなっていくと、ある時点でどうしても体重が揚力を超えてしまう。人間が同じように飛ぶためには、翼の長さが少なくとも五~六メートル必要とされるが、そのような大きな翼を効率的に動かすための筋力と関節構造を人間は持っていない。
鳥が空を飛べるのは小さいからで、小さくて翼で何とか空を飛べるぐらいの軽さだから空を飛べる。
鳥は骨の中が空洞で軽量だが、人間の骨は中身が詰まっていて重い構造だし、仮に人間が空を飛べるくらい筋力を付けたとしても、その時は上半身がもはや人間ではなくなってる。
筋力と自重のバランスが空を飛ぶように出来ていない。
よって、人間の身体に翼が生えていたとしても空を飛ぶなんてことは不可能だ。
「··········」
それでも、男は空を飛んでいた。
無論、翼なんてそんな天使のような神秘的なものは生えていない。代わりに、体から青白い閃光が何度も放出されている。『この力』を手に入れてまだ少ししか経っていないが、ある程度のことはできるようになった。
今、その力で男は上空に浮かんでいる。
いや、浮かんでいるとか飛んでいるとか、そういう表現は間違っている。
『乗っている』··········と言った方が良いのだろうか。
磁場に流す電流を微調整することで、地球の重力と真逆の電磁力で反発し合わせて宙に浮かんでいるように見えている。
磁気浮上。
地球の磁場に乗って浮かんでいるように見せているそいつは、とある建物を睥睨していた。
鳥の巣のような、大型のアリーナ。
建物の外の至る所に、同じようなポスターがいくつも貼られている。
蒼い髪の女。
とても楽しそうに歌っている姿がプリントされていて、それらが貼られた中心点のアリーナから黄色い声がわずかに聞こえてくる。
それがどうしてもムカついた。
いや、周りがどうとか、そんなことは重要じゃない。
今一番重要なのは、この馬鹿女が存在しているせいで自分の人生はめちゃくちゃになったという事だ。
「··········」
男の顔から、一気に表情が消えた。
ともすればポカンとしているようにも見える顔のまま、無造作に手を翳す。
ゴロゴロ······と。
辺り一帯に不吉な音が鳴り響き、空の一部が光り輝く。
そして、男が不気味な笑みを浮かべたかと思ったら、
ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンンンンッ!!!!
という、空気を揺らす轟音が炸裂した。
建物や路面に膜のように張っていた雨水がまとめて吹き飛ばされ、周囲のビルの看板がビリビリと震えた。街路樹からは大量の葉が叩き落とされて宙を舞う。至近距離で爆発したためか、『それ』が落ちた建物の周囲にいた人達が煽りを受けて吹っ飛ばされる。
赤い炎と黒い煙。
それが綿飴のように人々の視界を遮っていた。
♡♥♡♥♡
先生も楽しみにしているのだから今日は補習を早く終わらせてくれるだろう─────なんてこと思ってたらしっかりやって完全下校時刻まで拘束されていた。
「あぁ··············終わった」
二つの意味で、大雨に打たれて足の踏み場もない路上を眺めながら響はそう呟いた。
補習が終わった達成感と共に絶望感までやってくるとは、これじゃあ絶対にライブに辿り着く頃には終わっている。
こんな悪天候では、傘を差してどれだけ急いだとしても絶対に間に合わない。たとえ傘を差さずに走っても、この大雨に濡れて次の日には風邪を引いている気がする。今日だってやっていたとはいえ課題未提出扱いで怒られたというのに、これ以上出席日数を減らしてしまったらもう留年は約束されているようなものだ。
ライブまでの道のりも頭の中に入っているが、もし晴れていたとしても、色んな交通機関を駆使しても··········といった距離に会場はある。
「うぅ··········っ」
お手上げだった。
せめて車でもあったら、ライブの途中であっても少しは見れていただろう。だが、生憎この近くにはタクシーはない。バスも一時間後だ。何よりお金がない。学生のくせに『とある機関』のお手伝いをしているのでお給料をしっかりもらってはいるが、それ全部ご飯&ご飯に投資したので、ライブに辿り着くまでの通行料がまるで足りない。
「あぁ··········翼さん」
そう思えば自分は別に悪い事してないのに何でこうも理不尽な想いをしているのだろう、とか思いながらも憧れの存在のライブに行けないことを嘆き続けた。今の自分の心情を映し出すように、目の前には大雨のカーテンが無慈悲に降ろされる。
割と時間的にライブ終了までのタイムリミットはまだありそうなのだが、間に合うビジョンが全然見えないからか響は昇降口前で膝を付いて目の前の大雨に手を伸ばす。
もう諦めて帰ろうか、そう思っていた時。
ふと、横合いから甲高い警告音が鳴った。
見ると、これから帰るであろう先生が駐車場から出て行くために車を発進させようとしていた。
その途中で何故かクラクションを鳴らしている。別にその車の前には何の障害となりそうなものはないのに。フロントガラスが雨に濡れてワイパーが必死に視界確保のために働いているが、この時間はもう暗いためよくは見えない。
そんな車が響のいる前の昇降口にまでやって来て、都合よく停まってくれた。
ふと気付いた。
運転席で、こちらを見ている自分の担任教師がハンドルを握っていることに。
「先生!?」
「何をボーッとしてらっしゃるんですか立花さん!?」
叫びと同時、先生はハンドルからは手を離さず片手で助手席のドアを開けて落ち込んでいる響をすごい形相で睨んでくる。よく見ると、車のダッシュボードには先生の趣味のものであろう小さなぬいぐるみや何かのキャラの置物が並べられている。
その中でとりわけ目立ったのが、小さい風鳴翼が原チャリに乗ったガチャポンミニフィギュアだ。
「さっさと行きますよ立花さん!!」
「へ?」
「全部は見れなくてもまだ間に合います!! しかしこのままでは本当に何もかもを見逃してしまいます!! だから早く乗りなさい!! 急いで向かいますよ!!!! 」
「は、はい!!」
その迫力にもはや疑問を抱く暇もなかった。
響は言われるがままに助手席に乗り込んでシートベルトをしてドアを閉めると、先生はカーナビが示している座標を確認してルートを確保─────なんて一々してる場合じゃねぇ!!
「飛ばしますよォ!!!!」
「うわぁぁぁアアアアアアアアッッッ!!!!???」
頭文字が大文字で表現されるくらいの大迫力なドリフトを決めてUターンし、校門へと方向転換すると、道路に出た瞬間にかっ飛ばしていく先生。
アクセル全開。
立花響は圧倒的な先生のドライビングテクニックによる遠心力に振り回されながら、急いでライブ会場へと向かっていく。
♡♥♡♥♡
始まりは突然だった。
会場内が真っ暗に染まる。
ざわめきが広がる。
無数の囁きも次第に消えていくと。
軽快な伴奏。
照明の落とされていたステージの中央で多方向からカラフルなスポットライトが照射された。
会場内全体に響き渡る大歓声。
同時に連鎖反応を起こすように観客が次々とライトスティックを点灯。会場内全域に虹色の平原が広がっていく。
そして、その中央にあった幾つものディスプレイが一枚一枚違う映像を映し出してまるでパズルのピースのようにして、一つの映像を投影させた。
映像と共に、ステージ上に立つ一つの人影。
手にあるマイクを口元に持っていき、曲調に合わせて声を発する。
────瞬間。
ぐわッ!! と。
鳥肌が立つかのような感覚が、全観客の体表を通り抜けていった。
「「「「「「「「「「ウワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!!」」」」」」」」」」
次いで、段々と曲調が明るくなっていくにつれて、ステージに注がれていた光が強くなっていき──────背後に控えていたアーティストの姿が明らかになった。
このライブの主役、風鳴翼の登場。
曲が始まった瞬間に翼の振りも大きく、激しくなっていく。それに伴ってライブ会場中のテンションもどんどん上昇していった。
風鳴翼が与える影響力がこの歓声だけでわかるほどの凄まじさ。彼女の歌声で観客達の熱狂は更に増していき、それは翼が用意した特等席に座っている者達にまで届いていた。
「始まったデスよ!!」
「うん!! 凄い熱狂!!」
思わず立ち上がってしまう切歌と調。
興奮を抑えきれず、切歌は持っているペンライトを乱暴に振り回している。調も切歌ほどではないが、翼の曲に合わせて両手のピンク色のライトをドラムのスティックを叩くようにして振っている。
「流石··········私とは違って、本物の世界の歌姫ね」
こういうのを後方彼氏面とでも呼ぶんだろうか。
マリアは保護者的立場として来ているのもあり、何より翼と同格のトップアーティストだからか、あまり目立たないように腕を組んでゆったりと鑑賞している。
「やっぱりスゲェな、先輩の歌声は」
こちらも同様。
本当はノリたいくせに大人ぶりたいのか、クリスは静かに尊敬できる先輩の歌声を聞いている。
「!!」
小日向未来は思わず見惚れていた。
全てのきっかけは、思えば自分だった。風鳴翼が昔もう一人のパートナーと共に組んでいた時、すっかりハマってしまって、それを親友の立花響にも共有したいと思い、一緒にライブに行こうと誘った。チケットを求めて何とか二人分取れたものの、自分は家族が怪我をしてしまって急遽行けなくなってしまった。それでも、響にはライブを楽しんでもらいたいと思って一人で向かわせてしまった。
最初は良かった。
普通に楽しめていたから。
でも────悲劇とは、そんなものを呆気なく破壊して襲いかかってくるものだ。
会場に現れた、人を炭素化させてしまう脅威的な存在である『ノイズ』が襲撃してきて、親友は生命に関わる深い傷を胸に負ってしまった。
そのことは今でも悔やんでいる。
そんな非常事態なんか普通想定できるわけがないと言われても、自分がライブになんか誘わなければ、今頃響は危険なことに首を突っ込んでいかなかったはずだ。
全ては自分のせい。そう感じて償いをしようと何度も考えた。
だが、響は自分が思っているよりも全然強かった。
むしろ、あれがなかったら今の自分はいないとして、未来に感謝までしてきた。そんな笑顔を見せられたら、贖罪をしようとしていた自分がむしろ響にとっては失礼だったのではないかとすら思えてきた。
もしあの時まで時間を巻き戻せるなら、響をライブには行かせないようにして、何もかもをなかったことにしまいたいと思っていた。
だがそれは、今の響を否定する考えだ。
あの事件があったからこそ、今の響がいる。
胸の歌を託され、憧れの風鳴翼の隣に立って一緒に歌えている。可愛い先輩に後輩もでき、一緒に歌い合っている。
隣で一緒に歌える、大切な仲間ができたのだ。
あの頃の響はとにかく辛そうで、苦しいこともいっぱいだったはずだ。それでも彼女は必死に生きた。唯一のパートナーを失った風鳴翼だって辛かったはずなのに、自分よりも頑張って生きていて、誰かのために歌い続け、いつだって背中を押してくれていた。
辛くて苦しかった自分の生きる指針となってくれた翼の歌を応援したいと思うのは当然であった。
そんな響であったが、やっぱり間に合わなかった。
少なくとも休憩時間までにはやって来てほしいが、生憎外は大雨。車か何かを確保しなければ間に合わない。しかし、彼女の懐事情が厳しいことは親友である彼女も把握している。趣味のご飯&ご飯、それプラス翼さんの特典付きCD買い集めのせいで食堂の昼食を買うお金すらなかったから未来がお弁当を作ってあげていた。電車乗ってもここまで辿り着けるかどうかのお金しか持ってなかった気がする。途中で降りて傘差して走っても空気抵抗によって上手く進めず、それならずぶ濡れ覚悟で走ったほうが早いなんてことを考えそうで怖い。そうなって風邪なんか引かれたら、響は間違いなく留年コース確定だ。
どうか、無事に辿り着けますようにと願うばかりだ。
それはさておき。
風鳴翼の歌は、言うまでもなく素晴らしかった。
観客全員が一瞬意識を奪われるくらいに、翼のステージは圧倒的だった。
衣装、ダンス、バックダンサー、演出、果てはサイリウムを振り歓声を上げる観客に至るまでが全てピタリと噛み合っているかのような、完璧な空間が作り出されている。
今ならば、ライブで失神してしまうファンの気持ちが少しだけ理解できた。
熱狂。
見渡す限りに居並んだ幾人もの観客が文字通り風鳴翼の歌によって、熱く、狂っていた。
観客たちがそのことに気付く暇もなく、目の前で展開された息を呑むほどに美しい光景に見惚れて目眩すら起こしそうになっている。
一曲目が終わり、翼がカッコ良く決めポーズを取った。
「「「「「「「「「「ウオォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!!」」」」」」」」」」
瞬間、会場を包む歓声がより一層大きくなる。
風が鳴るように、観客達の声が一つに重なった。
『ありがとうみんな!! 私の歌を聴きに来てくれて!!』
「「「「「「「「「「ウワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!!」」」」」」」」」」
『まだまだ、本番はここから!! もっともっと上げていく!! みんな!! 一緒についてきてくれ!!』
「「「「「「「「「「「「「「「ワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」
翼のその掛け声に、会場中が応えるように声を響き渡らせた。
再び会場中が熱狂の渦に沈む。
そこからはもう、翼の世界だった。
翼の歌声は、舞いは、その幻想的な姿は、会場の隅々にまで染み渡った。
全てが翼の歌声に魅了されていく。
彼女は、完璧に、圧倒的なまでに──────『世界へと羽ばたく至高の歌姫』だった。
会場中が拍手と大歓声で包まれ、観客達が持っているライトスティックによって、外で降っている大雨など関係ないくらい大空に掛かる虹のように染まっていた。
♡♥♡♥♡
「チッ! こんな時間まで縛り付けやがって、あのクソ上司」
大雨なのに出勤というのは辛かった。
一人のサラリーマンは一人残って残業────無論上司の命令だ。
今日は抽選で外れたものの、そんな人達のための救済として動画配信サイトで生配信される風鳴翼のライブの日だっていうのに。仕事を無事終わらせて帰ろうとしたものの、上司に呼び止められて残業命令を言い渡された。
しかし········と一言でも口にしたら睨んできて減給される恐れがあったので、彼は渋々了承。
仕事が終わったその後、ぼんやりと雨が降る夜空を眺めていた。
別に会社の住人とまで言われるようになっている自分が、星空を見て楽しむような性分の人間ではないことはわかっている。
ただ、何か青白いものがチカチカと、空で瞬いていたのが見えたのである。
今は大雨のはずなので星空なんてものは見えないはずだが、その光はどういうわけか星のように点滅していた。
透明なビニール傘が大半を占めていて、皆がそれに気付いて空を見上げている。
OLや受験で遅くまで塾に行っていた学生、他の者達も。
皆、雨雲というには暗すぎるほどの黒い雲の中に浮かぶ光を不思議そうに眺めていた。
最初は星か月かとも思ったが、どうやら違う。
浮かんでいるのは、『人型』だ。
黒い人影が大量に降り注ぐ雨の中、空を舞っていたのである。
「なんだ? ドローンか何かか?」
通りを歩く街中の人々は、空に舞う『人』の姿に首を傾げていた。
一体何なのか。
何かのイベントなのかと、あちらこちらで議論が交わされていた。現在、この付近において行われている大々的なイベントは、風鳴翼というトップアーティストのライブのみ。その一つの演出なのかとも思ったが、たしかライブ会場は雨でも無事に決行できるように屋根付きであったはず。
だからそれは考えにくい。
『なんだあれ』と興味深く空を見上げている通行人達。
その時だった。
ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!! と。
唐突に、街中に『雷鳴』のような轟音が鳴り響いた。
その瞬間、辺りは漆黒に染まる。
光を忘れたように、あちこちにある全ての灯りが消えたのである。街灯の光は限界を越えて流れる電流に耐えきれずにガラスが割れるような音を残して消え、車のヘッドライトや商業ビルの部屋の一角を灯していた光さえも闇に呑まれる。
そして──────次の瞬間、
ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンンンンッ!!!!
ライブ会場。
コンサートホールがある方角で唐突に爆音が響き、火の手と黒い煙が上がってきた。
♡♥♡♥♡
久しく忘れていた。
歌を歌うことの楽しさを。
今の今まで手足に絡みついていた『剣』としての重圧が、嘘のように消え失せている。自分でもびっくりするくらい、喉が軽やかに動いた。それを意識した瞬間、翼は声を今までで一番強く絞り出した。
別に装者としての使命感で歌っているわけでも、人を守る剣として歌ったわけでもない。
────こんなにも楽しいんだ!!
単純に、そう思っただけだった。
恐らく、今までで一番楽しく歌えただろう。
それはそうだ。
これまで翼は、ずっと戦ってきた。片翼を失って空を飛ぶことができなくなった風鳴翼は、ずっと地上で這いつくばるように過ごしてきた。
だが、今ならば。
今ならば、違う。
なぜなら今、翼は一人ではないのだから!!
「ありがとうみんな!! 私の歌を聴きに来てくれて!!」
『『『『『『『『『『ウワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!!』』』』』』』』』』
「まだまだ、本番はここから!! もっともっと上げていく!! みんな!! 一緒についてきてくれ!!」
『『『『『『『『『『『『『『『ワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!!』』』』』』』』』』』』』』』
翼の願いに、歓声が応える。
世界が自分の歌に応えてくれる。
その皆の期待に応えられるように、翼もまた全力で歌い出す。
歌も一番が終わり、伴奏に入る。
が──────
ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!! と。
「··········ッ!?」
『『『『『『『『『『『『『『『··········ッ!!!??』』』』』』』』』』』』』』』
その熱狂が絶頂に達しようとした瞬間、翼含め、観客達は眉を顰めた。
恐らく招待した小日向達も、それどころかこの会場にいる人間全員が同じような顔を作っていただろう。
何しろ、
否、それだけではない。
大型スピーカーから流れていた曲も、照明が消えると同時にぷっつりと途絶えていた。
異様な事態に、観客席にどよめきが広がっていく。
二番目に入るための演出か? とも思ったが、暗くなってしまったステージ上でわずかに見える風鳴翼が狼狽えているのが見えた。
それで。
皆が混乱している中、翼だけはこの状況になってしまった原因について、思い当たる可能性に目を見開いていた。
(今のは··········『雷鳴』?)
こんな防音環境で?
全体に響き渡る歌声、それは会場内限定のはずで、外に漏れることはない。
だから、無駄な雑音が入らないように外の音も遮断してあって、完全に独立した領域が展開されている。
それなのに。
今、完全に。
この会場に響き渡るほどの『雷鳴』が轟いた。
と──────次の瞬間。
ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンンンンッ!!!!
アリーナの天井が一瞬ベコっとうねったかと思うと、凄まじい炸裂音と衝撃を伴って爆発した。天井に設えられていた巨大な照明装置が、バラバラと崩落する。
そして。
『『『『『『『『『『ウワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!???』』』』』』』』』』
熱狂的な歓声ではなかった。
悲鳴、それが会場内に響き渡ったと思ったら、目の前に何かが落ちてきた。
その余波としての衝撃波が周囲一帯へ均等に炸裂し、人々は薙ぎ倒され、辺りが木端微塵に砕け散った。
落ちた場所。
そこにいた者達。
その全員が何が起きたか判断しきれないまま──────瓦礫に押し潰されるよりも先に、凄まじい衝撃波に焼かれてしまっていた。
「!?」
一瞬だけ見えた観客達の姿。
目の前の席にいた観客達は天井を貫いてやってきた何かに焼かれ、黒焦げとなった瞬間に大量に降り注ぐ瓦礫の下敷きとなって押し潰された。
一瞬の出来事に皆が思考を停止し、次第に現実が追いついてくると、
『『『『『『『『『『ワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!???』』』』』』』』』』
運よく潰されず、安全な場所の客席にいた観客達は悲鳴を上げながら逃げていく。
方々で騒ぎが起こるが、翼はそちらに目も向けない。
上を見やる。
そこにはもう、天井と呼べるようなものは存在していなかった。その代わり、鬱陶しい雨と雷雲に彩られた夜空が顔を覗かせている。
否──それだけではなかった。
闇に紛れるように、青白い光を纏った『人間の姿』が確認できたのである。
「な··········ッ!?」
目の前の光景が信じられず、ついそんな声を溢してしまう翼。
そんな彼女を無視するように、その人影は動き出す。
身体中に青白い紫電を撒き散らし、
「裁きの時間だ──────シンフォギア装者、風鳴翼」
凶暴に吼える『裁きの雷』が、会場全域へ直撃した。
♡♥♡♥♡
その光景を、空を飛んでいた旅客機も捉えていた。
コックピットで操縦桿を握っていた機長はまず怪しげな空模様に気付き、怪訝な顔でレーダーを見て付近の状況を確かめる。
レーダーは何も掴まない。
だが窓の外では、空の一部分だけが何故か光っていた。
今日は生憎の大雨で、悪天候に伴う遅延がいくつもの便で発生し、その中の一機であるこの旅客機も急ぎたい気持ちはあってもちゃんと速度を保ち、安全ルートを進みながら空港まで飛んでいる最中、その摩訶不思議な光景に思わず肩を震わせた。
(··········何だあれ?)
雲の中で蠢く謎の光。
積乱雲並みの強い気流を感じた機長は操縦桿を強く握りしめて、お客様の安全のためにまた到着時刻が遅れることになるが、その乱気流に巻き込まれないように避けて飛行しようとする。
──────と、そこに。
「!?」
突然だった。
ビュオッ!! と。眼前に『何か』が通り抜けたのだ。
鳥なんかではない、だが確かに機長は見た。
翼。
速度を無視して大空を突っ切って行く『何か』に生えていた、水晶のような鳥のような、純白な不可思議な翼。
それを生やしているものの姿を捉えることはできなかったが、コックピットを横切った際に一瞬だけ見えたあのシルエット。
あれは一体何だったのか。
どれだけ考えても、脳がそれを拒否して受け入れてくれなかった。
そう。
あれはまるで。
♡♥♡♥♡
「うおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
マッハという規格外の速度が生み出す相対的な突風を真正面から受け、まるでパンストのような伸縮性のあるものを被って引っ張られて顔のパーツが歪み、エンターテイナーも認めるほどに滑稽な表情になるピット。
もはや天使としての神聖さなど皆無。天使らしからぬ変顔をさせながら分厚い雲を突き抜けると、次は大量の雨水が顔面を叩きつける。
叫び声さえ上げる事ができなかった。
視界の端で何か巨大な鳥のようなものがあったように感じたが、ピットの翼は限界以上の速度を出していたため全然見えなかった。
目線は地上へ。
もう激突するのではないかというほどに落ちていくピットであったが、翼が自動で動いたことで落下速度を落としていった。段階的に力を強め、減速の衝撃で体を潰さない程度の加減を繊細に調整しながらピットを空中で停止させる『飛翔の奇跡』。
それを使用してピットの翼を操っていた女神は、彼の頭の月桂冠を通して話しかけてくる。
『大丈夫ですかピット?』
「う、うぷ··········だ、大丈夫、です」
そうは言うものの、久々の空の旅は快適ではなかった。
これが遊覧飛行のような速度だったらまだ良かった。しかしパルテナは亜音速機並みの速度を出していたため、こんな飛行を続けていたら身体にとんでもない重圧が掛かってしまい、体内の血液が大量に下肢に流れ込んで脳が酸素不足に陥り、失神してしまうのではないかと感じた。
耐Gスーツもなしに亜音速の飛行はとても危険である。
まあ、天使だからブラックアウトすることはないだろうが。
なんて案外どうでもいいことを考えていると、
ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!! と。
雨雲によって月明かりも通さない漆黒の闇の中で、花火工場が爆発するような直撃音が響き渡った。
耳を覆う両手を突き抜けるような轟音。
それを聞き取ったピットはパルテナに呼びかける。
「パルテナ様··········今のは!?」
『えぇ··········おそらくそうでしょう』
ピットの考えが伝わったかのように、パルテナは声を低くしてそう答えた。
そのままピットの体を操作して、ある方向へと向き直させると、
ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンンンンッ!!!!
凄まじい光線が迸った。
そう知覚して、思わず硬く瞼を閉じても容赦無く貫通してくる閃光。
それが何なのか理解した二人は、無言で頷き合い、
『急ぎますよピット!!』
「はい!! パルテナ様!!」
全てを確信した二人。
パルテナはピットの翼を羽ばたかせて、その『雷光』が発生した地点へと急ぐ。