付近の貿易港に、見るからに怪しい潜水艦が停泊していた。
怪しそうな見た目ではあるが、一応は国の許可を取って作られた特注品。ようは政府公認の特殊機関が乗る潜水艦ということだ。中はとにかく複雑に作られており、いくつかの通路を進むと艦橋に出れるのだが、自衛隊が乗る潜水艦のような真っ暗な空間が広がっているわけではなかった。
どちらかというと、映画館のようだった。
もちろん潜水艦らしい船の艦橋のような造りであっても、目の前の大きなスクリーンが何よりも目立ち、暗くなったら一瞬ここが潜水艦なのかどうかわからなくなる。人がくぐった扉から、半楕円の形に床が広がり、その中心に艦長席と思しき机が設えられている。さらに左右両側になだらかな階段が延びており、そこから下りた下段には、複雑そうなコンソールを操作するクルーたちが見受けられた。全体的に白く、しかし暗くなったらあちこちに設えられたモニタの光がいやに存在感を主張してくることだろう。
作業用のパソコンやハイテクモニタが各机に並んでいる訳だが、そういった精密機器を無視して珈琲の入った紙コップがポンと置かれた。
「あったかいものどうぞ」
大人らしい雰囲気の女性、“友里あおい”は自分の作業場の隣の席で仕事をしていた同僚の男性に息抜きにという想いから片手に持っていた紙コップに入っている温かい珈琲を置く。
「あったかいものどうも、いつも悪いね」
それはある意味日常的な光景であった。
“藤尭朔也”は友里の厚意に感謝し、珈琲を受け取ると一口啜る。
現状、艦橋からは二人の声しかしない。
このフロアは潜水艦の心臓部であり、あちこちには大型の無線機もあるが、そちらは沈黙していた。基本的に彼らの仕事は国からの要請、もしくは災害指定されている“ノイズ”が現れないのならばそこで終了する。それは彼らが世界での面倒事を制圧するため、組織に属している“少女達”のサポートが主要任務だからだ。
軍隊では手に負えない揉め事がないのなら、彼らはやることがなくなる。彼らは優秀で、報告書やらも終わらせるのに一時間もかからないし、ぶっちゃけ言ってしまえば暇である。
だが、この組織はブラック企業。面倒事が起これば、即座に国から問答無用で押し付けられることが多いので、誰かは残っていないといけない。二四時間体制でここの管理を任されている二人は、特に迫った仕事がないので家に帰りたいと不満を抱いていたが、たとえ何もなくても残業は決定事項である。
そんな彼らのブラック労働環境に敬意を表し、ここのボスはボーナスをたんまり出してくれるだろう。
とはいえ。
仕事も何もない残業というのは退屈すぎて死にそうなので、藤尭は自分のスマホを取り出して、
「おっ、そういえば翼さんのライブがもう始まっている時間だね」
「ちょっと? 一応勤務時間中よ? そんなもの取り出して司令にでも見られたりしたら減給なんてことも────」
「あの人もそこまで鬼じゃないでしょ。それにあの人だって、いつものようにレンタルビデオショップに映画を借りに行ってるし、これくらいは許してくれるさ」
司令である“彼”も例外ではない。
でも流石に何もないことに退屈していたのか、こんな大雨の中でもいつも通り戦術マニュアルとしての資料を探しに映画を借りに行っていた。フィクションと現実は違うというのに、“彼”はその映画通りのアクションを再現することができる身体能力を持ち、そして大岩さえもその拳で砕ける規格外の力までもある。
映画見て独自の拳法を編み出せる“彼”は人間かどうか疑わしい。
それで藤尭は時刻の確認をしようとしただけだが、今日が風鳴翼のライブであったことを思い出すと、藤尭はライブの盛り上がりがどんなものかを見るために艦橋の大型メインモニタに生中継の映像を映し出す。
席の確保ができなかった客達用の特設サイトからの生中継のほかに、風鳴翼の関係者のみが見れる特別映像。風鳴翼はこの組織にとっても大事な人材で、よって何があってもすぐに守りにいけるように組織特有の特殊な回線を使って現在の状況を確認できる。
『ありがとうみんな!! 私の歌を聴きに来てくれて!!』
『『『『『『『『『『ウワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!!』』』』』』』』』』
『まだまだ、本番はここから!! もっともっと上げていく!! みんな!! 一緒についてきてくれ!!』
『『『『『『『『『『『『『『『ワァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!!』』』』』』』』』』』』』』』
かなり遠い距離で映し出される翼の姿。
超望遠の荒い映像だった。
客用の生中継とは違った視点から見れる映像は、楽しむようではなく監視用としての役割を担っているため、ライブ会場全体を見通せるようにしている。
モニタの中での翼は、それはもう楽しそうに歌っていた。
「翼さん··········楽しそうね」
「うん。やっぱり翼さんは戦場で歌うよりも、こういう輝ける場所での方が相応しいよ」
そんなことを思いながら二人は監視カメラから流れるライブ映像を楽しんでいると、
ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!
ブツンッ!!
「「?」」
ん? と。
二人は眉を顰めた。
翼の掛け声と共に二曲目に入ろうとしたと思いきや、直前に何か轟音のようなものが聞こえ、唐突にモニタの電源が切れた。
同時。
ブーッ!! ブーッ!! ブーッ!!
「「!?」」
大型モニタだけでなく、艦橋にある全てのモニタの映像が、次々と灰色のノイズに搔き消されていく。
点滅する警報音と赤い点灯。
それは異常事態を知らせるものであったが、どういうわけかすぐに消え去り、まるで全ての出来事が何かの誤作動だと思わせるように静寂に染まった。
システムは正常に作動中。
しかし先程まで見ていた翼のライブ映像が一向に元に戻らない。
明らかに不自然だと思った二人はその付近の監視カメラすらハッキングして現場を確認しようとするも、どういうわけかカメラに繋がらず現場の状況を把握できなかった。
ハッキングの電波信号は送られているが、それが上手く伝わっていないようだ。少し遠いところの監視カメラをハッキングしてみると普通に映し出されていることから、こちらの問題ではないことは察せられた。
つまり。
ライブ会場周辺の電気類が全滅しているということになる。
「ッ!!」
友里は手元のコンソールを操作し、秘匿回線を開いて緊急コールを行う。
ほどなくして、メインモニタに赤毛と赤のシャツに身を包んだ大柄な男の姿が映し出された。
勤務時間で大雨であっても外出して、レンタルビデオショップに戦術マニュアルとしてアクション映画を借りに行っていたこの組織の司令である“風鳴弦十郎”。
画面の向こうで傘を差している彼は友里の声を聞いて尋常ではないことを察したのか、声色を鋭くして、
『どうした?』
「司令!! 急いでこちらへ!! 翼さんのライブ会場付近で、大規模な停電が発生しています!」
鬼気迫る調子で言うと、弦十郎が顔を険しくした。
♡♥♡♥♡
あれから一〇分ほど走った。
車で一〇分と言えば結構短い思うが、ライブという貴重な時間を考えたらかなりのロスタイムである。
デジタル表示されている時刻を一々気にしてる暇はない。
車内の全てが緊張感··········というよりは緊迫感に包まれていた。
「せ、先生!? ちょっと飛ばし過ぎ────ッ!?」
「まだまだですよ立花さん!! このままでは私の唯一の癒しのひとときが失われてしまいます!! そんなことになったら私は明日以降どうなっているかわかりませんよォ!? もしかしたら貴女に矛先が向かって補習時間を限界突破させる可能性だってありますからァ!!」
「理不尽!?」
ハンドルをしがみつくように握り締めている担任の彼女の目は異常者のそれだった。荒い運転で、しかも私情から明らかにヤバい発言をしてきて、思わず体をガチガチにさせる響。
カーナビのアナウンスを悉く無視して我が道を行く先生。
だが、そのおかげか目的地であるライブ会場の影が見えてきた。車道には、ライブがあって道が大変混雑することを想定していたのか安全確認のため赤のランプを瞬かせるパトカーがおり、先生はそれを見た途端に速度を落として安全運転になる。だが周辺にあまり人がいないのを見ると、もうすでに観客達は会場に入ったということ、そしてライブはもう始まっていることを証明していた。
本来、ライブが始まったら途中で入ることはできないことが多いが、立花響は風鳴翼本人から招待された謂わばVIP待遇であり、それくらいは許される権利を持っている。
だからだろうか?
先生が響を車に乗せたのは、そんな優遇対応される響がいれば自分も途中から観られるという願望からなのではないだろうか?
なんて妄想は置いておいて、響を乗せた先生の車は停められる場所を求めてコインパーキングなど何処かにないか、窓から探していると、
ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!! と。
雷光染みた青白い閃きが、窓の外からその瞳に直撃した。
「え?」
響は目を疑った。
唐突に起きた凄まじい轟音が耳に入った直後、メチャクチャ重たそうなライブ会場が相撲取りに体当たりされたようにグラグラ揺れていた。
会場の天井からもくもくと戦争映画でよく見る空爆みたいな黒い煙が噴き出てきている。
直後。
ビルや街灯、明かりという明かりが全て消え去り、辺り一帯は闇に包まれ、激しく降り注ぐ雨音だけが耳に入ってくる。
響は青ざめた。先生の顔も真っ青になった。
明らかな異常な事態だが、あらゆる事件を解決してきた響はすぐに原因を知った。
「ッ!! 先生はここで待っててください!!」
「え!? た、立花さん!?」
「こんな暗い街の中で下手に動いたらその方が危険です!! 私が状況を確認してきます!!」
助手席のドアを開け放って、ほとんど転がるように降りていく響。背後から先生の声が聞こえてくるも無視し、響は大雨が降り注ぐ街の中を疾走していく。
向かうは、ライブ会場。
そこには大切な仲間達がいる。
♡♥♡♥♡
空から雨とは別に、瓦礫の雨が降る。
会場内にいくつもの悲鳴が聞こえたが、それすらも押し潰すように大量の瓦礫が上から殺到し、掻き消していく。
まるでテロ映画のワンシーンのようだった。
いくつもの悲鳴が重なり、会場内の無事だった場所から子供や女性に男性など、すべての人間が一斉に出入口へと向かい、あっという間に満員電車のような身動きの取れない空間へと変貌していく。
『助けてくれッ!!』
『またこのパターンかよ!!』
『急いで逃げなきゃ!?』
『早く出ろ!! このままじゃ死んじまうぞ!?』
『どけや!! 俺が先だ!!』
大勢の人間の声が交錯して上手く聞き取れなかったが、感情のニュアンスだけで皆が今何を思っているのか異様に生々しく伝わってくる。いくつもの人影が目の前の人間を押し込んで、逃げようと必死になっている。
誘導員が落ち着くように指示しているも、パニックに染まった観客達がその声に従うわけもない。
皆、自分の命が最優先。
他の者がどうなろうと知ったことではない。
悲鳴と怒号。
活気に溢れていたライブ会場は、一瞬にして殺伐としたサバイバルと化した。
「··········ッ!?」
ステージ上にいる翼は眉を顰めて上空を見やった。
ステージの天井が無惨に切り裂かれ、そこから、『青白い光』を纏ったローブの男が会場内に入ってきたのである。
「あ、あれは──────!?」
一瞬、自分自身も何かの演出効果なのではないかと思った。
だが、違う。
その姿には見覚えがあった。全身に『錬金術師』の証であるローブを纏った、『パヴァリア光明結社』の残党である。
深く被ったフードの奥から見えるその素顔は物理的に真っ青に染まっており、顔中に浮かんでいた血管には真っ赤な血ではない青白い光が走っている。
身体中から放電される稲妻の中で、宙に遊ぶように揺れていた。
「チッ、外したか·········まあいいだろう、想定内だ」
ステージ上にいる翼を睨むその眼光。
白目部分は真っ黒に染まり、瞳孔が青くなっている。
充血してるのか、白目の表面を覆う血管が罅割れたように広がり、青い光を不気味に輝かせながら、錬金術師の男が静かな口調でそう言う。
翼は息を呑んだ。
誰だかは知らないが、何処の者なのかは知っている。
統制局長、“アダム・ヴァイスハウプト”というパヴァリア光明結社の親玉を倒した際、行き場を失った錬金術師の一人だろう。ほとんどが捕まったとはいえ、『ノーブルレッド』という改造人間達で構成された生き残りのように、風鳴機関を運営していた支援者にして実質的な指導者であった“風鳴訃堂”の手によって一時的に同盟を組んで匿われていた者もいる。
今目の前に浮かんでいる奴も誰かと組んでいる可能性もあるだろうが、ここまで大胆に襲撃してきたのを見ると大した知能を持ち合わせてはいないだろう。
狡猾に隠密に計画を実行するのではなく、大人数の人々に見られても構わないその大胆不敵さに、翼は奥歯をギリギリと噛む。
男も翼の睨みに気付いたのだろう。
飄々として顔を歪め、右手を構える。
「裁きの時間だ──────シンフォギア装者、風鳴翼」
すると男が、逃げる観客達には目もくれずに一直線に風鳴翼の方に右手を差し向けてきた。
にやり、と。
フードの奥に隠れる口元が、不気味に笑うのが見えた。
「ッ!?」
本能的に危険を感じて距離を置こうとするが、それこそ間に合わなかった。
病弱者のように青白く染まっているその掌。そこから青白い紫電を撒き散らし、凶暴な咆哮を上げて火花が炸裂する。
回避は間に合わない。
だから─────
ドガァァァアアアアアアアアアアアアアッ!!
色彩を捉えられる範囲を超え、その爆発によって視界の全てが真っ白に塗り潰された。
♡♥♡♥♡
VIP席。
所謂、招待客や音楽関係者の者達は、他の一般客と違って安全ルートが確保された位置にあるため、逃げ惑う人々の波に呑み込まれずに避難できる。
「おい········ヤベェぞ」
「えぇ········わかってるわ」
それで。
他の客達が逃げている中で、勇敢にもまだ避難をせずに冷静に現状を把握しようとしている者がいた。
小日向未来や月読調に暁切歌にとって、頼れる先輩と保護者である雪音クリスとマリア・カデンツヴァナ・イヴ。
少女達が立っているのは風鳴翼のいるステージ上から一〇〇メートルほど離れた場所。本来ならば、手助けのためにもっと近寄るべきだろうが、今出て行けば人混みで身動きが取れなくなる可能性を考慮すると、それは良い策とは言えない。
組織から支給された通信機を使って、本部に連絡しようとするも、
「やっぱり········さっきの衝撃でイカれやがったか」
クリスは思わず舌打ちする。
先の攻撃、あの一撃で周囲の電気系統が軒並みやられたということは、自分達の携帯電話や組織から支給された通信端末も全部使えなくなったということ。
端末まで使用不能にする一撃。
そんなあり得ない攻撃を仕掛けてきた襲撃者に、二人は鋭い眼光を向ける。
「あれは多分、パヴァリア光明結社の生き残りだな。あたし達も出ていって叩き潰しちまいたいところなんだが─────」
「········今出ていって戦ったら、一般市民達が巻き添えを喰らう危険性がある。下手に刺激しないほうがいいわね」
言いながら、マリアは周囲を見回した。
彼女が見ているのは、ステージ上で緊迫した様子を浮かべる翼や、その顔を見て嘲笑っている錬金術師の男ではない。ステージから少し離れた所に、今まさに避難しようとしている人々が出入口付近で詰まりかけているのを確認する。
一斉に逃げてしまった結果、人々が複雑に絡み合って出入口を塞いでいる。
こうならないようにライブが始まる前に避難訓練の一環として親切にアナウンスがされていたのに、人々はいざその時となると冷静さを失ってパニック状態になってしまう。
その様子を見て、切歌は思わず頭を掻き毟ってしまう。
「ああもう!! みんな焦りすぎデス!! もっと落ち着いて行動できないんデスか!?」
「それは無茶な話だよ切ちゃん。こんな状況だもん、みんな死にたくなくて必死なんだよ」
「もう!!」
切歌は舌打ちすると、もう構わず胸にある“武装”を纏い、人混みの中を突っ込んで翼へ近づこうとした。
しかしマリアがそれを止める。
「やめなさい!! 今出ていって貴女まで狙われたら危険よ!!」
「それがなんだっていうんデスか!? アタシ達ならあれぐらいなんてこと─────ッ!?」
「貴女は平気かもしれない。でも、狙われて避けた先に一般市民がいたら? 他のみんながまだいる最中に下手に動き回ったら巻き添えを喰らわせてしまう恐れがあるの。そうなったら取り返しがつかないわ」
「ぐ········っ!!」
「今私達ができるのは、『避難誘導』よ。少しでも戦いに集中できるように、みんなを外に誘導してこの場をもっと広くするの! その後に加勢に行けばいい!!」
「け、けどマリア─────!!」
切歌が焦るのももっともだ。
ステージ上にいる翼だって危険なのだ。
奴の狙いは翼だけなのだろう。先の攻撃で何人か犠牲になったが、相変わらず男の視線は翼にだけ集中していて、逃げ纏う者達など眼中にないという感じであった。
だが、
このままではチェックメイトだ。
翼が狙いだとしても、今彼女は完全に無防備。武器も手に持っていないのだ。
それで今攻撃されたら─────
ドガァァァアアアアアアアアアアアアアッ!!
なんて思っていると、唐突な爆音と共に視界が真っ白に染まった。
観客席から様子を見つめていた少女達は、その圧倒的な光に目を閉じてしまう。
しばらくした後、
光が弱まっていくにつれ、視界が戻っていく。
言い争っていた切歌とマリアも、爆発の黒煙に埋まったステージ上を真剣な面持ちで凝視する。火の手と黒い煙が上がって、爆風の煽りを受けた市民達が思わず身を屈めている。狙いは的確で、翼のみに当たるようにしていたらしい。
一般市民に当たることはなかったが、その威力は絶大で、ステージそのものが消し飛んでいた。
「あぁ!!」
思わず声を上げた小日向未来。
両手を合わせて無事を祈るような真似は、この世界では通用しない。
理不尽に次ぐ理不尽が当たり前のように降り注ぐこの世界では、こういう光景が世界各地で普通に起きている。だから奇跡なんてものを願ってもそう簡単に都合よく起きない。
起きるはずもない。
「───ふふっ」
だとしても。
黒煙が晴れたとき、マリアは鼻を鳴らした。
彼女は信じていたのだ。
「やっぱり敵わないわね·······翼には」
まだかすかに漂っていた煙が、弾けるように吹き飛ばされる。
そしてその中心には、あの世界の歌姫と謳われた風鳴翼の姿があった。
そう───『
♡♥♡♥♡
「········」
手応えはあった。
だが、まだ『この力』には慣れていないから長距離狙撃となったら繊細な調整が必要だ。
雷といえど進む時間は距離によって異なり、正確な時間は測れない。もし光の速さで進んだならば、標的に当たるまで一瞬だろうが、音の速さならばそれよりも遅い。そんな曖昧な攻撃でヤレたとは思えない。無警戒で立ち止まっている人物ならともかく、相手はあの装者だ。こちらを常に警戒し、身構えながらとなったら確実に倒せたなんて確証は得られない。
錬金術師の男は少し考え、ステージから立ち昇る黒煙を注視する。
「·······チッ」
苛立ちから来る舌打ち。
青白く染まった瞳で確認してみると、黒煙が晴れた先には───攻撃を無効化し、さりげなくその場に立っている青い髪の人物が、こちらを真っ直ぐ見据えていた。
剣を持ち、炎と煙を背にして。
「やはり、この程度じゃやられんか·······シンフォギア装者」
♡♥♡♥♡
「Imyuteus amenohabakiri tron」
直前だった。
呪文のような言葉と共に、その歌声に応えて胸にしまっていた“ペンダント”から光が展開。
刹那、胸から全身に薄い膜が広がっていくのがわかる。ほぼ一瞬、時間にして約〇・五秒。ペンダントから光の粒子が解放されるように溢れて、そして再集結するように纏まり、それは武器や防具として形成される。
“シンフォギア”
聖遺物の欠片から形成されるパワードスーツ。
翼が身に纏う聖遺物の名は、“天羽々斬”
かつて、日本神話において語られた八岐大蛇討伐の際に用いられたと言われる宝物殿から持ち出した十拳剣の一振り。
聖遺物の力を引き出せるその装備は、たった一つで一個軍隊を上回るほどの圧倒的な破壊力を秘めており、その存在そのものが日本の現行憲法に抵触しかねないが、やむを得まい。
それにもう世界中が知っていることだ。
今更だし、非常事態なのだ。
両手両足胸部を覆う青い装甲。
そして右手に携えられている日本刀を模したその刀身は、刀より反りのある太刀に近い。
とはいえ、時代劇に出てくるような古風な見た目ではなく、SF映画で見かける機械的な形をした武器だった。妙に機械的なものであっても、そこから発せられる神秘的な気配は間違いなく聖遺物の力を秘めたものであることを示していた。
刀に型成されてはいるものの、シンフィギアとしてこの世に甦った聖遺物は変幻自在。
天羽々斬は剣の聖遺物であるが、それが刃物であるのならば別の形にだって成れる。
刀は勿論、短剣に太刀、加えて二つの刃を連結させて弓のような見た目にまで出来る。
しかし、天羽々斬は剣。
斬ることに特化した聖遺物のため、弓のような武器には出来ても矢は放てない。
だが、それで良い。
翼は剣。
武者の如く刀を振るうことができる彼女には、それで充分だった。
「何者だ·······?」
鋭い眼光を向けながら問う翼。
敵意を剥き出しにされているのは一目瞭然。
これだけのことをやって、許せるはずもない。
だが。
それでも男は余裕そうな笑みを崩さない。
翼の問いに、男はローブを纏った肩を軽くすくませ、
「そう睨むなよ。可愛い顔が台無しだぞ? 風鳴翼?」
「·······多くの者達の命を奪っておいて、何を呑気なことを言っているッ!?」
「別に良いだろう? 貴様にとってはこんなこと日常茶飯事のはず。他人が死ぬなんてこと、貴様にはどうってことないだろう?」
「何を、馬鹿なこと───!!」
「始まりは、
「ッ!?」
その名を出されて、翼は様々な感情が頭の中で入り乱れ、思わず目を見開く。
自分の罪を思い出しているのか、今目の前で起きている光景と、『あの時』の光景が重なった途端、胸が締め付けられるような痛みが襲った。
それを見て、宙に浮遊する男はうっすらとした笑みを浮かべた。
「おいおい、何だ? 何だその顔は? まさか忘れたわけではないだろう。あれ以降、貴様がライブを行えば必ずと言って良いほどにいつもトラブルが起きる。そしてそこで·······人が死ぬ。いつものことなのに何を今更そんな苦しそうな顔をする?」
「ッ!!」
そんなことを言われても、翼は悲痛染みた顔を崩さない。
それで。
戸惑う子供のような翼の顔に、男は残酷に笑いかけて、
「
「ッ!?」
「
翼は。
その言葉の意味がわからなかった。
凍りついた頭は、しかし ゆっくりと氷を溶かすように時間をかけて思考を蝕んでいく。
自分が歌ったから。
ライブを開催したから。
つまりは、そういうことか? それが結論か?
奏とのライブをきっかけに、翼が行うライブには必ずと言って良いほどに何かが起きていた。初めてのマリアとの共演では自作自演でのテロ行為、その後のロンドンでのライブでも襲撃があり、その次も改造人間達の手によってライブはめちゃくちゃにされた。
その理由は──────自分が歌ったせいか?
「ふざ、けるな·······貴様」
翼は首を横に振った。
自分がどんな感情を持ってどんな表情を浮かべれば良いのかもわからないまま。
それでも、この狼藉者を屠らねばならない、と思った。
翼は右手に持つ剣の矛先を空中に浮かぶ男に向けると、
「ふざけるな貴様!! 多くの者達の命を奪っておいて、自分とは無縁の関係のように振る舞うその捻じ曲がった性根で、私の歌を語るな!! 今まさに散っていった者達、その者達を手にかけた張本人が、私の歌を勝手に汚すな!!」
「·······」
「なんという極悪非道·······私は絶対に許しはしないッ!!」
クソつまらない言葉に惑わされるな。
今そのことについて考えても、それだけで済ませられる問題ではないのだから。全てはこの男の仕業。それは間違いない。自分のせいでとか、そんな責任を感じるのは後で良い。今はこの男を無力化し、その後に被害者達への罪滅ぼしを考えれば良い。
まずはそのふざけた面を叩き斬る!!
そんな目をする翼に、男は雨に濡れたせいで冷え性に悩むように自分の両肩を抱く。
「全く·······本気でムカつくなぁ、愚民風情が」
くすくすと、窺うような笑みを浮かべ、
「そんなナマクラで、『この力』に勝てるとでも?」
「当然だ! この剣が言っている! 貴様を倒せ、とな!!」
「·······ふっ!!」
思わず笑ってしまう。
小物が何かほざいているのがおかしくて、体を小刻みに震わせる。
翼が剣を向けるのに対し、男は奇妙な光を放つ両腕を目一杯に広げ、まるで恋人でも迎えるような仕草を取る。
そのまま天を見上げていた男は、
「神である我に刃向かったんだ────」
そう言った瞬間、男の姿が掻き消えた。
「·······ッ!?」
そして、驚愕に目を見開く翼に、
「死んでくれ風鳴翼」
「!?」
翼の背後から声がした瞬間、彼女は右手に携えていた剣を一閃させる。
だが──遅い。
電光石火の如く動き回れる男は、翼の剣速をも上回る。
ドン!! と。
電撃を纏った拳が、翼の腰に直撃し、その電流によって身体中が硬直した。
「が·······ぁ·······ッ!?」
予想外の一撃に、彼女の脳が余計に電流によるショックを受ける。
一瞬にして背後を取られたことに驚愕するのも束の間、麻痺している意識に、男の声が届く。
いかにも失望したような、人を見下した声。
「たかだが聖遺物の欠片程度で、完全聖遺物に勝てるとでも思ったか?」
「な·······ぁ·······!?」
ドッ!! と翼の脇腹に蹴りが突き刺さった。
吐き気が胃袋で爆発し、しかしそれすらも気合いで強引に押し留める。立ち上がろうとすれば体の色々な部分が踏み潰され、引きつった皮膚が切れ、血が雨水と混ざり合って滲んでいく。
男の笑い声が鼓膜に響く。
「ははっ! 我を倒すと言っただろう!? その聖遺物の欠片の力で、精々楽しませてくれよッ!!」
♡♥♡♥♡
「はッ!! はッ!!」
響が走って会場前に着いたのと、道を塞ぐ人混みがこちらへ近づいてくるのはほぼ同時だった。
響が向かう途中で何人かの声が会場から響いてきたと思ったら、一気に人の波が押し寄せてきた。元々限りのあるスペースの中で次々と逃げていったせいか出入り口付近は塞がれ、だがその圧力でガラス製の扉は内側から砕け散って外への逃走ルートを広くした。
出口付近にいた者達は倒され、後ろの人々に踏み潰される。
どこかで野太い男の声が聞こえた。ガラスに割れる音が耳にこびりつく。甲高い鳴き声は誰のものだろうか。
悲鳴が響き、異様な圧迫感までこちらに与えてくる。
あちこちが人の波によって塞がれていた。
暴動に近い光景に、響自身も声を詰まらせる。
「すみません!! 退いてください!!」
なんとか絞り出した声も、群衆には届かない。
目の前の人の山の流れに逆らって突破しようと奮闘しているが、暴徒のような人の波の中では無傷では済まなかった。人が多すぎて走ることができないし、歩くのがやっとだ。それも最初の数メートル程度で限界が来た。
「お願いです!! 通してください!!」
「どけコラッ!!」
「ッ!!」
叫び声と共に誰かに殴られた。
前へ進もうとしたところで、誰かの肘が頬に突き刺さる。
そこから先はもう、寛容の精神を持ち合わせた響もがむしゃらだった。倒れたらそこで踏み潰されることを考慮し、迫り来る腕や拳を跳ね除け、邪魔をする人の壁を肩で押し退け、しかし完全には避け切れないのか爪みたいな鋭いものが身体中を擦る。
興奮した人々は逆流して進もうとする響が目障りで仕方ないのだ。
だが、響だってどうしてもあそこに行かなければならない。
四方八方から押し潰すような人の圧力にも負けず、響は意識まで人の波に呑み込まれる前に、目的地である会場へと突き進む。
♡♥♡♥♡
「何だあれ!?」
軍隊蟻の群れを見ているようであった。
あるいは、混沌の河か。
その異様な光景を形作っているのは、人間だった。
目の前の光景をそんなもので譬えてしまったのは、老若男女、それこそ全ての世代が揃ってるんではないかというほどの大量の人が溢れ、罵詈雑言を叫んで人々を押し退けていたからだ。
足の踏み場もなく埋め尽くす人の波は、どこを見渡しても雨で濡れた人の頭しか見えず、渋滞の中では人々が言い争っては暴力を振るっている。異様な景色の中では人々の常識すら歪んでしまうのか、仲間同士で争い、目の前にいた人を押し倒して、狭くて暗い街の中を逃げ回っていた。
醜く恐ろしいと思った、天使ピット。
そんな顔をする彼に、天界にいる女神は告げる。
『急いであそこのライブ会場に向かいなさい、ピット』
「え? でもみんなが────!!」
『彼らに構っている暇はありません。それに彼らはパニック状態によって冷静さを失っており、私達の声なんてまず届かないでしょう。それよりも、人々が恐れているものを排除すれば、皆今よりも少しは落ち着くはずです』
「ッ!!」
パルテナ自身も何とかしたいとは思っていただろう。
しかし、これだけの大人数に対してのんびりと時間をかけている暇はないと判断したのだろう。実際女神パルテナでも、これほどの人数を奇跡の力でどうにかできるなんてことは思っていない。ピットの念話のように、一瞬にして彼らの頭に入り込んで念話を送って行動を止めるなんてこと、女神であるパルテナの力でも無理だ。
そうこうしている間にも、被害は拡大していく。
ならば、皆が恐れ、逃げる原因であるものを取り除いてしまった方が手っ取り早い。
「······ッ!!」
逃げていく人々を見ながら、ピットは頷く。
「わかりましたパルテナ様!! 急いで止めに行きましょう!!」
その声に応えて、パルテナは残り時間わずかな『飛翔の奇跡』を使って、ピットの体を会場方面へと向ける。
そこに向かうまでの間、ピットは道からこぼれるほどに大量の人々が集中している街を見る。
(神器一つだけでここまでになるなんて······ッ!! もしその力でみんなを苦しめている奴がいるのなら、ボクが懲らしめてやる!! そしてこんなこと馬鹿げたことは、一刻も早く終わらせてやるッ!!)
そう固く誓うピットは、こんな見てもいられないような酷い光景が二度と起こらないように、暴動と形容するべき渦を乗り越え、神器があると思われる会場へと飛んでいく。