「はぁ……」
今日も平等に朝がやってきた。
いつも通り制服に袖を通し、持ち物を確認する。ここらはもうほぼ惰性だった。
──時間だ。
「いってらっしゃい歯車!気をつけてね!」
「頑張ってこいよ~歯車~」
「……いってきます」
有休を消化したのか知らないが、今日は父が休みだ。僕が出て行った後二人が何をするか容易に想像できるが、そんな気持ち悪いことに思考のリソースを割きたくなかった。
「おはよう、歯車くん」
「おはようございます」
先輩は今日も僕を待っていた。一体何時からここにいるんだ?
▫▫▫▫▫
「おー、おはよー、歯車~」
「おはようございます」
「いつも思うけどよぉ、お前全然タメ語使わねぇな」
「こういう性分ですので」
「ふーん。ま、いいけどよ」
珍しくクラスメートから話しかけられた。彼は誰にでも友好的なためいつも周りに人がいる。僕とは大違いだ。
ちなみにだが僕は入学初日の自己紹介時、好きなものやことを話すより先にとある『お願い』をした。
『苗字で呼ばないでください』
その理由は単純明快、両親と同じ苗字で呼ばれたくなかったからだ。
談笑する彼らを眺めながら、僕は脳内に計算式を張り巡らせた。
▫▫▫▫▫
「起立、礼」
「「「「ありがとうございました」」」」
今日も授業が終わる。ちなみに昼食は先輩手作りのハンバーガーだった。
学校は割と好きだ。便利な先輩がいるからというのもあるが、単純に学びを得ることが自分を成長させているようで楽しかった。──とはいえ、高校の教科は既に頭の中に叩き込んであるため退屈が九割を占めているのだが。
「…………」
掃除が終わり各々は部活動に散っていく。僕もその内の一人だった。
部室に向かう歩様が少し浮き足立つのを自覚する。今日は空がよく晴れている。絶好の天体観測日和だ。
天文部は僕と先輩の二人だけ。とはいえど活動はしっかり行っている。他校の天文部と関わりを持つこともあった。
まあ僕の望みは部活動の内容というより拘束時間の長さに依るものなのだが、部員である以上役割は果たすつもりだ。
「入りますよ」
ノックをした後に──思い出す。そういえば先輩は今買い出しに行っている。軽食もそうだが僕の個人的必需品も頼んでいたのだった。
このご時世
この学校は進学校にしては珍しくバイトが可能。生徒の自主性を重んじる、と言えば聞こえはいいがある意味無頓着でもある。
部室に入る。
「フー……」
長いため息を吐き出しながら窓際に佇み──懐からライターと残り一本のタバコを取り出した。
一応両親にバレないようタバコは一日一本だけにしている。バレないように服は自分で洗濯するしブレスケアも飲む。
故にこの一本が口惜しい。長く楽しむためにもちびちび吸っていた。
「お、早速吸ってんな」
「──先生」
先生。『
普通だったらすぐにタバコを取り上げられ、大きな問題にされるだろう。しかしこの先生はいい意味でも悪い意味でも寛容だった。
「おい、火貸してくれよ」
「どうぞ」
先生の口元でライターをつける。僕のそれとは違ったものを吸っていた。先生曰く、日によって吸い分けるのが楽しいとのこと。
初めてこの人に喫煙しているところを見られた時、終わったと思った。しかしこの人は硬直する僕に交換条件を提示した。
タバコ吸うのを黙る代わりに部活動は介入せず。それが僕たちの取り決めになった。
「クククッ、こんなとこ他の奴らに見られたらヤバいな」
「そう言いながらやめないんですね」
「人生にはスリルがつきものだからな」
未だにこの先生はよく分からない。この性格で何故教職を目指したのか、何故僕を見逃してくれるのかまるで見当がつかない。
「なあ歯車。お前はなんでタバコを吸うんだ?」
「……別に、ガキのかっこつけですよ」
「ガキは自分でガキとは言わねぇぞ。……ククク」
何が可笑しいのか先生はクツクツと笑う。
「買ってきたよ。はいこれ」
「ありがとうございます」
「お、帰ってきたか。じゃあ、後は若いお二人でってヤツで」
先輩が買い物を終えて来たのと同時に先生は部室を出て行った。
▫▫▫▫▫
「じゃあ、今日はここまでにしようか」
「はい」
今日の星空データを集め終えて部活動は終了する。のだが、終わる直前僕は
「ごめんね、甘いものか度数が強いものしか売ってなくて」
「いや……助かります」
ビニール袋からタバコとあれを取り出し、プルタブを引く。
「んっく、んっく、んっく……」
星空を眺めながらアルコールを摂取する。
酒はいい。アルコールが思考を薄れさせてくれる。
先輩も未成年なのにタバコはともかくどうやって酒を買っているのかと疑問に思うが、まあこの人なら可能だろう。
バイトがある日は流石に飲まないが、僕は酒特有の味にすっかり毒されていた。
▫▫▫▫▫
「起立、礼」
「「「「ありがとうございました」」」」
日は変わって放課後。先輩に今日は行けないことをメッセージアプリで伝えてから僕は学校を出た。シフトは前もって知らせてあるが念のため。
商店街の隅、寂れているがそれなりの存在感を放っている建物が目的地だった。
「どうも」
「お、来たか」
「──あっ、歯車くん」
店長と同期の方に挨拶し、エプロンを着用。
僕は本屋でバイトをしている。いつ来てもどこか物寂しさを感じるたたずまいだが、意外と客はやってくる。
「じゃあ俺は仮眠取るから。頼むぞお前ら」
「はいっ」
「分かりました」
店長の名前は知らない。思考を分断させるために一応記録しておきたかったのだが何故か彼はアルバイターである僕たちにすら名前を教えたがらない。ネームプレートにも『店長』とだけ書かれている。
そして、唯一の同期である彼女の名前は
『
「はぁ……学校終わりにバイトだと疲れるね~」
「そうですね」
煤斬さんはどういうわけかぶっきらぼうな返事しかできない僕によく話しかけてくれる。友人……と呼べる程仲良くはないのに、
「この後ご飯行かない?」
「いいですよ」
食事にも誘ってくれる。変わった人だなあと思う。
▫▫▫▫▫
「それでね~、私の友達ったらビックリした反動でバク転しちゃって。いや~こっちの方が驚かされちゃったよ~」
「そうですか」
彼女は話上手だ。すらすらと流れていく言葉の群れは聞いてて心地が良く、それでいて脳にしっかりと刻まれる。
「……って、ごめんね?また私ばかり話しちゃって……」
「お気になさらず」
彼女はよく自分の話ばかりすることを謝るが、それは何も悪くないと思う。なにせ僕の方から話すことが一切ないのだから。
「……いつも思ってるんだけどさ、歯車くん、敬語使ってて疲れない?普通にタメ口でいいんだよ?」
「いや……これは僕のポリシーのようなものなので」
僕は努力ができない人間だ。なまじ才能がある分結果は簡単に出せるが、何かを極めるだけの熱が無い。
だから僕は、普通の人間を尊敬する。テスト勉強だとか、部活動だとか、趣味だとか、努力できる人を心の底から讃嘆する。それに対する敬意を込めて、僕は敬語を使う。
「煤斬さん」
「!な、なになに?」
珍しく僕の方から話しかけたからか、彼女の表情が驚愕に染まる。僕は相変わらず平坦に自分の心を曝け出した。
「──いつもありがとうございます。励みになります」
「…………えっ?あ、え……?…………そ、そうなんだ!アハハ……ちょっとビックリしちゃった。……うん。よかった。励みになるなら……よかった」
その言葉に嘘は無い。彼女との時間は先輩との静寂とはまた違った喜びがある。先輩が悪いと言っているわけではないが、煤斬さんと共に過ごす時間からしか得られないモノは確かにある。
その後の煤斬さんはやけにギクシャクしていた。少し気持ち悪いことを言ってしまったからだろうか。
▫▫▫▫▫
「すみませーん、『双眼の厂風』って入荷してますかー?」
「ああ、それでしたらこちらに」
ある日。煤斬理と回流歯車はアルバイトとしての業務を着実にこなしていた。客の言う『双眼の厂風』は、とある有名作家の小説である。
回流歯車は来客に迷いなく本の場所を伝える。本屋ということで本の入れ違いは多々あることが予測されるが、彼の記憶力はその領域を遥かに凌駕していた。
(……歯車くんは凄いなあ)
一瞥しただけでどこにどの本があるのか理解し、寸分の狂いなく当ててみせる記憶力と情報処理技術。
煤斬理から見た回流歯車の第一印象は、朴訥な人、というものだった。淡々と、愚直に目の前の仕事に没頭する。悪い言い方をしてしまえばユーモアに欠ける、そんな人物だった。
せっかく同じ場所で働いているのだから、と彼を食事に誘っても楽しいのかつまらないのか分からない雰囲気を纏っている。のれんに腕押し、糠に釘である。
しかし言葉を重ねる内に思い知った。彼は自分とはかけ離れた世界を生きている、と。
その地域では最も偏差値の高い進学校のトップ。中学時代はテニス部の有名選手だった、という天からの寵愛を受けているのではないかと思う程の才能を前に、彼女は──折れなかった。
例え彼が自分より『特別』な存在だったとしても、仲良くなることを諦める理由にはならない。
せっかく会えたなら、仲良くしたい。それが彼女のポリシーだった。その性格上中学時代は多くの男子生徒に勘違いされることもあったが、それを踏まえても彼女は底抜けに″善″だった。
一方で、『すすきり り』なのに『すすき りり』と呼び間違えられることが悩みだった。相対する人物は誰も彼も馴れ馴れしく『りり』などと呼ぶ。自分から飛び込んでいるのだから文句を言うつもりはないが、それでも嫌なものは嫌だった。
しかし彼は彼女を煤斬さんと呼んだ。そんな、たったそれだけのくだらない些末事で、煤斬理は彼に興味を持ち始めた。一応普段の丁寧な振る舞いを好ましく思っているというバックボーンがあるが、興味が生じたのは実に些細なことからだった。
彼女は知らない。その胸の内に萌芽した感情が、自分で処理しきれない程に強く眩しく育っていくことを。
『──いつもありがとうございます。励みになります』
「~~~ッッッ……」
ぶっきらぼうな彼の、初めて感情を見せた瞬間。私だけの、特別。
「おい。手止まってるぞ」
「……あっ!す、すみません店長!」
店長は嘆息する。これは重症だ。