「スー……」
タバコをじっくりと吸う。肺が汚されていく感覚が心地よかった。
「タバコは……どんな感じなの」
その光景を眺めていた先輩から問われる。僕はいつも通りぶっきらぼうに答えた。
「寿命を削っている味がします。おすすめはしません」
「そう」
すっかり短くなった火種を手で揉み消しゴミ箱へ放り込む。誰かにバレないようティッシュで包むため火消しはしっかりと行わなければならない。
「それじゃ、乾杯」
「はい。乾杯」
先輩は清涼飲料水、僕は酒缶を持ち相手のやや下へ突きあわせた。
星空を眺めながら嗜む酒は特別な味がする。今日は帰らないつもりでいたため完全に酔うまで飲むつもりだった。
「帰りたくないので先輩の家泊まっていいですか」
「いいよ」
交渉成立。僕は追加のプルタブを引いた。
▫▫▫▫▫
『今日は先輩の家に泊まる』
メッセージアプリを開き両親に泊まるから帰れない趣旨を伝え、画面を暗転させる。
「それじゃ、今日はお世話になります」
「うん。行こうか」
僕は酒に強いのか弱いのかよく分からない体質だ。数本飲めば思考が朧気になる程酩酊するのに、少し夜風に当たってしまえばサッパリと頭が冴えてしまう。飲める上限が低い代わりにアルコールの分解速度が速いらしい。
先輩の住むマンションは僕の家から少し離れる。二十分程歩いた先にそれはそびえ立っていた。
慣れた手つきでカードキーを取り出し機械に差し込む先輩。僕の脳内は既に冷静さを取り戻していた。
「お邪魔します」
「うん。ゆっくりしていってね」
家具から調度品に至るまで、落ち着いた高級感に満ち溢れている。来る度にそう思う。
「ご飯作るから、先にシャワー浴びてきて」
「はい。お借りします」
着替えはどうするのかという問題だが、初めてここに来た時から僕の服や日用品などは持ち込んである。そこら辺の心配は無用だった。
▫▫▫▫▫
シャワーを浴びながら呟く。
「572の平方根はぶつぶつぶつぶつ……」
放心状態に陥るとあの光景が蘇る。だから常に何かを考えなくてはならなかった。
浴室から上がり柔らかなタオルで体を拭く。着替えは用意してあるので焦る必要はなかった。
「上がりました」
「それじゃ、食事にしようか」
リビングのテーブルには夕食が並べられていた。相変わらず手際がいい。
「「いただきます」」
今日の献立は魚の煮付けと人参サラダ、きゅうりの浅漬けに白米。
「……美味しいです」
「そう。よかった」
お互いそこまで話すわけではないから、箸を扱う音と咀嚼音だけが涅色の空間に流れていた。
▫▫▫▫▫
僕には応用力の低さという弱点がある。そのため、先輩と夜を過ごす日はちょっとしたトレーニングとしてチェスやオセロといったボードゲームをしていた。
「チェックメイトです、先輩」
「……これで私の二十勝四十二敗だね」
始めたばかりの時は敗北を重ねていたが、脳が学習するにつれて勝ち星を拾えるようになっていた。
「歯車くんは将来働くの?」
後片付けをしていると唐突に質問を浴びせられた。
当たり前のことだが、僕にも先輩にも納税の義務がある。従って働くのも当然のことだった。
「……ええ、まあ」
「養うだけのお金はあるけど」
「情けなさすぎるじゃないですか。流石に職には就きますよ」
……ただ、まあ、そうだな。仕事で体を壊したり病んだりしてしまった場合は、この人に養ってもらうのも悪くないのかもしれない。先輩なら二つ返事で了承してくれるだろうから。
否定も肯定もせず、ただ傍にいる。本当に便利な人だ。僕にとって先輩は、それだけの人物でしかない。筈だ。
▫▫▫▫▫
「それじゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
明日は休日だ。本屋のバイトがあるし、両親との関わりをできるだけ減らせる。……なんなら明日も先輩に泊めてもらうか?流石に僕の両親が面倒くさくなる可能性もあるな。仕方ない。明日は普通に帰るか。
一時、中学時代の修学旅行などで長期間家を空けたことがある。すると帰宅した僕へ両親は物理的に擦り寄ってきた。
「大丈夫か」「心配した」そんなことを宣いながらベタベタと体を触る。気持ち悪いことこの上なかった。
……ああ、またあの二人のことを考えてしまっている。一昨日読んだ小説のことでも思い出そう。確か主人公が──
▫▫▫▫▫
「ありがとうございました。それでは」
「うん。またいつでも来て」
先輩に見送られながら例の書店に向かって歩き出す。朝シャワーを浴びさせてもらったため衣服の着心地が良かった。
休日はフルタイムでバイトに明け暮れている。金はタバコと酒の分稼げればいい。とはいえ、短時間働いているだけでは両親との時間を減らせない。
大学の費用も確保しておきたい。時給はそこまで良くないが、塵も積もれば、というやつだ。
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「お、来たか歯車。俺はバックヤードで作業してるから、後頼んだ。休憩時間になったら知らせる」
「はい」
店長の言葉に従いレジに立つ。休日故に人通りが若干激しくなることが予想される。
そうしてしばらく来客を捌いていると、彼女がやってきた。
「こんにちは、歯車くん」
「はい。こんにちは、煤斬さん」
彼女の来訪と同じくして作業が終わったらしい店長が顔を出した。
「煤斬、お前代わりにレジやれ。歯車、色々運ぶから手伝え」
「「はい」」
それからは黙々と力仕事に精を出した。頭を空っぽにできる上新しい情報を得られるため、バイトはそれなりに好きだった。
▫▫▫▫▫
「よし、休憩。休んでいいぞ、歯車、煤斬」
「はい」
「はい……つ、疲れたぁ……」
バイトは僕と煤斬さんだけではなく、他の従業員も存在する。しかしその人たちとはシフトがあまり重ならないため交流機会もさほど無い。
「やっと涼しくなって来たねー」
「そうですね」
いつもと変わらず素っ気ない返事しか返せない僕に、煤斬さんは根気強く話しかけてくれる。本当にこの人には頭が上がらない。
短い休憩時間はおおよそが彼女との対話に消費される。何かを考えないとあのトラウマがフラッシュバックするため煤斬さんとの(一方的な)会話はありがたかった。
「ねえ、歯車くん。今度私の学校の文化祭来てくれない?」
「いいですよ」
「…………」
「どうかしましたか」
「……ホントに、いいの?」
「ちょうど暇をもてあましているので」
文化祭。実に良い響きだ。何故か脳裏に先輩の顔がチラついたが、行かない理由は無かった。
▫▫▫▫▫
(勢いで歯車くん誘っちゃったけど、ホントに来てくれるのかな……)
煤斬理はクラス別出し物の準備を進めながら雑考に浸っていた。
何故自分は彼を誘ったのか、本当に来てくれるのか。もやもやと悩み続けていた彼女だが、
「リリー!そっちはもういいよー!」
「あっ、う、うん!分かった!」
級友の呼びかけで正気を取り戻す。彼女は一度思考に入ると中々抜け出せない性質を持ち合わせていた。
▫▫▫▫▫
「いらっしゃいませー!」
彼女の世代はまだ一年生なため、そこまで大々的な出し物は売り出せない。とはいえ高校生になって初の文化祭。心が弾むのも、仕方のないことではあった。
「チュロス一本ください」
「はーい……って、歯車くん!?来てくれたんだ!」
その一言に彼女の級友はざわめき始める。見かけない顔だ。他校の生徒か?
「はい、チュロスどうぞ。上級生の人たちはもっと凄い出し物やってるから、歯車くんも楽しんでね!」
「はい。ありがとうございます」
笑顔で手を振り見送る煤斬理に、背後から近づく影。ただのクラスメートである。
「ちょっとちょっとちょっと~!なに~?リリ、彼氏でも呼んだの~?」
「は、歯車くんとはそんなんじゃ……」
「しょうがないなぁ、ここはアタシがやったげるから彼と回ってきな」
「……いいの?」
「……ぷぷ、やっぱり気があるじゃーん」
「だ、だから違うってー!」
ニヤニヤと笑われ、頬を赤らめながら駆け出す煤斬理。
「青春だね~」
誰かがそう呟いた。
▫▫▫▫▫
「はぁ……はぁ……は、歯車くん!」
「煤斬さん?どうかしましたか?」
「……い」
「い?」
「一緒に、回らない?」
「いいですよ」
「……えへへ、じゃ、行こっか」
彼は山紫水明と同じく、感情を表に出さない。その背景には両親への嫌悪感が根ざしているのだが、それを知る者は彼を含めて誰一人としていない。
それから彼女たちは様々な出し物に顔を出したが、回流歯車は楽しいのかつまらないのか分からない雰囲気を纏っていた。
「ふー、いっぱい回ったね、歯車くん」
「そうですね」
(……楽しんでくれたかな?くれたなら……嬉しいな)
どこか和やかな時間だったが、それを引き裂く人物が一人、その場に現れた。
「あれ、先輩?」
「うん」
「……え?」
先輩?先輩って……どういうこと?今まで彼からこの人について聞いたことなんてなかったのに。
困惑を隠せない彼女に、山紫水明は口火を切る。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
山紫水明は全てを知っていた。彼が本屋でアルバイトをしていること、その同期に煤斬理がいること、そして彼を文化祭に誘ったこと。
「先輩はどうしてここに?」
「ちょっとした用事」
見定める。そのために、山紫水明はここにいた。