大金星を得るはずだった。
魔王軍に盾突く人類最後の希望である勇者ダイ率いる一行を自らの策略、氷炎結界呪法によって弱体化させ追い込み、結界から一度は逃げ出したダイ達に対してパプニカ王国王女のレオナを伝説の禁呪法で凍りつかせておびき寄せるための餌とした。
相手の魔法を封じ、戦闘能力を五分の一とする氷炎結界呪法。
ダイ達が再び結界を張った島へ入った時が最期だと魔王軍は考え、魔王軍司令ハドラーの指示によってザボエラ率いる妖魔師団、ミストバーン率いる魔影軍団、ほぼ総軍を持って核である炎魔塔、氷魔塔の守護およびダイ達の始末に進軍した。
だが、結果として両塔は破壊され、魔王軍司令ハドラーは裏切り者の不死騎団長ヒュンケルに敗れて、ザボエラやミストバーンはこれまた裏切り者の百獣魔団クロコダインの援軍もあって撤退した。
魔王軍総がかりでも倒せなかったダイ達、それを殺しさえすれば大魔王バーンからもさらに認められ、より高みに辿り着ける。
そう考えていたというのに、何もかもが狂った。
秘策を使うも自らの核をアバン流空破斬によって破壊されて窮地に陥り、自分の身体を捨ててミストバーンに降ってまで最強の鎧と一体化しかにも関わらず――
「アバンストラッシュだーっ!!」
ダイの叫びと共に放たれた閃光の一撃が最強だったはずの鎧を貫いた。
どんな苦汁を舐めさせられようとも、地べたを這いつくばろうとも、屈辱に塗れようとも、勝たなければ誰からも認められないというのに――敗北したのだ。
「たっ……頼む、もう一度チャンスを……ミストバ――」
瞬間、視界は真っ暗に染まり、その短い一生を終えた――
■
「――せい」
声が聞こえる。それもまだ幼い少女の声。
その声と共に、どこか朧げだったフレイザードの意識が取り戻されていく。
「先生っ! お話聞いてた?」
瞼を開けた先、フレイザードの顔を下から覗き込んでくるのは聞こえた通り、幼い少女――
朝の光を閉じ込めたような淡い金色の髪を肩の辺りでふんわりと波打ち、動くたびに柔らかく揺れている。
容貌はまだ子供の面影が残っていた。頬の丸み、不思議そうに小首を傾げる姿はどこか守ってやりたくなるようなあどけなさを持ち、本能に訴えてくるような愛らしさを秘めている。
瞳は琥珀色。室内の蛍光灯に照らされるだけでも金糸のような光が差し込んでいる。興味を示したその双眸はフレイザードを捉えて離さない。
彼女の制服は深い黒を基調としたデザインで、赤いリボンが胸元に結ばれている。小さな身体には不釣り合いな大きめのコートが掛かっており、袖口は余っている。
頭部にはちょこんと帽子を被っており、そこに付けられた小さな飾りがイブキに彩りを添えていた。無邪気、それでいてどこか儚い――光と影の間に立つような魅力を秘めている。
イブキの愛らしさはこの場において十全な効果を発揮していた。何せ、彼女が所属している組織は学園の中でも中枢でトップや他の面々に溺愛されているが故にイブキの言葉一つで指針が決まるほど。
そんなイブキはフレイザードの顔を覗き込んだまま、問いかけてくる。
「ぼーっとしてたけど、どうしたの?」
「……何でもねえよ」
自分でもここまで歯切れの悪い言葉が出るとは思わなかった。
試しに拳を握ってみてもしっかり感触がある。
そう。自分は死んだはずだ。
それなのに次に目を覚ました時、不可解なことが起こっていた。
ミストバーンに踏み潰された直後、フレイザードは何故か移動する鉄の棺桶のようなものの中で座っていた。後で知ったが、あれは電車というものらしい。
だが、問題はそこではなく目の前に座る血に塗れた少女から一方的に託されたかと思えば、気付けばフレイザードは『先生』という立場になっていたのだ。
どうやらここはフレイザードが生きていた世界ではないらしい。人間界、ましてや魔界でもない全く別の世界。
――学園都市キヴォトス。
地図の上では一つの都市だが、その実態は数えきれないほどの学園で攻勢された巨大な連合体だ。学園ごとに法律があり、文化があり、宗教すら異なる。
そこに住まう少女たちは皆一様にヘイローと呼ばれる独自の形状をした光輪を頭頂部に持ち、異様な膂力や耐久性、戦闘能力を持つ。何なら外ではほぼ日常的に戦争の真似事のような銃撃戦が行われているが、致命傷に見えても撃たれた側は大した怪我ではないことがほとんどだ。
だが、どんなに思想が違おうともこの都市の生徒たちを繋ぐために用意されたのが『先生』と呼ばれる存在らしい。
そもそも『先生』とは何か、どこが発足したのか。
それはキヴォトス行政機関、連邦生徒会が深く関わっていた。
連邦生徒会、それは財務室、調停室、防衛室……各十一もの部署で業務を扱う行政委員会と、それらをまとめる統括室で構成された行政機関のことを指していた。
しかし、その長である連邦生徒会長は突然失踪。
当然混乱に包まれるも、行方不明の連邦生徒会長が創設していたのが『先生』を顧問とする独立連邦捜査部
キヴォトスで暮らす生徒たちのありとあらゆる相談に応じ、同時に所属や学籍を問わず生徒に協力を仰ぐことができるキヴォトスの勢力図における特異点の存在。
連邦生徒会長によって付与された顕現のもとにあらゆる規約や法律の規則や罰則を逃れられる超法規的機関で、悪用しようと思えば罷免されるまで好き放題できるものだ。
実際のところ、連邦生徒会の直轄として新設されたばかりの機関であり、有力校からすれば騒動の火種になりかねない存在だ。
フレイザードとしては自らの状況も掴めていないまま、そんな存在になるつもりもなかったというのに、そこからゴタゴタと騒動が起きて、勝手に『先生』にされて、用意された一室で状況も飲み込めずに天井を見上げていたところで早速『生徒』からの要請を受けた。
その呼び出した生徒というのがキヴォトスの中でも一大勢力でもあるゲヘナ学園生徒会――通称
ゲヘナの中枢組織が何の用か、おおよそ予想も出来なくもないがイブキの無邪気さを見ていると判断も鈍る。
「先生、どこか痛いの?」
言って、イブキがフレイザードへ触れようとした途端、フレイザードは目を見開き、
「触んじゃねぇ!!」
イブキが炎の半身に触れる寸前、フレイザードは大きく声を荒げた。
その声はテーブルに置かれていたマグカップを震わせるほどであり、向けられたイブキも驚きで両肩を大きく震わせる。
フレイザードは右側の絶対零度の氷と左側の灼熱の火炎、その二つで構成された肉体を持つ。そんな身体を持つ者が人間のように他者に触れる、触れられるなどの営みはできるはずもなかった。
魔王軍司令ハドラーから人類を殲滅するために生み出された魔物である以上、フレイザードはそんなものを求めることもなかったが――イブキは違ったようだ。
目を真ん丸にしたかと思えば、その双眸に涙が溜まっていく。
今まで周囲に甘やかされ、怒鳴られることなどなかったのだろう。
今にも泣きそうなイブキにフレイザードは周囲の視線が鋭くなったことで咄嗟だったとはいえ、不手際を察する。
そして、フレイザードが何かを言う前に――飛びついてきた長身の少女がいた。
「貴様よくもイブキを泣かせてくれたな! イブキを泣かせる者はこの
言い切る前に左半身に噛みついてきたかと思えば案の定、口の中で炎が広がって無様に床を転げ回る。
と、思えばすぐに起き上がって口から黒煙を吐いて、腕を組んで取り繕う。無様に転がる姿をイブキに見られたくなかったのだろう。それだけで済むのだから、やはりキヴォトスのヘイロー持ちは侮れない。
「げほっげほっ……イブキを泣かせる者はこの羽沼マコト様が許さんぞ!!」
そして、何故か言い直した長身の少女――羽沼マコト。
髪は長く、銀を帯びた灰色。光が差すたび淡く青が混じる。
整えられた前髪から覗く双眸は鋭く、切れ長な視線は挑戦的。堂々とした余裕は存在感とトップたる威厳を見せていた。
長身であるために目立ち、まさに麗人といった容姿だが……先ほどの一発芸が全てを台無しにしている。
そんなマコトこそ万魔殿の長であり、見たところ勢いだけで優秀そうに見えないが万魔殿の議長ということに違いはない。
フレイザードは一息吐いて、イブキへ振り返って身長をなるべく合わせるように前で身を屈める。
「別にテメェが悪いんじゃねぇ。こうなるから触るなって言ったんだよ。オレの身体は触れれば燃えるし、素手で触れればへばりつく。怪我しかしねえんだよ」
「それでも今の言い方はイブキに対してキツかったのでは?」
そう抗議してきたのは万魔殿に所属する戦車長――棗イロハだった。
毛先に行くほどボリュームのある臙脂色のを腰辺りまで伸ばし、非常に丈が長く袖の余ったコートやきちんと締められていないネムタイ、飛び出したシャツ、そしてその双眸。
全てが気だるげな印象を与えてくるも、今の彼女の瞳は不機嫌さを示すように今は鋭くフレイザードへと向けられている。
朧げだが、この万魔殿の中で一番イブキの近くにいたのはイロハだった。思い入れも強いのだろう。
抗議してくるイロハにフレイザードは息を吐く。
戦力が分からない以上は下手な真似をして万魔殿を敵に回すわけにもいかない。フレイムやブリザードなどの氷炎魔団を失い兵力のないフレイザードの冷静な判断力は素直な謝罪を選んだ。
「悪かった悪かった。何せ人間に優しくすることなんてなかったからな~。まっ、詫びをさせてくれや」
と言って、フレイザードは右手を握り締める。
イブキが訝し気に見ていると手を開き、その手には部屋の片隅に飾られていたクマのぬいぐるみを氷で手のひらサイズに模したものだった。
「すごーいっ! 先生、どうやったの?」
子供とは単純なもので、口から黒煙を吐いたマコトの一発芸よりもこちらの方が興味を惹かれたようだ。
「大したことじゃねぇよ。氷の禁呪法で形どっただけだ。このとおり……炎で握っても溶けねえ。もちろん水に浸けようが何だろうがオレの命が尽きるまではなくならねえモンだ」
左手の炎で強く握り締めたところで形は崩れず、溶けることもない。本来、氷の禁呪法は生物を閉じ込めてじっくりと生命を溶かす代物だが中に生物がいなければ堅固なものとなる。
それをイブキの手に落とし、
「やるよ、詫びの印だ」
「先生、ありがとーっ! イブキ、これ大事にするね!」
「ジュースに入れたらずっと冷やしてくれる便利グッズですね……キューブタイプでいただいても?」
「イブキに借りろや」
「ダメだよ! もう宝物なんだから!」
イブキの機嫌が良くなればイロハの機嫌も良くなる。
一瞬、剣呑とした雰囲気になった執務室もこれで明るくなった。
と、ようやくここでフレイザードは思い出す。
「それでマコト、オレに何の話があって呼び出したんだ? 」
「キキキッ……聞き逃していたのならば仕方がないっ! ならばもう一度言おう先生! 我々と手を組み、このキヴォトスを征服しようではないか!!」
「よし、話はこれで終わりみてーだな」
マコトが言い切った直後にフレイザードは踵を返し、ドアノブをもぎ取って部屋から出て行く。
「ちょ、ちょっと待て! 総員、先生を止めろーっ!!」
と、万魔殿の一般生徒が総動員して止めに来たのは言うまでもなかった――