宝狭の銀閃姫 作:黒庵
あ、脳破壊注意です。
───────それは、血反吐を吐くような絶叫だった。
「なぜオレだけを生かす!? なぜ、オレを……一番に喰わなかったんだ……ッ!!?」
ただ単に死ねた方が遥かにマシだった。
いや違う。
オレは、父さんと母さんと妹が目の前で喰われることに耐えられなかった。耐えられなかったのに、生き延びてしまった。だからもう、耐えられない。死ぬしかない。死ぬしかないのに、死ねない。死ぬ手段を、死ぬ権利を、選択を、自分の意思から強制的に取り上げられてしまっている。
なぜだ。
なぜだ。
なぜ。
おれは、しんでいないんだ。
それが、異世界に転生した後─────性別の違う………小学生の身で、無間とも思える地獄にたった一人で放り出された、オレのスタートラインだった。
■■■
2021年3月1日
「あのー、すみませーん」
蛇谷神社にて、新年から異常なまでの参拝客が訪れていたこの境内も落ち着きを見せ、休日の早朝には人影もない。というか、あれは文字通り異例だ。境内を箒で掃除していた少女………水琴は断言するが、この神社があるのはそもそも田舎であり、尚且つ駅から徒歩で30分も掛かるような場所にある。間違ってもあんな大人数が大量に気軽に訪れていい場所ではないのだ。………とはいえ、有名になる前にも両親が居た頃にも極まれに人は来なくもなかった気がする。………賽銭箱に中身が入るという珍事を観測したのは最近になってからの話だが。
そんなどうでもいいこととを考えながら、水琴は聞こえてきた若い女の子の声の方を向いた。
そこには。
──────銀の髪を流す少女が立っていた。
「───────」
初めてだった。
………完全に見惚れた、というのはこういう感覚なのだろうか。
空の水色を写すような銀糸は、後ろ髪が煩わしいのかポニーテールで纏められている。大雑把に束ねられているというのに、少女が揺らすそれはどうにも目によく映えた。
その髪色は染めた訳ではないのだろう。水琴は訊いたわけでもないのにそう確信した。
服装は純白のジャケットが目立ち、黒レザーの短パンに白い脚が眩しい。
傷だらけの指抜きグローブに対して一切の傷が存在しない細い指が、少々コスプレのようにも感じるが、少女の自然体を見てしまえば違和感なく受け入れられた。
「えっと……もしかしてこの神社のバイトさんですか?」
水琴と同年代くらいの少女は参拝客だったらしく、此処に住んでいるはずの蛇谷夫妻を訪ねてきたという。
………妙な話だ。最初はその奇抜な恰好から、退魔師の一員かと思っていたが、そうであるとしたらこの現代に自分─────『蛇谷 水琴』ではなく、既に2年も前に殉職した両親を探しに来たというのは変だ。
おまけに、仮にもし本当に両親があの一件で殉職者となったことを知らなかったとしても、此処に来た以上はある程度の情報も調べてきているはずで、自惚れるまでもなく『現代の退魔師で最も有名になった自分』の顔を見ても、いまいちピンと来ていないような顔で、しかも巫女服で境内を掃除していたからか、神社のバイトさんだとすら思われているようだ。自分が男だったなら間違いなくデートに誘っていたであろう、その美少女はなぜ自分が疑惑の目を向けられているのかもよくわかっていなさそうな表情で、きょとんとしていた。
「………ん?」
「?」
「んんん………?」
「………えっと?」
「あ、あ──────────っ!?」
「!?」
先程まで、薄っすらと纏っていたクール系美少女の仮面をぽーんと投げ出すような勢いで、きらきらとした瞳を向けながら弾む声でその少女は酷く懐かしい………一人しか呼ぶことがなかったあだ名を告げた。
「……もしかして───────みっちゃん!?」
「───────。その、呼び方………すぅ、ちゃん……?」
感動したのか、水琴を抱きしめながらわんわんと泣き出した少女を困った表情で、しかしどこか嬉しそうに微笑みながら………自分が有名になる前の、純粋な『ただの蛇谷 水琴』だった頃の─────この幼馴染の少女との7年間をゆっくりと思い出した。
"すぅちゃん"、というのは水琴がまだ小さかった頃の少女のあだ名だ。年の割には頭のいい子だったのを覚えている。自分はみっちゃん。お互いに名前の最初の響きを入れた呼び方を交換し、呼び合った。
本名は──────ハザオリ スミ。
……漢字で書くと、羽咲折 翠実だったはず。
蛇谷だなんていう名字を持つ自分が言うのもなんだが、この子の名字も変わったものだったから、未だに記憶に残っていたのだ。
それに加えてこんな田舎だ。幼稚園に一緒の子どもが居ると、そのまま小学校も同じ場所に通うことになるのは別段珍しくもない。
羽咲折 翠実という少女は、水琴が両親といっしょに初めて幼稚園に入園してから小学5年生になるまでの間、毎日同じ思い出を共有した幼馴染であり、親友だった。
しかし───────奇妙なことにも気づいた。
……水琴は先程少女と再会するまで一度も少女のことを『思い出したことがなかった』。昔のこととはいえ、3歳から10歳まで─────つまり、七年間もの間の時間が頭の中から消えていたのは妙な話だ。
彼女との七年間。
それはかつて男だった水琴が、少女としての人生を受け入れるまでの期間の大半を占めていた。
退魔師の子どもという異物が、小学校に通うほどの幼い子供たちに腫れ物のように扱われることもあったが、同じく一般人であるはずの翠実は一切気にすることなく水琴と何気ない日常を過ごしてくれていた。
前世がある、普通よりも人生経験は多い、それでも子どもの身体である以上は感情に振り回されることもある。翠実は終ぞ気づくことはなかったが、水琴は彼女のことを両親や偶に会う従姉妹と同じくらいには大切に想っていたのだ。
なのに、その全てがなくなっていた。
それに気づいたとき、水琴の中に気味の悪い悪寒が走った。
一切気が付かなかった。一切想い出すことも、違和感に感じることも、彼女が家族と共に旅行に行った直後に消えていたことも、誰も彼女が消えたことをこういう異常現象に関わりのある退魔師であったはずの両親さえ一度も気付かなかったことに、今更気づいたのだ。
そのことについて何か知らないかと訊いていくと、彼女は腕を組みながら、言いづらそうにしていた口をゆっくりと開いた。
「……やっぱり。オレ達、この世界から消えてたんだな」
「世界から、消えてた……?」
話を聞くと、どうやら水琴よりも先に旧知の人間に何人か会ったが、旅行に行った後の羽咲折一家に関する記憶・認識がすべてが水琴と同じように『今の今まで完全に抜け落ちていた』ということらしい。
そこで水琴は初めて思い出した、確かに彼女が元々住んでいた実家がいつの間にか、夜逃げした空き家として売られてしまっていたことに。そして、その話を聞いたとき、水琴は『彼女の家族が夜逃げした』などとは考えず、『知らない近所の誰かが夜逃げしたのだな』と認識していた。
つまり。
徹底的に。羽咲折家に関する認識が、何らかの要因ですべて書き換えられていたのだ。
きっかけは何かあったのか。
いや、そもそもそんな異常現象に巻き込まれた状態で今まで無事だったのか。
翠実は矢継ぎ早に質問攻めにしてくる少女に対して、何でもないように答えた。
「あー……端的に言えば、みっちゃんと別れた後、神隠し……いや、妖魔に誘拐されてた? みたいな感じかな」
「え……?」
「オレだけなんだよ。
生きてたのは、死ねなかったのはオレだけで、真桜も母さんも父さんもみんなオレの目の前で食べられたんだ」
「────────」
妹も、母親も、父親も。
遠い過去の出来事を、それでも忘れることは出来ないことを、少女は語った。
あの日。
小学5年生の春休みに入り、家族全員で県外に旅行に行くこととなった。
羽咲折一家はその道中にとある村落の傍を車で通り掛かり───────『その村の人間すべてに巻き込まれる形で、鉱石で編まれた異空間に転移していた』。
そしてその後、村の人間全員と彼女の家族は一人ずつ喰われていき、なぜか羽咲折 翠実だけが喰われずに生き残ってしまったという。
そこまで話して、水琴が喋らなくなってしまったことに気付いた翠実は、気分を無理やりにでも切り替えるように水琴に笑いかけた。
「あー、もうやめやめ! 暗い話は終わり! それより、せっかく帰ってこれたんだからみっちゃんの話してよ。
オレ、こっちに戻ってからまだおばさんとおじさんとも会ってないんだからさ。みっちゃんが今どんな感じなのか、全然知らないんだ」
■■■
それから、水琴と翠実はゆっくりとお互いの過ぎ去った時間を、重ねることの出来なかった空白を語り合った。
水琴は彼女が居なくなった後、退魔師として両親が行ったこと、そしてその後に水琴が退魔師として有名になった経緯を話していった。
翠実の方は自分がこの世界から消えた後、自分以外が妖魔に喰い尽くされてしまったと思ったら、いつの間にか見知らぬ『別の世界』に居たこと、その世界と此方の世界では時間の流れがかなり違っていたこと。……説明しようにもかなり長引くということで詳細は伏せられてしまったが、ともかくかなりの長旅をしてきたらしい。
「……そうか。おばさんたち、この世界の妖魔にやられちまったのか……」
「……もっと早く帰って来れればよかったな」
「うん。母さん達もすぅちゃんと会えば喜んでたよ、絶対」
「そう、だな。……そうだといいな」
しみじみといった表情で、翠実は交流のあった人たちのことを思い出す。
この子の家にお泊りに呼ばれた時に一緒に食卓を囲んだが、あの人─────みっちゃんのお母さんは特に色々とすごかった。なんというかもう、豪快だった。まさか父親を放り出して、俺たちと一緒に三人で川の字になるとは思わなかった。………まあ、間違いなく悪い人ではなかったのは確かだ。
─────────それはそれとして、だ。
「ところでさ。さっきから気になってたんだけど」
「なにかな」
久方ぶりの再会。
それをお互いに純粋に喜んでいると、なんでもないような口調で紡がれた内容に、水琴は固まってしまった。
「みっちゃんの身体が可笑しくなってんの、後ろのヤツが原因か?」
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「え……?」
水琴が一度も見たことがないような顔で、羽咲折 翠実は怒っていた。ブチギレている、とも言っていい。
いや、それよりも。
再会したばかりの一般人である筈の幼馴染の不可解な言葉の内容よりも、『後ろのヤツ』という部分が気になった。
水琴が後ろを振り向くと、龍神が立っていた。
「は?」
思考が完全に停止する。
龍神は基本的に、水琴の住居から出てこない。いや、元は家の外にある山で目覚めたのだから外に出られるというのは分かっているが、水琴の認識がいつの間にか『自分の家の中に居るモノ』として固定されるほどに常態化していたのだ。序でに言えば、小学生以来に再会した幼馴染との会話は、日常が常に非日常と化していた蛇谷 水琴という少女の心を僅かばかりに両親が生きていた頃に引き戻していた。
故に気付かなかった。
普段ならば気付ける異常に、よりにもよってこのタイミングで龍神が家から出てくるなどという最悪に。
「は、ちょ、え……に、にげて!」
「ふむ、存外に見目は良いな」
「……あん?」
龍神が、止める間もなく指先から霊力を放ち、羽咲折 翠実を貫いた。