三星回廊   作:佐竹福太郎

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オルフェ

「これが、ですか?」

 

 司令部から少し離れた航空基地の格納庫。薄暗い照明の下、そこにそれは静かに佇んでいた。埃の粒子が、かすかな光の筋に舞い、機体の黒い輪郭を優しく縁取る。

 

「そう、無理を言って技研から借りてきた」

 

 XRF-25「オルフェ」。パムも先日、マニュアルを読むまで存在すら知らなかった機体だ。それは、原型機がハミングと言われても分からないほどに変わり果てていた。鋭角なシルエットが、格納庫の影に溶け込み、まるで眠る鳥のように息を潜めている。

 

「第3機動艦隊に予算が回されたのは、この失敗作をユーデスで運用する為だ」

「失敗作なのに、総司令部は使おうとしているのか?」

 

 ポキフの疑問に、ジョルユは肩を軽くすくめ、答える。彼女の黒いコートが、微かな空気の流れに揺れる。

 

「あぁ、渡り鳥を追跡するのに、これほど最適な機体は存在しないからな」

「え、待ってください。追跡……ですか? あの渡り鳥を」

「勿論だ。そのために、君たちは呼ばれたんだよ」

 

 パムは茫然とする。確かに、オルフェの性能なら渡り鳥の追跡は可能だろう。性能以上に金を食う特殊規格の燃料を使用するオルフェは、その気になれば大気圏の突破・再突入が行えるように設計されている。最初にマニュアルを読んだ時から、彼女はそれを何となく把握していた。マニュアルの冷たい光――あの無機質な文字列が、今も指先に残るようだった

 

「第3機動艦隊は、渡り鳥の捜索・追跡を担当することになった。まぁ、その捜索・追跡を行うのが君たちなんだけどね。我々はそのバックアップを行う、ということだ」

 

 オルフェの状態はかなり良好に見えた。グラスキャノピーは無く、のっぺらぼうのような印象を受ける頭部、ハミングより鋭角な印象を受ける鏃のようなデザイン、傷一つもない純黒の塗装。パムはそっと手を伸ばし、機体の側面に触れる。冷たい合金の感触が、指先に電装品の静かな振動を伝える。

 

「これ、技研で運用されてたんですか?」

「ん? 私はあまり知らないが、技研では気象観測や流体工学の研究として使っていたらしい。はは、ユーデスとは大違いだな」

 

 確かに、ユーデスとは違うようだ。あの錆びた船体とは対照的に、オルフェは新鮮な闇を纏い、格納庫の空気を微かに重くする。

 

「マニュアルは読んだが、原型機はハミングなのか? ほとんど、面影がないが」

「それは君たちの方が詳しいだろう? 私が知ってるのは、こいつが未完成で開発が中止され、渡り鳥とタメを張れる速度性能を持っていることだけだ」

 

 どうやら、ジョルユはオルフェの生い立ちにはあまり興味はないようだった。彼女の視線は、機体ではなく、遠くの扉の方へ漂う。

 

「総司令部からの噂だったが、技研が三星間を往復できる偵察機を開発していた、という話は聞いたことがある。その後、特にそんな話は見かけなかったから、大方開発中止になったんだろう。多分、こいつはその時の噂の正体だな」

 

 パムはオルフェの嘴を撫でる。表面に摩耗はなかったが、艶消し加工がされ、不愛想なほどにその顔は何も映さない。

 

「第3機動艦隊は、この子を使って渡り鳥を追うんですか?」

「まぁ、そういうことだな。予算を割り振られたとはいえ、我々の所帯は小さい。捜索・追跡・調査だけならフットワークの軽い小機動部隊の方がいい」

 

 まぁそれに、お姉さまの頼みだしな、とジョルユは小さくつけ加えた。

 

「これ、動かせますか?」

「え、まぁ、できるぞ。一応、そいつはまだ稼働機だからな」

 

 パムはポキフの方を見る。ポキフは静かに頷いた。左目の包帯が、照明の光に淡く影を落とす。

 

「じゃあ、整備士の方々を呼んできてください。飛ばします」

 

 

◇◆◇

 

 

 整備士たちの呼び声が、格納庫に静かに響く。扉が開き、数人の生徒たちが駆け寄る。工具の金属音や電装品の調整を行うコンピュータ群が、かすかなリズムを刻み始める。パムはヘルメットを被り、コックピットで整備士たちの指示を受けながら調整を行っていた。オルフェの座席は、ハミングより狭く、しかし包み込むようにフィットする。計器盤の液晶の光が、青白く点灯し、静かな息吹を部屋に広げる。

 

「電源、エンジン、操縦、航法、電戦、異常なし」

「おし、トーイングカーを持って来る。嬢ちゃんはしばらく待機しておいてくれ!」

「このまま行っちゃダメなんですか?」

「バカヤロウ! 格納庫を燃やし尽くす気か?!」

「アハハ……」

 

 周囲の作業服を着た生徒たちが、調整機器や工具類などをオルフェから撤退させ始める。鳥が息を吹き返すまで、あと僅かだった。オルフェのエンジンは回転数を上げ始めるが、まだ機体を動かすほどではない。

 

 トーイングカーがやって来ると、整備士たちは慣れた手つきで前輪を連結すると、オルフェを牽引し始める。

 トーイングカーは低く唸り、オルフェをゆっくりと格納庫から引き出す。車輪の軋みが、コンクリートの床に微かな反響を残し、静かな足取りのように消えていく。

 真っ黒なキャノピーを閉じると、コックピットは暗闇に包まれる。ヘルメットのバイザーを下ろすと、パムの視界に光が飛び込んでくる。視界の中で自身は消え去り、オルフェだけが残る。外界の青が、観測機器のヴェール越しに優しく滲む。

 

「先輩、“後席”の居心地はどうですか?」

 

 後席の存在はパムは感じ取れない。しかし、返事はすぐに返ってきた。ポキフの声が、無線越しに穏やかに響く。

 

「ははは、中々快適だぞ。数値はこちらで見てやる、お前は操縦に集中しろ」

「分かりました」

 

 直感的に計器類を操作し、オルフェのリミッターを外していく。試作機らしく、設計は原型のハミングより先進的だ。HMDの数字が、静かに移ろい、エンジンの脈動が、座席を通じて体に染み込む。

 

「全システム異常なし。テストリミッター解除、エンジンの始動を確認」

 

 オルフェの双発エンジンが胎動を始める。ハミングの血統を継いでいる筈だが、いつもの慣れた振動とは異質なものだった。低く、抑揚のないうなり。エンジンに燃料が注がれ、不可視の炎が機体を内側から灯す。振動は波のように広がり、骨に沿って静かに這う。

 

 滑走路端に到達したオルフェは、牽引を解かれ、独り立ちする。パムは深く息を吸い、通信チャンネルを開いた。

 

「ラダー2からムルカコントロールへ、試験機オルフェ。発進準備完了、離陸許可を求む」

 

 数秒の沈黙。管制塔の音声が返ってくる。

 

「こちらムルカコントロール。オルフェ、離陸を許可する。滑走路はクリア。気をつけて飛べ、ラダー2」

「了解。ラダー2、離陸する」

 

 パムはスロットルを押し込む。HMDの数値表示が跳ね上がり、エンジンは音もなく吠え、機体が滑走を始める。

 

 重く、鋭い振動が強くなる。まるで、地面を引き裂いて進むようだった。

 

「加速良好。機体応答、安定。浮力確認」

 

 速度計が跳ね上がる。

 パムは操縦桿を引いた。

 

 オルフェは、地面を蹴るようにして、空へと跳ね上がった。

 重力が一瞬、彼女を引き戻そうとする。だが、オルフェはそれを振り切る。

 

「……上がった。上昇中。高度、500、1000、1500……」

 

 

 オルフェは景色を置き去りにして上昇していく。空は青く、静かだった。

 

「先輩、計器は?」

「異常なし。エンジン温度、安定。空力制御、良好。……大丈夫、乗れてるぞ」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 パムは操縦桿を少し傾ける。

 オルフェは、まるで意思を持つかのように、滑らかに旋回した。

 速度を上げる。マッハ1、2、3。

 空気が機体を叩く。だが、オルフェは怯まない。

 

「っ……やはり、速い……!」

 

 パムの視界に、渡り鳥の“軌道”が重なる。

 あの時、空に消えていった黒い鏃。

 今、自分はその軌道をなぞっている。

 

「先輩、これなら……追えるかもしれません」

「……あぁ。だが、あれはもっと速い。もっと、遠い」

「行けます。この機体なら」

 

 パムは、空を見据えた。

 その背を、今度こそ掴むために、オルフェは空を裂いて飛ぶ。

 

 

 その姿は――まるで“渡り鳥”のようだった。

 

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