佐倉双葉「贅沢者の、本当の願い?」   作:空見大

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贅沢な願い

ほんのりと温かい室内、どこからか流れてくるメロディー。

 鼻腔をくすぐるのは苦いコーヒーの香りと大好きなカレーの香りだ。

 定期的に閑古鳥が鳴いている店内では惣治郎がカウンターにある椅子に腰掛け、つまらなさそうに新聞を広げている。

 

 シドウの改心が終わった時やマルキの改心が達成された時などは食い入るように新聞を眺めていたが、今となっては惣治郎が新聞に興味を持つのは「男子高校生が事件に〜」といった見出しのものばかり。

 誰を意識しているのかすぐに分かってしまうようなその行動に笑みすらこぼれそうになるが、自分もネットの海を彷徨っている時に似たような記事が目に留まると無意識に意識を向けてしまうので、似たもの親子なのかもしれない。

 

 あくびが出てしまうほど簡単なクロスワードパズルを机に置き、出入り口の方を見て客が来なさそうなことを確認すると、私は身体を机に倒す。

 ひんやりとした机がなんとも気持ちよく、うっかりすれば眠ってしまいそうだ。

 そんなとき、ふと惣治郎の声が耳に響く。

 

「学校、楽しいか?」

 

「……楽しいよ」

 

 喉の下をゴロゴロと鳴らすような惣治郎の声に対して、私は気づかないうちにほんの少しだけ間(ま)を空けてしまっていた。

 去年の夏休み前であればまだしも──その頃だって、どう声をかければいいか分かっていなかっただけだろうが──こうして二人で喋るようになってしまうと、そんなあからさまな態度を惣治郎が見逃すはずもない。

 

「あー……なんだ、なんかあったら言えよ。話くらい聞いてやる」

 

「なら話、聞いてくれる? 惣治郎」

 

「お、おう。任せろ」

 

 頼ってくるのが予想外だったのか慌てた様子で読んでいた新聞を乱雑に他所へ置き、惣治郎はドタバタと物音を立てながら店の看板をひっくり返しに外へと出ると、私の前の席に座った。

 本来ならば姿勢を直すべきなのだろう。

 だがなんとなく体からやる気が出ず、私は机に突っ伏したまま惣治郎へと言葉をかける。

 

「私の深刻な悩みを聞く準備はできた?」

 

「いまさらどんな悩みだって驚きゃしないさ。いいから言って楽になっちまいな」

 

「惣治郎、なんだか刑事みたいだよ……あたしさ、贅沢モノになっちゃったんだ」

 

「はぁ? 別に自分の財布事情の範囲で収まるならいいんじゃねぇのか。アイツなんて──いや、なんでもねぇ。見てる限りブランド品を買っただのなんだのってわけでもなさそうだし……」

 

 惣治郎が言い淀んだ相手は、お母さんかジョーカーか。

 マルキの一件でお母さんのことを惣治郎とは話すようになったので、となるときっとジョーカーのことだろう。

 気が付くとどこからともなくやたらと高そうなものを用意していたのは私の記憶にも根強いので、きっとそれのことなんだろうとは思う。

 気を使わなくていいと言っているのにそこで気を使われてしまうと本題からずれてしまうので、まずは惣治郎の誤解を正すことにする。

 

「そういう意味じゃなくて、学校のことだよ。友達関係で贅沢になったってこと」

 

「ああ、そうだったな。だけどお前、別に友達と遊んでて金がかかるなんてそう珍しい話でもないだろ」

 

「そ〜じろ〜っ! 話ちゃんと聞いて。私が悩んでるのは怪盗団と同じような友達を作ろうとしちゃうことだ」

 

「そういうことか。まぁ初めてできた友達があいつらなら、感覚も狂うわな」

 

 同じ大義を胸に抱き、間違った世の中を正すために己の正義を持って世界を救おうとした人物すらも打ち倒した怪盗団。

 自分は確かにそこの一員であり、彼らと過ごした時間。

 それはそのたった一秒ですら、一人きりの世界で己をいたずらに痛めつけることしかできなかったあの時間すべてを換算しても、まったく等価にならないほどの素晴らしいものであるということは、語るまでもない。

 

 自分がどれだけ恵まれた環境を手に入れたのか、私は自分でそのことを理解しているつもりにはなれているが、頭で理解していても感情が追いついてこないのだ。

 誰かと誰かを比べるなど全くもって時間の無駄。

 生産性をどこに置いてきたらそんなことを気にしてしまうのか聞いてしまいたくなるほどのことだと他人の悩みなら断じることもできるが、いかんせん人というのはどうしても自分のこととなると考えが甘くなってしまう。

 

「距離感がつかめないんだ。おいなりとか竜司なら気楽に話せるし、パンサーたちなら何言いたいかもわかるのに……」

 

「……他人との関係なんざ所詮は依存だ。お前らは怪盗団としてお互いがお互いに依存し合っていた。

 世間がなんて言うかは知らねぇが、それは良いことだ。居場所があるってことだからな。

 そんな居場所と他をお前は知らない。だからまぁ、そういう時は仲間内とお前の友達、両方同じ空間に置くんだよ。

 そうすればなんとなく温度感もわかんだろ」

 

「なるほど……助かったぞ、惣治郎!」

 

 ガバッと身体を机から起こし、惣治郎に感謝の言葉を述べると、私は足早にルブランを出て家へと戻る。

 玄関の鍵を開け、ドタバタと階段を駆け上がり、部屋の扉を壊さんばかりの勢いで開け──そして珍しく思考が止まる。

 

「……誰に連絡しよう」

 

 まず頭に浮かんだのはパンサーだ。

 社会性が高く、いわゆる陽キャで、話を回すのが得意で、他人に気を配れる上に顔が広い。

 改めてこう考えると、怪盗団でもやっていなければ一生縁のない人間だが、そんな彼女であれば……。

 

 だがモデルとして精力的に活動している彼女を、自分のこんな用事で潰して良いものなのだろうか。

 女性陣で言えばクイーンやノワールの二人もいるが、この二人は大学生として勉強しているし、私も何度かIT関連の質問を受けているので、勉強にどれくらい力を入れているのかは分かっているつもりだ。

 

 次に思い浮かぶのはスカルとおいなり。

 スカルはそもそも住んでいるところが遠いので、わざわざ呼び出すのも悪いし、おいなりはそこら辺を彷徨いているので捕まえてくるのはそう難しくないが、彼を初見の人間に付き合わせるのは不安がつきまとう。

 

(そうなるとやっぱり……)

 

 吸い込まれるようにPCの前に座り、あぐらをかきながら無意識で開いたチャットアプリには、唯一ピンが立てられたチャットルームがある。

 そこに書かれている名前は──ジョーカー。

 

 世間を騒がせた怪盗団のリーダーであり、私が知る中で最強のペルソナ使いであり、そして私の心を盗んでいった人間だ。

 当時5歳の頃に金曜ロードショーで見た『カリオストロの城』で王女が盗まれたのと同じものを、ジョーカーは私から盗んでいった。

 

 勇気を出して告白まがいのこともしてみようとしたが、それを事前に察したようなジョーカーに、否定するでもなく肯定するでもなく、ただ優しく受け流されてしまったのは記憶に新しい。

 惣治郎がジョーカーの名前を私の前で出すのを躊躇ったのは、最終日に私がいつも通り振る舞おうとしているのが見透かされてしまったのだろう。

 

 本当はジョーカーについて行きたかった。

 通信制の高校はオンラインで授業が受けられるから、週に一度程度の登校であれば多少遠くても頑張れる。

 だから無理を言ってジョーカーについて行こう、そう考えた時もあった。

 

 だが一度断られてしまったというのがなんとも自分の胸に突き刺さり、私はどうしようもなく臆病になってしまっていたのだ。

 いつもならば言葉よりも素早く走る指は、まるで動き方を忘れたかのように止まってしまい、初めてキーボードを触った日以来の震える手で、なんとか私は文字を入力する。

 

 [久しぶりだなジョーカー。元気か?]

 

 まずは当たり障りなく。きっとこれくらいがいいだろう。

 そう思いながらチラリと視線を向けた先には、別窓に開かれた大量の検索タブと、その検索窓に書かれた多種多様な答えたち。

 

 ジョーカーは基本的にチャットを返してくれるが、たまに重要な用事でもピタリと会話が止まることがあるので、すぐに返ってくるとは私も思っていない。

 掴みどころがなくルーズなところも、彼なりの魅力だと私は捉えているのだ。

 

 そうしてチャットが来ない言い訳を自分にし終え、心の中で「よくやった」「偉い」と自分を褒めながらベッドの方へと向かおうとしたその時──ピロン、とパソコンから鳴った電子音に、心拍数が加速する。

 通知ごとに音を変えている私は、それが誰からの通知音なのかをいやが応でも理解させられ、急いで机に戻ってチャットの画面を開いた。

 

 [元気だ。そっちは?]

 

 短い返信ではあったが、ジョーカーから返信が返ってきたことに、とりあえず心を落ち着かせる。

 浮ついてしまう心は一旦脇に置こう。今回はジョーカーと会うのが目的というわけではない。

 真の目的は、学校の友達と仲良くなることにあるのだから。

 

 [もちろん元気だぞ! 学校も真面目に行っている]

 

 [えらいな]

 

「えへへ、ほめられちった」

 

 先ほどまではあれほど文字を打つのに抵抗があったはずなのに、今やそんな抵抗は微塵も感じられず、カタカタと文字を打っていく。

 褒められて喜びの声が漏れてしまったのを聞かれずに済んだのは、チャットアプリのせめてもの救いか。

 

 [そうだろう! モナは元気か? ]

 

 [“ワガハイは元気だ!”だそうだ]

 

 [それは良かった。その……お願いがあるんだけど聞いてくれるか? ]

 

 [任せろ]

 

「ふふっ、まだお願い言ってないぞジョーカー」

 

 視線を机の上に動かしてみれば、一週間後の金曜日、大きく赤い丸印が刻まれたその日は、私が自分で選んだ自主登校日。

 呼ぶのであればこの日が一番いいだろう。

 

 [助かる。悪いんだが来週の金曜日、モナを貸してほしいんだ]

 

 [好きなだけ持っていってくれ]

 

 [一日だけでいいぞ。友達がどうしてもモルガナを見たいっていうんだ]

 

 [“久々に会えるのが楽しみだ”だそうだ。]

 

 実際に少し前、モルガナの姿を同級生に見せた時、初めてと言っていいくらい会話が盛り上がったのは記憶に新しい。

 その時に「モルガナを見てみたい」と言っていたので、嘘ではないだろう。

 

 [私が迎えに行けばいいか?]

 

 [モルガナなら問題ない]

 

 一人で渋谷から四軒茶屋まで帰って来られるし、普通の猫とは違うモルガナだが、ジョーカーのいるところからここまでの距離を考えると、さすがに一人で来させていいものかという気持ちにもなる。

 

 [ならせめて駅まで迎えに行く!]

 

 [分かった。来週の金曜日、朝からで良かったか?]

 

 [10時くらいに駅着でよろっ!]

 

 電車にさえ一度乗ってしまえば、あとは時間の経過を待つだけ。

 駅まで迎えに行けば、危険な状況というのはほとんどないと言っていい。

 電車は未だに苦手で、たまに惣治郎に車で送り迎えしてもらっている私だが、モルガナには良いところを見せたいので、来週の金曜日は頑張って駅に行こう。

 

 チャットアプリを閉じてベッドへと寝転んだ私は、一度深く深呼吸をすると、来週の金曜日に向けて準備を始めるのだった。

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