そうして金曜日当日。
火曜日からまるで一日が倍になってしまったかのような感覚に襲われながらも、なんとか私は今日という日を待ち望み、そしてついにその日を手にした。
クローゼットの中に押し込まれているお気に入りの服に袖を通し、最近買い換えたばかりのヘッドホンを首にかけ、惣治郎が店に出て静かになった家の中へと向かって大きな声で行ってきますと宣言する。
誰からも行ってらっしゃいと声は返ってこないが、いまから外に出るのだと自分自身に言い聞かせたことで身が引き締まるような感覚になれるのだ。
(モナ、ちゃんと一人で来れてるかな)
ガタンゴトンと揺れる電車の中で私はふとそんな事を思う。
モナが電車一本で来るなら渋谷の方が都合がいいだろうと私から渋谷で合流することを持ちかけたのだが、いま思えばもう少し中間の駅で合流しても良かったかも。
頭の中にそんな考えが一瞬よぎるが、四茶から渋谷と渋谷から外へ向かうのでは心の準備にかかる時間が段違いだ。
モナには悪いがこれでいいのだと自分に言い聞かせているといつのまにか電車は渋谷へと到着しており、急いで立ち上がると双葉は駅の中へと入っていく。
怪盗団としていろいろな場所に遠出をしていた頃は大体切符を買っていたが、通学に必要だということでいまや私は定期という学生の象徴とも言える物を手にしていた。
流れるように改札を抜け、そんな自分になんとなく満足しながら駅の階段を登っていくとハチ公前の広場に出る。
(モナはどこに──そう言えば会う場所の約束してなかったっ!?)
ハチ公前広場で落ち合うことは約束していたが、そこから後は流れで合流すればいいと考えていたのは間違いだった。
モルガナが人間ならばそれでも問題なく出会えたのだろうが、いまの彼は去年の三学期とは違い猫の姿である。
必然的にチャットアプリなど使えるはずもなく、ここにやってくる正確な時刻もわからない。
自分にしては珍しいミスだが待つことくらい苦ではなかった。
そう言い聞かせながらタバコの臭いがしない喫煙所とは対極に位置した場所の外壁に背中を預け、他人の視線に晒されていることを意識しないようにフードを被りヘッドホンを耳につける。
ヘッドホンは好きだ。
付けるだけで私は貴方達と関わりたくない、一人の世界に居させてくれと誇示する事ができる。
もちろん学校や怪盗団のみんなといるときは付けることもないが、見ず知らずの人間から話しかけられるのを未然に防ぐのはトラブルを予防することにもなるので何かと都合が良い。
だがそんなヘッドホンでも防げない手合いも残念ながら存在するのも又事実。
「おねーさん、こんなところで何してんの」
「俺達と遊ばない? カラオケ行くんだけど人が足りてなくてさ」
ほら釣れた。
パレスの中を警備として歩いているシャドウなんか比較にならないほどに、素早くこちらを見つけてくる。
こういう手合いに出来ることは無視することだけ、交番も近いし人通りも多いこんなところで顔も見えていない人間のためにわざわざリスクを負う人間なんていやしない。
むしろ過剰に反応したり逃げようとする事こそが最も危険だ。
パーカーを深くかぶりなおして拒絶の意志を示すと、男はそんな私の様子に馬鹿にされたように感じたらしい。
「おい聞いてんのかよ!」
あ、やばい。
肩を乱雑に突き飛ばされ背中を軽く壁にぶつけたことで私は正確に状況を理解してしまった。
世の中には法律という人を理性持つ動物たらしめる要素の一つが存在し、これによって社会形成が補助されているわけだがこの法というのは守らないという選択肢も取れるのだ。
もちろん法治国家である日本ではよほど権力や力を持っていない限りそれによる罰は避けようもないのだが、一時の感情に身を任せてその罰を受けてしまう人間というのはあまりにも多い。
一度気がついてしまえば身体は恐怖に震え始める。
この恐怖の乗り越え方も扱い方も自分は知っていた。
いや、いまでも知ってはいるのだが、恐怖に打ち勝ったところで体格差はいかんともし難く、もしかすればどこかへ連れて行かれるかもという不安は残る。
(これだけ人が多ければきっと無理なことは出来ないはず。やり過ごして……)
だがいいのか? 本当にやり過ごして。
ここにはモナがやってくる。
つまり怪盗団のメンバーが来るのだ。
前線では戦えず後方支援としてではあったがどんな凶悪な敵にも立ちはだかった私達が、メメントスをうろつくシャドウなんかよりよっぽど弱い人間を相手に怯え、引き下がり、虐げられる?
そんなの許せない。
そこまで考えて、私は自分が立ち上がって彼等に対して睨みつけていることに気がついた。
「私はアンタ達なんかと一緒に行かない。関係を築くのが怖くて他人と接せず、自分が傷つかない為なら他人を平気で傷つけるアンタ達なんかとは」
「ンだとテメェ……っ!」
「っ──!」
殴られるのは痛い。
だけどさっきまでみたいに怖くはない。
怪盗団のナビならこのくらいのことで怖がってはいられない。
痛みに備えて歯を食いしばり、目をつむってはまるで自分がおびえているようで嫌だったので自分へと向かってくる拳に視線を向けていると、振り上げられた拳は私と男の間で壁でもあるように止まってしまう。
「待たせたな」
私へと向けられた拳を横から遮り、いとも容易くそれを止めた彼はそんなことを口にしながら自分と男の間に割って入った。
その背中は私が知る中で最も信頼できる背中であり、いつかの日もこうしてかばってもらったことがあったななどとそんなことを考える余裕すらある。
『まったくジョーカーの奴かっこつけやがって。大丈夫だったかフタバ』
「お~モナ見ない間にちょっと太ったか?」
『太ってないわっ!?』
「なんだてめぇ!」
モナを抱き上げて久しぶりにそのふわふわとした体の感触を味わっていると、すっかり記憶から飛んでしまっていた男の声が聞こえてきてようやく自分が襲われていたことを思い出す。
ジョーカーに握られた拳を何とかしようとぶんぶんと振り回している男だったが、どうやっても外れそうになく、もがけばもがくほどにジョーカーが手に込める力を強くしていったことで次第に顔色が青いものへと変わっていく。
ジョーカーは細身に見えてすごい力持ちだ、ペルソナによる強化がなくてもどうやらそれはいまだに健在なようである。
「悪いが、ここは帰れ」
「──っ、自分の女の教育くらいしっかりしとくんだな!」
落としどころを作るためにジョーカーが男の手を放してやると、男はどこかで聞いたことのあるような捨て台詞を吐きながら変色した自分の手を大事そうに見つめながらどこかへと消えていった。
一般人相手の喧嘩となると面倒ごとになるのは予想もつくが、ごろつき相手であれば相手側も自分のプライドが邪魔して訴えてきたり、ましてや通報などするはずもない。
そんなことよりも今となっては私にとって一番難しい問題はジョーカーとどんな会話をすればいいのか。
その一点に尽きる。
「そ、そのジョーカー助けてくれてありがとう……」
「どういたしまして。ここはちょっとまずいから場所を変えよう」
ほほが熱くなるのを感じながらお礼の言葉を渡してみれば、いつも通りの優しい彼がそこにはいた。
ジョーカーに言われてから周囲を見渡してみればこちらを見る野次馬の人だかりはそれなりのものであり、さすがに写真を撮っている人間こそいないが多数の視線にさらされて気分が悪くなりすぐにフードを深くかぶるとジョーカーに手を引かれるままにその後をついていく。
連れられた先は少し進んだ先にある飲食店。
二階に位置しているこのファミレスは時々ジョーカーと訪れていた場所であり、なんとなくあの頃のことを思い出して楽しい気持ちになってくる。
「改めてさっきはありがとうジョーカー。でもなんでここにいるんだ? てっきりモルガナだけ来ると思ってたから……いや、うれしいんだぞ! ただその……急だったからびっくりしたんだ」
「会いたくなったから」
「なっ! そ、そうか……」
『相変わらず言葉足らずだなお前は……。こいつ結局戻ってから友達作りに難航してるんだ』
「ジョーカーが?」
私が知りうる限りジョーカーという人間は驚くほどに人と仲良くなるのが上手い。
ジョーカーがこの街に来てから一年間で交流を結んだ人間が何人なのかは知らないが、彼が手に入れてくる情報や道具などは明らかに見ず知らずの人間が、そこいらで簡単に手に入れられるようなものではなかった。
ジョーカーの為にある程度のリスクを覚悟してそれらを分け与えた人間というのが居たわけで、となるとやはり彼の関係構築能力が秀でているというのは疑う余地はない。
驚きの声を上げた私に対してジョーカーは苦笑いを浮かべ、モナは不機嫌そうに声を出す。
「都会よりも田舎の方が更に噂話が広まるのは早い。下手に突出した能力を持っていれば逆に妬まれ貶められる」
「気にするな。慣れている」
「だめだぞジョーカー! 私がガツンといってやろうか?」
「大丈夫だ。今日は俺の事より双葉の事が聞きたい」
ジョーカーが不当に扱われているのに怒りを覚えるが、本人が気にしないと言っている以上はこれ以上私が口を挟める要素はない。
モナもなんとかしたいと思っているのだろう。
そんなジョーカーを見てモナもなんだか言いたそうにしている。
「……正直私もそんなに上手くはいってないんだ」
『まさかフタバお前まで……』
「違うよモナ、別に虐められたりはしてない。仲良い子も何人かいるんだ、ほら」
携帯を取り出して写真アプリを起動し、友達と撮った写真をジョーカーに対して見せる。
写真の中の私はぎこちなくではあるが笑えており、そんな自分の写真を見てジョーカーは嬉しそうな笑みを見せた。
「良かった。友達がいて」
「そうだな。でも一緒に写真も撮れるんだろ? それなら何が上手くいってないんだ?」
「怪盗団のみんなみたいに接する事ができるようになりたいんだ」
『あー……なるほど。そりゃ難しいだろうな』
先程のジョーカーの話を聞いた後では贅沢な悩みだと自分でも思うが、モナの言い方は私を責めるような物ではなく惣治郎に相談した時と同じような物だった。
「やっぱり私は贅沢モノになってしまったのかな」
「俺と一緒だ。でもそれは良いことだと思うぞ」
「惣治郎と同じような事言うな。ジョーカーは」
『ゴシュジンも双葉のことを大切に思ってるってことさ』
「仲良くなる方法は分からないけど、双葉の為に何かできるなら頑張るよ」
一人じゃ難しいことだって他のメンバーがいればなんとかできる。
やっぱり私はジョーカーと過ごすこんな時間がだいすきだ。
「ならジョーカー、いまから着いてきてくれるか?」
モナを本当は紹介しようと考えていたが、こうなればいっそのこと彼を紹介するとしよう。
自分のわがままに彼を突き合わせてしまう事にほんの少しの優越感と喜びを感じながら、私は彼の手を取って学校へと向かうのだった。