佐倉双葉「贅沢者の、本当の願い?」   作:空見大

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学校で

渋谷から電車に揺られて20分、そこから少し歩いたところに私の学校はある。

 学校といっても公立高校のような学校然とした見た目ではなく、いくつも立ち並ぶビルのうちの一つが私の学校だ。

 

 進学校として設備がしっかりと整っている秀尽学園高校に比べれば、お世辞にも設備はあまりいいとは言えないが、それでも私はここが自分の学校だと胸を張ってジョーカーに説明できるくらいにはこの場所を気に入っていた。

 

「ここが教室で、あっちが教官室。ここの先生はみんなフランクな人ばっかりなんだ」

 

「楽しそうだな」

 

「うん!」

 

 ジョーカーにいまの自分の居場所を伝えられることがなぜこんなにも嬉しいのだろうか。

 きっとそれは私がいま全力で生きているから、そしてそうやって生きていられるのはジョーカーのおかげだと私が思っているからだ。

 

『それにしてもやっぱり見られるな』

 

 ふとモルガナが鬱陶しそうにしながらそう呟いた。

 視線の元は廊下を歩いている生徒達。

 様々な学年が同じ階で授業を受けるのでもちろん双葉も知らない人が何人かいるが、その視線の先はきまって全員ジョーカーである。

 首から来館者用のネームプレートを付けていればぱっと見て部外者であることがわかるのだから、歩くジョーカーは確かによく目立つ。

 だが一番彼を目立たせているのはひとえにその外見だろう。

 

 私の目線から見て贔屓が入っているというのは否定できないが、それでもジョーカーの容姿はよく他人の視線を奪う。

 しかも学生服ではなく私服に身を包んだ彼は、その中性的な容姿も相まって女性か男性なのかすら分からないので、道行く人間の知的好奇心を刺激してさらなる視線を作り出す。

 一度視線の波ができてしまえば後は惰性で視線は引っ張られていき、こうして好奇の目にさらされるというわけだ。

 彼が持っている鞄からはモナが顔を出しているのも理由の一つだろう。

 

「大丈夫か?」

 

 ジョーカーからそんな言葉がかけられる。

 確かに他人からの視線は少し怖いが、この程度であれば我慢できないほどではない。

 ジョーカーが隣にいるのも大きいが、この場所自体に私が慣れているのも視線に耐えられる要因だろう。

 

「私は大丈夫だぞ。今日はここで授業なんだ、席は自由だから一緒に受けよう」

 

『部外者が授業を受けても大丈夫なのか?』

 

「この先生の講義はチケットを出せば許されるんだ、ほらジョーカーこれ」

 

 この学校の授業は外部に公開しているものと学生しか受けられない授業の二つがあるのだが、今から受ける授業は外部に公開しているものである。

 基本的に学校外の人がこの授業を受けることはあまりないが、あまりないというだけで双葉の知る限り4回に一回くらいは、外部の人が受けに来るのを見かけることがあった。

 落ち着いてジョーカーの手を引っ張ると奥の方の席へと連れて行き着席する。

 

『トモダチはいつになったら来るんだ?』

 

「授業後に遊ぶ約束をしてるから、会うのはその時かな」

 

「楽しみだ」

 

「なかなか面白い子なんだぞ。この前なんかな──」

 

 それから私は授業が始まるまでの間ジョーカーに対していろんな思い出話をした。

 たった二ヶ月、それだけの日数でも人というのは驚くほどの思い出を作り出す事ができる。

 さすがに怪盗団の一ヶ月には敵わないが、それでもこの二ヶ月は私の今後の人生を大きく左右する結果になるだろうということは想像に難くない。

 

 そうして語っていると思い浮かぶのはジョーカーと同じくらい大切なもう一人の親友のこと。

 いまでも定期的に連絡を取り合う関係であり、それとなくジョーカーにその事を話すと、よかったと嬉しそうに笑ってくれた。

 

 そうして時間を潰していればいつの間にか先生が来る時間になり、起立の号令と共に立ち上がって挨拶を終えると授業が始まっていく。

 

「では今日は国語の時間です。teamsでリンクを共有しますので受け取ってください。そちらの方は……」

 

「わ、わた、私が見せるので大丈夫ですっ!」

 

「そうですか、お願いします佐倉さん。では授業を始めていきます」

 

 自分の横でアタフタとしていたジョーカーを見て咄嗟に起立した私がそう言うと、先生はさらりと授業を開始する。

 持参してきたiPadを開き、先生から渡されたリンクを踏むと画面に出てきたのは芥川龍之介の『蜘蛛の糸』だ。

 

 話のあらすじは極悪人が人生で一度だけ蜘蛛を助けるという善行をした事に免じて、お釈迦様に地獄から助かることのできる蜘蛛の糸を垂らしてくれるのだが、男が自分の利益だけを考えて他の人間を蹴落とそうとすると糸が切れてしまうというものである。

 

『なんだか悲しい話だな。こいつには更生して欲しかっただろうに……』

 

「普段そうやって授業受けてたんだなモナ。しかも結構内容理解してるし」

 

『ワガハイは天才だからな』

 

 引き出しの中で授業を受ける猫というSNSにあげれば途端にバズりそうな光景に目を輝かせていた私だったが、ふとiPadをコツコツと叩く音が聞こえてそちらの方へと視線を向ける。

 遠慮がちにジョーカーが先生の話をiPadにメモしており、彼の達筆ながらも少し角張った字を見て男の子なんだななどと改めて私は認識していた。

 

「勝手にノートを取ったけど良かった?」

 

「もちろん。助かるぞ」

 

 正直この程度の内容であれば暗記するのにもそれほど時間を要さないし、事実いますぐ先生に当てられたとしても一言一句間違える事なく空で文章を朗読する事だってできる。

 ……人前で喋るのが強烈に苦手であるという点に目を瞑ればだが。

 

 とはいえジョーカーの手によって教科書の中に書き込まれた字というのは、もちろん私が一人で授業を受けていれば到底得られるモノではなかったし、私のノートだからかモナの絵まで添えられて分かりやすくまとめてくれるのは私だけに与えられるジョーカーの優しさだ。

 そんな彼の優しさを受けて喜んでいるとふと先生と目があったような錯覚をする。

 

 錯覚だと気がつけたのは微妙に先生の目が私よりも少しズレた場所に向いていたからだろう。

 ちょうどそう、彼が目を向けているのはジョーカーの位置だ。

 

「では窓際のあなたに質問です。この物語を読んで貴方はどう感じましたか?」

 

「……1番印象に残ったのは蓮の美しさですね。自分を優先するカンダタとそれを哀れだと断じてしまうお釈迦様、この二つは見方を変えれば正義と悪がひっくり返ってしまう不安定なモノですが、この物語の中で唯一蓮だけは特別美しく描かれています。ただそこにあるだけで美しいと思える蓮の描写が個人的に好きです」

 

「素晴らしい意見ですね、ありがとうございます。確かにこの蜘蛛の糸という小説は──」

 

 常に公平に物事を考えられる人間というのは存在しない。

 人が人である以上、その時その場所によって人の考えというのは最も容易く変わるのだ。

 どれだけ気を張っていようとも人は堕落するし、魔が差せばその瞬間から人というのは簡単にいままでの自分を裏切ってしまう。

 

 お釈迦様が見限った人というのは所詮そのような存在であり、丸喜の幸福な世界に溺れてしまった自分もカンダタの事を悪く言うことはできないだろう。

 結局のところ私の知る限りで蜘蛛の糸を無事に登り切ったのはジョーカーだけであり、ありとあらゆる誘惑を跳ね除けられる彼の考えのほんのカケラにいま少しだけだが触れられた気がした。

 

「──では授業を終了します。次回のお題は『山月記』です、楽しみにしておいてください」

 

 そうして授業が終わり、空き教室となった教室の中で私とジョーカーは他愛もない話を重ねていた。

 既に他の面々は呼んでいるので彼女たちの授業が終わるのを待つだけであり、わざわざ移動するのも大変だからとこの教室で待っているのだ。

 

「なんだかちょっと緊張してきたぞ……」

 

『おいおい大丈夫か?』

 

「もしテンパっちゃったらモナ、よろしく頼むぞ」

 

「俺もサポートする」

 

 自分しか関係性を持たない友達同士が喋るなど初めての体験。

 手を握りしめれば緊張で手汗が滲むような気がして手を落ち着きなく開いたり閉じたりを繰り返す。

 

 そうして時間を潰していると教室の扉がガラガラと音を立てて開き、二人の人物が入ってくる。

 服装は普通、どこにでも居るような外見のどこにでも居るような女性が二人。

 特にこれと言って特徴もない彼女達だが、そんな彼女達が私にとってジョーカーに自慢したいほどの素晴らしい友人なのだ。

 

 教室の中を見渡してこちらを見つけた彼女達は、他にも残っているメンバーの間をすり抜けて教室の後ろの方で固まっている私達の方へとやってくる。

 

「おはよう双葉! そっちの人が話しにあった噂の人?」

 

「雨宮蓮だ、よろしく」

 

「私は佐藤紬です。よろしく!」

 

「山田陽葵です、貴方が双葉の言ってたヒーロー?」

 

「あわわわわ──っ! なんでもない! なんでもないぞ!」

 

 自分自身でも珍しく話をした覚えはないのだが、彼女達の前で自分がジョーカーをどう思っているかを語ってしまったらしい。

 いきなりとんでもない爆弾を投下してきた友達の言葉に対してジョーカーが何かを言う前に無理やり間をぶった斬ると、もう一人の友達が別の爆弾を投下してくる。

 

「それで雨宮君はなんのオタクなの?」

 

「あわわわわ」

 

「双葉の仲良しさんって事はヒーローオタクかな? それとも古代オタクとか」

 

「ガジェット系とか……好きそう」

 

「よく分かったな」

 

「ジョーカーっ!?」

 

 事前説明をしていなかった自分が悪いのは分かっているのだが、いきなりオタク談義にパンピーを巻き込むなんて自殺行為にも等しいことだ。

 ましてや普段のジョーカーがどのような人間であるのかを知っている私としては、ジョーカーの口からどんな言葉が出てくるのかと気が気ではなかった。

 

 否定してくれればまだよし。

 返答に困っていたらどうしようと考えていた双葉だったが、まさかのサムズアップしながら肯定するという結果に驚きのあまり咄嗟にジョーカーと呼んでしまう。

 

「ジョーカーってネットネームか何か? 随分とカッコいい名前なんだね」

 

『ワガハイが考えた名前なんだぞ』

 

「わぁ猫ちゃん! どこにいるのかと思ったらこんなところにいたの」

 

『こら! 乱暴に撫でるんじゃない!』

 

「私も触る」

 

 もみくちゃにされているモナには悪いがいい具合に会話の流れを変えてくれたのはありがたい。

 まさか自分が竜司くらいしかやらないようなミスをしてしまうとは少し反省するべきだろう。

 もはや怪盗団は事実上の解散となったとはいえ、いまだに怪盗団のメンバーを探す人間というのは世界中に多く存在している。

 事実この学校の人間だって怪盗団を知らない人間というのはほとんどいない。

 怪盗団というのはもはやそこまで身近な存在なのだ。

 

「モルガナはここら辺を撫でてやると喜ぶ」

 

「モルガナって言うんだこの子」

 

「……可愛い」

 

「もう好きにしてくれ……」

 

 撫でられ過ぎてもはやどうにも抵抗できないと悟ったのか、体を預けたモナをみんなでひとしきり撫でていると、突如としてジョーカーに対して驚きの提案が差し出される。

 

「この後私達カラオケ行くんだけどどう?」

 

「楽しそうだ」

 

「か、カラオケ!?」

 

「……双葉声おっきい」

 

 教室の中にいる他のグループの面々の視線が大声を上げた自分に対して向けられたのを感じるが、そんな事よりもカラオケに行くという驚きの方がよほど大きい。

 男女で集まってカラオケ、まさにそれは陽キャの象徴ではないか。

 怪盗団の面々と海やドライブに行くことはあったとはいえ、カラオケというのはつまり密室にジョーカーと……

 

「……ちょっと待っててね雨宮くん」

 

「構わない」

 

 トリップしたままの思考で頭の中をかき回していると首根っこを捕まえられてジョーカーに声が届かない程度の距離まで離される。

 顔色を窺ってみればそこにあるのはなんともいえない表情であり、遠慮がちに反抗の意思を見せてみる。

 

「聞いてないぞ」

 

「あの人が双葉のいっつも言ってた男の人でしょ? 毎回微妙に誤魔化しながら喋ってたみたいだけど顔に出てたからすぐに分かったわよ」

 

「ジョーカーはそんなんじゃない、そんなんじゃ……」

 

「詳しくは聞かない……でも私達友達……。友達の恋路は応援する」

 

 恋路、応援、そこまで言われてしまえばもはやこれから逃げるのは自分の流儀に反する。

 自分の思いからは逃げない、それが自分が自分に出来る誠実さであると私は思って居る。

 だからこそ耳が痛くなるほどの羞恥心の中で私は絞り出すように言葉を出した。

 

「……カラオケは行く。でもそんなんじゃないから! 私は今日たまたまカラオケ行きたかっただけだから!」

 

「はいはい」

 

「本当だぞ! 本当だからな!!」

 

 ジョーカーの方へと歩きだしていく友達の背中にそんな言葉を投げかけながら、私は早鐘のようになり続ける自分の心臓の音を感じていた。

 こうして急遽私達はカラオケに行くことが決まったのだった。

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