月を見上げながらラムはしばらくぼうとしていた。よく見ると横顔がきれいで見とれてしまった。はっ……! 何を言っているんだ。いけないと俺は両手で自分の頬を叩いた。……痛い……。ぱしんってやりすぎたぁ。
「い、いきなり何やってんの?」
「ううう」
流石にラムが不覚にもかわいいと思ってほっぺたを叩いたら痛かったとは言えないん。
「蚊がいた……かな」
「ふ、ふーん。そんな風に自分をたたいて蚊を仕留めようとするやつは初めて見た」
俺も……。こんな言い訳人生で初めてした。ただ、ラムはくすりとした。初めて会った時は殺意マックスだった気がするけど、笑顔はかわいい。深い藍色の目が聖天使である自分の姿を映している。瞳に映る自分が見えるほど近くに顔がある。
ラムはふっと笑って月に手を伸ばした。思わず俺もその手を見る。小さな白い手が月を掴もうとしてもちろんつかめない。
「聖天使も知っているだろうけどこの世界、ヴァルドランドは負け犬たちの世界」
負け犬……。アドレイドもそんなことを言っていた気がする。……なんか、やだな、そのいい方は。ただラムはつづけた。
「どこのバカが作ったのかは知らないけど、別の世界で迫害されたり負けたやつを取り込んで一緒くたに住まわせているのがこの世界。ああ、どこかのバカって言えば、あんたの上司? になるのかな? 神ってね」
「……うーん」
俺の上司なんていない。というかおそらくその「神」からの指令を俺にキュリオが押し付けているだけな気がする。あいついっつもだらけてお菓子食っているし。
「僕も別の世界で生まれた。吸血鬼の父親と人間の母親の間に生まれた混ざりもの。……ほら、旅をしてわかったでしょ。太陽の下でも僕は平気。人間が混ざっているから」
「そういえば……言われてみたら」
「……言われてみたら」
くっくとラムが笑う。
「あんたの頭の悪さってのは筋金入りだね」
「そ、そんなこと言わなくても」
「そういうとこ、悪くないと思う」
そっぽを向いてラムがいう。
「僕は中途半端な存在だったから吸血鬼の社会は受け入れなかった。高貴な種族に人間のような下等な血が混ざっているのはおかしいってね。……だからと言って人間たちは血を吸わなければいけない僕を受け入れてくれるわけじゃなかった、まあ、血を吸うといっても少しでいいんだけど」
ラムの声は明るいようで寂しそうだった。
「要するにどちらにも僕の居場所はなかった。獲物を捕らえて血を吸うなんてのはできないから人間の母親の血を吸ったわ。少しね。それを別の人間に見つかると化物呼ばわり……その繰り返し」
…………そんなのはラムのせいじゃないじゃないか。
「ある時どうしようもなくて逃げだすってことになった。人間の母親とだけね。どこからどういったのかは覚えないけどヴァルドランドに来ていた。……だけど中途半端な僕に行き場なんてなかった。その後は前に話した通り」
彼女は寂しそうに俺を見て笑った。
「あとはこの人形を置いて母親もどっか行った。……そんな僕を拾ってくれたのが魔王様。……四天王とかいわれているけど、魔王様の下にいるのはそんな負け犬の集まり。アドレイドにも話を聞いたんでしょ? ファルブラウはバカだから気にしているのかはしらないけど、それなりに想うところはあるんじゃないの?」
「そんな……言い方はやめてほしいな」
「何が?」
「負け犬とかそういう言い方は……こう聞くと胸がきゅってなる」
「あははは。聖天使様はお優しいね、まあそれは認めてあげるよ。さっき言ってたね旅が楽しいって……それも……少しだけ……認めてもいいよ」
彼女は立ち上がった。振り返った表情が優しかった。
「だけどお前は聖天使で僕は魔王様に恩がある。……神から言われてきたんでしょ? 魔王様を倒すようにってね。お前と私たちは敵同士なんだよ」
「それは……」
俺は自分の両手を握りしめた。
いろいろなことが頭に浮かぶ。でもそれを言葉するほど俺は頭が良くない。
「ちがう……」
「何が違って?」
「……神様になんて言われてきたわけじゃない。魔王という人に会って話をしてみないと戦うかどうかなんてわからない」
俺は顔を上げた。
「そもそも、聖天使なんて言われているけど! この世界に来たのは偶然でしかない」
「は? 偶然。何を言っているんだ、君」
「……だって何の説明のなくやってきたのにみんな聖天使がどうのこうのって言ってくるし! わけわかんないし! 魔王と戦うとか、四天王と戦うとかよくわかんないし……。上司って言うかただこの世界に送り込んだ天使に仕事を押し付けられただけって言うか……」
事実をそのまま話すのすごい難しい。自分の心をそのままに表すのは難しい。それがよくわかった。あああ、もう! 少しだけ涙が出てきた。
「ラムもファルブラウも友達だし! 敵とかそういう風にはなりたくない!!」
「…………!」
ラムは驚いたように目を開いて口元をゆるめてからきゃははと笑った。
「ところどころなんか話が通じないと思っていたらそういうことかぁ。あんたもこの世界に迷い込んだ負け犬なんじゃないの?」
「ま、負け犬なんかじゃない……それにラムもそんなんじゃない」
「僕は間抜けなお前に負けたダンピールだよ。下の下だね。あはは。やになるなぁ。こんな首輪をされて人間に飼いならされているゴミ……」
「ゴミとかいうな!」
怒ったぞ! 俺は激怒した! ラムの肩を両手で持った。
「さっきから聞いてたらうだうだうだと負け犬とかゴミとか……! 聞いているこっちがきついんだよっ。自分の友達が悪く言われたらいやだけど……本人が悪く言っているのもいやだ!」
「あ、あんた。ぼ、ぼくが自分のことをなんて言おうと勝手だろ!」
「勝手なことをいうな!」
「勝手なことなんて言ってない! ていうか、僕のことを僕が言っているだけだ。それにこの首輪が外す方法がわからないならどうせ、何もできやしないのは事実だろっ」
「うーーー」
ああ、いえばこういう。頭に血が上ってしまった。
「じゃあ、試してやる……」
「試すって何を……!………!」
ラムを引き寄せて目をつぶって、キスをする。
「んん」
目をつぶった暗闇の向こうでラムの声がする。頬が当たって温かい。その瞬間頭の中で勢いのままやったことについて逆に自分の顔が赤くなる。何やってんだって冷静になろうとする自分を押しとどめた。
俺は突き飛ばされた。わあ、後ろに倒れるところだった。
「はあ、はあ、はあ。なに。僕に何してくれてるんだこの変態天使!……?」
そう言ったラムの体に魔力が宿る。彼女の体から光が溢れる。
「こ、これは」
彼女も驚いている。
ぱきり
そう音がした。彼女の首についていた拘束のための首輪がひび割れて、地面に落ちた。
「ぼ、僕の力が……もどった」
「うまくいった……。なら。ならさ!」
俺は前に出た。結構力を持っていかれた気がする。足に力が入らない。
「敵だっていうなら。今から戦うってことだよ。ラムは友達だから……戦いたくない。それに今なら聖天使を倒せるよ」
「…………」
ラムが俺を見る。俺は言う。
「明日アドレイドとも決着をつけるけど、殺したりしない。ファルブラウとも戦うなんてしない。ラムは友達! さあ、どうする!?」
「どうするって…………はは。……あはは」
ラムはしばらく笑っていた。
「あんたのバカさ加減には負けた。……僕は……お前の友達になってやってもいい」
「だーかーら! 最初から友達だって! 何度も言っているじゃん!」
「……そーいうことにしてあげる」
ラムは月を背に笑う。吸血鬼と人間のハーフってことだけど、それとは関係なく似合う気がした。
☆
校舎の窓から中庭を見下ろす女性が一人。黒髪の彼女は四天王一人であるアドレイド。
「……やれやれ、いい友達に出会えたようでござるな。どうやら3対1。本気でやらねばならぬとは」
そう言いながら少し嬉しそうにどこかに去っていく。