ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
「よし!お前ら!撃て!!!」
伏黒甚爾は腹の底から声を張り上げた。その声は死のアーチの空間を震わせ、石壁に反射し、床の砂をわずかに跳ねさせるほどの圧を帯びていた。命令というより、引き金だった。
その声を合図に、ハリー、ロン、ハーマイオニー、ネビル、そしてジニーが一斉に杖を振り上げた。指先の力、呼吸の速さ、目の焦点、そのすべてが戦いの中で研ぎ澄まされている。かつての一年生の時の拙さは微塵もなく、それぞれが自分の魔法を、自分の肉体を、己の意志で制御していた。
赤、青、白、黄金、紫。呪文の光が幾筋も空間を切り裂き、ヴォルデモートへと殺到する。空気が焼け、金属のような苦味が舌に広がり、耳の奥で連続する破裂音が重なってひとつの轟音に変わる。魔法の衝突で生じた衝撃波が床を撫で、死のアーチの帷が揺れ、見えない声が遠くでざわめいた。
ヴォルデモートは宙に浮いたまま、表情を歪めた。杖を高速で振り、迫る呪文を次々と相殺する。その一方で、空いている手には黒く粘ついた呪力を纏わせ、魔法では弾ききれない一撃をねじ伏せるように押し返していく。魔力と呪力がぶつかり合うたび、空間が歪み、視界が一瞬だけ揺らぎ、観戦している者の内臓まで震えた。
「大人もいけ!」
再び甚爾が吠える。
その声に我に返ったように、騎士団の面々が一斉に杖を構えた。ムーディの義眼が怪しく回転し、キングズリーの低い詠唱が空気を引き締め、トンクスの魔力が跳ねるように立ち上がる。リーマスは一拍の間もなく正確に呪文を重ね、ダンブルドアはゆっくりと、だが確実に杖先をヴォルデモートへと向けた。その瞬間、場に集う魔力の総量が跳ね上がり、重力そのものが増したかのように空気が沈んだ。
「さて……どうなる?」
甚爾は低く呟いた。その視線は浮かぶヴォルデモートから一瞬も逸れない。
同時に、彼の肩で芋虫のような呪霊が口を開き、その奥から金属の擦れる音が響いた。甚爾は迷いなく手を突っ込み、冷たい鎖を掴んで引きずり出す。万里の鎖が床を擦り、砂を巻き上げ、鈍い音を立てて伸びていく。その先端に天逆鉾を取り付けると、刃が魔力の光を反射し、歪んだ輝きを放った。
甚爾は鎖を大きく振り回した。遠心力で鎖が唸り、空気を裂く音が連続し、周囲の者の髪やローブが引き寄せられるように揺れる。構え、回転、間合いの計測、その一連の動きは無駄がなく、ただ獲物を仕留めるためだけに洗練されていた。
鎖の先で、天逆鉾の切っ先がヴォルデモートを正確に指し示す。
その刹那、戦場全体が一瞬だけ静まり返った。
伏黒甚爾は鎖の回転を一段深く沈め、肩から腰、足裏までを一本の軸で繋いだまま、天逆鉾を放った。引き絞られた遠心の力が解き放たれた瞬間、空気が裂け、鎖は鋭い悲鳴のような風切り音を引き連れて一直線に伸びる。
刃先は飛翔する途中で幾重にも重なった呪文の光を踏み越えるように貫き、赤や青の魔法陣を紙の薄さで切り裂き、呪力の粘膜を撫でた箇所だけを空洞に変えて進む。
刃に触れた魔力は抵抗する暇もなく消え、消えた余波が周囲の空気を吸い込み、吸い込まれた空気が遅れて爆ぜる。床に積もった砂が一斉に跳ね、遠くの破片が鳴り、戦場全体が刃の通り道に引きずられるように歪んだ。
その直線の終点にいるヴォルデモートは、既に気づいていた。赤い瞳は刃の軌道を正確に追い、薄い唇はわずかに吊り上がる。魔力で防ぐという選択肢が意味を持たないこと、触れた瞬間に全てが無に帰すこと、そしてその無効化が自分に届く前に決断しなければならないこと、その全てを理解した上で、彼は
「へぇ……なるほどね」
甚爾の呟きは静かだった。だが次の瞬間、杖先から放たれた破壊の力が内側で弾け、肉と骨を内側から引き裂いた。血は外へ噴き出すより先に体内で爆ぜ、ローブの下で不自然な膨らみを作ってから、遅れて黒い染みとなって広がった。膝が折れ、宙に浮いていた身体が重力に従ってわずかに沈む。その姿を貫こうと迫っていた天逆鉾は、主を失った魔力の残滓だけを掠め、勢いを削がれた鎖が床に激しく叩きつけられて火花を散らした。
だが死は終わりではなかった。甚爾の視界の端で、空間が紙を折るように一瞬だけ歪んだ。音が遅れ、光が引き延ばされ、色の境界が溶け合う。誰の悲鳴も、誰の詠唱も、誰の足音も、その異変に気づいた様子はない。ハリーは杖を構えたまま息を詰め、ダンブルドアは杖先を向けた姿勢を崩さず、騎士団もまた次の呪文を準備したまま、ただ時間が連続していると信じている。だが甚爾だけは、その連続の中に挟まった決定的な継ぎ目を見た。
床の砂の舞い方が、ほんのわずかに巻き戻る。砕けた石片が跳ねた軌跡が、逆再生のように元の位置へと吸い寄せられる。鎖の余韻が消えるはずの音が、消える前に引き戻され、刃の進路が存在しなかったかのように空気が静まる。ほんの一瞬、まばたき一つ分にも満たない違和感。それでも、戦場で生き残り続けてきた感覚だけは、その不自然さをはっきりと捉えた。
世界は折り畳まれ、何事もなかったかのように広げ直された。ヴォルデモートは再び宙にあり、胸に血の染みもなく、杖を握り、先ほどと同じ言葉を吐く直前の姿に戻っている。誰の記憶にも残らず、誰の認識にも引っかからず、ただ一人、天与呪縛という異端の肉体と感覚を持つ伏黒甚爾だけが、その回帰の瞬間を確かに見届けていた。
伏黒甚爾は、二度目の回帰を経験した時点で、その術式の輪郭を大雑把にではあるが掴んでいた。戦場の空気がわずかに折り畳まれ、破壊の余韻が飲み込まれ、音と光がほんの一瞬だけ逆撫でられるあの感覚は、呪術でも魔法でも説明しきれない歪みとして皮膚の裏に残り続けており、それが単なる錯覚や偶然ではなく、意図的に引き起こされた現象であることを否応なく確信させた。
「もう貴様に油断はせん。天与呪縛のフィジカルギフテッド」
ヴォルデモートのその言葉が、三度戦場に落ちた。周囲の空気は先ほどと同じ重さ、同じ湿度、同じ焦げた匂いを帯び、ハリーは額を押さえ、シリウスは一歩前に出ようとして踏みとどまり、ダンブルドアは杖を構えたまま静かに呼吸を整えている。誰一人として、この瞬間が既に三度目であることに気づいていない。その事実だけが、甚爾にこの現象の異質さをはっきりと突きつけていた。
甚爾は視線を細め、鎖を芋虫呪霊の口から引きずり出しながら、頭の中で状況を組み直していく。鎖の金属が床を擦る低い音、手のひらに伝わる冷たい重量感、その一つひとつが現実であることを裏打ちしているにもかかわらず、世界そのものが一度「やり直された」感覚だけが確かに残っているのが気に食わない。
(死と、あの言葉が起動の合図だな。天逆鉾を放つ直前、あるいは致命に至る瞬間で確実に何かが切り替わっている。ガキ共と大人に陽動させてから叩いても、即座に自害して巻き戻し……天逆鉾をここまで警戒してやがるってことは、前の流れを少なくとも直感的には覚えているってことか)
甚爾の思考は早い。周囲の戦況、味方の位置、ヴォルデモートの視線の癖、杖を動かすタイミング、空気の流れ、その全てを同時に把握しながら、術式の条件だけを抽出していく。呪力を持たない肉体であるがゆえに、世界の歪みを歪みとしてそのまま受け取れる感覚が、今この場では異様なほど役に立っていた。
(分霊箱でそもそも死なない。加えて術式で死に戻り。どんだけ死にたくねぇんだよ、この蛇野郎は)
内心で吐き捨てながらも、甚爾の表情はほとんど変わらない。ただ、鎖を握る指の力だけがわずかに増し、金属がきしむ音が微かに響いた。ヴォルデモートはそれを見て、何かを感じ取ったのか、口角を薄く歪めたが、その意味までは読めていない。死に戻りという保険にすがっている限り、相手は決して「致命を与えない方法」で殺されることの恐ろしさを理解できない。甚爾はその事実を、腹の底で静かに噛み締めていた。
戦場には再び、嵐の前のような静けさが降りた。そして、次の一手がどちらから放たれるのか、誰もが息を詰めたまま、その瞬間を待っていた。