ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第二十四話

 

 

 

 

 俺は天逆鉾をだらりと下げたまま、横に立つジジイ――アルバス・ダンブルドアを横目で見た。宙に浮かぶヴォルデモートを真っ直ぐと見据え、いつでも杖を突き出せる体勢を取っているが、肩も指先も驚くほど力が抜けている。完全な脱力だ。長年修羅場を潜ってきた魔法使い特有の、余計な力を削ぎ落とした立ち方。だが、その落ち着きの奥で、何かが引っかかっているのが分かった。

 

 一瞬、ほんの一瞬だ。ジジイの眉間に、普段は見せない細い皺が刻まれた。気のせいじゃねぇ。俺はその変化を見逃さなかった。視線はヴォルデモートから外さないまま、空気の揺れだけで察する。まさか――いや、やっぱりか。こいつ、勘づき始めてやがる。

 

 「……ふむ」

 

 ジジイが小さく首を傾げ、呟いた。音にもならない程度の声量だ。周囲で呪文の残滓が渦巻き、瓦礫が転がり、誰かの荒い息遣いが混じる中で、その声は俺の耳にだけ、やけにはっきりと届いた。

 

 「ジジイ、気づいたか?」

 

 俺も声を落とす。天逆鉾を持つ手は動かさず、鎖の重みを感じながら、腹の底だけで言葉を投げた。

 

 「気づいた?……ふむ、やはり何か起きているようじゃな。わしの記憶に、何かが混ざっておるような?」

 

 ジジイは視線を前に据えたまま答えた。杖先は微動だにしない。だが、言葉の端々に慎重さが滲んでいる。自分の記憶を疑うなど、この男にとっては相当な異常事態だろう。

 

 「混ざってる、ね。正確には削れてる。抜け落ちて、上から塗り直されてる感じだ」

 

 俺は低く言った。ヴォルデモートの方から、濃い魔力と一緒に、じっとりとした呪力が流れ込んでくる。死のアーチの囁きが背中を撫でるが、今は構わない。問題は目の前の蛇だ。

 

 「わしは……同じ場面を二度見ておるような、見ておらんような……曖昧な感覚がある。だが確証がない」

 

 「そりゃそうだ。確証なんて残らねぇようにできてる。俺だけが二回目を“はっきり覚えてる”」

 

 ジジイの眉が、ほんのわずかに動いた。

 

 「君だけが、か」

 

 「俺は呪力を持たねぇ。術式に巻き込まれにくい。多分それが理由だ」

 

 天与呪縛の肉体。呪術から切り離された存在。今まで呪術界じゃただの化け物扱いだったが、こんな形で役に立つとは皮肉な話だ。

 

 ヴォルデモートがこちらを見下ろし、細い笑みを浮かべる。こいつは分かってる。俺が何かに気づいたことも、ダンブルドアが違和感を覚え始めていることも。

 

 「フフ……何をこそこそと話している、ダンブルドア。作戦会議か?」

 

 「ただの世間話じゃよ、トム」

 

 ジジイが穏やかに返す。その声色はいつも通りだが、内側では高速で思考を回しているのが、横にいる俺には手に取るように分かった。

 

 俺は天逆鉾を軽く揺らした。鎖が擦れ、金属音が床に落ちる。その音に、ヴォルデモートの視線が一瞬だけ反応する。やはり警戒している。死に戻りの術式があろうと、この刃だけは致命になり得ると理解してやがる。

 

 「ジジイ、時間を稼ぐ。こいつは“死ぬ直前”で逃げる」

 

 「……なるほどの」

 

 「殺す必要はねぇ。逃げ場を潰す。死ねないなら、死なせなきゃいい」

 

 その瞬間、ジジイの口元がわずかに歪んだ。笑いとも苦笑ともつかない表情だ。

 

 「君の発想は、いつも物騒じゃな」

 

 「今さらだろ」

 

 俺は前に出る。天逆鉾を構え、鎖の長さを調整する。ヴォルデモートの背後で、死のアーチが静かに揺れていた。黒い帷子の向こうから、無数の声が漏れ聞こえる。生と死の境界。

 

 天逆鉾は術式を強制終了させる。理屈は単純だ。触れた瞬間、どんな因果だろうが、どんな理屈だろうが、術式として成立しているものを根こそぎ否定する。魔法だろうが呪術だろうが関係ねぇ。刃が届けば終わりだ。

 

 だが――ヴォルデモートはそれに気づいてやがる。

 

 奴は俺が天逆鉾を振るう気配を感じ取ると、当たる直前に自害して逃げる。死を夢として処理し、指定した基点まで巻き戻る。結果、俺がどんなに完璧な一撃を通しても、世界の方がなかったことにしやがる。同じ手を繰り返しても、さっきの続きに戻るだけだ。埒が開かねぇ。

 

 だから今は殺さない。

 

 殺せない、じゃねぇ。殺さない、だ。

 

 段階を踏む。逃げ道を潰し、術式を使えない状況を作り、その上で確実に叩く。焦る必要はない。むしろ、焦った瞬間に負ける相手だ。

 

 俺は視線を切らずに、背後の気配を読む。ハリーだ。息が荒く、心拍が不規則になっている。魂の奥に張り付いたヴォルデモートの欠片が、今もじっとりとした存在感を放っている。傷口に入り込んだ異物みたいに、排除できず、溶けもせず、ただそこにある。あれを剥がす段取りも、いずれ必要になる。

 

 ……と、その時だ。

 

 「どうやら来たようじゃな」

 

 ジジイの声が低く落ちた。

 

 「ハッ、僥倖ってことか」

 

 広場に、白い光が差し込んだ。眩い転移の魔力。空気が一瞬で塗り替えられ、さっきまで漂っていた死と呪力の湿気が押し流される。

 

 「間に合ったかぁな〜?」

 

 間の抜けた声と一緒に現れたのは、魔法省大臣コーネリウスだった。顔は赤く、足取りも怪しい。酒の匂いが風に乗って鼻を突く。相変わらずだな、このオッサン。

 

 その背後から、闇祓いたちが次々と姿を現す。統制の取れた動き、張り詰めた視線。数だけじゃない。質も揃っている。さすがにこれだけ集まれば、並の死喰い人じゃ息もできねぇ。

 

 案の定、周囲に残っていた死喰い人どもが、悲鳴とも悪態ともつかない声を上げながら散り散りに逃げ出した。転移、煙化、無理やりの飛行。必死だ。さっきまでの威勢はどこへ行った。

 

 「チッ」

 

 短く、湿った舌打ち。ヴォルデモートだ。

 

 奴の赤い目が忙しなく動き、広場全体を睨み回す。闇祓い、騎士団、ダンブルドア、そして俺。数と質、その両方を一瞬で計算したのが分かる。蛇みたいに冷たい思考だ。

 

 この術式……禪院の蔵書を漁り散らかした俺でも全くの未知の術式。恐らく死を虚構として処理し、基点に戻る。だが、さっきから薄々感じていた違和感が、今になってはっきりした。

 

 「……なるほどな」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 この巻き戻り、万能じゃねぇ。少なくとも、この部屋、この空間に縛られている。外では時間は連続して流れている。だからこそ、今こうして闇祓いが“間に合って”現れた。もし全世界が巻き戻ってるなら、こんな増援は起きない。

 

 ヴォルデモートの顔が、わずかに歪んだ。苦虫を噛み潰したような表情だ。図星だな。

 

 「おい」

 

 俺は天逆鉾を肩に担ぎ、あえて軽い調子で声を投げた。

 

 「流石にこの人数は無理なんじゃないか?ヴォルデモートさんよ」

 

 奴は答えない。ただ、じっとこちらを睨んでいる。逃げるか、仕掛けるか、判断の天秤が揺れているのが分かる。

 

 俺は踏み出さない。

 

 今は、まだその時じゃねぇ。

 

 「フシグロ君の言う通りじゃよトム。分が悪いとは思わんか?」

 

 ダンブルドアの声は穏やかだった。だがその穏やかさが、この場にいる誰よりも冷酷な現実を突き付けているのは、俺にははっきり分かった。包囲は完成している。闇祓い、騎士団、そして俺とジジイ。ヴォルデモートにとって、ここはもう狩場じゃない。処刑場だ。

 

 「黙れ……!」

 

 ヴォルデモートが癇癪を起こした子供みたいに杖を振るった。魔力の収束が異常に速い。緑の光が空気を削り、音すら置き去りにして一直線にダンブルドアへ走る。死の呪い。だが、あの程度で終わるなら、ジジイは今まで生きてねぇ。

 

 俺は動かなかった。助ける必要が無いと分かっていたからだ。あの老獪な狸が、あんな真正面からの一撃を想定していないわけがない。

 

 ダンブルドアは杖を前に差し出した。呪文は唱えない。ただ魔力を流し込む。濃度が違う。空間が軋み、空気が粘つくように歪んだ。俺の皮膚が静電気みたいにざわつき、骨の奥が軋む感覚を覚える。

 

 「当たらなければ、どうということはない……じゃよ?」

 

 軽口みたいな一言と同時に、緑の閃光が杖の前で裂けた。まるで硝子が割れるみたいに、死の呪いが二つに分断され、左右へ弾かれる。理屈もへったくれもない。純粋な魔力の暴力だ。

 

 だが――危ねぇ。

 

 弾かれた片方が俺の方へ飛んできた。速度は落ちていない。俺は舌打ちしながら一歩踏み込み、天逆鉾を横に振るった。刃が緑の光を撫でる。触れた瞬間、術式としての成立を失った呪いは、火花を散らして霧みたいに霧散した。鼻を突く焼けた金属と草の混じった臭い。

 

 「危ねぇだろ」

 

 俺はジジイを睨んだ。

 

 「ホッホッホ」

 

 悪びれもせずに笑いやがる。分かっててやってるな、このジジイ。だがまぁ、結果的に誰も死んでない。なら文句を言う筋合いもねぇ。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

 重圧が消えた。あれほど濃密に漂っていた魔力と呪力が、一気に引き潮みたいに薄れる。嫌な静けさだ。

 

 「逃げたな」

 

 俺がそう言った時には、ヴォルデモートの姿はもう無かった。さっきまで宙に浮いていた場所には、黒い煤みたいな闇の残滓が漂っているだけだ。床に落ちたそれは、煙のように揺れ、やがて何事もなかったかのように消えた。

 

 騎士団の連中が周囲を警戒しながら動き出す。闇祓いが魔力の痕跡を追い、誰かが怒鳴り、誰かが安堵の息を吐く。ハリーの荒い呼吸が背後で聞こえ、シリウスが肩に手を置いて落ち着かせている。

 

 俺は天逆鉾を肩に担ぎ、死のアーチの方を一瞥した。相変わらず、あそこからは冷たい風と、聞き取れない囁きが流れてくる。死を知った者にだけ聞こえる声。今はそれすら、やけに遠い。

 

 「……逃げた、か」

 

 負けを認めた撤退じゃない。あれは次に殺すための逃走だ。ヴォルデモートはまだ終わっちゃいねぇ。分霊箱も、あの術式も残っている。だが少なくとも今夜は、生徒は死なずに済んだ。

 

 俺は煙草を探す癖でポケットに手を突っ込み、ここが魔法省だと思い出して舌打ちした。

 

 「次は、もっと面倒になりそうだな」

 

 誰にともなく呟き、俺はゆっくりと息を吐いた。

 

 

 そんなこんなで魔法省での一件は終わった。死喰い人の回収、倒れた連中の治療と拘束、割れた床や吹き飛んだ壁の後始末。闇祓い達は目を血走らせながら走り回り、役人共は青い顔で書類を書き、コーネリウスは酒臭い息を撒き散らしながら「前代未聞だ!」だの「想定外だ!」だのと喚いていたが、最終的にはいつもの通りだ。責任は全部ヴォルデモートと死喰い人に押し付けられ、俺たちやガキ共は正義の被害者って扱いになった。まぁ、実際被害者ではあるんだが。

 

 気絶した連中と、完全に動かなくなった死喰い人を回収して、ガキ共をホグワーツへ送り返し、俺とダンブルドア、それから騎士団の面々は魔法省で一応の尋問を受けた。形式だけのやつだ。分かりきった質問をされ、分かりきった答えを返す。誰が何を見て、誰が何をしたか。俺は適当に要点だけを話し、余計なことは一切言わなかった。天逆鉾の話も、術式の話も、巻き戻りの話もだ。そんなもん、理解できる奴がここに何人いる。

 

 コーネリウスの根回しは案外しっかりしていた。あの酔っ払い大臣なりに、今回は本気で焦っていたんだろう。魔法省の損害、壊れた施設、負傷者、その全部がヴォルデモートの仕業ってことになり、ホグワーツの生徒が神秘部にいた理由も「巻き込まれた」で片付けられた。便利な言葉だ。巻き込まれた、で全部済むなら世の中楽なもんだ。

 

 「とんだ1年の始まりだなおい」

 

 校長室のソファに深く座り、俺は吐き捨てるように言った。暖炉の火が静かに爆ぜ、紅茶の湯気が鼻先をくすぐる。魔法省の冷たい空気と血の匂いに比べりゃ、ここは天国みたいなもんだ。

 

 「ホッホッホ、そうじゃな」

 

 ダンブルドアはいつもの調子で笑い、湯気の立つカップを口に運んだ。何事もなかったかのような顔だが、目の奥は忙しなく動いている。あの場で起きた違和感、記憶に引っかかった何かを、まだ反芻している目だ。

 

 今はまだ12月に入ったばかりだ。11月にあの魔法省での騒ぎが起きて、まだ数週間しか経っていない。たった数週間だが、体感じゃ数年分くらいは消耗した気がする。筋肉の奥に残る疲労、呪力と魔力がぶつかった時の嫌な感触、天逆鉾に伝わった妙な手応え。それらが、まだ身体のどこかに残っている。

 

 俺は無意識に手のひらを開き、閉じた。銃を握る時と同じ癖だ。あの場で何度、引き金を引く想像をしたか分からない。だが結局、撃たずに済んだ。それは喜ぶべきことなんだろうが、同時に胸の奥に引っかかりも残る。

 

 「ヴォルデモートは逃げた」

 

 俺がぽつりと言うと、ダンブルドアは頷いた。

 

 「うむ。だが、あの男が完全に勝てぬと判断した時に逃げた、それだけでも大きな成果じゃよ」

 

 「成果、ねぇ」

 

 逃げたってことは、次があるってことだ。しかも今度は、あの訳の分からねぇ術式込みで来る。死に戻りだか、夢だか知らねぇが、厄介極まりねぇ。だが同時に、俺には一つだけ確信があった。

 

 あいつは、俺を警戒している。

 

 天逆鉾を。俺という存在を。術式が効かない、あるいは効きにくい相手がいるって事実を、あいつは骨身に染みて理解した。だったら次は、もっと回りくどく、もっと汚ねぇ手を使ってくるだろう。

 

 「ガキ共はどうだ?」

 

 「少し疲れておるが、命に別状はない。むしろ……自信が付いた者もおるようじゃ」

 

 ハリーの顔が脳裏に浮かぶ。額の傷を押さえながらも、前を向いていたあいつの目。ロンの無茶、ハーマイオニーの冷静さ、ネビルの怒り、ジニーの踏み込み。どいつもこいつも、もうただのガキじゃない。

 

 「……俺の授業、サボらせるなよ」

 

 「それは保証できんのぉ」

 

 ダンブルドアは笑った。

 

 俺は紅茶を一口啜り、苦味に顔をしかめた。

 

 今年は、まだ始まったばかりだ。だが確実に、面倒で血生臭い1年になる。そう確信しながら、俺は椅子の背に身体を預け、静かに息を吐いた。

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