ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十五話

 

 

 

 

 あっという間に数ヶ月が経った。

 

 ホグワーツに赴任してから、冬が過ぎ、気がつけば三月に差し掛かろうとしていた。

 

 給与も何度か支給されたが、貰うたびに――心底、心底、俺は不服な気分になる。というのも、そのたびにジジイ……ダンブルドアに連れられて競馬場へ行き、悉く外し続けてきたからだ。

 

 「とことんツイてねぇなぁ〜……」

 

 俺は自室の窓辺でタバコを吸いながら呟いた。夜風がわずかに入り込み、カーテンを揺らす。禁煙?そんなもん知るか。こっちは命を削って夜間巡回まで請け負ってんだ。

 

 煙を吐き出した瞬間、部屋の外から声がした。

 

 「フシグロさん、少しいいですか?」

 

 この声は……マクゴナガルだ。

 

 「……あぁ、ちょっと待て」

 

 俺はタバコをもう一吸いし、灰皿に押し付けて消した。

 

 「なんだ?どうした?」

 

 ドアを開けると、マクゴナガルがいつもの厳しい顔で立っていた。

 

 「生徒達が夜間外出をしました。罰則として、禁じられた森の巡回を命じます。フシグロ先生にも同行していただこうかと」

 

 「あ?なんで俺が」

 

 「あなたがいれば“安心”ですから。それに……ハグリッドもいます」

 

 ちっ……やっぱりそうきやがったか。面倒ごとを俺に回すあたり、この学校にもちゃんとした人事戦略ってもんがあるらしい。

 

 「……分かったよ」

 

 「ありがとうございます。あ!城の夜間巡回の件はダンブルドアに伝えてあるので心配無用です」

 

 「そうかい」

 

 マクゴナガルが去るのを見送りながら、俺は肩をぐるりと回した。こうなりゃ仕方がない。巡回程度なら手ぶらで十分だ。

 

 夜の城の廊下は冷え込んでいる。石畳を踏みしめるたびに、靴音がカツンと響く。月光が大窓から差し込み、床に淡い影を落とす。

 

 職員室の前に着くと、でかい影が揺れた。

 

 「おぉ、トウジ!来たか!」

 

 ハグリッドだ。ランタンを掲げ、分厚いコートに身を包んでいる。

 

 「よぉハグリッド。随分と寒そうだな」

 

 「そりゃそうさ、夜の森は冷えるんだ」

 

 その後ろには罰則対象のガキどもが並んでいた。――ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャー、そしてドラコ・マルフォイ。

 

 夜の冷たい空気の中、四人はそれぞれ違う顔をしていた。ハリーは真剣そのもの、ロンは不安げ、ハーマイオニーは若干涙目、ドラコは不満を隠しもせず顔をしかめている。

 

 「な、なんで僕たちが森なんかに行かなきゃいけないんだ!」

 

 「夜遊びした罰だろ。俺からすれば妥当だ」

 

 「うるさい!」

 

 俺が口角を上げると、ドラコはぷいと横を向いた。隣でロンが小声で笑い、ハーマイオニーが肘で小突いて黙らせる。

 

 「さぁ、全員出発だ」

 

 ハグリッドが言うと、俺たちは森の方へ歩き出した。

 

 ホグワーツの敷地を抜けると、冷たい風が一気に吹き抜ける。暗闇の奥で森の木々がざわめき、見えない何かがこっちを見ているような感覚が肌にまとわりついた。

 

 森の入り口に立った瞬間、鼻を突く湿った土と苔の匂い。遠くで獣の息づかいが混じる――あの感じ、嫌いじゃねぇが気分が悪くなる匂いでもある。

 

 「うわ……真っ暗だ……」

 

 ロンがランタンの灯りに身を寄せる。

 

 「怖いのかウィーズリー」

 

 「こ、怖くなんか……」

 

 裏返った声が返ってきた。ドラコが「情けない」と鼻で笑う。だが、そのドラコ自身も肩がこわばっていた。

 

 「いいか。ふざけて遅れたら死ぬぞ」

 

 俺が淡々と言うと、全員の肩がピクリと震えた。

 

 「トウジ、脅かすんじゃねぇ」

 

 ハグリッドが苦笑する。

 

 「事実だろ」

 

 俺の五感は夜でも全く鈍らない。月光がなくても輪郭が見える。音も、匂いも、風の流れも拾える。生き物が潜んでいればすぐわかる。だが、この森の奥は違う。何かが蠢いてる――そんな嫌な感覚がした。

 

 「よし、二手に分かれるぞ」

 

 ハグリッドが言った。

 

 「わしはロンとハーマイオニーを連れて西側を回る。トウジはハリーとドラコを連れて東を回ってくれ」

 

 「了解した」

 

 「な、なぁ!なんで僕がこっちなんだよ!」

 

 ドラコが真っ先に反発する。

 

 「安心しろマルフォイ。俺は優しい先生だからな」

 

 「うそだ!」

 

 このガキ、すっかり俺のことを信用してねぇな。

 

 「じゃあ行くぞ、ポッター、マルフォイ」

 

 俺はランタンを持たず、夜目のまま森の奥に足を踏み入れた。二人の靴音が後ろに続く。

 

 足元には湿った落ち葉が敷き詰められ、踏むたびにじゅくりとした音を立てる。木々の間から月光がわずかに差し込み、霧のような冷気がまとわりついた。

 

 「うわ……こっち、本当に行くのかよ……」

 

 ドラコが不満をぶつぶつと漏らす。

 

 「帰りたきゃ勝手に帰れよ。ただし森の中じゃ真っ先に喰われるだろうけどな」

 

 「……っ!」

 

 黙った。いい傾向だ。

 

 「フシグロ先生……何か、音がしません?」

 

 ハリーが俺の横に目を向ける。確かに聞こえる。微かに、何かの息づかいが。

 

 それは風の音でも木の軋みでもない――獣だ。しかも、ただの獣じゃない。血の匂いが混ざってやがる。

 

 胸の奥に、薄ら寒い予感が這い上がってきた。

 

 夜の森は――静かすぎる。

 

 「……下がってろ。こっからは俺が前に出る」

 

 俺は一歩、踏み出した。風が一瞬、止んだ。

 

 「先生、なんか傷が……」

 

 「傷?」

 

 振り返ると、ハリー・ポッターが額を押さえていた。そういやコイツ、稲妻みてぇな傷を額に持ってたな。何だ?今さら痛むのか?

 

 「初めてか?」

 「う、うん……」

 

 痛みに耐える訓練は授業で叩き込んであるが、額を歪めてる顔は洒落にならねぇくらい痛そうだった。こいつに纏わりつく妙な気配が、また悪さをしてる可能性がある。

 

 「おい、“純血”、肩を支えてやれ」

 「は!?……わかりました」

 

 俺に言われ、渋々ながらマルフォイがハリーの肩に手を回す。ガキどもがふらつかれると面倒だ。

 

 血の匂いが濃くなってきた。湿った腐葉土と混じって鼻に刺さる鉄臭さとは違う……冷たくて、光沢のある匂い。俺は足音を殺し、匂いの先へと進む。

 

 「ん?」

 

 ランタンの光の届かない先、地面に銀色の血が点々と落ちていた。普通の生き物の血じゃねぇ。月明かりに鈍く輝きながら、細い筋を森の奥へと導いている。

 

 血痕を辿って進むと、木々の間がぽっかりと開けた場所に出た。そこに転がっていたのは――

 

 「……ユニコーン……」

 

 白銀の毛並みを持つ馬が横たわっていた。体はもう冷え、地面には銀色の血が広がっている。首筋には深々とした裂傷、切断面は迷いがなく、一撃で仕留められた跡だった。

 

 その死体に覆いかぶさるようにして、黒い影が跪いていた。人間とも獣ともつかねぇ形で、月明かりの中でも輪郭が滲む。瘴気のような気配が森全体に広がっている。

 

 「グ……!傷が……!」

 

 ハリーが呻いた。額を押さえ、膝をつきそうになっている。

 

 「ポッター!しっかりしろ!」

 

 後ろに声を飛ばしながら、俺は一歩前に出た。

 

 「お前ら、下がってろ」

 

 俺は低く睨みつけ、森の静寂を破る声で吐き捨てる。

 

 「おい……テメェ、その馬から離れろ」

 

 黒い影が、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 

 月光の下、その顔らしき部分は何もなく、空洞のような闇が広がっていた。喉の奥を擦るような音が漏れ、地面に落ちていた血がまるで生きているように波打つ。

 

 肌にまとわりつく空気が一変した。寒気が足元から這い上がってくる。これはただの獣じゃねぇ……明確な“敵”の気配だ。

 

 俺は迷わず踏み込んだ。足元の枯れ葉が砕け、風が後ろに流れる。

 

 黒い影の首元めがけて拳を叩き込む。骨も筋肉も感じない、ぬるりとした何かを突き抜けた感触。冷たい液体が拳にまとわりつき、焦げたような臭いが立ち上る。

 

 「ッラァ!」

 

 さらに拳を引き抜き、顎らしき部位を下から突き上げる。鈍い衝撃と共に、影の身体がぐにゃりと歪み、地面に倒れ込んだ。液体が飛び散り、銀の血と混ざって黒い染みを作る。

 

 「……気持ちわりぃな」

 

 影はなおも這いずり、馬の血を舐め取ろうとしていた。俺はその動きを躊躇なく踏みつける。骨のような感触はねぇ。ただ泥を踏み潰したようなぐちゃりという音と、鉄と腐臭が鼻を突いた。

 

 影が震える。逃げようとする。

 

 「逃がすかよ」

 

 俺はその頭を掴み上げ、地面へ叩きつけた。ぬるりとした黒い粘液が弾け飛び、木々の根にこびりつく。空気が一瞬だけビリついたように揺れ、影が呻き声をあげながら溶けるように広がった。

 

 「ポッター!マルフォイ!近寄るな!」

 

 二人は慌てて距離を取った。ハリーはまだ額を押さえ、顔をしかめている。ドラコは完全に腰が引け、固まっていた。

 

 影が徐々に崩れ始める。夜風に溶けるように消えていきながらも、森の空気にはまだ瘴気の名残が漂っている。ユニコーンの体からは血の匂いが消えず、銀の液が土に滲んでいった。

 

 俺はその場に膝をつき、地面に残った黒い液を軽く掬った。ぬるりとした感触とともに、皮膚がピリつく。呪いの残滓……魔力とも呪力とも違う、もっと禍々しい何かだ。

 

 「なるほどな……やっぱりただの獣じゃねぇ」

 

 立ち上がると、森の奥で木の枝がきしむ音がした。獣の気配ではない。人の匂いが一瞬、風に混じる。

 

 誰かが――この森に“何か”を放った。

 

 「ポッター、歩けるか」

 「う、うん……なんとか」

 「マルフォイ、ヘタレんな。戻るぞ」

 「ヘタレじゃない!」

 

 震える声が情けなく響いた。

 

 俺はふたりを促して森の奥を振り返る。もう影はいねぇ。だが終わったとは限らない。この気配は、まだ続きがある――そんな嫌な予感だけが、夜気と共にまとわりついていた。

 

 「にしても……」

 

 俺は再度、地面に溶けるように消えた黒い影の跡を見下ろした。

 

 「なんなんだコイツは……?」

 

 実体は確かにあった。拳が皮膚を貫いた感触は生々しく、あれは幻でも錯覚でもない。だが――今この場に残っている気配は奇妙なほど薄い。まるで、生きているものを殺した時に感じる“終わり”がない。

 

 「ただの獣でも呪霊でもねぇ……あれは……」

 

 あの影の奥から一瞬だけ感じた“人の気配”がどうにも引っかかる。まるで操り人形――傀儡のような、生き物としての芯を持たない感触だった。

 

 「今のコイツは、ただの傀儡だったってことか?」

 

 呟いた俺の声に、後ろから小さな声が重なった。

 

 「フシグロ先生……」

 

 ドラコに肩を支えられたハリーが立ち上がり、俺に近寄ろうとしていた。額を押さえていた手はもう下ろされている。

 

 「ガキ、痛みはあるか?」

 「いえ、あの黒い奴が消えてからさっぱり消えました」

 「そうか」

 

 黒い影の消滅と共に痛みが消える……偶然とは思えない。やはりあの額の傷と、影から滲み出ていた瘴気のようなものは関係している。列車で初めてコイツを見たときからずっと感じていた――不気味な気配。今回のそれと()()()()()()

 

 ただ、今ここで結論を出すべき話じゃねぇ。

 

 そのとき――風がわずかに逆流した。鼻に、別の匂いが混じる。人と獣が入り交じったような匂い。湿った草を踏みしめる蹄の音が近づいてきた。

 

 「ガキ共、構えろ」

 「分かりました!」

 「え!?なんですか!?」

 

 ハリーは即座に構えた。訓練の成果だ。対してドラコは少し戸惑いながらも腰を落とす。怖くて震えながらも逃げようとしなかったあたり、少しは成長したか。

 

 そして――現れた。

 

 木々の影から、月明かりに照らされて姿を現したのは、腰から下が馬、上半身が人の形をした存在。

 

 「……おいおい……マジかよ。ケンタウロスじゃねぇか」

 

 魔法生物図鑑に載っていた姿そのまま。だが本で見るのと実物はまるで違う。全身に走る筋肉は硬く盛り上がり、槍のようにまっすぐな蹄音が森を踏みしめるたびに、緊張感を引き裂いていく。

 

 そのケンタウロスは小弓を携え、鋭い瞳で俺たちを見据えていた。敵意ではない、警戒の目だ。

 

 「ハリー・ポッター、大丈夫か?」

 

 低く、澄んだ声。名前を呼ばれたハリーが一瞬きょとんとする。

 

 「ん……そちらにいるのは……」

 

 弓を下ろしながら、ケンタウロスが俺をまっすぐ見た。

 

 「俺は体育教師の伏黒甚爾。テメェは?」

 「フシグロ……ダンブルドアから聞いていた。“競馬”が好きな男だな」

 

 ……あのジジイ、何を吹き込んでやがる。俺は歯を食いしばった。

 

 「私はフィレンツェ。禁じられた森に棲むケンタウロスだ。最近、この森ではユニコーンが殺されていてね。今夜も嫌な気配を感じてここに来たんだ」

 

 「ユニコーン……」

 

 俺は目線を斃れた馬に落とした。銀の血を流し、冷たくなったユニコーン。脚はまだかすかに震えた痕跡を残している。死んで間もない。

 

 「この死体……お前らの仲間じゃねぇだろうな」

 

 「違う。我々ケンタウロスは森の守り手だ。ユニコーンを殺すような真似はしない」

 

 その声には迷いも嘘もなかった。目つきも澄んでいる。戦闘用の殺気もない。こいつが犯人じゃないことはすぐに分かった。

 

 フィレンツェはさらに続けた。

 

 「我々も見張っていた。森の奥で“闇の影”が動いている。だが、追跡は難しい……あれは()()()()が混ざっている」

 

 「やっぱりな」

 

 俺が感じた人の匂いは間違いじゃなかった。

 

 「おーい!お前ぇ達!大丈夫か!」

 

 ずしん、と重い足音と共に森の奥から声が響いた。

 

 「ハリー!」

 

 続いて聞こえたのはハーマイオニーとロンの声だった。

 

 「うおぉ!ケンタウロスだ!」

 

 到着したのはハグリッド。肩にランタンを担ぎ、後ろに怯えながらも目を輝かせるハーマイオニーとロンが続いていた。

 

 「ハグリッド!」

 「おう、トウジ!……って、なんじゃこりゃ!?」

 

 ハグリッドがユニコーンの死体を見て目を見開いた。大きな手が拳を握りしめ、顔が険しくなる。

 

 「……間違いねぇ、今夜もやられたか……ハリー、怪我はねぇか?」

 

 「だ、大丈夫……です」

 

 ハグリッドが屈み込み、ハリーの肩を軽く叩く。その表情は真剣そのもので、ふざけた空気は一切なかった。

 

 「フシグロ先生……俺たちさっき黒い影を……」

 

 ロンの声が震えていた。

 

 「もういねぇ。潰した」

 

 「つ、潰したって……!」

 

 「なんか知らねぇが、アイツは本体じゃない。操られてただけの傀儡だ」

 

 「傀儡……?」

 

 ハーマイオニーが眉をひそめた。頭の回転が速いガキだ、きっと何か考えているだろう。

 

 「いずれにせよ、このまま放っとく訳にはいかねぇな。ジジイ……いや、校長に報告だ」

 

 ハグリッドが頷く。

 

 フィレンツェは俺たちを見据えたまま、森の奥へ視線を向けた。

 

 「闇はまだこの森に潜んでいる。今夜のこれが終わりではない」

 

 「知ってる。俺も同感だ」

 

 俺たちは視線を交わし、互いに無言で頷いた。

 

 銀の血が風に冷やされ、夜の森の空気は一段と冷たく沈んでいた。

 誰も笑っていない。

 

 ――この夜がただの“罰則巡回”で終わらないことは、全員がすでに察していた。

 

 「ユニコーンの血……」

 

 ハーマイオニーがユニコーンの死体の側にしゃがみ込み、月明かりに照らされた銀色の血溜まりを見つめながら静かに呟いた。森の夜気は張りつめたように冷たく、吐く息が白く浮かぶ。

 

 「確か飲めば、どんなに危機的な状態であっても命を延命させる……だが同時に永劫呪われる。だったか?」

 

 俺は図書室で読んだ魔法生物図鑑の記述を思い出し、そのまま口に出した。ユニコーンの血には強烈な代償がある。生きるためにそれを選ぶというのは、ほとんど人間を捨てるようなもんだ。

 

 「よくご存じですね、先生……」

 

 ハーマイオニーが顔を上げる。その目は恐怖と好奇心の混じった複雑な光を宿していた。

 

 「本を読むのは嫌いじゃねぇ。それにな……馬はな、神聖な生き物だ」

 

 あの白銀の毛並みが、ただの“動物”じゃねぇことくらい馬好きの俺にはわかる。ユニコーンを殺すなんて真似は、どう足掻いても許せるもんじゃない。

 

 「とりあえず、城に帰ろうや。子供達を此処に置いとくわけにはいかねぇ」

 

 ハグリッドがゆっくりと立ち上がり、ランタンを高く掲げながら言った。巨大な影が夜の森に落ちる。

 

 「うむ、すぐに帰るべきだ。まだ闇の気配は色濃く残っている」

 

 フィレンツェが一歩前に出て、俺たちを見据えながら言った。その眼差しは鋭いが、どこか哀しみを含んでいる。

 

 「気をつけて。ハリー・ポッター、会えてよかった」

 

 最後にそう告げると、フィレンツェは蹄を鳴らしながら森の奥へと去っていった。蹄音が木々の闇に溶けていく。

 

 「先生……あれは何なんです?」

 

 ロンが震える声で言った。闇の中で見た黒い影の残滓が、まだ頭にこびりついているらしい。

 

 「知らねぇな。ただ、普通の魔法生物じゃねぇのは確かだ」

 

 俺は短く言い捨てる。あれは“生きていた”というより、“何かに操られていた”気配だった。ユニコーンを殺した本体は、まだこの森のどこかに潜んでいる。

 

 「ハリー、大丈夫?」

 

 ハーマイオニーが振り返ると、ハリーは額を押さえて眉を寄せていたが、さっきのような苦痛はもうないようだった。

 

 「うん……今は平気。でも、あのとき……すごく冷たい何かが、僕の中に流れ込んでくる感じがした」

 

 「そりゃあ、相当ヤバい気配だったからな」

 

 俺は空を見上げた。森の上空は雲が厚く、月がぼんやりとにじんでいる。風が湿り気を帯びて、皮膚にまとわりつくように冷たい。

 

 「よし……戻るぞ。ここに長居すると本格的にまずい」

 

 俺が声をかけると、生徒たちは互いに顔を見合わせながらも従った。

 

 「子供達、こっちじゃ。森の出口まではわしが先頭を歩く」

 

 ハグリッドがランタンを掲げ、俺たちは列になって森を引き返した。蹄の跡や血の匂いがまだ背後に残っている気がして、後ろを振り返る生徒が多い。

 

 「……先生」

 

 ふいにハリーが小声で俺に話しかけてきた。

 

 「さっきの影……僕、感じたんです。あれはただの“何か”じゃなくて、誰かに――見られてるような……」

 

 「……だろうな」

 

 俺も同じだ。視線を感じた。あれはただの化け物の視線じゃねぇ。執念と欲望を孕んだ、生きた“人間の眼”だ。

 

 「なんか……すごく嫌な感じがした」

 

 ハリーが肩を震わせる。ドラコは顔を強ばらせたまま黙っている。ハーマイオニーは下唇を噛みしめ、ロンはランタンの灯りを頼るようにじっと見つめていた。

 

 森の出口が見えてくる。いつもなら鬱蒼として閉塞感のある道が、今夜は妙に長く感じた。銀色の血の匂いと、黒い瘴気の残滓が、後ろから這い寄ってくる気がする。

 

 「ハグリッド」

 「なんじゃ」

 「今夜、森の見回りを強化した方がいい。アレは……一発で仕留めきれる相手じゃねぇ」

 

 俺の言葉に、ハグリッドは眉をひそめて頷いた。

 

 「わかっちょる。……わしも長いことここにおるが、ユニコーンが殺されたなんて、そうそうある話じゃない。ほんに……嫌な夜じゃ」

 

 重たい沈黙が続いた。生徒たちも口を開かない。さっきまでの罰則巡回の軽い空気なんざもう欠片も残っていない。

 

 やがて、森を抜けて城の明かりが見えた。闇の向こうにぼんやりと浮かぶホグワーツのシルエットは、まるで別世界のように温かく見える。

 

 「よし、お前らは寮に戻れ」

 

 俺は生徒たちを振り返り、低く言い渡した。

 

 「フシグロ先生……」

 

 ハーマイオニーが不安そうに俺を見上げる。

 

 「安心しろ。あの影はもういねぇ。だが――次は本体をブッ潰すだけだ」

 

 俺は煙草を咥えたくなる衝動をこらえ、夜空を一度だけ見上げた。

 

 黒い雲の向こうにある月が、薄く滲んでいる。

 

 この夜の出来事が、ただの“始まり”であることを、俺は嫌でも感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息も絶え絶えに這い蹲りながら、クィレルはホグワーツの自室へと戻っていた。

 

 「フシグロ……!一体……なんなんだ……奴は……!ゴハッ!」

 

 呪詛にも似た声を吐き出した瞬間、喉の奥から黒く変色した血が噴き出し、床にべちゃりと音を立てて広がった。吐き出された血はただの血液ではなく、腐臭と冷気を伴い、じわりと床石の隙間へ染み込んでいく。

 

 クィレルの身体は震え、肩で息をしながら壁に手を突いた。脳裏には、伏黒甚爾の拳が自身の顔面を打ち抜いた瞬間が焼き付いている。あの肉体の重さと速さ――まるで“生きた兵器”そのものだった。

 

 あの場で逃げおおせたのは、ほとんど奇跡だった。殴られた瞬間、反射的に魔力を暴発させ、自らの身体を黒い霧へと変質させて上空へ退避した。それは闇の帝王の力を借りた、まさに一度きりの離脱だった。もう二度と同じ芸当ができる保証はない。

 

 「なぜ……なぜ……魔法も使わず……あの力……ッ」

 

 壁に背を預けるようにずるずると崩れ落ちる。呼吸は荒く、全身の感覚がまだ残る痛みで軋んでいる。甚爾の拳はただの殴打ではなかった。皮膚を貫き、骨を軋ませ、肉をえぐるような暴力。魔法使いとして生きてきたクィレルの人生の中でも、あれほどの“物理”を喰らったのは初めてだった。

 

 「奴は……ただの……教師じゃない……」

 

 呻き声のような声が漏れる。

 

 その瞬間、頭の奥底に冷たい声が響いた。

 

 『……我が僕よ……』

 

 ぞわりと背筋に冷たいものが走る。

 

 「……闇の……帝王……」

 

 クィレルは震える声で呟いた。背中から冷気が湧き上がるような感覚がし、次の瞬間、頭の後ろから何かがずるりと這い出してきた感覚がした。

 

 『情けない……たかが人間ひとりに敗れたのか……?』

 

 その声は嗤っている。感情がないのに、圧倒的な冷酷さと嘲りだけがはっきり伝わってきた。

 

 「……違います……!奴は……普通じゃ……ない……!」

 

 額から脂汗を垂らしながら、クィレルは両手で頭を押さえた。内側から、別の存在に締め上げられるような圧迫感がする。

 

 『言い訳か……あれほどの力……確かに……妙だな……』

 

 闇の帝王の声が低く、愉悦を含んだように囁く。

 

 『我が見た……あの男の動きは、魔法使いの領分ではない。あれは……殺しを生業にしてきた者の動きだ。』

 

 「……ひぃ……」

 

 クィレルの喉が鳴った。

 

 『いいか、我が僕よ。恐怖している暇などない。ユニコーンの血を飲んだことで、我が力は再び満ちつつある……だが、まだ完全ではない』

 

 「……はい……」

 

 『あの男は脅威だ。だが、同時に――利用価値もある』

 

 「な……にを……?」

 

 『あれほどの力、殺すには惜しい……いずれ……我が手の内に取り込むこともできよう』

 

 その言葉にクィレルの肩が震えた。伏黒甚爾を“取り込む”など、想像するだけで恐ろしい。あの男は魔法も使わずに黒い影を破壊した。ケンタウロスに匹敵する速度と、ドラゴンの爪のような攻撃力。もしそんな存在がヴォルデモートの側につけば――

 

 「……ですが、あの男は……」

 

 『わかっている。我が力を恐れぬ目をしていたな……それもまた良い。ああいう男は壊しがいがある』

 

 ヴォルデモートの声が、頭蓋の内側を滑るように這いずり回る。

 

 『今夜は休め。我が僕よ。次の手を打つのはすぐだ』

 

 クィレルはその場に崩れ落ちた。肩で息をしながら、全身を震わせる。

 

 黒い血が床に広がり、ランプの光を反射して鈍く光った。

 

 「フシグロ……許さない……絶対に……」

 

 その呟きは震えていたが、同時に憎悪の熱を孕んでいた。

 

 脳裏に、あの夜の森の光景が蘇る。ユニコーンの白銀の体、闇に飲まれていく命、そして血を吸おうとした自分の目前に立ちふさがった――あの男。

 

 冷たい目をして、迷いもなく殴りかかってきたその姿は、悪夢のようにこびりついている。

 

 クィレルは震える手で床を掴んだ。

 

 「やはり……この城に隠された()()()()を見つけるしかない……」

 

 クィレルは呻くように言葉を吐き出した。声は掠れ、胸の奥で煮えたぎるような焦燥と恐怖が混じっていた。

 

 ヴォルデモートの冷たい声が、また頭の内側を撫でるように響く。

 

 『そうだ……我が僕よ。石さえ手に入れば、我の肉体は完全に蘇る……そして……あの男も……粉砕できる』

 

 「……はい……必ず……見つけ出します」

 

 血の気が失われ、蒼白になった顔のまま、クィレルは壁に手をつきながら立ち上がった。指先が震えている。それでも、彼の眼だけは妙な光を帯びていた。

 

 ヴォルデモートの声は、その光にさらに油を注ぐように甘く囁く。

 

 『我が与えた力、無駄にするな……あの男はただの障害ではない。石への道筋を狂わせる“異物”だ……排除しろ』

 

 「ええ……わかっています……!」

 

 呻くような声で答えると、クィレルは震える足で机に近づき、積み上げられた本と紙束をかき分けた。その奥には、こっそり集め続けた()()()()に関する断片的な資料が隠されている。

 

 「……いよいよだ」

 

 かすかな狂気を帯びた笑みが、その蒼白な顔に浮かんだ。

 

 闇は、着実に動き出していた。

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