ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第二話

 

 

 

 

 やっと着いた。

 

 ガキ共のキーキーうるせぇ声を聞きながら数時間。俺の神経はもう限界寸前だった。誰かがペットの蛙を逃がしたとかで別の個室が騒ぎ立てていたし、車内を走り回るガキもいれば、変な呪文を唱えて遊ぶ馬鹿もいた。列車の狭い通路に子供特有の甲高い笑い声が反響し、まるで拷問室みたいな空間になっていた。

 

 窓の外に目をやると、すでに日は沈み、夜が降りている。列車の外灯が霧を照らし、冷たい空気が揺れていた。列車が速度を落とし、車輪のきしむ音が耳に刺さる。

 

 ホグズミード駅。

 

 ホグワーツ魔法魔術学校の最寄り駅だ。

 

 汽笛が鳴ると同時に列車が停車し、ガキ共が我先にと立ち上がる。ローブの裾を踏んで転ぶ奴、ペットを抱えてよろめく奴、杖をぶん回して仲間にぶつける奴……まさに地獄絵図。

 

 俺は立ち上がり、さっさと個室を出た。ガキ共?そんなの知らん。

 

 通路はもう満員で、押し合いへし合いの大渋滞。列車が完全に止まる前からドアに張り付くガキまでいる。俺はその肩を片手で軽く押しただけで、そいつはバランスを崩して吹っ飛んだ。

 

 「な、なにするんですか!」

 

 「邪魔だ」

 

 短く言い捨て、ドアを押し開ける。冷たい夜気が顔に当たり、喧噪が一瞬遠のいた。

 

 ホームに降り立つと、夜の空気が肺の奥まで染み込んだ。山間の村の空気は冷たく澄んでいて、都市の淀んだ空気とはまるで違う。闇の奥ではフクロウの鳴き声が響き、ランタンの光が石畳をぼんやりと照らしていた。

 

 ポケットから例の手紙を取り出す。ホグワーツから送られてきたものだ。厚手の羊皮紙には、独特の魔力の痕跡が染み込んでいる。

 

 「教員は生徒とは違うルートを使え、か」

 

 生徒たちは、デカい半巨人に連れられて湖をボートで渡るらしい。だが俺はその必要はない。手紙には、教師専用の道順が細かく書かれていた。

 

 「……ふん、面倒な真似しやがって」

 

 俺は肩を回しながら、駅舎の脇にある古びた石橋へと歩き出した。ガキ共が列になって湖の方へ歩いていくのを横目に見ながら、俺は人混みを避けるように進む。

 

 山の夜は思っていた以上に冷える。吐いた息が白く霧に溶けていく。踏みしめる石畳は冷たく、苔と湿気で滑りやすい。風の音が森の木々を鳴らし、ガサリと枝葉が揺れる音が妙に耳についた。

 

 「相変わらず……魔法界の夜は陰気くせぇな」

 

 闇の中、湖の水面がちらりと光った。月が雲間から覗き、静かな光を落としている。普通の人間なら、この夜景を“幻想的”とでも評するんだろうが、俺にとってはただの湿った山の夜だ。

 

 湖のほとりを抜け、教員専用と記された小道に入る。道は急な石段になっており、上り始めた途端、背後から鳥の羽ばたきが聞こえた。振り返ると、一羽のフクロウが俺の肩のあたりを掠めて飛んでいく。

 

 「ちっ、驚かせやがって」

 

 石段を上るにつれ、空気がさらに冷たくなる。森の奥では夜行性の魔法生物が動き出しているのだろう、時折低いうなり声のような音が響いていた。普通の教師ならビビる場面だろうが、俺にとってはこの程度、散歩みたいなもんだ。

 

 途中、道の脇に妙な気配を感じた。

 

 ぬらりとした魔力の波。地面を這うような、濁った匂い。

 

 「……呪いの匂い、か」

 

 俺は足を止めた。森の影の中から、犬のような形をした魔法生物が二匹、こちらを睨んでいた。牙を剥き、黒い煙のような体が揺れている。警備用の魔法生物か、それとも野生か。

 

 「吠えるなよ。面倒だ」

 

 腰を落とし、わずかに構える。奴らの足が一歩でも前に出た瞬間、俺の手は反射的に動くよう訓練されている。

 

 犬型の魔物が低く唸り声を上げる。口の中に見える牙が、不気味に光を反射した。だがその目は、俺の視線を受けた瞬間、わずかに怯えたように揺れた。

 

 「よし、話がわかるじゃねぇか」

 

 一歩、二歩と俺が近づくと、魔物は森の奥へと逃げていった。

 

 「相手を間違えるなよ」

 

 ポツリと吐き捨て、再び石段を登る。

 

 やがて森を抜けると、視界が開けた。

 闇の向こうに、巨大な影がそびえている。

 

 ホグワーツ城。

 

 黒々とした夜の中に浮かぶ巨大な城は、ランタンや松明の光を点々と灯し、まるで生き物のように息づいている。塔の先端が霧を貫き、石造りの壁には長い歴史の重みが滲んでいた。

 

 「……これがホグワーツ、ねぇ」

 

 初めて見るわけじゃねぇ。禪院家の蔵書で、何度も名前を聞いたことはある。呪術と違い、魔法は世界的な広がりを持つ。ホグワーツは、その中心にある象徴の一つだ。

 

 だがこうして実物を目にすると、思っていた以上に“重い”。

 

 ――これは、戦場の空気なんかじゃない。

 

 空気そのものに染みついている“呪いの匂い”だ。長い年月が積み重なり、澱のようにこの城を覆ってやがる。

 

 俺はポケットに手を突っ込み、夜風をまともに受けながら石橋を渡った。

 

 この城は、生半可な連中が踏み込んでいい場所じゃねぇ。

 そんな確信が、足を進めるごとに強くなる。

 

 「さて……本番ってわけか」

 

 俺はフードを軽く直し、ゆっくりと鉄の門をくぐった。

 

 夜のホグワーツは、静かで、そして――ぞっとするほど、よく“呪って”いた。

 

 そうしてホグワーツに着くと、教員入り口の鉄扉の前に人影が立っていた。

 

 夜霧の向こう、ランタンの光に照らされて浮かび上がったその姿は、まさに“魔法使い”の典型だ。とんがり帽子に、腰まで伸びた白銀の髪と髭。目の奥に光を宿した老魔法使いが、まっすぐこちらを見て立っていた。

 

 「ミスター・フシグロ、よく来た」

 

 「……お前は、アルバス・ダンブルドアだな」

 

 アルバス・ダンブルドア。

 魔法界では知らぬ者のいない名であり、呪術界でもその名は耳にするほどの“異端の魔法使い”だ。俺も一度、その名を呪術界の古文書で見たことがある。対ヴォルデモートの主戦人物、そして現ホグワーツ校長。

 

 「さよう、わしはアルバス・ダンブルドア。ホグワーツの校長じゃ。そしておぬしの雇い主でもある」

 

 「そうかい」

 

 俺はダッフルバッグを肩に掛けながらゆっくりと近づいた。

 ダンブルドアの背後には、重厚な鉄扉がそびえ立っている。表面には細かい装飾が彫り込まれ、魔力の結界がびっしりと張り巡らされているのが肌で分かる。

 

 ただのドアじゃねぇ。

 この扉には、触れただけで血と魔力を読み取り、条件に合わなければ弾き飛ばす“防衛魔術”が仕込まれている。禪院家の結界術にも似ているが、こちらはもっと“ねっとり”している。

 

 「夜道を一人でここまで来たのかね」

 

 「ガキ共と一緒に行く気にはなれなかった」

 

 「ふむ……君らしい」

 

 何が“君らしい”だ。こいつ、初対面のくせにやたら人の性格を読んでくる。

 

 「本当は案内役を出す予定じゃったがね。フクロウが君の返事を運んできたとき、わしはこう思ったのじゃ。『ああ、この男は一人で来る』とな」

 

 「……占いでもしてたのか」

 

 「長く生きていると、わかることもあるのじゃよ」

 

 そう言って、ダンブルドアはゆっくりと鉄扉に手をかざした。青白い光が扉全体を包み込み、重たい錠がカチリと音を立てて外れる。その光は一瞬、夜霧を裂くように広がり、静かに消えていった。

 

 「ようこそ、ホグワーツへ」

 

 その声は柔らかい。だが――空気の奥に、もっと別の匂いが混じっていた。

 

 ――呪いの匂いだ。

 

 この学校には、長い年月の中で染み込んだ“澱み”がある。魔力と同じくらい濃く、どす黒い呪いが漂っている。鼻の奥がざらりと痺れるような、馴染み深い感覚。

 

 「……なかなか陰気な城だな」

 

 「そうかね? 多くの者はこの城を“暖かい”と言うのだが」

 

 「鼻が利くんでな」

 

 俺は肩をすくめて、開いた扉の向こうへと一歩踏み込んだ。

 

 石造りの廊下はひんやりと湿っていて、壁に取り付けられた松明が橙色の光を揺らめかせている。床には古い魔法陣のような紋様が刻まれ、魔力の痕跡が何層にも染み込んでいる。歩くたびに靴底に石の軋む音が伝わり、夜の静けさに妙に響いた。

 

 「君には“特別な役割”を頼みたい」

 

 ダンブルドアの声が、ゆっくりと廊下に響く。

 

 「俺に魔法は教えられないぞ。呪術もな」

 

 「知っておる。君が魔法使いではないことは、最初から承知の上じゃ」

 

 ダンブルドアは淡々と歩きながら、背中越しに続けた。

 

 「だが、だからこそ君が必要なのじゃ。君の“立ち位置”は、この学校の誰とも違う」

 

 「曖昧な言い回しだな。はっきり言えよ」

 

 「戦いのとき、君は“外”の存在だ。魔法にも、呪いにも属さない。その異質さが、この城にとっての防波堤になる」

 

 「……防波堤ねぇ」

 

 俺は鼻で笑った。要するに、俺は何かが起きたときの“処理屋”ってことだ。教師なんて肩書きはただの飾りにすぎない。

 

 「それと――わしは、この城の空気が君に合うと思っておる」

 

 「……お前、なんでも分かったような口きくな」

 

 「長く生きると、な」

 

 またその台詞だ。ジジイの癖に、随分としたたかだな。

 

 廊下を抜けると、ホールへと続く広い石段が現れた。高い天井には燭台が無数に浮かび、火がゆらゆらと宙を漂っている。魔力の濃度がさらに増すのを肌で感じた。

 

 「――この城、何かいるな」

 

 俺の言葉に、ダンブルドアが足を止める。

 

 「おや、やはり感じ取れるか」

 

 「空気がざらついてる。呪いが染みついてる感覚だ」

 

 「さすがじゃな。君のような人間でなければ気づかぬ」

 

 「……歓迎ムードじゃねぇ」

 

 「この城が君を拒んでいるわけではない。ただ――“何か”が、うごめいておる」

 

 その言い方はやけに穏やかだった。だが、その内容は穏やかじゃない。

 

 俺は床に靴底を強く押しつけ、軽く踏み鳴らした。石の音が、静かな廊下を低く響き渡る。

 

 「……いいぜ。どうせ俺は、こういう空気じゃねぇと落ち着かねぇ」

 

 「それは幸いじゃ」

 

 「で?俺の部屋はどこだ」

 

 「東棟の三階じゃ。君のために個室を用意しておいた。寮には入らなくてよい」

 

 「助かる」

 

 「……それと、明日の朝には他の教員に紹介する。職員会議にも出てもらう必要がある。すぐにでも、君には“教師”として立ってもらわねばならん」

 

 「……ふん。教師ねぇ」

 

 ローブを翻すダンブルドアの背中を見ながら、俺は小さく息を吐いた。教師なんて柄じゃねぇ。けど、俺にとっては関係のねぇことだ。金さえもらえりゃいい。

 

 「……あぁそうそう、ミスター・フシグロ」

 

 「なんだ」

 

 「この城では、鼻が利きすぎると眠れぬ夜が増えるぞ」

 

 「脅しか?」

 

 「忠告じゃ」

 

 そう言ってダンブルドアは立ち止まり、ふっと笑った。その目の奥――あの老いぼれの瞳には、戦場をいくつもくぐってきたやつ特有の光が宿っていた。

 

 「ようこそ、ホグワーツへ」

 

 重たい言葉だった。

 

 ――この城には、確かに“何か”がいる。

 

 空気そのものに染み込んだ呪いの匂い。

 まるで城そのものが生き物みたいに、俺を観察している。

 

 「……悪くねぇな」

 

 俺はわずかに口角を上げ、重い空気を踏みしめながら階段を上っていった。

 

 「あぁそうじゃそうじゃ、数分後に大広間で入学式と組み分けの儀、そして宴がある。生徒たちに紹介する必要があるから必ず来るようにの」

 

 階段を上がる途中、杖を軽く床に突きながらダンブルドアが振り返った。浮遊する燭台の光がその横顔を照らし、白銀の髭がゆらりと揺れる。

 

 「……チッ、分かったよ」

 

 舌打ちが自然と漏れた。

 生徒の前で紹介されるとか、性に合わねぇ。注目されるのは得意じゃねぇし、そもそも教師の真似ごとなんざ俺の柄じゃねぇ。

 

 「心配するでない。君が何か喋る必要はない。ただ立っておればよい」

 

 「……そういうのが一番面倒なんだよ」

 

 「ふふ、そういう顔をされると思っておったよ」

 

 ジジイは相変わらず飄々としてやがる。まるで、全部俺の反応を知っているかのような話し方だ。

 

 「……何笑ってやがる」

 

 「いやなに、こうして君がこの城の階段を上っている姿を見ておると、少しばかり若い頃を思い出しての」

 

 「……誰の話だ」

 

 「昔の()()じゃよ。君に少し、似ておる」

 

 「気味の悪いこと言うな」

 

 俺は手すりに肘を掛け、上階へと足を進めた。階段は思った以上に長く、石造りの壁は外気を吸い込んだみたいに冷たい。上へ行くにつれて魔力の濃度がわずかに高まり、城そのものが呼吸しているみてぇだ。

 

 「それと、君の席も用意しておいた。教員席の一番端じゃ」

 

 「……隅っこか」

 

 「君にぴったりじゃろ?」

 

 「うるせぇよ」

 

 軽口を叩くジジイに、心底ため息を吐きたくなった。

 けど――この階段を登るたびに、皮膚にまとわりついてくる“呪い”の匂いが濃くなる。

 

 これはただの学校じゃねぇ。

 

 「……なんか、いやに城全体がざわついてねぇか」

 

 「気づいたか。さすがじゃ」

 

 「俺は鼻が利くんだよ。お前がさっき言った“何か”ってやつ、もう動き始めてるんじゃねぇのか」

 

 ダンブルドアは目を細め、ゆっくりと歩を進めた。

 

 「さぁ、どうかの。いずれにせよ――君がここにいるという事実、それが大きな意味を持つ」

 

 「勝手なこと言いやがって」

 

 「君は、わしらの世界にとって“異物”じゃ。異物は、ときに均衡を壊し、ときに守る。今夜はただ、姿を見せるだけでよい」

 

 「……あぁもう、めんどくせぇ」

 

 階段を登りきると、広い廊下に出た。壁には鎧の騎士像がずらりと並び、どいつもこいつもこちらを見ているような気がして気味が悪い。いや――実際、目がわずかに動いてやがる。

 

 「おい、今動いたぞ」

 

 「ここの鎧は魔法仕掛けじゃ。敵が侵入すれば戦う。安心するがよい、味方には手を出さん」

 

 「……敵ってのは、どこから来るんだ?」

 

 「それを見極めるのも、君の仕事じゃよ」

 

 ダンブルドアは軽く笑って廊下を進んでいく。その背中を見ながら、俺は一瞬、自分がとんでもねぇ場所に足を踏み込んだことを再確認した。

 

 ――教師なんて肩書きは、やっぱり建前だ。

 

 本当の仕事は、もっと厄介なことになる。

 

 「……で、大広間はどこだ」

 

 「この先じゃ。君は入場の少し後に来い。タイミングはこちらで調整する」

 

 「なんでそんな演出みたいな真似を」

 

 「見た目は大事じゃ。君のような人間は“印象”で多くを決められる。……君は少し()()()()からの、静かに入った方がよい」

 

 「……俺をなんだと思ってやがる」

 

 「救世主ではないが、脅威には見えるじゃろう?」

 

 「ふざけんな」

 

 舌打ちをしながら、俺は廊下の壁に背を預けた。

 ダンブルドアはあくまで穏やかな顔で、まるで何百年もこうやって人を転がしてきたような空気をまとっている。

 

 「……ミスター・フシグロ」

 

 「なんだ」

 

 「この城は、“君を歓迎している”とは限らん。しかし、“見ている”ことは確かじゃ」

 

 その声が妙に静かだった。

 

 「……言い方が気味悪ぃな」

 

 「ふふ……そうかもしれんの」

 

 俺は視線を大広間の扉の方へ向けた。重厚な木の扉が、まるで巨大な怪物の口みたいに見える。そこから、子供たちの騒ぎ声が微かに漏れていた。

 

 宴とやらが始まれば、この空間に踏み込むことになる。

 ガキ共と教師共――そして、この城全体の目の前に、俺が立つ。

 

 「……はぁ、クソ面倒だ」

 

 肩を鳴らし、俺はゆっくりと大広間へ向かって歩き出した。

 足元に響く靴音が、夜の静寂の中でやけに鮮明だった。

 

 ――どうせ俺は、この城でも異物だ。

 それなら、それでいい。

 

 「……仕事は仕事だ」

 

 静かにそう呟き、俺は重たい扉の前に立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伏黒甚爾がアルバス・ダンブルドアの案内でホグワーツへと入った数分後。

 

 大広間には、新入生と在学生、そして教員たちがすでに集まっていた。

 

 天井には夜空がそのまま映し出され、満天の星々が煌めいている。無数の蝋燭が宙に浮かび、橙色の柔らかい光が石造りの壁や床を優しく照らし出していた。ホールを埋め尽くす声と熱気は、これから始まる式典への期待で満ちている。

 

 教員席は大広間の最奥に設けられ、中央にはダンブルドアがゆったりと腰を下ろしていた。その両脇には各教科を担当する教員たちが並び、視線を新入生の列へと向けている。

 

 その喧噪の中、誰にも気づかれぬまま一人の男が音もなく教員席に入った。

 

 伏黒甚爾だった。

 

 歩く音もなく滑るように入場した彼の姿を察知したのは、教員席の中央に座るダンブルドアただ一人だった。彼は目元をわずかに緩めて頷き、それ以上何も言わなかった。

 

 甚爾は迷うことなく一番端の席に腰を下ろす。

 その隣には、ターバンを頭に巻いた痩せた男――クィリナス・クィレルが座っていた。新学期から「闇の魔術に対する防衛術」を担当する新任教員だ。

 

 クィレルは落ち着かない様子で、ちらちらと甚爾の横顔を盗み見ていた。

 

 圧倒的な体格差。

 獣のような鋭い眼光。

 

 そのすべてが、彼にとっては耐えがたい威圧だった。ターバンの下から汗がにじみ、喉仏が小さく上下している。

 

 「……なにジロジロ見てる」

 

 低く鋭い声が、テーブルの上に沈み込むように響いた。

 

 クィレルはビクリと肩を震わせ、思わず椅子を数センチ後ろに引いた。

 

 甚爾はわずかに目を細め、その男をじっと観察する。

 その視線の奥には、冷たい“勘”が宿っていた。

 

 ――この男、ただの人間じゃないな。

 

 クィレルの身体の内側に、薄い膜のような“異質な気配”が貼り付いているのを感じ取ったのだ。それは普通の魔法使いが纏う魔力とは明らかに違う。もっと深く、もっと濁った……呪いにも似た、得体の知れないもの。

 

 「……気味の悪いやつだ。俺の仕事の邪魔はするなよ」

 「ヒィッ」

 

 甚爾が吐き捨てるように言うと、クィレルは言葉にならない音を喉の奥で漏らし、視線を慌てて逸らした。

 

 その瞬間、壇上でダンブルドアが立ち上がる。

 

 静まり返った大広間に、ミネルバ・マクゴナガルの澄んだ声が響いた。

 

 「これより組み分けの儀を始めます!」

 

 列になった新入生たちが緊張の面持ちで歩みを進める。壇上には古びた椅子と、深い皺の刻まれた帽子――組み分け帽子が置かれていた。帽子からは長い年月を経て染み付いた魔力がゆっくりと滲み出しており、その存在感はただの道具の域を明らかに超えていた。

 

 生徒たちは名前を呼ばれるたびに前へ進み、帽子を被り、次々と寮へと振り分けられていく。

 

 「グリフィンドール!」

 

 「レイブンクロー!」

 

 「ハッフルパフ!」

 

 それぞれの寮のテーブルから大きな拍手と歓声が上がる。

 

 伏黒甚爾はその光景を、無表情のまま眺めていた。

 誰もがこの儀式に胸を高鳴らせている中、彼だけが冷めた眼差しを崩さなかった。

 

 そのとき、列の後方に黒髪とメガネの少年の姿が見えた。

 

 ハリー・ポッターだった。

 

 列のすぐ隣には、赤毛の少年――ロン・ウィーズリーの姿もある。彼らは列車で甚爾と同じ個室に乗り合わせていた少年たちだ。

 

 「ポッター、ハリー!」

 

 マクゴナガルの声が広間全体に響いた瞬間、在学生たちがざわついた。

 まるで伝説の登場を目撃したかのような空気が、一斉に会場を包む。

 

 ハリーは固い表情のまま壇上に歩み出た。

 帽子を頭に被せられた瞬間、帽子の縫い目がぴくりと動き、小さな囁きが空気に混ざる。

 

 他の教師や生徒には聞こえない。だが、伏黒甚爾にははっきりと“濁った音”として届いていた。

 

 ――あの帽子、ただの魔法道具じゃない。

 

 それは呪具に近い“質”を持っていた。

 長い年月を経て人間の意志と魔力が混ざり合い、まるで生きているかのような空気を放っている。

 

 「グリフィンドール!」

 

 帽子が叫び、大歓声が広間を揺らす。

 

 次に呼ばれたのはロン・ウィーズリー。

 少年は少し足をもつれさせながら壇上へ上がり、帽子を被る。

 

 「グリフィンドール!」

 

 再び歓声が響き、グリフィンドールのテーブルが大きく沸いた。

 

 伏黒甚爾は椅子にもたれ、無言でその光景を見ていた。

 

 目の奥にはわずかな警戒心と観察の色が浮かんでいる。

 

 この場の誰も気づいていない。広間の奥――この城全体に漂う“澱んだ気配”を、彼だけが鋭く感じ取っていた。

 

 ――この城には、何かがいる。

 

 それは生徒でも、教師でもない。

 もっと深く、底の方に沈んだ何か。

 

 組み分けの儀式が続く中、ダンブルドアは中央の席から静かに甚爾を見やっていた。

 まるでこの場のすべてを見透かしているような目で――。

 

 そうして組み分けの儀が全て終わると、アルバス・ダンブルドアがゆっくりと壇上に上がった。

 

 夜空の天井を背景に、白銀の髭を揺らしながら立つその姿は、まるでこの空間そのものを支配しているようだった。浮遊する蝋燭の光が彼のローブに反射し、厳かでありながらも温かみのある空気が広がっていく。

 

 「まず注意事項を言っておこうかの」

 

 その声は穏やかだが、大広間を埋め尽くす生徒たち全員の耳に明確に届いた。

 

 「新入生の諸君、暗黒の森に入ってはならんぞ。立ち入りは禁止じゃ。管理人のアーガス・フィルチも強く警告しておる。それと……“3階の廊下に近寄らぬこと”とな。もし破れば……もがき苦しむ死が待っておる」

 

 一瞬、大広間の空気がピンと張り詰めた。

 ダンブルドアは微笑んでいるにもかかわらず、その言葉には冗談では済まされない圧が潜んでいた。

 

 「――そして、もう一つ」

 

 アルバス・ダンブルドアの声が大広間に響き渡った。

 

 暗黒の森への立ち入り禁止について話し終えた直後だった。

 

 生徒たちの間には、張り詰めた空気と浮き足だったざわめきが混ざり合い、夜空を映す天井の下で細い波紋のように広がっていく。

 

 ダンブルドアはゆっくりと席から立ち上がった。

 長い銀髪と髭が揺れ、手元の杖がテーブルを軽く叩くと、場のざわめきが次第に収束していった。

 

 「今学期から、ホグワーツには新たな教員が加わることになった」

 

 その言葉に、生徒たちの視線が一斉に壇上へと向かう。

 

 教師が増えるなど珍しいことではない。だが、この場に漂う空気には、いつもとは違う好奇と警戒の匂いが混ざっていた。

 

 「体育を担当する――ミスター・トウジ・フシグロじゃ」

 

 その一言で、大広間はざわめきに包まれた。

 ただの新任教員紹介とは明らかに空気が違う。

 それは“理解できない異物”へのざわめきだった。

 

 長い教員席の端に座っていた甚爾が、無造作に椅子を押しのけ立ち上がる。

 黒いシャツに白いワイドパンツという、魔法使いらしからぬ格好。

 整えられてもいない黒髪、鋭い目つき、引き締まった筋肉質の体躯。

 その姿は、ローブを羽織った教員たちの中で異様なまでに浮いていた。

 

 しかし――その異様さこそが、生徒たちの視線をすべて奪った。

 

 「フシグロだ」

 

 たったそれだけの声。

 

 だがその低く重い声が、石造りの広間に鈍く響き、生徒たちの背筋をわずかに震わせた。

 

 最初に反応したのは男子生徒たちだった。

 特にグリフィンドールとスリザリンの連中が顕著だ。

 

 「な、なんだあの雰囲気……」

 「こえぇ……」

 「いや、あれは……やべぇだろ……」

 

 無意識に椅子を引き、身を引くような反応を見せる男子が続出する。

 杖を握りしめる者もいれば、ただ口を開けて動けなくなる者もいた。

 彼らが感じたのは“強さ”ではなく、もっと原始的な恐怖だった。

 

 生徒にとって“教師”とは権威であり、同時にある程度は安全な存在だ。

 だが、目の前に立つこの男からは、そのどちらも感じられなかった。

 立っているだけで、空気が軋み、視線が肌を裂くように鋭い。

 まるで野生の獣が檻もなく放たれているようだった。

 

 そして、その一方で――女生徒たちの反応はまるで違った。

 

 「……かっこいい……」

 「なんか、ちょっと……やばい」

 「目が合った気がする、死ぬ」

 

 頬を染め、息を呑むような声が、あちこちから漏れ始める。

 

 緊張が空気に滲む一方で、女子たちの中には興奮すら帯びた空気が広がっていった。

 

 甚爾は、もともと“ヒモ”として生きてきた男だ。

 

 他人の視線を惹きつけ、女を惚れさせ、金を巻き上げる――それは呼吸と同じくらい自然なことだった。

 

 本人にそのつもりがなくても、立っているだけで“匂い”が出る。

 荒んだ獣のような空気と、無造作な色気。

 少女たちはその匂いに本能的に惹き寄せられていた。

 

 特にスリザリンの上級生女子たちが露骨だった。

 ローブの襟元を指で弄びながら目を細め、ささやき合っている。

 

 「……ねぇ、あの人……教師なんでしょ?」

 「見た?あの腕……」

 「私、ああいうタイプ……すごく好き」

 

 「体育」という聞き慣れない言葉への戸惑いよりも、目の前の“男”そのものに意識が向いていた。

 

 その無遠慮な視線にも甚爾は反応しない。

 

 「以上じゃ。では――宴を始めよう」

 

 パン、と軽やかな音を立てて手を叩いた瞬間、全てのテーブルの上に料理が一斉に現れた。

 

 驚嘆と歓声が大広間を包み込む。

 空っぽだった皿に、次々と料理が盛られていく様は、まるで空気そのものが形を変えていくようだった。湯気が立ち上り、香ばしい匂いが一斉に鼻孔をくすぐる。

 

 端の席に座っていた伏黒甚爾も、その瞬間を目にしてわずかに目を細めた。

 

 「……へぇ」

 

 小さな声だったが、彼の中では確かな驚きがあった。

 呪術では、構築式や付与された術式によって発現するものが多い。だが、今目の前で起きたのは、まるで“空間そのもの”が無理なく捻じ曲げられ、そこに現実として置き換わったかのような“魔法”だった。

 

 「美味そうだが……身体には悪そうだな」

 

 テーブルの上に並んでいるのは、こってりとした肉料理や揚げ物、グレイビーソースがたっぷりかかったローストポテト、肉汁の染み込んだソーセージ、色とりどりのパイ……茶色系統の料理ばかりだ。見た目のインパクトは強いが、栄養バランスという言葉はどこか遠くに行ってしまっている。

 

 学生たちは大声で笑いながら皿を取り合い、盛り付け、隣と話し込みながら口いっぱいに食べ物を詰め込んでいる。教員席の方でも、いくつかのテーブルから穏やかな笑い声が響き始めた。

 

 伏黒甚爾は、フォークを手に取るでもなく、ただ目の前の料理をしばらくじっと観察していた。

 

 ――やっぱり、呪術とは根本から違うな。

 

 この魔法の“質感”は、異様なほど滑らかで自然だ。まるで魔法が“世界のルール”の一部として溶け込んでいるような錯覚すら覚える。

 

 「……あれだけの量、全部支えてる魔力はどこから来てんだ。六眼持ちでもいやがんのか?」

 

 ぼそりと呟いた言葉は、隣に座るクィリナス・クィレルの耳には届かなかったらしい。クィレルは落ち着きのない様子でスプーンを握りしめ、ちらちらと甚爾を盗み見るだけで精一杯だった。

 

 やがて、生徒たちの間にざわめきが広がった。

 中央のテーブルでは、ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーが、楽しげに話しながら皿に山盛りの料理を積み上げている。周囲の新入生たちも笑顔を浮かべ、次々と手を伸ばしていた。

 

 「……あいつらか」

 

 甚爾は小さく息を吐き、そっと視線を彼らの方に向けた。

 組み分け帽子のときに感じた、あの帽子に染みついた“濁った気配”が、今もまだ微かに漂っている。

 

 ――この学校には、何かが確実にある。

 

 宴の喧騒とは裏腹に、その違和感は甚爾の中でじわりと形を持ちはじめていた。

 

 教師たちの席では、それぞれが生徒を見渡しながら軽く言葉を交わしている。マグル学担当の教員が朗らかに笑い、セブルス・スネイプは無言でワインを揺らしながら鋭い視線をあちこちに走らせていた。

 

 一方、甚爾は杯にも料理にも手をつけず、ただ静かに場を見ていた。

 笑い声と香ばしい匂いの渦中で、彼だけが一歩引いた位置に立っているようだった。

 

 「ミスター・フシグロ、食べぬのかね」

 

 ダンブルドアが穏やかな声で問いかけた。

 

 「……いや、少し様子を見てるだけだ」

 

 「ふむ、警戒心が強いのは良いことじゃ」

 

 「……褒め言葉に聞こえねぇな」

 

 ダンブルドアは目尻に笑みを浮かべ、杯を軽く掲げた。

 

 生徒たちは皆、ただ食事と再会を楽しんでいる。

 教師たちは、その様子を温かく見守っている。

 

 ――だが。

 

 伏黒甚爾の視線の先、城全体を包む“呪いの匂い”は、まったく消える気配がなかった。むしろ、宴の熱気に紛れるようにして、じわじわと濃さを増している。

 

 「……見えないだけで、何かが動いてるな」

 

 甚爾の独白に気づいた者はいない。

 

 外では冷たい夜風が吹き、遠くの湖面が月光を反射していた。

 城の奥深く――何かが微かに蠢く音が、確かにあった。

 

 宴は賑やかに進んでいく。

 だが、伏黒甚爾の瞳だけは、どこか別の場所を見据えていた。

 

 この城の“表”と“裏”を嗅ぎ分ける嗅覚が、すでに働き始めていた。

 

 一方、伏黒甚爾の隣に座るクィリナス・クィレルは、宴の最中ずっと落ち着きを失っていた。

 

 皿の上に並ぶ豪勢な料理など、彼の目にはまるで入っていない。視線は右隣――甚爾の動きに釘付けだ。

 

 ほんの少し肩が動くだけで、クィレルの喉がピクリと震える。息を呑む音がやけに大きく響いた。

 

 ――落ち着け……気づかれるな……。

 

 彼は心の中で何度も唱えていた。

 ターバンの下に潜む“主”の存在を悟らせまいと、全身の神経を張り詰めている。

 

 額からにじみ出る汗を袖で拭うことさえ、彼には恐ろしくてできなかった。

 

 甚爾が、ゆっくりとフォークに手を伸ばす。

 

 ただそれだけで、クィレルはビクリと身体を大きく震わせた。手にしていたスプーンを落としそうになり、慌てて握り直す。周囲の教員が談笑する中、ひとりだけ異常な緊張感を漂わせている男がそこにいた。

 

 ――なんで……この男から、こんな圧が……。

 

 それは理屈ではなかった。魔力を感じたわけでも、殺気を察知したわけでもない。

 ただ座っているだけで、周囲の空気がねじ曲がるような“異質さ”をこの男は纏っていた。

 

 そして、その警戒は間違いではない。

 

 伏黒甚爾は天与呪縛――“フィジカルギフテッド”と呼ばれる特異体質を持って生まれた。

 呪力が一切存在しない代わりに、常人が到底理解できないほどの身体能力と五感を備えている。

 

 呪力を認識できないにもかかわらず、その気配を嗅ぎ取り、感知し、反応できる。

 目に見えない呪霊の輪郭を、魂の震えだけで正確に掴み取る。

 

 呪術師にとって、それは理不尽の象徴だった。

 

 領域展開。

 呪術の極致と呼ばれるその術式の必中効果でさえ、この男には通用しない。

 

 なぜなら――彼には“術式が通る”ための基盤となる呪力そのものが、存在しないからだ。

 

 その内側には、空洞のような“無”が広がっている。

 

 何を展開しようとも、何を仕掛けようとも、この男には届かない。

 そして、素知らぬ顔のまま、その術師を斬り伏せる。

 

 ――殺し屋の本能と、呪いに抗う肉体。

 

 クィレルの“主”もまた、それを肌で感じ取っていた。

 ターバンの内側――後頭部に潜む気配が、ひやりと冷たく沈黙する。

 

 今、目の前にいる男は――ただの魔法界の教師ではない。

 

 「…………」

 

 クィレルは唾を飲み込んだ。喉の音が、自分でも驚くほど大きく響いた。

 

 甚爾は一切、彼に視線を向けない。

 まるで周囲の全てがどうでもいいとでも言うように、フォークを手にしたまま、目の前の料理をじっと観察していた。

 

 ――やめろ……こっちを見るな……。

 

 ほんの一瞥。

 たったそれだけで、自分の内側にある“何か”が暴かれてしまう。

 

 クィレルの背筋には、冷たい汗が伝っていた。

 

 そして伏黒甚爾は、依然としてその存在を気にも留めず、夜の宴を静かに観察していた。

 まるで、戦場の真ん中に一人で立っているかのような圧倒的な“静”を纏いながら――。




甚爾「……見えないだけで、何かが動いてるな」

屋敷しもべ妖精「バレてる!?!?」
ゴースト「なんだアイツ!?」
ヴォルデモート(後頭部)「!?!?!?」
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