ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第五話

 

 

 

 

 

 4年生の授業が始まった。中庭に出てきた連中の顔を見た瞬間、俺は口の端を吊り上げた。こいつらは去年から鍛え続けてきた連中だ。まだまだ甘いが、初年度のように泣き喚くことはない。特に後方でふざけ合っている双子――フレッドとジョージの顔を見るだけで、俺のやる気が湧いてくる。

 

 「よし、じゃあ授業始めるぞ。お前らは4年生になったからな。少し厳しめにいくぞ」

 

 俺の声が中庭に響いた瞬間、ざわついていた連中がピタリと静まる。

 

 「げっマジかよ〜」

 「そりゃないぜ〜」

 

 後ろで双子がいつもの調子で文句を言った。アイツらは背が高く、どこにいても目立つからすぐわかる。俺は鼻で笑った。

 

 「4年の中に昨日、列車で窓から呪文を連射してたやつがいるだろう。文句はそいつに言え」

 

 「誰だ!?」「マジか」生徒たちの間にざわめきが広がる。もちろん本気で探す必要はない。これはきっかけでしかない。俺は顎を軽くしゃくって続けた。

 

 「犯人探しは勝手にやれ。今日の授業はほんの少しばかり趣向を変える。いつも使ってない杖を()()()()()に使わせてやる」

 

 「え!?」声が一斉に上がった。普段の体育の授業では杖の使用は禁止だ。それを使えるとなれば、生徒たちは一瞬だけ顔を輝かせた。もっとも、その顔はすぐに絶望に変わるんだがな。

 

 「その杖を使って俺に一撃でも当ててみろ。呪文でもなんでもいい。石を浮かせて飛ばしてもいい」

 

 俺は軽く首を鳴らし、不敵に笑った。

 

 「もし当てられなかったら筋トレだ。じゃあ始め」

 

 生徒たちが一斉に杖を構える。やる気と不安の入り混じった空気。4年ともなれば、それなりに呪文も強化されてきているが、俺にとっちゃ大差ない。

 

 最初に前に出たのは小柄な男子だった。杖を振るい、石を浮かせて俺に向けて放つ。悪くない。狙いは腰の高さ。だが、重心が上がっている。俺は半歩踏み込み、手の甲で弾いた。石はコースを逸れて地面を転がる。

 

 「次」

 

 間髪入れず次の生徒が呪文を放つ。青い閃光が俺に迫るが、体をひねってかわし、足元を取ると逆に踏み込むことで相手にプレッシャーを与える。生徒はビクリと後ずさりした。連続で数人挑んでくるが、全員まとめて外れ。呪文なんて、軌道を読めば大した脅威じゃない。

 

 「なぁ、先生、それ本当に避けてんのか!?」

 「動きが全く見えないんだが!」

 

 「うるせぇ、集中しろ。ほら、そこのお調子者2人」

 

 双子に視線を向けると、にやにやしていた顔が一瞬で真顔になった。こいつら、俺に狙われたことを理解したらしい。

 

 「お前ら2人で同時に来い。どうせいつも一緒にふざけてんだ、戦う時も一緒でいいだろ」

 

 「えぇ〜!?」「先生、そりゃ俺たちのことナメてるだろ!」

 

 「さっさとしろ」

 

 渋々と前に出る双子。2人は顔を見合わせ、無言で頷いた。コンビネーションは悪くない。左右から同時に呪文を撃ってくる。速さも他の連中より一段上だ。だが、それでも――遅い。

 

 俺は踏み込みの呼吸を合わせ、片方の呪文を逆サイドへ誘導し、もう片方は低く潜り込んで躱す。そのまま双子の背後に回り、肩に軽く掌を当てた。力を入れたわけでもないのに二人はきれいに前に転んだ。

 

 「お前らの連携はまぁまぁだ。だが、速さが足りねぇ。あと反応も甘い」

 

 「ひでぇ……」「なんでだよ……」

 

 双子が地面に這いつくばりながら呻く。周りの生徒が笑いながらも緊張を強めているのがわかった。さっきまでの余裕はもう消えている。

 

 「はい、次」

 

 順番に呪文を放たせ、避けて、弾いて、踏み込んで圧をかける。攻撃が当たらないだけでなく、間合いを詰められる恐怖を感じさせるのが狙いだ。杖に頼る連中ほど、そういう状況に弱い。杖が効かない時にどうなるかを叩き込む。

 

 「おい、まだ誰も一発も当ててねぇぞ。お前ら、呪文を放つことだけに頭使ってんじゃねぇのか?」

 

 その一言で空気が変わった。攻撃を放つだけじゃ俺に届かない。だからといって簡単に勝てる相手でもない。4年生たちの顔に焦りと必死さが混じっていく。

 

 終盤、俺は両腕を組んで彼らを見渡した。汗だくで肩で息をする生徒たち。自信に満ちていた顔は引き締まり、少しだけ戦う目になっていた。

 

 「よし、今日はこれまでだ。結果は見ての通り、全員ハズレ。筋トレだ」

 

 「ええぇぇぇぇぇ!!」

 

 全員の絶望の声が中庭に響き渡る。俺はその声を聞きながらニヤリとした。これが狙いだ。杖を使える日なんざそうそうない。それでも“当てられなかった”という事実が、この先の筋肉と動きの土台になる。

 

 「言ったろ、4年生は厳しめだってな。泣くなよ。やるぞ」

 

 中庭の地面に号令が響く。泣き言を言う暇も与えず、俺はそのまま筋トレメニューに移行した。呻き声と汗の匂いが漂い始め、空気は完全に「体育」になった。これでいい。これが俺の授業だ。

 

 そうして4年生の授業を終え、1日の全ての授業日程を片付け終えた頃、夕暮れの中庭に残ったのは俺と使い終わった訓練道具だけになっていた。木枠、打ち込み台、重り。授業が終わればこいつらの片付けも俺の仕事になる。ガキどもは「先生、ありがとうございました〜」とか言って気楽に帰っていくが、その裏で俺が1人で汗をかいてんだ。理不尽だよな。

 

 空はすでに橙から紫に変わり始めていた。昼間は生徒たちの声や呪文の光で賑わっていた中庭も、今は静寂に包まれている。片付けをしていると、ポケットの中で携帯が震えた。魔法界じゃ滅多に鳴らない代物だ。画面を見ると【孔時雨】の文字が光っていた。

 

 「おっ久しぶりだな」

 

 通話ボタンを押し、耳に当てると懐かしい声が聞こえてきた。

 

 「甚爾〜、お前生きてるか?」

 「あぁ、まぁな。ぼちぼちってやつだ」

 「ハハッ、ぼちぼちで教師なんかやってんなら十分だろ。()()()の話、裏じゃ相当話題になってるぞ」

 

 「話題?なんの話だよ」

 

 「決まってんだろ、空飛ぶバイクと競馬だよ。ホグワーツのジジイと日本で遊んでただろ、あれ、裏の連中にバッチリ流れてんだわ」

 

 「あぁ〜、そういうな……」

 

 俺は思わず額に手を当てた。嫌な予感はあったが、やっぱりか。こっちはちょっと気晴らしのつもりでも、裏社会の連中はそういうのを見逃さない。よりによって、相手があのジジイだから余計に騒ぎになる。

 

 「お前ら、伝説作ったぞ。『空飛ぶバイクで日本を縦断した謎の男』と【有馬記念で大勝ちした謎の老人】ってな」

 「くだらねぇな」

 「くだらねぇけど、裏じゃこういう話が広まるのは早ぇんだよ」

 

 孔時雨の声は呆れと笑いが混じっていた。こいつは呪術師じゃねぇ。俺と違って実戦の人間じゃない。仕事を斡旋する“仲介人”だ。金の匂いがするところを誰よりも早く嗅ぎつける、裏社会じゃちょっとした有名人だ。今のホグワーツの教師の仕事だって、元を辿れば孔時雨がダンブルドアのジジイと繋げたから俺のところに話が来たんだ。

 

 「……で、ただ冷やかしに電話してきたわけじゃねぇんだろ?」

 「おう。半分は冷やかしだけどな」

 

 声色が少し変わった。いつもの軽さの奥に、仕事の話を持ってきた時の孔時雨のトーンがある。あいつはふざけてるようでいて、要点を外さない男だ。

 

 「最近な、日本側でちょっと変な話が出てんだよ。魔力の“揺らぎ”が増えてる。呪力でも魔力でもねぇ、妙に混ざったような性質を持った反応がちょこちょこ記録されてるらしい」

 「混ざった……?」

 

 倉庫の扉を閉め、空を見上げる。夜の空がゆっくりと落ちてくる。薄暗くなった石壁は、どこか重苦しい。

 

 「呪術界と魔法界の不可侵協定は建前だってのは、お前もわかってんだろ?表向きは“関係なし”って顔して、裏じゃ情報線が細く続いてる。今、その情報線の上を何かが這ってるって話だ」

 「……厄介そうだな」

 「まぁな。しかもだ。お前のいるホグワーツの周辺でも、同じような揺らぎが何件か観測されてる。向こうの魔法省が情報を渋ってるから詳細はわからねぇけどな」

 

 「それで、俺に何をさせたい?」

 

 「別に何もしなくていい。ただ、気をつけろって話だ。何かあったとき、真っ先に巻き込まれるのはお前みたいな“外様”だ。向こうは責任取らねぇからな」

 

 「はぁ……」

 

 わかりきった話だ。俺は魔法族でも呪術師でもねぇ。天与呪縛の体を持つただの傭兵崩れだ。つまり、何か起きた時に真っ先に使い捨てられる立場だってことだ。

 

 「それともう1つ。……お前、今年もまた面倒ごとに巻き込まれそうだな」

 

 「……今、さらっと嫌なこと言ったな」

 

 「呪術界と魔法界の一部で噂が回ってる。“闇の魔法使い”が動いてるとか、“何かを探してる奴がいる”とか。まぁ、半分は眉唾だけどな。けど、こういう噂ってのは火のあるところに煙が立つってパターンが多い」

 

 「俺は巻き込まれる気はねぇぞ」

 「お前がそう思ってても、向こうはそう思ってくれねぇのが世の中ってもんだ」

 

 孔時雨が笑う。その声は軽いが、言っている内容は重い。こういうとき、こいつの情報は当たることが多い。だからこそ、厄介だ。

 

 「とりあえず、注意しとけ。あのジジイと一緒にいりゃ否が応でも火の粉は飛んでくる…」

 「あぁ、あのクソジジイな……」

 「だろ?じゃあ、何かあったら連絡よこせ。俺の方にも情報が入ったら流す」

 

 通話が切れた。ポケットに携帯をしまい、夜空を仰ぐ。星が一つ、また一つと灯り始めていた。今日の疲労よりも、今聞いた話の方がずっしりと胸に残る。戦いの匂いが、ほんの少しだが、また近づいてきている気がする。

 

 「はぁ……めんどくせぇな」

 

 呟き、肩を回しながらホグワーツ城へと戻る。不思議と眠気はなかった。だが嫌な予感ってのは、()()当たる。だからこそ――今のうちに備えておく必要がある。

 

 片付けを終えた俺は、その足で校長室へと向かった。こういう話は早めに共有しておくに限る。もし面倒ごとに巻き込まれるのが確定してるなら、俺だけが後出しを食らうのはまっぴら御免だ。石造りの廊下を抜け、不死鳥の像の前に立つと、慣れた手つきで台座を小突く。像が静かに回転し、螺旋階段が現れた。上るたびに空気が変わっていくのが分かる。校長室特有の、あの魔力が濃く沈殿したような空気だ。

 

 「よう、ジジイ」

 

 扉を開けて中に入ると、机の向こうで例の長ったらしい髭を撫でているダンブルドアの姿があった。壁にはいくつもの奇妙な装置が静かに音を立てており、天井近くには金色の不死鳥が羽を休めている。相変わらず落ち着かねぇ部屋だ。

 

 「おや、フシグロ君。今日は()()()ではないぞ?」

 

 「分かってるよ!仲介人の孔時雨から連絡があってな、日本で変な【揺らぎ】が出てるとか……それとこの辺でも()()()()使()()が動いてるらしいぞ」

 

 俺の言葉に、ダンブルドアの表情が一瞬だけ引き締まった。あのジジイにしては珍しく軽口を挟まない。長い顎髭をゆっくりと撫で、椅子に深く腰を預けながら考え込む。あの無駄に壮大なローブがやけに静かな空気を纏わせていた。

 

 「ふむ……」

 

 部屋に流れる沈黙。時計の針の音がやけに耳につく。

 

 「日本のことは気にしなくて平気じゃ。マホウトコロとは密に連絡を取り合っておるし、呪術界とも最低限の情報共有はしておる。あそこは少々堅物じゃが、その分対応は早い。何かあればすぐに知らせが来るじゃろう」

 

 「それはまぁ、分かってる。俺が気にしてんのは()()()()使()()の方だ」

 

 「うむ……」

 

 ジジイは立ち上がり、窓辺に歩いて外を見た。夜空には薄い霧がかかり、ホグワーツ城の尖塔の影がぼんやりと浮かび上がっている。ダンブルドアの背中から漂う空気が、先ほどまでの飄々とした老人ではなく、“ホグワーツの校長”そのものに変わっていた。

 

 「ホグワーツに闇の魔法使いが入り込んでおるとすれば、由々しき事態じゃの。……ただ、まだ確証がないのじゃな?」

 

 「孔時雨の話だと、裏でも情報が錯綜してる。魔法界と呪術界の境界線付近でも、妙な揺らぎが観測されてるってよ。原因は不明だ」

 

 「ほう……」

 

 「それと、あの仲介人がこういう話を持ってくるってことは、完全なガセじゃねぇ。あいつは無駄な噂は拾わねぇ。匂いのある情報しか流さねぇからな」

 

 「ふむ、確かにのぉ」

 

 ダンブルドアはゆっくりと振り返り、俺の顔を見た。長年数多の修羅場を潜ってきたような瞳だ。普段は笑ってることが多いジジイだが、こういう時だけは厄介なほど“本物”になる。

 

 「フシグロ君。もし本当に闇の魔法使いが蠢いておるとすれば、必ずどこかで“兆し”が現れる。ホグワーツは広い。わし1人の目では全てを見通すことはできぬ。君の“感覚”を()()頼りにさせてもらうことになるじゃろう」

 

 「まぁ……面倒ごとには巻き込まれたくねぇが、何かあれば適当にやるさ」

 

 「ホッホッホ、それは頼もしい」

 

 ジジイの表情がほんの少しだけ和らいだ。ああいう顔を見ると余計に腹が立つのは俺だけじゃないはずだ。とはいえ、実際俺の感覚は魔法使い連中よりも鋭い。天与呪縛で研ぎ澄まされた五感は、揺らぎを“臭い”や“圧”として感じ取れる。魔力も呪力も根っこは似たようなもんだ。異物が混じればすぐにわかる。

 

 「そういえばフシグロ君、さきほどの日本の件についてはマホウトコロの校長からも似た報告が来ておる。揺らぎは一時的なもので、大きな被害は出ておらんとのことじゃ。ただ、その“出所”がまだ特定できておらんそうじゃ」

 

 「面倒な話だな」

 

 「面倒じゃが、避けて通れぬ話でもある。ホグワーツを揺らす闇の魔法使いとやらが、ただの噂で終わることを願うが……君も感じておるのじゃろう?嫌な空気を」

 

 「……まぁな」

 

 俺は窓辺に視線を向けた。夜の闇が、どこかいつもと違う“重み”を持っているように感じた。空気の湿度、風の流れ、城壁の向こうから押し寄せるような圧――人間の言葉じゃ説明しにくいが、こういう時の“感覚”ってのは大抵当たる。

 

 「俺はあくまで体育教師だぞ。闇の魔法使いなんざ俺の仕事じゃねぇ」

 「そうじゃな。じゃが……()()()()が1人いるだけで、この城は随分と“変わった”のじゃ」

 

 ジジイは何かを含んだように笑った。俺がいなければ、ここのガキどもは今頃ヒョロヒョロの魔法使いのままだったかもしれない。まぁ、俺が気にすることじゃない。

 

 「とりあえず……変な動きがあれば俺にもすぐ教えろ」

 「もちろんじゃ、フシグロ君」

 

 「……信用できねぇな」

 

 ジジイが目を細め、少しだけ笑った。こいつのこういう顔は、だいたい碌でもない方向に転がるときだ。

 

 俺は溜息をつきながら校長室を出た。重厚な扉が背後で閉まる音が響く。廊下の空気が夜気と混ざり、少し冷たく感じた。嫌な予感は、確実に膨らんでいる。

 

 「……ホント、めんどくせぇ」

 

 呟きながら、俺は自分の部屋へと足を向けた。これから始まる“何か”に備えるためにも、今夜くらいはぐっすり眠っておきたい。だが、そんな平穏がいつまでも続くとは到底思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が深くなり、生徒も教員もすっかり寝静まったホグワーツ城の中、人気のない廊下にひっそりと足音が響いた。月明かりが石造りの床を冷たく照らし、その光の中を小柄な影がゆっくりと進んでいく。ジニー・ウィーズリーだった。彼女は怯えるように周囲を見回しながら、静かに女子トイレへと入っていった。もちろん、こんな時間に生徒が出歩くことは校則違反だ。しかし今夜の彼女にはそんなことなどどうでもよかった。

 

 ひと気のない女子トイレの奥の個室。ジニーはカギを閉めると、制服のポケットから黒い革張りの日記帳を取り出した。トム・マールヴォロ・リドル――小さく刻印されたその名は、まだ彼女にとってただの“名前”でしかなかった。だが、それでもジニーはこの日記を手に取ることをやめられなかった。まるで心を引き寄せる糸に絡め取られているように。

 

 日記帳を開くと、真っ白なページが月明かりに淡く浮かび上がった。そこにペンを走らせる。静まり返ったトイレの中、インクが紙を滑る音だけが小さく響く。

 

 「今日はフシグロ先生の体育があったの。お兄ちゃん達やハーマイオニーさんから聞いてたけど……やっぱりキツかったな」

 

 書き終えた文字は、まるで吸い込まれるようにゆっくりとページから消えていった。数秒後、滲むように別の文字が浮かび上がる。

 

 《へぇ……体育か。僕の時代にはそういう授業はなかったな。すごいね》

 

 ページに浮かぶその返事は、ジニーの胸を妙な安心感で包んだ。ここだけが、自分の気持ちを誰にも知られず吐き出せる場所だと錯覚させてくれる。ジニーは無意識のうちに口元を緩め、またペンを走らせた。

 

 「すごい先生なんだよ。怖い顔してるけど……あの目、鋭くて……なんかドキドキするの。ちょっと、格好いいって思っちゃった」

 

 返事はすぐに現れた。

 

 《ふふ……君はその先生のことを尊敬しているのかな?それとも、少し……特別な気持ち?》

 

 ジニーの頬が熱くなった。まるで心の奥を見透かされたようで、思わず両手で顔を覆ってしまう。だがこの日記は、決して彼女を笑ったりはしない。黙って受け止め、優しく返事をくれる。だからこそ、ジニーは夜な夜なこの日記を開くのだった。

 

 「……尊敬してるだけ。たぶん」

 

 《たぶん?》

 

 ページに浮かぶその文字は、まるで誘うようだった。彼女の言葉を否定するわけでも、肯定するわけでもなく、ただ優しく背中を押してくる。

 

 「……わかんない」

 

 ぽつりと呟き、震える文字を刻んでいく。フシグロ甚爾の姿が脳裏を過った。中庭で見せたあの圧倒的な力。まだ魔法に頼るしかない新入生の自分たちの前で、まるで怪物のように地面を踏み割り、木枠を粉々に砕いたあの姿。恐ろしかった。でも、それ以上に心を奪われるような迫力だった。

 

 《いいじゃないか。強い人に惹かれるのは自然なことだよ。君は悪くない》

 

 「……ありがとう」

 

 自然と文字にそう書いていた。返事をくれるこの日記が、まるで自分の中の“もう一人”みたいに思えてくる。気づけば彼女の夜の時間は、この日記と過ごすことが当たり前になっていた。

 

 《ねぇ、ジニー。君は強くなりたいと思ったことはある?》

 

 「……え?」

 

 《君が尊敬している先生みたいに、自分の力で誰かを守ることができたら……素敵だと思わない?》

 

 ジニーの心に、小さな波紋が広がった。兄たちの後ろをただついていくだけだった自分。いつも何かに守られてばかりの自分。ハリーやロンのように堂々と立ち向かうこともできない自分。もし、少しでも強くなれるなら――その考えは、彼女の胸を激しく打った。

 

 「……思う。強くなりたい。兄さんたちみたいに」

 

 《それなら、僕が手伝ってあげようか?》

 

 その一文は、まるで甘い毒だった。ジニーは一瞬ためらいながらも、日記に書き返してしまう。

 

 「……どういうこと?」

 

 《僕は君の友達だよ。誰よりも君のことをわかってあげられる。君の中の想いを、力に変えることだってできる》

 

 ジニーは喉が乾いたように息を呑んだ。日記帳から、まるで温かい何かが滲み出してくるような錯覚がする。ページを握る手が震えていた。それは恐怖ではなかった。むしろ安心感と、奇妙な心地よさだった。

 

 《君はもう、1人じゃない》

 

 夜の女子トイレに、しんとした沈黙が戻る。だがその静寂の中、黒い日記帳だけが微かに脈打つように温もりを帯びていた。ジニーの心は、気づかぬうちに深い闇の底へと、ゆっくりと沈み始めていた。

 

 

 

 ジニーが女子トイレで日記と問答をしている頃――ホグワーツの夜の廊下を、伏黒甚爾はのんびりと歩いていた。夜間巡回という名の面倒事だ。ポケットに手を突っ込み、気だるげに歩きながらも、その研ぎ澄まされた感覚は周囲の空気を敏感に捉えている。

 

 「……ドブ臭い匂いだ。下水道でも詰まってんのか?」

 

 鼻を鳴らす。湿った空気が鼻腔をくすぐる。ホグワーツ特有の古びた石と湿気の匂いとは明らかに違う。もっと粘ついた、腐ったような、それでいて“生き物”の臭いが混じっている。

 

 廊下の先は人気がなく、ただ石の壁に月明かりが反射しぼんやりと白く光っていた。夜は音が響く。カツン、カツンと甚爾の靴音だけが廊下に吸い込まれていく。

 

 だがその裏側で、甚爾の頭の中は――

 

 「次の日曜は絶対に勝ってやる。リサーチは終わってる。今勢いのある馬もちゃんと調べた。もう外しようがねぇ、これで外したら俺はもう……」

 

 と、まったく緊張感のないことを考えていた。

 

 喉の奥で自嘲気味に笑い、言葉を途中で飲み込む。

 

 「ジジイの予想に乗るべきか……?チクショウ……あのジジイの予想に乗って馬券当てるなんて一生の恥だな」

 

 暗い廊下を進んでいくと、漂っていた臭いがさらに濃くなった。生温く淀んだ空気。何かがおかしい。

 

 「……あぁ?」

 

 足を止めた。感覚が引っかかった。匂いだけじゃない、空気そのものに異様な重さが混ざっている。まるでそこに“生きた何か”が潜んでいるような――そんな嫌な感覚。

 

 「この感じ……呪いとも魔法とも違ぇな。混ざってる」

 

 静寂の中で鼻を鳴らす。腐敗臭に似た“それ”は、壁の奥からじわりと広がっているように感じた。下水か、あるいは地下水道の辺りだろう。妙な生温かさが廊下にまで滲んできていた。

 

 「ガキ共は寝てる時間だし、誰かがふざけてるってわけでもなさそうだな」

 

 足音を忍ばせ、音もなく奥へと進む。石壁に手を触れると、かすかに“揺らぎ”がある。魔力でも呪力でもなく、それらが混ざったような不可解な波だった。

 

 「なるほどな……めんどくせぇ匂いしかしねぇ」

 

 暗がりに立ち止まって鼻を鳴らす。気のせいではない。何かが、この城の中を這い回っている。

 

 そのとき――

 

 「……ぁ……」

 

 くぐもった呻き声のようなものが、壁の奥から聞こえた。人の声とも獣の声ともつかない、湿った音。ぞくりと背筋が震える。だが怖いわけではない。むしろ、血が騒ぐ。

 

 「……ったく、夜に仕事増やすんじゃねぇよ」

 

 鼻で笑い、壁から手を離す。どうやら地下の水道管の方で何かが蠢いているらしい。生徒の悪戯にしては不自然だ。

 

 「闇の魔法使いってやつか、それとも別モンか……」

 

 だが、今夜ここで首を突っ込む気はさらさらなかった。夜勤手当が出るわけでもねぇ。教師としての報告義務だけ果たせばいい話だ。

 

 「ま、あのジジイに押し付けりゃいいか」

 

 その場から離れようとした瞬間、また呻き声が響いた。先ほどより近い。まるで、こっちの存在を“認識した”かのようだった。

 

 「……ふーん」

 

 面倒くさそうに頭を掻きながら、甚爾は静かに踵を返した。こういうのは妙に手を出すと後が面倒だ。今は情報を掴んで、報告だけでいい。

 

 「ったく、教師ってのは割に合わねぇ」

 

 石の廊下を歩きながら、もう一度鼻を鳴らす。臭いは消えていない。むしろさっきより濃くなっている気がする。

 

 「……放っとくとマズそうか?」

 

 後日、もう少し詳しく調べる必要があると心の中でメモする。鼻先に残る生臭さを舌打ちで追い払いながら、甚爾は夜の廊下を進んだ。

 

 再び頭の中は、なぜか馬券のことでいっぱいになっていた。

 

 「ジジイの予想で当てたら……一生ネタにされるよな……クソ……」

 

 不機嫌そうに呟きながら、夜の廊下を歩き去る伏黒甚爾。その背後――誰もいないはずの暗闇の中で、何かがぬらりと這い回っていた。月光も届かぬその奥で、音のない“気配”がじっと彼の背を見つめていた。

 

 その夜、ホグワーツの空気は静かに、しかし確実に“変わり始めていた”。

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