ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十二話

 

 

 

 

 

 ジニー・ウィーズリーは焦っていた。

 

 黒い日記帳をトイレで“落としてしまった”と、そう思い込んでいたからだ。

 

 本当は――落としたのではない。

 

 無意識のうちに“あれ”を危険だと感じ、捨てていた。だが今のジニーにはそれを自覚する理性が残っていなかった。頭の奥を侵食する“声”が、そんな記憶の輪郭を曖昧にしている。

 

 『大丈夫だよジニー、本はまだ安全な場所にある。君が取り戻せばいいだけの話さ』

 

 声が、優しく、甘く、彼女の心を撫でる。

 

 その声音には一片の冷たさもなく、まるで長年信頼してきた誰かのような安心感があった。だが、その甘さこそが毒だった。

 

 「……どうしよう……取りに行かなきゃ」

 

 ジニーはトイレの鏡の前に立ち、蒼白な顔を見つめた。鏡の中の自分は、見慣れたはずの顔なのにどこか他人のように感じられる。頬はややこけ、目の下には薄い隈ができていた。

 

 ――ここ最近、まともに眠れていない。

 

 理由は分かっている。あの黒い日記帳に、自分の心を少しずつ吸われているからだ。

 

 『落としたなんてことはないよジニー。君があれを捨てるはずがない。君と僕はもう、繋がっているんだから』

 

 「……そうだよね……」

 

 ジニーは無意識に頷いていた。頭の奥が霞がかったようにぼんやりしている。考えれば考えるほど、自分が何をどうしてここにいるのか曖昧になっていく。

 

 初めてあの日記と出会った時のことは、今でも鮮明に覚えていた。兄たちには内緒で鞄の底にしまい、夜な夜な誰にも言えない本音を書き込んだ。返ってくる文字は優しく、理解してくれて、まるで自分の味方ができたように感じた。

 

 あのときは――本当に嬉しかった。

 

 だけど、今は違う。

 

 気がつけば、夜になると無意識に手が動き、ペンを握っている。目が覚めた時にはページに自分の知らない文字が書き込まれていて、その横に“彼”の言葉が並んでいる。

 

 「……どうしてこんなに怖いのに、安心するんだろう」

 

 鏡の前で呟く声は震えていた。

 

 『怖がらなくていい。僕は君を傷つけたりしないよ。僕は君の味方だ。君は選ばれたんだよ、ジニー』

 

 その声が響くたび、心の奥がじわりと痺れるように熱くなる。まるで毒がゆっくりと血に染み込んでいくように。

 

 「選ばれた……?」

 

 『そう。君だけが僕の声を聞ける。君だけが僕と一緒に歩ける。僕は君に特別な力を与えた。だから、君は恐れることなんてない』

 

 「……うん……」

 

 ジニーの瞳から理性の光が少しずつ失われていく。

 

 あの夜のこと――蛇の刻印が刻まれた洗面台の前で、知らない言葉を口にし、秘密の部屋を開いたときのことを、断片的に思い出す。夢の中のように曖昧な記憶だが、足元に吹き上がる冷たい風と、奥深くから聞こえてきた這いずる音だけは鮮明に覚えている。

 

 あの巨大な“何か”の気配。

 まっすぐに自分を見透かすような冷たい視線。

 石になったミセス・ノリス。

 

 「……私が……」

 

 『違うよジニー。君がやったんじゃない。僕がやったんだ。君はちょっと力を貸してくれただけ。君は悪くない』

 

 その声はまるで母親のように優しい。ジニーの罪悪感を甘やかすように撫で、踏みにじる。

 

 だがその優しさの奥に潜む、深い深い闇に、彼女はもう気づけない。

 

 「……本……」

 

 ジニーは鏡から離れ、ドアに向かって歩き出した。

 

 トイレで落とした――そう思い込んでいるその場所へ、彼女は向かう。

 本当は自分が“自らの意思で”危険を察して捨てたのに。

 

 今ではその本なしでは不安で、まともに息もできない。まるで“心臓の一部”でも失ったかのような空虚感が、胸を掻きむしってくる。

 

 『早く僕を迎えに来てよ、ジニー。僕は君を待ってる』

 

 声が甘く、深く、頭の奥を満たしていく。

 

 ジニーはその声に逆らう術を知らなかった。

 

 小さな足音が廊下に響く。昼間だというのに、ホグワーツの廊下は妙に冷たい。差し込む光はあるのに、空気は湿り気を帯びていて、息苦しいほどだった。

 

 ジニーは自分の手を胸に当てながら、まるで夢遊病者のように歩く。

 

 『大丈夫、君は僕のものだ。僕は君の声になる。君は僕の手になる。僕たちは――ひとつだよ、ジニー』

 

 「……うん……」

 

 誰もいない廊下に、ジニーのか細い声が溶けていった。

 

 その背中はまるで、すでにこの世界から引き剥がされかけているように見えた。

 

 そうしてジニー・ウィーズリーは、ふらつく足取りでトイレに向かった。

 

 スリザリン寮の近くにある女子トイレ――あの日記を“落とした”と思い込んでいる場所だった。

 

 昼間だというのに、薄暗い。窓から差し込む光は弱く、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつくようだった。床は水浸しで、冷たい水が靴の裏からじわりと染み込んでくる。

 

 「やっぱり……ない……!」

 

 声が震えた。

 

 見回しても、黒い日記帳はどこにもなかった。便器の横にも、洗面台の下にも、どこにも。まるで初めから存在していなかったかのように。

 

 そして――いつもの“声”が頭の奥で響いた。

 

 『誰かが持っていったみたいだね……東棟の3階にある』

 

 ジニーは息を呑んだ。声の響きはまるで耳元で囁かれたように近いのに、そこには誰もいない。

 

 『確か君が気になっているフシグロ先生の部屋だ。大丈夫、君なら取り戻せるよ。授業中にでも、ね』

 

 「そんな……!」

 

 ジニーは両手をぎゅっと握りしめた。爪が掌に食い込み、痛みが走る。しかし、それすらも現実感を与えてはくれなかった。頭の中にある“声”がすべてを上書きしていく。

 

 『落ち着いてジニー。大丈夫。僕がいるだろう?君を助ける』

 

 声はあまりにも優しかった。その優しさは毒のようにじわじわと心を侵食していく。

 

 「でも……フシグロ先生に見つかったら……」

 

 『心配いらない。彼は君が想っているよりずっと鈍いよ。見つかるはずがない。痕跡を消す呪文を教えてあげよう。ほら……前に練習したことがあるだろう?』

 

 その言葉が脳に染み渡った瞬間、ジニーの身体から力が抜け、糸で操られた人形のように震えが止まった。

 

 あれは――確か夜中だった。

 誰にも知られず、声に導かれるままトイレに立ち、暗闇の中で“その呪文”を教え込まれた。気がつけば、足跡も水音も、自分がそこにいた痕跡すら完全に消えていた。

 

 『君は僕の声に従っていればいいんだよ。君と僕はもうひとつだからね』

 

 「……ひとつ……」

 

 無意識に、ジニーの唇が繰り返す。

 

 恐怖と依存がごちゃまぜになった感覚が胸の奥でじくじくと膨れ上がる。逃げたいのに、声が手を差し伸べてくる。縋るしかないと心が勝手に判断してしまう。

 

 「……取り戻さなきゃ」

 

 ジニーは呟いた。

 

 ――いや、本当は、心のどこかで“触れてはいけない”と分かっている。

 “あれ”に関わってはいけないという本能的な警鐘が、胸の奥でかすかに鳴っている。

 

 だが、その小さな声はあっという間に頭の奥の“彼”の声に押し潰された。

 

 『えらいね、ジニー。君は本当にいい子だよ』

 

 ジニーの心がぞわりと熱くなる。その熱は不安をかき消し、恐怖をねじ伏せ、行動するための原動力に変わっていく。

 

 「……行く」

 

 『そう、その調子だ。僕がついている』

 

 トイレの床に広がる冷たい水を踏みしめ、ジニーは立ち上がった。

 

 その瞳に迷いはなかった。

 いや――本当のジニーの迷いは、“声”によって押し潰され、奥深くに押し込められているだけだった。

 

 『もうすぐだよ。すぐ、僕のところに戻っておいで』

 

 ジニーはふらつく足でトイレを後にした。

 

 廊下は静まり返っている。昼間だというのに、まるで夜のように冷たい空気が流れ、肌にまとわりつく。

 

 ――それでも、ジニーの足は止まらなかった。

 

 まるで何者かに引かれるように、真っ直ぐに東棟の3階へと向かっていく。

 

 頭の奥では、あの声が優しく囁き続けていた。

 

 『君は僕のものだよ、ジニー。君と僕は、もう離れられない』

 

 「……うん……」

 

 声なき声で、ジニーは答えた。

 

 その足音は、まるで“人”のものではないように静かで、冷たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 「あ?どうなってんだ」

 

 部屋に戻ってきたらめちゃくちゃ荒らされていた。いや、元々そんな物を置いてたりしてた部屋じゃねーが、とにかく荒らされてる。

 

 棚に入れてしっかり整理してた競馬新聞や雑誌が全部めちゃくちゃに出て破れたりしてる。

 

 「は?」

 

 俺の大事なデータが全部めちゃくちゃになってやがる。

 

 「いや…待てよ…おいおい」

 

 机の引き出しに入れてたあの黒い本がなくなってやがる。

 

 コイツを盗む為にこんなに荒らしたのか?

 

 「殺すか…」

 

 落ち着け…いや落ち着けない。次の日曜は大事なレースだったんだ。データは頭の中に入ってるが……クソが。

 

 「ドビー」

 

 俺は虚空に向かって声を出した。

 

 「はぃ!!」

 

 すると直ぐにどこからともなく現れる。呼べば直ぐにコイツは来る。便利な奴だ。

 

 「片付けとけ」

 

 俺は散らばった新聞や雑誌を指差し指示した。

 

 そしてドビーが指パッチンをすると散らばった物が浮かび勝手に元の場所に戻っていく。破れた紙もパズルのように勝手に組み合わさり、跡形もなく元通りだ。

 

 「よくやった」

 

 「おほぉ!!」

 

 満面の笑みで喜んでやがる。こいつは褒めりゃすぐ調子に乗る単純な性格だ。まぁ、使いやすくて助かる。

 

 俺は部屋に残った痕跡を探した。……が、どうにも違和感しか残らない。こんなに荒らされていたのに、臭いもない。足跡もない。あまりにも“綺麗すぎる”。

 

 「何もねぇな……おいドビー、お前は何か見たか?」

 

 「ドビーは何も見ていません!」

 

 反射的に首を横に振るドビー。その仕草に嘘はなさそうだ。屋敷しもべ妖精は主人以外の者を監視してるような立場でもないしな。嘘を吐いている感じでもない。そもそもこいつが犯人なら、こんな妙な荒らし方はしねぇだろう。もっと効率的にやる。

 

 「そうか…臭いも足跡すらもねぇ…プロか?」

 

 泥棒ってわけでもねぇだろう。だがやり口が素人じゃない。天与呪縛で鋭くなってる感覚を持ってしても、何の痕跡も拾えないってのはただ事じゃない。

 

 念のため、鼻を利かせて部屋の隅々まで臭いを嗅いでみる。木の香り、インク、紙の匂い、それに俺のタバコの残り香……だが“外”の臭いが一切混ざってない。泥や汗、皮脂の一つもねぇ。匂いすら残さずに入り込み、物を持ち出して消えたってことか。そんな真似ができる奴、この学校にはそう多くねぇ。

 

 「……妙だな」

 

 俺は引き出しの中に手を突っ込み、木の破片を摘まんだ。こじ開けたような跡はある。けど鍵を壊した跡はねぇ。鍵はちゃんと閉まってたはずだ。つまり――鍵を壊さず、匂いも足跡も残さず、物理的な痕跡すらほとんど残さずにやった、ってことだ。そんな芸当、普通の魔法じゃ無理だ。

 

 「おいドビー」

 

 「はぃ!!」

 

 「この部屋、誰でも勝手に入れる場所じゃねぇよな?」

 

 「はいっ!!フシグロ先生の許可なしでは、ドビーも入れませんっ!」

 

 「だよなぁ」

 

 つまり、生徒でも教師でも、少なくとも簡単には入れねぇ場所。……となると、相当厄介な奴が関わってる可能性がある。屋敷しもべ妖精の一種か、それと同等の“痕跡を残さない”連中だな。

 

 俺は窓を開け、外の風を感じながら考える。風向きが変わるたびに、胸の奥の“嫌な勘”がざらついた。黒い本――つまりあの日記は、ただの呪物じゃない。触った瞬間に嫌な気配が伝わってきたのを思い出す。あれは下手な呪霊よりも性質が悪い。放置すりゃ何かが起きる。

 

 「……盗んだ奴、放っておけねぇな」

 

 東棟側から吹き込む風がやけに冷たい。廊下の窓を締め忘れたか……いや、そんな偶然は信用しねぇ。俺は指を軽く鳴らして感覚を集中させた。かすかな空気の流れと湿度の変化、床板の軋み、夜になる前の校舎全体の“呼吸”を聞く。些細な異変が、逆に目立つ時間帯だ。

 

 「なぁドビー」

 

 「はぃ!!」

 

 「この部屋に、他に誰か入ってこなかったか?俺がいない間にな」

 

 「……誰も……いません。でも、空気が、少し……ドビー、ちょっと感じました」

 

 「空気?」

 

 ドビーがぴょこぴょこと身振りを交えて言う。言葉が拙いが、つまり、気配があったってことだな。奴らは目に見えないだけで、確実に何かを残している。

 

 俺は机の角を指でコンと叩いた。音の反響が微妙に歪んでいる。さっきまでなかった音だ。床下か壁の中か……何かが通った跡がある。配管か?それとも――またあの“蛇”か。

 

 「……ジジイに一応報告はしとくか」

 

 俺は呟きながらポケットに手を突っ込み、外套を羽織った。誰が盗んだかまではまだ分からねぇ。だが、これだけ徹底したやり口だ。生半可なガキじゃない。何か、動いてる。

 

 「ドビー、片付けが終わったら部屋の見張りをしとけ」

 

 「は、はいぃぃ!!」

 

 「妙な奴が来たら俺に知らせろ。お前の力なら分かるだろ」

 

 「ドビー、できます!!」

 

 ドビーはやる気満々に胸を張った。……こいつの“胸”ってどこなのか分からんが。とにかく俺は部屋を出て、廊下を歩き出す。外はまだ昼下がりだが、嫌な空気が校舎全体に滲み始めていた。あの本は、ただの呪物じゃねぇ。触った瞬間に分かる。あれは“禍”だ。持ってる奴がどうなるか、想像もつかねぇ。

 

 「はぁ……あとでダンブルドアに金貰うか」

 

 軽く肩を回して、俺は足早に歩き出した。廊下の空気は冷たく、静かで、不気味なほど澄んでいる。何かが確実に、動いている。

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