ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十六話

 

 

 

 「先生……!殺しちゃマズいんじゃ!」

 

 杖から呪文を迸らせ、空いた手で蜘蛛を叩き落とすハリーが言った。

 

 ハーマイオニーは杖から炎を生み出し焼き払い、ロンはとにかく何かを連射、ネビルは杖から出したプロテゴをハンマーのように振り回して蜘蛛を叩き潰していた。あの真面目なネビルが、無言で黙々と蜘蛛を粉砕してるのはちょっと笑える光景だ。

 

 「殺さねぇよ、ちょっとしばくだけだ」

 

 俺はアラゴグに向かって一歩踏み込んだ。音もなく景色が変わり、アラゴグの巨大な顔が目の前に現れる。牙の根元から、鼻を突くような湿った臭いがした。腐った落ち葉と血の臭いが混じったような、最悪な匂いだ。

 

 そのまま右拳を振り抜く。拳が甲殻を砕き、アラゴグの巨体が地面ごと吹き飛んだ。ドスンと地面が抉れ、周囲に蜘蛛たちの甲高い鳴き声が響く。

 

 「『グボォ……』」

 

 衝撃でアラゴグが地面に叩きつけられ、土煙が巻き上がる。森の空気が揺らぐほどの衝撃だ。

 

 「『グウゥゥゥ……』」

 

 低く唸る声。だが殺してはいない。硬い甲殻にヒビを入れただけだ。

 

 「先生!殺しちゃった!?」

 「殺してねぇよ、ちょっと叩いただけだ」

 

 俺はしゃがみ込み、アラゴグの呼吸を確かめる。胸のあたりがゆっくり上下してる。生きてる。ガキ共の心配そうな声が後ろから聞こえる。

 

 「うぇ……気持ち悪りぃよぉ」

 「ロン、流石にもう蜘蛛平気になったんじゃない?」

 「なってない!余計嫌いになった!」

 

 俺の後ろではガキ共が蜘蛛の死骸を踏まないように小さくステップ踏んでた。ネビルだけが無言でプロテゴを解除し、肩で息をしてる。こいつ、一番冷静だったな。

 

 アラゴグの周りには、俺が飛ばした石礫で貫かれた小蜘蛛たちの死骸が山になってる。動ける個体はもういねぇ。森は異様なほど静まり返っていた。

 

 「……終わったな」

 

 俺は立ち上がり、巨体の片脚を無造作に掴んだ。重い。だが持てないほどじゃねぇ。地面にめり込んだ脚を引き抜き、ずるずると引きずる。

 

 「えっ先生……まさか」

 「ハグリッドに見せる」

 「絶対ハグリッド怒るよコレ……」

 

 ロンの声が裏返る。俺は答えず、ただ無言で巨体を引きずった。引き摺る音が森に長く響く。蜘蛛たちの群れが散った後の森は、不気味なくらい静かだった。

 

 「すげぇ……」とネビルが呟き、ロンが小声で「夢に出そう」と返す。ハーマイオニーは黙って歩きながら、炎の余熱で焼け焦げた地面を一瞥していた。

 

 森を抜け、ハグリッドの小屋が見えてきた。夜の冷気が頬を打つ。巨体を引きずった道筋は、しっかりと地面に刻み込まれている。蜘蛛の脚から滴る体液が白い筋を作っていた。

 

 扉を開けると、ハグリッドが中で何かを磨いていた。バケツとブラシを手に、楽しそうに鼻歌まで歌ってやがる。その顔がアラゴグを見た瞬間、凍りついた。

 

 「な……なんだこりゃあぁぁあっ!!!」

 

 ハグリッドの目が点になる。扉の外に、アラゴグの巨体がどーんと横たわってんだから当然だ。

 

 「ハグリッド、預かっとけ。死んじゃいねぇ。ちょっと叩いただけだ」

 

 「お、お前ぇ……アラゴグに何したんだ……!?」

 

 「ちょっとな」

 

 俺は一言だけ言って肩をすくめた。ハグリッドは震える手でアラゴグの頭を撫でている。巨体は浅い呼吸を繰り返しながら、ぐったりと横たわっていた。目は半分閉じ、意識はないが生きている。

 

 「す、すげぇ……」

 「え、ええ……でも、怒られませんかね……」

 「どう考えても怒られるよ!」

 

 ロンが怯えた声を上げる。ハーマイオニーは冷静にアラゴグの傷を見て、「呼吸は安定してる」と呟く。ネビルはアラゴグの脚を見上げて、「でっけぇ……」とだけ言った。

 

 「大丈夫だ。ちゃんと生きてる」

 

 俺は巨体を放し、腕を軽く振った。土と体液が跳ねる。軽く叩いただけでもこいつは重い。森から引きずってきた距離を考えれば、さすがの俺でも少し疲れた。

 

 ハグリッドはしばらく呆然としていたが、やがて深く息を吐き、ため息をついた。

 

 「……トウジ、お前、ほんとに……容赦ねぇな」

 

 「そういう性分なんでな」

 

 背後でロンが「怒られなくてよかった〜!」と叫んでいた。ハリーは疲れたように腰に手を当て、ハーマイオニーは呆れたような目で俺を見ていた。ネビルだけは、やりきった顔をしている。こいつ、戦いのセンスはあるな。

 

 夜風が小屋の外から流れ込み、血と体液と土の匂いが漂う。アラゴグが眠るように気を失っているのを確認し、俺は小屋を離れた。ハグリッドがこのあと何を言おうと、もう関係ねぇ。

 

 俺は空を見上げ、深く息を吐いた。まだ終わっちゃいねぇ。この蜘蛛騒ぎはほんの一端だ。蛇の臭いは校内にまだ残ってる。

 アラゴグは気絶させた。だが、もっとデカい“何か”が、まだこの学校の奥にいる。俺の鼻がそう告げていた。

 

 「よし、ガキ共。戻るぞー誰にも見つからないように寮に戻れ……分かったな」

 

 「えぇ〜先生送ってくださいよ」

 

 「フシグロ先生、夜は……怖いわ」

 

 何言ってんだコイツら。夜中散々歩き回ってるの知ってるぞ。透明マント羽織ってウロウロしてんの見逃してやってんだ。それにこの時間帯、教師の巡回もまだ始まってねぇ。バレるならお前らがドジ踏んだ時だけだ。

 

 「フシグロ先生、俺やりますよ」

 

 ネビルが上腕二頭筋を隆起させ言った。コイツ……見るたびにデカくなってる気がする。服の上からでも筋肉のラインが浮いてるし、立ち姿も妙に落ち着いてやがる。去年のヒョロガキと同一人物だとは思えねぇな。

 

 「お、おう……何をやるか知らないが早く寮に帰れ」

 

 「俺が先頭に立ち、万が一敵が出てきても押し潰します!」

 

 ロンがその一言で盛大に肩を震わせた。コイツは虫全般が苦手なくせに夜の森とかこういう話になるとすぐビビる。

 

 「……押し潰すって……いや、頼もしいけどもさ」

 

 ハリーが苦笑しながらネビルの肩を叩く。ハーマイオニーはというと呆れたようにため息をついている。さっきの戦いでもコイツは炎を出して一番冷静に立ち回ってた。ガキ共の中じゃ一番頭が回る。

 

 「ロン。お前は後ろからついて行け。蜘蛛見たら叫ぶなよ」

 

 「なっ……叫ばねぇし!」

 

 「さっきも叫んでただろうが」

 

 「うぐっ……」

 

 俺は肩を竦め、手をポケットに突っ込んで歩き出す。ハグリッドの小屋の前には、気絶したアラゴグが相変わらず転がってる。デカい巨体は月明かりに照らされて、異様に不気味だった。あれを見たら普通はビビるが、こいつらはすでに戦い終えた後だ。むしろ「よく倒したな」みたいな顔をしてやがる。

 

 「ネビル先頭、ハーマイオニー真ん中、ロンは後ろ。ハリーは全体を見る。いいな?」

 

 「はい!」

 

 ガキ共が声を揃えて返事をした。あぁ……こういうところだけは素直なんだよな。まぁ、鍛えがいはある。

 

 森の出口までの道のりは暗く湿っていた。虫の声と風が木々を鳴らす音だけが響いている。蜘蛛の死骸は森の中にそのままだ。片付ける気はねぇし、アラゴグの子分共はもう二度とちょっかいを出せねぇだろう。

 

 「うぇぇ……気持ち悪い音する」

 「ロン、足元見て歩け。踏んだら靴終わるぞ」

 

 「うわあああ言うなよぉぉ!」

 

 ロンの情けない声が響いた瞬間、ハーマイオニーが後頭部を軽く叩いた。「静かに歩きなさい」と言わんばかりの顔。ネビルは前を黙って進む。ハリーは後方でロンを押しながら歩いていた。

 

 「おいガキ共、こういう時に声出すな。敵がいねぇとも限らねぇ」

 

 俺の声に全員がピタッと止まる。こいつら、こういう時の反応は早い。目の前に見えない敵がいると思ったら背筋が伸びた。

 

 「……気配はねぇ。進め」

 

 「……先生、ホントに気配とか分かるんですね」

 

 ハリーが小声で呟く。

 

 「お前らには分からねぇだけだ。俺の耳と鼻はこういう時のためにある」

 

 天与呪縛の感覚強化は伊達じゃねぇ。森の奥から漂う死臭、風の流れ、枝が擦れる音、虫の羽音……全部が鮮明に聞こえる。蛇の臭いがないことも、今は分かる。つまり安全ってわけだ。

 

 「……先生、あれ見て!」

 

 ハーマイオニーが指差した先には、森の出口。そこに何人かの教師が巡回していた。ダンブルドアの指示か、最近は夜間の警戒が強化されてる。

 

 「……ったく、タイミング悪ぃな」

 

 俺は指を鳴らした。次の瞬間、全員の上に透明マントをかけるようにドビーが現れてマントを広げた。俺が声を出すまでもなく勝手に動くあたり、最近のコイツは気が利くようになったな。

 

 「え、ドビー!?」

 「しっ!声出すな!」

 

 ロンが慌てて口を押さえる。俺は手で黙れのジェスチャーをしながら、マントの下で身を低くして前へ進む。巡回の教師たちは俺たちに気づかず、談笑しながら別の方向へ歩いていった。

 

 「ふぅ……」

 

 ロンが胸を撫で下ろす。俺はその頭を軽く小突いた。

 

 「油断すんな。寮に戻るまでが任務だ」

 

 「……はい」

 

 そのまま寮の近くまで移動し、透明マントを外す。夜の冷たい空気が肌を刺す。森の湿った匂いがまだ鼻に残っていた。

 

 「いいか。今日のことは誰にも喋るな。アラゴグのことも蜘蛛のことも、全部だ。ダンブルドア以外にはな」

 

 「はい……」

 

 ガキ共が真剣な顔で頷いた。こういう時はちゃんと話を聞く。俺はそのまま背を向けた。

 

 「先生はどうするんですか?」

 

 「俺は見回り。蛇の臭いが少しでもしたら叩き潰す」

 

 「うわぁ……やっぱ先生って頼もしいっすね」

 

 「当たり前だ。俺は体育教師だからな」

 

 背後でネビルが小さく笑い、ロンが「怖いけど安心する」とぼそっと呟いた。ハーマイオニーとハリーは顔を見合わせ、小さく頷いて寮の方へ走って行った。

 

 月明かりが校舎を照らし、石造りの壁が鈍く光る。風に乗って、森の奥の血と土の臭いがまだ微かに漂ってきていた。戦いは終わったが、継承者も蛇もまだ野放しのままだ。

 

 「……さて、ここからが本番だな」

 

 ポケットに手を突っ込み、俺は夜の廊下をゆっくりと歩き出した。誰もいない校舎に、俺の足音だけが静かに響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寮に戻った4人は、談話室の暖炉の前に集まっていた。炎の揺らめきが壁を照らし、冬の冷え込みをわずかに和らげている。森から戻ってきたばかりの4人は、全員がまだ少し息を弾ませていた。

 

 「フシグロ先生やっぱ強えぇ〜……」

 

 ロンがソファに腰を沈めながら呟いた。その顔には、戦いの疲労よりも圧倒的な戦力を見せつけられた衝撃が浮かんでいる。蜘蛛の大群も、あのアラゴグでさえ、フシグロ先生は真正面から拳で黙らせた。魔法ではなく、純粋な力だけでだ。

 

 「……あれが俺の目指す形……」

 

 「ネビル?」

 

 ネビルが暖炉の火を見つめながら、手を開いたり閉じたりを繰り返していた。汗ばんだ手のひらをじっと見つめる顔は真剣そのもので、さっきまでの騒がしさが嘘のように静かだった。

 

 「フシグロ先生って魔法も使えないし、魔力もないのに何であんなに強くて凄いんだろう……」

 

 ハリーがぼそりと呟いた。あの戦いを見たら誰だってそう思うだろう。巨大な蜘蛛を一撃で黙らせ、群れを粉砕する姿は圧倒的だった。呪文でどうこうできる次元じゃなかった。

 

 「呪術界に昔いたって言ってたわよね。術式を持たずに呪霊部屋に放り込まれたとか……」

 

 ハーマイオニーが、図書室で調べたことを思い出すように言った。

 

 「呪術界?術式ってなんだ?」

 

 ロンが首を傾げた。魔法に関してはそれなりに知っていても、呪術の話はほとんど聞いたことがない。ロンにとっては未知の世界だ。

 

 「呪術界というのは、日本にあるもう一つの異能体系のことなの。日本は魔法界と呪術界が隣り合ってる国だってホグワーツの図書室にも書いてあったわ。それで“術式”というのは、呪術師が一人一人もつ特殊な力のことよ。魔法とは全く別の体系」

 

 「へぇ……魔法と違う力……?」

 

 「うん。魔法みたいに杖で呪文を唱えるものじゃなくて、生まれつき体に刻まれている“力”なの。フシグロ先生は……その術式すら持っていなかった」

 

 「え?持ってなかったの?」

 

 ロンの目が大きくなる。術式という力を持たず、魔法も使えない。普通なら、それは「何も持たない」という意味になるはずだ。だが、そんな男がアラゴグを素手で叩き伏せた。

 

 「うん。だから術師の家に生まれたのに、蔑まれてたって」

 

 ハーマイオニーは静かに続けた。伏黒甚爾が何気なく語っていた過去を、彼女は記憶している。彼が怒っていたのは差別そのものではなく、“恵まれた連中”の存在だったという話も。

 

 「でもさ……あの人、すげぇよな……」

 

 ロンがぼそっと呟いた。目を閉じると、アラゴグの巨体が吹き飛ばされた光景が鮮明に蘇る。拳一発であの重量と硬さを黙らせるなんて、どう考えても人間の領域じゃない。

 

 「俺……フシグロ先生みたいになりたい」

 

 ネビルの声は、いつになく静かで、強い響きがあった。暖炉の火に照らされたその顔は、いつもの臆病なネビルとは違い、まっすぐ前を見据えていた。森での戦いが、彼の中で何かを変えたのかもしれない。

 

 「ネビル……」

 

 ハリーがネビルの横顔を見る。その眼差しには、憧れと決意があった。自分だって今日の戦いで感じた。魔法だけじゃどうにもならない状況ってのが確かにあるってことを。

 

 「俺、もっと強くなる。もっと鍛える。あの人みたいに、どんな敵が来ても怯えねぇように」

 

 ネビルが拳を強く握った。その手には蜘蛛の血が少しだけついていた。森の暗闇で戦った証だ。

 

 「……お前、ほんとにすげぇよ」

 

 ロンが呆れたように、でも少し羨ましそうに言った。ネビルのこういう真っ直ぐなところは、ロンにはちょっと眩しく見えるのだろう。

 

 「僕も……負けてられないな」

 

 ハリーも小さく呟いた。自分の中の“声”と向き合う必要がある。蛇の気配も、継承者の影も、いずれは避けられない。ならば、強くなるしかない。

 

 「じゃあ……鍛える?私たちも」

 

 ハーマイオニーの言葉に全員の視線が集まった。最初は驚いたような表情を浮かべていたロンも、次第に口元に笑みが浮かぶ。

 

 「いいな、それ!フシグロ先生の授業、最近どんどんきつくなってるけど……」

 

 「それがいいんじゃないか。きついけど、絶対強くなれる」

 

 ネビルが即答した。あの戦いを経た今、彼の中には確固たる決意が宿っていた。

 

 「……よし、やるか」

 

 ハリーが笑った。ロンも苦笑しながら肩をすくめる。

 

 「はぁ〜……俺もやるしかねぇか」

 

 談話室の炎が大きく揺れた。暖かいはずの空間に、戦いの匂いがまだ少し残っている気がする。森で感じた恐怖、蜘蛛の臭い、拳の衝撃、それらはもう4人の心から消えることはないだろう。

 

 彼らはただ守られる側ではない。自分たちの力で、戦えるようになると心に決めたのだ。

 

 その夜、グリフィンドールの談話室には、暖炉の火と4人の小さな決意が静かに灯っていた。

 

 

 

 

 4人の語らいを、気配を悟られることなく見聞きしている者がいた。

 ジニー・ウィーズリーである。

 

 寮の入り口近く、影の中に身を潜め、隠形の魔法で姿を完全に消していた。ほんの数か月前の彼女なら、こんなことは到底できなかっただろう。今のジニーは、もう入学当初の爛漫で活発な少女ではない。あのころの無邪気さも、笑顔も、声も……すべてが濁っていた。

 

 心の大部分を、黒い日記帳の持ち主――トム・マールヴォロ・リドルの記憶に侵食されている。柔らかな心は少しずつ、しかし確実に、暗く冷たい深淵へと引きずり込まれていた。時折、意識が表層に浮かび上がることもある。だが、それはすぐに“彼”によって沈められる。まるで冷たい掌が頭を押さえつけ、水の底へ沈めていくように。

 

 暖炉の前で語り合う4人の姿がジニーの視界に映る。

 ハリー・ポッター。ロン・ウィーズリー。ハーマイオニー・グレンジャー。そしてネビル・ロングボトム。

 彼らは無邪気に、未来の話をしていた。強くなること、守ること、戦うこと。そのすべてを希望のように口にしていた。

 

 「……」

 

 ジニーの瞳は、以前のような温もりを失っている。まるで深い湖の底に差した光が届かないかのような、冷たく濁った瞳だった。胸の奥で、別の“声”が囁く。

 

 「とても厄介だね」

 

 声は、ジニーの口からではなく――頭の奥、意識の深いところから響いてくる。誰にも聞こえない声。“彼”の声。

 

 「トウジ・フシグロ。呪術界、術式なし……常軌を逸した膂力と五感、そしてそれに裏打ちされた戦闘能力。厄介、とても厄介だ」

 

 その声は愉快そうに、しかし確実に警戒している響きを含んでいた。

 「まさか伝承にしか残っていない“天与呪縛のフィジカルギフテッド”だとは思わなかったよ。魔法界にとっての異物……いや、これは厄介どころの話じゃない」

 

 ジニーの小さな手が、無意識に制服の裾を握りしめた。爪が食い込み、白い指先が赤く染まる。それでも痛みは感じない。いや――感じられないのだ。感情と感覚のほとんどが“彼”に握られているから。

 

 「僕の計画を狂わせる唯一の要素だ」

 

 声は、まるで独り言のように淡々と続ける。

 「ホグワーツは脆い。生徒も教師も、大半は無力だ。蛇が這いずる音に怯え、継承者の存在に右往左往している。僕の計画は完璧に進んでいた……あの男が現れるまではね」

 

 暖炉の火がパチンと弾けた瞬間、ジニーの体がびくりと震える。

 それをまるで操り人形の糸を引くように、“彼”は沈黙を破った。

 

 「……だが、対処法がないわけじゃない」

 

 ジニーの唇が勝手に動き、わずかに歪んだ笑みが浮かぶ。

 それはジニー自身の表情ではなかった。トム・リドルの記憶が、彼女の表情を乗っ取っているのだ。

 

 「力には弱点がある。圧倒的な力は、必ず“数”と“仕組まれた罠”で削ることができる。僕は知っている。昔、呪術界の記録にも残っている。力任せの化け物は、最も冷静な罠に弱い」

 

 ハリーたちの声はまだ暖炉の向こうから聞こえてくる。

 笑い声。明るい声。希望を信じる子供たちの声。

 

 ジニーの――いや、“彼”の――目にそれは滑稽に映っていた。

 無邪気な子供たちは、まだ知らない。自分たちの仲間の中に、もう敵の手先が潜んでいることを。

 

 「フシグロ・トウジ。君は強い。でもね……僕は君を殺す必要はない」

 

 声がジニーの頭の奥で笑った。

 「僕がやるべきことはたった一つ――“蛇”を動かす。そして彼らの希望を絶望に変える。蛇が狙うのは、フシグロ・トウジではない。あの子たちだ」

 

 ジニーの瞳が再び濁り、視界の焦点がぼやけていく。

 暖炉の火の前にいるハリーたちの姿が滲み、音も遠のいていく。

 

 「……だめ……」

 ジニーの奥底から、かすれた声が漏れた。

 だがその声は、誰の耳にも届かない。

 

 「黙りなさい、ジニー」

 

 “彼”の冷たい声が、それを押し潰した。

 少女の小さな意識は、また暗い水の底へと沈んでいく。抗えない。逆らえない。

 

 暖炉の火が再び弾け、部屋に小さな光が散った。

 その一瞬、ジニーの姿は影と同化するように掻き消え、まるでそこに誰もいなかったかのように消えた。

 

 4人は、まだ気づいていなかった。

 目の前に潜む“本当の敵”が、同じ寮の中にいることを――。

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