ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
秘密の部屋は閉ざされた。
ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャー、そしてネビル・ロングボトムの活躍によって。
ハリー、ハーマイオニー、ネビル、そして伏黒甚爾から肉体を奇跡的に取り戻したロンは、秘密の部屋から脱出して間もなく、校長室へと呼び出された。
「君たちは校内の規則を50以上も破った事を自覚しておるかね?」
生徒たちにそう言い放ったのは、ココアシガレットを口に咥えたアルバス・ダンブルドアであった。
フォークスが横の止まり木でうとうとと羽を震わせている。
ルシウス・マルフォイの策略によって一時はホグワーツ校長を解任されたダンブルドアだったが、彼がそう簡単に陥れられるはずがない。
一手も二手も先を読む男であり、しかもあの笑顔の下ではしたたかに動いている。
彼はホグワーツ理事会に日本の駄菓子と高級な日本酒を「土産」として持参した。
そして「まぁまぁ、落ち着いて話をしよう」と理事たちににこやかに語りかけた結果――翌朝にはホグワーツ校長として返り咲いていた。
理事のひとりは「酢昆布は裏切らない」と言っていたらしい。
そんなしたたかな老人を前に、4人はぐぅの音も出なかった。
夜間外出は常習。
スネイプの貯蔵庫に無断侵入し、素材を盗み。
校長室にも忍び込み、他寮の生徒を襲って毛を強奪。
さらに夜中にポリジュース薬を服用して教師に変身し、秘密の部屋へ突入――命の危険にさらされた上に、ロックハートを置き去りにしてきた。
列挙されるだけで胃が痛くなるような内容だ。
「若さ故に過ちを犯してしまうことはある。わしもそうじゃった」
ダンブルドアはココアシガレットを指先で回しながら、神妙な顔で宙を見上げた。
火の気のない煙草から、甘い砂糖の香りが立ちのぼる。
4人の誰もが俯いた。
叱責を受ける覚悟はしていた。
だがその次の言葉が、予想の外に優しかった。
「君たちは本来、退学相応のことをしでかした。しかし……そのおかげでホグワーツが救われたのも確かじゃ」
「えっ」
ロンが思わず声を上げた。
その顔は安堵と驚きが入り混じっている。
「君たちにホグワーツ特別功労賞を授与しよう。まぁ、簡単に言えば無罪放免ってことじゃ!ホッホッホ」
ココアシガレットを咥えたまま、ダンブルドアがにこやかに笑う。
あまりの軽さに、ハーマイオニーが呆れたように目を瞬かせた。
「よ、よかった……」
ロンが胸を撫で下ろし、ハリーとネビルも思わず小さく笑った。
だがその笑いを制するように、ダンブルドアは机の引き出しを開けた。
中から古びた黒い本を取り出し、机の上に置く。
「これは秘密の部屋から回収された物じゃ。何か分かるかね?」
机の上の本は、ところどころ焦げたように黒ずみ、インクが滲んでいた。
見るだけで背筋が寒くなるような、嫌な気配を放っている。
「……トム・リドルの日記」
ハリーが小さく呟くと、ダンブルドアは深く頷いた。
「そうじゃ」
ダンブルドアは静かに頷いた。
「この日記には“彼”の記憶が転写されておった。ジニー・ウィーズリーが操られたのは、この本がただの記録ではなく、読んだ者の心に語りかける性質を持っていたからじゃ」
ハーマイオニーが息を呑んだ。
「記憶が……人を支配するなんて……」
「極めて高度で、極めて危険な闇の魔法じゃ。しかし、君たちはそれを破った。勇気と判断力でな」
ダンブルドアがそう言い、柔らかく微笑んだとき――校長室の扉が静かに開いた。
「おやおや、まさか校長に復職したとは……驚きですな。アルバス・ダンブルドア」
ダンブルドアが視線を上げた。
「ルシウス」
そこに立っていたのは、蛇の頭の装飾が施された杖を携えたルシウス・マルフォイだった。
その後ろには、古びた枕カバーを身にまとった屋敷しもべ妖精――ドビーの姿がある。
ドビーは怯えたようにルシウスの足元に控え、決して顔を上げなかった。
ハリーがドビーを見て小さく声を漏らす。
「マルフォイ家に……仕えていたの?」
だがドビーは答えず、目だけを動かしてハリーを見た。
ルシウスは無言で4人を押しのけるように進み出て、ダンブルドアの机の前に立った。
「本当に見事な“政治力”ですね、アルバス。まさかあの理事会を再び掌握するとは」
「ホッホッホ……いやいや、少し話を聞いただけじゃよ」
ダンブルドアはココアシガレットを咥え、穏やかに微笑んだ。
「理事たちに話を聞いたらのう――君に“家族を呪う”と脅され、仕方なくわしの解任に賛成したと言っておった」
ルシウスの表情が瞬時に強張る。
「……何を証拠に」
「証拠?」
ダンブルドアの青い瞳が細められた。
「わしを疑うというのかね?ルシウス」
その瞬間、校長室全体にただならぬ圧が広がった。
空気が震え、重く、鋭くなる。
ハリー、ハーマイオニー、ロン、ネビル――そしてドビーも、それをはっきりと感じ取っていた。
あれは“殺気”だ。
伏黒甚爾の授業で叩き込まれた感覚が、無意識に全員の背筋を正した。
「わしはのう、ルシウス」
ダンブルドアはゆっくりと立ち上がる。
「ホグワーツと生徒たちを守るためなら、
「わ、わた、私は……当然だとも!」
声が裏返り、ルシウスは杖を握りしめた。
「ふむ……ならば、これに見覚えはあるかね?」
ダンブルドアは机の上から黒い日記帳を指先でつまみ上げた。
「これは、とある人物の“学用品”じゃ」
「とある人物……?」
ルシウスの喉がひくりと動いた。目が泳ぎ、表情は強張る。
冷や汗がこめかみを伝った。
「ヴォルデモートじゃよ」
その名が出た瞬間、部屋の温度が下がったように感じられた。
「今回奴は、誰かを手先に使い、この本をジニー・ウィーズリーの荷物に紛れ込ませた。少女は操られ、秘密の部屋を開いた……幸いにも被害は
ダンブルドアの瞳が、鋭く細く光る。
「この先も二度と、生徒の手に呪物が渡らねばよいがのう」
その一言に、ルシウスの肩がびくりと震えた。
ダンブルドアはココアシガレットをそのまま軽く噛み砕く。
パキリという音がやけに大きく響いた。
「裏で糸を引いた者には、厳しい処罰が下るじゃろう」
ルシウスは口をへの字に曲げ、冷や汗を隠すように笑った。
「……せいぜい祈るとしよう」
そう言ってルシウスはわざとらしく4人の生徒を見渡した。
「今後、ホグワーツを守るのは彼ら4人というわけですか?」
「言われなくても」
ハリーが即座に言い返す。
「やるわ!」
ハーマイオニーが裾を捲り上げ言った。
「ドラコのお父さん、任せてください!」
ロンが冗談めかして笑う。
「楽勝です!」
ネビルが拳を握る。
「……ふっ」
ルシウスの口元に一瞬だけ不敵な笑みが浮かんだ。
そのとき、ハリーのローブの裾を小さく引く感触があった。
見ると、ドビーが怯えた顔でハリーを見上げている。
そして、そっと目だけを動かして、机の上の日記帳を指した。
(――本は、ルシウス・マルフォイが紛れ込ませた)
その無言の合図にハリーの瞳が鋭くなる。
次の瞬間、彼の中で何かが閃いた。
フォークスが翼を広げ、静かに金の羽を一枚落とした。
校長室の空気は張りつめたまま、次の幕を迎えようとしていた。
「では……」
ルシウス・マルフォイがダンブルドアの青い瞳をまっすぐに見た。
老魔法使いは何も言わず、静かに頷いた。
「来い、ドビー。家に帰るぞ!」
「ひぃ……」
怯えた声を漏らしたドビーが前に出た瞬間、ルシウスの足が閃いた。
無慈悲な前蹴りが小さな身体を打ち据え、ドビーは床に叩きつけられる。
それはマルフォイ家では“日常”の光景だった。
屋敷しもべ妖精に対する扱いに、慈悲など存在しない。
ルシウスは何事もなかったかのようにローブを翻し、校長室の扉を開ける。
ドビーはふらつきながらも立ち上がり、主の背中を追った。
その姿を見届けるハリーたち。
空気は重く、静かに軋んでいた。
ハリーは俯いていた顔を上げ、ダンブルドアを見た。
「ダンブルドア先生、その本を……お借りしてもいいですか?」
「うむ、よいぞ」
ココアシガレットを咥えたまま、ダンブルドアは小さく頷いた。
「ありがとうございます!みんなはここで待ってて!」
そう言い残すと、ハリーは靴を脱ぎ、片方の靴下を脱いで黒い日記帳に挟み込む。
そして再び靴を履き、廊下へと駆け出した。
ルシウスとドビーはちょうど校長室の廊下を曲がろうとしていた。
「マルフォイさん!マルフォイさーん!」
呼び止められたルシウスが眉をひそめる。
「……なんだね、ポッター君」
ハリーは駆け寄り、黒い本を差し出した。
「お返しするものがあります」
ルシウスはそれを一瞥し、口角を歪めた。
「ほう……これを?一体何だね?」
「ダイアゴン横丁の本屋で――ジニーの荷物に紛れ込ませましたね?」
ハリーの声ははっきりとしていた。
ルシウスの目が細くなる。
「言いがかりだな……」
そう言って彼は本を受け取り、雑にドビーへと押し付けた。
「証拠があるなら見せてもらおう」
ハリーは一歩も引かずに顔を傾けながら言い返した。
「ダンブルドアを疑うんですかぁ???」
ルシウスの唇が吊り上がる。
「フン……小僧が口の利き方を覚えたか。行くぞ、ドビー!」
踵を返して歩き出すルシウス。
だが、背後で聞こえた声に足を止めた。
「ご主人が……私に服をくれた!」
振り返ったルシウスの目に、信じられぬ光景が映る。
ドビーが黒い本を開き、中から片方の靴下を取り出していたのだ。
「な……何を……?」
ドビーの小さな手が震えていた。
しかしその声は、はっきりと響く。
「ドビーは――自由です!!」
ルシウスの顔が見る間に怒りで赤く染まった。
「貴様ァ!! 召使いを奪ったな!!」
杖を抜き放ち、ハリーへと向ける。しかしハリーもすぐに杖を抜き構える。
「アバダ――」
「ハリー・ポッターに手を出すな!!!!!」
雷鳴のような声と共に、ハリーの前に出たドビーが手を翳した。その掌から光が爆ぜ、激しい奔流がルシウスを包み込む。
空気がねじれ、轟音が廊下を駆け抜けた。ルシウスの身体が宙に浮かび、後方の壁へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
石壁にめり込んだルシウスは、ローブを翻しながら這い上がると、怒りに満ちた目でドビーとハリーを睨んだ。しかし次の瞬間、彼はそのまま踵を返し、何も言わず去っていった。
廊下に静寂が戻る。
ドビーは小さく息をつき、震える手で胸を押さえた。
「ドビーは……本当に……自由になったのですね……」
ハリーは微笑んだ。
「そうだよ、ドビー。もう君は誰のものでもない」
不死鳥の羽のように柔らかな笑みが、ドビーの顔に広がった。
「ハリー・ポッター様……ありがとうございます。ドビーは、あなたのような人に出会えたことを……一生忘れません」
そう言って深く一礼し、光の粒になって消えるように姿を消した。
残されたハリーは、その光の余韻を見上げながら小さく呟く。
「自由か……いい言葉だな」
廊下の奥、ほんのりとフォークスの羽音が響いた。
ホグワーツの空気が、ようやく春のように穏やかに戻り始めていた。
「目が覚めたかね?」
聞きたくもない声が耳に入った。ダンブルドアのジジイだ。寝起きに聞く声じゃねぇ。頭が痛くなる。
「あぁ」
そう答えると、ジジイは隣の椅子に腰掛け、いつもの穏やかな顔でこっちを見ていた。相変わらず飄々とした顔だ。ここがどこか見渡すと、見慣れた白いシーツ、薬草の匂い——医務室だった。どうやら無事生きて戻ったらしい。
「では落ち着いて聞いてくれるかの?」
「なんだよ。説教か?あぁそうだそうだ。継承者はジニー・ウィーズリーだったぞ。まぁ呪物で操られてたっぽいが、黒幕はトム・リドルで間違いねぇ。バジリスクはなんとか殺したと思うが……事件はもう終わってんだろ」
言いながらも、喉の奥がひどく乾いていた。石化明けってのは、どうにも体の中まで砂漠になる。
「終わったとも。
そう言ってジジイは眼鏡の奥の目を細めた。まるで何かを見透かすように。
「フシグロ君、事件は全て解決した。それと——」
「それと?」
ジジイはわざと間を置いた。嫌な予感しかしねぇ。
「事件が解決して1ヶ月が経っておる」
「な……ん……だと」
思わず声が裏返った。心臓が一拍遅れて跳ねる。冗談じゃねぇ。俺が1ヶ月、無駄にした?
頭の中にいくつかの「大事な予定」が浮かぶ。というか、今の時期はもう5月の終わり……いやもう6月の半ばじゃねぇか。G1のオークス、日本ダービー……あの馬券全部逃したってのか。
「おいおい待てジジイ、まさか」
「おぬしは石化しとったからの、全部わし一人で行ったぞい。ホッホッホ」
「クソが」
ベッドの上で拳を握る。殴る相手がいないのが悔しい。
「それと、ちなみに君が寝ておる間に、ロックハート先生が勇敢にも“自力で地上に戻ろうとした”そうじゃ」
「……は?」
「秘密の部屋の縦穴を登る途中で落ちたそうじゃ。両足を骨折し、頭も強打して今も医務室の反対側で寝とる」
「ハハハ、英雄の末路ってやつだな。相変わらず笑わせてくれるぜ」
笑いながらも、目の前のジジイが少しだけ口角を上げたのを見逃さなかった。
「彼のことは憎めんよ。頭部強打で記憶を失ったせいか、今では生徒に『おじさん』と呼ばれても笑顔で手を振るほど穏やかじゃ」
「……完全に壊れてんな。まあ静かでいい」
少し身体を起こす。筋肉が固まってやがるが、もう大丈夫だ。天与呪縛の肉体があれば、多少の石化の後遺症くらいどうにでもなる。
「ジニー・ウィーズリーは?」
「元気じゃよ。完全に回復しておる。授業にも戻り、今はネビル君とよく一緒におるそうじゃ」
「ほぉ……強ぇな、あのガキ」
「そう見えるかね?」
「見えるさ。呪いに操られた後で立ち直れる奴なんざそういねぇ。普通なら心が折れて終わりだ」
ジジイは静かに頷いた。
その目は、俺を褒めるわけでも、哀れむわけでもなく、ただ観察していた。
「生徒たちの間では、君が“バジリスクを蹴りで倒した英雄”と呼ばれておる」
「やめろ。そういう話が一番嫌いだ」
「ほっほっほ、まあよいではないか。事実、君の授業を受けていた子たちは、以前よりも強く、慎重になった。特にネビル・ロングボトム君は、筋肉を誇示するのが日課になっておる」
「それは止めろ。影響受けすぎだ」
「ふむ……彼は言っておった。“フシグロ先生は呪文が使えなくても誰より強い”と」
何も返せなかった。
言葉が浮かばねぇ時点で、何かを突かれたんだろう。
「ま、ガキどもが無事ならそれでいい」
「そうかね?」
「そうだ。俺は教師じゃねぇ、ただの外部指導員だ。守る義務なんざない。ただ、目の前の死にそうな奴は助けただけだ」
「それを“教師”と呼ぶのじゃよ」
「ハッ、耳障りな言葉だな」
天井を見上げた。高い窓の外には、春の陽が差し込んでいる。
気づけば季節はもう夏目前だ。
「ホグワーツは、また平和になったのか?」
「一応はのう。だが平和とは常に一時的なものじゃ。君もそれをよく知っておろう?」
「……あぁ」
戦いってのは、終わりゃしねぇ。敵が死んでも、次が来る。
人がいる限り、争いは続く。それが俺の知ってる世界の理屈だ。
「そういえば、スネイプはどうしてる?」
「珍しく真面目に授業をしておる。生徒が“先生が優しくなった”と噂しておったよ」
「それ、気味悪いな」
「同感じゃ」
笑いがこぼれた。医務室で笑うなんて、俺らしくもねぇ。
「さて、そろそろ退院の許可を出してもよいかの?」
「とっくに出せ。寝てるのは性に合わねぇ」
「無理をするでないぞ。石化の後は体内の流れが鈍る」
「大丈夫だ。すぐに授業復帰する」
「全く……君は少しは休むという概念を知った方がよい」
「ジジイ、お前こそだ。校長に戻って早々働きすぎなんじゃねぇか?」
「ほっほっほ、年寄りは動いておらねば死んでしまうのじゃ」
「なら墓掘りの練習でもしてろ」
「君は口が悪いのぉ」
ダンブルドアが呆れたように首を振る。その顔を見て、なぜか少しだけ安心した。
まだこの爺が笑っているうちは、世界は壊れちゃいねぇ。
俺は立ち上がった。
体の芯が温まる。もう石の感触なんざ残っちゃいねぇ。
「フシグロ君」
「なんだ」
「これからも、生徒たちを頼むぞ」
「頼むって言葉は好きじゃねぇ。勝手にやるだけだ」
ダンブルドアが満足そうに頷いた。
「さて……1ヶ月分のツケ、授業で取り返すとするか」
そう言って医務室を出た。
外の空気は、生きてる匂いがした。
廊下を歩き、とりあえず自室に向かった。
途中ですれ違う生徒達が俺に頭を下げ挨拶をしてくる。鬱陶しいが、まぁ悪い気分じゃない。
「フシグロ先生!おかえりなさい!」
「また授業おなしゃす!」
生徒達が一斉に声を上げる。元気なのは結構だが、音量が無駄にデカい。
「うるせぇお前ら、さっさと授業に行け」
言った瞬間、皆が蜘蛛の子を散らすように走っていった。相変わらず単純な奴らだ。
「1ヶ月か……金ねぇな」
ポケットをまさぐるが、何も出てこない。
「タバコもねぇ……」
石化中の寝たきり生活の代償ってやつだな。財布もどこかに消えた。
そうして自室の扉を開ける。中は思ったよりも綺麗だった。
1ヶ月も放置されていたはずなのに、埃ひとつない。
「ドビーか」
俺がそう呟いた瞬間、空間が揺れた。
「フシグロ様ぁ!!お戻りになられてドビーは感嘆の極みにございますぅ!!」
相変わらず声がでかい。心臓に悪い。
「お、おう……」
テンションの高さに呆れつつも、掃除の出来は見事だった。書類も揃い、床も鏡みてぇに光ってる。
「机の引き出しにあった書類も整理しました!“競馬情報”と“学生指導方針案”を分けましたぁ!」
「……助かる」
「さらに棚の上の“競馬新聞”を年代順に並べ、敗因分析表も作りましたぁ!!」
「お前……やるじゃねぇか」
「お褒めの言葉、光栄にございますぅぅ!!」
ドビーが跳ねて喜んでいる。やかましいが、役に立つ奴だ。
まさか妖精にデータ整理を頼む日が来るとは思わなかった。
「で、俺が寝てる間に何かあったか」
「ドビーは自由になったのですぅ!!ルシウス・マルフォイ様からぁ!!」
「……お前、あいつのしもべだったのか」
思わず目を細めた。ルシウスの名前を聞くだけで気分が悪くなる。
あの男のやり口は、かなり汚い。呪術界でもいい立ち回りができるだろうな。
「はいぃ!!ですがもう違いますぅ!!ハリー・ポッター様が救ってくださったのですぅ!!」
「ハリーが……ね」
あのガキがそんなことを。意外と肝が据わってやがる。
「事件の後、ハリー様はルシウス様に本を返されたのですぅ!靴下を挟んで!」
「靴下?」
「それをルシウス様がドビーに投げつけましたぁ!ドビーは服を貰い、自由になったのですぅ!!」
「……成程な」
要領の良い奴だ、あのガキ。頭も回る。
ルシウスが怒り狂う姿が目に浮かぶ。
「その後、ルシウス様は“アバダケダブラ”を唱えようとしましたが……ドビーが光で吹き飛ばしましたぁ!!」
「え」
ドビーは胸を張って震えていた。嬉しいのか怖いのか分からねぇ。
「ドビーはあの瞬間、初めて誇りを感じましたぁ!」
「そうか」
自由と誇り、ね。俺には縁の薄い言葉だ。
けど、こいつの顔を見てると少しだけ悪くないと思える。
窓際へ歩き、外を見た。グラウンドの芝が陽に照らされて光っている。
6月半ば、空気が夏に変わる境目だ。
「で、これからどうすんだ?」
「ドビーは!フシグロ様のお世話をいたしますぅ!!」
「勝手に決めんな」
「ドビーの意思ですぅ!!」
「……まぁ、掃除くらいなら許す」
言った瞬間、ドビーは床に伏して感激していた。大袈裟な奴だ。
机の引き出しを開ける。競馬新聞が綺麗に束ねられ、香草の匂いが漂う。
整理整頓の才能は本物だ。
「ドビー、水をくれ」
「ただいまお持ちしますぅぅ!!」
パチン、と音を立てて消える。部屋に静けさが戻った。
ベッドに腰を下ろし、深く息をつく。ようやく自分の時間が戻った気がした。
この1ヶ月、俺の世界は石の中で止まってた。だが、外はちゃんと動いてたらしい。
再びパチンと音がして、ドビーが戻る。銀のカップに水を満たしていた。
「フシグロ様ぁ!お水をどうぞ!」
受け取って一口飲む。冷たくて、やけにうまい。
喉に流れ込む感覚が、今の俺に一番現実を思い出させた。
「ありがとな」
「ひぃぃ!!も、もったいないお言葉ですぅ!!」
大袈裟に震えてるが、まぁ放っとこう。
窓の外では、生徒達の笑い声が聞こえる。
その音に、ようやく平和ってもんの実感が少しだけ湧いた。
「……まぁ、悪くねぇ」
俺はカップを机に置いた。冷たい水滴が木の表面を滑り落ちていく。
「はぁ……もう二度と石化なんざごめんだな」
そう呟いた声に、ドビーが小さく頷いた。
「ドビーが全力でお守りいたしますぅ!」
「……頼むから静かにしてくれ」
それでも口の端が少しだけ緩んでいた。
そうして終業式の日がやってきた。
6月30日。今日をもって学期が終わり、7月1日から8月31日まで、長い長い夏休みが始まる。
俺は大広間のいつもの隅、教職員席の一番端に腰を下ろしていた。壇上ではダンブルドアが相変わらず饒舌に喋り続けている。何を言っているかは半分も聞いていないが、まぁ、毎年似たような話だ。努力がどうとか、友情がどうとか。そういうのは生徒達が聞けばいい。
食堂中にざわめきが漂い、空気は浮ついていた。夏を前にした子どもらの顔は、誰もが開放感で満ちている。教師というのは、この季節になるとやけに年を感じる職業だ。
「フシグロ先生、夏休みはどうされるので?」
隣の席から小柄な声が聞こえた。フリットウィックだ。相変わらず落ち着いた口調で話しかけてくる。
「あ?」
「いえね、皆さん旅行の話ばかりしているものですから。先生方もそれぞれ帰省されるとか……」
夏休み、か。
去年はダンブルドアのジジイと一緒に日本へ行った。競馬、パチンコ、競艇、そして夜通しの酒。どれも教育者らしからぬ行動ばかりだったが、あのジジイに関しては“らしさ”なんて最初から無い。
「去年と同じだ」
「いや去年が分からんです」
「知らねぇほうがいい」
そう答えると、フリットウィックは肩を竦めて小さく笑った。
「やはりミステリアスですね、フシグロ先生は」
「ただの面倒くさがりだ」
そう言いながら、壇上のダンブルドアを一瞥する。
あのジジイの顔を見ていると、ろくでもない誘いを思い出す。どうせ今年もどこかで「フシグロ君、また日本に行かんかね」とか言い出すに決まっている。
壇上の話が一段落すると、生徒達の拍手が起きた。終業式が終わる合図だ。
ダンブルドアがにこやかに手を広げる。
「では皆、よい夏を!」
拍手と歓声が大広間を満たす。生徒達が一斉に立ち上がり、机や椅子を押しのけて出ていく。廊下にまで溢れるその声の波を、俺は黙って見ていた。
「……ガキども、元気だな」
「いいことじゃないですか。命あっての学びです」
フリットウィックが言う。確かにそうだ。去年のこの時期には、ホグワーツ中に恐怖が漂っていた。今こうして笑えることが、どれだけ貴重か。
「ま、静かになるのは悪くねぇな」
「フシグロ先生は静寂派ですか?」
「うるさいガキの声を毎日聞いてると、耳が腐る」
「ふふ、教師向きの発言ではありませんな」
軽口を交わしつつ、俺は椅子から立ち上がった。
見渡すと、スネイプが出口付近で腕を組み、最後まで残った生徒達を睨んでいる。あいつもあいつでブレねぇ。
「さて、そろそろ帰るか」
「お疲れ様です、フシグロ先生」
「おう」
大広間を出ると、石造りの廊下を抜ける風が心地よかった。6月の終わり、夏の匂いが鼻をくすぐる。
ホグワーツは古い石の塊みてぇな建物だが、季節の移り変わりだけは妙に鮮やかに感じる。
階段を降りる途中で、数人の生徒とすれ違った。彼らは荷物を抱え、家に帰る準備をしている。
「先生!来学期もお願いします!」
「怪我すんなよ」
短く返すと、生徒達は嬉しそうに笑って走っていった。
こういう瞬間だけ、教師ってのも悪くないと思える。
寮の廊下を抜け、自室の前に着く。扉を開けると、いつものようにドビーが待っていた。
「フシグロ様ぁ!!お帰りなさいませぇ!!」
「……お前、いつもいるな」
「ドビーはフシグロ様の召使いですぅぅ!!」
「勝手に決めんな」
そう言いながら机に腰を下ろし、椅子を傾ける。
ドビーが机の上に水差しを置き、嬉しそうに尻尾のような耳を揺らしていた。
「夏休み、どうされるのですかぁぁ!?」
「さぁな。たぶんまたジジイに引っ張られる」
「ジジイ……ダンブルドア様ですかぁぁ!!?」
「他にいねぇだろ」
ため息をつく。どうせまた、魔法省の役人か、怪しい魔法生物の調査とか言い出すんだ。去年は競馬だったが、今年は何が待っているのか。嫌な予感しかしない。
「フシグロ様がいない間、ドビーは部屋を守りますぅぅ!!」
「守らなくていい。誰も盗らねぇよ、こんなもん」
「いえっ!!フシグロ様の競馬新聞はドビーの宝ですぅぅ!!」
「気持ち悪ぃこと言うな」
水を一口飲み、外を見る。
空はすっかり夏の色をしていた。湖面に光が反射し、カエルの鳴き声が微かに聞こえる。戦いも恐怖も遠くなり、代わりに日常が戻ってきた。
「……平和ってのは、こういうことか」
誰に言うでもなく呟く。
静かで、退屈で、少しだけ温い。だが悪くない。
「ドビー、俺がいない間、ちゃんと休めよ」
「ひぃぃ!!ドビーは働くのが喜びですぅぅ!!」
「……勝手にしろ」
肩を竦めながら笑った。
その瞬間、部屋の外から風が吹き込み、机の上の書類が一枚だけ舞い上がる。
手を伸ばして掴むと、それは“学生指導方針案”の一番上だった。
“心を鍛え、体を鍛え、生き残る力を学べ。”
自分で書いたはずのその一文に、少しだけ苦笑が漏れる。
「……ま、言うだけならタダだな」
そう言って椅子の背にもたれ、ゆっくりと目を閉じた。
長い一年が終わった。次に目を開ける頃には、また面倒な夏が始まる。
秘密の部屋編完
正直エピローグが1番難しい。