ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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伏黒甚爾とアズカバンの囚人
第一話


 

 

 

 1993年、7月某日。

 

 ウィーズリー一家は懸賞でエジプト旅行を当て、家族そろってエジプトに赴いていた。

 

 「おい、ロン。大丈夫かよ?」

 「腹でも壊したか〜?」

 

 フレッドとジョージが心配なのか、揶揄いなのか分からないことを言いながらロンの肩を叩いた。

 

 「お兄ちゃん?」

 

 数ヶ月前にトム・リドルの日記に操られ、散々な目に遭ったジニーも今やすっかり元気になっていた。ホグワーツの生徒たちは夏休み中であっても、各々自主的に魔法や呪文学の訓練を行っている。ジニーも例外ではなく、むしろ以前よりも集中力が増しているほどだった。

 

 そんな彼女が、時折うめく兄を心配そうに見つめていた。

 

 「なんか……夏休み前から調子が悪いというか……いや、良すぎる?なんて言えばいいんだ、これ?」

 

 ロンは自分の体を掻きながら苦笑した。

 

 確かに顔色も体調も悪くない。むしろ、異様に調子がいい。だが、その「良すぎる」感覚こそが、違和感の正体だった。

 

 ロン・ウィーズリーは、ポリジュース薬を飲み伏黒甚爾に肉体を乗っ取られ、そして――その後に肉体を取り戻した。

 

 しかし、取り戻した肉体は完全な“元通り”ではなかった。

 

 肉体だけを変化させるポリジュース薬は、通常、魂に干渉することはない。だが伏黒甚爾の肉体は例外だった。

 

 伏黒甚爾――天与呪縛の“フィジカルギフテッド”。

 呪力を完全に欠き、その代わりに“人間という枠を超えた肉体”を持つ者。

 呪術界の理から逸脱した、呪力と魔力、双方の体系すら否定する存在。

 

 ロンはポリジュース薬の効果で、その肉体を模倣してしまった。

 

 肉体が甚爾の理に“置き換えられた”瞬間、ロンの魂はその肉体構造に耐えられず、崩壊した。

 

 ──そう、ロン・ウィーズリーは一度“死んだ”のである。

 

 魂が崩壊し、そしてポリジュース薬の効力が切れ、ロンの肉体は再び元に戻ろうとした。

 

 そのとき、魂もまた“再構築”された。

 

 死を経て、再び生まれ直す――“蘇生”とも呼べる現象。

 

 伏黒甚爾の肉体がもたらした異常は、ロンの魂にまで及んでいた。

 

 つまり、ロンは“呪術”という未知の領域に触れたのだ。

 

 肉体が崩壊し、魂が再生するその瞬間。

 ロンは呪力と魔力、二つの“核心”に同時に触れた。

 

 呪術の中で死に触れたものは、“呪力の核心”を知るという。

 

 ロンの場合、それに加え魔力の流れ――魔法の根源にも干渉した。

 

 つまりロン・ウィーズリーは、魔法界と呪術界の“狭間に立つ存在”となったのだ。

 

 「……お兄ちゃん、まだ調子悪いの?」

 

 ジニーの声に我に返る。

 「いや、悪いっていうより、なんか変なんだよ」

 

 ロンは拳を握り、手のひらを見つめた。

 指先が微かに熱い。血管の中を流れるものが、いつもと違うような気がした。

 

 「なんか、体の中で何かが動いてる感じがするんだ。魔法とは違う……もっと生っぽい何かが」

 

 「生っぽい何かって……また変なこと言ってる」

 

 ジニーが呆れ顔で笑うが、ロンの表情は真剣だった。

 

 バジリスクとの戦い以来、時折夢を見るようになった。

 それはまるで、自分ではない“誰か”が戦っている記憶だった。

 闇の魔法使いと素手で戦う、鋼鉄のような筋肉を持つ男。

 その姿は、自分がポリジュース薬で変身したあの男――伏黒甚爾そのものだった。

 

 「ハリーやハーマイオニーには言ったの?」

 「言ってない。どう説明していいか分からないんだ」

 

 ロンは肩をすくめた。

 自分の身に起こっていることを、誰に話しても信じてもらえないだろう。

 魔法では説明できない現象。呪文でも薬でもない“何か”が、確かに自分の中にある。

 

 日差しが強く、砂漠の空気が揺れている。

 家族が楽しげに写真を撮っている中で、ロンだけが違う世界に立っていた。

 

 ──伏黒甚爾。

 

 あの男の存在が、まだ自分の中で息づいている気がした。

 死を経て、なお焼きついた“理”。

 

 呪力と魔力の交わる一点。

 ロン・ウィーズリーの魂は、もう普通の人間のものではなかった。

 

 風が吹く。乾いた砂が足元を流れ、ロンは無意識に手を握り締める。

 微かに骨の軋む音がした。

 肉体は確かに人間のそれなのに、感覚の奥底で“別の力”が蠢いていた。

 

 「……どうなってるんだ、俺」

 

 ロンは誰にも聞こえないように呟いた。

 その声は、エジプトの熱気に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺とダンブルドアは()()()()()()()日本に飛んで、競馬やパチンコ、そして最近始めた競艇に熱中していた。

 

 競艇は競馬よりも予想がしやすく、リターンも大きい。1号艇から6号艇までのゴール順を決めて買うだけだ。レースの展開は早く、風や波の影響を読む必要はあるが、要は艇の性能と選手の反応速度だ。運転は人間、だからこそ人の癖を読むのが勝負の鍵になる。過去の成績やスタートの癖を見れば、勝敗はほぼ見えてくる。魔法も呪術もいらねぇ、純粋な読み合いだ。

 

 「うぉっ、フシグロ君!今のターンは見事じゃ!」

 

 「黙ってろ、集中できねぇ」

 

 ダンブルドアのジジイが隣で騒いでいる。こいつは魔法界の大物って顔をしてるくせに、こういう時だけは子供みてぇなテンションだ。いや、むしろたちが悪い。金を賭けてる分、俺より熱中してやがる。

 

 この日は絶好調だった。バジリスク殺しのボーナス報酬に加え、教員報酬、夜間巡回の手当て、そしてハリー・ポッターの護衛報酬まできっちりもらっていたおかげで、懐は十分に温かい。これを倍々で増やしていけば、俺はもう働かなくていい。最高の道筋が目の前に見えていた。

 

 「よし……このままいけ」

 

 波を切って進む艇が白い飛沫を上げる。1号艇がわずかに出遅れ、俺が賭けた3号艇が内側を抜ける。理想の展開だ。

 

 ──が、ジジイがニヤリと笑った瞬間、嫌な予感がした。

 

 「おっと、1号艇が粘るのぉ」

 

 「フラグ立てんな」

 

 案の定、最終ターンで1号艇がインを奪い返した。

 

 「……クソジジイ」

 

 「ホッホッホ、勝負とはこういうものじゃよ」

 

 いつものようにこいつの勝ち。しかも、わざとタイミングを見計らって話しかけてきやがる。集中を乱されたのが悔しいが、認めたくはない。

 

 「ま、負ける日もある」

 

 「そう落ち込むでない、フシグロ君。人生はギャンブルみたいなもんじゃ。負けて得る経験のほうが多い」

 

 「お前の場合、負けて学んだことなさそうだな」

 

 「学ばんでも勝てるからの」

 

 ジジイは鼻歌を歌いながら財布をパンパンに膨らませている。見ているだけでムカつくが、まぁ気分は悪くない。競艇場の喧騒、潮の匂い、金の擦れる音。こういう場所の方が性に合ってる。

 

 その時だった。レースのアナウンスが流れる合間に、ダンブルドアがポンと手を叩いた。

 

 「そういえば……フシグロ君に魔法省から手紙が来ておった。渡すのを忘れておったわい」

 

 「は?」

 

 「ほれ」

 

 白い封筒を投げ渡される。宛名の筆跡は硬く整っている。魔法省の公式印章入り、つまり冗談じゃない。俺は眉をひそめながら封を破った。

 

 「えーっと、“ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師、伏黒甚爾。ウィゼンガモット法廷に出廷せよ。なお拒否権はない。1週間後の7月11日に出廷しなければ、魔法省闇祓いによる強制捕縛を行う”……だとよ」

 

 「ほう!」

 

 なぜかジジイが嬉しそうに声を上げた。

 

 「なんだよ、俺が捕まるのがそんなに楽しいか」

 

 「いやいや、久しぶりに退屈せん夏休みになりそうじゃろ?」

 

 「その発想が頭おかしいんだよ」

 

 「ホッホッホ、法廷というのはな、わしも若い頃よく立ったもんじゃ」

 

 「そりゃ裁く側だろ」

 

 「まぁどちらも経験がある」

 

 「最低だな」

 

 ジジイは悪びれる様子もなく、指先で封筒をつついた。

 

 「内容からして……クィリナス・クィレルの件じゃな」

 

 「クィレル?ああ、あのビビり野郎か」

 

 脳裏に焼きつく、あの黒い煙のような気配。バジリスクに比べりゃ小物だが、あの時は嫌な汗をかいた。まさか死人が憑いた体を斬る羽目になるとは思ってもなかった。

 

 「そういえば、あの件……報告書では“事故”扱いにしておいたのじゃが」

 

 「それが今ごろ法廷か。笑えるな」

 

 「ホグワーツというのは常に監視されておるからの。特に君のような異邦人は目をつけられやすい」

 

 「はっ、異邦人ね。ま、そりゃそうだ」

 

 俺は紙を丸め、ポケットに突っ込んだ。

 

 「で、行かなかったらどうなる?」

 

 「書いてある通りじゃ。闇祓いに捕まる」

 

 「そいつら強ぇのか?」

 

 「まぁ……一般の魔法使いよりはな。だが君にとっては退屈な相手じゃろう」

 

 「だろうな」

 

 闇祓い?面白ぇじゃねぇか。もし来たら逆に稼ぎの種にしてやる。

 

 「というわけで、来週はロンドン行きじゃな」

 

 「チッ……せっかく夏休み入ったのによ」

 

 「ホッホッホ、旅行気分で行けばよい。なんなら、ついでにロンドン競馬も寄っていこうではないか」

 

 「お前、ほんとに校長か?」

 

 「引退したらギャンブラーになる予定じゃ」

 

 「もうなってるだろ」

 

 俺は頭をかきながら、夕陽に照らされた水面を見た。レース場の喧騒は続いているが、胸の中では別の波が立ち始めていた。

 

 ──法廷。

 

 俺が最も嫌う“人間の都合の場”だ。

 

 呪いも呪霊も殺してきた俺が、今さら法で裁かれるなんて皮肉なもんだ。だが、この時の俺はまだ知らなかった。

 

 この呼び出しが、あんな事になるなんてな。

 

 「次が最終レースだな。おいジジイ、どうする?」

 

 「ふむ……」

 

 ダンブルドアのジジイは、いつものように上着の内ポケットから革の手帳を取り出し、何やら小さな文字で書き込み始めた。

 

 こいつは最近、こうしてギャンブルごとに“記録”をつけている。どの艇に賭けたか、選手の状態、風の向き、気温、湿度、波の高さまで。

 競馬の時もそうだった。馬の調子、馬場の湿り具合、前走のタイム――しまいには馬の顔つきまでメモしていた。パチンコの時は回転数と釘の開き具合、隣の客の運勢まで書いてやがった。あれを「研究」と呼んでいるが、実際はただの執念深いギャンブラーだ。

 

 「ズバリ……6-1-5じゃな」

 

 「はぁ?それ大穴すぎだろ。当たったら何倍だ?」

 

 「379倍じゃな」

 

 「無理だろそれ。379倍なんて……どんな奇跡が起きりゃ出るんだよ」

 

 「ホッホッホ、奇跡を起こすのが人生の醍醐味じゃ」

 

 相変わらず訳のわからんことを言う。

 

 「俺は1-4-2と2-1-4、3-1-2、4-1-2で行くぜ」

 

 「ふむ、安牌というやつじゃの」

 

 「安全第一、ってやつだ」

 

 そうして最終レースが始まった。

 

 ジジイがいくら賭けたかは知らんが、俺は各口に10万円ずつぶち込んだ。当たればまぁ多少は増える。だが問題はそこじゃない。レースの瞬間ってやつは、血の温度が上がるんだ。命を懸ける戦いに近い高揚がある。戦闘と違って相手を殴る必要もない。手を汚さずして心臓だけが燃える。俺はこの感覚が嫌いじゃない。

 

 モーター音が鳴り響く。6艇のボートがスタートラインに並び、風が一瞬止んだ。観客席のざわめきが緊張に変わる。

 

 「……来るぞ」

 

 ピストルの音が鳴り、6艇が一斉に水を跳ね上げた。白波の飛沫が霧のように舞い、太陽の光を反射して眩しい。

 

 「1号艇、好スタートじゃの」

 

 「わかってる、いい感じに入ってる」

 

 実況が叫ぶ。

 《第1ターンマークを回ります!先頭は1号艇のオオトモ、続いて4号艇、2号艇がインに切り込む!》

 

 俺の握った馬券ならぬ舟券――1-4-2、完璧な流れだ。

 

 「おい見ろ!完璧じゃねぇか!」

 

 「まだ早いぞ、フシグロ君。波が荒れておる」

 

 ジジイの言葉を聞いて、ふと風を感じた。確かに、さっきまで穏やかだった風が急に強く吹いている。レース場全体がわずかに白波を立てていた。

 

 次の瞬間、6号艇が波を切り裂くようにスピードを上げた。まるで追い風に押されるように、6号艇は一気に外側から加速していく。

 

 「……嘘だろ」

 

 《6号艇、外から一気にまくったァ!トップに躍り出る!!》

 

 場内がどよめく。歓声と悲鳴が入り混じり、ジジイが椅子を軽く叩いた。

 

 「来たのぉ、6号艇」

 

 「は?冗談だろ。お前マジで当てたのか」

 

 「ホッホッホ、風向きを読んだだけじゃ」

 

 ジジイは自慢げに眼鏡を押し上げ、煙草を咥えた。嬉しそうにニヤつくその顔が、妙に腹立つ。

 

 俺の舟券は全部外れ。たった数分で40万が紙屑になった。

 

 「……クソが」

 

 「学びじゃよ。勝ち負けよりも、どう“外す”かを覚えるのが先じゃ」

 

 「説教すんな」

 

 ため息をつきながら、俺は財布の中身を覗く。まだ残りはあるが、こう何度も外すとさすがに気分が沈む。ダンブルドアはというと、もう次のレース予定表を取り出している。ほんと、金の亡者だ。

 

 「ジジイ、そんなに稼いでどうするんだよ」

 

 「ホッホッホ、墓の中までは持っていけんからの。どうせなら使い切って死にたい」

 

 「まぁ……それは分かる」

 

 金なんざ死んだ後には意味を成さない。だが、生きてる間に掴む“勝ち”の快感は、麻薬みてぇなもんだ。俺だって分かってる。やめられねぇんだよ、こういう博打は。

 

 そうして最終レースは終わった。

 

 6号艇、1号艇、5号艇。

 

 ジジイの予想――6-1-5、的中。

 

 「うっそだろ……379倍って言ったよな?」

 

 「うむ、まさかほんとに当たるとは思わんかったが……これは凄まじい額になるのぉ」

 

 換金窓口に向かうジジイの背中を見ながら、俺は呟いた。

 

 「……こいつ、やっぱり魔法で操作してんじゃねぇのか」

 

 「ホッホッホ、疑うのは負け犬の証拠じゃ」

 

 「うるせぇ」

 

 

 俺とジジイは舟券を換金しに行った。まぁ俺は負けたから何もねぇけどな。

 

 カウンター前で札束を前にニタニタしてるダンブルドアのジジイを見て、思わずため息が出た。こっちはもう帰る準備も済ませてるってのに、ジジイは満面の笑みで、まるで聖杯でも拝むように店員の手元を凝視してやがる。

 

 「まぁまぁ待つのじゃ、換金の瞬間が1番楽しいのぉ〜こう……札束がドバッと出てくるのがたまらんわい」

 

 「それは分かるけどな」

 

 「当てたことないのに?」

 

 「うるせぇ殴るぞ」

 

 「ほぉ〜怖い怖い」

 

 まったく、どこまでも金に汚いジジイだ。だがそのギラついた目を見て、俺はふと笑ってしまった。欲に忠実な奴ってのは分かりやすくていい。あの目は勝負で生きてきた人間の目だ。ある意味、俺と同類だろう。

 

 そんなこんなで換金を終えた俺たちは、夜の街へと繰り出した。夏の夜は蒸し暑い。ネオンの光がアスファルトに反射して、湿った風が肌を撫でる。パチンコ屋の騒音と、どこかのスナックから漏れる歌声。日本の夜ってのは本当に雑多だが、それがいい。

 

 「で、晩飯はどうする?」

 

 「焼肉も寿司もラーメンも毎週行ってたからの……何か別のものに挑戦してみたい。オススメはあるかね?」

 

 「オススメね……」

 

 中華か和食か。俺は少し考えた。贅沢って気分じゃない。勝負で負けた後のメシは、質より量で腹を満たすほうがいい。

 

 「下町中華とかどうだ?負けて金がない時によく行ってた店がある。安いのにヤバいくらい大盛りでな」

 

 「ほう、庶民の味というやつか。悪くないのぉ」

 

 「悪くねぇどころか最高だ。チャーハン頼めばどんぶりの上に富士山みたいに盛ってくれる。スープは塩味が強すぎて血圧が上がるが、それがまたいい」

 

 「ふむ……塩分過多は命取りじゃが、たまには良かろう」

 

 「お前、100年以上生きてんだから今さら気にすんな」

 

 「年寄り扱いするでない」

 

 そうして俺たちは繁華街の外れにある古びた中華屋に入った。暖簾は擦り切れ、看板の電球は半分切れている。だが、この雑多な感じがいい。こういう店の飯は大体うまい。

 

 「おーい、チャーハン2つと餃子3人前、ジジイ酒は?」

 

 「わしは紹興酒を頼むかの」

 

 店員が無言で頷き、厨房に声を飛ばす。奥から中華鍋の金属音が響き、油の焦げる匂いが鼻を刺した。

 

 「フシグロ君、日本に帰ってくると落ち着くのぉ」

 

 「まぁ、空気が合ってるんだろうな。ホグワーツも悪くはねぇが、あそこは湿気が多すぎる」

 

 「ふむ、イギリスは霧が名物じゃからの」

 

 「霧なんざ呪いの温床みたいなもんだ」

 

 ジジイが笑った。

 

 「そういやジジイ、お前ほんとに暇なんだな」

 

 「なんじゃ急に」

 

 「だって校長だろ?夏休みとはいえ、普通は仕事あるんじゃねぇのか?」

 

 「ホッホッホ、わしは校長じゃが、ホグワーツは“自己管理型”の組織じゃ。わしがいなくても回る」

 

 「それでいいのかよ」

 

 「よくはないが、良いようにしておる」

 

 「……意味わかんねぇ」

 

 そこへチャーハンが届いた。見事なまでに山盛り。湯気の立つそれを見て、思わず笑みがこぼれた。

 

 「これだよ、これ」

 

 スプーンを入れると、米がサラサラとほぐれる。油の加減が絶妙だ。口に入れれば卵とネギの香りが広がる。シンプルなのに、これがうまい。

 

 「……うむ、これは美味じゃな」

 

 「だろ?」

 

 話していると店員が来た。ジジイの紹興酒だ。琥珀色の液体が湯気を立てながら盃に注がれ、香ばしい匂いが漂う。

 

 「美味いか?」

 

 「ふむ……イギリスの酒とはやはり違うのぉ……たまらんわい」

 

 ジジイがゆっくりと口に含み、鼻に抜ける香りを味わっている。その表情は上機嫌そのもので、まるで世界の秘密でも解き明かしたかのような顔をしてやがる。

 

 「おい、そっちばっか飲んでないで早く食えよ。せっかくのチャーハンが冷める」

 

 「いやいや、こうして少しずつ味わうのが通というものじゃ」

 

 「通とか言ってるけど、お前ただの呑んだくれだろ」

 

 「ホッホッホ、酒は心の魔法じゃよ。呑めば呑むほど真実が見えてくる」

 

 「真実じゃなくて幻覚だろ」

 

 そう言って、俺は餃子を箸で摘まみ、口に放り込んだ。ニンニクと肉汁が広がる。熱々で、うまい。

 

 「にしてもよ……」

 

 「なんじゃ?」

 

 「お前、本当に偉いのか?」

 

 「どういう意味じゃ?」

 

 「だってよ、校長が競艇にハマって、夜は居酒屋で酒かっくらってるとか、聞いたら誰でも腰抜かすぞ」

 

 「人間とは多面的な生き物じゃ。わしのように見識が広い者ほど、遊びにも深みが出る」

 

 「屁理屈だな」

 

 「フシグロ君、君も少しは人生を楽しむ余裕を持たんか。いつも眉間に皺を寄せておる」

 

 「俺はそういう性分なんだよ。働いて、喰って、寝る。それで十分だ。本音は働きたくねぇけどな」

 

 「ほっほっほ……悟りを開いた坊主のようなことを言うのぉ」

 

 「坊主よりはマシだ」

 

 ジジイが盃を掲げ、俺に向かって軽く乾杯の仕草をした。仕方なくジョッキを合わせると、心地よい金属音が響く。

 

 「ふむ……」

 

 「ん?」

 

 「魔法省からの召喚、ちと気になるのぉ」

 

 「俺は別に気にしてねぇ」

 

 「そう言えるのは強い者の特権じゃ」

 

 「お前もそうだろ。あれだけやらかして、よく立場守ってるもんだ」

 

 「ホッホッホ、長く生きる秘訣じゃ。大切なのは、誰を敵に回さず、どこまで嘘を混ぜるかよ」

 

 「聞いててイラつくけど……正論だな」

 

 「君もその辺を学べばよい。そうすればもう少し生きやすくなる」

 

 「俺には柄じゃねぇ」

 

 ダンブルドアは微笑を浮かべながら、紹興酒をまた一口啜った。その動作がやけにゆっくりで、妙に絵になる。こうして見てると、ただの老魔法使いというより、どっかの裏社会の大物に見える。

 

 「……そういや、あの手紙。差出人は誰なんだ?」

 

 「正式には魔法省の司法部門じゃが、実質はウィゼンガモットの命令じゃ。わしの推測では、アンブリッジ辺りが動いておる」

 

 「あのピンクババアか」

 

 ロンドンを歩いてる時にチラッと見たことがある。それに日刊預言者新聞でもたまに載ってる。見るからにウザそうなババアだ。

 

 「そう、見た目は愛らしいが中身は氷のように冷たい。彼女が法廷に座れば、どんな者でも悪人に見える。言葉で人を裁くことに快楽を覚えるタイプじゃ」

 

 「面倒くせぇ女だな」

 

 「面倒どころではない。あの女は権威と命令を何よりも愛しておる。自分が“上”に立っていると信じる限り、どんな罪も作り出せる」

 

 「それで、俺がそのターゲットってわけか」

 

 「まぁ、そうじゃろうな」

 

 ジジイは悪びれもせず、まるで天気の話でもしているような口調だった。

 

 「お前、俺が有罪になったらどうすんだ」

 

 「ほっほっほ、その時はその時じゃ」

 

 「いや、そこは助けろよ」

 

 「わしが助けんでもフシグロ君なら平気じゃろう」

 

 「そうだな……まぁどこへでも逃げるさ」

 

 餃子にタレをたっぷりつけ、チャーハンの上に乗せて一緒に口に放り込む。油の香りと焦げた米の匂い、そこに餃子の肉汁が混ざって、舌の上で弾けた。中華屋のざらついた木の机、換気の悪い厨房から漂う熱気、酔っ払いの笑い声、皿のぶつかる音――すべてが騒がしく、それでいて妙に落ち着く。こういう雑多な場所の方が、俺は性に合っている。静かな場所は呼吸が合わねぇ。

 

 ジジイは向かいの席で、紹興酒を手の中で揺らしていた。琥珀色の液体が湯気を立て、盃の縁を越えてわずかに滴る。まるでその香りを楽しむように、ダンブルドアは鼻を鳴らして深く吸い込み、ゆっくりと口に含む。その横顔は、千年生きてきた賢者のようにも見えりゃ、ただの酒好きの老人にも見えた。いや、後者だな。

 

 「フシグロ君、そうやって飯を楽しめるのはよいことじゃ。余裕のある者は負けぬ」

 

 「腹が減ってちゃ勝てねぇだけだ」

 

 「ホッホッホ、違いない」

 

 ジジイはそう言って薄く笑い、再び盃を傾けた。アルコールの香りが鼻を刺す。俺は茶で口を流し、喉を鳴らす。酔えない体で酒を飲む意味がわからない。茶の方がまだマシだ。熱い茶の苦味が舌を洗うたび、頭の奥が冴えていく。

 

 「にしても、お前……校長のくせに人の心配してる暇があるのか?」

 

 「わしが校長である前に、一介の賭け仲間じゃからの」

 

 「自覚あるのかよ」

 

 「ほっほっほ、自覚があるからこそ堕ちぬのじゃ」

 

 そのセリフのどこに説得力があるのか分からないが、言い切る顔には妙な迫力があった。こいつはいつもそうだ。冗談とも本気ともつかない調子で、人を煙に巻く。話の芯を掴ませねぇ。だからこそ、誰よりも真実に近い場所に立ってるように見えるのかもしれない。

 

 「で、ウィゼンガモットってのは何だ?法廷みたいなもんか?」

 

 「うむ。長老会議のようなものじゃ。魔法界における最高司法機関。彼らが“黒”と言えば白いものも黒になる」

 

 「めんどくせぇ世界だな」

 

 「理は人の数だけある。だが権威は一つで十分じゃ」

 

 「その“権威”に裁かれるのが俺ってわけか」

 

 「正確には、君の生き方そのものじゃな。誰も君を理解できんから裁こうとする。理解できぬものは、恐れられるからのう」

 

 「……気に入らねぇ理屈だ」

 

 「気に入らん理屈ほど、よく出来ておるものじゃ」

 

 ジジイの盃が卓に当たってコトリと鳴った。外の雨音がガラス越しに響いている。いつの間にか店の喧騒が遠のき、俺たちの席だけがぽっかりと時間から切り取られたみたいに静かだった。

 

 「なぁジジイ」

 

 「なんじゃ」

 

 「お前、本当は何を企んでんだ?」

 

 「企むとは人聞きが悪いのぉ。わしはただ、“流れ”を見ておるだけじゃ」

 

 「流れ?」

 

 「世界は常に歪んでおる。誰かが押せば、どこかが凹む。君のような存在はその歪みに触れる“指”のようなものじゃ。触れた途端、何かが変わる」

 

 「俺は波風立てた覚えなんてねぇけどな」

 

 「それがまた厄介なんじゃよ。自覚なく動く者が一番怖い」

 

 「お前、褒めてんのか貶してんのかどっちだ」

 

 「両方じゃ」

 

 ジジイは笑い、皺の間から白い歯を見せた。その笑みは飄々としているのに、何かを隠しているようにも見える。俺は茶を飲み干してため息をついた。こいつの言葉は、いつも伏線じみてて性質が悪い。

 

 「まぁいい。どうせ行くだけ行って帰ってくるさ」

 

 「そうじゃ。それでよい。罪とは、儀式みたいなものじゃからの」

 

 「儀式ねぇ……」

 

 「人は誰しも形を欲する。罰も裁きも、安心の一形態じゃよ」

 

 「安心のために人を捕まえるとか、笑えねぇな」

 

 「笑えんからこそ続いておる」

 

 茶の湯気が揺れる。視界の端でジジイの盃が再び空になり、店員が静かに注ぎ足した。琥珀色の液体が盃の縁を伝い、灯りを反射して揺れている。

 

 「しかし、ほんに退屈せん男じゃのう。君とおると時間があっという間じゃ」

 

 「それはお前が酒に呑まれてるだけだ」

 

 「いやいや、君が風を起こしておるのじゃ」

 

 「風なんざ吹かせた覚えねぇよ」

 

 「そういうものほど、後で嵐になる」

 

 「また意味深なことを言いやがって」

 

 「生きるとは、常に意味深じゃよ」

 

 その言葉に、俺は鼻で笑った。

 外の雨脚が強くなり、屋根を叩く音が響く。

 熱く湿った空気の中で、茶の香りがやけに澄んで感じた。

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