ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第四話

 

 

 

 

 「では……まずはシリウスの身だしなみを整えるとしようかの?」

 

 「俺もな」

 

 「ホホッ、そうじゃったわい」

 

 「……」

 

 シリウスはまだ現実が理解できていない様子だった。まぁ無理もねぇ。昨日までアズカバンでディメンターの監視下、今日いきなり脱獄して、気づいたら日本。頭が追いつかなくても当然だ。

 

 「とりあえず銭湯にでも行くか」

 

 「せ、銭湯?」

 

 「湯に浸かって垢を落とすところだ。お前なんか特にひでぇ臭いしてるしな」

 

 「それは……12年も牢の中にいたんだ、無理もないだろう」

 

 「言い訳はいい。ジジイ、近くにあるか?」

 

 「うむ、ここから少し歩けば“極楽湯”という名のよい湯がある。魔法使いにも人気じゃ」

 

 「そ、そうなんですか」

 

 「何事も異文化交流じゃよ。たまには肩の力を抜くのも悪くない」

 

 「そういうのは風呂で語れ」

 

 そう言って、俺はシリウスの背中を軽く押した。ふらつきながらも歩き出すその背は、まだ牢の湿気を纏っているようだった。

 

 街の通りに出ると、昼下がりの光が照りつける。セミが鳴いている。湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。ホグワーツの冷たい石壁と違って、この蒸し暑さは命の匂いがした。

 

 「なんというか……この国は騒がしいな」

 

 「お前の国は陰気すぎるんだよ。多少うるさいくらいがちょうどいい」

 

 「人々の笑い声や、店の呼び込み……まるで別世界だ」

 

 「別世界だよ。ここは魔法じゃなくて現実が動かしてる。努力と汗と金でな」

 

 「……君は面白い男だ、フシグロ・トウジ」

 

 「そうか?」

 

 「あぁ。君の目は何かを恐れていない。まるで生きることを戦いだと思っているような」

 

 「実際、そうだろ」

 

 俺は前を見据えたまま言った。戦わなきゃ死ぬ、それが俺の生き方だった。魔法だろうが呪術だろうが、強い奴が生きるだけの話だ。

 

 「さ、着いたぞ」

 

 看板には金色の文字で「極楽湯」と書かれていた。入り口から湯気が漏れ、湯の香りが漂ってくる。ダンブルドアはすでに靴を脱いで中に入っていた。早い。

 

 「おい、ジジイ。脱ぐの早すぎだろ」

 

 「裸の付き合いというやつじゃよ。魔法界でも風呂文化は重要じゃ」

 

 「その理屈どこで仕入れた」

 

 「おぬしじゃよ」

 

 シリウスは入口の暖簾を見つめたまま立ち止まっていた。

 

 「裸で入るのか?」

 

 「当たり前だ。服着たまま風呂入るやつがどこにいる」

 

 「いや、その……少し恥ずかしいな」

 

 「12年ぶりに湯に浸かるんだろ?恥より湯気を楽しめ」

 

 「……ふむ、そうだな」

 

 暖簾をくぐると、湯気が顔を包んだ。木の香りと石鹸の匂いが混ざり合う。湯の音、桶のぶつかる音、笑い声――どれも久しく聞いていなかった“生の音”だ。

 

 ロッカーに服をしまい、身体を洗う。シリウスの背中は骨ばっていて、肋骨が浮き出ている。痩せすぎだ。

 

 「ひでぇ身体だな。よく生きてたな」

 

 「君に言われたくはないな」

 

 「確かに。俺も碌な生活してねぇしな」

 

 湯船に浸かると、熱が全身を包み込んだ。皮膚の奥まで染み込むような熱気。筋肉が緩む。ふっと息を吐くと、肩の力が抜けた。

 

 「はぁ……生き返る」

 

 「本当に……これが風呂か……」

 

 シリウスは湯の中で手を開いたり閉じたりしていた。湯気が髪に絡み、頬の血色が戻っていく。12年の監獄暮らしがようやく剥がれていくようだった。

 

 「ジジイ、そっちは熱くないのか?」

 

 「ほっほっほ、年寄りはぬる湯がちょうどよいのじゃ。熱すぎると心臓がびっくりする」

 

 「それで長生きしてんのか」

 

 「そうじゃ。長生きとはすなわち、逃げ延びる才能じゃよ」

 

 「……その才能は欲しくねぇな」

 

 しばらく黙って湯に浸かった。水面の反射が天井に揺れている。どこか夢の中みたいに静かだった。

 

 「なぁ、フシグロ」

 

 「ん?」

 

 「君は……何者なんだ?」

 

 「ただの人間だよ」

 

 「いや、人間じゃないように見える」

 

 「俺は呪いを持たねぇ代わりに、身体を極限まで強化された人間だ。呪いを殺すための欠陥品ってわけだ」

 

 「呪いを……殺すための、か」

 

 「お前ら魔法族とは違う。俺の世界は、生き残るために何かを捨てなきゃならねぇ世界なんだ」

 

 「……なるほどな」

 

 シリウスはそれ以上何も言わず、湯の中に沈んだ。肩まで浸かり、静かに目を閉じる。その顔はようやく穏やかだった。

 

 ジジイが風呂の縁に腰を下ろし、長い髭を撫でた。

 

 「ふむ、こうして見ると……実に平和じゃの」

 

 「平和は一瞬だからな。俺は先出とくわ」

 

 「ホッホッホ、相変わらずじゃの」

 

 「お前が落ち着きすぎなんだよ、ジジイ」

 

 俺は湯船から立ち上がり、湯気の中を歩いた。

 硝子越しに外を見れば、夏の夕日が沈み始めていた。赤く染まる空の向こうに、次の仕事の匂いがしていた。

 

 身体を拭いてタオルを腰に巻き、脱衣所のベンチに座って少し待つと、奥の方からジジイとシリウスが戻ってきた。湯気で髭がふやけたダンブルドアの顔は、いつもより丸く見える。隣のシリウスはといえば、すっかり人間らしい顔に戻っていた。12年の汚れがようやく落ちたってわけだ。

 

 「ジジイ、服あるか?俺のは全部あっちに置きっぱなしだ」

 

 囚人服を着るわけにもいかねぇからな。

 

 「あるとも」

 

 ジジイは身体をタイルで拭きながら、ロッカーを開けて小袋を取り出した。中には折り畳まれた服が丁寧に入っている。

 いつの間に用意してたんだこいつ。こういうところだけ妙に抜かりがない。

 

 「この中に入っとる」

 

 「どうもな。……金もあるか?コーヒー牛乳が飲みたい」

 

 「うむ、わしも飲みたい。シリウスにも買ってやってくれ」

 

 「分かったよ」

 

 俺はジジイのロッカーから財布を引っ張り出して、銭湯の外にある自販機へ向かった。冷気の中に漂う甘い香り、浴室の熱気の後に吸うこの空気がたまらない。

 カシャンという音とともに落ちてきた瓶を三本取り出す。

 

 「おー、ありがたい」

 

 ジジイが瓶を受け取り、ふたを器用に外して一口飲んだ。白い髭の間から牛乳の泡がついていて、見た目は完全に風呂上がりの爺さんだ。

 

 「ふむ……やはり風呂上がりはこれに限る」

 

 「お前、校長だって自覚あんのか?」

 

 「ホッホッホ、校長である前に人間じゃよ」

 

 「なるほどな。……おいシリウス、お前も飲め」

 

 「ありがとう。これは……牛の乳か?」

 

 「そうだ。まぁ、飲めばわかる」

 

 シリウスは少し躊躇してから瓶を傾けた。喉を鳴らし、目を丸くする。

 

 「うまい……冷たいのに、どこか温かい味がする」

 

 「人間が生きるために必要な味だ。魔法じゃ作れねぇ」

 

 「ふむ、いい言葉じゃの」

 

 「勝手にまとめんな」

 

 ジジイとシリウスは笑った。湯上がりの空気が妙に穏やかで、思わず俺も口の端が緩む。

 銭湯の外では夕焼けが街を染め、カラスが鳴いていた。遠くで子供の笑い声、線香花火の匂いが風に混ざって流れてくる。イギリスの灰色の空とは違う、どこか人の温度を感じる時間だった。

 

 「それにしても……あの地獄から、よくこんな平和な場所に来たもんだな」

 

 「生きてるうちに風呂に入れてよかったな」

 

 「……本当にそうだ」

 

 シリウスがそう呟いた時、その表情にはどこか涙を堪えるような影があった。

 アズカバンの12年が、ようやく終わったのだ。湯と牛乳で救われるなんて、滑稽だが悪くない。

 

 「さて、そろそろ行くか」

 

 「どこへ行くんじゃ?」

 

 「メシだ。風呂のあとは肉食わねぇと落ち着かねぇ」

 

 「おお、それは名案じゃ」

 

 「あなた達の行動力についていけないですよ」

 

 「お前も食え。骨しかねぇ身体してんだからな」

 

 「……ふふ、そうさせてもらうよ」

 

 俺たちは銭湯を出て、夕暮れの街へ歩き出した。商店街には焼き鳥の匂い、たこ焼きの湯気、香ばしいソースの香りが混ざり合っている。どれも腹に響く。

 道端では学生がアイスを食べ、サラリーマンが缶ビールを片手に笑っている。異世界なんて言葉が安っぽく感じるほど、ここは“生きてる”匂いがした。

 

 「この匂い……たまらんな。アズカバンには何も匂いがなかった」

 

 「死の匂いしかしなかったろ」

 

 「ああ。風の匂いすら奪われていた」

 

 「だから生きてる奴の匂いを嗅げ」

 

 俺は焼き鳥屋の暖簾をくぐった。炭の香りが一気に鼻を抜ける。

 カウンターの奥では大将が忙しそうに串を焼いていた。ダンブルドアとシリウスが後ろから続く。三人並んで座るなんて、奇妙な絵面だ。

 

 「おう、いらっしゃい。三名様ね。何にする?」

 

 「全部盛り合わせで。あとビールとウーロン茶、ジジイは酒だな?」

 

 「もちろんじゃ」

 

 「俺は……牛乳はないのか?」

 

 「ねぇよ」

 

 店主が笑い、炭火の上で油が弾けた。

 パチパチと音が鳴り、煙が立ち上る。その匂いを嗅いだだけで腹が鳴った。

 

 「これが日本の“食”か……」

 

 「そうだ、腹が減ったら食う。うまいと思ったらまた食う。それだけだ」

 

 「単純だな」

 

 「単純でいいんだよ。複雑な世界ほど、飯と風呂が一番効く」

 

 「なるほど、確かに」

 

 シリウスが微笑み、ダンブルドアが盃を掲げる。

 

 「では、生還を祝して――乾杯じゃ」

 

 「乾杯」

 

 「……乾杯」

 

 グラスの音が重なった。焼けた肉の香り、煙の苦み、そして喉を通る冷えた液体。

 

 生きてる実感があった。地獄の底から這い上がってきた人間たちの、束の間の晩餐だった。

 

 「焼き鳥、美味いじゃろ?」

 

 ダンブルドアがねぎまを啄みながらシリウスに言った。炭の香ばしい煙が三人の頭上を漂い、夏の夜の空気と混ざって鼻に染みる。シリウスは鶏皮串を口に運び、噛み締めるように咀嚼していた。

 

 「あぁ……美味しいです……うっ、うっ……」

 

 「なんだ、泣いてんのか」

 

 「これこれフシグロ君、泣くのも当然じゃ。ここの焼き鳥は絶品じゃからのぉ」

 

 「いやそうじゃねぇだろ」

 

 シリウスは焼き鳥を食べ、合間に冷えたビールを飲んで涙している。

 12年、鉄格子の中でまともな食い物もなく、冷えたパンと水だけで過ごした男が、今こうして煙の立つ焼き鳥を食ってるんだ。泣くのも無理はねぇ。

 

 「……これが、“生きる味”というやつなのか」

 

 「知らん。俺は生きるために喰ってるだけだ」

 

 「フシグロ君の言葉は相変わらず詩的じゃのぉ」

 

 「皮肉だよ」

 

 炭火の上で脂が弾け、じゅうじゅうと音を立てる。店主が次の串を手際よく並べ、煙の向こうで「ねぎま追加でー」と声を張り上げた。

 このざらついた喧騒がいい。血や呪いの匂いじゃなく、油と煙の匂い。こういう場所こそ生の証ってやつだ。

 

 「ダンブルドア先生」

 

 シリウスがしばらく黙った後、ぽつりと呟いた。

 

 「私は……12年間、ずっと“罰”だと思っていました。友を失い、裏切り者と呼ばれ、何もできずに……ただ息をしていた」

 

 「……」

 

 「でも、こうして肉を噛み、酒を飲み、人と話す。それだけで涙が出るんです。生きているって、こういうことなんですね」

 

 「ふむ……人は苦しみを通して初めて、生の味を知るものじゃよ。アズカバンはおぬしに“生”を教えたのじゃ」

 

 「いい話風にまとめんなよ、ジジイ」

 

 「ほっほっほ、それがわしの仕事じゃ」

 

 「校長の仕事ってなんだよ」

 

 「導くことじゃよ。人も、人生も、そして時には金運もな」

 

 「最後いらねぇだろ」

 

 俺は串の先に残った肉を歯で引き剝がし、喉に流し込んだ。

 煙の向こうでシリウスが笑っている。その顔はまだどこか影を残しているが、目の奥にはようやく“生きる色”が戻っていた。

 

 「それにしても……君たちは不思議な組み合わせだな」

 

 「どういう意味だ」

 

 「片や呪いのない殺し屋、片や世界一の魔法使い……そんな二人が仲良く飯を食ってるなんて、普通じゃ考えられない」

 

 「普通じゃないから生き残ってるんだよ」

 

 「……確かに」

 

 シリウスが微笑み、再び串を手に取った。その手はまだ痩せていたが、握る力だけは強かった。

 その瞬間、ふとアズカバンの冷たい風の記憶がよぎる。あの牢の中では、希望を持つこと自体が罰だった。だが今は違う。目の前の肉が、湯気が、そして仲間の声が、全部“生きてる”証だ。

 

 「おいジジイ、次どうするんだ?」

 

 「次?」

 

 「仕事だよ。お前が呼び戻したんだ、ただの飯じゃ終わらねぇだろ」

 

 「ふむ……まぁ、確かに次の案件がある」

 

 「やっぱりな」

 

 「ただ、今はまだ時ではない。休め、フシグロ君。おぬしはいつも戦っておる」

 

 「いつも何かしらやらせてんのはジジイだろ」

 

 「そうじゃな。だが、今宵くらいは静かに過ごすのも悪くない」

 

 そう言ってジジイは酒を呷った。白い髭が酒で濡れ、口元に笑みが浮かぶ。

 その様子を見て、シリウスが苦笑した。

 

 「あなたたちを見てると……なんだか不思議な気分になります。生と死の境を何度も歩いてきた人間たちが、今こうして隣にいるなんて」

 

 「馴染めばすぐ慣れる」

 

 「慣れる、ですか」

 

 「そうだ。慣れちまえば、どんな地獄もただの職場だ」

 

 「……君は、本当に教師なのか?」

 

 「一応な。ホグワーツ特別体育教師、正式な肩書きだ」

 

 「体育って……魔法学校に必要なのか?」

 

 「必要だ。魔法使いってのは身体がなまってる。杖ばっか振り回してるからな。俺が鍛えてやってる」

 

 「ふふ、それは生徒が気の毒だ」

 

 「言っとくが、訴えられるレベルじゃ」

 

 「おい、余計なこと言うな」

 

 ダンブルドアが咳払いし、わざと話題を変えた。

 

 「ところでシリウス、次は何をしたい?」

 

 「そうですね……ひとまず、犬の姿で少し旅がしたいです。風を感じて、自由を確かめたい」

 

 「良い答えじゃ。旅は魂の洗濯じゃからの」

 

 「それを聞いたら俺も()()洗濯したくなったな」

 

 「ほぉ、どこへ行く?」

 

 「風呂と飯以外なら、久々に山も悪くねぇ」

 

 「山か……涼しい場所がよいのぉ」

 

 「決まりだな」

 

 ジジイとシリウスが笑い、俺もつられて笑った。

 炭の火が弱まり、煙がゆるく立ち上る。夜風が吹き抜け、提灯が揺れた。

 

 この瞬間だけは、戦いも呪いも遠かった。

 ただ、焼き鳥の香りと、人間の息づかいだけが残っていた。

 

 というわけで電車を乗り継いで山に来た。八王子にある高尾山だ。今の時刻は19時を少し回った頃。昼間の喧騒もなくなり、山の入り口はすっかり静まり返っている。

 空は群青に染まり、木々の隙間から覗く残光が、薄くオレンジ色を残している。都心の明かりが遠く霞んで見えた。

 

 「ジジイ、そんな軽装で大丈夫か?」

 

 「大丈夫じゃ、問題ない」

 

 ジジイは薄手のローブにサンダル、杖も持たず、まるで散歩にでも来たような恰好だ。

 その横で、シリウスは新調したスーツ姿のまま。囚人服だった頃の影もないが、襟元を指で直す仕草に、まだ慣れていない気配が滲む。

 

 「しかし、こんな時間に登るとは思わなんだ。普通は朝に登るものじゃろ?」

 

 「朝から行列してんのは嫌なんだよ。夜は静かでいい」

 

 「ふむ、確かに……空気が澄んでおる」

 

 湿った土の匂い、虫の声、木々のざわめき。

 夜の高尾山は昼間とは別の顔をしていた。街灯がところどころに灯り、暗闇の中に浮かぶ光が、どこか幻想的に見える。

 

 「……足元、気をつけろよ」

 

 「心配性じゃのぉ、わしはこの歳でも健脚じゃ」

 

 「山登りの経験あるのか?」

 

 「ない」

 

 「即答すんな」

 

 「だが、人生はいつだって初体験の連続じゃ」

 

 「……屁理屈王だな」

 

 シリウスが苦笑した。

 夜風が吹き抜け、彼の長い髪が揺れる。月光が髪に反射して白銀に光り、まるで幽霊みたいに見えた。

 

 「……本当に、外の空気を吸ってるんだな」

 

 「どうした、感慨に浸ってんのか」

 

 「12年……ずっと石の部屋で、風なんて感じたこともなかった。冷たい壁しかなかった」

 

 「だったら今のうちに吸っとけ。明日にはまた汚ねぇ街の空気だ」

 

 「ハハッ、確かに」

 

 ジジイは黙って前を歩き、灯りの少ない山道をゆっくりと登っていく。

 虫の音が大きくなり、土の上を踏むたび、ザクザクと乾いた音が響いた。夜の山ってのは、空気の温度まで違う。ひんやりしてるくせに、生き物の息づかいだけは濃い。

 

 「ふむ……なんと、あそこに明かりが見えるぞ」

 

 ジジイが指差した先には、ぽつんと灯る店の明かり。古びた木の看板に“高尾茶屋”の文字が見えた。

 

 「まだやってんのか?もう閉まる時間だろ」

 

 「ギリギリセーフじゃな」

 

 茶屋の戸を開けると、香ばしい味噌の匂いが鼻を突いた。炭の匂い、焦げた団子の匂い、そこに混じる湯気。

 店の婆さんが、暖簾の奥から顔を出した。

 

 「もうすぐ閉めるけど、それでもいいかい?」

 

 「3人、団子3本ずつだ」

 

 「ほいな、すぐ焼くよ」

 

 火鉢の上で団子が焼けていく。ジュッと音がして、味噌のタレが焦げる匂いが一気に立ち込めた。

 俺たちは外の木の椅子に腰を下ろした。夜風が肌を撫でて、遠くでフクロウが鳴いた。

 

 「……いい匂いだ」

 

 シリウスが目を細める。

 その横顔にはまだ疲れが残ってるが、光が宿ってる。ディメンターの監視の下で奪われた“感覚”が、少しずつ戻ってる証拠だ。

 

 「ほれ、焼けたよ」

 

 婆さんが団子を三皿持ってきた。

 ジジイは嬉々として箸を伸ばし、シリウスは恐る恐る一本取った。

 

 「……熱い」

 

 「そのまま食え。冷める前が一番うまい」

 

 「ん……これは……!」

 

 団子の表面は香ばしく、中は柔らかい。味噌の甘じょっぱさが舌に広がって、口の中でとろけた。

 シリウスは一口ごとに、まるで何かを取り戻すように噛み締めていた。

 

 「うまいだろ」

 

 「……こんなに“味”を感じるのは何年ぶりだろうな」

 

 「人間ってのは案外単純だ。腹満たせば、過去の地獄も少しは薄まる」

 

 「そうかもしれない」

 

 「ふむ、まことに美味じゃ。わしはこういうのが食べたくて日本に来ておるのじゃ」

 

 「お前はどこに行っても飯目当てだろ」

 

 「人生とは食に始まり食に終わる」

 

 「また始まったよ……」

 

 夜の風が団子の湯気をさらっていく。

 高尾山の木々がざわめき、暗闇の中から虫の声がこだました。

 ふと見上げると、空には雲の切れ間から星が覗いていた。

 

 「……静かだな」

 

 シリウスの声が低く響く。

 

 「あぁ、静かだ。人がいねぇからな」

 

 「アズカバンも静かだったが、あれは違う。あれは“死の静けさ”だ。ここは……生きてる音がする」

 

 「そうだな。夜ってのは、生き物が一番騒ぐ時間だ」

 

 「フシグロ君、詩人のようじゃのぉ」

 

 「うるせぇ」

 

 ジジイが笑い、団子を最後の一本まで平らげた。

 茶屋の灯りが弱まり、婆さんが「もう閉めるよ」と声をかけてくる。

 

 「おう、ごちそうさん」

 

 「またおいで」

 

 そう言って婆さんは暖簾を下ろした。

 

 「さて……そろそろ登るか」

 

 「頂上まで行くのか?」

 

 「ここまで来たんだ。最後まで行く」

 

 シリウスが頷き、ジジイが杖もなしに立ち上がる。

 月がゆっくり昇り、山道を白く照らしていた。

 

 夜の高尾山。

 人の気配もない中、俺たち三人だけが登っていく。

 足音と虫の声だけが、確かに“生”を刻んでいた。

 

 登り続けて30分ほど経った頃、ようやく頂上に辿り着いた。夜の高尾山は静まり返り、遠くの街明かりが霞んで見える。眼下には東京の夜景が広がり、黒い森の縁から白金色の光が波のように広がっていた。

 

 「良い眺めじゃな」

 

 「そう……ですね」

 

 ダンブルドアとシリウスが並んで柵の向こうに立ち、夜風を受けながら街を見下ろしている。

 俺は少し離れたベンチに座り、二人の背を見ていた。月明かりが肩を照らし、長い影を作っている。

 

 「シリウスよ」

 

 ダンブルドアが静かに口を開いた。

 

 「わしはおぬしがアズカバンに送られたあの日、真実を確かめられなかった。それを今でも悔やんでおる」

 

 「……はい」

 

 シリウスはわずかに首を垂れた。

 夜風が彼の髪を揺らす。声は低く、かすれている。

 

 「何があったのか、聞かせてくれるかの?」

 

 シリウスは息を整え、ゆっくりと語り始めた。

 

 「12年前の10月31日。ジェームズとリリー、そしてハリーがゴドリック谷に隠れて暮らしていた頃です。闇の帝王から逃れるため、【秘密の守り人】の魔法を使っていました。これは知っているはずです」

 

 「本来なら守り人はわしがなるはずじゃった」

 

 「はい。しかし……私は反対を押し切って自分が名乗り出たんです。あの時は、私こそが一番信用できると思い込んでいた。ジェームズもそれを受け入れた。けれど……私は考え違いをした」

 

 シリウスの手が震える。握りしめた拳の節が白くなった。

 

 「敵を欺くにはまず味方から。そう考えて、私はあなたに無断でピーター・ペティグリューを新しい守り人にしたんです。誰も、あの臆病者が選ばれるとは思わないだろうと……。それが、すべての間違いでした」

 

 「……そして、事件が起きたわけじゃな」

 

 「はい。あの日、ジェームズとリリーは殺されました。ピーターは逃げていた。奴が居場所を明かしたと、すぐにわかりました。私は奴を追い詰め、街の真ん中で対峙したんです」

 

 シリウスの声がわずかに震えた。

 その目の奥に、かすかに当時の光景が蘇る。

 

 「奴は笑いました。狂ったように、“彼が殺した!シリウスが裏切ったんだ!”と叫び、自分で爆裂呪文を放った。あっという間でした。奴も、マグル12人も吹き飛んだ。……残ったのは、小指1本だけ」

 

 ダンブルドアはしばし沈黙した。

 風が木々を揺らし、カサカサと夜の音が響く。

 

 「おぬしはその場で捕まったんじゃな」

 

 「はい。私は笑っていたそうです。……狂っていた。ジェームズも、リリーも死に、ピーターも死んだ。私は、もう何も信じられなかった」

 

 ダンブルドアは深く頷いた。

 

 「愚かなことじゃが、誰にでもある。信じたい者を信じたがゆえに、すべてを失う。それが人間というものじゃ」

 

 「……もしあの時、先生が守り人だったら」

 

 「いや、それでも結果は同じだったかもしれん。ヴォルデモートは狡猾じゃ。おぬしを責める気はない」

 

 俺はそのやり取りを黙って聞いていた。

 夜風がベンチの背を撫で、肌寒さが増してくる。

 

 「ジジイ、一つ聞く」

 

 「なんじゃ?」

 

 「そのピーターって奴……本当に死んだのか?」

 

 ダンブルドアの瞳が、わずかに細められた。

 

 「現場に残っておったのは小指が一本じゃ。生きておるかは分からん。もし生きておれば――」

 

 「――まだ、どこかで潜んでる可能性があるってことか」

 

 「うむ。魔法使いは形を変える術に長けておる。()のように、どこにでも紛れられる。だから厄介なんじゃ」

 

 「なるほどな。死体がないなら、殺したとは言い切れねぇ。殺しの基本だ」

 

 「おぬしの世界でも同じ理屈かの」

 

 「どの世界でもそうだ。死体がなきゃ、そいつは“まだいる”」

 

 シリウスがゆっくりと顔を上げる。

 その瞳の奥に、先ほどまでの弱さはなかった。静かだが、燃えるような光があった。

 

 「……探します。必ず、見つけ出す」

 

 「復讐か?」

 

 「違う。償いだ。ジェームズとリリーのために、真実を取り戻す」

 

 ダンブルドアはしばし黙ってから、夜空を仰いだ。

 

 「ならば行け。だが焦るでない。真実というものは、追う者に背を向ける。だが、待つ者の前には必ず現れる」

 

 「肝に銘じます」

 

 俺は立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。

 

 「どっちにしろ、もう一度戦いになるだろうな。……そいつ、生きてるなら、放っておく方が危ねぇ」

 

 「ほっほっほ、やはり君は戦いの匂いを嗅ぎ分けるのが上手じゃな」

 

 「性分だからな」

 

 夜の空気が冷えていく。

 街の光が遠くに霞み、風が頬を打った。

 

 「さて、降りるか」

 

 「うむ、夜明けまでには戻らんとな」

 

 俺たちは山道を下り始めた。

 頭上の月は傾き、薄雲の向こうでぼんやりと光っていた。

 足音だけが響く中、確かに何かが動き始めていた。




甚爾をどうやって復職させようかめちゃくちゃ悩んでます。多分というか絶対ダンブルドアが上手くなんやかんやとやる予定なんですが、そのなんやかんやが思いつかない。
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