ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十二話

 

 

 

 

 そうして動きが始まった。

 

 まずダンブルドアは、これまでに伏黒甚爾の授業を受けてホグワーツを卒業した生徒達に手紙を送り、ある者には直接会いに行った。ダンブルドアが外套の裾を揺らして街路を歩く姿は、まるで長い年月をまたぎながら魔法界の縁を結んで歩いているようだった。

 

 「フシグロ先生の無実を訴える嘆願書を書いてくれんかの?」

 「はい!」

 

 誰もが是と即答した。迷いも逡巡もなかった。

 

 卒業生には現在魔法省で働く者もいた。魔法生物規制管理部、国際魔法協力部、闇祓い部隊。そのどれもが忙しい部署でありながら、彼らは机に向かって、インクを乗せた羽根ペンを走らせた。便箋の紙は歪まず、心は揺らがない。

 

 “伏黒甚爾は無罪である。彼はホグワーツの教師として生徒達に正しい身体の使い方と生きるための視線を教えた”

 

 “あの授業があったから今の自分がある”

 

 “彼は闇でも怪物でもない”

 

 手紙は次々に書かれ、署名と共にまとめられていった。

 

 卒業してまだ数年の若者もいた。既に家庭を持ち、子供が生まれた者もいた。彼らは幼い子を抱きかかえながら、机の前で静かに署名した。

 

 「先生は、俺らを見捨てなかった……だから俺らも見捨てない」

 

 その目は決して弱くなかった。

 

 ダンブルドアは次に、在校生達へと視線を向けた。特別に集会を開くことはしない。ただ、魔法薬学の授業が終わった帰りの廊下、図書館の静寂の中、大広間での食事の前など、生徒の流れの中へさりげなく声を落とした。

 

 「フシグロ先生が戻ってきてほしいと思う者はおるかの?」

 

 その問いは、明確な号令ではない。命令でもない。だが、生徒達は互いの顔を見た。うなずいた。

 

 「当たり前だろ」

 「戻ってきてほしいに決まってる」

 「授業、あれ以上にいいものないし」

 

 返答は自然発生的な合意となり、やがて動きに変わった。

 

 最初に紙を広げたのはグリフィンドールの生徒達だった。だが続いたのはハッフルパフだった。彼らは几帳面に署名欄を整え、提出先の一覧を作り、嘆願書アタックの効率化を図る。

 

 レイブンクローは文面の整合性を確認し、運動の正統性を保証するための資料を添付し、法的観点からの疑義が出ないように整えた。

 

 スリザリンは違った。

 

 「ドローレス・アンブリッジに“効く”形で送るぞ」

 

 署名だけではなく、ルシウス・マルフォイの保有するネットワーク、理事会筋への情報線を活かし、魔法省内の人事評価に動揺を走らせる形にした。反対意見が言えなくなる状況を作ることに長けていたのだ。

 

 こうして、在校生達と卒業生達の意思は一本の筋となり、魔法省へと送り込まれることになった。

 

 その数、数日でおよそ数百通。さらに日を重ねれば数千通となる。

 

 「コーネリウス大臣!また届いております!」

 「ひッ……!また……!?」

 

 大臣室に積み重なる嘆願書の束は、今や執務机の脚を隠し、床に積み上がり、山のようになっていた。フクロウ達は配達に疲れ、ふらふらと羽を震わせている。

 

 「このままでは……新聞に取り上げられますぞ……!」

 「う、うるさい!私は何も悪くない!!」

 

 一方、アンブリッジの部屋にも、分厚い封筒が次々に飛び込んだ。

 

 「またですか!!もう嫌ですわ!!」

 

 彼女が悲鳴を上げながら手紙を破っても、フクロウは容赦なく新しい封筒を落としていく。

 

 生徒達の筆跡は乱れず、力強い。卒業生達の署名は整い、よどみがない。

 

 “伏黒甚爾を返せ”

 

 それは訴えではなく、要求だった。

 

 そして、もう一つの動きがあった。

 

 ダンブルドアはホグワーツ理事会に出向いた。ルシウス・マルフォイがいる場だ。

 

 「ところでルシウス、先日の“ちょっとした件”を覚えておるかの?」

 

 柔らかい声で、反論を許さない声だった。

 

 「……ええ、もちろん」

 

 ルシウスの手が小さく震えた。

 

 他の理事達には、日本のお土産が渡された。海苔。酢昆布。羊羹。駄菓子。そして最も影響の強い、日本酒。

 

 老舗の香り、すっきりとした旨味、深い余韻。

 

 「ホッホッホ……口は穏やかに、心は柔らかく、物事は滑らかにいかねばの」

 

 理事達は頷いた。反対する理由は、もはやなかった。

 

 こうして、ホグワーツには再び風が吹き始めていた。

 

 伏黒甚爾が帰ってくる風が。

 

 

 そしてダンブルドアが動く一方で、伏黒甚爾もまた古くからの繋がりへと手を伸ばしていた。

 

 ホグワーツの時計塔。そのもっとも高い屋根の上は強い夜風が吹き、地上では感じられない冷たさが肌に刺さる。だが甚爾はそれを気にも留めず、片手で瓦を軽く踏みしめながら腰を下ろした。夜空は澄んで、星がよく見える。

 

 甚爾はポケットから黒い折り畳み式の携帯電話を取り出した。本来ならホグワーツの魔力濃度が強すぎて、一切の電子通信は機能しない。しかしこの携帯はダンブルドアが施した特殊な魔力遮断結界を張ってある。魔法と呪いと科学の境界に穴を開けた、奇妙な代物だ。

 

 「よう、孔時雨」

 

 電話の向こうからため息混じりの声が返る。

 

 「お前から掛けてくるなんて珍しいな、甚爾」

 

 甚爾がかけたのは孔時雨。日本の呪術界で、依頼と裏稼業の斡旋を専門にする男だ。ホグワーツの仕事を持ってきたのも、そもそも彼だった。

 

 「頼みたい事がある」

 

 「……なんかめんどくさそうだが、一応聞いておく」

 

 「ドローレス・アンブリッジに懸賞金をかけたい。呪詛師でも死喰い人でもいい。3,000ガリオンってとこだ」

 

 電話越しにしばし沈黙。夜の空気が一段と冷たく感じられる。

 

 「そうか……やっぱりそういう方向か」

 

 孔時雨は声を低くした。

 

 「お前が直接やらない理由は?」

 

 「ジジイがな、俺を“教師として正規にホグワーツに残す”とか抜かしてる。だから今は目立てねぇ」

 

 「なるほどな。汚れ仕事は外部委託か」

 

 甚爾は笑った。ほんの少し口角を上げる程度の、冷ややかな笑み。

 

 「俺は綺麗な手でいたいとは思わねぇ。ただ、今ここでアンブリッジを直接ぶっ殺すと“筋道”が立たなくなる」

 

 「つまり、事故の形を取れと」

 

 「そうだ。俺でも、お前でもねぇ“どこかの誰か”が、勝手にやった……そういう形がいい」

 

 孔時雨が鼻で笑った。

 

 「相変わらずだな、甚爾。騙すんじゃなくて“殴るんだが跡は残さない”タイプだ」

 

 「そういう性格だ」

 

 「で、3,000ガリオンって額はそれなりだ。呪詛師の中堅どころなら喰いつく。だが死喰い人は今は金に困っちゃいないぞ?」

 

 「困らせればいいだろ。圧かけられそうな奴、いるか?」

 

 「いる。ルシウス・マルフォイだ」

 

 甚爾は目を細めた。夜空に浮かぶ星の光を反射させながら、低く息を吐く。

 

 「そいつとはジジイがもう動いてる。少なくとも中立くらいには落ちるだろうな」

 

 「じゃあ話は早い。俺の方でも“誰かがアンブリッジを狙ってる”って情報を流す。そうすりゃ死喰い人は勝手に動く」

 

 「呪詛師の方は?」

 

 「金で動く連中だ。お前の名前を出せば十分だ」

 

 時計塔の上に風が吹き、コートの裾が揺れた。月が薄雲に隠れ、光が一瞬弱まる。

 

 甚爾はその暗がりの中で、ただ静かに息を吐いた。

 

 「アンブリッジは、ホグワーツに来る。俺とシリウスを“捕まえに”な」

 

 「3,000ガリオンの餌を撒いた状態で、か?」

 

 「そうだ」

 

 「そりゃあ死にに来るみたいなもんだな」

 

 孔時雨がくつくつと笑った。その笑いには情はない。だが敵意もない。ただ事務的な、しかし楽しんでいる響きがあった。

 

 「じゃあ契約成立だ。3,000ガリオン、委託実行で請求する」

 

 「構わん」

 

 「一応聞くが、“殺す”でいいんだよな?」

 

 甚爾は空を見た。星がまた雲間から現れ、冷たい光が降ってくる。

 

 「いや、神経をすり減らして消耗させる。だからアンブリッジでも撃退できるレベルに抑えろ。そして一つだけ条件がある」

 

 「なんだ?」

 

 「“処刑”じゃなく、“破滅”だ」

 

 孔時雨はもう笑わなかった。

 

 「了解した。後はこっちで回す」

 

 プツ、と通話が切れた。

 

 甚爾は携帯を閉じ、ポケットにしまった。

 

 夜風が吹いた。湖が小さく波を立てた。

 

 遠くの空で、フクロウが鳴いた。

 

 ホグワーツは静かだった。

 

 嵐が来る夜は、いつも静かだ。

 

 

 そうして伏黒甚爾“無罪”へ向けた動きが始まってから数日が経った。魔法省には連日大量の手紙が届き、そのほとんどは嘆願書だった。署名はホグワーツ在校生と卒業生、その数は日ごとに増え、今では山のように積み上がっている。

 

 「フシグロ先生は無実です」

 「生徒を導いた人を罪人扱いするなどあってはなりません」

 「彼がいないホグワーツに未来はありません」

 

 言葉は熱く、文字は強い。中には“筋トレの成果です!”と添えられた力強い筆跡や、べらぼうに上手い装飾文字のもの、はたまたホグワーツ広場で行われた伏黒甚爾式体力テストの思い出を綴るものまであった。

 

 そしてそれらに混ざる、脅迫めいた“吠えメール”。内容は単純明快。

 

 「甚爾先生に手を出すな」

 「許さない」

 「お前が来るなら、来い」

 

 送られてくる封筒は、魔法省の扉を叩き壊す勢いで舞い込んだ。さらに魔法省外では、アンブリッジを狙った“何者かの襲撃”が発生していた。命までは取らない。だが、外套が裂け、足元がすくわれ、杖が一瞬弾かれる──神経を削る攻撃が執拗に続く。

 

 アンブリッジの表情は日に日に険しくなり、笑顔は壊れ、頬は引きつり、声は震え始めていた。

 

 「もう我慢なりませんわ!わたくしと闇祓いで直接ホグワーツへ出向いて、2人を捕まえます!」

 

 机を叩きながら、ドローレス・アンブリッジは叫んだ。目の下には隈ができ、髪は乱れ、いつも丁寧に整えられたピンクの衣服は皺が目立つ。ストレスの限界が、その体中に滲み出ていた。

 

 「アンブリッジ!もう頭を冷やしたらどうだ!お前はやりすぎだ!」

 

 声を荒げたのはコーネリウス・ファッジだった。魔法省大臣である彼自身も吠えメールの集中砲火を受け、一週間で白髪が増えたほどだ。出勤すれば机は嘆願書に埋もれ、自宅には卒業生からの“丁寧な礼節と強烈な圧”のメッセージが届き、道を歩けばホグワーツ出身者からジッと見られる。

 

 ファッジは既に伏黒甚爾に恩赦を出すことすら検討していた。しかし──その道を塞ぐのは、アンブリッジの異常なまでの“マグル嫌い”と、甚爾に対する歪んだ拒絶だった。

 

 「マグルの血を好み、魔法界に混ざり込んだ穢れ者ですわ!わたくしが動かなければ、呪いは学校全体に蔓延します!」

 

 唇が戦慄く。叫び声は甲高く、耳障りだった。だがその背後には、彼女自身の“恐怖”があった。

 

 ──伏黒甚爾という存在は、自分の価値を否定する。

 

 「落ち着け!ホグワーツはダンブルドアの縄張りだ!無策に踏み込めば、こちらが悪になる!」

 

 「悪に見えるのは貴方の弱さですわ、ファッジ。わたくしは正しき秩序を守るのです!」

 

 アンブリッジの目は狂気じみて光る。その姿は、外からの圧力に押し潰されて形が歪んだ獣のようだった。

 

 部屋の空気が張り詰める。二人の視線がぶつかり、火花が散るかのようだった。

 

 「……闇祓い局長には連絡しました。数名の精鋭を連れて、明日ホグワーツに向かいますわ」

 

 「勝手な真似を──!」

 

 ファッジが杖を掴み立ち上がる。

 

 アンブリッジは微笑んだ。

 

 「これは大臣命令として処理しますわ」

 

 「……!」

 

 その瞬間、ファッジは悟った。

 

 アンブリッジはもう止まらない。

 

 止められない。

 

 止めようとすれば、魔法省そのものを壊しかねない。

 

 大臣はゆっくりと椅子に沈んだ。

 

 アンブリッジは踵を返し、乱れたスカートを払うようにして扉の前に立った。

 

 「ダンブルドアを失脚させ、伏黒甚爾とシリウス・ブラックを捕らえ……」

 

 その唇が、にたりと持ち上がる。

 

 「魔法界に“正しさ”を取り戻しますわ」

 

 扉が、乾いた音を立てて閉じた。

 

 静寂が残る。

 

 ファッジは手で顔を覆った。

 

 「……ああ、もう終わりだ……」

 

 そう呟いた声は、あまりに小さく、弱かった。

 

 アンブリッジの暴走を止められなかったファッジは、深い溜息と共に机に突っ伏した。書類は散乱し、魔法省大臣室としての威厳はどこにもなかった。吠えメールの山、嘆願書の束、机にこびりつくように残るインクの染み。それらが数日の混乱をそのまま物語っている。

 

 「何故こんな事に……」

 

 弱々しい声が部屋に落ちた。かつて魔法省全体を掌握しているという自負を持っていた男の声とは思えない。今の彼は、嵐の中の紙細工のように脆い。

 

 「何か悩み事かね?コーネリウス」

 

 「…….! ア、アルバス」

 

 いつの間にか部屋にはダンブルドアがいた。白銀の髭を撫で、いつものローブを纏い、しかし手には庶民的な“スーパーのレジ袋”を提げている。その異様な組み合わせが、逆にこの男の余裕を際立たせていた。

 

 「聞いていたよ。アンブリッジ嬢には手を焼くのぉ……」

 

 ダンブルドアは椅子を引き、ファッジの正面に座る。そして机の上にレジ袋を置いた。中から取り出したのは、青いビニール蓋のついた小さなカップ瓶が二つ。

 

 「……何だ、それは」

 

 「これは“ワンカップ大関”と言うての、安くて簡単にいい気持ちになれる“酒”じゃ」

 

 「こんな時に酒か……」

 

 「まぁ良いではないか、ストレス溜まっておるじゃろう?」

 

 「誰のせいだか……」

 

 「アンブリッジじゃよ?」

 

 「そうだな……」

 

 ふ、とファッジの口元にだけ弱い笑いが浮かんだ。ダンブルドアはカップ酒の蓋を親指で器用に弾き、カパッと開ける。途端に濃いアルコールの匂いが部屋に満ち、魔法省大臣室とは思えぬ酒場の空気が漂った。

 

 ファッジも杖を軽く振り、蓋を開けた。

 

 「アンブリッジの“マグル”嫌いは常軌を逸している」

 

 「うむ」

 

 「自身は“純血”ではないのに、純血を騙り、マグル生まれや半純血を嫌う……それを正義と信じている……」

 

 ファッジの眉間に深い皺が刻まれる。

 

 「何故そうなったか分かるかね?」

 

 「なぜ?」

 

 「腐っておるのよ、魔法界も“純血”というシステムも。アンブリッジ嬢には弟がおった。“スクイブ”の弟がな。マグルの母親と共に追放されておる」

 

 空気が沈む。ファッジは目を伏せた。

 

 「……それでか。“純血”を守ることで、自分を守ろうとしている……」

 

 「そうじゃ。己が存在価値を、嘘の中に積み上げてしまった。放っておけば、あれは魔法界を壊す」

 

 ダンブルドアは淡々と言い切った。そこに感情はなく、ただ事実だけがあった。

 

 「だが、今回の騒動はチャンスでもある」

 

 「チャンス……?」

 

 ファッジは思わず顔を上げた。ダンブルドアの目は静かに光っていた。

 

 「伏黒甚爾という存在は、世間から見れば“怪物”に映るじゃろう。しかし、ホグワーツでは違う。生徒達は己が身で証明しておる。“導く者”であったと」

 

 ファッジの胸に、数日前に届いた嘆願書の束が思い出された。誠実な言葉、真っ直ぐな文字、震える筆跡。そこには政治でも派閥でもない、ただ“教わった者の声”があった。

 

 「わしはルシウスに話をつけた。彼もフシグロ君には借りがあるからの。理事達にも手土産を配った。日本は良いぞい」

 

 「……酒と……海苔と……よく分からん乾いた昆布が届いていたが」

 

 「それじゃ。喜んでおったじゃろう?」

 

 「意外なほどにな……」

 

 ダンブルドアはわずかに笑う。

 

 「後は“時”じゃ」

 

 「時……?」

 

 「アンブリッジ嬢が踏み込む。ならばわしは、それを迎える準備をする。それだけじゃ」

 

 ワンカップを持ち上げ、軽く掲げる。

 

 「ホグワーツは、ホグワーツのものじゃ」

 

 ファッジはゆっくりとカップを掲げた。

 

 重く、苦く、しかし温かい酒の味が、喉を通っていった。

 

 「美味しい……癖がなく、飲みやすいな…」

 

 ワンカップを喉に流し込みながら、ファッジは僅かに目を細めた。安酒のはずなのに、不思議と舌に嫌な雑味がない。冷えた身体にじわりと広がっていく温度は、豪奢なワインよりも、権力と重圧に押し潰された者の心に沁みていく。

 

 「じゃろ?パチンコしながら飲むと格別じゃよ」

 

 ダンブルドアは涼しい顔で言った。その声音があまりにも自然なものだから、一国の魔法省大臣の前であることさえ忘れてしまいそうになる。ファッジは眉をひそめ、しかし僅かに呆けた笑いを漏らした。

 

 「ギャンブルか……少し前に日本魔法省とマホウトコロからクレームが入ってたぞ。『税金を納めて下さい』とな」

 

 「ホッホッホ……」

 

 ダンブルドアは誤魔化すように笑ったが、その笑みは全く反省していない老人のそれだった。何をやらかしても煙に巻き、何事もなかったかのように通してしまう。そういう男だと、ファッジはもう嫌というほど知っている。それでも、この老人は常に結果を出してきた。魔法界が何度揺らいでも、その中心で立ってきた人物である。

 

 「フシグロ君の件は進めておる。あとはアンブリッジ嬢が勝手に転げ落ちるのを待つだけじゃ」

 

 「転げ落ちる……?」

 

 「うむ。彼女はいずれ、己の“正義”と信じておるものに押し潰される。押し潰す手伝いをするのは簡単じゃ。ほんの少し、背中を押せばよい」

 

 ダンブルドアの声は柔らかいが、その裏に潜む冷たさは氷のようだった。ファッジはその響きにぞくりと背筋を震わせる。彼は、目の前の老人が本気で動くとき、世界が変わることを知っている。

 

 「ホグワーツの生徒達からの嘆願書、卒業生達の署名、魔法省内でも相当な評判となっている。『フシグロ甚爾は教育者だ』……と言う声が多い」

 

 「実際、そうなのだろう?あれほどの変化をホグワーツにもたらしたのだから」

 

 ファッジは渋い顔をした。だが、それは反対の感情ではなく、自分の中で否定できないものがあるという証だった。彼は椅子の背にもたれ、大きく息を吐く。

 

 「……あの時、我々は彼を“脅威”と見なした」

 

 「そうじゃな。だが、脅威と英雄はそう離れてはおらん。“怖い”と感じる力は、扱い方次第でどちらにも転ぶ」

 

 「……しかし、アンブリッジはそれを理解できない」

 

 「理解したくないのじゃよ。彼女にとって“正しさ”とは、常に“排除”で構築されるものじゃからの」

 

 柔らかく言いながらも、ダンブルドアは机の上に指を一本置いた。その指は痩せて皺が深いが、そこから漂う魔力は、老いを超えた鋭さを持っていた。

 

 「わしはフシグロ君を戻す。生徒達はわしにそう望んでおる。わしはそれに応える。シンプルじゃ」

 

 「お前はいつからそんなに“生徒の味方”になったんだ……」

 

 「最初からじゃよ?」

 

 答えはあまりにも自然だった。ファッジは再び笑ってしまった。力が抜けた笑いだったが、それは少しだけ肩の重荷が下りた証でもあった。

 

 ファッジは残りの酒を飲み干し、カップを机に置いた。

 

 沈む音は小さかったが、確かに何かが“決まった”音だった。

 

 窓の外では、深い夜がゆっくり明け始めていた。

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