ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十三話

 

 

 

 

 11月に入った頃、俺とシリウスは時計塔のてっぺんでタバコを吸っていた。ここは風が強いから煙の匂いもすぐ飛ぶし、何より校内で唯一「見つかりにくい」場所だ。ホグワーツは校長室以外禁煙だの何だの言うが、俺にそんな規則が通じるわけがない。バレなけりゃいい、ただそれだけだ。

 

 煙が夜の空気に溶けていく。ホグワーツの昼間の喧騒が嘘みたいに、夜はやけに静かだ。下では生徒達が寝息を立て、教師達も持ち場に引き上げている時間帯だ。だが俺とシリウスは違う。夜は俺たちにとって仕事の時間だ。ピーターの監視、そして……「来訪者」への備え。

 

 「見ろ、シリウス。来たみたいだ」

 

 俺は煙草を指先で弾きながら言った。

 

 「……アンブリッジか」

 

 シリウスも同じ方向を見た。闇夜を切り裂くように、空を滑る影がある。4頭のペガサスが引く空飛ぶ馬車。魔法省が“権威”を見せつける時に好んで使う代物だ。わざわざ目立つ乗り方をするあたり、あの女はやっぱり自分を大きく見せたいんだろう。

 

 馬車はホグワーツの湖上を旋回し、そのまま正門前へとゆっくり高度を落として着地した。月が薄い光を落とし、馬のたてがみと金の装飾が嫌に目に刺さる。

 

 「またずいぶん痩せたな。顔色も悪い」

 

 俺は薄く笑った。連日の吠えメール爆撃に、謎の刺客の襲撃。どれも致命傷にはならないよう調整した。殺すのが目的じゃない。精神を削る、それだけだ。あの女はプライドと虚勢だけで形を保ってるようなもんだ。その土台を揺らして崩してやりゃ、勝手に自滅する。

 

 アンブリッジの周囲に立つ二人の闇祓いが、まっすぐ前を見つめて警戒している。動きに無駄がない。体幹も軸も安定している。

 

 「……あいつら、俺の教え子だな」

 

 俺はすぐに分かった。姿勢、歩幅、視線の配り方、呼吸の深さ。全部“俺が叩き込んだもの”だ。

 

 「気づいてると思った。あの二人、アンブリッジには従うふりをしてる。だが心はお前側だ」

 

 シリウスが小さく笑った。犬の姿の時と同じ顔だ。

 

 「あぁ、分かってる。あいつら、俺が授業で言ったことを覚えてやがる」

 

 “権力に従うな。状況に従え。守る相手は自分で選べ”

 

 あの時の生徒は多かったが、あいつらは理解した方の奴らだ。だから今こうして“アンブリッジの護衛”に紛れて俺とダンブルドアの動きをアシストしてるわけだ。

 

 アンブリッジは門を見上げ、何か言いながら校舎へ向かおうとしている。顔色が悪い。睡眠不足とストレスで、目の下に隈が出ていた。

 

 「随分と追い詰められてるな」

 

 シリウスが呟いた。

 

 「まぁ、あれは自業自得だ。こっちは何もしてねぇ。ただ“勝手に落ちていくように道を作った”だけだ」

 

 “追い詰める”んじゃない。“勝手に転ぶ土台”を作るんだ。

 ジジイ――ダンブルドアはそういう手の打ち方が得意だ。

 

 「で、俺たちはどうする?」

 

 「何もしない。少なくとも、今はな」

 

 アンブリッジはまだ“自分が主導権を握ってる”つもりだ。だからこそ、今動く必要はない。ここで余計な手を出すと、あの女はまだ踏ん張れる。

 

 人間はな、追い詰められた時に誰かに“助けられた”という記憶が一番深く残る。そこに付け込む。

 

 「ジジイの呼吸に合わせるだけでいい。俺たちは、ただ見てりゃいいのさ」

 

 「……相変わらずだな、トウジ」

 

 シリウスは苦笑する。尊敬とも諦めともつかない、あの微妙な笑いだ。

 

 「相変わらずじゃない奴なんてろくなもんじゃねぇよ」

 

 風が吹く。冬の気配がちゃんと来てる。

 

 その中で、俺たちはただ黙って見下ろしていた。

 

 夜は静かだ。

 だが、静けさの下には火薬が詰まっている。

 

 引き金はもうかかってる。

 

 ――あとは、落ちるだけだ。

 

 正直、あの女を殺してさっさと雲隠れでもしてりゃあ一番楽だったかもしれねぇ。

 

 孔時雨に聞いた話では、魔法省職員の首には相応の値段がつくらしい。ましてや上級次官ともなれば、かなりの額になる。だが俺はやらなかった。やろうと思えばできるのは単純な話だ。魔法使いなんてのは大体が杖に依存してる。取り上げりゃただの人間、弱い。殺すなんて、俺からしたら呼吸みてぇにできる。

 

 だが問題はその後だ。魔法省の中枢を殺したら、それこそ世界中を敵に回す。呪詛師の世界と違って、この国の魔法界は妙に組織が整ってる。粘っこくて、しつこい。しがみついてくる。逃げ道が狭すぎる。

 

 だから俺は“殺しで得る一度きりの金”より、“毎月確実に入る賃金”を選んだだけだ。ガキ共に鉄パイプ振り回させて身体作らせる授業をしているだけで、月2,500ガリオン。こんな美味い仕事、他にねぇ。

 

 俺に自尊心なんてものはもう無い。ずっと前に捨てた。売れるもんは全部売って、手元に残るのは金と身体だけ。それで十分だ。

 

 俺は時計塔の縁に腰を下ろして、タバコの火を足元の石壁に擦りつけて消した。視線の先では、アンブリッジが校内へ進んでいる。桃色のローブが妙に浮いていて、周囲の石造りと噛み合っていない。あの女はどこにいても“浮く”。それが性格の問題か、存在の問題かは知らん。

 

 隣でシリウスが腕を組んだまま立っていた。今は人間の姿だ。肩まで伸びた黒髪を無造作に束ね、昔の貴族らしい身なりをしている。だが目だけが別だ。静かに、黒く、深い。何かを見据えている目だ。俺のそれに似てる。

 

 「よし、シリウス行くぞ。ピーターを連れていく」

 

 「ふむ……やるんだな」

 

 「あぁ。ここで終いに()()()()()

 

 アンブリッジをホグワーツに呼び込んだ。魔法省がここに来た。あとは“見せる”だけで終わる。

 

 ダンブルドアによれば、後で大臣のコーネリウス・ファッジも来る。奴は既に吠えメールで弱ってる。ダンブルドアによって懐柔済み、アンブリッジは精神的に限界。タイミングは完璧だ。

 

 ピーターを人間の姿に戻して、ロンの前に、ハリーの前に、そして“あの夜”を知る全員の前に立たせる。真実を喋らせる。それだけで世間はひっくり返る。“英雄を裏切ったのは誰か”。“シリウスは何を背負って十二年生きてきたのか”。“俺は何を罪に問われていたのか”。

 

 全部、あの鼠が喋る。

 

 俺は立ち上がり、時計塔の階段へ向けて歩いた。石の階段は長く、冷たい。足音は吸い込まれていくように響かない。こういう静けさは嫌いじゃない。嵐の前ってのは、息を潜めた空気の重さが心地いい。

 

 途中でシリウスが言った。

 

 「……ピーターは、まだ喋るか」

 

 「喋らせる。喋れなくても、喋らせる」

 

 「……ありがとう」

 

 その“ありがとう”は俺に向けたものじゃねぇ。多分、自分がまだ人間でいられてることに対する確認みたいなもんだ。シリウスはそういう奴だ。弱いくせに、踏み外さず立ってる。

 

 そうして俺たちはグリフィンドール寮の前に着いた。貴婦人の絵画が眠そうに目を開けた。

 

 「合言葉は?」

 

 「今日はいいだろ。な?」

 

 「……あなたは本当にそういうところがズルいのよ、トウジくん」

 

 ため息をつきながら扉が開く。俺は入った。

 

 談話室を抜け、階段を上がり、ロンの部屋へ。

 

 窓辺には檻。中には毛の抜け落ちた鼠。いや、ピーター。シリウスが近づくと小さく震えた。声にもならない。

 

 「終わりだ。行くぞ」

 

 俺は檻を片手で持ち上げた。その時、ピーターはうっすらと人の涙に似たものを流した。哀れ、とも、滑稽、とも違う。ただ、終わった顔だ。

 

 そうだ。終わりだよ。

 

 ここからは俺達のターンだ。

 

 俺は部屋を出る前に、寝ているガキ共を起こした。

 

 「起きろ」

 

 短く言うと、三人は反射的に布団を跳ね上げた。動きに迷いがない。身体に叩き込んだ反射だ。

 

 「はい!……えっ、先生!?」

 「おす……って先生!?マジで!?」

 「はい」

 「いや待ってシリウス・ブラック!?」

 「はは……」

 

 相変わらずネビルだけ落ち着いてやがる。筋肉は精神を作る。これは事実だ。

 

 「ハーマイオニーも連れてこい。大広間に集合だ」

 

 「はい!!」

 

 三人は迷いなく走り出した。俺とシリウスは檻を持って寮を出る。廊下の空気は朝の冷え方じゃない。何かが終わる手前の空気だ。呼吸の深さで分かる。

 

 大広間に近づくほど声が大きくなってくる。

 

 「わたくしは!ホグワーツの安全のために来たのですわ!!!それを妨害するというのですか!?」

 

 アンブリッジの声だ。耳障りな声。甲高い癖に、芯が通っていない。精神が削れた奴の声。

 

 大広間の扉を押し開ける。

 

 中には既にハリー達4人。そして教職員席には、マクゴナガル、スネイプ、リーマス。加えてダンブルドアが中央に立っていた。

 

 全員が静かにアンブリッジを見ていた。怒りではなく、冷ややかな観察だ。

 

 アンブリッジは相変わらずピンクの服。だが肌はくすみ、目は赤く腫れ、唇は乾いて割れている。吠えメール爆撃と刺客の襲撃で精神がボロボロなのが一目で分かる。

 

 その後ろには闇祓いが二人。杖を持ち、静かに立っていた。だが俺から見れば、その立ち方は完全に“俺が教えた構え”だ。

 

 俺の卒業生。アンブリッジだけが気づいていない。

 

 俺は檻を持ったまま、まっすぐ歩いた。

 

 シリウスも黙って横に立つ。

 

 アンブリッジは俺を見た瞬間、ヒステリックに叫んだ。

 

 「ああああ!!やはり!ホグワーツに潜んでいましたわね!!!闇祓い!拘束なさい!!」

 

 だが闇祓いは動かない。

 

 微かに俺へ顎を引いた。それは“了解”の合図だった。

 

 アンブリッジは顔を歪める。

 

 「な、何故動かないのです!?命令ですわよ!!」

 

 ダンブルドアが静かに言った。

 

 「命令の“正当性”が示されておらんからじゃ」

 

 アンブリッジの顔は一気に赤紫になる。

 

 俺は檻を床に置き、中を見下ろした。

 

 ピーター・ペティグリュー。毛なんて一本も残ってねぇ、魂が削れたネズミの成れの果てだ。呼吸は浅い。目は濁ってる。死ぬ寸前だ。

 

 ロンが息を呑む。

 

 「ス、スキャバーズ……」

 

 ハーマイオニーは震えながらもロンの肩に手を置いた。ネビルは目を逸らさなかった。ハリーはただ奥歯を噛みしめていた。

 

 俺は言った。

 

 「証拠はここにいる。ずっとな」

 

 ダンブルドアが杖を持ち上げる。

 

 「ピーター・ペティグリューは、12年前、ポッター夫妻を裏切り、シリウス・ブラックに罪を擦り付けた。さらにロン・ウィーズリーを利用してホグワーツに潜んでおった」

 

 アンブリッジは叫ぶ。

 

 「そんな馬鹿なこと!!証拠がありませんわ!!!」

 

 「証拠は本人から聞けばいい」

 

 俺は檻をダンブルドアに渡した。

 

 ダンブルドアは頷き、静かに呪文を唱える。

 

 「フィニート」

 

 檻の中の肉体が歪む。骨が鳴り、筋が伸び、皮膚が膨れ、悲鳴が漏れる。

 

 生徒達は息を飲み、教員達も身じろぎひとつしなかった。見守る空気だった。

 

 ネズミだった肉の塊がゆっくり人の形へ。

 

 そして現れた。

 

 ピーター・ペティグリュー。

 

 痩せこけ、震え、目に光がない男。毛が1本もない頭部。

 

 ハリーの顔が強く歪んだ。

 

 シリウスは息を吸い、吐いた。

 

 終わりが近い。

 

 「まさか!そんなはずはありません!ピーター・ペティグリューは死にましたのよ!?小指1本を残して…!」

 

 アンブリッジが喉を擦り切らせるような声で叫んだ。目が血走っている。自分の言葉で自分を守り続けてきた女が、その土台をひっくり返されそうになっている瞬間だ。

 

 「アンブリッジ嬢、よく見るのじゃ。この者には小指がない」

 

 ダンブルドアが淡々とした声音で告げた。

 

 「な!?」

 

 アンブリッジの目がピーターの手元に向かう。痩せ細った左手の小指の付け根、そこには荒く固まった肉の跡しか残っていない。小指はない。死んだはずの証拠そのものが、今ここに生きていた。

 

 その瞬間、大広間の扉が重々しい音を立てて開いた。

 

 「……!」

 

 振り返ると、コーネリウス・ファッジが側近を引き連れて入ってきた。顔色は悪い。吠えメール爆撃で眠れていない目だ。胃のあたりが焼けている奴の歩き方だ。

 

 「キングズリー」

 「ダンブルドア」

 

 ファッジの横に立つ長身の黒人の男が軽く会釈をした。あれがキングズリー・シャックルボルト。闇祓いでも上位、現場で名を上げたタイプだ。纏ってる空気が無駄に強い。

 

 こいつは本物だ。魔法使いの中でも“実戦ができる”部類。

 

 アンブリッジはすぐさまファッジに縋り付くように振り返った。

 

 「大臣!大臣!聞いてくださいまし!これは罠ですの!わたくしを陥れるための!」

 

 「……アンブリッジ、まず状況を見ろ」

 

 ファッジは疲れた目で壇上を見渡す。その視線はピーターに向き、次にシリウス、そして俺に向いた。

 

 「トウジ・フシグロ……本当に、ここにいたか」

 

 「まぁな」

 

 俺は軽く片手を上げた。ファッジは視線を逸らした。罪人を見る目じゃねぇ。もっと面倒くせぇ政治の目だ。

 

 「ファッジ卿」

 

 スネイプが静かに前に出た。黒衣が揺れる。いつも通りの無表情。だが、目は鋭い。

 

 「この男は、確かに生きています。ピーター・ペティグリュー。わたしたち教職員全員が確認している事実です」

 

 マクゴナガルが続く。

 

 「シリウス・ブラックは無実だったのです。あの夜、ポッター夫妻を裏切ったのは彼ではなく、ピーター・ペティグリューでした」

 

 ハリーが小さく息を呑む。ロンは拳を握って震えている。ネビルはただじっと見ている。ハーマイオニーは唇を噛みしめていた。

 

 アンブリッジはそれでも叫ぶ。

 

 「信用できませんわ!ホグワーツは今や伏黒甚爾に毒されているんですのよ!こんなもの、全てが芝居ですわ!!!」

 

 俺は思わず笑った。

 

 「芝居でここまで落ちたか?お前の顔」

 

 アンブリッジは口をパクつかせて言葉を詰まらせた。

 

 ダンブルドアがゆっくりと歩み出る。その一歩一歩に、大広間の空気が引き締まっていく。魔力ってやつは声じゃない。存在で押し込むものだ。

 

 「アンブリッジ嬢。わしはただ、真実を示したいだけじゃ。もしそれでも信じられぬと言うなら――」

 

 ダンブルドアはキングズリーに視線を向けた。

 

 「キングズリー卿。貴殿が直接尋問されると良い」

 

 キングズリーは短く頷く。

 

 「了解した」

 

 アンブリッジが悲鳴のような声を上げた。

 

 「やめなさい!!!あの男は!この男は!!」

 

 その時、闇祓い二人――俺が教えた卒業生が静かにピーターの横へ移動し、拘束呪文を準備した。

 

 動きに迷いがない。現場で磨かれた兵士の動きだ。

 

 「あ」

 

 そこで初めて、アンブリッジが気づいた。

 

 自分の味方だと思っていた闇祓いが、俺の教え子で、俺の側に立っていることに。

 

 顔が真っ青になる。

 

 「な……なんで……」

 

 俺は言ってやった。

 

 「ガキ共はな。俺に“生き方”を学んだんだよ。お前の言葉じゃ、もう誰も動かねぇ」

 

 アンブリッジは喉の奥で悲鳴とも呼べない音を上げた。

 

 その瞬間だった。

 

 ピーターが、震える声で言った。

 

 「……ぼ、僕が……裏切ったんだ……ぼ、ぼくが……」

 

 大広間全体が息を止めた。

 

 スネイプは目を閉じた。リーマスは膝に置いた手を握り締め、シリウスはゆっくり肩の力を抜いた。

 

 ハリーは涙を堪え、ロンは歯を食いしばり、ネビルは拳を固く握ったまま目を逸らさなかった。

 

 アンブリッジだけが、崩れ落ちた。

 

 「うそ……うそ……」

 

 ファッジが小さく息をついた。

 

 「……では、これはすべて――」

 

 俺は言ってやった。

 

 「終わりだよ」

 

 「こんなことがあって良い訳ありませんっ!!!!!」

 

 アンブリッジが悲鳴のような怒声をあげ、椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がった。手には杖。血走った目。呼吸は荒い。自分が否定され、立場が崩れ、理屈も証拠もなくなった時に残るのは暴力だけってわけだ。

 

 その瞬間、大広間全員が一斉に構えた。

 

 リーマス、スネイプ、マクゴナガル、キングズリー、ホグワーツの教職員・闇祓い……全員の杖先が一斉にアンブリッジへ向かう。

 シリウスも俺の横で静かに腰を落とし杖を構えた。

 

 だが俺は杖なんか使わねぇ。

 

 音もなく床を蹴り、一瞬でアンブリッジとの距離を詰める。魔法なんざ関係ない。脆い人間の関節なんて、力の入れどころひとつで簡単に砕ける。

 

 俺はアンブリッジの手首を掴み、肘を返して肩に力をかける。

 

 「イテテテテテテッ!!おやめなさい!!何を――!」

 

 「バーカ、先にやろうとしたのはお前だろ」

 

 俺は軽く腕を捻り上げただけだが、アンブリッジは豚みたいな声をあげた。骨は折ってない。折りゃ終わっちまうからな。まだ使う場面がある。

 

 そう言っていると、背後で声がした。

 

 「うわ!離せ!」

 「僕は逃げるっーーー!!」

 

 ピーターだ。

 

 檻の中で震えていた鼠――いや、ピーター・ペティグリューが、ロンに飛びつき、その勢いのままロンの杖を奪った。

 

 ロンは……止められなかった。家族だと信じてきたものに本能が躊躇した。甘ぇが、それは責められねぇ。心ってのはそうできてる。

 

 「マズいぞ!!」

 

 リーマスが叫んだ。

 

 ピーターは奪った杖を自分の額に突きつけた。

 そうだ。あいつは自分を逃がす術を知っている。

 

 「エクスペリアームス!!!」

 

 ハリーが叫び、杖から赤い閃光が奔った。

 その精度は悪くない。むしろ一年目から比べりゃ見違える。俺が仕込んだ基礎も活きてやがる。

 

 杖は弾けた。ピーターの手から離れ、床に転がる。

 

 だが――遅かった。

 

 ピーターの身体は痙攣し、肉が縮み、骨が丸まり、瞬く間に小さな醜いハダカデバネズミへ変わり果てた。

 

 「チュウゥッ!!」

 

 床を滑り、柱の陰へ。

 そのまま、細い隙間を抜け、闇の中へ消えていった。

 

 「おいおい……逃げちまったぞ」

 

 俺は腕を離し、アンブリッジを床に転がしたままつぶやいた。

 

 アイツ……完全に折れてると思ってたが、まだ逃げる本能だけは残ってたらしい。

 死ぬより逃げる。生きるためなら何でもする。

 ある意味、一番“人間”らしい。

 

 大広間は一瞬の静寂に包まれた。

 みんなが、逃げたという事実を飲み込めずにいる。

 

 「……追うか?」

 

 シリウスが低く言った。目は完全に獣のものになっていた。ピーターを二度逃がすつもりはないという目だ。

 

 だが俺は首を横に振った。

 

 「いい。焦るな。まだ詰みじゃねぇ」

 

 「しかし!」

 

 マクゴナガルが前に出る。

 

 「逃がしては、また証拠を失います!」

 

 「証拠ならここに揃ってるだろ」

 

 俺は顎で周りを指した。

 

 スネイプ、マクゴナガル、リーマス、キングズリー、ダンブルドア、そしてホグワーツの生徒達。

 

 「この場にいる全員が証人だろ」

 

 「……」

 

 完全に理屈はこっちが握った。

 

 アンブリッジは床に座り込んだまま震えていた。

 俺に捻られた腕を押さえながら、唇を噛み、涙とも汗とも痕が分からない汚れた顔をしていた。

 

 ファッジは深く息を吐いた。

 

 「……帰るぞ、アンブリッジ」

 

 「で、ですが――」

 

 「帰ると言っている」

 

 その声には逃げも虚勢もなかった。

 ただの敗北の声だった。

 

 アンブリッジはうつむき、立ち上がり、崩れ落ちそうな足で大広間を出ていった。

 

 シリウスは小さく息を吐き、リーマスは目を閉じ、スネイプは無言で腕を組んだ。

 

 俺は肩を回しながら言った。

 

 「さて。詰みは見えたな」

 

 ダンブルドアが口の端を僅かに上げた。

 

 「うむ。ここからが本番じゃよ、フシグロ君」

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