ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十六話

 

 

 

 

 勝った日、負けた日に向かう場所は決まって高級焼肉か高級寿司だ。どちらに転んでも胃袋の中で祭りが起こるような飯に行く。それがダンブルドアとシリウスとの“遠征”の締めとして、いつの間にか当然になっていた。負けた日の方が妙に味が濃く感じるのは気のせいかもしれないが、今日はもう開き直るしかねぇ。

 

 今日は焼肉だ。

 

 俺たちは電車を乗り継ぎ、新宿歌舞伎町にやってきた。冬の夜気が過剰な光と混ざり合い、ひどく冷たいのにどこか熱を帯びている。街の入口に立った瞬間、鼻を刺すような酒と油の匂い、客引きの声、無数の光が視界を占拠して、魔法界よりよほど異世界じみた騒がしさだった。

 

 「ユウゲンテイ……いつ見ても豪華絢爛だな」

 

 シリウスがコートのポケットに手を突っ込んで建物を見上げた。黒曜石みたいな外壁に金色の看板、入り口の両脇には無駄に立派な火鉢。完全に時代錯誤だが、それが逆に格式と色気を出している。あいつの瞳はネオンの光を反射して、いつもより鋭く見えた。

 

 「魔法界の屋敷より落ち着くのはどういう理屈じゃ?」

 

 ジジイが髭をさすりながら首を傾げた。普段より背筋が伸びて見える。

 

 「食い物がうまけりゃだいたいの場所は天国なんだよ」

 

 俺がそう言うと、シリウスは少し笑い、ジジイは「確かにのぉ」と満足げに頷いた。扉を押すと中から一気に温かい空気が押し出され、店内の香りが鼻を打つ。肉の焼ける匂い、甘い脂がはぜる音、鉄板の上で跳ねる汁の気配。空腹を越えて全身に染み渡るような刺激だった。

 

 「皆様、いつもありがとうございます」

 

 店員が深々と頭を下げる。顔なじみだ。俺たちは奥の個室に通された。障子のような仕切りがあり、外の喧騒が嘘みたいに静かになる。部屋の真ん中には上質な網を備えた焼き台が置かれ、既に火が入っていて薄い煙がゆらりと上っていた。

 

 「まずは塩の上タンじゃの」

 

 ジジイが迷いなく注文し、すぐにシリウスも続く。

 

 「私は……ハラミだな。トウジ、ここのハラミは……うん、あれは反則だ」

 

 「わかってるよ。じゃあカルビとロースも頼む」

 

 注文が出ていくと同時に、俺は席に腰を落ち着けた。外で冷えた身体がゆっくり溶けていくような感覚があった。焼肉の店に入ると、必ずこの静かな昂ぶりが胸の底に広がる。それが好きだった。

 

 すぐに肉と皿が運ばれてきた。白い皿に並ぶ薄紅色の上タンは照明に反射してわずかに艶めいている。脂の模様が細く均一に走り、触れれば指が沈みそうな柔らかさだった。ハラミの皿には深い赤と薄い筋があり、肉そのものの息遣いを感じるほど瑞々しい。

 

 「ほう……やはり芸術じゃの」

 

 ジジイが陶酔したように呟いた。

 俺は無言でトングを取り、上タンを一枚つかむ。網に乗せた瞬間、肉が触れた部分がじゅっと縮み、脂が一粒弾けて飛んだ。その音が小気味よく耳に響いた後、香りが一気に広がる。焦げた塩と肉の匂いが鼻にまとわりつき、胃がきゅっと強く鳴る。

 

 「トウジ、よく焼きすぎるなよ。あの厚みは半生でこそ……」

 

 「分かってる」

 

 ひっくり返す。表面にうっすら焼き色がつき、肉汁が内側で暴れているのがわかる。その一連の動きに、今日の負けのざらつきが少しずつ洗われていくようだった。焼けた部分だけがわずかに硬く、中心の柔らかい部分を守るように輪郭が立つ。それを皿に移し、レモンを絞って口に放り込んだ。

 

 噛んだ瞬間、弾力と柔らかさが同時に襲い、溶けるように旨味が舌へ広がる。熱い肉汁がしみるように喉へ落ちていき、体の底に火が灯るような感覚があった。

 

 「……うめぇな」

 

 その言葉だけで十分だった。

 シリウスも同じように上タンを噛み締め、目を閉じて息を吐き出す。

 

 「これは……生まれて初めて肉を理解した気分だ……」

 

 「あんた犬の時だって肉食ってただろ」

 

 「それとこれは別だ!」

 

 ジジイはカルビを焼きながら楽しげに笑う。

 

 「勝ち負けはどうあれ、美味い肉は裏切らん。魔法より信頼できるのぉ」

 

 「確かに」

 

 俺は網の上で跳ねる脂を見つめた。目の前に広がる肉の匂いと熱気、外の喧騒から隔絶された静かな個室。ここだけが戦いの外にある安全地帯みたいで、それが妙に気持ちを軽くした。

 

 「トウジ、今日は飲むぞ」

 

 シリウスがグラスを掲げた。

 ジジイも笑って応じる。

 

 「では、勝利と敗北と……極上の肉に乾杯じゃ」

 

 俺はグラスを手に取り、軽くぶつけた。

 その音は肉の焼ける音と混ざり、じんわりと胸の奥に染みていく。

 

 今日は負けた。だが負けの痛みよりも、この時間の温かさの方が強い。

 それを認めるのは少し癪だったが、それでいい気もした。

 

 「では次はラーメンといこうかの、わしは替え玉3回いけるぞい」

 

 ジジイが湯気で白く曇る眼鏡を指で持ち上げながら言った。さっきまで特上タンだのハラミだので腹を満たしていたはずなのに、どこにそんな容量があるのか分からん。一方、シリウスは焼肉の脂に満ちた満足げな顔をして、口の端にまだ胡麻油の香りを残していた。

 

 「お前らの胃袋どうなってんだ」

 

 俺はコートを羽織りながら呆れた声を漏らした。腹は確かに満ちているが、もうひと押しできる余裕はある。脂の重さが喉に引っかかったままだから、温かいスープを流し込みたい気分でもある。雪の降り始めた歌舞伎町の空気は冷たく、店を出た瞬間に頬を刺す冷気が、ほてった身体からむしり取られた熱を一気に散らしていった。

 

 「いやぁ……日本の焼肉は魔法界とは段違いだよな。肉の切り方からして違うし、あの炭の香りは病みつきになる」

 

 シリウスがポケットに手を突っ込み、弾むような足取りで歩いていく。アズカバンから戻ってきた男とは思えないくらい軽い。こいつは馬に勝った日のテンションがそのまま顔に出るタイプだ。

 

 「シリウス、まだ食う気か」

 

 「もちろんさ。トウジが連れていく店は毎回当たりだ。今日も信じてる」

 

 俺は肩をすくめて、ジジイが歩道の先で手招きしている方へ向かった。歌舞伎町の雑多な看板、煽るように輝くネオン、夜の湿気に混ざる油の匂い、遠くで聞こえるサイレン……全部を背中に受けながら歩いていくと、路地の奥にひっそりと暖簾を下げたラーメン屋が浮かび上がってきた。

 

 「ここかの。名は……『こがし味噌 なべしま』?ふむ、良い匂いじゃ」

 

 ダンブルドアが鼻をくんくんさせている。湯気の香りは濃厚で、焦がし味噌の香ばしい匂いが路地の湿った空気を押しのけるように漂ってきていた。雪混じりの風の冷たさが、その香りを一層引き立てる。看板の下で光る黄色い蛍光灯の下、店のガラス戸は少し曇っていて、向こう側の客の姿が影のように揺らいで見えた。

 

 「ここはスープが濃い。冬は特に最高だ」

 

 「ほう……濃ければ濃いほど良いというわけじゃな」

 

 「いや、ジジイの場合はただ腹が減ってるだけだろ」

 

 店に入ると、カウンターだけの狭い空間が広がっていた。厨房の中では若い兄ちゃんが寸胴をかき混ぜていて、白い湯気が立ち昇り、その湯気は天井の換気口に吸い込まれていく途中で照明の光を受けてゆらゆらと形を変えていた。カウンターに手をついた瞬間、木の表面がほんのり温かくて、そこに染み込んでいる脂の匂いが指先にうっすら残る。

 

 「いらっしゃいませ。三名様で」

 

 「味噌ラーメン3つ」

 

 俺が言うと、ジジイは満足げに頷き、シリウスは座った瞬間にコップの水を一息で飲み干した。そしてジジイも水を飲む。

 

 「ふむ……この水も美味いのう。やはり日本の食は奥が深い」

 

 「ラーメン屋で水を絶賛するのはやめろ。恥ずかしいから」

 

 それでもジジイは本気で感心しているのが顔に出ていた。魔法界の食事は確かに腹には溜まるが、こういう“旨味”の構造がないんだよな。肉を焼く音、香辛料の匂い、調理の火の動き……俺たちが五感で受け取る情報に対して繊細じゃない。

 

 数分後、湯気をまといながら三つの丼がカウンターに並んだ。焦がし味噌の香りが一気に鼻へと突き抜け、表面を覆う油が湯気を反射して揺らめいている。レンゲですくえば分厚いスープがねっとりと乗り、持ち上げた瞬間に熱が手の甲をじりじりと刺激する。

 

 「うむ……これは……濃い!」

 

 ジジイが目を丸くし、勢いよく麺を啜った。湯気が顔中にまとわりつき、眼鏡の奥で目尻がほころぶのが見えた。シリウスも負けじと啜り、喉を上下させながら言った。

 

 「これは……魔法界には無い味わいだ……!」

 

 当たり前だ。そもそも魔法界に味噌が無い。

 

 俺も麺を啜る。熱が舌を叩き、焦がし味噌の苦みと濃厚なコクが一気に広がった。スープの粘度が喉を滑り落ちる感覚が心地よく、腹の底に溜まっていた焼肉の重さが逆に押し流されていくようだった。湯気に混ざって立ち昇る香りが、服の繊維にまで染み込んでいく。明日のホグワーツでガキどもに突っ込まれそうだが、まぁいい。

 

 「トウジ、替え玉を頼まんのか?」

 

 「まだ食って数秒だろうが」

 

 「わしはもう頼むぞい。スミマセーン、カエダマフタツ!」

 

 「だからいきなり2つは多いんだよ!」

 

 店主が苦笑しながら替え玉をゆで始める音が響いた。湯が沸騰し、麺が沈んで揺れるその音を聞きながら、俺は少しだけ笑った。

 

 今日負けたはずなのに、不思議と後悔はしていない。焼肉を食い、ラーメンを啜り、雪の夜道を3人で歩く。それだけで、アズカバンから始まった今年の騒動全部がほんの少し遠ざかっていく気がした。

 

 「トウジ、明日は授業か?」

 

 「まぁな。ガキ共を走らせて汗まみれにしてやる」

 

 「良い教師じゃのう。ほれ、もうすぐ替え玉が来るぞい」

 

 湯気が再び立ち昇り、俺たちの顔を包む。

 

 冬の日本で、魔法界の連中とラーメンを啜るなんて、数年前の俺なら想像もしなかっただろう。

 

 だが今は、それも悪くないと思える夜だった

 

 「それでシリウス、お前はハリーに一緒に暮らそうって誘ったんだって?」

 

 俺は隣で麺をハフハフ言いながら啜るシリウスを見て言った。

 

 「ハフッ……モグ……はぁ〜、あぁ言った」

 

 「まぁ俺は別にどうでもいいがよ、アイツには護りの魔法があんだろ? どうなんだ? ダンブルドア」

 

 カウンターの上には半分ほど麺の減った丼が3つ並び、湯気が立ちのぼっていた。外は雪まじりの風が吹いているはずなのに、この店の中だけはスープの熱と人間の体温で満ちていて、コートを脱いだ腕に残る汗が、さっきまでいた競馬場とは違う種類の疲労を物語っていた。

 

 「うむ……あの護りのことか。リリーが身を挺して与えた“古い魔法”じゃな」

 

 ジジイがレンゲを置き、眼鏡を指で押し上げた。ラーメン屋のカウンターに座るには似つかわしくねぇ動作だが、そんなことは気にしていないらしい。

 

 「そう、それだよ。それがあるから、ハリーはあの馬鹿親戚んとこに押し込まれてたんだろ?」

 

 「うむ。あの家におる限り、ヴォルデモートの手は届きにくい。血の縁で結ばれた“家”という結界の中におるからのう」

 

 「でもよ、シリウスのとこに行ったらどうなんだ?」

 

 俺がそう言うと、シリウスは箸を置き、少し真面目な顔になった。湯気で濡れた前髪が額に貼りつき、いつもの軽い笑顔の影で、12年分の時間が一瞬だけ顔を覗かせる。

 

 「トウジ、俺は……ハリーにあの家から出てきてほしかったんだ。あいつはあそこで“守られて”はいたが、同時に押し込められてもいた。あの家の空気を思い出すと、いまだに腹が立つ」

 

 「感傷に浸ってるとこ悪いがよ、問題は護りがどうなるかだ」

 

 「うむ。血の護りは“家”と“住人”に宿る。完全に切り離すことはできぬが、条件を変えることはできる」

 

 ジジイが低い声で続けた。湯気に隠れるようにして、目の奥だけが鋭く光る。

 

 「どういうこった」

 

 「簡単に言えばのう、ハリーがあの家を“定期的に訪れる”限り、護りは残る。完全に縁を切らねば、魔法自体は消えんのじゃ」

 

 「なんだ、じゃあ別に一緒に暮らしてもいいんじゃねぇか」

 

 俺が肩をすくめると、シリウスが少しだけ安堵したように息を吐いた。

 

 「ただし」

 

 ジジイがレンゲを持ち上げ、スープをひと啜りしてから言った。

 

 「それを許すかどうかは、魔法省ではなく、ハリー自身と……フシグロ君、そしてわしの判断じゃ」

 

 「なんでそこで俺の名前が出てくんだよ」

 

 「当たり前じゃろう。ハリーの“戦い方”を教えておるのは誰じゃ? 力の使い方を誤れば護りなど意味をなさぬ。家を出るということは、守られる側から、戦う側へ一歩踏み出すということじゃ」

 

 麺を噛む歯に、ぐっと力が入った。熱いスープが喉を焼き、胃の奥に落ちていく感覚がやけに鮮明だった。

 

 「……ハリーはもう、とっくにその一歩を踏み出してんだろ」

 

 「そうだとも」

 

 シリウスは迷いなく答えた。

 

 「だからこそ、私は一緒に暮らそうと言った。父親の親友としてでも、保護者としてでもなく、戦友としてな」

 

 「お前、たまにはまともなこと言うじゃねぇか」

 

 そう茶化しながらも、胸の中では別の感情が渦を巻いていた。あのガキは、もう守っているだけで済む立場じゃねぇ。バジリスクの死体を利用してトム・リドルの本をぶっ刺したあの夜から、とっくに“こっち側”に立っている。だったら、あとはどこで準備をさせるかの問題だ。

 

 「……まぁ、俺としてはどこに住もうが構わねぇ。必要ならどこにいようが叩き起こして走らせるだけだ」

 

 「ふぉっふぉ、ハリーもたまったものではないのう」

 

 ジジイが笑い、シリウスもつられて笑った。ラーメンの湯気が、その笑い声を包むようにゆらゆらと揺れた。

 

 店の外では、相変わらず雪混じりの風が歌舞伎町のネオンを揺らしているのだろう。ここは日本で、俺は呪詛師で、こいつらは魔法使いで、明日にはまたホグワーツの城に戻ってガキ共を走らせる。競馬で負けて、焼肉とラーメンを腹に詰め込んで、それでも頭の片隅では次に来る戦いのことを考えている自分がいて、そんな自分に少しだけ苦笑したくなった。

 

 「ま、決めるのはハリーだ。ジジイ、お前が最後に背中押してやれ」

 

 「もちろんじゃとも。あの子は強い。だが、強い子ほど、どこかで誰かに“帰る場所”を示されねばならんのじゃ」

 

 帰る場所、ねぇ。

 

 ラーメンの丼を空にしながら、そんなものが俺にあったことはあったかと考える。思い出そうとしても、湯気の向こうで何かがぼやけて消えていった。

 

 「……まぁいい。ガキにはガキの、親父には親父の、やることがあるってだけの話だ」

 

 「ふむ……フシグロ君の産まれた家は日本呪術界で御三家と云われている一つじゃったな」

 

 「良いとこの坊ちゃんだったのか?トウジ」

 

 「そうだったらどんなに良かったか、術式がないだけであの家ではいない者とされる」

 

 「魔法界と同じだな」

 

 「まぁそうだな、“スクイブ”ってやつと同じだ。ただ俺は天与呪縛があった」

 

 ラーメンを食い終えて店を出た俺たちは、歌舞伎町の裏通りを駅の方へ向かって歩いていた。雪はさっきより強くなっていて、ビル風に煽られた細かい粒が頬を叩き、アルコールとスープで温まった身体の表面だけが冷や水を浴びせられたみたいにきしむ。

 

 「天与呪縛のフィジカルギフテッド……術式もない、呪力もない。その代わりに並外れた肉体を与えられた」

 

 ダンブルドアがゆっくりと確認するように言った。

 

 「呪術か……ここ日本の独自の異能体系」

 

 「そうだ。だが“独自”ってほど綺麗なもんじゃねぇ、呪いと利権と家同士の足の引っ張り合いで出来上がった腐った沼だ」

 

 歌舞伎町のネオンが雪に滲み、道路に溜まった水たまりの表面で赤や青の光が揺れている。その中を踏みしめるたび、靴底越しにぐしゃりとした冷たい感触が伝わり、俺は任務帰りに血の混じった雨水を踏んだ昔のことを思い出していた。

 

 「フシグロ君の家……禪院家といったかの。わしも名前だけは聞いたことがある。呪術界の名家、保守的、呪力至上主義……そういったところかの」

 

 「そんなんだ。呪力が強いかどうか、強い術式を持ってるかどうか、それだけが人間の価値を決めると思ってやがる。だから術式がないガキは、産まれた瞬間から“ゴミ”ってわけだ」

 

 自分で言っておきながら、胸の奥のどこかがじわりと熱くなった。もうとうの昔に捨てたはずの感情だが、名前を出しただけでまだ残り火がくすぶっているのが分かる。

 

 「それで、フシグロ君はその家を出たのじゃな?」

 

 「出た……というより、捨ててきた、だな。向こうも俺を“いない者”にしたかっただろうが、今となっちゃ逆だ。あいつらがまだ生きてんのは、ただ俺が興味を失ってるからだ」

 

 シリウスが少し目を丸くした。

 

 「トウジ、お前……」

 

 「本気でやる気になりゃ、禪院家の連中なんざ今すぐ皆殺しにできる。あの家の結界も、伏兵も、呪具の備蓄も、全部知ってる。何がどこにあって、誰がどれくらい戦えて、どこが一番脆いかもな」

 

 語りながら、俺の脳裏には古い屋敷の構造が鮮明に浮かび上がっていた。白い砂利の敷かれた中庭、障子の先に隠された呪具庫、地の底へ降りていく石段。あそこを血で満たす光景を想像するのは簡単だ。夜中に忍び込み、警戒の薄い時間帯に柱を折り、外からも中からも逃げ道を潰していけば、あとは的当てみたいなものだ。

 

 「……それでも、お主はやっておらん」

 

 ダンブルドアの声は静かだった。

 

 「気に入らねぇ真似してきたら、いつでもやるつもりではいる。今はただ、向こうが勝手にじわじわ腐っていくのを眺めてるだけだ。俺が手を下さなくても、あいつらはいずれ自分達の価値観に潰される」

 

 その方がよほど呪いらしいだろ、と心の中で付け足す。自分の信じたものに押し潰されて死ぬなら、それはそれで筋の通った終わり方だ。

 

 「魔法界にも似た話はある。血統を誇り、名家を名乗り、そのくせ中身は脆く、時代の変化に耐えられない家だ」

 

 シリウスの言葉には妙な重みがあった。

 

 「禪院家もいずれそうなる。俺がトドメを刺すか、勝手に崩れるかの違いだけだ」

 

 そう言い切ると、不思議と胸のざわつきは少し静まった。過去を語るのは好きじゃないが、こうして口に出してみれば、俺自身がその家に対してもうほとんど未練を持っていないことがはっきりする。

 

 「それでも、フシグロ君は自分の名を捨てておらん」

 

 ジジイがぽつりと言った。

 

 「禪院ではなく、伏黒を名乗っておるのじゃろう?」

 

 「……ああ。禪院の名前なんざ二度と使う気はねぇ。でも“甚爾”ってガキに付けられた名前そのものまで捨てるほど暇でもねぇしな」

 

 俺は肩をすくめ、煙草の箱を取り出した。一本くわえて火をつけると、冬の空気の中で煙が細く伸び、歌舞伎町のネオンの光を受けて淡く揺れた。

 

 「禪院家がどうなろうが知ったこっちゃねぇ。今の俺にとって大事なのは、ホグワーツでガキ共をどう鍛えるかと、次のレースでどう当てるか、それくらいだ」

 

 「実にフシグロ君らしい優先順位じゃのう」

 

 ジジイが笑い、シリウスもつられて笑った。雪は相変わらず降り続いているが、さっきよりも肌に刺さる冷たさが和らいだ気がした。

 

 禪院家は、俺がその気になればいつでも壊せる。だが今夜、俺が向かうのは日本呪術界の屋敷じゃなく、ホグワーツへ戻るための姿現しの地点だ。あの腐った家より、雪の中で震えながら走らされているガキ共の方が、今の俺にはよほど価値がある。

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