ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
1994年8月27日、ホグワーツの夏休みも残すところ数日となり、世界中の魔法使い達が熱狂するクィディッチワールドカップはついに決勝戦を迎えていた。空には朝霧が薄く漂い、遠くの丘陵を白く覆い隠している。その湿った空気の中を、ウィーズリー家の面々アーサー、フレッド、ジョージ、ロン、ジニー、さらにハーマイオニーとネビルが連れ立って歩いていた。皆、決勝戦観戦のため朝早くから準備を済ませ、スタジアム近くへ跳ぶためのポートキーが置かれている丘へ向かっていた。
彼らの格好は完全に登山客のようだった。魔法界特有の派手なローブを避け、動きやすい厚手のジャケットや長靴を身に着けている。朝日が差し込むたび、露で濡れた草が光り、それが彼らの靴先を濡らした。ロンは眠そうに目をこすり、フレッドとジョージはすでにテンションが高く、今日の試合がどれほど荒れるかで賭けができるかどうかをひそひそと話していた。
途中、大きな古木に差し掛かった。樹皮の間に残る朝露が光り、幹の影には見慣れた初老の男が立っていた。その上の太い枝には、若者が腰かけて揺れていた。
「おぉ!アーサー!準備はできているか?」
魔法省でアーサーと共に働くエイモス・ディゴリーだった。頬を紅潮させ、興奮を抑えきれない様子で声を張り上げた。
「エイモス!もちろんできているとも!お、セドリック!元気そうだな!」
枝の上から影が落ちた。次の瞬間、青年は枝から飛び降り、空気を押し潰すような勢いで豪快に着地した。土がわずかに舞い、その中心に立っていたのはエイモスの息子、ハッフルパフ6年生のセドリック・ディゴリー。鍛え上げられた肩幅、太腿の厚み、引き締まった腹筋のラインはシャツ越しにも分かるほどで、伏黒甚爾の容赦ない体育授業の成果であることは疑いようがなかった。
「やっぱりデカくなってる……」
思わずロンが呟くと、ネビルが腕を組んで鼻で笑った。その身体もまた、以前の痩せぎすだった面影は完全に消え、広い胸板と丸太のような腕を備えた別人になっていた。夏休みのあいだも黙々と鍛え続けた成果がはっきりと刻まれている。
「ポートキーはすぐそこだ。行くとしよう」
エイモスの声に従い、一行は小さな丘へと足を進めた。草が擦れる音と靴底が地面を踏みしめる感触が連続し、霧がゆっくりと晴れはじめた頃、頂上にたどり着いた。
そこには、場違いにも思える古びたバケツが置いてあった。錆びついた持ち手、欠けた縁。だが、魔法使いにとっては十分な“旅道具”だった。
「皆、これがポートキーだ。一気にスタジアムまで飛べるぞ〜」
アーサーが説明すると、ハーマイオニーが興味深そうに身を屈め、ジニーは嬉しそうに跳ねるようにしてバケツへ近づいた。フレッドとジョージはバケツをつつきながら「爆ぜないよな?」「たぶんな」と不安になるような会話を交わしていた。
ネビルは大きな手でそっとバケツの縁を押さえ、その動作には以前の臆病さの欠片もなかった。
「よし!じゃあ3、2、1!」
アーサーが掛け声を上げた次の瞬間、バケツから魔力が渦を巻いて吹き上がり、一行の身体を引きずり込むように吸い上げた。重力が真横から襲いかかったかのように体が揺れ、胃がふわりと浮き上がる。
そして——景色が弾け飛んだ。
足元の草原も、丘も、朝霧も、全部が一瞬で消え去り、軽い衝撃とともに別の大地へ投げ出された。
そこは、世界中の魔法使いが集う巨大キャンプ場だった。色とりどりのテントが迷路のように並び、そのどれもが信じられないほど巨大で派手だった。象牙色のテントからは香辛料の匂いが漂い、隣の虹色のテントは時折屋根が変形してドラゴンの頭を形作っていた。遠くからは爆竹のような花火が上がり、魔力の煙が空に帯を引いていた。
観客はここで連日泊まり込み、朝も夜も関係なく騒ぎ、歌い、飲み、そしてワールドカップを観戦する。
ネビルはその光景を見て「すげぇ……」と低く呟き、ハーマイオニーは目を丸くしながらノートを取り出し、ロンは早速屋台の匂いを追ってフラフラし始めていた。
こうして彼らのクィディッチワールドカップ決勝戦観戦の一日が始まった。
キャンプの雑踏の中を進みながら、アーサーは隣を歩いていたエイモスの肩に軽く手を置いた。周囲では巨大なテントの間を縫うように魔法使い達が歩き、鍋で何かを煮込む香りと、魔法動物らしき鳴き声が入り混じり、この場所が世界中の魔法使い達の熱気を吸い込んで膨れ上がっているのが分かった。
「じゃあ試合で!」
「うむ!ではな!」
エイモスは笑い、たくましい体つきのセドリックを連れて雑踏の奥へと消えていった。セドリックは振り返り軽く手を振り、また次の瞬間には人混みに紛れた。
「よし!皆!私たちのキャンプはここだぞ〜!」
アーサーの声に一同が足を止める。彼が指差した先には、どう見ても全員が入るには無理がありそうな布製の地味なテントがぽつりと建っていた。隣でカラフルな三階建ての大テントが魔力でふわりと浮き上がるのと比べると、余計に頼りなく見える。
だが皆はもう気づいていた。このサイズのテントがただのテントで済むはずがない、と。
「空間拡張魔法ね」
ハーマイオニーが顎に手を当て満足そうに言った。
「ご名答!流石ハーマイオニーだ!ロンも見習えよ〜!」
「いや分かってたって!」
口では反発しつつ、ロンは先にテントをめくって中を覗き込む。次の瞬間、目を見開いた。
その中には広々としたリビング、ふかふかのソファ、薪の揺らめく暖炉、そして奥には複数の個室が備わっていた。天井には魔法の明かりが漂い、外観の質素さとはまるで別世界だった。
皆が驚きの声を上げながら中に入り、荷物を置き、ソファに腰を下ろし、ほっと息をつく。ハーマイオニーは魔法の構造を考察しようとしてノートを開きかけたが、ロンに「試合前くらい休めよ」と言われて渋々しまった。
しばらく中で談笑しながら過ごし、日が落ちて薄闇が地面を染めた頃、一同はスタジアムへと向かうため外に出た。夜風はひんやりとしていたが、あちこちのテントから聞こえる陽気な歌声と太鼓のような低音が胸を震わせ、体温を奪われる暇もなかった。
その時——。
「ハリー!」
ハーマイオニーが叫ぶように声を上げた。振り返ると、そこには人波の中でこちらに手を振るハリーがいた。隣にはシリウス・ブラックが立ち、黒いローブの襟を無造作に直している。
「え!ハリーも来てたのか?」
ロンが嬉しそうに駆け寄る。
「うん、シリウスに連れられて来たんだ。皆ごめんね、そっち行けなくて」
「いいんだよ!だってシリウスさんと暮らしてたんだろ?」
「うん」
ハリーの顔は少し窶れており、目の下には薄い影が落ちていた。だが周囲の誰もそれを指摘しない。彼がここ一ヶ月、伏黒甚爾とダンブルドア、そしてシリウスの賭けに強制的につき合わされ、日夜スタジアムを駆け回っていたことを勿論彼らは知らない。それでも、彼はクィディッチを直接観られるという興奮を隠せず、声は弾んでいた。
シリウスはハリーの肩を軽く叩き、アーサーに視線を向けた。
「アーサー、ハリーを頼めるかな?」
「あぁ……シリウス。任せたまえ」
かつてシリウスが冤罪の疑いをかけられていた頃、アーサーは彼を危険人物として扱っていた。しかし今は違う。晴れた罪と共に、彼の軽さと温かさはウィーズリー家にすっかり馴染んでいた。
「いい子でいるんだぞ。ハリー」
「分かってますって」
ハリーが笑うと、シリウスは満足したように頷き、人混みに紛れて消えていった。
「よーし!皆こっちだぞー!」
アーサーが大きく腕を振って先導し、一行は観客席へと向かって歩き始めた。スタジアムは目と鼻の先で、夜空を照らす魔法灯の光が巨大な円形の影を地面に投げかけ、胸の奥まで響くような歓声がすでに届き始めていた。
スタジアムへ入ると、すぐに巨大な魔法障壁がアーチを描き、その内部に詰め込まれた音と光が身体にまとわりつくように伝わってきた。階段は入口からすぐに急勾配となり、観客達は列をなしながらぞろぞろと登っていく。魔法使いのくせにエレベーターのひとつも作らないあたり、こういう部分だけ妙にアナログなのが実に魔法界らしく、ウィーズリー家の子供達は途中でため息をついた。
「どこまで登るんだ?父さん!」
「もう少しだぞ!」
アーサーは額の汗をぬぐいながら言う。普段なら息も上がるはずだが、ロンもジニーも、そしてハーマイオニーもほぼ疲労を見せていなかった。伏黒甚爾の体育授業の成果で、彼らの脚力と心肺は常人とは段違いになっていたからだ。しかし、延々と続く階段はさすがに気が滅入る。
その時、階段脇の踊り場から気取った声がした。
「おやおや、これはウィーズリーじゃないか」
「ルシウス……」
アーサーが肩を固くする。振り向くと、別ルートの広い踊り場にルシウス・マルフォイとドラコがいた。親子そろってぴしりと仕立てたスーツに身を包み、胸元にはVIP用の金色バッジが輝いている。その装いは、まるで貴族の肖像画から抜け出たようだった。
「やあ皆、ご機嫌よう」
ドラコが穏やかに微笑む。その声には以前のような棘はない。伏黒甚爾の授業を受けるうちに、ドラコからは選民思想が跡形もなく消えていた。筋肉と汗と痛みの中では血統なんてどうでもよくなる。ロンはドラコの肩回りの厚さを見て感嘆の声を漏らした。
「ドラコ、またデカくなったんじゃねぇか?」
「当然だよ。毎朝走ってるし……フシグロ先生の課題もやってる」
「やっぱやってたんだな……そりゃ強そうだわ」
ハーマイオニーもその変化を当然のように受け止めていた。
「私たちは上に行くけど、ドラコは?」
「僕たちはVIP席なんだ。君たちはもっと上か……雨が降りそうだから気をつけろよ」
「おいドラコ……ではなアーサー」
「うむ、ルシウス」
親子は軽く頭を下げて別ルートを進んでいった。ウィーズリー家一同は再び階段を登り始め、息をそろえてひとつの踊り場からまた次へと進む。ようやく席に着いた頃には、視界はスタジアム全域を見渡せる高さになっていた。風は容赦なく吹き抜け、雨雲が少しでも傾けば全身を濡らすだろう。だが見晴らしは驚くほどよかった。フィールドのライン、ゴールポストの金属の輝き、観客席を埋める数万の魔法使い達のざわめきが一望できた。
そして——決勝戦が始まった。
魔法の照明が一斉に点灯し、スタジアム全体を昼のように照らす。轟音が沸き起こり、波となって上段席まで押し寄せた。
軽快な音楽が流れ始め、緑のユニフォームを纏ったアイルランドチームが登場した。選手達が箒の柄を軽く叩くと金色の光が尾を引き、会場から歓声があがった。彼らの飛行は滑らかで、まるで風そのものになって舞っているようだった。
続いて、ブルガリアチームが暗い音と共に登場した。鋭い動きを見せる黒と赤のユニフォームが闇を裂くように現れ、観客席には悲鳴のような歓声が走る。彼らは力強く、挑発的で、まるで肉食獣が獲物を求めて放たれた瞬間のようだった。
その中でひときわ大きな歓声が上がる。
世界最強と謳われるシーカー——ビクトール・クラムが姿を現したのだ。筋肉の塊のような腕、鋭く絞られた背中、そして獲物を逃さない猛禽のような目つき。箒にまたがるというより、箒を従えているような威圧感だった。
「うおお!!クラムーー!!」
ロンが全身で叫ぶ。しかしその横でフレッドやジョージ、ネビルが並ぶと、奇妙な光景が広がった。ウィーズリー家の面々の身体は、伏黒甚爾の鬼のような体育で鍛えられた結果、クラム以上にデカかったのである。特にネビルは肩幅も腕も桁違いで、まるで壁のような迫力を放っていた。
「ネビル……マジで強そうだな」
ロンが小声で呟くと、隣のネビルは腕を組みながら無言で頷いた。普段は穏やかなネビルだが、鍛えた身体は嘘をつかない。筋肉の隆起はシャツ越しにも分かり、観客達が思わず視線を向けるほどだった。
やがて選手達が一斉にフィールド中央へ集まり、審判がホイッスルを掲げた。空気が張り詰め、数万人の息が一瞬止まる。風が刃のように頬を撫で、魔力の火花が細かく弾ける。クィディッチ決勝戦の幕が、今切って落とされようとしていた。
「『ではこれより第422回クィディッチワールドカップの頂点を決める戦いの開始を……ここに宣言する!』」
スタジアム中央に立った魔法省大臣コーネリウス・ファッジが杖を天へ掲げると、先端から放たれた光が巨大な雷鳴のような轟きと共に夜空へ広がり、観客席全体を震わせていった。まるで空気そのものが押し返されるような圧が胸を叩き、数万人の歓声と魔力が渦を巻く。その音と光が最上段の席にまで届き、地を揺らすような熱気となって吹き上がった。
その頃、VIP席では伏黒甚爾とダンブルドアとシリウスが、試合よりも真剣な顔で小さなメモと財布を睨みつけていた。彼らにとってワールドカップは競技大会であると同時に、巨大な賭博の祭典でもある。
「俺はブルガリアに全ぶち込みだ。もう絶対負けられねぇ……!」
甚爾が荒い息を吐きながら言った。財布はすでに薄い紙袋のようにぺちゃんこで、中には折れ曲がった紙幣が数枚残っているだけだった。ここで負ければ本当に一文無しになる。猛烈な緊張が胃を締めつけるように重く沈み、額にじわりと汗が滲む。
「ホッホッホ……わしとシリウスはアイルランドに賭けた」
「今回は俺の勝ちだな。ブルガリアには世界最強のシーカーがいる。あれはかなりのアドバンテージだ」
甚爾のその横顔には勝ちを疑わない余裕が漂っていた。世界最強のシーカー、ビクトール・クラムがいるブルガリアは、一般的にも最有力候補と見られていた。
「確かにな……だがアイルランドはここまで勝ち上がってきた。分からないぞ」
シリウスが涼しい顔で呟いた。
ダンブルドアは笑みを浮かべながらも杖を握る手にだけは力が入り、わずかに血管が浮き上がっている。老人とは思えない鋭い視線の奥には、数年ギャンブルに身を置いてきた者の勘が宿っていた。
その間にも、フィールドでは試合が凄まじい勢いで進んでいった。選手達は光を引くような速度で飛び交い、金属のリングを狙ってクアッフルを放つたび、空気が裂けるような音が響いた。ブロッジャーは獣のように唸りながら選手を追い回し、ビータ―がハンマーのように打ち返すと衝撃波が客席まで伝わってくる。
試合序盤からアイルランドが勢いを見せた。パス回しは流れるように滑らかで、連携の正確さはまるで舞を見ているようだった。緑のユニフォームが天と地を自在に駆け巡り、観客席からは波のような歓声が上がる。
一方、ブルガリアは力強い個の突破を武器に対抗した。特にクラムの動きは圧巻で、彼が一度箒を跳ね上げるだけで空気がひっくり返ったように渦を巻き、相手シーカーがその圧だけで距離を取る。まるで猛禽が空の王だった頃の記憶を呼び覚ますような動きだった。
「くそ……アイルランドが押してるぞ……!」
甚爾の声はいつになく焦りを帯びていた。クアッフルが立て続けにアイルランドのゴールへ吸い込まれ、点差がじわじわと開いていく。
「言ったじゃろう?アイルランドは強いのじゃよ」
「黙って見てれば分かるさ。まだクラムがいる」
シリウスの声は冷静だったが、指先だけがやや強張っていた。
そして——その瞬間が来た。
クラムが突如として上昇し、鋭く弧を描いて急降下した。観客席が一斉にどよめき、アイルランドのシーカーが慌てて追いすがる。金色の光が下層スタンドの陰から飛び立ち、フィールド全体に軌跡を描いた。
スニッチだ。
「来たぁぁぁぁ!!!」
甚爾の叫びと共に、全ての視線が空へ向けられた。クラムの加速はまるで空気ごと脚力に変換したかのようで、背後に圧が波となって押し返される。観客席の髪が逆立つほどの風が巻き起こり、スタジアム全体が震えた。
クラムの指先がスニッチに触れた——。
そして掴んだ。
「よっしゃあああああ!!」
甚爾が立ち上がり拳を突き上げた。
——だが、アイルランドのゴール数はすでに大差だった。
点差を埋められず、ブルガリアは敗退。
「嘘だろ……!?」
甚爾の声は乾いていた。全身が一瞬で冷え、椅子の背もたれに崩れ落ちる。
「ホッホッホー!!こりゃたまらんわい!大勝ちじゃ!」
ダンブルドアは満面の笑みで叫び、杖で帽子を持ち上げた。シリウスも珍しく子供のように歓声を上げ、隣のハリーとハイタッチしている。
「やりましたね!先生……!くぅー!アイルランド強かった!だがブルガリアもすごい!」
「クソが……」
そうしてワールドカップ決勝戦は、興奮と歓声と絶望を飲み込みながらゆっくりと幕を閉じた。
スタジアムにいた観客達は興奮も冷めやらぬまま波のようにキャンプへと戻っていった。ワールドカップは終わったとはいえ、まだその余韻は濃く、しばらくは連日祭り騒ぎが続くだろう。テントの間を縫うように屋台の灯が揺れ、人々の歓声や笑い声、酒の香り、砂を踏みしめる靴音が夜空の下で渦を巻いていた。
ウィーズリー家の一同もキャンプへと戻った。テントの外からは人々が興奮したまま騒ぎ合う声が漏れ聞こえ、夜の冷気を震わせている。柔らかな草地を踏む音が重なり、ランタンの明かりがテントの布越しに影を伸ばした。
「クラム……!クラム……!あの飛び方は才能……いや芸術だ!」
ロンが目を輝かせながらうっとりと呟いた。その表情はまるで恋に落ちた少女のようで、ハーマイオニーが呆れながら肩をすくめるほどだった。
「なんだロン、恋してんのか?」
「ロンがクラムにご執心!」
フレッドとジョージがすかさず茶化す。だがその賑やかな雰囲気の隣で、ネビルはふと外のざわめきに違和感を覚え、顔を上げた。喧騒の中に紛れて、本来ここにあるべきでないものが混ざっている——悲鳴だ。
「アーサーおじさん、様子が変だ」
ネビルは声を潜めて言いながらアーサーのもとへ近づいた。片付けをしていたアーサーは一瞬きょとんとしたが、ネビルの視線の先に耳を澄ませると表情が固まった。
「ん……? 外……?」
そのわずかな違和感が、次の瞬間には確信に変わった。遠くで上がる悲鳴、怒号、物が倒れる音、拡散する魔力の気配。それは祭りの声とは明らかに異質だった。アーサーは眉根を寄せ、急ぎ足でテントの入口へと向かった。ネビルも無言でその後に続く。
外に出た途端、アーサーの目に飛び込んできたのは地獄絵図だった。人々が四方へ散り逃げ惑い、逃げる途中で躓き転ぶ者、荷物を放り捨てて箒に飛び乗る者、恐怖のあまり叫びながら姿現しで消える者。至る所で煙が上がり、テントが破壊され、魔法が暴走した痕跡が黒く焦げ付いている。
そして騒ぎの中心には、黒いローブに骸骨の仮面をつけた集団がいた。月明かりに照らされたその輪郭は不気味に歪み、杖の先端に絡んだ魔力が紫色に脈動している。ゆっくりと、しかし確実に一般客を追い立てるように移動していた。
「大変だ……!あれは
アーサーの声が震えた。魔法省職員として幾度も聞かされた名だ。目の前にああやって現れるのを見たのは久しぶりだった。背筋を冷たい刃物でなぞられるような戦慄が全身を走る。
「死喰い人……?」
ネビルがその言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが爆ぜた。血が一気に逆流するように頭へ上り、視界が赤く染まりかける。死喰い人——それは彼の父母を廃人に追いやった存在。幼い頃から繰り返し聞かされたその名は、ネビルの心に深く刻まれた傷そのものだった。
「……っ」
拳が勝手に震える。指先が白くなるほど力が入り、息をする度に肺が焼け付くように熱い。怒りで動き出しそうな足を必死で止めるように、ネビルは歯を食いしばった。
アーサーはその様子に気づいたが、言葉を挟む余裕などなかった。黒いローブの集団がこちらに向かってくる。周囲の混乱は一層激しさを増し、遠くで魔法が炸裂する音が響いた。
「すぐ逃げるぞ!」
アーサーはネビルを連れてテントに駆け戻った。中ではハーマイオニーやジニーが不安げに外を見つめ、ハリーも異様な空気を感じ取って杖に手を伸ばそうとしていた。
アーサーは荒い息のまま振り返り、声を張り上げた。
「皆!急いで帰るぞ!フレッド、ジョージ!ジニーを守れ!ロン、ハーマイオニーとハリー、ネビルを連れてポートキーに行け!!」
その声には、普段の陽気な父親ではなく、魔法省職員としての厳しさと緊迫が滲んでいた。テントは一気に騒然となり、全員が荷物を掴みながら出口へと向かう。
外では、死喰い人達の影がゆらりと揺れ、祭りの余韻は完全に破壊されていた。惨劇の夜が幕を開けようとしていた。