ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第六話

 

 

 

 

 大広間で待っていると、生徒達が続々と流れ込んできた。扉がゆっくり開かれるたびに冷えた石造りの廊下の空気が流れ込み、夏の熱をまだわずかに残す大広間の中へ混ざっていく。最初に姿を見せたのは上級生達で、新入生の影はまだない。奴らは夏を越えて少し背が伸び、肩幅が広くなった者も多く、歩く時の重心の置き方や足の運びに迷いが少なくなっている。鍛錬を怠った者と続けた者は、こういう場で如実に差が出る。

 

 長机に向かう彼らの背中を眺めていると、筋肉の張り具合、呼吸の深さ、指先の微かな震えまで読み取れる。姿勢ひとつで、一夏どこまで追い込んだかなんざすぐに分かるもんだ。俺の訓練を真面目に続けた生徒は、肩甲骨の動きが滑らかで視線に雑味がない。我流で済ませた奴は、どこか身体がふわついている。

 

 「どいつもこいつもよく鍛えてきてんじゃねーか」

 

 誰にも届かねぇ程度の小声で呟く。グリフィンドールの机にはいつもの4人も見えた。ハリーは真剣な表情で額の傷に触れ、ロンは鍛えた腕を見せびらかすように肘を突いて笑っている。ハーマイオニーは教科書を几帳面に並べ、ネビルは周囲を一瞥する癖が完全に身についていた。去年までの頼りなさが嘘みたいだ。

 

 そうしているうちに、新入生の集団が大広間に現れた。真新しいローブの裾を握りしめる小さな手、落ち着かない視線、浮ついた足取り。そのどれもが初々しいが、例年よりも不安の色が濃い気がする。ワールドカップの騒動――炎と悲鳴、空に浮かんだ闇の印――あれが魔法界全体の空気を変えてしまった。

 

 組み分けが始まる。汚ぇ帽子がひとりひとりの頭に乗せられ、帽子の歪んだ口が動くたび、新入生の肩が跳ねる。俺も初見で殴りかけたほど気味が悪い代物だが、いま改めて魔力の流れを見ると、あれはほとんど呪具だ。古びた布地の奥に溜まりこんだ魔力が不規則に軋み、湿気た木の匂いのような重苦しさが立ち上る。もし特級呪具として売れれば高額になるだろうが、そんなことすれば間違いなくジジイに怒鳴られて職を失う。

 

 組み分けは淡々と続き、歓声や落胆が入り混じった空気が大広間を満たした。だが俺に言わせりゃ、どの寮だろうが関係ない。必要なのは戦える身体と、危険の匂いを嗅ぎ分ける反射だ。

 

 全員が寮に振り分けられたところで、壇上にダンブルドアのジジイが立った。来賓席ではクラウチをはじめ役人どもが背筋を伸ばして座っており、まるで石像みたいに硬い表情を崩さない。その緊張感が空気全体をひやりと冷やしている。

 

 「新入生の諸君、入学おめでとう。今年はクィディッチワールドカップは観たかね?とても面白い試合じゃったの」

 

 ジジイののらりとした声が大広間に響く。あの調子はただの気まぐれか、それとも何か意図があるのか分からないが、長年魔法界を渡り歩いてきた男の余裕が滲んでいる。

 

 「ところで……今年ホグワーツでは特別なイベントが催される。バーテミウス殿、よろしく」

 

 ジジイが下がると、クラウチ・シニアが壇上へ。仕立ての良いスーツの皺ひとつ許さぬ所作で杖を軽く構え、冷ややかな視線を生徒たちに向けた。

 

 「魔法省のバーテミウス・クラウチ・シニアだ。今年ホグワーツでは三大魔法学校対抗試合が開催されることとなった。詳しい説明はボーバトン校とダームストラング校が到着してから行う」

 

 余計な飾りを排した声で告げ、即座に壇上を降りた。あの張り詰めた雰囲気を見るに、何かやましいものでも抱えているように見える。ワールドカップの一件がどう関わるのかは知らねぇが、気配が怪しい。

 

 再びダンブルドアが壇上に戻った。

 

 「それと諸君、去年闇の魔術に対する防衛術を担当していたルーピン先生じゃが、病気療養のため今学期は別の先生が担当する予定じゃ。都合によりまだ到着しておらんが、後日紹介するとしよう。では宴の開始じゃ」

 

 その瞬間、長机に並ぶ皿が光を放ち、一斉に料理が現れた。肉の焼ける香りがどっと押し寄せ、温かい湯気が空気の層を揺らす。香草の混ざったスープの匂いが漂い、焼きたてのパンがふっくらと膨らんで湯気を立てる。生徒たちの歓声が石壁に反響し、まるで大広間自体が息を吹き返したようだった。

 

 俺は腕を組んだまま、生徒たちの表情の変化を眺めていた。緊張がほぐれ、笑顔がこぼれ、互いに皿を取り合うその光景に、ほんの少しだけ安堵が混ざる。しかし同時に胸の奥底に沈殿する別の感覚も消えない。ワールドカップで見た闇の印の残滓のような、ひどく冷たい影が空気のどこかに潜んでいる。

 

 「……さて、どう転ぶかね」

 

 自分にだけ聞こえる声で呟いた。今年は間違いなく、ただの“学校生活”じゃ済まない。

 

 嫌でも、何かが始まる。

 

 

 そうして宴が終わった。

 

 並べられていた料理は見事にきれいさっぱり消えていた。肉も芋もパイもスープも、跡形すら残しちゃいねぇ。上級生どもはもちろん、新入生まで戦場帰りみてぇな食いっぷりで、テーブルの上は皿の影だけ残った状態だ。よくまあここまで食えるもんだと感心もしたが、その大半は俺の訓練で身体を作った連中だと思うと、なるほど納得ってもんだ。

 

 やがてスネイプやマクゴナガルがそれぞれの寮に戻るよう声を掛け始め、生徒達は名残惜しそうに長机から立ち上がった。あれだけ騒いでたくせに、帰れと言えば素直に動くあたり、ホグワーツの“空気”ってやつは大したもんだ。杖を振ったわけでもなし、怒鳴ったわけでもないのに、あれだけの人数が一気に静まり返るんだからな。

 

 ざわめきが少しずつ遠ざかり、大広間は落ち着いた空気を取り戻しつつあった。それでも天井に映る夜空は妙にざわついた雲の流れを見せていて、外の冷えた風がすっと吹き抜けてくる。料理の匂いと混じるこの余韻だけは、毎年のことながら嫌いじゃない。

 

 そんなときだった。

 

 「フシグロ君」

 

 背後からジジイの声がして、俺は机に肘をついたまま振り返った。ダンブルドアは相変わらずニヤニヤしてやがった。片手を後ろに組んで歩いてくる姿はのらりくらりして見えるが、あの目だけは妙に澄んでいて油断ならない。

 

 嫌な予感しかしねぇ。

 

 「どうした?」

 

 「ふむ、少し頼みたいことがあるんじゃ」

 

 その言い方がすでに胡散臭い。絶対ロクな頼みじゃない。

 

 「頼みたいこと、ねぇ……言っとくが俺は慈善活動はしねぇぞ。働きには対価が必要だ」

 

 「もちろんじゃとも。そうじゃな……1,500ガリオンでどうじゃ?」

 

 一瞬だけ心臓が跳ねた。1,500ガリオン。普通の教師なら一年は働く額だ。いや、やり方次第じゃ二年分にもなる。ジジイがこの額を即答した時点で、俺は悟った。これは“ただの仕事”じゃねぇ。

 

 「……で?内容は?」

 

 「監視じゃよ」

 

 眉が自然と上がった。監視。なるほど、金額の理由が分かった。

 

 「監視ねぇ。何を見張りゃいい」

 

 ジジイは俺のすぐそばまで歩いてきて、声をわずかに落とした。他の教師に聞こえない絶妙な距離だ。

 

 「バーテミウス・クラウチ・シニアじゃ」

 

 やっぱりな、と喉の奥で笑った。

 

 「へぇ……シニアの方か。理由は?」

 

 「勘じゃよ」

 

 出た、ジジイの“勘”。

 

 前にも何度か聞いたが、この男の勘は冗談にならん的中率だった。クィディッチワールドカップの時もそうだ。死喰い人の騒ぎが起きた直前、ジジイは意味深に空を見ていた。まるで、ああなるのを事前に知っていたかのように。

 

 「またそれかよ。勘で1,500ガリオン払う役人の監視を頼むジジイなんざ、お前くらいだろ」

 

 「困ったときはフシグロ君が頼りじゃからの」

 

 「おだてても金額は減らねぇぞ」

 

 「減ったら困るじゃろ?」

 

 ニヤニヤと笑っているが、その奥の目は笑っていなかった。クラウチ・シニア――クィディッチワールドカップ直後、闇の印が打ち上げられたあの騒動で、魔法省は大慌てだった。シニア自身も異様に焦っていたと聞く。あの男の周りには妙な臭いがつきまとっている。

 

 「で、シニアが何をしてるか、どこに行くか、それを全部見張れってか?」

 

 「そうじゃ。それと、気づいたことは何でもわしに報告してくれ」

 

 「教師にそんな真似させていいのかよ」

 

 「フシグロ君はただの教師ではないじゃろ」

 

 言われてみればそうかもしれねぇ。殺し屋であり、ホグワーツにいる理由も常識の範囲じゃない。ジジイにとって俺は“便利に使える戦力”なんだろう。

 

 ただ――。

 

 「シニアの周りには闇祓いも付いてるぞ。下手に近づいたら目立つだろうが」

 

 「心配いらんよ。フシグロ君ならやれる」

 

 その言葉に迷いは一つもない。まるで俺が監視に失敗する未来が想像できないと言わんばかりだ。

 

 「……まあいい。金は魅力的だしな」

 

 「助かるよ」

 

 ジジイは満足げに頷き、長い袖をひらりとなびかせて歩き去った。

 

 残ったのは料理の匂いと、まだ温かい大広間の空気。俺は立ち上がりつつ、大広間の扉に手をかける前に小さく呟いた。

 

 「バーテミウス・クラウチ・シニア、ねぇ……」

 

 あの堅物役人が、何を隠しているのか――。

 

 金の匂いと、妙な胸騒ぎだけが、じわりと俺の中に残った。

 

 俺は大広間を出て、自室へ向けて石造りの廊下を歩いた。夜のホグワーツはどこか湿っぽくて、古い石の匂いに混じって魔力の残滓が漂う。晩餐の余韻がまだ校舎全体にこびりついているようで、耳を澄ませば遠くの階段から生徒の足音と笑い声が反響してくる。あいつらの気配が薄れ、廊下がようやく静かになり始めた頃、俺は部屋の扉を開けて中に入った。

 

 俺は部屋の中央で立ち止まり、軽く顎を上げた。

 

 「ドビー」

 

 呼んだ瞬間、空気がわずかに波打ったと思ったら、甲高い声とともに屋敷しもべ妖精のドビーが姿を現した。相変わらず落ち着きのねぇ目をギラつかせ、嬉しそうに飛び跳ねている。

 

 「はいぃ!フシグロ様!何でもお申し付けくださいませぇ!」

 

 「ジジイに頼まれた仕事がある。バーテミウス・クラウチ・シニアの監視だ。お前にも手伝わせる」

 

 俺が授業で、校庭でガキ共に走り込みさせている間にクラウチから目を離すわけにはいかねぇ。ジジイは“勘”なんて曖昧な理由で言いやがったが、その勘が外れたことが今までほとんどないのが余計に面倒だ。

 

 ドビーは目を丸くし、両手を胸に当ててぶるぶる震えた。

 

 「クラウチ・シニアですか!魔法省でもかなりの立場の方ですよぉ!」

 

 「知ってる。で、お前は何か知ってることあるか?」

 

 俺が椅子に腰を下ろすと、ドビーは床の上でそわそわしながら答えた。妖精の身体は落ち着きなく揺れてるくせに、言葉だけは妙にしっかりしている。

 

 「彼には息子がおりますぅ!」

 

 「あぁ……確かジュニアだったか。アズカバンに収監されてるはずだろ。俺が去年あそこに放り込まれた時、確かに見たな。死んだ魚みたいな目で岩に転がってた」

 

 アズカバンの冷気と、ディメンターの気配が脳裏に蘇った。あそこで気を抜くと、“過去の声”が耳に這い寄ってくる。不快な空気だった。あれを平気で耐えるジュニアは、ある意味で“壊れてた”のかもしれねぇ。

 

 「そうです!ジュニアは死喰い人として捕まって、お父様であるシニアがアズカバンへ送ったのですぅ!」

 

 「へぇ……親が息子を処刑台に送るとはなかなか骨があるな。いや、ただの見栄かもしれねぇが」

 

 クラウチ・シニアは表向き正義の化身みてぇに振る舞っちゃいるが、あの硬さと冷たさは普通じゃない。何か隠してる顔ってのは昔から見慣れてる。禪院家の連中にも似た目をした奴は結構いたからな。

 

 「フシグロ様ぁ、クラウチ・シニアはとても厳格でございます。ルールにうるさく、例外を許さず、仕事も息子も……そのように扱っていたようで……」

 

 「語るな。お前の“噂話”の半分は尾ひれ付きだ」

 

 だがまあ、役には立つ。

 

 俺は立ち上がり窓辺に歩いた。外の闇に目を凝らすと、校庭の芝生が夜風でゆっくり揺れていた。遠くで禁じられた森の影が蠢き、葉のざわめきが低く響く。こんな夜の静けさは嫌いじゃないが、今日はその奥に何かひっかかるざらついた気配があった。

 

 「ジュニアがアズカバンで廃人みてぇに寝てたのは事実だ。だが、何か妙な違和感もあった」

 

 俺は腕を組んだ。あの時の光景を頭の奥から引っ張り出す。

 

 ベッドに沈むあの男の顔色。冷え切った指先。ゆっくりすぎる呼吸。死んでないのが不思議なくらいの状態だったが――“完全に壊れている”感じじゃなかった。あれは、どこか作り物めいてた。それに妙な匂いがした。薬品のような……

 

 「ジュニアがあの状態で今もアズカバンにいるのか。……どうも怪しいな」

 

 「フシグロ様!もし本当に怪しいなら、クラウチ・シニアが何か隠してる可能性が高いですよぉ!」

 

 「そんなことは分かってる」

 

 ジジイが監視対象にしてくるくらいだ。裏で何を抱えていても不思議ではない。

 

 だが、問題は“どう監視するか”だ。

 

 「ドビー。お前は姿現しが使える。クラウチの行動を追えそうか?」

 

 「できますとも!フシグロ様のためならドビーは何でもいたしますぅ!」

 

 胸を叩いて宣言する姿は妙に勇ましいが、妖精の腕の細さでは迫力はゼロだ。それでも使い勝手はいい。俺が授業で拘束されている時間帯は、こいつに外回りを任せるしかない。

 

 「ただし、深入りしすぎて捕まるなよ。あいつらは屋敷しもべ妖精を道具としか思ってねぇ。下手するとその場で殺されるぞ」

 

 「だ、大丈夫ですぅ……!ドビーはフシグロ様のためなら……!」

 

 「死ぬなって言ってんだ。死んでも困る」

 

 そう言うと、ドビーは鼻をすすりながら嬉しそうに深く頷いた。

 

 馬鹿だが忠実な奴だ。

 

 「明日からだ。クラウチ・シニアの行動を全部洗う。移動先、会話相手、魔法省内での動き……何でもいい。匂いでも気配でも違和感でも全部報告しろ」

 

 「かしこまりましたぁぁ!」

 

 ドビーは涙目で敬礼し、そのままバシュッと消えた。

 

 部屋に静寂が戻ったとき、俺は深く息を吐いた。

 

 闇の印。ワールドカップの騒動。ジュニアの不自然な寝顔。クラウチ・シニアの硬直した態度。

 

 どれも単体じゃ意味を成さないが、線で繋ぐと嫌な予感しかしねぇ。

 

 「……面倒なことにならなきゃいいがな」

 

 口ではそう言ったが、心のどこかでは“なる”と確信していた。

 

 ジジイの勘と俺の嫌な予感が揃うなんて――ろくな未来じゃねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の冷えが静かに降りていた。月明かりは薄く、地面に伸びる影は濡れた墨のように深い。ノクターン横丁から少し離れた小道、その外れに続く森の縁で、バーテミウス・クラウチ・ジュニアとピーター・ペティグリューは息を潜めていた。木々の隙間を抜けた風が枝を揺らし、ざわりと湿った音を立てる。その度にワームテールは怯えたように肩を跳ねさせ、両手で胸元を握りしめるようにうずくまった。

 

 クラウチ・ジュニアはその姿に苛立ちを隠そうともせず舌打ちをした。

 

 「ワームテール、しくじるなよ。分かっているな?」

 

 「わ、わかってる……ちゃんとやる……やるさ……」

 

 震える声はまるで壊れかけた弦のように頼りない。それでも奴の両手は確かに杖を握り、そしてクラウチ・ジュニアの片手には黒く重いトランクケースがあった。内部は拡張された収容空間になっており、生きたまま人間を閉じ込めるための魔法が施されている。空のケースが、これから詰め込まれる運命を待っているかのように、不気味な沈黙を保っていた。

 

 二人はそれぞれ違う建物の影に身を潜め、来るべき瞬間をじっと待つ。夜は深く冷え、遠くでフクロウの低い声が響いた。クラウチ・ジュニアの呼吸は整然としている一方、ワームテールは鼻先で浅い呼吸を繰り返していた。主君の為ではあるが、相手はあまりにも格が違う。アラスター・ムーディ――歴戦の闇祓いであり、闇の魔法使いからすれば悪夢の象徴だ。顔より先に「常に危険を察知する狂戦士」の噂が立つ男だった。

 

 そして、ついに空気が歪んだ。

 

 「……来た」

 

 クラウチ・ジュニアの細い声に、ワームテールはビクリと反応した。影の先、空間の一点がねじれ、その中心にアラスター・“マッドアイ”・ムーディが姿現しで現れた。片足は義足、片眼は魔法の眼球が不気味に光り、周囲をぐるりと回転するように見渡しながら歩いてくる。杖を握る手は岩のように太く、傷だらけの顔には油断の欠片もない。

 

 「合図を待て……焦るな……」

 

 クラウチ・ジュニアが低く囁く。強烈な緊張が影の中を圧迫した。ワームテールは喉を鳴らし、杖を握る手に汗を滲ませながらムーディの方へと視線を向ける。

 

 ムーディが数歩近づいた瞬間、クラウチ・ジュニアが囁いた。

 

 「いけ」

 

 「ステューピファイ(麻痺せよ)!!」

 

 ワームテールが影から飛び出した。恐怖に突き動かされた勢いだけの動きではあったが、呪文自体は鋭かった。手にした杖の先から光の塊が走り、尾を引きながら真っ直ぐムーディへ向かっていく。

 

 しかし。

 

 ムーディは「気配が近づく前に」既に気づいていたように見えた。魔法の義眼が回転し、ワームテールの姿を正確に捉えた瞬間、ムーディは土を踏みしめ、手に持つ重い大杖の先を地面に叩きつけた。

 

 「フンッ!!」

 

 硬質な音が響き、杖の先から衝撃が波紋のように広がった。空気がぐらつき、ワームテールの放った光の玉は一瞬で霧散した。魔法の痕跡すら残らず、ただ淡い火花を散らして消えるだけだった。

 

 「なっ……!」

 

 ワームテールが絶句する。恐怖がさらに背中を押し、後ずさった瞬間――ムーディの杖がワームテールへ向き直った。

 

 「……逃がすか」

 

 その言葉すらなく、ムーディは無言で呪文を放った。練度の高い動きは無駄がなく、杖の先に生じた光は凝縮された稲妻のようだった。

 

 「ぎゃあ!!」

 

 ワームテールの身体が硬直し、悲鳴を上げたまま地面に倒れ込む。痙攣する手足が湿った土をかき、指先が必死に抵抗しようとするが、麻痺の呪文は容赦がなかった。

 

 クラウチ・ジュニアは影から一歩踏み出し、口元だけで笑った。獲物を仕留める一瞬の冷笑。ムーディの実力は承知していた。だからこそ、今この瞬間こそが“本番”だった。

 

 「さすがだね、ムーディ先生。だが――その油断を待っていた」

 

 彼の細い囁き声は夜風に消えるように静かだった。しかしその指先は確実に杖を向け、次の呪文を放つ準備を始めていた。

 

 夜の空気はひどく重たく、森の奥からは獣が這うような音が遠く響いている。

 

 ワームテールが麻痺で地に伏したまま痙攣している。そのすぐそばに、アラスター・ムーディが重い義足を軋ませながら近づいた。

 

 夜気に濡れた土の匂いが立ち上り、ムーディが片膝をついてワームテールの身体に触れると、彼の荒い息遣いが白く霧になって漏れた。ムーディの魔法の眼球はぎょろりと回転し、地面から空、そして周囲の建物の影へと忙しく視線を巡らせている。歴戦の闇祓いらしく、呪文を放った相手がワームテール1人であるはずがないと本能が告げていた。

 

 だが、クラウチ・ジュニアの動きはムーディの予想を遥かに上回るほど静かだった。ジュニアの身体は濃い闇に溶けるように影を滑り、落ち葉の一枚すら踏み鳴らさぬほどの軽さで接近する。その様はまるで獲物に忍び寄る蛇、あるいは肉体を持たない悪霊のようで、気配の糸すら感じさせない。

 

 ムーディの魔法の眼が一瞬、別の方向を警戒した瞬間だった。クラウチ・ジュニアは杖を持つ手首をわずかに返し、そのままアラスターの後頭部へ杖先を向けた。目の前の男は不意打ちを決して許さぬと噂される老闇祓い――その背に呪文を叩き込むなど愚行に近いと考える者もいるだろう。しかしクラウチ・ジュニアの瞳には恐れも躊躇もなかった。歪んだ歓喜だけがあった。

 

 次の瞬間、抑えた声で呪文が吐き出される。

 

 「クルーシオ」

 

 空気そのものが軋み、杖先から放たれた力が獲物の背へ突き刺さる。耳鳴りのような圧が周囲に広がり、木々がその波動でざわりと震えた。許されざる呪文――その名の通り、まともな精神を破壊する暴力そのものだ。

 

 「……ッウガッ……!」

 

 アラスターの全身が弾かれたように跳ねた。筋肉は石のように硬直し、義足が土を深々と抉る。片手は無意識に地面を掴もうとするが、指先が土をえぐるだけで意味を成していない。声にならない叫びが喉の奥で引き裂かれ、唇から漏れた吐息は獣の呻きのようだった。

 

 歴戦の闇祓い――それは幾多の呪いと痛みに晒されてきた証。しかし、それでもクルーシオだけは別格だった。肉体より精神を砕くその呪文は、耐える意思そのものを踏みにじり、存在の芯を揺らす。ムーディの背筋が弓のように反り、肩が痙攣し、魔法の眼球は制御を失ったように細かく痙攣していた。

 

 クラウチ・ジュニアはそんな姿を見下ろし、唇を裂くように笑った。

 

 「フフフ……ハハハハッ……!」

 

 笑いは低く湿り、蛇が喉奥で鳴らす警戒音のように粘ついていた。視線は完全に狂気で染まりきり、舌を長く出しては口内に引っ込める不気味な動作を繰り返す。まるでヴォルデモートに憧れ、その動作を真似たがっている子供のように、しかしその本質は残忍で悪意に満ちていた。

 

 「さすがは“マッドアイ”……耐えるじゃないか。でもな――」

 

 ジュニアは狙いを変える。ムーディが身動きできなくなったのを確認し、杖をもう一度向け直した。今度の呪文は苦痛ではなく、確実に意識を刈り取るためのものだ。

 

 「おやすみだ、先生」

 

 杖先に淡い赤光が集まる。

 

 「ステューピファイ」

 

 刹那、衝撃波のような光が放たれ、ムーディの側頭部を直撃した。苦痛の叫びは途切れ、全身から力が抜ける。義足が空気を切る音と共に、巨体が横へ倒れ込み、地面に沈むように動きを止めた。魔法の眼だけがカクンと角度を変えながらゆっくり回転し、やがて止まった。

 

 完全に意識を失った。

 

 クラウチ・ジュニアは満足げに息を吐き、倒れた老闇祓いの身体をじろりと見下ろす。重くたくましい肩、無骨な腕、無理やり生かされてきた男の肉体の名残。そのすべてが今はただの無防備な肉の塊に変わっていた。

 

 ワームテールはまだ麻痺が完全には解けず、地面に倒れたまま震えていたが、ジュニアの勝利を確認すると心底安堵したように息を漏らした。

 

 「や、やった……!アラスターを……!」

 

 「当然だろう?あの程度で失敗するわけがない」

 

 ジュニアは近くに置いていた黒革のトランクケースを引き寄せ、ゆっくりと蓋を開いた。内部は底の見えない暗闇で、ひどく冷たい魔力が渦巻いている。

 

 「さぁ、ムーディ先生。しばらくはここで大人しくしてもらうよ」

 

 そう囁くと、ジュニアはムーディから服を剥ぎ取り、無造作に身体を持ち上げ、闇の中へと放り込んだ。重さを感じさせないほどあっさりと吸い込まれ、内部で何かが「カチリ」と閉じる音が響いた。

 

 トランクは今、一つ余計な“中身”を抱えて静かに佇んでいる。

 

 そしてこれが数日後、ホグワーツに現れる“偽りのムーディ”の誕生の瞬間だった。




アラスターの神秘部での戦いをイメージしてます。杖2本はやっぱ強いですよね。
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