ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

66 / 113
第八話

 

 

 

 

 アラスターは俺の側からゆっくり離れ、重い足取りで壇上に向かった。片足を引きずるような歩き方が、今日のそれはどこかぎこちねぇ。

 杖を地面に叩く音がひとつ鳴るごとに、生徒達の肩が小さく跳ねている。あの殺気を帯びた気配は、蛙でも踏んだかのように空気を震わせるからな。

 

 ダンブルドアへ形式ばった挨拶を済ませると、アラスターは壇上を離れ、大広間の隅へ向かった。壁際に背中を預け、コートの内側をごそごそ探り、銀色のボトルを取り出して口をつける。

 

 ゴクリ、と嚥下する音だけがやけに響いた。

 

 中身は見えねぇが、はっきり分かる。あれは酒の匂いじゃない。

 

 もっと化学薬品じみた強烈な匂いが鼻腔を刺し、喉の奥までざらつかせるような妙な刺激を残す。不快というより異質だ。身体を鍛えた奴なら、一瞬で警戒心を覚える類の匂いだ。

 

 ……しかし、この匂い……どこかで嗅いだことがある。

 

 ハリー、ロン、ハーマイオニー、それにネビル。一昨年だったか?ガキ共4人がやたら汗臭ぇのと混ざって微かに同じ匂いを纏っていた気がする。あの時は蜘蛛を追うために気のせいにしたが、今こうして嗅ぐと確信が湧く。

 

 (……ま、今はいいか)

 

 今は“ここ”で気にしてる場合じゃねぇ。俺が視線を送ると、壇上のジジイ――ダンブルドアがチラリとこちらを見返してきた。

 

 (あとで話すぞい)

 

 目線だけで言ってやがる。

 

 (あぁ)

 

 俺はわざと眉を僅かに上げて返した。

 こういうときのジジイはだいたい碌でもない話を持ってくる。だが、今はガキ共の前で余計なことを話すタイミングじゃねぇらしい。

 

 そして壇上に立つクラウチ・シニアが、まるで息を吐くように淡々と話し始めた。

 

 「検討を重ねた結果ーー魔法省は安全性を優先し、17歳に満たない生徒が対抗試合に立候補することを禁ずるという最終決定を下すに至った」

 

 声は妙に固く、抑揚が少ねぇ。

 

 まるで感情を押し殺した人形のような喋り方だ。

 大広間の空気が一瞬だけ張りつめ、そのあと生徒達がどよめくかと思ったが……意外にも誰も反対の声を上げなかった。むしろ納得している空気だ。

 

 ただ一人。

 ネビルだけは奥歯を噛みしめるような顔をしていた。あの眉間の皺の深さは、よほど出たかった証拠だ。まぁ、気持ちは分かる。あの身体の仕上がりなら“挑んでみたい”と考えるのも自然だろう。

 

 だが、今のネビルでも死ぬ確率の方が高い試合なのは間違いねぇ。

 あいつ自身も分かってるからこそ、あの複雑な顔なんだろう。

 

 クラウチ・シニアの説明が終わると、ダンブルドアがゆっくり立ち上がった。杖を片手に“仏壇だの宝箱だの”としか見えねぇ装飾品に向けて構えを取る。

 

 杖先に触れもしてないのに、箱の表面がまるで蝋が溶けるように静かに崩れ落ちていく。装飾が流れる水みたいに床へ吸い込まれ、徐々にその本体が姿を現した。

 

 ……巨大な、古びたゴブレット。

 

 木と金属、複数の素材が継ぎ接ぎになったような歪な形だが、その内部から溢れる魔力だけは桁違いだった。まるで生き物みたいに脈打ってやがる。

 

 「これが“炎のゴブレット”じゃ」

 

 ダンブルドアが低く呟くと同時、ゴウッ……と空気を押し退ける音と共に、青い炎がゴブレットの内部から噴き上がった。

 

 熱さはない。だが、皮膚を撫でる微かな圧だけは確かに感じた。見た目は綺麗だが、内側には命を選別する“刃”みてぇな魔力が潜んでいる。

 

 「対抗試合に挑戦する者は、名を記した羊皮紙を入れるのじゃ。木曜のこの時間までにな……軽々しく入れるでないぞ。一度選ばれれば……後には戻れぬ」

 

 大広間に沈黙が落ちた。

 炎がゆらゆら揺れ、その青い光が生徒達の顔を照らす。

 恐れ、興味、野心。

 色んな感情が渦巻くのが分かった。

 

 ダンブルドアは続けた。

 

 「今この時から、対抗試合は始まっておる」

 

 言葉の最後が、大広間全体を圧し潰すように重く沈んだ。

 俺はゆっくり息を吸い、胸の奥のざらつきを吐き出す。

 嫌な気配はまだ消えていない。

 アラスターの匂いの正体、クラウチ・シニアの硬すぎる声。

 何もかもが“予定通りに進んでいるようで、どこかが狂っている”。

 

 炎のゴブレットの青い火が揺れるたび、影の形が歪む。その歪みの向こうに、誰かの企みが潜んでいるように見えた。

 

 ……今年は、ただの祭りじゃ終わらねぇ。

 

 そうしてその場はお開きになり、ガキ共はそれぞれ寮へ引き上げていった。大広間には料理の匂いと熱気、それから祭りの後に似たぼんやりした空気が残っている。俺はひと足遅れて席を立ち、廊下を歩きながら胸の奥に妙なひっかかりを感じていた。アラスターの“薬品”の匂い、あれがどうにも気になる。だが今は別件だ。ジジイから呼び出されている。

 

 校長室の前に立ち、合言葉をぶつぶつ唱える像を横目に扉を押し開けた。中はいつも通り暖かい。どこからともなく漂ってくるバターと羊皮紙、それに焚き火の匂いが鼻の奥に染み込む。フォークスが高い止まり木から俺を見下ろし、羽をふるわせた。

 

 「来たか、フシグロ君」

 

 ジジイは丸テーブルの前で湯気の立つカップを手にしていた。机の上には煎餅と、俺用の熱々の緑茶が置かれている。こういうところだけは妙に気が利く。

 

 「で、話ってのはなんだ」

 

 煎餅を歯で割ると香ばしい匂いが立つ。ジジイはスルメイカをくわえたまま、ちらりと俺を見た。

 

 「アラスターのことじゃ。何か感じたかね?」

 

 「普段のアイツを知らねぇからな。妙な薬品の匂いはしたが……あれが何かまでは分からん。ただ、四人組のガキ共が以前同じ匂いさせてた気もする。薬草か何かわからんが、人の気配に混じると臭いんだよ」

 

 「ふむ……そうか。あやつらしいと言えばらしい匂いじゃが、気になるのぉ」

 

 ジジイがゆっくり椅子にもたれ、指を組む。その目は細いが、奥底で何か探っているような光を帯びていた。

 

 「で……これはその話とは別じゃが、フシグロ君。今学期も夜間巡回を頼みたいんじゃ」

 

 「あぁ?またかよ。石の時からずっとだぞ。もう俺の仕事の半分巡回じゃねぇか」

 

 「助かっておるよ。本当にのう」

 

 とぼけたような声なのに、妙に本気の圧があるのがこいつの厄介なところだ。

 

 「理由を聞こうか」

 

 ジジイはひと呼吸置いて、低く言った。

 

 「まず一つ。三大魔法学校対抗試合で、多くの客人がホグワーツに出入りする。人の流れが増えれば、それだけ“見落とし”が増える。これは避けられん」

 

 「それは分かる。ガキ共の安全は大事だろうが、普通は闇祓いにでも頼む話だろ」

 

 「……二つ目が問題なんじゃ」

 

 ジジイの目が細く鋭くなる。フォークスがその気配に反応して小さく鳴いた。

 

 「ホグワーツに“紛れ込んでおる可能性”がある。不審者が、じゃ」

 

 「不審者、ねぇ……誰だ?」

 

 「名はまだ言えん。確証があるわけでもない。ただ、わしの“勘”がの……どうにも静かすぎるのじゃよ、この状況が」

 

 勘、ねぇ。コイツの勘はだいたい当たるからタチが悪い。

 

 「俺に武力で叩き出せってか?」

 

 一応聞いてやると、ジジイは意外にもすぐ首を振った。

 

 「いや、まだ動くな。誰が嘘をついておるか、誰が何を隠しておるか……その見極めがつくまでは、な。だから“巡回”だけでいい」

 

 「巡回か……報酬は?」

 

 「500ガリオンじゃ。前と同じ。授業に支障がない範囲で好きな時間に見回ってくれれば良い。わしの方でカバーできる部分はするし、必要なら声もかける」

 

 報酬はまぁ妥当だ。あの事件のときと同じ額。ジジイはこういうところだけ律儀だ。

 

 俺は緑茶を飲み干し、湯気の向こうでジジイの白い髭を見つめた。

 

 「……分かった。やる。授業の合間に校内一周くらいなら大した手間じゃねぇ」

 

 「頼もしいぞフシグロ君」

 

 ジジイが深く頷く。フォークスが羽ばたき、赤い羽根がひとひら落ちてきた。まるで契約の証みたいに、そいつは俺の足元に舞い落ちる。

 

 窓の外は夜風が強く、ホグワーツの城壁にぶつかって低い唸りを上げていた。試合を控え、学校全体に張りつめた空気が漂い始めているのが肌で分かる。まるで大蛇がどこかに潜んで、息を潜めて獲物を探っているような静けさだった。

 

 「……で、調べる対象は特に決まってんのか?」

 

 「ホグワーツに“馴染みすぎている者”に目を配れ。出入りが激しい今、逆に“変わらぬ者”が怪しいこともあるでな」

 

 変わらぬ者……難しく言いやがって。だが言いたいことは分かる。怪しい奴は派手に動くとは限らねぇってことだ。

 

 俺は立ち上がり、裾を払った。

 

 「了解だ。気になった奴がいればすぐ知らせる」

 

 「うむ。頼んだぞ、フシグロ君。……今学期は、本当に気をつけねばならん」

 

 ジジイの声が、いつになく重かった。

 

 巡回か。まぁ、どうせ俺の足なら十分もあれば校内一周できる。異常があればすぐ分かる――はずだ。

 

 「……さて、じゃあ………」

 

 俺が続きを促そうと口を開きかけると――

 

 「フシグロ君、毎週末行っていた競馬(ギャンブル)だが今年は厳しいぞ」

 

 唐突にぶっ込んできやがった。

 

 「……は?」

 

 まったく予想してなかった方向から殴られた気分だ。

 

 「ちょっと待て、なんで競馬の話になる。いや、それ以前に“厳しい”ってなんだよ」

 

 「そりゃもう試合があるからの」

 

 ジジイは当然のように言い放つ。

 俺は手にしていた煎餅をゆっくり机に置いた。破片が指からぽとりと落ちる。緑茶から立つ湯気が、少しだけ不穏に揺れた。

 

 「おいジジイ。まさかとは思うが……」

 

 「ふむ?」

 

 「月曜から金曜までは授業だろ。土曜の午前は訓練。ここまではいつも通りだ。で、日曜は……競馬だ」

 

 「その競馬が……しばらく休止じゃ」

 

 ジジイは妙に晴れやかな声で言い切った。

 

 「……理由を言え」

 

 「三大魔法学校対抗試合の管理と、生徒の安全のためじゃ。あやつらが代表に選ばれれば訓練の負荷も増やす必要があるし、わしらが競馬場にいくわけにもいかんじゃろう」

 

 「いや、ジジイは別に行かなくていいだろ。俺1人連れてってもらえれば……」

 

 「フシグロ君も忙しいじゃろう?」

 

 「忙しいのは分かるが……」

 

 そこまで言って、俺は一度息を吐いた。

 

 “忙しい”という言葉の裏に、もっと別の理由があるのは分かっている。

 ジジイの声の奥には、ほんの僅かだが緊張と警戒が混ざっていた。

 

 アラスターの匂い、クラウチの固まった表情、ゴブレットが放つ魔力の歪み。全部、一本の糸でどこかにつながっている気配がする。

 

 ジジイが競馬の話を唐突に出したのも、たぶん本筋をごまかして俺の反応を探ってるだけだ。

 

 「競馬…………」

 

 俺は扉を開け、冷たい夜風の吹き込む廊下に戻った。ホグワーツの夜は静かだが、その静けさが逆に胸の底にざわつきを生む。妙に嫌な予感がする。

 

 誰に向けたでもない独り言を吐き、その夜のホグワーツへ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2校が到着し、盛大な宴で腹を満たし、三大魔法学校対抗試合の詳細まで発表されたその夜。生徒達はそれぞれの寮へ戻り、興奮と緊張を胸にしながら眠りにつこうとしていた。ホグワーツの城全体が、普段の開校日とは違うざわざわした熱気をまとっている。窓の外では秋風が石壁を撫で、遠くの塔でフクロウが鳴いた。

 

 一方、招かれたボーバトンとダームストラングの生徒達も、別々に用意された宿泊部屋へ向かい、その日は深く休息を取った。長旅の疲れと、新たな地での緊張が混じり、どの寮の部屋も早い時間に静かになっていった。

 

 だが、グリフィンドール塔だけは少し違った。談話室の暖炉にはまだ赤い火が燃え、4人はいつもの大きなソファに腰掛け、それぞれが思い思いの姿勢でこの日の出来事を振り返っていた。

 

 「途中でマッドアイが入ってきたのはビックリしたよな」

 

 ロンがシェイカーを振りながら言った。中身は抹茶味のプロテインだ。トレーニング後なのか、肩周りの筋肉が汗で光っている。

 

 ホグワーツでは昨年から、各寮の談話室にプロテインが常備されるようになっていた。屋敷しもべ妖精が伏黒甚爾の依頼で用意したもので、種類は5つ。抹茶、チョコ、コーヒー、ヨーグルト、フルーツミックス。牛乳も常温・冷蔵の二種類が揃い、生徒達は粉を自分のシェイカーに入れて自由に飲んでいる。

 

 魔法により人工甘味料は完全に消し飛び、自然な甘さだけが残る。マグルでは絶対に作れない代物だ。ロンはどっぷりとその味にハマっていた。

 

 「確かに……ルーピン先生の代わりってことよね。アラスター・ムーディが闇の魔術に対する防衛術の担当になる……」

 

 ハーマイオニーは片手に分厚い教科書、もう片方の手には軽量ダンベルを持っている。ページをめくるたびにおさげが揺れ、トレーニングの動きに合わせて腕の筋肉がわずかに震えた。知識も肉体も鍛えるという彼女の姿勢に、誰も文句を言う者はいない。

 

 「俺は楽しみだな。“本物の戦場”で戦った闇祓いの授業だ」

 

 ネビルは暖炉の前で腕立て伏せを続けながら言った。鍛えすぎて胸筋がシャツの上からでも盛り上がり、腕は丸太のように太い。呼吸は深く安定し、その姿は数年前の彼からは想像もつかないほどの変貌だった。

 

 「なんかさ、変な匂いしなかったか?」

 

 ロンが言った瞬間、3人は同時に振り向いた。ロンは背もたれに体を預けながら、眉をひそめて鼻を押さえている。

 

 「匂い?」

 

 「そう。マッドアイが入ってきたとき、なんか妙な匂いがしただろ?」

 

 「あぁ……あの銀色のボトル?確かにカボチャジュースじゃなさそうだったけど……」

 

 ハリーは今日ずっとマッドアイの動きを目で追っていたが、匂いのことまでは気づいていなかった。だがロンは違う。2年生の時、伏黒甚爾に肉体を乗っ取られたあの事件以来、彼の五感、とりわけ嗅覚は鋭くなっていた。

 

 ロンは鼻を鳴らしながら低く言った。

 

 「なんかさ……薬の匂いっていうか……俺、あれに覚えがあるんだよなぁ」

 

 ネビルが腕立て伏せの姿勢のまま顔だけ上げる。

 

 「何の匂いだ?」

 

 「……ポリジュース薬っぽい匂い」

 

 談話室の空気が一瞬止まった。暖炉の木がはぜる音がやけに大きく響く。

 

 「ポリジュース薬って……、別人に化けるやつが……?」

 

 ハーマイオニーの表情が険しくなる。彼女は何十回もあの薬の調合を頭の中で反復し、その材料の匂いも大半を覚えている。ロンの嗅覚の鋭さを疑う日はもう来ない。

 

 ハリーはゆっくりと息を吸い込んだ。胸の奥がざわめき、嫌な冷気が背骨を伝った。

 

 「でも……なんで?ムーディ先生がポリジュース薬なんて飲む理由があるのか?」

 

 「分からない。けど、普通じゃない匂いだったのは確かだ」

 

 ロンは腕を組み、唇を噛んだ。瞳には不安よりも“引っかかり”の色が強い。

 

 ネビルが立ち上がり、タオルで汗を拭きながら言う。

 

 「もし本当に誰かが化けてんなら……それって、けっこうヤバいよな?」

 

 「ヤバいどころじゃない。学校の中でそんなことをする理由は一つしかないわ」

 

 ハーマイオニーが教科書をぱたりと閉じる。

 

 「ホグワーツに“目的を持って潜り込んでいる”ってこと」

 

 ハリーの額の傷が、微かに疼くような感覚を示した。痛みではない。ただ、遠くの暗闇で何かが身じろぎしたような……そんな冷たい感触。

 

 「……まさか、また“あの人”が?」

 

 ロンが呟くと、3人の間に重苦しい沈黙が落ちた。

 

 次の瞬間、暖炉の火がぱちりと大きく弾ける。

 

 ハーマイオニーは深呼吸し、表情を引き締めた。

 

 「……明日、授業が始まるわ。ムーディ先生が本物かどうか、私達にも分かるはずよ。授業を受ければ、その“匂い”が何なのかも少しは見えてくると思う」

 

 「でもさ……もし本当に誰かが入れ替わってたら……俺たち、危ないんじゃ……?」

 

 「大丈夫よ、ロン。少なくとも、私達は去年よりずっと強いわ」

 

 ネビルも力強くうなずく。

 

 「それに……先生もいる。フシグロ先生が見張ってるんだろ?変な奴がいたら真っ先に叩きのめしてくれるさ」

 

 四人は言葉こそ軽く交わしたが、その胸に同じ感覚があった。

 

 ――この学期、何かが起きる。

 

 重く冷たい予感が、ホグワーツの夜気とともに漂っていた。

 

 

 その頃、スリザリン寮の談話室にも低いざわめきが満ちていた。地下特有の湿った空気が石壁を這い、緑のランプの光は水底のように揺れている。黒革のソファに腰掛けたのはドラコ・マルフォイ、クラッブ、ゴイル、そしてドラコの隣にはガールフレンドのパンジー・パーキンソンだった。

 

 「いやぁさ、父上が最近おかしくてね」

 

 ドラコは汗を拭いながらプロテインを優雅にグラスへ注ぎ、軽く揺らして語り始めた。トレーニングの後らしく、額には薄い汗が滲んでいる。いつもの余裕ある表情の奥に、わずかな陰りがあった。

 

 「ドラコの父さんが?」

 

 パンジーが心配そうに身を寄せる。

 

 「あぁ。クィディッチワールドカップの……あの夜、“闇の印”が上がっただろ?あれ以来、ずっと落ち着きがない。僕が話しかけても、物音ひとつで杖を構えるくらいだ」

 

 クラッブがチョコ味のプロテインを一息に飲み干し、言った。

 

 「俺んとこもだ。父ちゃんが、ずっとそわそわしてる。家の中を歩き回ったり、夜中に外を見張ったり」

 

 ゴイルも重い息をついて頷く。

 

 「オレの父ちゃんも。母ちゃんが“寝付きが悪い”って怒鳴ってた」

 

 クラッブのシェイカーがテーブルに転がり、金属音が響いた。そのわずかな音に、3人がそろって肩を跳ねさせる。普段なら笑うところだが、今は違う。談話室の空気は沈み、少年達の神経は妙に尖っていた。

 

 「お前達の家も……?ほんとに何があったんだろうな」

 

 ドラコはグラスを握りながら視線を落とす。揺らぐ液面が、どこかよそよそしい。

 

 「……僕は、あの日の途中で帰った。トレーニングがあったからね。父上は先に帰っているはずだった。でも夜遅く戻ってきた時には、まるで……何かに追われているみたいだった」

 

 パンジーは息を呑む。

 

 「ルシウス様が……そんな姿に?」

 

 あの誇り高い父親が狼狽する姿など、誰も想像できない。だがドラコの声は冗談ではない、恐怖の残り香をまとったものだった。

 

 クラッブがぽつりと漏らした。

 

 「俺の父ちゃんも、帰ってきた時は妙だった。“何もなかった”って言い張る癖に、手が震えてた」

 

 ゴイルはさらに重く言う。

 

 「オレの父ちゃんなんて、寝言で――“来るな……やめろ”って……そればっかり言ってる。母ちゃんが泣いてた」

 

 「……やっぱり何かあったんだよ、あの夜」

 

 ドラコはぎゅっと拳を握り締める。

 

 彼らの父親は皆、あの夜、ワールドカップ会場で“何か”を見た。

 だが口を閉ざしたまま、その“何か”を決して話そうとしない。

 怯えきった目だけを息子たちに見せ、理由は語らない。

 

 ――死喰い人であった過去を持つ彼らでさえ、震え上がるほどの何かを。

 

 ドラコはその想像を押し戻し、グラスに目を落とした。淡い液色が揺れ、そこに映るのは自分の顔――不安を隠しきれない少年の顔。

 

 「……父上は、あの夜のことを聞いても“忘れろ”としか言わないんだ。何も教えてくれないまま、ずっと怯えてる。僕がいくら聞いても、顔を背ける」

 

 パンジーはそっとドラコの手に触れた。

 

 「ドラコ……怖いの?」

 

 「怖くは、ない。ただ……理由が分からないのが嫌なんだ。僕らにだって関係があるかもしれないのに」

 

 クラッブが腕を組み、重々しく呟く。

 

 「親父達、あの日……“誰か”に会ったんじゃないのか?でも言えないくらいヤバい相手に」

 

 「そう思うだろ?」

 

 ドラコは暗く笑う。

 

 「父上が怯える相手……あの人が、そんな顔を見せた相手……考えたくもないけど」

 

 パンジーが震える声で言った。

 

 「でも……今のホグワーツ、すごく怖い噂が絶えないじゃない。闇の印が出たあとからずっと。不気味よ……どこかに、何か潜んでるって感じがして」

 

 炎の明かりが揺れ、影が長く伸びる。地下の湿気は鋭い冷気となって肌に張り付き、4人の胸の奥の不安を煽る。

 

 「……明日から授業だろ?何も起きなきゃいいが」

 

 クラッブが溜息をつく。

 

 「大丈夫よ、ドラコ」

 

 パンジーが寄り添う。だがその瞳もまた不安に濁っていた。

 

 “父親達を震えさせた何か”は、決して遠くにあるものではない。

 

 それは――明日、もしかすると廊下で。

 

 あるいは授業中に。

 食堂に。

 裏庭に。

 すぐそばで息を潜めているかもしれない。

 

 スリザリンの談話室は再び静寂に包まれた。

 しかし4人の胸には、同じ重たい影が残ったままだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。