ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第九話

 

 

 

 

 というわけで夜間巡回に向かう。

 

 自室で準備……まぁ準備なんて何もないが、いつもの黒のシャツに白のワイドパンツに着替えて部屋を出た。

 

 武器?呪霊と戦うわけでもないしいらねぇだろう。ホグワーツには何人かゴーストが漂ってるみてぇだが、呪霊と違って生きてる人間に害はない。

 

 ピーブスとかいうゴーストと似て非なる存在もいる。

 ダンブルドア曰くその正体は混沌の化身であり、ホグワーツに集う大勢の子供たちの集合的無意識から生まれた存在らしい。吸魂鬼のような不変・不死だとか。吸魂鬼って不死だったのか?初めて知った。

 

 俺も赴任して直ぐにこいつらしい気配に何かやられそうになったが、釈魂刀をチラつかせたらビビってどっかに行っちまったな。それ以来気配を感じてない。ガキ共も俺が鍛えたお陰で悪戯を受けてないようだ。どうでもいいがな。

 

 俺はそんなことを考えながら夜のホグワーツを歩いた。石畳は冷たく、足音が反響してやけに大きく聞こえる。窓の外には湖と森の影が張り付いていて、どこまでも黒い。階段を降りては登り、東棟から西棟、各階の回廊を一通り回っていく。

 

 俺の部屋のある東棟から巡回し、それぞれの寮付近を回った。グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、スリザリン、どこも静まり返っている。筋肉バカ共も今日はちゃんと寝てやがるらしい。耳を澄ませば寝息と、たまに聞こえるイビキと歯ぎしりくらいなもんだ。

 

 特に異常はねぇ。

 

 そして大広間前に着いた。大広間の扉は半開きになってる。隙間から冷えた空気が漏れていて、さっきまでガキ共が騒いでいた気配が嘘みてぇに消えていた。

 

 中を覗くとゴブレットが中央に鎮座し青い炎を揺らしていた。天井の幻の夜空よりも濃い青で、炎の揺れに合わせて周囲の影がゆっくり伸び縮みする。ゴブレットの周りにはダンブルドアが引いた年齢制限の結界が張られている。17歳未満が入ると弾かれる仕組みだ。

 

 俺は大広間に入った。石畳を踏むたびに小さく音が鳴る。炎の明かりが俺の影を長く引き伸ばしていく。

 

 もちろん俺には結界なんて通じない。天与呪縛で俺には呪力も魔力もないからだ。魔力を基点にした結界は、そもそも「何も持ってねぇ」俺を感知できない。ま、そもそも俺は17歳未満じゃねぇから関係ないんだが……

 

 それでも試しに、結界の境目ぎりぎりで足を止め、靴先でゆっくり線をまたいでみる。肌を刺すような抵抗もなければ、空気の流れが変わることもない。ただ青い炎だけが、まるでこちらを睨むみてぇに揺れていた。

 

 「随分とご立派な呪具だな」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。近づくほどに、ゴブレットからは独特の圧が伝わってくる。呪いとも祝福ともつかねぇ、選別する側の傲慢な気配だ。こいつに名前を飲まれるってのは、腹の内を丸ごと噛み砕かれるようなもんかもしれねぇなと、どうでもいいことを考える。

 

 縁に刻まれた古い文字は、魔法使いどもの言語か、それとももっと前の何かか。指でなぞれば簡単に砕けそうなくらい古びてるのに、芯だけはびくともしねぇ。長い年月の間、どれだけの名前を飲み込んできたんだか。

 

 「永遠の栄光、ねぇ……」

 

 ダンブルドアの言葉を思い出す。永遠がどうとか栄光がどうとか、そういう看板に飛びつくガキは多い。命の張り方を知らねぇ奴ほど、派手な餌に釣られて前に出たがる。

 

 俺にとって大事なのはただひとつ、こいつが「どんな死に方」を生み出す道具か、ってことだけだ。生き残り方を教える立場からすりゃ、危ない遊具には事前に目を通しておく必要がある。

 

 ゴブレットの炎がふっと強くなり、青白い光が俺の手の甲を照らした。熱はないのに、皮膚の下の血だけが一瞬だけ逆流したような感覚が走る。軽く鳥肌が立った。

 

 「……ハリーは、どうするかね」

 

 あのガキの顔がふと浮かぶ。火に飛び込む虫みてぇな性質と、妙な強さを持った目。自分から名を投げ込むタイプじゃねぇかもしれねぇが、あいつの周りにはいつも厄介事が転がり込んでくる。奴は今年で14歳、資格はねぇが、どうも何か予感がする。

 

 ほっときゃ勝手に巻き込まれる。そんな予感だ。

 

 なら、どこまで介入するか決めとかねぇとな。

 

 炎の揺らぎを見つめながら、俺は大広間をひと回りした。窓の鍵、扉の状態、隅に人が潜んでねぇか、天井の様子、どこかに違和感がないかを順に確認していく。ホグワーツの石壁は今日も黙りこくっていて、答えなんざ返してこない。

 

 「……ま、今夜は異常なしってところか」

 

 そう結論づけて踵を返す。青い炎は俺の背中に視線を投げかけているような気がしたが、振り返りはしなかった。見張るのはこっちの仕事だ。見張られる覚えはねぇ。

 

 廊下に出ると、さっきまでの青い光から解放されて、普通の夜の暗さが戻ってきた。遠くで階段がきしむ音がする。きっとどこかの肖像画が寝返りを打っただけだろう。

 

 俺は肩を軽く回し、いつもの巡回コースの続きを歩き出した。金にならねぇ仕事だが、ガキ共が無事でいてくれりゃ、それでいい。

 

 そうして翌日。

 

 俺はいつも通り中庭にいた。冷え込みはそれなりだが、吐いた息が白くなるほどじゃない。石畳の隙間に残る朝露が鈍く光り、遠くの湖から吹き上げる湿った風が、鍛え上げた筋肉の上を撫でていく。城の壁には三大魔法学校対抗試合のために準備された旗やら装飾やらが揺れているが、そんな飾りはどうでもいい。俺にとって重要なのは目の前のガキ共の身体だけだ。

 

 今日は6年生の授業だ。

 

 ホグワーツで言えば、もう立派な上級生。身体も心も、良くも悪くも大人に近づき始めた連中だ。成長期のラストスパートとでも言うか、顔つきも骨格も、1年前とはまるで違う奴がゴロゴロいる。筋肉のつき方、立ち方、連中の吐く息の深さを見ていると、一夏の過ごし方が手に取るように分かる。

 

 俺は綺麗に整列した6年生の前に立ち、ざっと全員を見渡した。

 

 グリフィンドール、スリザリン、レイブンクロー、ハッフルパフ、寮の違いも血の違いも関係なく、こいつらは全員“俺の授業を生き残ってきた身体”だ。膝は揃い、背筋は伸び、視線は真っ直ぐ前。昔の脆弱なホグワーツなら考えられねぇ光景だろう。

 

 「お前らの中に、試合に挑戦する奴はいるか?」

 

 軽く顎をしゃくってそう言った瞬間、ほぼ全員の腕が一斉に上がった。迷いのない動きだった。

 

 「……ほぉ」

 

 思わず口の端が少しだけ上がる。

 中にはまだ16歳の奴も混じっているはずだ。来週の木曜までに17歳になっていない奴は、炎のゴブレットに名前すら入れられねぇ。ルール上、参加する資格はない。それでも手を挙げた。挑戦したい、闘いたい、その意志だけは表明してきたわけだ。

 

 「いい目だ」

 

 俺はそう呟きながら、一番前列の顔ぶれを順番に睨むように眺めていく。

 肩幅、腰の位置、足の踏ん張り、指先のこわばり、汗の匂い、緊張でこわばった喉の上下……そういう細かいところに、こいつらがこの夏、どれだけ自分と向き合ったかが全部出る。

 

 ハッフルパフのガキは、去年まで少しぽっちゃりしてたのが嘘みてぇに絞れている。太腿のラインは太いが、余分な脂肪はほぼ落ちて、朝靄の中でも筋肉の陰影がうっすら分かる。レイブンクローの女子は、腕の筋肉を必要最低限しかつけねぇ代わりに、体幹を鍛えた感じだ。立ち姿がブレてないし、風に煽られても足が微動だにしない。

 

 こいつらは、ちゃんとやっている。

 

 俺が押し付けた“杖がなくても生き残る方法”ってやつを、夏休みにもこっそり続けてきた奴らの身体だ。

 

 「よし、全員腕を下ろせ」

 

 そう言うと、一斉に腕が降りた。揃った動きの中にわずかな重さの違いがあって、そこから各自の疲労具合や怪我の有無が見える。肩を少し庇ってる奴、足に重心を置きすぎてる奴。そういう細かいものが目につくのは、こっちも長年体を張ってきたせいだろう。

 

 「みっちり鍛えてやる」

 

 俺はそう宣言した。

 生徒達の背筋が一段階ピンと伸びる。心臓がどくりと跳ねる気配が、空気の揺れとして伝わってくる。こいつらは俺のいう“みっちり”がどれだけ容赦ないか、骨身に染みて理解している。

 

 「準備運動、各自メニューで10分。号令なしで崩れるな。怪我してる奴は申告しろ。黙ってぶっ壊しても、俺は知らん」

 

 「はい!」

 

 ほぼ揃った返事が中庭に響く。

 生徒達は号令を待たず、自分のペースで走り出したり、その場でジャンプしたり、肩や股関節を回したりし始める。俺が最初の年に叩き込んだ“自分の身体は自分で管理しろ”ってルールが、ようやく形になってきた。

 

 靴底が土と石畳を蹴る音、筋肉が伸び縮みする乾いた音、短く吐き出される息。

 その合間に、クスクスと笑い合う声や、「お前また背伸びたな」「昨日のスクワットが効いてる……」なんて会話が聞こえる。緊張と高揚が混ざった、悪くない空気だ。

 

 俺は腕を組んで、ゆっくりと歩きながら全員を見て回る。

 姿勢の甘い奴の背中を指で小突き、膝が内側に入っている奴の足首を軽く蹴って矯正する。直接怒鳴りはしないが、俺の視線が刺されば充分だ。わざわざ怒鳴らなくても、こいつらは勝手に自分を追い込むようになった。

 

 「そこ、腰が高ぇ。敵に足すくわれて終わりだぞ」

 

 「は、はい!」

 

 「お前は呼吸が浅い。今のうちから腹で吸え。戦場で酸素不足になったら、呪文どころか逃げることもできねぇ」

 

 「わ、分かりました!」

 

 そうやって細かい修正を入れながら、全体を育てていく。

 どいつもこいつも、あの“闇の印”の騒ぎを知っているはずだ。新聞を読まなくても、周りの大人の顔色を見れば異常事態ってのは察するだろう。それでも、こいつらの目は死んでいない。むしろ、あの夜から少しだけ“本気”の色が濃くなった気がする。

 

 10分ほど経ったところで、俺は掌を鳴らして合図した。

 

 「集合。2列縦隊」

 

 足音が揃って近づき、あっという間に2列ができる。

 さっきまでバラバラに動いていたはずなのに、この切り替えの早さは悪くない。戦闘でも同じように、個々の動きから一瞬で“隊”になれるかどうかは生存率に直結する。

 

 「いいか。対抗試合だの栄光だのはどうでもいい。優勝しようがしまいが、お前達に必要なのは“生き残る身体”と“折れねぇ心”だ」

 

 俺は一歩、列の前に踏み出した。

 靴底が土を押し潰す感触、風が一瞬だけ俺の周りで止まり、皆の視線がきっちり俺の胸元辺りに集まる。見上げるやつ、真正面から見てくるやつ、いろいろだが、逃げた目は一つもない。

 

 「この先、何が起こるかは分からねぇ。闇の印がまた出るかもしれねぇし、お前らが巻き込まれるかもしれねぇ。だが一つだけ確かなのは、俺の授業を舐めてた奴から死ぬってことだ」

 

 空気がひやりと冷えた。

 冗談みたいな言い方をしたつもりだったが、こいつらは真に受ける。いや、そのくらいでいい。命のやり取りを冗談で済ませられるほど、世の中甘くねぇ。

 

 「これからやるのは、対抗試合用の特別メニューじゃねぇ。いつも通りだ。走って、殴って、倒して、立ち上がる。その繰り返しだ。ただし、今日は少しだけ“本気の速度”を見せてもらう」

 

 俺は足元の地面を指で軽く抉り、土の感触を確かめる。

 中庭の真ん中には、俺が事前に印をつけておいたラインがいくつも刻んである。ダッシュ用、方向転換用、組み手用。外から見ればただの汚れだろうが、こいつらにはもうお馴染みの“地獄メニュー”の陣地だ。

 

 「まずは往復ダッシュ。ライン間50往復、全力。途中で歩いた奴は追加だ。寮も血も関係ねぇ。隣が潰れても気にするな。お前はお前の脚を動かせ」

 

 生徒達の喉がゴクリと鳴る音が、やけにはっきり聞こえた。

 だが誰も文句は言わない。むしろ口元だけは、ほんの僅かに笑っている奴さえいる。

 

 「号令は一回だけだ。行くぞ――」

 

 俺は手を挙げ、空を切るように振り下ろした。

 

 「走れ!」

 

 地面が震えた。

 一斉に飛び出す足音が、爆発のように中庭に響く。土が蹴り上げられ、空気が切り裂かれ、汗と興奮の匂いが一気に濃くなる。誰かの靴が少し滑り、バランスを崩しかけるが、隣の奴が肩で押し戻してやり、互いに何も言わず走り続ける。

 

 俺はその様子を見ながら、ゆっくりと歩いていく。

 こいつらの中から、対抗試合の代表が出るかどうかは知らねぇ。炎のゴブレットが誰を選ぶかなんざ、俺の知ったことじゃない。ただ一つ確かなのは――この場にいる誰もが、“選ばれなくても戦えるように”なりつつあるってことだ。

 

 「いいぞ……そのままぶっ壊れるまで走れ」

 

 そう呟いた声は、走り続ける生徒達の足音に掻き消されたが、俺自身の胸の奥にはしっかり残った。

 対抗試合だろうが、闇の印だろうが、外から何が来ようが関係ねぇ。まずはこいつらの身体を極限まで作り上げる。それが、今この瞬間の俺の仕事だった。

 

 「よし、お前ら次は組手だ。2人1組になれ。どちらかが倒れるまで打ち合え」

 

 「はい!!!」

 

 号令をかけると、列が一気に割れた。

 生徒達はもうペア決めでモタついたりはしない。互いに目を合わせ、顎をしゃくるだけで自然と2人組が出来上がる。

 

 「構えろ。合図はねぇ、勝手に始めていい。ただ“手加減してる自覚が出た奴”は後で俺とやる」

 

 その一言で、中庭の空気が重くなった。

 さっきまで浮ついていた笑いが消え、静かな殺気と緊張が一面に広がる。数秒の間のあと、足が踏み込む音、肉がぶつかる鈍い衝撃音、息が詰まる声が、あちこちから立て続けに響き始めた。

 

 フレッドとジョージもいる。

 あの双子は誕生日が間に合わず試合に挑戦する権利はねぇが、それを言い訳にして手を抜くような真似はしない。普段は悪戯ばかりで教師の頭を抱えさせてるくせに、俺の授業だけは昔から一度もふざけねぇ。ここでサボったら洒落にならねぇ目に遭うと理解してる。

 

 フレッドが大きく踏み込み、ジョージのガードの外からボディに拳を叩き込んだ。

 鈍い音が鳴り、ジョージの腹筋が波打つが、あいつも笑いながら踏ん張っている。痛みと高揚が混ざった顔だ。

 

 「もっと低い姿勢だ。胴を殴るなら地面を押す意識を忘れんな」

 

 俺が声を飛ばすと、フレッドが「はい!」と返事をし、即座に膝の角度を変えて突っ込んでいく。こいつらは教えたことの飲み込みが早い。頭が回るから悪戯も派手なんだろうが、その器用さを全部こっちに回せば実戦でも使える。

 

 「いいぞ、その調子だ」

 

 俺はそこから視線を滑らせた。

 双子の隣ではセドリック・ディゴリーが組手をしていた。ハッフルパフの優等生、クィディッチのシーカー、顔も性格も良くて教師受けもいい、典型的な“好青年”ってやつだが、俺からすればそんな肩書きはどうでもいい。

 

 「……やっぱり、6年生の中じゃ一番マシだな」

 

 セドリックは少し背の低い相手と向かい合い、互いに構えを取っている。

 大きく育った大胸筋と背筋に支えられた姿勢はブレがなく、足裏が石畳をしっかり噛んでいる。風が吹いても体が流れず、視線は相手の顔ではなく胸元に固定されている。人の表情ではなく“重心”を見ている奴の目だ。

 

 相手が先に動いた。

 低い姿勢から一気に踏み込み、右のジャブをフェイント気味に見せてから、左のフックを狙って顔面に打ち込もうとする。悪くない攻め方だ。素直すぎて読まれやすいが、それでも力任せだけじゃなく工夫しようという意思がある。

 

 「そこだ」

 

 俺が呟いたのと同時に、セドリックの体がほんの僅かだけ沈んだ。

 足首と膝が連動して柔らかく衝撃を受け流し、上体はほとんど動いていないのに、拳の軌道だけを空振りさせる。掠った風が前髪を少し揺らしたぐらいのギリギリだ。そのままセドリックは相手の懐に一歩めり込み、短い右ボディをえぐり込むように叩き込んだ。

 

 「ぐっ……!」

 

 相手の腹が文字通り“へこむ”のが分かった。

 

 拳がめり込んだ瞬間、空気が押し出されるような音がして、相手の口から変な声が漏れる。だがセドリックは追撃をしない。すぐに一歩下がって構えを戻し、相手が倒れるか立て直すかを見極めている。殺し切るんじゃなく、“授業としての限界”を分かってる殴り方だ。

 

 「セドリック、そのまま続行だ。まだ動ける」

 

 俺が声を飛ばすと、殴られた方も歯を食いしばって頷き、崩れそうな膝を無理やり伸ばして前を見る。

 セドリックは一瞬だけ申し訳なさそうな顔をしかけたが、すぐに表情を消して、静かにまた構え直した。その迷いの消し方も悪くねぇ。仲間を気遣う甘さと、戦いを続ける冷徹さを、ギリギリのバランスで両立させようとしている。

 

 「いいわねぇ、ハッフルパフのくせにやるじゃない」

 

 俺の近くで見ていたどこかの女子がぽつりと呟いたが、俺はそいつの頭を軽く小突いた。

 

 「寮で見る癖を捨てろ。戦場で“どこの所属か”なんて、敵は気にしねぇ」

 

 「す、すみません先生!」

 

 謝りながらも、その女子の目は真剣だ。

 背筋にはうっすら汗が浮かび、肩で息をしながらも、他人の動きから何かを盗もうと必死に観察している。こういう奴は伸びる。自分の番じゃないときにどれだけ“盗み見”できるかで、成長の速度は変わるもんだ。

 

 中庭のあちこちで、肉がぶつかる音、靴が滑る音、息が詰まるような声が入り混じる。

 時々、頭を狙った拳と肘がぶつかり合い、骨同士が当たる嫌な音も聞こえる。そのたびに俺はそちらに目をやり、無駄な危険かどうかを見極める。本気と無謀は紙一重だが、その一線だけは俺が管理する。

 

 「そこ、顔ばっか狙うな! 胴を砕きゃ腕も落ちる!」

 「相手の足、見てろ。目は嘘つくが、足は本音だ」

 

 短く飛ばした言葉が、生徒達の動きに少しずつ染み込んでいく。

 誰かが尻もちをつき、砂が舞う。そのたびに相方の反応で性格の違いが分かる。

 

 「そこまでだ」

 

 頃合いを見て声を張ると、動きが一斉に止まる。

 荒い息だけが中庭に残り、肩が上下し、汗が顎からぽたぽたと地面に落ちていく。拳の皮が剥けて血が滲んでいる奴もいたが、誰も顔をしかめねぇ。むしろ誇らしげに拳を握り直していた。

 

 「今日はここまでだ。寮に戻ったらストレッチとアイシングを忘れんな。筋肉は鍛えるだけじゃなく直すまでがセットだ。サボった奴は次の授業でバレると思え」

 

 「はい!!」

 

 返事の声は少し掠れていたが、その分だけ本気だった。

 俺は頷き、全体をぐるりと見渡した。この中から誰が実際に炎のゴブレットに挑戦するのか、誰が選ばれるのかは知らねぇ。だが一つだけはっきりしている。こいつらはもう“ただの魔法使い見習い”じゃない。

 

 「解散。しっかり食って、しっかり寝ろ。まだまだ追い込むから覚悟しとけ」

 

 そう告げて背を向けると、生徒達はそれぞれの寮へ歩いていった。

 1年前より分厚くなった背中が並ぶ光景を見ながら、三大魔法学校対抗試合がどう転ぼうが関係ねぇな、と俺は思う。少なくとも、俺の授業をくぐり抜けたこいつらは簡単には死なねぇ。

 

 

 

 

 

 

 そしてハリー・ポッターら4年生達は、今学期初となる“闇の魔術に対する防衛術”の授業に臨んでいた。薄曇りの空から差し込む光が教室の石床を鈍く照らし、生徒達の影を長く伸ばしている。空気には緊張と期待が混ざり合い、普段の授業とは明らかに違う緊迫感が漂っていた。長い机に整然と座った生徒達は全員が前方の壇上に立つ男へ意識を向け、その男の全身から放たれる異様な圧にただ黙って飲まれていた。

 

 「アラスター・ムーディだ。元闇祓い、魔法省の反逆児、“闇の魔術防衛術”の教師。ダンブルドアに頼まれたから引き受けた。以上だ」

 

 そう言った瞬間、空気がさらに張り詰めた。アラスターの声は低く、乾いた石を擦るような響きを持ち、教室中に染み渡った。彼の顔には無数の古傷が刻まれており、特に片目に装着された魔眼“マジックアイ”がギョロリと不規則に動く様は、生徒達の背筋を嫌でも凍らせる威圧感を放っていた。魔眼は独自の意志を持つ生き物のように、壁の裏側や天井の影、教室の隅々までも貪るように見ている。

 

 「何か質問は?ないな。闇の魔術と戦うには実践教育が一番だ……聞いたところによれば、お前達はフシグロの授業によって相当に鍛えられているそうだな」

 

 言葉を投げかけながらもアラスターは、生徒達の視線の揺れや呼吸の変化までも観察しているようだった。返事を求められたわけではないのに、生徒達は全員が微動だにせず、ひたすら前を向いたまま静寂を守り続けていた。それは恐怖ではなく、鍛えられた身体が自然と取る構えのようで、生徒達の規律の高さが逆にアラスターの眉を僅かに上げさせた。

 

 アラスターの近くに座るネビル、ハリー、ロン、ハーマイオニーらは、同時にある違和感を覚えていた。アラスターの外套から、あるいは懐から漏れ出るように漂う薬品の匂い。鼻腔を刺す、少し酸味を帯びた、独特の刺激臭だった。

 

 (ロンの言ってた通り……あれ、ポリジュース薬の匂いだよな?なんで先生が……?)

 

 ネビルの眉間にはしわが寄り、鍛え抜かれた肉体に似合わぬ繊細な表情が浮かぶ。

 

 (なんか変だぞ、この匂い……)

 

 ロンは喉奥がざわつくような感覚に小さく首を捻った。あの独特の匂いは一度経験すると忘れられない。二年生の時、ポリジュース薬で伏黒甚爾に身体を乗っ取られた経験が、嗅覚に鋭い記憶として残っているのだ。

 

 (でも……ムーディ本人が何でそんなもの飲むんだ?)

 

 ハーマイオニーも不審そうに視線を動かすが、目の前のアラスターの雰囲気は、どう考えても“本物”の闇祓いという以外の言葉を許さないほどの生々しさを醸していた。

 

 そんな空気の中、アラスターはチョークで黒板に力強く文字を書きつけながら言った。

 

 「まずは答えてもらおう。“許されざる呪文”の数は?」

 

 その瞬間、全員の手がバッと揃って上がった。誰1人出遅れない、指先の角度までもほぼ同じ。訓練された一隊のように揃うその様子に、アラスターは一瞬だけ目を細めた。

 

 「ほ、ほぉ……全員知っているのか。では、そこのフィネガン」

 

 指名されたシェーマス・フィネガンは勢いよく立ち上がった。

 

 「3つです!」

 

 「名前の由来は?」

 

 「使うこと自体が禁じられていて、使えばアズカバンで終身刑に値するからです!」

 

 声量、内容、姿勢。そのすべてが完璧だった。シェーマスは誇らしげに胸を張るというより、自然に背筋が伸びている。伏黒の授業で鍛えられた身体の反応がそのまま立ち居振る舞いに出ているのだ。

 

 「やるじゃないか。魔法省は子供に教えるなと言っていたが、ワシはそうは思わん。闇の魔法使いが使う呪文を知らねば対処できん」

 

 そう言うとアラスターは机上のガラス瓶を掴んだ。瓶の内側を巨大な影が蠢き、ガラス越しに八本の脚がぎちぎちと響いた。手のひらほどの大きな蜘蛛で、生徒数名が小さく息を呑む。

 

 蜘蛛の脚が瓶の内側を叩くたび、黒板の方へ伸びる影がゆらゆら揺れた。

 

 「さて……どの呪文から始めるかな? では、ウィーズリー」

 

 指名されたロンは前を向いたまま頷いた。

 

 「服従の呪文で」

 

 教室の空気はさらに冷え、全員の視線が蜘蛛とアラスターの杖先へ吸い寄せられた。

 

  アラスターは唇の端をわずかに吊り上げた。その笑みには慈悲も柔らかさも欠片ほどもなく、ただ“これから生徒達に見せる現実がどれほど残酷であっても構わない”という確固たる冷徹さだけが滲んでいた。顔に刻まれた深い傷痕が微妙に歪み、片目のマジックアイがギョロリと回転して教室中を舐めるように見渡す。その異様な動きに、生徒達の緊張はさらに張り詰めた。

 

 アラスターは手の中で蠢いていた蜘蛛を、まるで紙切れを捨てるかのように無造作に机へ放り出した。蜘蛛は一度床へ落ちかけたが、八本の脚を必死にわたつかせて木の表面に貼りつき、そこで身を縮めるように止まった。その小さな体からは、明らかに「逃げたい」という本能の震えが滲んでいる。

 

 「……いい選択だ。では見せてやろう。インペリオ(服従せよ)

 

 アラスターの声は低いが、岩を擦るような重さを帯びて響き、生徒達の鼓膜に微かな圧を与えた。杖先から溢れた淡い光の帯が蜘蛛の全身を包み込む。光は蜘蛛の関節へ絡みつき、まるで目に見えぬ糸でその身体を吊り上げるように吸い込まれていく。

 

 次の瞬間、蜘蛛の動きは一変した。ビクリと跳ねたかと思うと、まるで見えない糸で操られる人形のように背を反らし、八本の脚が奇妙に均整の取れた動きを開始した。硬い脚が机の表面をカチカチと軽いリズムで叩き、前脚を高く掲げ、後ろ脚で体を支えながらくるりと回転する。その動きは滑稽ですらあったが、生徒達には笑う余裕などなかった。

 

 小さく漏れかけた笑い声は、アラスターの鋭い一瞥で瞬時に凍りつく。マジックアイが教室全体を睨みつけるように回転し、空気そのものがひりつくような殺気を帯びた。

 

 「こいつは今、自分の意思で動いておらん。痛みも恐怖も感じていない。ただ“命令に従って”踊っているだけだ」

 

 アラスターの言葉が落ちるたび、ハリーは胸の奥が重くなる感覚を覚えた。自由を奪われた動き。意思の抜け落ちた体。笑っているような滑稽さが逆に残酷さを際立たせる。彼は無意識に拳を握りしめていた。

 

 「インペリオはな、人を壊さず奴隷にできる。恐ろしいのは、暴力のような激しさがなく、“穏やかさ”の皮を被っているところだ。闇の帝王が倒れた後、何人もの死喰い人がこう言った『私は闇の帝王に操られていたのだ』とな」

 

 言葉の一つ一つが重く沈み、教室に影を落とす。

 

 アラスターはふっと手首を返して呪文を解いた。光が霧散し、蜘蛛はその場で崩れ落ちるように動きを止めた。身体全体を震わせ、何度も痙攣するように脚を折り畳む。今度は確かに恐怖を感じている。小さな生き物の必死の反応に、数人の生徒が息を呑んだ。

 

 次の瞬間、アラスターは別の生徒へ視線を向ける。マジックアイがぐるりと回転し、狙いを定めたように一人へ向いた。

 

 「次はなんだ?ネビル・ロングボトム。お前にしよう」

 

 ネビルは背筋を伸ばしたまま、わずかに顎を引いた。鍛え抜かれた体つきが、以前のか弱い少年とは別人のように見える。

 

 「(拷問)の呪文」

 

 その返答は短く、迷いのない声音だった。

 

 「()()()()()()()()()()()

 

 アラスターが揶揄うように言ったが、生徒達の空気は揺れなかった。ネビルは視線を逸らさず、むしろ一歩踏み込むように言い返す。

 

 「うるせぇよ。早く見せろ」

 

 教室の空気が、かすかに震えた。アラスターの片目が楽しげに細められる。

 

 「ん?わかった」

 

 彼は再び蜘蛛へ杖を向けた。動けず縮こまった蜘蛛の背へ、杖先から濁った赤い光が滴るように流れ込んでいく。

 

 「クルーシオ(苦め)

 

 呪文が落ちた瞬間、蜘蛛の全身が跳ね上がった。

 

 「キィィィィ……ッ!」

 

 甲高い悲鳴が響き、八本の脚が折れ曲がるように歪む。体表の毛が逆立ち、節くれだった脚が自分を抱き締めるようにもがき続ける。小さな体で必死に痛みから逃れようとし、机の上を無秩序に転げ回る。その度、硬い脚が木の表面を打ちつけ、乾いた音が何度も跳ね返った。

 

 教室中の生徒が呼吸を忘れたように凝視する。胸に重石を落とされたような沈黙。

 

 「これが“苦痛の呪文”だ。殺しはせん。だが魂を折るには十分すぎる」

 

 アラスターの声は淡々としていた。

 

 蜘蛛の悲鳴が、まだしばらく教室の空気に焼き付いていた。

 

 「先生っ!ネビルが!」

 

 「ん?」

 

 ハーマイオニーがアラスターに叫ぶように言った。ネビルは蜘蛛の悲鳴に呼応するように震えていた。しかし、その震えは椅子の下に潜り込みたい臆病な子供のそれではなかった。握り締めた拳からは骨が軋むような音が聞こえそうで、腕に走る血管は浮き上がり、首筋から肩にかけて盛り上がった筋肉が、古びた制服の布地を内側から押し広げている。

 

 アラスターは見た。マジックアイだけでなく、傷だらけの本物の目も細めて、ネビルの裾の隙間から覗く前腕と、背中を走る筋肉の隆起を観察する。シャツの継ぎ目がミチミチと軋み、縫い目が悲鳴を上げる。あれは恐怖の震えではない。怒りに全身を焼かれている者の震えだ。

 

 ネビルは唇を噛んでいた。噛み締めた歯が強すぎて、奥歯がきしむ。視界の端でのたうち回る蜘蛛が、いつか病室のベッドで痙攣していた母の影と重なる。理解できない言葉を繰り返し叫ぶ声、そしてその声を無理やり引き出した呪文。苦痛の呪文。父と母を地獄に沈めた許されざる呪い。

 

 「ネビル……」

 

 ハーマイオニーが小さく名前を呼んだ。その声には心配もあったが、制止の響きもあった。ここで立ち上がって殴りかかれば、相手はただの教師ではない。元闇祓いだ。いくら鍛え上げた身体でも、無謀な飛び出しは命取りになる。

 

 思わぬ迫力に、アラスターは蜘蛛にかけていた呪文を解いた。蜘蛛は糸の切れた人形のようにぐしゃりと潰れて動かなくなる。教室に、荒い呼吸の音だけがしばらく残った。

 

 「ふむ……十分だ。よく見せてもらった」

 

 アラスターはそう呟くと、わざとらしく話題を切り替えるようにチョークを拾い直した。

 

 「では……次、グレンジャー。分かるか?」

 

 「死の呪文」

 

 ハーマイオニーは立ち上がり、まっすぐにアラスターを見て言った。手は震えていない。だがその目の奥には、先ほどネビルを押しとどめようとした時と同じような決意の色が宿っていた。知ろうとしなければ守れない。そう自分に言い聞かせているのだ。

 

 「そうだ。殺しの呪文、アバダ・ケダブラ。盾では防げん、普通の魔法では相殺できん、緑の光が見えた時には大抵もう遅い」

 

 アラスターは机の上の蜘蛛を杖でつついた。苦痛の呪文を解かれた蜘蛛は、まだ微かに脚を震わせている。命を繋いでいると言うより、ただ体の中に残った痙攣の余韻が動きを続けているだけだ。

 

 「よく見ておけ。これは実戦で“何が起きるか”を教えるための授業だ」

 

 教室の空気がさらに冷え込む。誰も息を吸う音さえ立てまいとしているようだった。ハリーは額の傷がじくりと疼くのを感じ、視線を逸らすことを許されないまま緑の光を待った。ロンは膝の上で拳を握りしめ、クモ嫌いなはずの自分が、今だけはその小さな生き物の無事を願っている事実に戸惑っていた。

 

 「アバダ・ケダブラ」

 

 低く、だがはっきりとした声が響いた。杖先から奔った緑の閃光は、音も衝撃もほとんど伴わず蜘蛛に触れた。その瞬間、教室全体が一拍だけ静止したような感覚が走る。次の瞬間には、蜘蛛は完全に動かなくなっていた。苦痛に身を捩ることも、逃げようと足掻くこともなく、ただそこに“物”として横たわっている。

 

 「これが死の呪文だ。痛みはほとんどないと言われている。だからといって優しいわけではない。ただ、そこで全てが途切れるだけだ」

 

 アラスターの声は淡々としていた。だがその瞳の奥では、何か別の計算が静かに渦を巻いていた。誰がどこで息を呑み、誰が歯を食いしばり、誰が目を逸らさず見届けたか。すべてを舐めるように見ている。

 

 教室の隅で、ネビルはゆっくりと息を吐いた。肩に乗っていた見えない重しが少しだけ下りていく。怒りは消えない。だが今ここで暴れたところで、父と母が救われるわけではない。それは伏黒甚爾の授業で、何度も何度も叩き込まれたことだった。怒りを力に変えろ。殺意を向ける矛先を間違えるな、と。

 

 「覚えておけ。これら三つの呪文は、お前達に向けられるかもしれんし、お前達がいつか“撃たねばならなくなる”かもしれん。どちらにせよ、知らなければ話にならん」

 

 アラスターはそう締めくくると、さっきまで蜘蛛がいた場所をひと撫でするように杖を振った。小さな遺骸は煙のように消え、机の上には何も残らない。あまりにあっけない終わり方に、数人の喉がごくりと鳴った。

 

 「今日はここまでだ。復習しておけ。次からは“どう生き残るか”をやる」

 

 チャイムが鳴る前に授業は終わった。生徒達は一斉に立ち上がるが、誰もしゃべり出さない。椅子を引く音と足音だけが、重たい空気を押し分けるようにして教室の外へと流れていった。

 

 最後に残ったのはハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてネビルだった。扉の前で足を止めたネビルを、アラスターのマジックアイがじっと追う。その視線には、標的を値踏みする獣のような光が、かすかに宿っていた。

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