ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾”   作:物体Zさん

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第十話

 

 

 

 

 炎のゴブレットが大広間の中央に据えられてから1週間が経った。その間も俺は夜間巡回を続けていたが、ホグワーツの中では目立った異常は一つも起きなかった。ゴーストどもは相変わらず廊下をふわつき、ガキ共は門限を守り、闇祓いを呼ぶような騒ぎもない。静かすぎて、逆に胸騒ぎがするくらいだ。

 

 ドビーに任せていたクラウチ・シニアの監視も退屈なもんだった。ホグワーツと魔法省、それから自宅を行き来するだけで、夜更けに妙な場所へ出かけることもなければ怪しい連中と会うこともない。ただ真面目に働き、真面目に家へ帰る役人だ。だが近くを通るたび、理由もなく背筋がざわつくのが気に入らねぇ。

 

 そうして迎えた木曜日。いよいよ3校の代表選手が発表される日だ。俺を含め教職員と魔法省の役人、ボーバトンとダームストラングの校長と生徒達、ホグワーツのガキ共が一堂に会し、大広間はざわめきと熱気でいっぱいだった。

 

 今日は長机に整列する形じゃなく、各寮の生徒が好きな場所に腰を下ろしている。炎のゴブレットをよく見ようと前に出た連中は、期待と不安で足を揺らしていた。真ん中のゴブレットは青い炎を揺らすだけだが、その周りには肌の内側を押し上げるような圧が渦巻いている。

 

 俺は壁際に寄りかかり、隣に立つアラスターを横目で見た。今日も身体から薬品の匂いがしている。秘密の部屋騒ぎの折蜘蛛退治の時のガキ共、アズカバンの牢屋で見たクラウチ・ジュニア――あの時と同じ匂いだ。記憶の断片は揃いかけているのに、最後の一片だけが欠けていて形にならない。

 

 そんなことを考えていると、大広間の扉が開き、ダンブルドアのジジイが入ってきた。壇上に上がると手を一度だけ叩き、ざわめきが一気に引いていく。

 

 「諸君!待たせてたのう。これより代表選手の発表を行うぞい。このゴブレットが、名前が書かれた紙を吐き出す。各校1枚ずつ、3人の選手じゃ」

 

 ジジイが言葉を区切るたび、大広間のあちこちで喉を鳴らす音がした。俺は腕を組んだまま壁にもたれ、その様子を眺める。ここから先の流れはルールで決まっているはずだが、俺の勘はなぜか落ち着かなかった。

 

 ダンブルドアがゴブレットの前に立つと、炎の圧がわずかに跳ね上がった。青白かった火がじわじわと赤みを帯び、やがてボフッと鈍い音を立てて紙を1枚吐き出す。焦げた羊皮紙の端から灰がひらりと落ちた。

 

 「ボーバトン校、フラー・デラクール!」

 

 ジジイが読み上げると、ボーバトンの一団から椅子の軋む音がして1人の女が立ち上がった。金髪を揺らし、背筋を伸ばして歩き出す。遠目にも整った顔立ちと、場慣れした足取りなのは分かった。

 

 「まぁ、頑張れよ」

 

 どうせ聞こえちゃいねぇが、それで十分だ。フラーは拍手に包まれながら大広間を抜け、地下の控え室へ姿を消した。

 

 再びゴブレットの炎がうねる。赤い火が高く伸び、2枚目の紙が弾き出される。

 

 「ダームストラング校、ビクトール・クラム!」

 

 まぁ、当然だな。あいつ以外に名乗り出る奴がいるとは思えねぇ。ダームストラングの中からクラムが立ち上がり、迷いのない足取りで歩いていく。その背中を見送りながらグリフィンドールの席を見ると、ロンが興奮で身を乗り出し、ネビルとハーマイオニーに同時に襟首を引っ張られていた。どいつもこいつも分かりやすい。

 

 三枚目の紙が吹き上がるまで、間はほとんどなかった。ゴブレットは当たり前のように仕事を続ける。

 

 「ホグワーツ!ハッフルパフ、セドリック・ディゴリー!」

 

 歓声が一気に膨れ上がり、ハッフルパフの周りが沸き立った。セドリックか……まぁ順当だろう。俺の授業にも文句ひとつ言わずついてきて、四肢の使い方も目の配り方も6年の中では頭ひとつ抜けている。ホグワーツの生徒だけで見れば、今のところ一番まともな“戦士”だ。

 

 「先生、頑張ります」

 

 地下へ向かう途中、セドリックがわざわざ俺のそばを通って一言だけ残した。目はまっすぐ前を向いていて、変な力みはない。

 

 「油断すんなよ」

 

 「はい!」

 

 短いやり取りの中に、こいつが本気で勝つつもりだというのは十分伝わった。

 

 こうして3校の代表は出揃った。大広間は期待と興奮でいっぱいだ。誰もがこれで発表は終わりだと思っている。

 

 「……ん?」

 

 その時、俺は首筋を撫でるような違和感を覚えた。さっきまで静かに揺れていたゴブレットから、まだ強い圧が漏れている。炎は落ち着くどころか、逆にじわじわと色を濃くしていた。

 

 「なんじゃ?」

 

 ダンブルドアもそれに気づいたらしく、眉をわずかに寄せてゴブレットを見上げた。

 

 次の瞬間、ゴブレットが再び炎を噴き上げ、4枚目の紙を吐き出した。既に3人の選手は決まったはずだ。なのに、まだ誰かの名前がある。

 

 大広間のざわめきが、今度は興奮ではなく戸惑いと不安を含んだ低い波に変わっていく中で、俺は無意識に足に力を込めた。何かが狂った。そう、はっきり感じた。

 

 ダンブルドアが紙切れを指でつまみ上げた。皺だらけの指先に炎の明滅がちらちら映る。

 

 「ハリー・ポッター」

 

 その名が静かに読み上げられた瞬間、喧噪は起きなかった。どよめきでも悲鳴でもなく、ただ一瞬、空気そのものが固まる。次の瞬間、大広間のあちこちで喉が鳴る音が一斉に戻ってきた。

 

 おいおいおい、あのガキが?まだ14歳だろうが。なんで名前が出てくる。あのゴブレットの周りに引かれた年齢制限の結界は、ジジイが「わしの最高傑作」とか言って自慢していた代物だ。それをすり抜けて紙を放り込んだってのか?正面から入れたにしろ、外から細工したにしろ、どっちにしても碌でもねぇ腕の持ち主だ。

 

 「面倒なことになったな」

 

 思わず小さく口の中で呟いた。左隣に立っているアラスターが、聞こえたのかどうか分からん目つきでゴブレットを睨んでいる。薬品と鉄が混ざったような匂いが鼻に引っかかる。

 

 当のハリーは、名前を呼ばれた瞬間、椅子の上でピクリと身体を揺らした。目を見開き、次に眉を寄せ、ほんの一瞬だけ戸惑いの影を浮かべる。だがすぐに顔を引き締めやがった。あのガキ、こういう場面に慣れすぎてんだよ。

 

 周りのガキ共もざわつきはしたが、妬みより疑問の方が強い。「どうして?」「結界は?」というひそひそ声が渦を巻く。矛先はハリーじゃなく仕組みに向いている辺り、うちのガキ共はそこそこ育ちがいい。

 

 「ハリー・ポッター!」

 

 ダンブルドアがもう一度名を呼ぶ。声に焦りはないが、いつもよりわずかに低い。

 

 ハリーは深く息を吸い、椅子から立ち上がった。肩甲骨の辺りの筋肉が制服越しに動くのがここからでも分かる。グリフィンドールの長机の脇を通る時、ロンが何か言いかけたが、ハリーは軽く頷き、そのまま前だけを見て歩いた。

 

 ダンブルドアの前に立ったハリーが、小さな声で言う。

 

 「あの……僕、入れてませんよ」

 

 「ふむ……分かっておるとも」

 

 ジジイの声もまた小さい。だが俺の耳にはくっきり届く。

 

 「じゃが選ばれてしもうた。“炎のゴブレット”が名を選んだ以上、そういうことじゃ。一先ず地下へ」

 

 「……はい」

 

 返事は短いが、腹は括ってる声だった。

 

 俺の聴覚が2人の言葉を拾うのと同時に、ダンブルドアの視線がこっちに滑ってきた。白い眉の下の青い目が、ゴブレットを見る時とは違う冷たさを帯びている。

 

 (夜間巡回はちゃんとしてたのかの?)

 

 無言の問いが瞳に浮かぶ。こっちも黙って睨み返し、目だけで返す。

 

 (俺を疑ってんのか)

 

 なにせ、魔力基準の結界をすり抜けられる人間なんざ、ホグワーツにはそう多くない。呪力も魔力も持たねぇ俺は、結界にとっちゃいないのと同じだ。ジジイから見りゃ、一番やりやすい工作員でもあり、真っ先に疑うべき不審者でもあるってこった。

 

 もちろん、やったのが俺じゃないのは俺が一番知っている。頼まれた仕事はやるが、頼まれてないことには一切手を出さねぇ。勝手な真似をして信用を削るほど、俺は若くも馬鹿でもない。

 

 つまり、あのゴブレットにガキの名前をねじ込んだ大人が別にいる。結界の外から呪文で細工したか、あるいは別の学校の代表枠を偽装したか。どちらにせよ、魔法に関しちゃ相当の頭と腕を持つ連中だろうな。

 

 「諸君!選手は決まった!」

 

 ダンブルドアがひときわ大きな声を張る。さっきまでの低さは消え、いつもの芝居がかった調子に戻っていた。

 

 「今日は解散!それぞれ寮へ戻り、腹を満たし、よく眠るがよい!」

 

 「はい!!」

 

 あちこちから返事が響き、椅子が床を擦る音が一斉に鳴った。グリフィンドールの辺りではロンが何か喚き、ハーマイオニーは眉間に皺を寄せ、ネビルは腕を組んで黙り込んでいる。

 

 生徒達がぞろぞろと大広間を去っていく。ボーバトンの連中はざわつきながらも優雅さを崩さず、ダームストラングのガキ共は肩を組んで笑いながらも、時折こちらを鋭く盗み見てくる。

 

 やがて、残ったのは俺と教職員、それから2校の校長、魔法省の役人どもだけになった。天井に映された夜空の幻だけが、さっきまでの賑やかさを誤魔化すように静かに瞬いている。

 

 「では諸君、地下で話を続けようかの」

 

 ダンブルドアが静かに言い、先に立って歩き出す。その後ろにクラウチ・シニアが続いた。表情は完璧に固めているが、肩の辺りに力みがあるのを俺の目は見逃さない。

 

 俺は最後尾に回り、壁に寄りかかっていた背中を離した。アラスターがこちらを一瞬だけ横目で見る。マジックアイの方は、まだ炎の残り香を吐き出しているゴブレットの方を向いたままだ。

 

 「さて……ひと稼ぎどころか、厄介な後始末になりそうだな」

 

 誰にも聞こえない声でそう吐き捨ててから、俺は他の大人達と一緒に、選手どもの集められた地下へと向かった。

 

 地下室に入った瞬間、湿った石壁の匂いと古い蝋の残り香が鼻を刺した。長年使われていないくせに暖炉だけは赤々と火を吐いていて、壁に積もった埃の影を揺らしている。物置同然の部屋に暖炉がある理由なんざ知らんが、炎に照らされた選手どもの顔には、緊張と困惑が濃く張り付いていた。

 

 俺たち教職員と魔法省の連中が半ば押し入るように部屋へ踏み込むと、その空気を割くようにして怒号が飛んだ。

 

 「どういうことだ!!」

 

 声の主はカルカロフだった。黒いローブをいなしながら勢いよく前へ出て、ハリーの胸倉でも掴みかねない距離まで迫る。目は血走り、口元は震えている。怒りというより、焦りと恐怖が混ざった色だ。

 

 「不正か!?そこまで勝ちたいのか!?ホグワーツは!!」

 

 まあ吠えるだろうな、と俺は壁にもたれて腕を組んだまま思った。対抗試合は名誉の象徴、特にアイツら北の連中は誇りに生きる。そんな奴らの前で、年端もいかねぇガキの名前が出たんだ。そりゃ噛みつく。

 

 当のハリーは意外にも落ち着いた顔をしていた。いや、落ち着いているというより、状況を受け入れて腹を括ったような顔だ。あのガキは追い込まれれば追い込まれるほど胆が据わるタイプらしい。俺が鍛えた恩恵かどうかは知らんが。

 

 「僕は入れてません」

 

 ハリーは目を逸らさずに短くそう言った。怯えも取り繕いもない、ただの事実を述べる声。カルカロフはその静けさに逆に苛立ったのか、喉の奥で唸り声を漏らした。

 

 そこへ、柔らかいのに空気ごとねじ伏せるような声が割って入る。

 

 「まあまあ、落ち着きなされ、カルカロフ校長」

 

 ダンブルドアの声は暖炉の炎みたいに静かに広がり、部屋の空気をまとめて包み込んだ。ジジイは杖をほんの少しだけ持ち上げ、しかしそれだけで相手の激情を押し返す。長年の経験からくる重さってヤツだ。

 

 「この場にいる誰も、軽々しく不正を働くような者ではない。特にホグワーツの生徒はのう」

 

 「だが!これは規則違反だ!わたしの生徒達は真面目に――」

 

 「規則については、この方から説明があるじゃろう」

 

 ダンブルドアが横に視線を投げると、クラウチ・シニアが一歩前に出た。堅物らしい冷たい目、杖を杖とも思わぬ無機質な持ち方。こいつの周りだけ空気がカサつくような感じがある。息子の件でやつれたのか、昔よりさらに固くなっていやがる。

 

 「炎のゴブレットは絶対的な契約だ。選ばれた者は辞退ができん。これは魔法省が定めた不変の規則であり、破ることはできない。たとえ年齢が満たずとも……名が出た以上は参加しなければならない」

 

 カルカロフは眉間を押さえ、苦虫を噛み潰したような顔をした。ボーバトンのマダム・マクシームも腕を組んだまま無言だったが、その沈黙には疑いと静かな怒りがあった。

 

 俺は全員の顔ぶれを一通り見回したのち、ふと隣のアラスターへ視線を移した。

 

 ……その瞬間、背筋にぞわりとしたものが走った。

 

 アラスターの奴が、舌を出した。ほんの一瞬、炎に照らされた横顔がぬらりと歪み、蛇のように薄く、長く、湿った舌を覗かせたのだ。喉の奥で何かを確かめるような、不自然な動作。普通の人間じゃ絶対に出ない癖だ。

 

 (――今、見たか?)

 

 俺は何も言わず、視線だけをダンブルドアへ向けた。

 

 ジジイもそれに気づいたようで、わずかに目を細め、口元だけで返す。

 

 (……やはりかの)

 

 (確実に何か混ざってるぜ、あれは)

 

 言葉なんざいらねぇ。俺とジジイは何度も修羅場(G1)を共に潜っている。目だけで十分通じ合う。

 

 アラスターは気づいていないのか、舌を仕舞うとまたあの金属の義眼をぎょろぎょろ動かし、部屋をくまなく見渡していた。だがあの僅かな仕草だけで十分だ。俺の勘は呪具や魔力の有無なんざ関係なく働く。あれは“別物”だ。

 

 クラウチが淡々と説明を続け、ハリーが試合に参加することはもはや覆らないと確認されると、地下室の空気はまた重たく沈み込んだ。フラーもクラムもセドリックも、複雑な表情でハリーを見た。対抗心よりも困惑が勝っていた。

 

 「では、これにて本日の説明は終わりじゃ。選手諸君、明日に備えて休むとよい」

 

 ダンブルドアの言葉を合図に、各々が部屋を出ていく。

 

 俺は最後に暖炉の火を一瞥し、アラスターの背中を見ながらゆっくり扉の方へ歩いた。どうにも鼻につくあの薬品の匂いが、さっきより濃く感じられた。

 

 ……やっぱり、何かが紛れ込んでやがる。

 その確信だけが、じわりと胸の奥で重く蠢いていた。

 

 それから暫くして、俺はダンブルドアと話すために校長室に向かった。不死鳥の像を小突いて螺旋階段を出現させて登り、部屋に入った。

 

 既に中にはマクゴナガル、スネイプ、そしてシリウスがいた。

 

 シリウス、やっぱきてたか。

 

 「少し振りだな。シリウス」

 

 「トウジ、今年は残念だな」

 

 「何がだ」

 

 「競馬だ」

 

 チクショウめ、いやらしい顔で言いやがって。いいよなコイツは、無職だからいつだってギャンブルに行けるしよ。俺だって金があって教師やってなかったら、毎週末どころか平日まで全部競馬場に入り浸って、魔法省の連中よりよっぽど真剣な顔で馬の脚とオッズを睨んでたかもしれねぇのに。

 

 「ゴホンッ、まぁその話は今は置いておこう。今回ここに集まってもらったのは対抗試合で“4人目”の選手が選ばれてしまったことと……アラスターのことじゃ」

 

 「あの子はまだ14歳ですよ? アルバス、どうにかならないのですか?」

 

 マクゴナガルが悲痛な面持ちで言った。コイツは生徒を想う気持ちは人一倍ある。俺の授業にもたまに文句言ってくるぐらいだからな、骨が折れても動けるようになるまでは休ませるな、と言った時なんか本気で怒ってた。

 

 「ミネルバ、それはわしとて無理なんじゃ。ゴブレッドの持つ契約の力は絶対、破ることはできん。それに魔法省もこれを変えることはない」

 

 「ですが……」

 

 「まぁ、()()ポッターであればやりかねないですがな」

 

 「セブルス……」

 

 スネイプがハリーを咎めるように言った。シリウスは少し眉間に皺を寄せる。コイツらやっぱ仲悪いな。目が合うたびに過去の傷をえぐり合ってるみてぇな空気になる。こいつらの仲が改善される日は、吸魂鬼がヒマワリ畑に住むくらい有り得ねぇだろう。

 

 「ハリーのことは見守るしかあるまいて。セブルス、シリウス、それはお主らなら分かっておるじゃろう」

 

 ダンブルドアの静かな圧が部屋に広がる。目は笑っているように見えるが瞳は据わってる。あの目を正面から見られる奴はそう多くねぇ。

 

 「で、アラスターはどうする。ジジイはもう気づいてんだろ?」

 

 「うむ、わしも先ほど確信を持てた。フシグロ君が言っておった薬品の匂い、そしてあの仕草……セブルスは気づいたかね?」

 

 「えぇ。あれはポリジュース薬です。そして……あの舌の動き。あれをする魔法使いは限られている」

 

 「ほぉ、それで?」

 

 スネイプはダンブルドアを見ずに、あくまで冷ややかに吐き捨てた。

 

 「蛇のように舌を出す癖……バーテミウス・クラウチ・ジュニアです」

 

 室内が一気に冷え込む。暖炉の火が一瞬だけ小さくなったように見えたのは気のせいじゃねぇだろう。あのアズカバンで見た死人のような顔が脳裏に過った。アイツ、本気で死んでるのか生きてるのか分からなかったからな。骨と皮だけの体を丸めて、ひたすら呼吸だけ繰り返していたあの異様な姿に、普通の人間なら恐怖を覚えるんだろうが、俺はむしろ「こんな状態でもまだ生かしておくのか」と看守共の趣味の悪さに呆れたぐらいだ。じゃあ、あのアズカバンにいたのはなんだ?

 

 「つまり……」

 

 俺が言いかけた時、ダンブルドアが頷いた。

 

 「うむ。今ホグワーツにいるアラスター・ムーディは……本物ではないであろう」

 

 「俺はアズカバンで奴を見た。牢の中で死んだように寝てた。いや、そうか。あの薬品の匂いがポリジュースなら、あの寝てたのも偽物ってわけか」

 

 「うむ……そういうことであろう」

 

 「へぇ……」

 

 俺とシリウス以外に脱獄してる奴がいたとはな。世の中、ろくでもねぇ奴ほどしぶとく生き残る。

 

 「ジジイ、アラスター本人はどこにいる」

 

 「まだ分からぬ。じゃが、あの薬品の匂いと舌の癖……クラウチ・ジュニアが今も生きておるならば、ポリジュース薬でムーディの姿を借りているのはほぼ間違いなかろう」

 

 ダンブルドアは深くため息をつき、机に手を置いた。だがその目は、ただの老人じゃねぇ。獲物を確実に仕留める狩人の光があった。長年積み上げてきたものを一瞬で全部捨てる覚悟を、いつでも引き出しから取り出せるように磨いてある目だ。

 

 「どうする?」

 

 俺はダンブルドアに聞いた。今からでもアラスター、いや偽物のアラスターを殺しに行ってもいい。首の骨をへし折るのに、杖も呪文もいらねぇ。

 

 「今はまだ待つのじゃ」

 

 「アルバス……!」

 

 マクゴナガルが息を呑み、シリウスさえ僅かに目を見開いた。フォークスが羽を震わせ、小さく鳴く。火の粉が一粒、静かに床に落ちて消えた。

 

 「奴が何を目的にムーディの姿をしてホグワーツに入ったのか、その目的を探らねばならない」

 

 「探るって……お前、また俺をこき使う気じゃねぇだろうな」

 

 「フシグロ君、これまでも夜間巡回を請け負ってくれておるじゃろう。報酬は据え置きで500ガリオン、契約は継続中ということでよいかの?」

 

 「勝手に継続すんな。……まぁ、金は貰うがな。どうせ寝てても起きてても、夜は暇だ」

 

 俺は椅子の背にもたれ、天井の歯車じみた装飾を見上げた。魔力の淡い脈動が板張りを通して掌にまで伝わってくるこの部屋は、好きってほどじゃねぇが嫌いにもなりきれない場所だ。

 

 こうして厄介ごとの匂いを嗅いだあとに腰を落ち着けていると、戦場に出る前の待機時間みてぇな張り詰めた静けさと、血の匂いの代わりにインクと羊皮紙と古い木の匂いが鼻の奥をじわじわ占領していく。

 身体の奥で研ぎ澄まされていく感覚と、心のどこかでまだ眠っていた獣がゆっくりと目を覚まし始める音だけが、やけにくっきり聞こえてくる。

 

 「トウジ、危険だぞ。奴が本当にクラウチ・ジュニアなら……」

 

 シリウスが言いかける。俺は片手を上げて止めた。

 

 「危険じゃなきゃやらねぇよ。安全な仕事なんざ、俺に回ってこねぇ」

 

 「……まったく、あなたという男は」

 

 マクゴナガルが呆れたようにため息を吐くが、その目の奥には頼りにしている色も見えた。分かってんだよ、そういう視線には慣れてる。便利屋扱いされるのも、命綱扱いされるのもな。

 

 「ジジイ、とりあえず俺はこれまで通り巡回する。ムーディもどきの動き、クラウチ・シニアの動き、両方見ておく。尻尾を出した瞬間にぶった斬っていいなら、尚のことやる気も出る」

 

 「うむ……最後の一文は保留じゃが、それでよい。フシグロ君、ホグワーツを頼むぞ」

 

 ダンブルドアがそう言って軽く頭を下げた。校長が教師に頭を下げる学校なんて聞いたことがないが、こいつは昔から平然とやる。そういうところが腹立つ反面、嫌いにはなれねぇ。

 

 「ったく……また面倒な学期になりそうだ」

 

 俺は立ち上がり、黒いシャツの裾を払うと、くるりと踵を返した。背後でフォークスが小さく鳴き、赤い羽が一枚ふわりと落ちてきて肩に触れる。

 

 嫌な予感しかしねぇが――稼ぎどきでもある。

 

 

 

 

 

 

 代表選手が選ばれた夜……グリフィンドール寮の談話室は、いつもの浮かれた空気とは違い、妙に重い熱気に包まれていた。暖炉の火は勢いよく燃えている。火花が弾けるたび、集まった生徒達の視線が一斉にソファの中央へと向かう。

 

 「おい!ハリー!どうやってゴブレットに名前を入れた!?」

 

 「俺も出たかった!!」

 

 「私もよ!」

 

 「僕もだー!!」

 

 学年も体格もばらばらの生徒達が半円を作るようにハリーを取り囲む。肩を掴む者、覗き込む者、机の上に乗る者までいて、ハリーは背もたれに押し付けられながら両手を宙に浮かせた。

 

 「だから僕は入れてないって!」

 

 声を張っても信じてもらえている気配は薄い。ただ、自分でも理由が分からない以上、否定の言葉を繰り返すしかない。その歯痒さが胸の奥をじわじわと焦がしていた。

 

 「俺も出たかったなぁ〜」

 

 ソファの背にもたれかかりながら、ロンがぼそりと漏らした。オールバックに撫でつけた赤毛は汗で少し乱れている。肩幅も腕回りも1年前とは別人みたいに太くなっていたが、その悔しそうな顔だけは昔と変わらない。

 

 「でも本当に、どうしてハリーが?」

 

 ハーマイオニーが口を挟んだ。腕を組み、額に皺を寄せてハリーと周囲を見比べる。

 

 「あのゴブレットの周りに引かれてた年齢線は、ダンブルドア先生が自分で張ったものよ。私達が越えられるとは思えないわ」

 

 「それに、ゴブレットそのものにも“魂の年齢”を見て弾く魔法がかかっているはずだ」

 

 ネビルが頷きながら言った。トレーニング直後らしく、首筋から汗が流れ落ちている。

 

 「じゃあ……大人が入れたってことか?」

 

 ロンが言うと、周囲の何人かが顔を見合わせる。羨望や妬みで騒いでいた空気が、少しだけ現実味を帯びた不安に変わっていく。

 

 「ねぇロン。やっぱりムーディ先生から感じた“変な感じ”、無視できないかもしれないわ」

 

 「僕もそう思う」

 

 ハリーが小さく頷く。授業中、銀色のボトルをあおるたびに立ち上るあの薬品の匂いを思い出し、鼻の奥がむず痒くなった。

 

 「匂いだ。あのボトルからした匂い、覚えてるだろ?ポリジュース薬そっくりだ」

 

 ネビルが言うと、ロンも目を細めた。

 

 「やっぱりそうか……秘密の部屋の時に嫌になるほど嗅いだからな」

 

 「ポリジュース……?」

 

 「変身用の魔法薬よ。誰かの姿になれるやつ」

 

 ハーマイオニーが周囲の生徒に簡単に補足した時――

 

 「ちょーっと通してくれー」

 

 「英雄殿に重要なお知らせだ」

 

 フレッドとジョージが人混みをかき分けて現れた。手には、古びた羊皮紙が丁寧に折りたたまれて挟まれている。

 

 「フレッド、ジョージ?」

 

 「ハリー、俺とジョージは見ちまった」

 

 「あぁ、あんまり見たくないもんまでな」

 

 2人はニヤニヤ笑いを浮かべながらも、目だけは真面目だった。フレッドがテーブルの上に羊皮紙を広げ、杖先で軽く叩く。

 

 「我ここに誓う。我よからぬ事をたくらむものなり」

 

 インクが滲むように羊皮紙の上に線が走り、塔や廊下、階段、秘密の抜け道まで細かく描き出されていく。点と名前が無数に浮かび上がり、そのうちのいくつかは談話室にいる自分達の名だ。

 

 「これが忍びの地図だ。ほら、ここが校長室。動いてるのがダンブルドア」

 

 「すごい……!」

 

 ハリーが息を呑む。紙の上で「アルバス・ダンブルドア」の名がゆっくりと動き回っている。

 

 「だろ?まぁ、なぜかフシグロ先生は写らないけどな。で、本題はここだ」

 

 ジョージが塔とは別の一角を杖で示した。闇の魔術に対する防衛術の教室、その奥の小さな部屋。今はアラスター・ムーディの部屋として使われている場所だ。

 

 そこには、小さな点とたった1つの名前があった。

 

 「バーテミウス・クラウチ・ジュニア……?」

 

 ハリーが読み上げた瞬間、周囲の空気が一段冷える。

 

 「クラウチって……魔法省のクラウチ氏の?」

 

 ロンがごくりと唾を飲んだ。

 

 「“ジュニア”……」

 

 ハーマイオニーが囁く。その名は、闇の帝王の最期の頃、死喰い人として裁かれアズカバンに送られた男のものだったはずだ。

 

 「でも、こいつは“ここにいる”。忍びの地図は嘘をつかねぇ」

 

 フレッドが言うと、ジョージも黙って頷く。

 

 「ハリー……」

 

 ネビルがハリーを見る。拳を固く握りしめ、腕の筋肉がぴくりと震えた。

 

 「多分、俺たちだけでどうにかできる相手じゃない。明日、フシグロ先生に見せよう。ダンブルドア先生にもだ」

 

 ハリーの言葉に、ロンも、ハーマイオニーも、ネビルも静かに頷いた。

 

 暖炉の火がぱちりと音を立てる。ホグワーツのどこかで「バーテミウス・クラウチ・ジュニア」の名を掲げた点が動き続けている一方で、その正体に迫ろうとする小さな決意が、グリフィンドール塔の奥で静かに燃え始めていた。




ここでやっと忍びの地図が登場。
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