ホグワーツ魔法魔術学校特別体育教師“伏黒甚爾” 作:物体Zさん
今回は短めです。それと少し場面が転々とします。
フィリウス・フリットウィックが山積みにされた本の上に立ち、いつもの甲高い声で呪文の講義を始めた。
「魔法使いの基本の技術は“浮遊術”です!物を浮かせて飛ばすことは、魔法使いの第一歩!皆、羽根は持っとるね?」
教室中がガタガタと揺れた。生徒たちが机に置かれた白い羽根を一斉に持ち上げたからだ。
ハリー・ポッターもロン・ウィーズリーもハーマイオニー・グレンジャーも、しっかりと自分の羽根をつまんで掲げている。
「よろしい、では練習してきた手首の動きを忘れんように……ピューンときてヒョイです!」
小さな手を勢いよく振り上げ、フリットウィックが楽しげに実演してみせる。
「ピューン、ヒョイ!」
「ヒョイ!」
教室中に生徒たちの声と羽根を振る音が重なる。
1年生たちの手首の動きはどこか洗練され、ブレがない。腰もしっかりと入っている。まるで武術の型のような均整の取れた動き。
フリットウィックは、その様子を見逃さなかった。
「おや……皆さん、いい動きですね!芯がしっかりしてます!」
生徒たちにその自覚はない。
だが、それは伏黒甚爾の体育授業による成果だった。
毎週のように叩き込まれる筋トレと実戦形式の反復運動、そして身体の使い方を無意識に覚えたことで、動き全体が引き締まり、どの生徒もバランス感覚が飛躍的に向上していた。
「よしよし、それでは正確に呪文を唱えましょう。“ウィンガーディアム・レヴィオーサ”!」
「「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」」
声が重なる。
次の瞬間、教室中に置かれた羽根がふわりと宙に浮かび上がった。
まるで同じ指揮者が合図を送ったかのような、統一された動き。
一人残らず成功していた。
「うぇ!?みなさん!うほおぉ!すごいです!」
フリットウィックが嬉しさのあまりバランスを崩し、積んでいた本からずり落ちそうになるほどの衝撃だった。
毎年この授業では、誰かしら呪文を間違えて羽根を焦がしたり吹き飛ばしたりする。
なのに今年は、一発で全員成功。
「「「ありがとうございます!先生!」」」
生徒たちの声も揃っている。
「い、いや……私の方こそありがとうです!これは……素晴らしい!」
小さな先生は、感極まったように何度も羽根の群れを見上げる。
まるで白い蝶の群れが舞っているように、教室中がふわりと軽やかな空気に包まれた。
後ろの席でロンがハリーの肩を叩く。
「なぁ……俺たち、ちょっと強くなってね?」
「うん、僕もそう思う」
ハリーは浮かんだ羽根を見上げながら、小さく笑った。
「フシグロ先生の訓練、地味に効いてるんじゃない?」
ハーマイオニーが眼鏡を押し上げて言う。
腕にはうっすらと筋が浮き、最初の頃よりも体幹がしっかりしているのを自分でも感じていた。
「地味どころか、俺もう筋肉痛が日常だぞ……」
ロンが肩を回しながら呻く。
だが、声は文句を言いながらも、どこか誇らしげだった。
「でも……こういう呪文が全員一発で決まるのって、今年が初めてなんじゃないかしら」
ハーマイオニーがぽつりと呟くと、フリットウィックは満面の笑みでうなずいた。
「えぇ、そうですよ!こんなことは、私が教員になって以来初めてです!」
興奮気味の声が教室に響く。
フリットウィックは両手を広げ、生徒たちに大げさなくらい拍手を送った。
「皆さん、自信を持っていいですよ! 魔法の才能ももちろんですが……身体の使い方が素晴らしい!実に見事です!」
授業の終わり際、ふわふわと浮かぶ羽根の群れを見つめながら、生徒たちは口々に笑い合った。
自分たちの体が、着実に変わっている――その事実を、初めてはっきりと感じた瞬間だった。
「……フシグロ先生の授業、キツいけど悪くないかもな」
ロンがぼそりと呟き、ハリーが笑う。
「うん、僕もそう思う」
教室の窓の外には、10月の冷たい風が吹いていた。
ふわりと宙に舞う羽根が一枚、風に乗って扉の外へと流れ出ていく。
その小さな羽根が――
生徒たちの“力”の変化を、静かに象徴していた。
続いて魔法薬学の授業があった。
地下室にある教室の空気はひんやりと湿っていて、ほんのり薬草と薬品の匂いが混じっている。ランタンの光が長い影を落とし、調合用の大釜がいくつも並ぶその光景は、他の授業とは明らかに空気が違っていた。
「では諸君、調合を始めろ」
低く、冷たい声が響く。
授業を担当しているのはセブルス・スネイプ。
細い瞳が鋭く生徒たちを射抜き、まるでひとりひとりの失敗を待ち構えているような口調だった。
この授業を受けているのは3年生。
「……」
生徒たちはスネイプの言葉に特に怯える様子もなく、それぞれの机に置かれた素材に手を伸ばした。
薬草を刻む音、液体が注がれる音、金属のスプーンが鍋肌を叩く音が静かな地下に広がる。
誰も教科書を見ない。
素材の色を確かめ、匂いを嗅ぎ、手触りを確認しながら調合を進めていた。
スネイプの細い眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。
「……ふん」
教科書も見ず、全員が黙々と正確な手順を踏む。
それも、型にはまった“お勉強”の動きじゃない。
身体の軸がぶれず、無駄がなく、正確だ。
――そう。
それは伏黒甚爾の体育授業の成果だった。
伏黒はただ筋力を鍛えさせているわけではない。
“杖がなくても生き残る”ための身体の使い方、そして状況判断を叩き込んでいる。
ただ立つ、ただ構える、ただ息を整える――そんな当たり前の動作を何百回も繰り返し、あらゆる状況に即応できる“身体”を作り上げてきた。
その結果、生徒たちは杖を握っていない時でさえ、立ち方や動きが洗練されていた。
当然、薬の調合にもそれは表れる。
手の角度、視線の向け方、嗅覚の集中……
全てがブレず、自然と最適な動作になっていた。
スネイプはその様子を、細い瞳でじっと観察していた。
「……」
驚愕を表情には出さない。
だが、いつもの授業ではこうはいかないことを知っている。
例年ならば、生徒がいくつも材料を間違え、調合に失敗し、爆発音が一度は響く。
怒鳴り声と悲鳴と罰則がセットだ。
だが――今日の教室には、そんな気配が一切なかった。
黙々と、正確に、淡々と。
湯気が立ち上る音だけが、静かに響いている。
「よし、そこ、火加減を少し下げろ」
スネイプが声をかけると、生徒は言われる前から手を伸ばしてつまみを回していた。
「……もうやっていたか」
スネイプの唇がかすかに歪む。
怒りでも失望でもない。――ほんの僅かな、驚きだった。
「すげぇ、俺、今日まだ一滴もこぼしてない……」
グリフィドールの3年生の少年が、ひそひそ声で呟く。
「いつもならもう爆発してる頃よ」
隣の女子生徒が肩をすくめた。
その横で、スプーンを回している手は無駄なく、自然と流れるような動きだった。
「……あの体育の授業、効いてんじゃねぇか」
「うん……地味だけど、身体の使い方が変わった気がする」
思えば、甚爾の授業は地獄そのものだ。
朝からみっちり筋トレと基礎動作の反復。
手が震えるまで腕立て伏せをし、腿が上がらなくなるまでスクワットをやらされる。
だが、どの生徒も確かに“変わっていた”。
バランス感覚が研ぎ澄まされ、集中力が持続する。
魔法の精度が、自然と底上げされていた。
スネイプはひとりの生徒の大釜を覗き込み、ゆっくりと頷いた。
「……悪くない」
それは、滅多に出ないスネイプの褒め言葉だった。
生徒たちがピクリと動き、少しだけ背筋を伸ばす。
スネイプは内心で思う。
――何が起きている?
教師として、彼はこの1ヶ月の生徒たちの変化を感じ取っていた。
魔法の精度も集中力も、例年とは比べ物にならない。
そしてその原因は、嫌でも分かっている。
伏黒甚爾。
闇の匂いを纏った、武骨で異質な教師。
あの男の授業が、生徒の“身体”そのものを変えてしまったのだ。
「……体育など、必要ないと思っていたがな」
スネイプは誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
授業の終盤。
完成した薬の表面は、誰も失敗していない証拠のように、澄んだ光を放っていた。
全員の薬が、教科書に書かれた通りの色と質感に仕上がっている。
「……全員、よくできた」
それだけ言い残して、スネイプは黒いローブを翻した。
3年生たちの間に、ひっそりとざわめきが走った。
――スネイプが褒めた。
それはある意味、奇跡のような出来事だった。
そんなある日、夜のホグワーツは昼とはまるで違う顔を見せる。
石造りの壁が冷たく光を反射し、風が廊下の隙間を抜ける音が耳に届く。
そんな時間に、3人の小さな足音が響いていた。
ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャー――いつもの3人だ。
「ねぇ、ここって禁じられた3階よね?入っちゃダメなところよ?」
ハーマイオニーが声をひそめながらも、きっちりと指摘する。
「でもさ、ここしか行けなかったんだよ」
ロンが肩をすくめる。
「……」
ハリーは黙って廊下の先を見つめていた。
本来なら、夜の外出は厳禁。
ただでさえ好奇心旺盛な3人に、動く階段のいたずらも重なり、気がつけば彼らは立入禁止の3階廊下に迷い込んでいたのだった。
「……あ」
その時、3人の背後――入り口の方から小さな足音が聞こえた。
「ニャァ〜」
赤い瞳と茶色い毛を持つ猫。
管理人フィルチの飼い猫、ミセス・ノリスだ。
「ヤバい!フィルチの猫だ!」
ロンが声を抑えきれずに叫ぶ。
「逃げよう!」
ハリーが先頭に立ち、3人は反射的に駆け出した。
石畳の廊下を走る足音が、夜の静寂に響く。
通り過ぎるたびに台座の松明がぱちぱちと音を立て、勝手に灯りがついていく。
「……あそこ!」
ハリーが指さした先には大きな扉があった。
「ダメだ!開かない!」
ロンが取っ手をがちゃがちゃと回すが、びくともしない。
「どいて!」
ハーマイオニーが2人を押しのけ、杖を抜いた。
「
ガチャリ。
解錠の音とともに扉がゆっくりと開いた。
3人は息を合わせ、すぐさま中に飛び込んで扉を閉める。
「みんな、静かに」
外に耳を澄ませていたロンとハーマイオニーに、ハリーが低い声で告げた。
だが――そのハリーの視線はすでに、部屋の奥に向けられていた。
「ヒィッ……」
ロンが思わず声を上げた。
ハーマイオニーが慌ててその口を押さえる。
目の前――そこにいたのは、3つの巨大な頭を持つ犬だった。
うねるような呼吸、肉の焼けるような熱気、獣の唸りの残滓。
「大きい犬……!」
ハリーが小さく呟いた。
それはハグリッドが飼っている怪物犬フラッフィー。もちろんハリー達はそんなことは知らない。
巨大な体を横たえ、ぐっすりと眠っていた。
「静かに……静かに出よう……」
「そっとよ……」
「うん、そっと……」
3人は忍び足で後ずさりし、扉の取っ手にそっと手をかける。
ギィ……という小さな軋み音がやけに響くが、フラッフィーは目を覚まさない。
そして――3人は無事に部屋を出ることに成功した。
「ふぅ〜……一体何なんだこの部屋?」
ロンが額の汗をぬぐいながら言う。
「すぐ帰りましょう。危険すぎるわ」
ハーマイオニーが真面目な声で言い、ハリーもうなずく。
「そうだね……」
3人が踵を返した、そのときだった。
「おい、お前ら――何してる」
廊下の暗がりから、低い声が響いた。
現れたのは伏黒甚爾だった。
夜の見回りをしていたのだろう。暗闇の中でも、異様な存在感を放っている。
ロンがビクリと肩を跳ねさせた。
「うわぁっ!せ、先生っ……!」
ハリーとハーマイオニーも同様に凍り付く。
「こんな夜中に、ガキ共が立入禁止の廊下をウロつくってのはどういう了見だ?」
低い声には怒鳴りはない。
しかし、背筋に冷たいものが走るような圧があった。
「ち、違うんです……!階段が動いちゃって……!」
ロンが慌てて口を開く。
「帰れなくなったの」
ハーマイオニーもすぐに続く。
「……階段、ね」
甚爾は目を細め、3人を見下ろした。
息を呑むような沈黙が流れる。
「それに……先生、僕たち、ただ入っちゃっただけで……」
ハリーが勇気を振り絞って言った。
「“だけ”で済むと思うなよ」
甚爾の声が落ちる。
ロンが情けない声をあげ、ハーマイオニーは固まった。
「……ま、今回は見逃してやる」
意外にも甚爾は大きくため息をついて、ポケットに手を突っ込んだ。
「早く寮に戻れ。廊下を歩くときは音を立てるな。猫より足音デカいぞお前ら」
3人は驚いたような顔を見合わせ、それから一斉に頭を下げた。
「ありがとうございます!先生!」
「すみませんでした!」
「……次はないぞ」
甚爾が背を向けると、3人は小走りで廊下を後にした。
甚爾は一人、その暗い廊下に立ち尽くす。
3人が出てきた部屋――あの奥に漂う気配を、五感で捉えていた。
「……あのデカブツ、何か守ってやがるな」
呪霊ではないが、鼻につく魔力の濃さがあった。
あの犬の先には、もっと厄介な“何か”がある。
「面倒くせぇ……また厄介事の匂いがする」
暗がりの中、甚爾はゆっくりと目を細めた。
ホグワーツの夜は、静かに波紋を広げ始めていた。